「御免」
少し職業的に落着き払った声、銭形平次はそれを聞くと、脱いでいた肌を入れて、八五郎のガラッ八に目くばせしました。あいにく今日は取次に出てくれる、女房のお静がいなかったのです。
「へッ、あの声は
ガラッ八は
「無駄を言わずに取次いでくれ」
「当てっこをしましょうや、||
「馬鹿だなア」
「まず、お国侍、五十前後の
ガラッ八は
「
平次もツイ釣られます。
「御免」
もう一度、
「それ、お腹立ちだ。言わないことじゃない」
ガラッ八は
「
少し横柄ですが、ハキハキと物を運び馴れた調子です。
「お聞きの通りだ、親分、||この
ガラッ八はモモンガアみたいな手付きをして見せます。
「御武家は苦手だが、折角こんな所へ来て下さったんだ、とにかくお目に掛るとしよう。こちらへ丁寧にお通し申すんだ」
「お家の重宝
「無駄を言うな」
「ヘエ||」
ガラッ八はようやく客を導いて来ました。前ぶれ通り、存分に野暮ったい四十五六の武家、羽織の
「これは、高名なる平次殿でござるか。拙者は石川孫三郎と申す、以後
「ヘエ、恐れ入ります。私は平次でございます。どうぞ、お手をおあげ下さいまし」
平次はすっかり恐縮してしまいました。どうも一番あつかいにくい種類のお客様です。
「早速ながら、用件を申上げるが、実は平次殿、お
武家は折入った姿ですが、平次は何かしら釈然としないものがあります。
「どのような事か存じませんが、私は町方の御用を承っているもので、御歴々の御屋敷の中に起ったことへは、口をきくわけには参りませんが、ヘエ」
体よく敬遠するつもりでしょう、平次は紙袋を
「
「ヘエ||」
「実は御親類筋の
「御冗談で||」
押の強そうな用人に
この勝負はとうとう石川孫三郎の勝でした。平次を
「実はこれじゃ」
懐から取出したのは、小さく畳んで紙入に挟んだ小菊が一枚。畳の上にひろげて、平次の前へ押しやるのです。
「これは?」
「見られる通り、一枚の小菊の中ほどに、
「ヘエ||」
差し覗くまでもありません。女の使う
その全文を掲げると、
あ な か し こ
え の ち を す
ま い わ か み
た お の と や
め ち ち に か
え の ち を す
ま い わ か み
た お の と や
め ち ち に か
こんな具合になります。
「これが平次殿、お屋敷奥庭の
「ヘエ||」
「それも一度や二度ではない、三度までも」
石川孫三郎も、ゴクリと
「どんな
平次の好奇心もかなり揺すぶられます。
「二百十日の嵐で、お屋敷の
「御本尊は?」
「御本尊と言ってはない。祠の中には、
「汚れもせずに」
と平次。
「左様、||たぶん嵐の後で置いたものであろう。台はまだ乾き切ってはいなかったが、この紙には何の汚れもなかった」
「ヘエ||」
「それだけならよい。が、何と申しても不気味な
「············」
「それも焼き棄てた、もうこれで大丈夫と思うと、今日||三日目に、またこの小菊がのっている」
「誰かに相談しましたか」
「いや、||御主人様は永の
石川孫三郎はそう言って眉を垂れるのです。押の強そうな頑固な感じのする人間ですが、一徹の忠義らしいところが、次第に平次の好感を誘います。
「ところで、この文句を読む見当でもつきましたか」
平次はこの謎の二十五文字に吸付いて、一生懸命考えている様子です。
「いや、一向判らない。浅井朝丸様は、四角な文字も読む方だが、この文句ばかりは読む工夫がないと言われる。縦から読んでも横から読んでも、斜めに読んでも、逆さに読んでも読み下せないのじゃ」
「なるほどこれはむつかしい||ところで、この奥庭の祠とやらへ、外から自由に出入りが出来ましょうか」
「と申すと」
「よくお屋敷方の内神様で、塀の一箇所に
「いや、そんなのではない。塀は厳重な板塀で、忍び返しまで打ってある、容易に外から入れる場所ではない」
「すると||」
平次はもう一度謎の仮名文字に目を落しました。
「そんな事はありようはずはないが」
石川孫三郎の顔は
「ところで、この文句を読む見込みはどうしても、立ちませんかね」
と平次。
「残念ながら見込みはない。そっと写し取って、近所の手習の師匠にも見せたが、||もっとも浅井朝丸様は、これは学者や坊主は、読めまい、
「なるほど、野馬台の詩みたいなものだ、||ところで御用人様、御屋敷に住んでいらっしゃる御人数は?」
「殿様は六十五におなり遊ばす、御病気で一年越しお床に就いたっきりだ。若殿
「若様とお年が十五しか違いませんね」
「後添えでいらっしゃる、若殿様とは
孫三郎はこの主人の娘がひどく自慢の様子です。
「それから?」
「
「············」
「外に拙者と、お腰元が一人、お
「それだけですね」
「もう一人、門番は
「············」
「
「よく判りました。その御人数の中で、仮名文字をこれだけ綺麗に書けるのは、どなたでしょう」
「さよう、||まず腰元のお松と||」
「御嬢様の若葉様と、奥様のお勇様と||」
平次は指を折りました。
「いや、お嬢様や奥様は、このような
「浅井朝丸様とやらも、書けば書けるのでしょう。若殿時之助様も、御用人のお前様も」
「とんでもない」
石川孫三郎は大きく手を振ります。
「ところで御用人様」
ひどく改まった平次の顔を、石川孫三郎は不安らしく見上げました。
「この謎の仮名文字を読むと、決して幸せなことはございませんが、それでも読みたいとおっしゃるでしょうか」
「?」
「この文字は恐ろしい言葉でございます。これが読めると、御用人様一日も一刻も安い心がなくなるばかりでなく、お屋敷の皆様には恐ろしい疑いの雲がかかりますが、それでも||」
平次はもうこの謎を解いてしまった様子です。
「そう聞くと、私も迷うが、いずれにしても、そのままには相成るまい。それを読まずに焼いてしまったら、悪戯者はまた四枚目を用意するだろう。悪いものなら悪いもののように、書いた者を詮議して、後の祟りのないようにするのが、この石川孫三郎の勤めと申すものであろう」
「いかにも、
「············」
平次の指の先は、小菊の真ん中、五つずつ並べて五行に書いた、三行目の三番目||一番真ん中のわという字を指しました。
「御用人様、私の指の動くとおりに読んで下さい」
あ|な|か|し|こ
|
え の|ち|を|す
| | |
ま い わ|か み
| | | |
た お|の|と や
| |
め|ち|ち|に|か
|
え の|ち|を|す
| | |
ま い わ|か み
| | | |
た お|の|と や
| |
め|ち|ち|に|か
平次の指は紅筆で書いた仮名文字の上を、吉備真備を救った蜘蛛のように動きます。
「何々、わ、か、と、の、お、い、の、ち、を、す、み、や、か、に、ち、ち、め、た、ま、え、あ、な、か、し、こ」
石川孫三郎の顔は、平次の指を追って読み上げるうちに真っ蒼になりました。後の半分ほどは口の中で
「御用人様、||若殿お命を速やかに縮め給え、
「ない」
孫三郎は深々と腕を
「読んで上げない方がよかったかも解りませんが、お屋敷にこんな大それた願文を書く人間がいちゃ
平次はこうでも言う外はありません。
「有難う。屋敷の名も申さず、定めし無礼な奴と思うであろうが、何事もお
孫三郎は打ち
「親分、変なことがあるものだね」
ガラッ八は
「まだまだうるさい事になるだろうよ」
平次はまだ何か考えている様子です。
それから三日。
「御免」
「親分、来たぜ」
「シッ、丁寧に取次ぐんだ」
平次に促されて、ガラッ八は石川孫三郎を案内して来ました。
「平次殿、||大変なことに相成った」
典型的な用人が、挨拶も忘れて平次の前にドカリと坐るのです。
「
「それがトンと相解らぬ、いや解ったつもりになったばかりに、大変なことに相成ったのじゃ」
「············」
「平次殿、この上は隠しても無益なこと、何もかも打明けて申上げる。実は、拙者の主人と申すのは本郷元町に御屋敷のある、二千五百石取の御旗本、
「大方見当は付いておりました」
「なるほど、さすがは平次殿、主人御名前を隠しおおせたと思ったのが拙者の浅はかさだ、||それはともかく、あの謎の文句を、立帰って主人主計様にお目にかけたところ、御病中ながら
「············」
「御重態の床から起き上がり、奥様を御呼付け、弓の折れを持っての
「············」
平次も驚きました。かりそめに読んでやった謎の言葉が、それほどの騒ぎを起そうとは思わなかったのです。
「御主人様の御考えも一応は
「············」
「二日二た晩に及ぶ折檻の後、奥様には、よくよく思い定めたものと相見え、昨夜、||深更、見事に
「えッ」
平次は水をブッ掛けられた心持でした。
「たった一人の御跡取り時之助様の御寿命を呪われ、殿御腹立ちも尤も至極だが、継しき仲を疑われて生害して身の潔白を示された、奥様の御心中もお
「············」
平次も何か自分が責められているような心持で、小さくなって聞いております。
「わけても若葉様は、母上様の潔白のため一日一刻も早く、その呪いの願文を書いた悪戯者を捜し出し、父上様の御怒りも
石川孫三郎は、手を突いてまた真四角にお辞儀をするのです。
「よく解りました。いかにもお屋敷へ参りましょう」
「それでは、来て下さるか」
「もともと私が余計な猿智恵を働かせて、あんな謎を解いたから起ったこと、||いかにもお供いたしましょう。悪戯者を取っちめて、キュウキュウ言わせなきゃ、この平次の心持が納まりません」
「では、平次殿」
「参りましょう。後と言わずに、今、すぐ」
平次は帯をキュッと締め直すと、羽織を引っかけて、石川孫三郎に従いました。
「親分」
後ろからガラッ八の八五郎。
「来るがよい、手が欲しくなるかも知れない。十手なんか
元町の一郭を占領した、宏大な横山主計の屋敷。平次とガラッ八は、用人石川孫三郎に案内されて、裏門からお勝手へ廻り、奉公人達の好奇の眼に迎えられて、奥の主人主計の部屋に通されました。
「平次||と申すか、
病床に半身を起したのは、
「
平次はそう言うより外にありません。孫三郎に目配せされて、早々に引下がると、次は若殿時之助、これは敷居際で黙礼しただけ。
「平次と申すそうだな。宜しく頼みますぞ」
時之助はそれでも優しく声を掛けます。二十五というにしては、ひどく若く見えるのは、心も身体も弱いせいでしょう。でも何となく清純な聡明な感じがして、平次には好感の持てる青年でした。
お嬢様の若葉には縁側から挨拶しました。小机に
「お願い申します」
半分は口の中で言う言葉が、千万言の雄弁よりも、少なくとも、平次の後ろからヒョコヒョコとお辞儀をする八五郎には徹した様子です。
「お嬢様、きっとこの平次が、
「何なと」
「お屋敷で口紅をお使いになるのは、どなたとどなたでございましょう」
「私と、それから松だけ、||母上はお用いになりません」
「皆様お使いの小菊を一枚頂戴いたしとうございます」
「············」
若葉は黙って
「有難うございました」
一枚取って見ると、謎の文句を書いた紙と全く同じ
「それから、これは私の紅、と、筆」
可愛らしい鏡台の
それから平次は
「御苦労だな、平次」
「恐れ入ります」
「何か手掛りは見付かったか」
「なんにも解りません」
「紅筆で仮名文字を書いたから、女の仕業と考えるのは少し早合点だな。現に叔父上はそれでしくじったのだ」
浅井朝丸は
「
平次はそれに軽くうなずきました。良い参考になると思った様子です。
それから腰元のお松にも逢いました。十八というにしては、ませた娘で、可愛らしくも
「若殿様をどう思う」
「御慈悲深い方でございます」
何かしら、あごがれを持った眼を、平次がジッと見詰めると、お松は真っ赤になって差しうつむきました。
仲働きのお宮は働くより外に望みも興味もない女。外に下女が二人、年寄りの門番夫婦にも逢いましたが、何の変哲もありません。
「もう一人、
「なるほど」
平次は孫三郎に案内されて、仲間部屋に入って行きました。
「鉄はちょうどいないようだが」
「中を見ても構わないでしょうな」
「構わないとも」
孫三郎のうなずくのを見ると、平次は仲間部屋に入って行きました。三畳の隅っこに、
「よっぽど心掛けの良い男ですね」
「渡り仲間には珍しい男だ」
「どれどれどんな物を持っているか」
三尺の押入を開けると、上は夜の物、下は
中を開けてみると、
「あッ」
三人声を合せたのも無理はありません。紙包みの中から出て来たのは、真新しい
「この野郎だッ」
わめく八五郎。
「待て待て、紅皿は真新しい、買ったばかりで手が付いていない、||それに半襟だけは余計だ」
平次は落着払ってその下を見ると、底の方へ押込むように入れてあるのは、
ちょうどその時、仲間の鉄がノソリと帰って来ました。一と目様子を見てとると、
「何をしやがる、||誰に断って人の物に手を掛けるんだ」
平次の襟髪へ手を掛けます。
「野郎ッ、御用だぞッ」
ガラッ八はその後ろから飛付きました。
「何をッ」
振り返った鉄の
「神妙にせい、御用だぞッ」
猛然と
黙ってそれを見ている平次。
「親分、縄を、縄を」
ハネ返そうとする鉄を押えて、ガラッ八は必死と争い続けるのです。
「もういい、縛らなくたって、話は解るだろう、||鉄とか言ったな、||お前の留守に押入を見て悪かったが、御主人のお許しがあったんだ」
「············」
ガラッ八の手を離れると、鉄はプリプリしながら起き上がりました。二十七八の丈夫そうな男ですが、渡り仲間のすれっ枯らしなところがなくて、なかなか良い印象を与えます。
「お前に少し訊きたいことがある||この紅と半襟は何のために持っている」
平次の調子は静かですが、いや応言わさぬ強さがあります。
「紅や半襟を、
「それは良い心掛けだ、||
「そいつは男の魂だ。万一の時の用意に持っていちゃ悪いか」
鉄は事ごとに
「よしよし、それもお前の言うのを本当にしよう。ところで、お前は何か隠していることがあるようだ。町方の手で調べて解らぬことはないが、そんな事をして、身分素姓が知れると、お前の
「············」
「お前も聞いたはずで、
「············」
「お前の身許を洗ってみようか、それともここで言ってしまうか、どうだ、鉄」
「············」
仲間の鉄は黙りこくって下ばかり見詰めております。深沈たる顔色です。
「八、この野郎は容易に口を割るめえ。請人を捜して、うんと絞ってみろ。どうせ所名前も
平次は
「よし、言うよ、みんなブチまけるよ」
鉄は頭を上げました。
「紅筆の願文を書いたのはお前か」
石川孫三郎は掴みかかりそうでした。
「違うよ、御用人、そんな腐った女のような事をするものか。俺はいかにも、横山一家に怨みがある。わけても若殿の時之助には、足を一本叩き折って、
「黙れッ」
孫三郎は我慢がなり兼ねました。
「俺の母親が、ちょうどそんな目に逢ったんだ。やい、
鉄は言うのでした。||今から三年前、若殿時之助がまだ丈夫で元気だった頃、甲州街道を遠乗りして、
女は鉄の母親でした。足を折った上、馬に蹴られた場所が悪かったか、そのまま床に就いて枕もあがらず、あまりの事に、人を頼んで横山家に掛け合いましたが、けんもほろろの挨拶で、相手にもしてくれません。
鉄は多血性男子でした。母の看護を小さい妹に任せ、江戸へ出て転々奉公しているうち、縁があって、素姓を隠したまま、横山家の仲間部屋に入り込んだのです。
「あわよくば殿様の前へ出て、思い切り
「············」
石川孫三郎も一句もありません。
「紅筆の何とかを書いて、人に嫌がらせをするような、そんなケチな野郎じゃねえ。見損ないやがったか」
鉄は土間に
「よしよし解った、が、そう解った上はこの屋敷へおくわけに行かねえ、俺と一緒に来い」
平次は静かに鉄の肩を叩きます。
「あ、どこへでも行くよ。
立上がる鉄。平次はガラッ八を招くと、何やら
「御用人様、奥庭の
「いいとも」
石川孫三郎はホッとした顔で先に立ちます。
奥庭の祠には何の変ったこともありません。白い
「紅筆の願文は、嵐の後で、堂を修復する話があってから、見付かったのですね」
「その通りだ」
と孫三郎。
「そのとき堂の中は
「最初のは、まだ乾き切らない台の上にのせてあったよ」
「有難うございました。それじゃまた明日の朝参ります、||皆んなへ、私がもう一度来ることを言っておいて下さい」
平次は変なことを言って帰って行きます。
その晩平次は、仲間の鉄をなだめなだめ、いろいろの事を
その話の筋を
もう一つは
「紅筆の願文を書くとすると、お松か、浅井朝丸のうちということになるな。明日はたぶん判るだろう」
平次は何やら成算があるらしく、
「今日は御家来衆奉公人を始め、お屋敷の皆様の荷物を調べさせて頂きます」
始めからこういった触れ込みで、まず用人石川孫三郎の荷物を調べ、掛り人浅井朝丸の手廻りの品を調べました。
石川孫三郎の荷物には、何にもあるわけがなく、浅井朝丸の部屋にも怪しいものは一つもありません。この人はかなりのインテリらしく、むつかしい本が幾十冊と、机の上には、よい紙、よい墨、よい筆、よい
次は腰元のお松の部屋。
ここで平次は大変なものを見付けました。小さい
「これは?」
平次はお松の面前に突き付けました。
「あッ、||私は、私はなんにも存じません」
お松は青くなって立ち
紅皿は半分以上
「お前のではないと言うのか」
「なんにも知りません。今朝までここにそんなものは入っていなかったんです」
あまりの事に、お松は立ち上がる力もなく、畳の上にヘタヘタと崩折れて、恐怖に見開いた眼が紅皿に吸い付いております。
「親分」
八五郎は後ろから、この娘の肩へ手を掛けそうにしました。
「待て、八」
平次は紅筆の穂を散らして、鼻の先へ持って来てちょっと嗅ぎましたが、
「この人じゃない」
大きくかぶりを振るのです。
「親分」
「ごく良い
指した縁側には浅井朝丸が眼を光らせているのでした。
「野郎ッ」
飛付く八五郎。
「無礼者ッ」
「あッ」
縁側から足を踏み外して、もんどり打って庭へ落ちるのを、浴びせて一と太刀。
が、それは平次の投げ銭に封じられました。
「えーッ」
「待ってました」
飛付いた八五郎、こんどは用意の縄でキリキリと縛り上げてしまいました。
*
「親分、変な野郎がいるもんだね」
帰り途、ガラッ八は平次の説明を誘いました。
「あれは本当の悪党さ、||自分で謎の呪文を書いておきながら、用人に、野馬台の詩みたいだ||って言ったそうだ。誰かに読んで貰わなきゃ困るが、自分で読んじゃ
「じゃ始めからあの居候野郎が怪しいと睨んだんですか」
「そうでもない、一時はてっきり鉄の仕業と思ったよ。でも
「············」
「わざと筆の軸の
「何だって新しい筆を使わなかったんでしょう」
とガラッ八。
「字でも書こうというほどのものは、妙に筆を惜しがるものだよ。使い古した筆を洗って
「それで市が栄えるわけだね、親分」
「横山家では無事に
平次はそう言って、懐に呑んだ三十両の小判にさわってみるのでした。これで鉄は笹塚へ帰って、母親の養生も存分に出来るというものでしょう。
「あの娘は綺麗だね、親分」
「だが、可哀想だよ、一番気の毒なのはあの若葉とかいう娘さ」
平次は暗然としました。本当に妙な事件です。