「親分、飯田町の
ガラッ八の八五郎は、またニュースを一つ嗅ぎ出して来ました。江戸の町々がすっかり青葉に
「上総屋が死んだところで俺の知ったことじゃないよ」
銭形平次は丹精甲斐もない朝顔の
「ところが、聞き捨てにならないことがあるんですよ、親分」
「上総屋の死に様が怪しいとでも言うのか」
「二年も前から
「落し話を聴いちゃいない、||何が聞き捨てにならないんだ」
平次はようやく朝顔から注意を
「金ですよ、親分。上総屋音次郎が、鬼と言われながら、一代にどれほどの金を
ガラッ八はなかなかの話術家です。平次が滅多な事件に手を染めないのを知って、こう乗出さずにはいられないように持ちかけるのでした。
「五六万両かな、||有るようでないのは何とかだと言うから、せいぜい三万両ぐらいのところかな」
「そう思うでしょう。ね、親分」
「イヤにニヤニヤするじゃないか、それとも十万両もあったというのかい。こちとらから見れば十万両は夢のような大金だが、上総屋なら」
平次はガラッ八に
「もっともこちとらに十万両もあった日にゃ、あっしはさっそく十手捕縄と縁を切って||」
ガラッ八の話は、また妙なところへ飛躍して行きます。
「金貸にでもなって懐ろ手で暮すつもりだろうが、そうは問屋が
「そんなサモしい根性じゃありませんよ。まず山の手の百姓地を五六万坪買って||」
「大きく出やがったな、
「大違い、||親分に植木屋を始めて貰って、あっしはそれを江戸の
「馬鹿だなア」
平次は仕様ことなしに苦笑をしました。そんな気でいる八五郎の心根が哀れでもあったのです。
「ね、親分。冗談は冗談として、上総屋の話だが、||誰でも一応は万と
「それがどうした」
「死んでしまった後で、番頭や親類の者が、
「驚くよ、||お前の義理でも驚かなくちゃ悪かろう、それからどうした」
「たったそれだけだが、ちょいと変じゃありませんか親分。神田から番町へかけて、並ぶ者のないと言われた上総屋音次郎が、死んで一文もないなんざ、皮肉すぎますよ」
「捜しようが悪かったんだろう」
「そんなはずはありません。床下から天井裏まで捜したんだそうで」
「それとも主人が死ぬと一緒に、誰か持出した奴があるのかな」
「熊鷹の眼が二三十見張っている中から、
「よし、判った。八五郎に
平次は苦笑いをしました。
「そこで一つ、親分にお願いがあるんだが」
「なんだい」
「上総屋の番頭さんに逢って下さいよ」
「?」
「亡くなった主人は、どこかに金を隠してあるに
「で?」
「番頭さん、構わないから入って来てくれ。お前さんから、親分に話してみるがいい」
ガラッ八は入口の方を振り向いて、大きな声を出しました。
「それじゃ、御免下さい」
静かに格子を開けて入ったのは、二十三四のまだ若い男でした。地味な風をしておりますが、ちょっと良い男でどこか笑顔に人をそらさないところがあります。
「お前さんは?」
狭い家、初夏の風が吹き抜くように開けっ放してあるので、平次は坐ったままで、客の物腰がよく見えます。
「上総屋の番頭で、仙之助と申します。八五郎親分にお願いして、主人の隠した金を見付けて頂こうかと思いましたが、八五郎親分は、銭形の親分さんにお願いした方がいいとおっしゃるので、
若い番頭はそれだけの事を言ううちにも、すっかり恐れ入って、立て続けにお辞儀をしております。
「宝捜しは困るよ、番頭さん」
「ヘエ||」
「上総屋の案内を知った者が、幾日かかっても解らないというのに俺が行ったところで解るわけはない。そいつは岡っ引より
平次は宝捜しにまでコキ使われる馬鹿馬鹿しさが我慢がならなかったのです。
「でも、それじゃお嬢さんが可哀想でございます」
「お嬢さんが?」
「上総屋に金があればこそ、親類も知合いもあの通り肩を入れてくれますが、何にもないと判ったら、どうなることでございましょう。それにせっかく
「縁談?」
「お嬢さんのお
仙之助の心配するのは
「そいつは気の毒だが、どうも俺は宝捜しに乗出すわけには行かねエ。いずれ分別人の上総屋のことだから、どこか容易に見付からないところへ隠してあるんだろう。お互に抜け駆けの功名をする気にならずに、多勢で手を分けて探してみるがいい。五十も百もある千両箱を、
平次はそれっきり縁側へ出てしまいました。十万両の宝捜しよりも、朝顔の苗の方が大事だったのです。
「親分、だから言わねエこっちゃねエ」
ガラッ八の八五郎が飛込んで来たのはその
「なんだって腹を立てているんだ。俺は文句なんか言われる覚えはないぜ、八」
平次は機嫌の好い寝起きの顔を狭い庭から持って来ました。
「親分が
「誰が死んだんだ」
「上総屋の
「よしッ、それじゃ出かけよう」
「まごまごしていると、市ヶ谷の富蔵親分が、
「縛りたきゃ縛らせておくがいい」
そう言いながらも、事件が思いの外の重大性を持っていそうなのが平次の岡っ引本能を
飯田橋中坂下の大地主、上総屋に駆け付けた時は、家の中はまだゴッタ返しておりました。
「お、銭形の」
一番早く見付けたのは、山の手で顔を売った御用聞、市ヶ谷の富蔵です。中年者の
「市ヶ谷の親分、何か大変なことがあったんだってね」
「まア、見てくれ、
富蔵はそれでも案内顔に先に立ってくれます。
家の中をザッと見て、平次も胸を悪くしました。よくもこう滅茶滅茶に叩きこわしたと思うほど何もかも原形を留めません。床も天井も
ジロジロ
出入りの者や、番頭手代達の手で、崩れた材木と石を一応取片付け、死体を引出して
「これだ」
富蔵はそれを指して、
「この穴の中に金があると思ったんだね」
平次は真っ暗な穴を覗きました。
「狐の穴の中に千両箱を隠すのは思いつきさ。
と富蔵。
「天罰にしちゃ手厳しいね」
「天罰でなきゃ、下手人はお狐か、死んだ先代の主人だ。銭形の親分が夫婦づれで来ても、こいつは縛れっこはねエ」
市ヶ谷の富蔵は少し皮肉な調子で、ニヤリと平次を見るのです。
「なるほど、金を穴の中に隠して、入口へ危ない仕掛けをしておくのは、ありそうな事だが、||本当に中に金があるのかな」
平次は崩れた入口から、中腰になって穴の中へ入って行くのです。
「親分、危ないじゃありませんか」
ガラッ八は後ろからその袂を押えました。
「狐が噛み付くとでも思うのかい」
「狐は心配ないが、また崩れたらどうするんです」
「いちど崩れたんだもの、もう大丈夫さ。仕掛けは種切れだよ。そんな心配するより
平次はそんな事を言いながら、恐ろしく念入りに穴の入口を調べ始めました。
「ヘエ、親分蝋燭」
裸蝋燭を二本、灯をつけたまま持って来たのを受取って、平次はもういちど穴の中へ潜りましたが、やがて尻の方から出て来たのを見ると、失望の色が
「どうした、銭形の」
富蔵もキナ臭い鼻を持出しました。
「千両箱はおろか、ろくなお
平次は泥だらけになった着物を払いながら、苦笑いをしております。
「それじゃ、親分」
ガラッ八もなにかつままれたような心持でした。
「中は恐ろしく狭い上に、
「親分?」
「解ったよ八。お前は、金を隠していない場所に、危ない仕掛けをしたのがおかしいって言うつもりだろう。その通りさ、この穴の中に千両箱が
平次はそんな無駄を言いながらも、忙しくその辺を捜し廻っておりました。
「市ヶ谷の
平次は落散る材木や、それを釣った
「どうせ新しいものに決っているだろうよ。東照権現様江戸御入府前からあるわけはねエ」
富蔵は一向気の乗らない様子です。
「それにしても新しすぎるよ。||死んだ主人の音次郎は三月前から寝ていたっていうが、この仕掛けを
「?」
「この仕掛けをしてから雨が一度も降らなかった。その証拠は縄が真新しくって、石も木も上から流れて来る泥を受けた様子はねエ」
平次の言葉の意味の恐ろしさが解ると、皆んな黙り込んでしまいました。三月前から寝ていた主人の作ったものでないとすると、この仕掛けの意味は深刻なものになります。
「それに、重三郎が穴へ入るつもりで、中腰になって、狭い入口を半分ほど入ったとき、綱か何か引いて、仕掛けの石と材木を落したんだ。こんな器用なことは、狐や
銭形平次の論告は、何を
「で、どうしようというのだ、銭形の」
富蔵は少し
「一と通り皆んなに逢ってみよう。千両箱が出るか、下手人が出るか、それからだ」
平次は自分へ言い聴かせるように、こう言ったきり、黙って眼でガラッ八に指図をします。
「ここへ呼んで来ましょうか」
「うん、死体の前がよかろう。一人ずつ呼んで来るがいい」
「ヘエ||」
ガラッ八は飛んで行ったと思うと、第一番にまず大番頭の和七を、
「親分さん方、御苦労様でございます」
物馴れた五十前後の男、弾力も
「番頭さんかい、||お前さんが店の支配をしているなら、主人が金をどこへ隠しておくか見当くらいは付いているだろう」
平次はいきなり突っ込んで行きました。
「ヘエー、それが、その、私の口からは申上げにくいことでございますが、一風変った御主人で、その日の勘定から、帳尻は私にさせますが、
そんな事があり得るだろうか、と言ったような平次の顔を見ながら和七は一生懸命弁解に努めるのです。
「それで商売の方はうまく行っているんだね」
「ヘエ、それはもう」
「お前さんはこの店に幾年居るんだ」
「足掛け三年になりますが||」
「それで支配人というわけか、前の大番頭はどうしたんだ」
「不都合なことがあって、身を
「この家は番頭が長く勤まらないのだね」
平次は妙なところに気が付きました。
「そんな事もございません。現に仙之助などは、七年も勤めているそうで||」
「その番頭だけ居るんだね」
「············」
和七は
「ところで、上総屋の身上はどれほどあるだろう。支配人のお前に見当が付かないことはあるまいが||」
「それが、その、||地所と貸金では差引勘定借りの方が多くなります。世間の評判通り、何万両という金を隠してあれば別ですが」
世間の
次に引っ張り出されたのは、死んだ主人音次郎の弟で、居候並に扱われている音松という中老人でした。若い時はいくらか様子がよかったらしく、
「兄は何万という金を溜め込んでいるに違いありませんよ。公儀御用を承って日光山の御修復まで引受けたこともある男ですもの」
「それをどこに隠してあるんだ」
平次は少し
「隠した場所が判っていれば、今頃まで放っておくものですか。あの支配人の和七が一番先に取込みますよ。もっとも私だって負けちゃいませんがね、へっへっ」
こういった調子の男は、平次の忍耐力でも長くは付き合いきれません。
三番目に
「お前の知ってるだけの事を話してくれ」
平次はこの賢くないらしい娘からは、あまり大したことは期待しませんでした。二十三にもなるでしょう。丸ぽちゃの可愛らしい娘ですが、笑っても、物を言っても、無智な
金があるかないかはもとより知らず、この家に来てから五年になるが「ろくなお小遣も貰わなかった」と少し
番頭の仙之助は二三日前に平次が逢ったばかり、ひどく興奮しておりますが、言うことはハキハキして、何を
「親分さん、お願いでございます。金が出て来なかった日には、この家は立って行きません」
半ば絶望しながらも、平次の
「お前は、お染さんと何か約束でもあるのかい」
平次は思いも寄らぬことをズバリと言いました。
「とんでもない、親分」
「たいそう肩を入れるようだが」
「お嬢様には、お武家方から養子が来ることに話が
「それはお染も承知か」
「ヘエ||」
仙之助の一生懸命さには、何か
最後に呼出されたのは娘のお染でした。
「お前はお染さんかい」
物置の前、重三郎の死骸の側へ呼出すにしては、これはあまりに痛々しい姿でした。せいぜい十八九にしか見えない若々しさも、生得の麗質が年齢を
「お嬢さん、私の訊くことに、包み隠さず応えて下さいよ」
「ハイ」
お染は素直にうなずきました。そう言わなくたってこの娘に嘘も掛引もあろうとは、平次も最初から思ってもみなかったのでした。
「亡くなった父さんが、どこへ金を隠したか、お前さんなら見当くらいは付くはずだと思うが||」
「私は、あの、そんなお金は、出て来ない方がよいと思います」
お染は少し涙ぐんでおりました。奉公人や親類方が、隠された金を探し廻って、気違いじみた打ちこわしを始めるのを、お染はどんなに苦々しい心持で見ていたことでしょう。
「すると、お気の毒だが上総屋の
「それでも構いません」
「お嬢さんは、お武家方から来るという、養子が嫌なのですね」
「············」
お染は黙ってしまいました。
「死んだ重三郎は、店の者の受けはどうでした」
「さア、私には」
お染は内気らしく尻ごみをします。
「お嬢さんは仙之助をどう思います」
黙って顔を染めた娘の顔から平次は何もかも見抜いた様子です。
「さア解らねエ||親分、これはいったいどこに眼鼻があるんでしょう」
ガラッ八は
「何万両かの金はどこかに隠されているのさ。それを皆んなで、一生懸命捜し廻っているんだ。命がけの宝探しだよ」
「ヘエ||」
「殺された重三郎の身体を見よう」
平次はガラッ八と富蔵を
「おや?」
ガラッ八はギョッとした様子で重三郎の傷を眺めております。
「気が付いたか、八」
「こいつは、上から落ちた材木や石に打たれて死んだんじゃありませんね」
「その通りさ。材木や石に打たれて死んだように見せかけているが、重三郎の頭を打ったのは、
平次の言葉は至って印象的ですが、恐ろしい疑問を次から次へと投げかけて行きます。
「?」
「重三郎は宝捜しのつもりで穴へ入って行った。||穴は狭くて身体を返すわけには行かないから、出る時は尻から出て来た。||大骨折りで首を出した時、誰か穴の外に待ち構えていて、手頃の石で頭を打ち割ったのさ。上から落ちた石が、あんなに都合よく頭の上へ来るものか」
「すると?」
「
平次とガラッ八は気の進まないらしい富蔵に手伝わせて、死骸の身体を念入りに調べて行きました。
「こんなものが
「なんだ、大福帳の端っこを
平次はまだその辺にうろうろしている大番頭の和七を呼びました。
「············」
和七の表情は急に
「この右下がりの
「亡くなった主人の字にも似ておりますが||」
「まだ外にこんな字を書く者があるだろう」
「ヘエ||」
「誰だ」
平次の問いは
「仙之助が主人を真似て、右の肩下がりの字を書きます」
和七はそう言うのが精いっぱいでした。
「親分」
ガラッ八と富蔵は顔を見合せました。合図一つで、飛出して仙之助を縛り兼ねまじき気色です。平次はしかし、それを眼で押えて、それ以上追及しそうもありません。
その日の調べは、それで
それから三日目。
「親分、大変ですぜ」
上総屋を見張らせていたガラッ八が、少し取りのぼせた形で飛び込んで来ました。
「何をあわてているんだ、八」
「音松がゆうべから帰りませんよ」
「音松?」
「死んだ主人の弟で、あの
「どこへ行ったんだ」
「町内の湯へ行くって出たっきりですって」
「それは変だね、行ってみようか」
平次とガラッ八は時を移さず飛びました。飯田町の上総屋へ行ってみると、音松の
「音松さんが、昨夜から帰らないそうじゃないか」
「ヘエー、そんな事は滅多にありませんが、また昔の病いが出たのかも解りませんよ」
番頭の和七は心得顔でした。
「どんな様子で出かけたんだ」
「まだ宵のうちでした、手拭をブラ下げて」
「下駄を
「
小僧の直吉が口を挟みました。
「
と平次。
「そんな大きなものじゃありません」
「道具箱を見てくれ、何かなくなったものがないか」
「············」
和七は黙って物置へ行きましたが、しばらく経ってから、
「
「よしよし、そんな事だろうと思ったよ」
平次はいきなり帳場へ行くと、この間見たばかりの大福帳仕入帳などをパラパラ繰って行きました。
「これだ、八」
指さしたのは、鋏で紙を切取った跡が二ヶ所。
「そいつは何です、親分」
八五郎はその意味が呑込めません。
「この近くに上総屋の寮か、隠居所がないか訊いてくれ」
「ヘエ」
八五郎は飛んで行きましたが、奉公人たち二三人に逢って引返すと、
「寮も隠居所もないが、
こんな事を聴込んで来ました。
「よし、そこへ行こう。小僧を一人借りて来い」
小僧の直吉を先に立てて、平次と八五郎はさっそく神楽坂に向いました。
「ここですよ、親分」
直吉が示したのは町裏の
「あッ、大変ッ」
「音松が殺されているんだろう。押入か床下へ首を突っ込んで」
平次は静かに外から応じました。
「どうしてそれを?」
「懐の中には、古帳面から切抜いた紙に、右肩下がりの字で、||神楽坂の貸家||とか何とか書いたのが入っているはずさ」
平次の言葉は恐ろしいほど的中しました。
音松は空家の奥の六畳の押入に首を突っ込み、床板を
「親分、あの押入の床下に、千両箱がありゃしませんか」
「馬鹿ッ、誰がこんなところに千両箱なんか持込むものか。あればせいぜい
「帳面の紙片なんかありゃしませんよ」
「
「ヘエ||」
不意に平次に声をかけられて案内の小僧は飛上がるほど驚きました。
「驚くことはない、||これだけ教えてくれ。ゆうべ音松が出た後か先に、飯田町の家を出たのは誰と誰だ」
「皆んな出ましたよ」
直吉の返事は想像を飛び離れます。
「皆んなというと?」
「番頭さんは夕方から日本橋の御親類へ、仙之助さんは音松さんの出たすぐ後で、やはり町内の湯へ行ったようです」
「お嬢さんは?」
[お嬢さんはどこへも出ません」
「お今は?」
「お今さんも家に居りました。ひどく頭痛がするって、御飯も食べずに、自分の部屋へ入って休んだようです」
「それから?」
「それっきりですよ」
「親分、縛ってしまいましょうか」
ガラッ八は我慢のならぬ様子でした。
「誰を?」
「仙之助の野郎をですよ」
「もう少し待ちな||こんどは仙之助が殺される番だ」
「ヘエ||」
ガラッ八には何が何やら解りません。平次の言葉はあまりにも奇っ怪だったのです。
「それより、ゆうべの和七と仙之助の足取りを調べて来い。時刻を訊き漏らしちゃならねえよ」
「親分は?」
「俺は上総屋へ行く。音松を刺した匕首が、どこかに隠してあるはずだ。捨てるにしちゃ下手人は
平次は直吉と一緒に上総屋へ引返して行きます。
平次が上総屋へ帰って来ると、こっちにも大変な騒ぎがありました。
「親分さん、大変ですよ。お染さんが」
お今は持前の愛嬌をどこかへ置き忘れでもしたように、アタフタと平次を迎えます。
「どうしたんだ」
「殺されかけたんです」
「えッ」
「朝のおみおつけに何か入っていました。でも、お染さんは食の細い人だから、いくらも喰べなかったんで助かりました」
平次はその話を半分聴いて、お染の部屋へ飛込みました。町内の本道(内科医)が、玉子の
「お、銭形の親分」
本道は坊主頭をふり向けました。
「何だろう、先生」
「
「誰がその味噌汁を
と平次。
「お勝手で、皆んなのと一緒にお
お今の説明には、何かしら含んだものがあります。
「仙之助はどこに居るんだ」
「市ヶ谷の親分が縛って行きました」
大番頭の和七はおろおろした顔を出しました。
「たったそれだけの事でか」
「仙之助の
和七は心なしか、ブルブル
「市ヶ谷の親分が仙之助を縛って行くのも無理はないが、そいつは少し早まったかもしれないよ。使い残りの毒や、血染めの匕首などは行李の中へ入れてしまっておくものじゃねエ」
「左様でございます、親分」
この無能な大番頭からは、平次は何の反応も求められません。
この騒ぎの中へ、八五郎が帰って来ました。
「親分、二軒とも違いなく行っていますよ」
「で?」
「時刻も合っているようです。||もっとも、神楽坂へ廻って、待ってなんかいずに音松を刺して、すぐ帰って来るような手順に行けば別だが||」
和七と仙之助は一応
「よしよし、俺にはだんだん解って来るよ。そこで番頭さん、今晩奉公人も親類の方も、皆んな集まって貰って下さい。あっしから話したいことがあるから」
「ヘエ||」
「八は番所へ行って、仙之助を貰って来てくれ、たった一と晩のことだから、なんとか話がつくだろう。平次が見張っていて、明日は間違いなくお返し致しますって言やいい」
「ヘエー」
八五郎を出してやると、平次はもういちど念入りに上総屋の外廻りを調べました。
その晩、上総屋の奥に集まったのは、家族、奉公人、近い親類などざっと十七八人。平次はその緊張した顔を見渡して、静かに語り出しました。
八畳と六畳を打ち抜いて、
「さて、皆の衆。こんな事を言うと驚くかも知れないが、言わなきゃいつまでも皆んなの迷いが晴れまい。実は||」
平次は口を切って、一座を見渡しました。
「············」
緊張しきった顔と顔、||たぶん平次の口から、二人まで人を殺した恐ろしい
「驚いてはいけない。飯田町の上総屋、||神田から番町へかけても、並ぶ者がないと言われた大分限の上総屋には、気の毒なことに一文の金もなかったのだ」
「············」
水をブッ掛けたような恐怖と驚愕、一座は顔を見合せました。
「少なくて三万両、五万両、どうかしたら十万両もあるだろうと思わせたのは、上総屋の主人の腕だ。まことは
「············」
「商人は信用を落しては一日も立ち行かない。上総屋はその秘密が知れそうになると番頭を代え、大金をどこかに隠してあると見せかけ、世間にもそう思わせて、苦しい店を今日で張って来たのだ。死んだ後でいくら探したところで、十両と
恐ろしい失望が、十七八人の顔を暗くしましたが、その間にたった二人、厄介な
「お嬢様」
仙之助は和七を
「私は、私は||」
お染はさすがに「私は嬉しい」とは言い兼ねましたが、仙之助を顧みたその明るい表情には、幸福感が
「御安心なさいまし、お嬢様。お店は私がいいようにいたします。一生懸命になったなら、昔ほどではなくとも、お嬢様をお困らせするようなことはないでしょう」
上総屋が一文なしと決れば、武家方の養子は破談になるのに決っております。今までお染のために宝探しに熱をあげていた仙之助は宝がないと決れば、さすがにこみ上げて来る嬉しさをどうすることも出来なかったのでしょう。
「仙之助はお染と一緒になって、上総屋の身上を盛り返して行くがいい。||誰もそれに不服はあるまい」
平次のそう言う声も嬉しそうでした。が、事件がまだ片付いたわけではありません。二人まで大の男を殺した下手人は解っていなかったのです。
その晩、通り魔のような影が一つ、お染の部屋へスルリと滑り込みました。
有明の
「御用だッ」
曲者の匕首を持った手はむずと
「八、
平次の声です。
「おい」
手燭を持って、六法を踏むように飛んで来たガラッ八。平次の膝の下の曲者の顔を見て、さすがに仰天しました。
「こいつが曲者ですかい、親分」
「見るがいい。||持前の愛嬌などはどこにもない、
平次の膝の下で、殺人鬼のお今は、舌を噛み切ったのです。怨みと憤りに燃える顔は
*
事件が済んでしまってから、ガラッ八の燃える好奇心に対して、平次はこう言います。
「重三郎は主人の甥で、音松は主人の弟だ。この二人とお染を殺せば、万という金が遠縁ながら姪の自分へ入って来るとお今は考えたのさ。重三郎を殺したのが、力の要る仕事のように思わせて、その実非力な仕業と解って、俺は下手人は女じゃあるまいかと思ったよ」
「ヘエ||」
「帳面の紙を切って、重三郎と音松をおびき出したのは、一応仙之助の仕業のように見えたが、右肩下がりの字なんか誰でも真似られるよ。||それから、音松を殺した晩は、頭痛がすると言って、早くから自分の部屋に
「なアる||」
「石見銀山と血染めの匕首を、仙之助の
「············」
「上総屋には十両の金もないとわかると、こんどは仙之助と一緒になりそうなお染が憎くなった。お今は最初この家を乗っ取って仙之助と一緒になるつもりだったかも知れない||ともかく、昨夜はっきりお染と仙之助の気持が解って、急にお染を殺す気になったのさ。あの愛嬌者のお今の顔が急に怖くなってお染を睨んでいるのが容易でなかったので、俺はお染の代りにあの部屋で待っている気になったのさ」
「ヘエー、驚いたことだね、親分」
「もっとも、お今のようなのばかりじゃない。女の中には、何万両の金がないと知れて、かえって喜ぶお染のようなのもあるよ。仙之助も仕合せ者さ」
「へッ」
「
平次はそう言って面白そうに笑うのです。