話はガラッ八の八五郎から始まります。
「あら親分」
「············」
「八五郎親分」
素晴らしい
「俺かい」
振り返るとパッと咲いたような美女が一人、
「八五郎親分は、江戸にたった一人じゃありませんか」
「お前は誰だい」
「随分ねエ」
女はちょいと打つ真似をしました。見てくれは二十二三ですが、もう少しヒネているかもわかりません。
「見たような顔だが、どうも思い出せねえ。名乗ってみな」
「まア、大層なせりふねエ、||遠からん者は音にも聞け、と言いたいけれど、実はそんな
女は少しばかりしなを作って見せます。
「何だ、水茶屋のお篠か、白粉っ気がなくなるから、お
「まア、私、そんなに厚塗りだったかしら?」
お篠はそんな事を言いながら、自分の頬へちょっと触って見せたりするのです。笑うと八重歯が少し見えて、
「赤前垂を取払うと、すっかり女が変るな。一年近く見えないが、身でも固めたのかい」
「とんでもない、私なんかを拾ってくれ手があるものですか」
「そうじゃあるめえ、事と次第じゃ、俺も拾い手になりてえぐれえのものだ」
「まア、親分」
お篠の手がまた大きく夕空に弧を描くのです。
「ところで何か用事があるのかい」
「大ありよ、親分」
「押かけ女房の口なら御免だが、他の事ならてえげえ相談に乗ってやるよ、ことに金のことなどと来た日にゃ||」
「
「ふざけちゃいけねえ」
「ね、八五郎親分、
「大層またあらたまりやがったな」
「私本当に困ったことがあるのよ、八五郎親分」
「あんまり困ったような顔じゃないぜ、何がどうしたんだ」
ガラッ八も引込まれるともなく、少しばかり真面目になりました。
「親分は私の妹を御存じねエ」
「知ってるとも、お
「まア、御挨拶ねエ」
「その妹がどうしたんだ」
「両国の水茶屋を仕舞った時の借りがあったので、私と別々に奉公したんです。私は||今は
「そいつは
「それも後で聞きました。驚いて妹を取戻しに行きましたが、どうしても返しちゃくれません」
「給料の前借りでもあるのか」
「そんなものはありゃしません」
「証文を入れるとか、
「知った同士で話をつけ、何一つ向うへは入っていません」
「それじゃ戻せないことはあるまい」
ガラッ八は一向手軽なことのように考えているのでした。
「女一人行ったところで、馬鹿にされて戻されるのがせいぜいです。今までにもう、三度も追い帰されました」
「フーム」
「今つれて帰らなきゃ、妹のお秋にどんな間違いがあるかも判りません。独り者の山名屋はお秋を
「そいつは気の毒だが、本人が帰る気がなきゃどうすることも出来ない」
「本人は帰りたいに決っています。あんな
「············」
「この間も私が行くと、逢われないながらも、二階の格子の中で泣いているじゃありませんか、私はもう可哀相で可哀相で」
「それで、俺に何をしろと言うんだ」
ガラッ八もだいぶ呑込みがよくなりました。
「決して無理なことをお願いするんじゃありません。山名屋の店先へ行って、見えるように見えないように、その
お篠は一生懸命説きたてるのです。一時両国の水茶屋で、鉄火者で鳴らしたお篠が、妹のお秋を
お秋の

「よし、それじゃ行ってやろう」
「有難うございます、八五郎親分」
「その代り、俺は店の中へは入らないよ。外に居て、十手をチラチラさせるだけだよ」
ガラッ八は馬鹿馬鹿しくも念を押します。
ガラッ八とお篠が、湯島の山名屋へ行ったのはその晩の
遅い商売の酒屋の店も、大戸を下ろそうというとき、
「ちょいと待ちな、主人に用事があるんだ、俺じゃねえ、あの女だがネ||」
敷居際に立ちはだかった八五郎は、片手
「ヘエー」
相手が悪いと思ったか、手代の一人はあわてて奥へ飛込みましたが、やがて戻って来ると、
「主人は
木戸をあけて丁寧に案内するのです。
「お篠、行って来るがいい、俺はここで待っている」
「············」
お篠はそれに感謝の眼で応えて、手代と二人、木戸の中の闇にスーッと消えました。
それから
煙草をのんだり
「待たせたわねエ、八五郎親分」
庭木戸を開けて、そっとお篠が出て来ました。夜の闇を匂わせるような女ですが、この時は不思議にしんみりしておりました。
「お前一人かえ」
「え」
二人は肩を並べるように、
「本当に有難うよ、親分」
「そりゃ構わねえが、
「駄目よ、やっぱり。証文を出さなくたって、奉公人に変りはないんだもの、出代り時でもないのに、無理につれて来るわけに行かない」
「そんな馬鹿なことはないだろう」
「可哀相に、本人もその気になって」
お篠の謎のような言葉は、ガラッ八の神経にも何やら大きい疑問符を投げかけました。
「山名屋に踏み止まる気になったのか」
「え」
二人はそれっきり、また黙りこくってしまいました。
「八五郎親分、ここでお別れしましょう」
お篠はフト立ち止まりました。
「お前はどこへ行くんだ」
「近頃は三味線堀に居ますよ、奉公は止して、母親と一緒に」
「それじゃ気を付けて行きねエ、一人で淋しくはないのか」
「江戸の真ん中ですもの」
「江戸の真ん中だからな」
「ホ、ホ」
お篠は面白そうに笑うのです。男が淋しがらないものを、女が淋しがっていいものですか||といった気でしょう。
「あばよ、お篠」
「あ、ちょいと、八五郎親分」
「何だい」
「怒っちゃ嫌よ、親分、||これはほんの私のお礼心、取って下さるわねエ」
お篠は八五郎に寄り添うように、紙に包んだものを、そっとその
「何をするんだ」
あわてて取出すと、紙が破れて、落ち散る小判が三枚||五枚。
「あれ、八五郎親分」
「冗談じゃねエ」
八五郎は手に残る小判を汚いもののように叩き付けると、
「まア、親分」
お篠はこの世の奇蹟を見るような心持で、立ちつくしました。長い間水茶屋に奉公して、張りも意気地も心得たつもりのお篠ですが、安岡っ引が袖の下を取らないなんぞということは、想像してみたこともなかったのです。
山名屋五左衛門はその晩殺されたのです。
いつ、どうして殺されたか、
騒ぎは一瞬のうちに、山名屋を煮えくり返らせました。
銭形平次が飛んで行ったのはそれから一刻の
中を調べると、番頭の
番頭の元吉は五十前後、三十年も奉公した
他に、下女が二人、下男が一人、小僧が二人、これは疑いの外に置かれます。下女二人と、小僧と下男が二つの部屋に寝ているので、夜中に便所に起きても人に知られずには済みません。
もう一人、
もう一人、お篠の妹のお秋は、ゆくゆく五左衛門の身の辺りの世話をするはずでしたが、まだ目見得中で母屋に泊っており、これは十九の
死骸の発見者で、血の付いた着物を着ている手代清松は、一番先に疑いの矢面に立ったことは言うまでもありません。
「主人の死骸を見付けたのは
「
「銭形の、その手代の野郎の荷物の中に、小判で三百両隠してあったぜ」
「そんな事もあるだろうよ。血だらけな足で、離屋の中を歩いたのは、どうもこの野郎らしいと思った」
平次はそう言って、清松の肩に手を置きました。
「あ、それは、それは」
「それはどうした、一期半期の奉公人が、三百両の大金を溜めたなんて言ったって、お
「親分さん、||その金は
「金は盗ったが、主人を殺した覚えはないと言うのか」
「その通りです、親分」
と清松。
「銭形の、そんな甘口な
喜三郎は少し
「それは、八五郎親分に訊いて下さい」
清松は変な事を言い出しました。
「||?」
「昨夜八五郎親分が、お秋の姉のお篠と一緒に来て、離屋で主人と一刻あまりも話をして帰りました。||それっきり、家中の者は誰も主人に逢いません」
「それは本当か」
平次は四方を見廻しました。が、番頭の顔にも、小僧の顔にも、清松の言葉に対する否定の色は少しもありません。
「やい、八」
「ヘエ||」
平次のこんなに腹を立てた顔を、八五郎はまだ見たこともありません。
「
「ヘエ||」
「妹を救い出すとか何とか言って、大金を持出したに
「そんなものは付いちゃいませんでしたよ、親分」
「白地の
「ヘエ||」
八五郎はまことにさんざんの体です。
「山名屋には
平次の調子は火のように猛烈です。
「ヘエ||」
「万一手前の名前なんか出ると、十手捕縄の返上ぐらいじゃ済まねえぞ」
「ヘエ||」
八五郎は全く追っ立てられるように飛んで出ました。こんなに脅かされたことはありません。
三味線堀へ行って捜すと、お篠の隠れ家はすぐ判りました。路地の奥の奥の、置き忘れたようなささやかな長屋。
「お篠は居るかい」
八五郎が精一杯野太い声をかけると、
「まア、八五郎親分」
妙に物なつかしそうな声と一緒に、
「来い、
八五郎は飛付いて、お篠の
「あッ、何をするのさ、
お篠はカッとなって、
「ふざけるなお篠、||
「どこから出そうと勝手じゃありませんか」
「山名屋の主人を殺したのが、お
「えッ」
「脇差をどこへ捨てた」
「何を言うんだい、||私はそんな事を知るものか。金は妹を奉公させる代りに、二百両受取ったに違いないが、私が別れる時はピンピンしていたあの五左衛門が||」
お篠の言葉は半分述懐になって、何やら深々と考え込んでしまいました。
「言い訳はお白洲でするがいい、さア、来い、||俺までだしに使いやがって太え女だ」
ガラッ八はなおもお篠の手をグイグイと引きます。
「そんなつもりじゃありませんよ。私が二百両の金を取って来たわけ、みんな言ってしまいましょう、八五郎親分」
お篠はガラリと調子を変えると、崩折れるようにそこに坐ってしまいました。
幸い母親は観音様のお
山名屋五左衛門は
眼の不自由な宗兵衛は、二十四になる倅の宗次郎と一緒に、骨に沁みるような貧苦と闘い抜きましたが、近頃はその戦闘力もうせ、餓死を待つばかりの
お篠お秋姉妹は、父親の代から受けた恩に
「昨夜はいよいよ妹を返すか、三百か五百の纏まった金を出すか、命がけで掛け合うつもりで、山名屋へ行きました。でも、私のようなものが一人で行ったところで、真面目に相手にしてくれる五左衛門ではありません。途中で親分に逢ったのを幸い、親分の
「············」
八五郎は
「山名屋は
「············」
「でも、二百両でも取れたのは、みんな親分のお蔭です。そう思ってお礼を上げたけれど||」
「それからどうした」
ガラッ八は押っ冠せて
「金沢町へ持って行って、宗次郎さんに渡しました」
「宗次郎は黙って受取ったのか」
「||その代り妹のことは
「すると二人は?」
「え、二人は一緒になるはずだったんです」
お篠は淋しそうでした。
八五郎はしょんぼり帰って来ました。
「こんなわけだ、親分、お篠は脇差なんか持っちゃいなかったし、どんなに太い女だって、岡っ引を番人にして人を殺すわけはねエ。五左衛門から金を貰ったというだけじゃ、縛れないじゃありませんか」
そう言うのが、せめてもの
「なるほど、それじゃお篠は縛れまい。もう一度山名屋へ行ってみようか」
平次は恐れ入るガラッ八をつれて、もう一度湯島へ行ってみました。
「銭形の、大変なものが手に入ったぜ」
真砂町の喜三郎は、泥だらけの脇差を振り廻して、すっかり悦に入っております。
「どこにそんなものがあったんだ」
と平次。
「一町ばかり先の下水に突っ込んで、血だらけな
「柄だけ出ていたんだね?」
「柄が隠れるほど
「どれどれ」
受取ってみると、なるほど手頃な脇差で、
「この脇差の持主がないから不思議さ、それに
喜三郎はまだその辺を嗅ぎ廻りながら、こう言うのです。
平次は、一応家の者に当りましたが、何の得るところもありません。浪人者の鞍掛蔵人に言わせると、この脇差は
「金沢町へ行ってみよう、ここは喜三郎
「ヘエ」
「その脇差を借りて行くぜ、真砂町の」
「あ、いいとも」
平次は油紙を一枚貰って、泥と血に
山名屋の隠居の宗兵衛の家は、平次もよく心得ております。
「御免よ」
犬小屋よりもひどい裏長屋。
「あ、銭形の親分さん」
盲目の
「この脇差はお前のだろうね」
平次は油紙の包をクルクルとほぐすと、少し乱暴に、泥と血に塗れた協差を宗次郎の膝の前に
「私のですよ、親分」
宗次郎は悪びれた色もありません。
「鞘はどうしたんだ」
と、平次。||後ろからは八五郎の眼が
「面喰らって脇差だけ置いて来たんでしょう、鞘はここにありますよ」
宗次郎は静かに
二十四というにしては、若く弱々しく見えますが、知識的な立派な若者で、貧しさを超越して、品のよさがあります。
「この脇差で、山名屋の五左衛門が殺されたんだ。言い訳を聞こうか」
平次は上がり
「みんな言ってしまいましょう、聴いて下さい||」
宗次郎はあらたまった調子で始めました。
「············」
「昨夜
「············」
宗次郎の話の意外さ。お篠も全く思いがけなかったらしく、眼を見張って聞入るばかりです。
「五左衛門に二百両の金を返して、お秋をすぐにも返してくれと
「それっきりか」
「それっきりです、親分。私はあまりの嬉しさに、畳へ突っ立てた、抜身の脇差を鞘に納めるのも忘れ、そのままここまで飛んで帰ったのです。帰って来てから、腰に脇差の鞘だけ残っていることに気が付いたくらいですもの、五左衛門を殺す道理がありません」
そう言う宗次郎の顔には、純情家らしい一生懸命さがあって、駆引も嘘もあろうとは思われません。
「それは何刻だった」
「帰ったのは
父親の宗兵衛が口を
「親分||金箱から無くなったのは五百両、三百両は今朝清松がくすねたとすると、昨夜のうちに二百両無くなったのは確かだ。死んだ者は証人にならねえ。もう少しここを捜してみようじゃありませんか」
八五郎はそっと後ろから平次の袖を引きます。
「黙っていろ」
平次はその袖を払って何やら考え込んでおります。
「親分」
「何だ、お篠」
平次はお篠の思い詰めた顔を見詰めました。
「私を縛って下さい」
「何?」
「五左衛門を殺したのは、この私です」
「何だと、お篠」
「宗次郎さんの後をつけて行って、様子を残らず聴いてしまいました。||宗次郎さんがそんなに妹の事を思ってくれるのに、私はまア、何という情けないことをしてしまったんでしょう。五左衛門はあんな器用なことを言ったって、それは思い詰めた宗次郎さんが怖いから、当座のがれに言ったまでの事で、本当の心持は、お秋を返す気はないに決っています」
「············」
「私は、宗次郎さんが帰った後で、あの脇差を取って、一と思いに五左衛門を殺しました。それに違いはありません。私を縛って下さい、銭形の親分」
お篠はそう言って、自分の両手を後ろに廻し、平次の方へ
「
と平次。
「滅茶滅茶に斬りました」
「それから、二百両の金はどうした」
「腹が立つから、
「よしよし」
「宗次郎さん、私は縛られて行きます。
「何を言うんだ、お篠さん、お前は人を殺せるような人じゃない」
宗次郎は驚いて立ちかかりましたが、お篠の一生懸命さに圧倒されてどうすることも出来ません。
「もういいよ、お篠。お前は宗次郎を下手人と思い込んで、そんな事を言うのだろう。が、宗次郎が下手人でないことは脇差を置いて来たのでも、鞘を隠さなかったことでも解っている。お前が下手人でないことは||八五郎の顔を見ろ、あの通りニヤニヤ笑っているぜ。八の野郎はとんだお篠さん
「············」
お篠はヘタヘタと崩折れました。
「八、もう一度やり直しだ。こんな他愛もない殺しで、こんなに骨の折れるのは珍しい。下手人になり手が多すぎだよ」
平次はそんな事を言いながら、金沢町を引揚げてしまったのです。
それから湯島へ引返す道々、
「八、二百両の金をどこへ隠したと思う?」
平次は変なことを訊きます。
「自分の
「いや、山名屋の奉公人の荷物はみんな見たが、そんなものを持っていたのは、清松だけだ」
「ヘエ」
「下手人は昨夜の
「ヘエ||」
「山名屋から一町も持出したところを見ると、下手人は十中八九山名屋の家の者だ」
「清松じゃありませんか」
「いや、清松は下手人じゃない。下手人なら三百両の金を
「すると?」
「下手人は二百両の金をとんでもないところへ隠しておいたに違いない、||どうしても知れないところで||後できっと自分の手に入るところだ||後できっと自分のものになるところ、||溝や下水じゃ誰が見付けるかも分らない」
「············」
「下手人は恐ろしく食えない奴だ。毎晩主人の様子を
「············」
「主人の五左衛門が死んで一番損をする奴は誰だ||一番儲かるのは、五左衛門には子がないから、山名屋の跡を
「············」
次第に疑問を畳み上げて、下手人の影法師に生命を付与して行く親分の強大な
「親分、庭の苔は、
八五郎は鬼の首でも取った様子です。
「よしよし、それから、主人が死んで一番損する奴は誰だか聞いて来い」
「ヘエ||」
八五郎がもう一度母屋へ行くうち、平次は離屋の戸棚からいろいろの書類を取出してザッと眼を通しました。
「有り金は千三百四十八両、貸金は三千五百両、外に地所と家作||大変な
平次は番頭の元吉を相手に遺された身上を調べております。
土蔵へ案内させて、有り金を調べてみると、帳面通り千三百四十八両、ピタリと合って、一文の狂いもありません。
「番頭さん、さすがに恐れ入ったね、主人が死んだ後で、一文一銭の不審な金もないというのは大したことだ」
「ヘエ、恐れ入ります」
「ところで、その紙に包んである分は何だい」
「これは奉公人達へわけてやるように、主人が達者なうちから、こうしておきました」
「どれどれ」
「跡取りのない御主人のことで、無理もない用意でございます」
手に取って見ると、紙に包んで小僧二人の分は十両ずつ、下女と下男へ五両ずつ、手代へ五十両、居候の鞍掛蔵人へ二百両。
「お前さんのはないようだね」
「ヘエ、残りを私が頂戴することになっております」
「大層なことだね」
「それから貸金の方は、山名屋の後を継ぐ方に引渡します」
「なるほど、||ところで、この包の上に書いた字は、主人の
「さようでございます」
「それにしちゃ墨色が新しいようだが||」
「············」
平次が指先に力を入れて、包んだ紙を揉み砕くと、
「あッ」
中から出て来たのは、
「親分」
「あわてるな八、下手人はあの浪人者じゃねえ、こんな手数のかかった細工をした黒鼠だ」
平次が差した指は、真っ直ぐに元吉の血の気を失った額を指したのです。
「御用ッ」
飛付く八五郎、全く一とたまりもありません。
*
「あの番頭が悪者とは驚いたね」
ガラッ八は絵解きが聞きたそうな顔です。下手人の元吉を送った帰り
「跡取りのない山名屋だもの、主人が死ねば、番頭の一存で身上はどうにでもなるのさ。最初俺は浪人者をあやしいと
「お篠や宗次郎は?」
「あの二人は善人だよ、はなから、疑ってみる気もしなかった。もっとも、お篠は宗次郎に気があった。妹を人身御供に上げてまでも、宗次郎に出世させようとしたのは悪かったが、宗次郎がすぐ金を突っ返して来たと聞いて、自分の悪かった事に気が付いたのさ。それに、脇差は宗次郎のだと聞いて、てっきり下手人を宗次郎と思い込み、妹と宗次郎への申し訳に、自分で罪を
平次はこんな事を言って、一度はお篠の道具に使われたガラッ八の顔を
「番頭を下手人と解ったのは?」
「宗次郎が帰ったあとで主人に会い、疑われもせず
「それに?」
「帳尻を合せて大金を
「なるほどね」
「宗次郎の持って来た二百両の金を、どこかへ隠したに相違ない、どこへ隠したかいろいろ考えたが、||金の隠す場所は、金箱が一番いいと気が付いた。これなら人に見付けられることも、疑われることもない」
「なアーる」
「だが、どんなに細工が上手でも、血の中からかき集めた二百枚の小判を、洗っている暇はなかったはずだ。封をしていちいち名前を書いたのは、考え抜いたことには違いないが、それがまた臭いことであった。遺言をして金をわけるなら、一枚書いたものがあれば沢山だ、いちいち包んでおくのはどうかしている」
平次の説明には、もう一点の疑問もありません。
「浪人者の窓の下から道をつけたのは」
「つまらない細工だよ、小器用な悪人はそんな事で人が
「それでみんな解りましたよ、親分。ところで、宗次郎や、お篠姉妹はどうなるでしょう?」
「宗次郎は山名屋の跡取りになるだろうよ、お秋はその女房さ」
「お篠が可哀相じゃありませんか、親分」
「悪くない女さ、||八の女房などにどうだい」
「御免蒙ろう、
「そう言うな、八、俺はあのお篠という女に見どころがあると思うよ」
二人はそんな事を言いながら、||もう平次の家へ近く差掛っておりました。