「あッ危ねえ」
銭形の平次は辛くも間に合いました。夜桜見物の帰りも絶えた、
「どうぞお見逃しを願います」
「どっこい待ちな、||そんな身投げの
「死ななきゃならないわけがございます。どうぞ、親分」
争う二人、平次は叩きのめすように、橋の
「頼むから静かにしてくれ。俺は横山町から駆け付けたんだ。息が切れてかなわねえ、||意見をするのが面倒臭くなると、二人を縛って欄干に
「親分さん」
「解ったよ。三百八十両の大金を
「えッ」
「お前は、
「そういう親分さんは?」
「神田の平次だ」
「あッ、銭形の||」
徳之助とお富は、死ぬはずの身を忘れて、町の
「横山町の店からの使いで飛んで行ってみると、||一度店へ帰ったお前が、お富と
そういう平次の言葉を聞いて、
「············」
二人はゾッと
「さア行こうぜ、||店じゃ皆さんも大心配だ。わけても増屋の旦那は、三百八十両のことも忘れて徳之助にもしもの事がなけりゃいいが||と居たり
「申し訳もございません、||でも、私はこのまま店へ帰っては済まないことがございます」
「はてネ」
月明りのわずかに残る欄干に
十三の年、親を
その上、今日まで内緒にしていた、お富との仲が、この心中騒ぎで一ぺんに知れたら、他の奉公人の手前、主人の三右衛門も、素直に許してはくれないかも解らず、いずれにしても、二人揃って増屋の敷居を
「それは一応
平次は口を
「それでは、私の
お富はこう言うのです。
死出の晴着のつもりでしょう。薄化粧に、
「それはいいが、店では心配しているだろう」
平次はまだ、増屋の大騒ぎが目に見えるような気がするのです。
「親分||、横山町へは、あっしが一と走り行って来ますよ。二人を浜町へ連れて行っちゃどうでしょう」
月の
「
「············」
「開けて下さいな、父さん」
「誰だい」
「私よ、父さん」
お富はそっと入口の戸の
「どこの
たまり兼ねて起出した様子、||
「そんな事を言わないで、父さん」
お富はやるせない様子でした。幾度も幾度も||徳之助がそのまま逃げ出しでもするのを
「お
そう言いながらも、内からガラリと戸を開けました。
「父さん、そういわずに、相談に乗って上げて下さい、||私達は本当に死ぬつもりだったのを親分さんに助けられて||こうしてお父さんのところへ帰って来たんです」
お富はそう言って、後ろに立った徳之助と、それから、銭形の平次を見やりました。
「············」
娘の沈んだ声も、
「父さん」
「主人の養子をそそのかして、三百八十両の大金を持出させるような、そんな娘を俺は持った覚えはねえ」
「父さん、それは、違いますよ。三百八十両は巾着切りに取られ||」
「黙らないか。本所で
「父さん」
「さア帰ってくれ。俺まで泥棒の仲間にされちゃ、売り込んだ顔に関わる、||縄を付けて突き出さないのが、せめても親の慈悲だ」
彦兵衛は言うだけのことを言うと、娘と徳之助を
が、その戸は半分閉めかけたまま、銭形平次に押えられました。
「何をしやがるんだ」
彦兵衛は少し中っ腹でした。
「彦兵衛、俺を忘れはしまいな」
「············」
「平次だ、||久し振りだったな」
「あッ、銭形の親分」
わずかに残る
かつては浅草で左官をしていた彦兵衛、飲む、打つの道楽が
お富は美しく清らかに生い立ちました。
嫁入前の一と修業のつもりで、増屋の女隠居付に奉公させたのは一年前、それは娘を仕込む
それが、お店の養子と勝手な事をして、三百八十両の大金を持逃げしたと番頭に聞かされ、罪の遺伝の恐ろしさに、彦兵衛は打ちひしがれながら、寝もやらず待っていると、顔見知りの銭形の平次に送られて、
飛び付いて引摺り込んで、二つ三つ
「じゃ、あの、娘を助けて下すったのは?」
彦兵衛の照れ臭さ。
「俺だよ、彦兵衛」
「············」
「浜町で堅気に暮しているとは聞いたが、お富の親がお前とは知らなかった。||それにしても、五年前の彦兵衛とは、打って変った心持、この平次もすっかり感心してしまったよ」
平次は
「恐れ入ります、親分」
「それにつけても、お前の考えの間違っていることだけは言わなきゃなるまい。番頭は何と言ったか知らないが、三百八十両の金は、たしかに巾着切りにやられたに違いない。二人の様子で、この平次は潔白を見届けたよ」
「ヘエ||」
「両国橋から飛込もうとするのを、どんなに骨を折って止めたか||捕縄を出して、欄干へ縛ろうかと思ったくらいだ。人間は、見栄や
「············」
「増屋の主人は、徳之助の正直をよく見抜いていらっしゃる。奉公人達には
「ヘエ||」
彦兵衛はポロポロと涙をこぼしておりました。銭形平次が保証してくれれば、もう大手を振って江戸中を歩ける二人です。
「お富との仲が一ぺんに知れ渡って、このままでは横山町の店へ帰りにくいというだけの話さ。お前もよく若い二人に言い聞かせてくれ、||さア入った入った、父さんは苦労人だ、よく解ってくれるよ」
平次は両方へそう言いながら、有明月の
貧しい
「三百八十両は大金だが、増屋の主人は
平次はそう言ってやります。
「金せえありゃ、俺の手で何とでもするが、こんな暮しをしていちゃ、三百八十両はおろか、三両二分も
彦兵衛は
「正直者はそれが本当さ、||ところで、どんな野郎が抜いたんだ。三百八十両が懐中から消えた
と平次。
「
「フーム」
「別に疑う心持もなく、向島へ行くと、ちょうど花は真っ盛り、昼前だというのに、土手は、こぼれそうな人出です。その間を縫うように、
「どんな野郎だい」
彦兵衛は横合から口を出しました。
「
「フーム」
「二つ三つ殴られて、土手の下へ転がされると、||それ喧嘩だッ||という人だかり」
「············」
「
「あの野郎、やりやがったな」
彦兵衛は思い当ることがあるらしく、
「びっくりして、気違いのように駆け廻りましたが、相手はどこへ逃げたか、影も形もありません。小梅の寮へ行ってみると、旦那がここへ来ているというのは真っ赤な嘘、よくよく
「············」
「日の暮れるまで死場所を探して、あっちこっち歩きまわりましたが、どこへ行っても花見客で一パイ、日が暮れると足は横山町の方へ向いておりました。お富に逢って一と言、別れの言葉が言いたかったのです」
徳之助の肩はガクリと落ちて、
「一緒に死のうと言いましたのは、この私でした、父さん、堪忍して下さい。||父さん一人残して死ぬと思うと、胸が張り裂けるようでした。でも、徳之助さん一人殺して、私は生きている気がしません」
後ろからお富、伸した手はそっと、父親の
「ば、馬鹿なッ。親父をつかまえて、
彦兵衛はほうり落ちる涙を、横なぐりに払って、
「ところで、彦兵衛、その巾着切りの薄
平次は職業意識を取戻しました。
「それですよ、親分。若い者には聞かせたくねえ話で、||ちょいとお顔を」
彦兵衛は目顔に物を言わせて、滑るように明けかかった街へ出ました。
それを追って平次。二人はしばらく無言のまま、浜町河岸に立って、
「彦兵衛||薄菊石の巾着切りは誰だ。早い方がいい。今から手を廻したら、金が戻るかも知れねえ」
平次は口を切りました。
「
「どこに居る、少しでも早い方がいい」
「ね、親分さん、||これはあっしに任せて下さいませんか」
「············」
「十手捕縄じゃ||そんな事を言っちゃ悪いが、
彦兵衛は思い切ってこう言うのです。
「それはまた、どうしたわけだ」
と平次。
「増屋の嫁になろうという娘の耳に、あっしの素姓を知らせたくはありません。||それにあの東作の仕事振りを、あっしはよく知っております。これは
「その時は
「なれとおっしゃればなりますが、その代りあっしの素姓は明るみに
「············」
「三百八十両の金を取り戻し、徳之助とお富を無事に増屋に帰した上で、菊石の東作を縛るなり叩くなり、勝手になすっておくんなさい。ね、親分||銭形の親分さんを見込んで、この彦兵衛が一生に一度のお願いでございます」
いつの間にやら彦兵衛は、朝の大地の上に
「よし、判った。たった三日、
「有難うございます、親分」
「いいよ、俺は拝まれるのはあんまり好きじゃねえ||大変な泥だぜ、仕様がねえなア」
平次は彦兵衛を起してやって、その胸から膝へ一面に付いた
もう出始めた街の人達、酔っ払いの介抱とでも思ったのか、それを遠巻きに見ているのでした。
その奥の、思いの外
「久し振りだね、彦兄イ。眼と鼻の間に住んでいても、稼業が違うと、こうも逢わないものか」
東作は渋い茶一杯
「お蔭で地道な貧乏暮しも四年と続いたが||今日はね東作、少しお願いがあって来たんだが||」
彦兵衛は居心地が悪そうにモジモジしながら、思い切った様子で切出しました。
「ハテネ、堅気のお前さんからの頼み、というと、袋戸棚の唐紙でも貼って貰いたいと言うのかい」
東作は煙草盆を引寄せて一服吸付け、
「外じゃねえ。
「何を言うんだい、彦兄イ。向島だの、三百八十両だのと||俺はもう悪事とは縁切りさ。三年前から堅気になって、近頃では左官の彦兵衛と同じように通用する経師屋の東作だ。
「そうでもあろうが東作、||俺が聞いた手口は、昔のままの描き菊石だ。あの三百八十両を抜かれたばかりに、
「一人は彦兄イの||娘お富さんとか言ったね」
「それまで知っているなら、言うだけ野暮だ。なア、東作、昔の
「それじゃ彦兄イ、本気でそんな事を言いに来たのか」
「本気も、本気この通りだ。娘の命にも関わること、愚に返った彦兵衛が一生の頼みだ。聞いてくれ、東作」
彦兵衛は両手を畳に下ろして、涙ぐんでさえいたのです。
「やい、彦兄イ」
「············」
「いやさ彦兵衛、年のせいかは知らねえが、大層
東作は
「東作、頼む」
「東作東作、と、安くして貰いたくねえ。昔は悪党仲間の兄イ分だろうが、||稼いだ金をそっくり返せというのは、こちとらにはねえ仁義だ。
「解ったよ、東作、手前の腹を立てるのも無理はねえが、||俺の方にも少しばかり言いてえことがある」
「············」
「娘の命を助けたのは、他じゃねえ、銭形の平次親分だ。三百八十両抜いたのは、描き菊石の東作と話すと||」
「何?」
「まア、待ってくれ。俺は一生懸命平次親分を
「それじゃ、手前、銭形の平次に、この俺の事までベラベラと
東作はカンカンに腹を立てながらも、襟元の薄寒さを感じました。銭形平次に
「娘の命を助けたさの行きがかりだ||それは仕方があるものか。三百八十両の金を返してくれさえすれば、平次親分に頼んで、今度のことは眼をつぶって貰う工夫もあるだろう、なア、東作」
「御免
「何?」
「岡っ引に脅かされて獲物を吐き出したとあっちゃ、この東作の名折れだ。今すぐ長い
「どうあってもか、東作」
「いやに東作、東作って言やがるじゃないか。誰が何と言っても嫌だよ。判ったかい、彦兵衛」
「野郎ッ」
二人は睨み合いました。争闘を始める一瞬前の猛獣のように||。
「ハッハッハッハッハッ、年は取っても、
急に笑い出した東作の顔を、彦兵衛は眉も動かさずに睨み据えます。
「三百八十両、事と次第によっては、ずいぶん返してやらないものではないが、その代り、礼はするだろうな、彦兄イ」
「礼?||それはするとも、その日暮しの左官には、どうせろくな礼も出来ないが」
彦兵衛は緊張が
「礼と言ったところで、銭や金じゃねえ」
「············」
「俺には少し望みがあるんだ。||
「な、何だと」
東作は大変なことを言い出しました。
「それが嫌なら、増屋へ乗込んで、手前の素性をみんなバラしてやるまでよ。江戸で指折の
「手前それは正気で言うのか、東作」
「正気も正気、この通り、酔っても寝ぼけてもいるわけじゃねえ。年は少し違うが、まだ厄前の東作に、十九のお富が不釣合とは言わさねえ。巾着切りの娘が巾着切りの女房、こんな似合いの縁があるものか」
「野郎ッ」
「まア、怒るな、彦兄イ。俺は二三年前から、お富坊に眼をつけていたんだ、||この縁談さえ承知なら三百八十両は結納代り、
「············」
東作の
浜町の家では、お富と徳之助が、平次に言い
お富を一人残して、徳之助だけ店へ帰すのは、彦兵衛の方では不可能なことでした。
死の一歩手前まで行った二人は、恥も外聞も、義理も体面も捨てて、もう一瞬も
幸い、増屋の主人三右衛門からの
「お富、||若旦那はお店へ帰ったが、三百八十両の金が戻らなきゃ、親類方や古い奉公人の手前、増屋の跡取りに直るのがむつかしい事は、お前にも判るだろうな」
改めて彦兵衛は、娘に因果を含めるのでした。
「············」
それはしかし、何の前提やら父親の気持を測り兼ねて、お富は美しい
「増屋から追出されても、裏長屋に住んでも、二人一緒に暮せるから||とお前は思うだろうが、それじゃ世上の義理が済まねえ」
「············」
「男の出世を妨げるのは、何といってもつれ添う女の恥だ。解るか、お富」
「え」
「それが解るなら、今晩ほんのしばらく、
「
「察しの通り巾着切りの東作という男だが、深いわけがあって、表沙汰にしたくないのだよ。判るか、お富」
子供のとき別れて、五年前母親の臨終の床で、久し振りに逢った父親ですが、それから五年の間の愛育は、世の常の五十年の恩にも超えて深いものでした。
世にこんな良い父親があるということは子として、何という誇らしいことでしょう。
お富はいつでも、
「父さん、||私には何にも判らないけれど、父さんが良いと思うことならどんな事でもやってみましょう」
お富はそれほど父親を信頼しきっていたのでした。経師屋東作、描き菊石と
間もなく、東作が
「
さすがに
「まア
狭い家、逃げも隠れもならぬお富は、
「お富坊、相変らず美しいことだな。今晩から俺はここの人だよ、お前とは||」
「シッ、余計なことを言うな。若い者は
彦兵衛は精一杯の目顔を働かせます。どうしても承知しなかった東作を説き落して、お富との祝言は、いずれ徳之助と縁が切れてから、改めて
「へッ、へッ、へッ、そう言ったものかいなアお富坊、こう見えても、俺は日本一の親切者さ。お富坊に気に入るように、三百八十両の金はちゃんとここに持って来たよ。次第によっちゃ
しな
「お富、||あれほど言っておいたじゃないか、
「ハイ」
「なア、東作、夜は
「その代りお互も一と晩年を取るぜ、へッへッ。だが、全く
「だからよ、存分に飲みな」
「介抱はお富坊に頼むか、ゲープ」
東作は
「いい
「············」
黙って行灯を
「驚くことはない。少し静かにしたら、よく落着くだろう」
「············」
「とんだ
彦兵衛は乱酔して、正体もなく眠りこけた東作の側に
「父さん」
お富は思わず声を出しました。父親の戸が妙に物馴れた
「抜かれた物を抜くまでのことだ。驚くことはない」
ズルズルと
「ウ、ウン、ウ、ウ」
うなされたように、寝返りを打つ東作。
「············」
彦兵衛の右手には、キラリと
「父さん」
「大丈夫だ、心配するな。こんな毒虫は、人助けのために命を取っても
「············」
「お前はその胴巻を持って、横山町の増屋へ行ってくれ、||ここにまごまごしていて、この野郎が眼を覚すと、後が面倒だ」
「父さん」
「手触りでもよく解る。中は確か三百八十両。少し重いが、男一人の命にも関わった金だ、しっかり持って行け」
胴巻を娘の帯の下へ廻しながら、彦兵衛はそう言い続けます。
もう
「父さん、それじゃ」
お富は三百八十両の小判を
「命がけの金だぞ、お富」
「ハイ」
「これがしばらくの別れになろうも知れない」
「父さん」
「なアに、そんな事があるものか。明日はまた逢おう、いいか、お富」
娘を夜の冒険に送り出して、引返した彦兵衛、
「野郎、起きろ」
低いが、
「ウ、ウ、ウ」
ゴロリと寝返りを打った東作、それくらいのことでは、なかなか目を覚しそうもありません。
「只の酒だと思って、よくも食らいやがったな、畜生ッ、どうするか見るがいい」
勝手から持出した
「
高々と持ち上げた手桶から、ドッと一条の
「ワッ、な、何をしやがる」
ガバと飛起きた東作。
「騒ぐな、家は借家だ。望みとあらば、もう二三杯食らわせてやろうか」
手桶を振り
「や、や、胴巻を抜きやがったな」
立ち上がって自分の
「当り
「
濡れ腐った
「金を抜いて娘をくれと
「その娘を、ヌケヌケと増屋の嫁にする気だろうが、そんな
「俺の方でも手前を銭形の親分に引渡すはずだが、||昔の
「何を、
「どっちも抜き差しならねえ破目だ。仲間の
「何?」
「さア、そいつを持って柳原の土手まで来い。地獄の旅へ、どっちが先に踏出すか」
ガラリと投げた匕首。行灯の影から手を出して、東作はあわてて一挺を拾いました。
「しゃら
二人は
*
それから一と月、江戸は青葉の風薫る頃となりました。三百八十両を取り返したのは、彦兵衛お富の
左官の彦兵衛は仮親を立てて貰うように、
今日はいよいよ徳之助とお富の祝言という日。
浜町の貧しい父親の許に、
「まア、何て綺麗でしょう」
「お富さんは本当に仕合せねえ」
「時々は浜町へもいらっしゃいな」
そんな言葉の中に、盛装したお富と、相変らぬ
「それじゃ、父さん」
やがて傾く
「お富、達者で暮せよ」
戸口まで送って出た彦兵衛の眼には、涙が光っております。
「父さん、時々は横山町へ来て下さるでしょうね」
お富は美しい髪を気にしながら、駕籠の中から顔を出して、咲き立ての花のように、四方の空気を匂わせます。
「行くよ、行くには行くがな、||親父が娘の嫁入先へ、ウロウロ行くのは、あまり見っともいいものじゃねえ」
「でも、父さん」
「心配するな、時々はお前も顔を見せてくれ。言うまでもねえ事だが、夫を大事に、御主人や御隠居によく仕えるのだよ」
「ハイ」
「やれやれ、これで俺も安心だ。死んだおっ
「父さん」
駕籠は上がりました。親と娘を
それを立ち尽して見送る彦兵衛。
「············」
黙って半白の頭を振りました。涙はポロポロと、
そっと肩に手を置く者。振り返ると、
「彦兵衛」
銭形平次が立っているではありませんか。
「親分」
「お慈悲は過ぎたぞ、||この上のお目こぼしは、役人方の落度になる」
「覚悟は出来ております、親分」
彦兵衛は静かに後ろへ手を廻しました。
「経師屋東作殺しの下手人、神妙にせい」
「親分、有難うございました。お蔭で娘は、何にも知らずに、あの通り||」
街の夕陽の中に薄れ行く駕籠、それを見送って、彦兵衛は声もなく泣くのです。
「笹野様の御慈悲だ||それもこれも。さア立て」
「親分、この彦兵衛が最後の願い、もう一つだけ無理を聞いて下さい」
「············」
「お願いだ、親分。あの娘には、何にも知らせたくはありません。私の居ないのを不思議に思ったら、
彦兵衛は自分の襟に深々と顔を
「いいとも、この
「親分、何にも言わねえ」
彦兵衛は崩折れました。合せた手が
「八、見っともねえ、そんなものは引っ込めろ」
「ヘエ||」
後ろから来た八五郎は、あわてて捕縄を引っ込めました。どっと起る街の歓声、花嫁の駕籠を見付けた、子供達の声でしょう。