「親分、||ちょいと、八五郎親分」
ガラッ八は背筋を
「どこだ」
グルリと一と廻り、視線で描いた大きい弧がツイ鼻の先の花色
「ここよ、ちょいと、親分」
「なんだ、||俺を
ガラッ八は
「あら、私はここの姐さんじゃありませんよ。神田から親分の後を
肩で暖簾を
「御免を
ガラッ八は独り者の癖に、若い女には妙に
「ホ、ホ、ホ、ホッ、ホッ」
女はいきなり笑い出しましたが、
「何が
ガラッ八は
「だって、御用繁多な方が、一軒一軒菊細工を覗いて、
「何?」
「その癖、お茶も呑まずに引返すじゃありませんか。良い御用聞がそんな心掛けじゃ、世間が穏やかなわけねえ」
「············」
ガラッ八は
菊細工はまだ麻布の狸穴坂の両側を本場にした頃、ガラッ八は
「ね、八五郎親分、
女は差し寄ってこう
「一人の命?」
「え、私の甥が人手に掛って死んだのに、届けるところへ届けても、取合ってくれる者もありません。それじゃこの世の中は闇じゃありませんか」
頬に通う
「その話を聴こうじゃないか、人一人の命に係わるとか、甥が人手に掛って死んだという話を||」
ガラッ八の八五郎が神田へ帰ったのは、やがて
麻布から
「親分」
長い舌がペロリと上唇を
「なんだ、八か。今頃どこから
「親分」
「まア坐れ、入口に突っ立って物を言う人間は無いよ、||あッ、懐手をしたまま坐りやがった、呆れた野郎だ」
平次は口小言を言いながらも、気の置けない微笑を浮べて、
「それどころじゃねえよ。御府内に人殺しがあるのを、御用聞が知らずにいるという法はねえ、||知って下手人を捕えねえという法もないはずだ、ね親分」
「おかしな事を言うじゃないか、俺の縄張うちに、目こぼしになった「殺し」でもあったと言うのかえ」
「その通りですよ、親分」
「おやおやおや、それは初耳だ。聞かして貰おうじゃないか八、次第によっては、十手捕縄を返上して、坊主になって
平次も少しばかり真剣になりました。
「親分が悪いというわけじゃありませんよ。相手の大名が
「俺はあわてちゃいないよ、
弾み切った心持を誘発されて、二人は思わず顔を見合せました。が、次の瞬間にはもう融然として笑っております。
「こうですよ、親分、||鎌倉町の源太郎親分のところに、綺麗な娘が二人あったのは知っていなさるでしょう」
「知っているよ。源太郎はやくざだが、姉娘のお銀が大名のお部屋様になって、跡取りの男の子を生んでから、すっかり隠居して、堅気になっているという話だ||それがどうしたんだ」
「その跡取りの男の子||大名の若様が死んだんで」
「詳しく話してみるがいい、何かわけがありそうだ」
「わけは大ありで||
「誰だい、その凄いほどの女というのは?」
「源太郎の二番目娘、お銀の方の妹のお徳ですよ。親父の子分でお小姓の捨吉と言われた
「なんだ、あの転婆娘か。||さぞ手前は
「姉のお銀が大名のお屋敷に上がって、男の子を生んだ時、親父も気が
ガラッ八は委細構わず話を進めて行きました。お徳に
「それから、どうしたんだ」
「お銀の奉公先は、
「············」
「源太郎の娘で、気象者で通ったお銀の方も、
「その十次郎様というのが
「ヘエ、親分は知っているんで||?」
ガラッ八の顔の長さ。
「
「銭形の親分でも燭台下暗しさ」
「灯台下暗しだろう」と平次。
「どっちだって、大した違いじゃねえ。||その霍乱が、駿河台の御屋敷から届いたお菓子を喰った晩から起って、
「それは知らなかった」
平次も予想外な顔色です。
「菓子に
「············」
「お部屋様のお銀はそれから半病人、親父の源太郎も取る年だし、
ガラッ八はお徳の声色まで使って聞かせました。縁台の上で、菊の香りにひたりながら、二つ三つはお徳にグリグリをやられたのでしょう、何しろ、その熱心さは一と通りのことではありません。
「そいつは御免を蒙ろうよ、八」
「ヘエ||?」
ガラッ八は驚きました。話が一段落と見るや、平次はツイと座を立って、縁側の雨戸を一枚引あけ、水の如く入って来る月明かりの中に、ホッと
「気の毒だが、そいつは構っちゃいられねえ。俺は町方の御用聞、大名のお家騒動に口を出せる道理もなく、よしや下手人が判ったところで、乗込んで縛るわけにも行くめえ」
「だがネ、親分」
「無駄だよ、八、放っておくがいい、手前はお徳の
「親分」
「判っているよ、どうせお銀も跡取りを亡くしてお屋敷へ
平次はますます落着き払います。
「何だか知らないが、主人の血筋を引いた赤ん坊を毒害するのは、あんまりじゃありませんか。ねえ親分、主殺しは
「厭だよ、誰が何と言っても、俺は大名の御家騒動に掛り合うのは御免だ、||茶碗一つ、色紙一枚紛失しても、腹を切ったり、手討になったりする世界だ。町方の御用聞は江戸の町人を相手にして、何事もなく暮せば役目は済むんだ。お徳は何と言ったか知らねえが、手前も深入りしちゃならねえ」
「············」
八五郎は不平で不平でたまらない様子でした。がこう言ったら最後、容易に言う事を聴いてくれる平次でないことはよく知っておりますし、お徳に絡み付かれた時の
「親分、それじゃ帰りましょう」
八五郎はションボリ立上がりました。
「なんだ、これから
「ヘエ」
そういう平次の調子には、
「
翌る日の朝。
「さア、起きた、八」
「あ、親分」
ガラッ八が眼を覚すと、枕元にはすっかり仕度をした平次が立っていたのです。
「大急ぎで仕度をしろ、鎌倉町まで明け切らないうちに行くんだ」
「行って下さるんですか、親分」
「当り前よ」
「
「人が聴いていたんだ」
「えッ」
「手前が、御丁寧にも麻布から馬を引いて来たんだよ。御用聞が人に後を
「ヘエ||」
ガラッ八の八五郎、全く開いた口が
「手前の後を
「ヘエ||」
「だから、ポンポン言ってやったのさ。||殺したのは大名屋敷の者でも、殺されたのは||大名の跡取りだか何だか知らねえが、洗ってみれば町人の子だ、||行ってみようぜ、八」
「有難え、親分、これであっしの顔も立つ」
ガラッ八が有頂天で飛出したことは言うまでもありません。
鎌倉町へ着いたのは、
「お早う」
「あ、銭形の親分さん」
源太郎の家の格子を洗わせていた若い男が、振り返って声を掛けました。
「精が出るねえ、捨吉
平次は愛想よくこう受けました。
「親分、よく御出で下さいました、徳がどんなに喜ぶでしょう」
捨吉は端折りをおろすと、男のくせに
それから、顔を揃えるまでには
最初に出て来たのは、隠居の源太郎、これはもう七十を越した老人で、気ばかりは滅法若くとも、事件にはあまり関係がありそうにも思われません。
「銭形の親分、みんな気の弱いことを言うが、あっしはお徳の言うのが本当だと思いますよ。いよいよ孫の敵と決ったら、相手が大名だってビクともすることじゃねえ、一番
こんな事を言う親爺だったのです。大柄で筋骨
「あら、八五郎親分、||やっぱり銭形の親分を
お徳は派手な
「お徳さんかえ、
「あら、銭形の親分さん」
ちょいと振り上げた袖が、平次の肩を打つ真似をしようといった
お銀やお徳の兄で源太郎の後を継いだ源助は、四十近い年配で、無口な気むずかしそうな男でした。親父の顔で
「お早うございます。銭形の親分、妹のやつが、とんだことをお願いしたそうで」
落着いた陽気な調子は、妹の出過ぎた仕打に、腹を立てているように取れますが、本人は案外、平次の出馬に感謝しているのかもわかりません。
源助の女房のお冬は三十そこそこ、少し病身らしい、こんな稼業には似もつかぬ平凡な女です。
最後に顔を出したのは、お徳の姉で、お部屋様のお銀でした。
「············」
平次はたった一と目で、唸ったほどのこれは

こんなのは、人間の子の中でも、変り種の大傑作で、眼がどう、鼻がこうという種類の美人とは、全く質の
「銭形の親分さん、妹がとんだことをお願い申したそうで||」
唯のやくざ、源太郎の娘に返って、へり下った態度も、妙に人を悲しませます。
源太郎の家族というのは、これが全部でした。
「他には」
「子供達がおりますが、十一から下で、三人ともまだ夜中ですよ」
捨吉はとりなし顔にこう言います。
「お前さんの?」
「いえ、とんでもない」
平次は一通りみんなの言い分を聞きました。が、小堀家からの使者として、側用人桑原伊織が持って来た、立派な菓子を喰べさせると、若様の十次郎は、その晩さんざんに苦しんで、翌る日も待たずに死んだ||と言う以外には何の手掛りもありません。
たった三つになったばかりの十次郎は、一と晩の苦悩に骨と皮になって、死体には凄まじい紫斑が一杯であったというのですから、毒殺されたことは、まず、疑いもないことでしょう。
「他にその御菓子を喰べた人は?」
「あっしが孫の招伴に預りましたよ」
源太郎は少し
「お前さんには
「
肉体の衰えを自覚しまいとする、年寄りの一徹さをムキ出しに、こんな事を言うのでした。
「
ガラッ八が囁くのを押えて、
「黙っていろ。孫太郎虫のような子供だけに利く薬があるくらいだから、子供だけにきく毒だって無いとは限るまい」
平次はそんな事を言います。
「菓子を捜してみようじゃありませんか」
「もうあるまい、||が、訊いてみな」
平次に承知をさせると、ガラッ八は早速残りの菓子を見せてくれ||と言い出しましたが、不思議なことに、誰もその後で菓子を見た者が無かったのです。
「
平次にそう言われると、ガラッ八は躍起となりました。しばらく奉公人や子分を一人一人、
「お勘坊が捨てたようですよ」
誰やらがこう言うのを聴くと、いきなり、十六七の
「さア、言ってしまえ、菓子をどこへ隠した」
ガラッ八の馬鹿力が、
「痛いよ、何をするだよ」
「菓子をどこへやった、それを言え」
「坊っちゃんが
「よしッ、一緒に来てみろ」
ガラッ八はお勘坊を引っ立てました。続く平次、何やら期待する様子で、ニヤリニヤリと笑っております。
「あッ」
「どこだ、そんなものは無いじゃないか」
「一つも無いよ、確かにここへ捨てたんだが||犬でも喰ったじゃないかね」
「馬鹿ッ、犬が菓子を喰うか、それも三つや四つじゃあるめえ」
「二三十あったよ」
これでは手の付けようがありません。
「お勘、||誰に頼まれて捨てた」
平次はズイと出ると、お勘坊の
「············」
見上げたお勘坊の白い眼、反抗と敵意が燃え上がっております。
「お前の智恵じゃあるまい」
「
「よしよし、お前は思いの外
平次はそれっきり手を引きました。
「············」
うな垂れると、紫色に見える首筋、やはり女の子らしく、
事件はその日のうちに飛躍的な発展を遂げました。
「親分、変なのが来ましたぜ」
ガラッ八が面喰って取次いだのは、その日の昼近い頃です。
「
「いえ、こればかりは親分も見当が違いましたよ、
「丁寧にお通し申すんだ」
「ヘエ||」
道化た様子で取って返したガラッ八は、まもなく椎茸髱||というのは
「私は小堀和泉守様御上屋敷に仕えております、早瀬と申します、
三つ指が
「ヘエ、あっしが平次で、||御用は何でございましょう」
「
「ハハ、人間らしいのはあれ一人ですが、あれは八五郎と言うあっしの子分で、何を聞かせても心配のある人間じゃございません。馬だと思って、御遠慮なくおっしゃって下さい」
平次は気軽に笑いました。小笠原流に対抗して、五分も引けを取らぬ心持の準備だけは出来たのでしょう。
ガラッ八はプイと背を向けました、||馬だと思って||が少し気に入らなかった様子です。
「それでは申上げます、が、御存じの通り小堀家は御先祖
「············」
物々しい前置き、平次もガラッ八も
「その二つの家宝が、一と月ほど前から紛失いたしました」
「一と月前?」
「左様でございます、お部屋様お銀の方が、御里へお越し遊ばされた頃に当ります」
お銀が疑わしいと言わぬばかり、
「どこへ置かれたのでしょう?」
と平次。
「殿のお側の御手文庫に入れてあったはずでございます」
「それほど大事な品を?」
「
「鍵は?」
「年に一度、公儀の御品調べがあり、外に
「御手箱には変りはないでしょうな」
「何の変りもございません」
「すると、桑原伊織様か、殿様か、お銀の方か、この三人のうちの一人が取出されたというのでしょう」
「殿は何にも知らぬと仰せられます、||兄は藩中第一の正直者で、これも嘘偽りを申すはずはございません」
「それではやはりお銀の方が隠したという事になるわけで」
「兄桑原伊織が再三掛け合いましたが、お銀の方親元源太郎は、奥方の心が柔らいで、お銀の方がお屋敷に召し還された上探して進ぜよう||という傍若無人の返事でございます」
「フーム」
「五日前に若様||と申しても、御腹様のお銀の方御身持に信用いたしてよいものやら悪いものやら存じませんが、||とにかく、十次郎様御不慮のことがありまして、一夜のうちに御他界になったのを駿河台上屋敷の者の毒害と言い掛りをつけ、毒菓子の計略で若様を
「フーム」
「公儀の御封を受けた品や、束照公御墨付が紛失すれば、明年の御品調べを待たず、小堀家は重くて改易、軽くて減地転封は免れません。相手は
「あッ、拝んじゃいけません。手をお挙げ下さい。
平次はさすがにあわてました。早瀬という御守殿が、冷静そのもののような眼に、涙を溜めて、それを隠すように、畳の上へひれ伏したのです。
「二つの品は御屋敷にはございません。
早瀬はもう顔を挙げる気力もありませんでした。ガラッ八は、こんなに冷たい取済ました女も泣くものだろうか||といった様子で物珍しそうにその白い
「驚いたろう、親分」
早瀬を送って出ると、ガラッ八はもうこんな事を言います。
「女狐のようなお徳に口説かれる方が、まだしも楽だろうよ。御守殿崩しは苦手だ」
平次もさすがに堪能した様子でした。
「これから何をやりゃいいんで」
「もう一度鎌倉町へ行ってみよう、||昨夜から
「すると、麻布からあっしを跟けて来たのも、戸袋の蔭の
「そうだよ、まさかお側用人の桑原伊織ではあるまいが、奥方一味には違いないよ。お徳の行方を跟けて、お前を嗅ぎ当て、それからここへ来て見張っていたんだ。今朝鎌倉町へ行ったのを見て、あわててここへ渡りをつけに来たのさ。一万二千石のお家の大事だから、家中三
「大名の力でやりゃ、源太郎の家ぐらいは踏み
「そんな事をしてみろ、噂は公儀へ筒抜けだ。万一お妾の持出した二た品が出なかった日にゃ、一万二千石がもろに潰れる、||それに家捜しぐらいのことじゃ、秘伝書とお墨付は捜し出せない」
「どこへ隠したのでしょう」
「それが判りゃ、何でもないがネ」
二人が鎌倉町へ着いたのは、もう夕暮近い頃でした。
「親分さん、お勘坊が逃出しましたよ」
捨吉は早くも迎えて、素晴らしい
「あっ、押えて置くんだっけ、とんでもねえ手ぬかりだ。||書置きは?」
「ありますよ、
「そいつは念入りだ」
平次は苦笑いしながら入って行きました。
源太郎、源助夫婦、お銀、お徳||は首を
「親分さん、お勘坊がこんなものを残して逃出しましたよ」
「聞いたよ、どれどれ」
お徳の手から受取ると、なるほど、書きも書いたり、
(||私には好いた同士の男があるから、それと一緒に世帯を持つ、給金の残りと荷物は、いずれ家が決ったら受取りに来る||)
といったような事を、
「これは驚いた。気が付かないではなかったが、手が廻り兼ねましたよ。見えなくなったのは、
「居ないのに気の付いたのはツイ今しがたですよ。晩の仕度をさせようと思うと、この始末で」
お冬はひどく機嫌を悪くしております。
「あの
ガラッ八は感慨無量な声を出しました。
「そんな気のきいたものがあるもんですか、出入りの御用聞か何か、からかったんでしょう」
捨吉は少しばかり面白そうでした。
「とにかく、お勘坊の部屋と、
平次はお徳に案内させて、お勝手に入ると、薄暗い三畳、||お勘坊の寝間を見せて貰いました。布団一と揃、
お勝手から裏へ出ると、浅い
平次はグルリと廻って、狭い路地を、鎌倉河岸のお
「おや?」
平次はお濠端の
外濠と言っても三十六見附の役人の目があって、
平次はそのまま家の中へ引返しました。朝から出入りした者と、お勘の親元、身元引受人などの名、所を訊くと、それを一々書き止めて、さて、改めて源太郎に向いました。
「十次郎様を
歯に衣着せぬ直談判を始めたのです。
「銭形の親分、お気の毒だが、小堀家の宝物とやらを私は知るわけはない、||それよりかお主殺しの悪党を先に見付けて下さい」
源太郎はこういった調子です。
「本当に知らないと言いなさるんだね」
「まず知らないよ。もっとも、孫の敵を討った上で、またどう気が変って宝物とやらを捜して上げないものでもないが」
お銀の小堀家に帰る見込みが絶えたとなると、源太郎一家の者は、全く何をやり出すかわからなかったのです。
「それは無理だ、宝物を引渡さなきゃア、下手人の出っこはねえ。一万二千石の大名を潰して、数百人に難儀をかけたところで、お前さんの手柄にもなるまい」
「お気の毒だが、銭形の親分、それじゃ物わかれだ。親分をお願いしたのは、もともとお徳の
昔鳴らした凄味が
振り返ると、無口な源助も、その
その晩、大きな事件が二つありました。一つは、鎌倉町を飛出したお勘坊の死体が神田川に浮いて来たことと、もう一つは、源太郎の家は二三十人の覆面武士に襲われて、天井裏から床下まで、残る隈なく家捜しをされたことです。
子分といっても家に居るのはほんの二三人、あとは
この家捜しは、
が、二つの宝物はどこにもありません。唐紙を割き畳の表を剥がし、布団の綿を引出し、着ている着物や帯までも割きましたが、秘伝書といった
「ざまア見あがれ、明日は龍の口の評定所へ駆け込み訴えだ。一万二千石は三月経たないうちに木っ端微塵さ。それが嫌なら、娘をお屋敷へ呼返した上、下手人に縄付けて来い」
源太郎は
「己れッ」
たまり兼ねて、若侍二三人、白刃を
「さア、斬って貰おう。面白いや、俺が斬られても人種が尽きるわけじゃねえ、身内の者が一人でも残れば小堀の家を根こそげ引っくり返してやるよ。||一人残らず殺されれば、秘伝書と御墨付はそのまま人目に触れずに腐ってしまうばかりよ。さア、斬ってくれ、大名の家と釣替なら、一家七人か八人の命は安いものだ」
源太郎はいつの
二三十人の武士も、これには歯が立ちません。頭立った中年の武士に
一方、お勘坊の死体の揚がったのは、それから一時も経ってから、ガラッ八の注進で平次が飛んで行った時は、惨めな姿に
「
ガラッ八は弥次馬を追わせて菰を引っ
胸に
「おや?」
驚く平次。
「見覚えがありますよ、それはお徳の
ガラッ八も愕然とした様子です。
「深い仔細がありそうだ、鎌倉町へ行ってみようか」
死体の始末を町役人に任せて、平次とガラッ八は鎌倉町へ飛びました。
お徳に逢って訊いてみると、
「そんな馬鹿なことがあるものですか、私の袷はこの通り||」
と奥から出して来たのを見ると、片袖は見事に千切られているではありませんか。
「あッ」
お徳はあまりの事に口もきけません。
「気の毒だが番所まで来て貰おうか」
平次は日頃にもない
「娘がお勘坊を殺した? 冗談だろう、そんな馬鹿なことがあってたまるものか」
源太郎老人はプンプンして飛出しましたが、動きの取れぬ証拠を突付けられては、さすがにグウとも言えません。
番所へ||と言った平次は、お徳をつれて真っ直ぐに家へ帰りました。
「心配することはないよ。こうしなきゃア、本当の下手人が出ないんだ、しばらくの辛棒だ」
平次は家へ帰ると、日頃の平次に返って、こんな事を言っております。
「本当に下手人が出るでしょうか、親分」
「俺には大抵判っているよ、||ところで、
「みんな居ましたよ」
「そんな事はないはずだが」
「
「小堀家の武家が押込んだ時は?」
「みんな居ましたよ、兄さんが仕舞湯から帰ったところを捕まっただけで||」
「みんな一緒に押し込められたんだね」
「最初は捨さんだけ別の部屋でしたよ」
「フーム」
「だって奥の部屋へ一人で寝ていたんですもの」
こんな話からは、何にも引出せそうもありません。
ちょうどその時、路地を入って来た武家が一人。
「御免、平次殿は御在宅か。拙者は小堀和泉守家中、桑原伊織||」
真っ直ぐに名乗るのが、筒抜けに聴えます。
平次はお徳を女房のお静に預けて、ガラッ八が案内して来た武家と相対しました。
「下手人を出さなければ、本日
桑原伊織は暗然として首を垂れました。
四十前後の立派な武士、妹の早瀬よりも人間味があって、何としても主殺しなどをしそうもない
「致し方がございません、お伴いたしましょう」
平次は立ち上がりました。続くガラッ八。
「お静、ちょっと鎌倉町へ行って来る。そのお客を頼むよ」
外へ出ると、格子の外には、涙を押えて、しょんぼり妹の早瀬が立っているのでした。
「来てはならぬと言うのに」
伊織の声は
「私もお供いたします、兄上様」
「いや」
「御菓子に毒を入れたのは、私の仕業でございます」
「馬鹿なことを」
桑原伊織は取り合おうともしません。
「それでは、せめて兄上様御先途を見届けさせて下さいまし」
「············」
伊織は、それもならぬとは言い兼ねました。
桑原伊織、その妹早瀬、平次とガラッ八が付添って、鎌倉町の源太郎の家に乗込んだのは昼少し前でした。
評定所へ駆込み訴えをしようと言う源太郎も、下手人が名乗って出たのを見ると、さすがに度胆を抜かれた様子で、
「そいつは面白い、侍の腹の切るのを見るのは始めてだ、皆んな来い」
源助、捨吉を始め、尻込みをする女どもまで呼び集めます。
「拙者生害の上は、秘伝書と御墨付、確かにこれなる妹早瀬に御渡し下さるだろうな」
「よかろう、お前さんも武士だ、本当に腹を切ったら、この場で相違なく渡してやろう」
「しからば、縁先を拝借いたす」
桑原伊織は悪びれたる色もありません。縁側に坐り直すと主家と思う方角を遠く伏し拝んで、肌をぐいと拡げました。右手にはもう一刀の切先近く懐紙で巻いたのを持っております。
「しからば、平次殿、御検分役を頼み申す」
キラリと光る
「待った」
「············」
「待って下さい、桑原様」
平次は声を掛けたのです。
「何だ、平次殿」
「たった一つ承りたいことがあります。昨夜、ここへ押込んだ時、外から帰って来た人間があるはずです。それは誰でした、おっしゃって下さい」
「いや」
「お隠しになるには及びません、昨夜の人数の中に、旦那が入っていた事はみんな知っております」
「それでは言おう||」
伊織はグルリと四方を見廻しました。
「ここに居るでしょうか」
「居る、その男じゃ」
ピタリと指したのは、捨吉の
「女の着物を着ていたでしょう」
「その通りだ。女かと思って引っ捕えるとその男だ。||剥いだ女の袷は、片袖千切れていた」
「有難い、旦那、それで何もかも判りました、腹を切るには及びません」
「何?」
「八、それッ」
平次が声を掛けるまでもありません。八五郎は飛付いて、逃げ腰になる捨吉を押えたのです。
「な、何をしやがるんだ」
綺麗な顔を引歪めて争う捨吉。
「お勘殺しの下手人だ、||いや、それよりも、十次郎様に上げた菓子へ、岩見銀山の
平次の言葉は
「嘘だ嘘だ、俺はそんな覚えはねえ」
「いやある。お銀さんを小堀様の屋敷へ返さないために、そんな悪企みをしたはずだ。||手前は五年前からお銀さんを付け廻したが、小堀様のお屋敷へ上がると、妹のお徳に乗り替えたのだ。ところが、お銀様が帰ると、またお徳が嫌になった。お銀様が小堀様お屋敷へ返さないようにする細工に、手前はお菓子へ毒を入れたろう||若様を亡き者にすれば、お銀さんはお屋敷へ帰る
「嘘だ嘘だ」
「その上お勘坊をだまして菓子を捨てさせ、お勘坊の口が割れそうになると、もう一度
「嘘だ、そんな覚えはない」
捨吉は必死と争い続けますが、平次の論告は、ますます峻烈を極めて、上から上からとのしかかります。
「お銀さんがみんな知っている。手前は大名のお部屋様を口説き廻したろう、
「············」
捨吉はもう争う力も抜けて、ガラッ八の膝の下に組敷かれてしまいました。
「こうなれば、小堀様の宝物は、伊織様へお返しするのが順当だ。
平次は改めて源太郎の方へ向直ります。
「御免蒙ろう」
源太郎の答は以ての外でした。
「えッ」
「俺はな、平次親分、そのお侍が腹を切ったら二た品を出すと言ったが、捨吉を縛ったら出すとは言わなかったぜ。ねおい、銭形の、若いくせに
「それは話が違うだろう、爺さん」
平次も今さら驚きます。
「何を言やがる、
源太郎はいつの間にか、片肌を脱いで、鉄火箸のような
「今となって、そんな事を言うのは、爺さんにも
「何を、そんなに欲しきゃア、自分で捜せ、銭形の平次が聴いて呆れらア。俺の隠した物を捜し出せなきゃア、坊主にでもなるがいい」
「············」
平次は黙って考え込みました。大名種の孫に死なれて、娘が元の屋敷に帰る見込みがないとなると、
「どうだい、平次」
「それじゃ、俺が捜し出して持って行く分には、文句はないだろうな」
と平次。
「文句も
「よしッ」
平次はもう立上がって外へ出ております。それを追う大勢の眼。
「
平次は
「この釣瓶の竿の中から何が出るか知らないが、小堀様へお
平次はそう言って、一挺の
*
「親分、釣瓶の竹竿に宝物二た品を仕込んであると、どうして判りましたえ」
ガラッ八は絵解きをせがみます。鎌倉町から平次の家を指して帰る途中です。
「家の中でなきゃア、居廻りに隠してあるんだ。源太郎は昨夜放って置けば腐ると言ったそうだから、多分外だろうと思った」
「フーム」
「あれだけの物を隠すのは、人の思いも寄らぬ場所だ。二た品とも紙だから思いも寄らぬ場所というと火の中でなきゃア、水の中さ。火の中へは隠せるわけがないから一番先に井戸を見ると、釣瓶の竹竿が新しくて、やけに太いじゃないか、||その上端の方に、節を抜いた穴へ、栓を打ち込んで塞いである」
「なア||る」
「水の中へ書き物を隠すのは、竹筒の外にない、||とこう考えたのさ」
「源太郎に竹を割らせた時、さすが強情な親爺も男泣きに泣いていましたよ」
「あれで小堀様から、少しでも
「可哀想なのはお徳で||」
「それを考えると、俺は足が進まないよ」
二人は真にトボトボ