「旦那よ||たしかに旦那よ」
「············」
鬼になった年増
「ただ旦那じゃ解らないよ
「旦那と言ったら旦那だよ、この土地でただ旦那と言や、板倉屋の旦那に決ってるじゃないか。
「なんて憎い口だ」
左孝は振り上げて大見得を切った扇で、自分の
伴三郎の思い者で、土地の売れっ
「それ御覧、旦那じゃないか」
お勢は少しクラクラする眼をこすりました。二十二三でしょうが、存分にお
「眼隠し鬼は手で
伴三郎はツイと身をかわして、意地の悪い微笑を浮べております。
これは三十そこそこ、金があって、年が若くて、男がよくて、
「あら、旦那、そんな事ってありませんワ」
お勢は少し面喰らいました。
「でも、俺は匂いを嗅ぎ出されて鬼になるなんか真っ平だよ」
「それじゃ、もういちど
「それがいい、それがいい」
遊びから遊びへ、果てしもない連続は、伴三郎にも
この遊びは刺戟的で馬鹿げていて、思いのほか皆んなを喜ばせました。鬼が危ない手付きで追い廻すと、伴三郎と直八とそれに
中には、首っ玉へ
「||いっちく、たっちく
と声を揃えて歌いながら数え、一人ずつ抜かして、最後に残った一人を鬼にするのです。
残った二人は白旗直八と幇間の左孝、二人とも、鬼になりたくてなりたくて仕様のないという人間||雛妓を追い廻して
「そんな
「間の伸びたのは師匠の鼻の下さ、いっちくたっちくだって
お勢は相変らず毒舌です。
「言ったな」
「捕まえられて頬っぺたを
お勢がズケズケとやりながら、一番若くて美しい芸妓お駒の頬を指すのでした。
「へッ、自分が嘗められないんで
「
際限もありません。
「もうよかろう。二人が噛み合っていると際限もない、||鬼は二人の方が面白いから、左孝も鬼になるがいい、その代り
伴三郎はこんな事を言い出します。
「それ旦那があんなにおっしゃるじゃないか。鬼になるのは私のような
左孝と白旗直八は背中合せに立って目を縛り、同時に広間中の灯をみんな消しました。
めんないちどり、手の鳴る方へ、||
丸くなった男女の輪が、ドッと崩れると、それを追って二人の鬼が、手拍子と、いつの間にやら伴三郎は席を外し、お勢もお駒も見えなくなりました。左孝の悪ふざけに驚いた女どもは、縁側へ、次の間へ、廊下へと灯を追って
が、しかしその歓楽も尽きる時が来ました。恐ろしい血の
「わッ、た、大変ッ」
下女の上ずった声が、次の間から響くと、恐ろしい予感に、騒ぎは水をぶっ掛けたように鎮まりました。
「来て下さい、大変ッ」
続いてもう一度。
「············」
十人ばかりの
「
真っ先のお勢が叫ぶと、二つ三つ先の部屋に片づけた燭台が誰の手からともなく次の間へ運ばれます。
「あッ、白旗の旦那だ」
驚いたのも無理はありません。御家人崩れで、今こそ
歓楽の馬鹿騒ぎは、重っ苦しい恐怖の騒ぎに変りました。
「左孝はどこへ行った?」
「
この騒ぎの中へ、
「あいつだよ、
お勢です。
「馬鹿な事を言っちゃならねえ、人が聞いたらどうする」
清川の主人の
「ここだよ、ここに居るよ」
下の方から男衆の声が聞えました。
「何が居るんだ」
「左孝師匠の死骸はここだよ」
「あッ」
二度目の変事に度を失った人々は、
「番所へお届けだ」
「いや医者が先だ」
深刻になり行く騒ぎの中へ、ガラッ八を従えた銭形平次と、お
「お、銭形の、また逢ったね」
「番所に居合せたんでね、三輪の」
平次はそのまま引返そうとしました。
「ちょうどいい。銭形の
「············」
三輪の万七は大変なことを言い出しました。
「眼隠し鬼を二人やっつけるなんざ、大して企みのある仕事じゃあるめえ。夜の明ける前に下手人を挙げたのが勝ということにしちゃどうだ」
「············」
「こんど負けたら、俺は坊主になる」
万七はこうも言うのでした。
「あっしも銭形の親分が負けたら坊主になりますぜ、三輪の親分」
ガラッ八はたまり兼ねて口を出します。
「坊主っぷりはいいだろうな、八
万七の舌は毒を含みますが、貫禄の違いでガラッ八の八五郎もその上応酬が出来ません。唇を噛んで、少し
「三輪の
平次は首を振りました。偶発的に機会を
「とにかくやってみよう。白旗直八は身を持崩しているが、元が元だから、女や子供に殺される人間じゃねえ。左孝を二階から突き落したのと同じ人間なら、すぐ解るはずだ」
万七はそんな事を言って左孝の手当をしている部屋へ行きましたが、打ちどころが悪かったものか思いの外の怪我で、まだ正気に返ってはおりません。
「八、皆んなの身許を洗って来るんだ。白旗直八や左孝はいうまでもねえが、板倉屋伴三郎の女出入り、||世間で評判を立てているお勢との仲や、その他の事も、解るだけ洗って来い。町内の髪結床と湯屋と、番所と、板倉屋の向う三軒両隣を当ったら、殺しの筋だけでも恰好がつくだろう」
「合点、そんな事なら朝飯前だ」
ガラッ八は飛出します。
その後ろ姿を見送った平次は、静かに二階へ登ると、
「
矢継早な平次の質問を浴びると、
「待って下さい親分さん。私じゃ解りません、お勢を呼んで来ましょう」
喜兵衛は
「お勢も呼びたいが、||その前に訊きたいことがあります。板倉屋の旦那は、鬼ごっこの途中で
「三輪の親分もそればかり気にしていましたよ、||板倉屋の旦那が二階から降りたのは、二階の広間の
「別に変った様子は?」
「いつもの通りで、||やれやれ追い廻されるのも楽じゃない。下で落着いて一パイやるから、そっとお勢を呼んでくれ||とおっしゃいましたが、お勢を呼ぶ前にあの騒ぎで||」
「板倉屋の旦那と、白旗直八とは、仲が良くなかったという話もあるが」
平次の問は次第に突っ込みます。
「勘当された
「いずれ面白くない事があったとすれば、
「ヘエ||、どちらも若くて男がよくて、お金のあるのと、腕の立つのと、
喜兵衛は当らず触らずの事を言いますが、伴三郎と殺された直八の間が、案外世間で見るように無事なものでなかったことは事実のようです。
「お勢、||お前の知ってるだけを、みんな話してくれ。隠したり、
銭形平次は、隣の部屋に一人ずつ呼んで人と人との関係やら、宵からの馬鹿遊びの始末を訊いております。
「親分、これでみんなですよ。あとは何にもありゃしません」
お勢の
「板倉屋の旦那の物好きで、眼隠し鬼を始めた、||板倉屋は鬼になるのを嫌ったが、左孝は何べんでも鬼になった、||不思議なことに白旗直八は鬼が当らなかった||と言うんだね」
「え」
「板倉屋は
「え」
「それをお前は捕まえた、どうするつもりだったんだ」
「一度ぐらい鬼にしたかったんですよ」
「板倉屋が嫌がると、また
「白旗さんですよ」
「||いっちく、たっちく||を伸して言って、わざと白旗直八に当てさせたのは誰の細工だ」
「私ですよ、親分、私が子供達に言い付けたんです」
「本当かお勢、大事なところだ」
「私の言うことでなきゃ、子供達は聞きゃしません」
「燭台を取払わせたのは?」
「それは板倉屋の旦那でした。暗くした上そっと階下へ降りて静かに一杯やろうとおっしゃるんで」
お勢の言葉には何の
「お前と白旗直八とは、他人じゃなかったようじゃないか」
平次はどこで聞いたか、こう誘導的な問を持ちかけました。今では板倉屋伴三郎の
「どうしてそんな事を?」
「············」
平次は黙って笑います。が、その自信のある
「でも、五年も前のことなんです||私は一本になったばかり、白旗さんだって部屋住みで、長くは続かなかったんですよ」
お勢は眼を伏せました。
「板倉屋はそれを知っていたのか」
「え」
「············」
「でも、板倉屋の旦那はそんな事を恨みになんか持っちゃいません。昔の昔の事なんですもの。私ども稼業の者にしちゃ一年は十年で」
「············」
平次の眼が依然として
「それに、近頃は、お駒さんに夢中なんですもの、||私のことなんか」
「そいつは初耳だ、嘘じゃあるまいな、お勢」
「嘘なんか言やしません。||そのお駒さんが。白さんに気があったことも親分さんは御存じないでしょう||でもこんなにみんな言ってしまっていいでしょうか」
お勢は悲しそうでした。この陽気でお
「銭形の
万七は得意な鼻を
「なんて言ったんだ、三輪の」
「廊下へ出ると、いきなり、恐ろしい力で突き飛ばされ、
「俺が
「それもよかろう」
平次は、万七の皮肉な目を
「俺が判るだろうな」
「············」
「お前さんが、二階から突き落されたのと、白旗直八が殺されたのと、どっちが先なんだ」
「私の方が先で」
左孝の唇は
「どうして解った」
「私が廊下へ出たとき、白旗の旦那は、まだ、女どもを部屋の中で追い廻していました」
「お前を突き落したのは、男の手に間違いあるまいな?」
「ヘエ」
「その時、掛け香の匂いがしなかったかい」
「とんでもない」
「
「ヘエ||」
左孝はそんな事に始めて気が付いた様子です。
「板倉屋でないとすると、白旗直八だ。白旗直八は殺されているんだぜ」
「私も殺されかけましたよ、親分さん、||白旗の旦那が私を突き落した後で、誰かに刺されたとしたら、どんなものでしょう」
「それもないことではあるまい。が、白旗直八を
「お勢ですよ、||親分、大きな声じゃ言えませんが」
「何だと」
「白旗の旦那は、お駒と板倉屋の旦那の仲を取持つと思ってこの左孝を怨んでいましたし、お勢は自分の浮気を棚に上げて白旗の旦那がお駒に気があるのを
「フーム」
筋はよく通りますが、そんな簡単な事で、この事件の謎が解かれるでしょうか。平次は深々と腕を
「銭形の
三輪の万七は心得ております。
「そんな事はあるまい」
「『いっちく、たっちく』と長々と引伸して、白旗直八に鬼を当てたのは伴三郎の指図だ」
「いや、それはお勢だ||お勢がそう言ったぜ、
「銭形のにも似合わない。お勢は板倉屋を庇っているんだよ、
「フーム」
平次は完全に万七にやり込められました。
「白旗直八は御家人の
「············」
万七の言うのはいちいちもっともですが、平次にはまだ
「銭形の、引揚げようか。約束の夜明けにはまだ
「えッ」
「今頃は清吉が板倉屋を
三輪の万七の誇らしさ。
「そいつはいけねえ。兄哥、板倉屋はただの金持の旦那だ、人なんか殺せる男じゃねえ。この世を面白
「相変らず
「だが、板倉屋と白旗直八は、腹の底では
「その通りさ」
「なら、プンプン
平次はようやく鋭い
「そいつは何とも言えねえよ、腰の物は
「鞘は白旗の腰にあるんだ、そんなはずはねえ」
「とにかく、俺の見込みが違ったら坊主になるまでだ。銭形の、夜の明けるまでが楽しみさ」
三輪の万七はもう一つ皮肉な微笑を残してさっさと出て行ってしまいました。
「親分さん、||お願いですが」
「何だ、お勢じゃないか」
平次は思い詰めた女の眼を見ました。
「板倉屋の旦那などの御存じのことじゃありません。なんとかして助けて上げて下さい」
「何を言うんだ、お勢。俺も板倉屋を疑っているんだよ、ことによると、俺の方が坊主になるかも知れない」
平次は冷静な笑いに
「親分さん、待って下さい、実は、実は||」
「私が殺しました||なんて言わないでくれ、下手人がもう一人増えると、手数が多くなるばかりだから」
「でも本当に私が殺したら、どうしてくれます。親分さん」
「白旗直八が目隠しをしたままのを刺したのかい」
「え」
「殺すほどの怨みは何だ」
「あの男が五年前のことをぺらぺら
「よしよし、お前の言う事を本当にしよう。が、縄を打つ前に見せたいものがある。ちょいと来るがいい」
「············」
平次はお勢をつれて、死体を置いた部屋へ入って行きました。
「頸筋の
「············」
「解らないか、お勢、
「············」
「一言もあるめえ。この下手人は、三輪の兄哥が
「親分さん」
お勢は泣いておりました。
平次はもう一度広間に取って返すと、
「お駒は?」
「師匠の世話をしていますよ」
まだ一本になったばかりのお駒が、赤の他人の、初老近い
「あの
主人の喜兵衛はそんな事を言っております。
真夜中過ぎまで何の変化もなく、
平次は日頃の
「親分、解った」
「何だ、八」
「夜っぴて飛んで歩くつもりだったが、いい
八五郎の顔、||獲物を
「順序を立てて言え、まず、何が解った」
「白旗直八は御家人の冷飯食いの癖に、名代の
「それは解ってる」
「さんざんの道楽で勘当になり、板倉屋に転げ込んだ。最初は伴三郎と似た者同士で仲よく遊び廻ったが、板倉屋の
「それも解っている」
「ところが、板倉屋は近頃お駒に夢中で、こんどこそは
「フーム」
「板倉屋の親類の手前、お駒の本当の親は、武家とか浪人とかいうことになっているが、それがどうも細工らしい」
「············」
平次は次第に緊張しますが、八五郎の話は
「それを嗅ぎ付けたのが白旗直八だ。親元のよくねえのをブチまけると言っちゃ、お駒をおどし、まだ一本になったばかりで、金っ気がないとわかると、色気の方で行った」
「フーム」
「白旗というのは、悪い野郎ですぜ、殺されるのは当り前だ」
「それからどうした」
「お駒は逃げて逃げて逃げ廻った。白旗直八はそれを追い廻して、板倉屋へ
「待ってくれ、そのお駒の本当の親というのは何だ、それを聞いたか」
「それがどうしても解らねえ、||柳橋中を聞いて廻ったが誰も知らねえ。母親は
ここまでくると、はなはだ頼りがありません。
「八、お前一と走り番所へ言って、三輪の
「何をやらかすんで」
「ちょいと立会って貰いたいことがある。板倉屋は清吉
「ヘエ||」
八五郎には何が何やら解りませんが、親分の平次に言い付けられた通り、とにもかくにも、も一度深夜の街へ出て行きました。
「銭形の
三輪の万七は勝ち誇った心持で入って来ました。夜の明けぬうちに、伴三郎に白状させる見込みが立ったのでしょう。
「少し聞き込んだ事があるんだが、一人じゃ心細い、兄哥に立会って貰いてえが||」
「いいとも、だが||無駄だぜ、銭形の、下手人はどう考えたって板倉屋だ」
「兄哥の見込みをどうのこうのと言うわけじゃねえ。ほんのちょいと、念のために当っておきたい人間があるんだ」
平次はそう言いながら、
「あ、親分さん方」
入って来た平次とガラッ八と万七を見ると、お駒の顔色は動揺します。
「お駒、立ってみな、||どこかへ血が付いているはずだ」
「············」
平次の声は
「お前には殺す気はなかった。白旗直八はお前を捕まえると、あの部屋に
「親分さん」
「違っているとは言えまい。さア、番所へ来い||三輪の兄哥、聞いての通りだ。
平次は誰にも物を言わせませんでした。スックと立上がると、
「親分さん、待って下さい、それは、違う」
怪我人の左孝が重態の床から乗出すのにさえ目もくれず、お駒を引立てて、風のごとく部屋の外へ出ました。
「銭形の、待ってくれ」
驚く三輪の万七、続いて立とうとするのを、
「三輪の親分さん、聞いて下さい||私はどうせ助かりそうもない、何もかもみんな申します。白旗直八を殺したのは、お駒じゃありません」
「何だ、早く言え」
と中腰の万七。
「白旗直八を殺したのは、この左孝でございます。||お駒などが、とんでもない」
「何だと、いい加減の事を言うと承知しねえぞ」
「今死ぬ私が、いい加減な事を言うものですか、||何を隠しましょう、これはお駒も知らない事ですが、私はお駒のためには
「何?」
「お駒は私の娘でございます」
左孝の言うのは全く思いもよらぬ事ですが、その真実性は万七の腰を据えさせます。
苦しい息の下から話したのはこうでした。
左孝がまだ若くて名ある店の若旦那時代に、
左孝は、お駒の夢を破らないために、永い間名乗りもせずに来ました。父親は
そのお駒が
「運悪く庭石の上へ落ちて、こんな大怪我をしたのも
次第に弱る気力を励まして、左孝は両手を
「よしよし、助けてやる、心配するな」
「それから、娘にはこの左孝が父親だったとは教えないで下さい、||赤の他人に危ないところを助けられたと思って、大怪我をした私を介抱するような優しい娘でございます」
それを聞く三輪の万七も、鬼の眼の涙ほど
*
お駒は番所へなど連れて行かれたのではありません。その晩のうちに許された伴三郎と、平次と万七が仲に入って
何もかも見尽して、淋しくあきらめたお勢は、
「八五郎親分のところへ押しかけ嫁に行きますよ。可愛がって下さいな」
そんな事を言いながら、ポロポロと泣いているのでした。
「親分、何だってあの時お駒を伴れ出したんで。下手人があの左孝とは、親分には前から判っていたんでしょう」
ガラッ八がこう切り出したのは、その翌る日でした。
「あんな細工でもしなきゃ三輪の兄哥が本当に
「············」
ガラッ八は黙って、この世にも優れた心構えの親分を見上げました。お蔭でこの手柄も銭形の平次はフイにしてしまったのです。