「親分、変なことがあるんだが||」
ガラッ八の八五郎は、大きな鼻の穴をひろげて、日本一のキナ臭い顔を親分の前へ持って来たのでした。
「横町の
銭形平次は
「冗談じゃありませんよ。横町の瞽女はああ見えても金持だ。こちとらには鼻も引っかけちゃくれませんよ、へッへッ」
「嫌な笑いようだな。さては一と口申込んで小気味よく弾かれたろう」
「へッ、
「うまく言うぜ」
「ところで親分変な話の続きだが||」
「そうそう変な話を持って来たんだね。瞽女の嫁入りの話でないとすると、叔母さんがお小遣いでもくれたというのか」
「
八五郎は懐中から一通の手紙を出すと、畳の上を滑らせるように、平次の前へ押しやりました。
「何? 手紙」
「達筆で書いてあるから、よくは読めねえが、おおよその見当は、二千両という大金を、この春処刑になった大泥棒の矢の根五郎吉が、このあっしに形見にやるという文句だ。手紙を出した主は五郎吉の弟分で、兄よりも凄いと言われた
「お前へもそんな手紙が行ったのか、八」
銭形平次の声は急に緊張しました。
「すると、親分は?」
「知っているよ。いや、知っているどころの騒ぎじゃない。俺のところへもそれと同じ手紙が来ているんだ」
「ヘエ||」
「その二千両は、お旗本の
「············」
「矢の根五郎吉はわけもなく捉まったが、伝馬町の牢同心が腕に
「そうですかね」
「彦徳の源太の手紙には何とあったんだ」
「||十三日の晩、
「俺のは十五日だ。||今日は十二日か、お前は明日の晩じゃないか、行ってみる気か」
「どうしたものでしょう、親分」
「俺はツイ今しがたまで、行くつもりはなかった。世の中にはこんな手紙を書いて、岡っ引などをからかいたがる物好きな馬鹿がうんといる。これもその一人だろうと思っていたが、お前にまで呼出しが来るようじゃ油断がならねえ。||俺は行ってみることに決めたよ、八」
「それじゃあっしも行ってみますよ。二千両の目腐れ金は欲しかアねえが、相手の仕掛けが見ておきてえ」
「たいそうな勢いだな」
「なアにそれほどでもありませんがね」
ガラッ八はすっかり面白くなった様子です。
「大変ッ、親分」
「サア来た。今日あたりはそいつが来るだろうと、皿小鉢を片付けて待っていたんだ」
平次は相変らず落着き払って笑っております。
「関口の太助が殺されましたぜ」
「何?」
顔は新しいが、野心的で戦闘的な太助||かつての矢の根五郎吉を挙げるとき、平次に力を
「滅茶滅茶に縛った死骸が、関口の大滝の下で揚がったんだ。行ってみて下さいな。親分が行くまで、指をささせないようにしてあるんだから」
「よし、行ってみよう」
平次は仕度もそこそこ、八五郎と一緒に飛びました。神田から関口までは近くない道ですが、八五郎はこんなことには馴れたもので、馬のようによく駆けます。
現場へ行ったのはもう昼頃、野次馬は一パイにたかっておりますが、幸いまだ
「どうした石松
「あ、銭形の親分。||とんだことになりました。あっしは
石松はポロポロ涙をこぼしながら、筵をはねのけてくれます。
「どれどれとんだ事だったな」
平次は死骸の横に廻って丁寧に拝んだ上、ザッと全部の様子を見渡し、それから恐ろしく念入りに部分部分を
「容易のことで
滅茶滅茶に取乱した死骸から顔を
全く関口の太助は立派な御用聞でした。まだ三十代の若盛りで、腕っ節も智恵も人並にすぐれ、少し向う見ずで軽率ではあったにしても、悪者の
死骸には斬り傷も突き傷もありませんが、頭から手足へ打撲傷だらけで、それが紫色になっているところを見ると、息のあるうちに
「重りが付いてあったんだね」
「その石が抱かせてありましたよ」
石松は死骸の傍に転がされた、
胸から首だけは縄を解いてありましたが、腰から下はまだそのままになっていたので、平次は丁寧に縄をほどき始めました。結び目は至って
「何という事をするのだろう」
平次も思わず悲憤の唇を噛みました。
縄を解いて行くに従って、その縄と死骸の着物の間から変なものが落ちて来ました。拾い上げるとそれは、庭石の蔭や井戸端や石垣の間などによく生えている
石松の話で、関口の太助も変な手紙に誘われて出たと判りました。いずれこの事件は、神津右京の屋敷と、盗まれた二千両の御用金に関係していることでしょう。真相を見窮めるためには、そこから
小日向の神津の屋敷へ行くと、至って快く通してくれて、用人の佐久間仲左衛門が相手をしました。まだ、五十そこそこの年輩ですが、正直者らしい代り、ひどい
主人の神津右京は四十代の働き盛り、長年の心願が
その二千両の小判にはいちいち
その日は主人の神津右京は、金策のため
「御用金は奥の御居間の床の間に、
仲左衛門は少しくどくどとこう説明するのです。この話は今までこの人の口から幾度くり返して聴かされたことでしょう。
平次はもう一度念のためにその部屋を見せて貰った上、戸締りの工合も調べ直しましたが、外からコジ開けた様子もなく、ただ上下の
その足の不自由なのと声の錆で、矢の根五郎吉と見当をつけ、平次と太助が力を
神津右京の正室は十四になる総領の吉弥を
お江野は三十二三の美しい中年者。
「親分、なにぶん
言葉少なにそう言われると、平次も何かしら、一と肌ぬぎたい心持になるのでした。
お江野の妹のお鳥というのが、出戻りになって、半年ほど前から神津家に引取られ、女中頭のように立ち働いておりますが、これは姉の上品とは打って変って、
「あら銭形の親分さん。||八五郎さんも御一緒ね。お願い申しますよ。本当にこのお邸に万一のことがあれば、第一私の行きどころがなくなるじゃありませんか」
そう言うお鳥です。
「心配するなってことよ。お鳥さんなら引取り手はうんとあるぜ、現にここにも一人||」
平次はそう言って、後ろにぼんやり突っ立っている八五郎を
「あら、本当。嬉しいわねエ八五郎さん」
そう言って、よく肥った白い身体を、恐縮しきっている八五郎へもたれかけるお鳥です。
若様の吉弥は十四歳というにしては、
「平次か、御苦労だな」
そう言った如才なさ。神津一家に
「もう一度あの晩の事を伺いますが」
「何なりと」
「曲者は千両箱を持っておりましたでしょうか」
「チラと見ただけで、よくは判らなかったが、何にも持っていなかったと思う。私がとがるめと、『馬鹿
「庭を拝見いたします」
「さアさア遠慮なく」
庭下駄を借りて、下に降りた平次は、植込みから縁の下まで覗きましたが、人間が一と晩隠れているような物蔭があろうとも思われません。吉弥が言った通り、塀は一丈あまり、容易に飛越せるはずもなかったのです。
「その晩、月は?」
「
後ろからつづく吉弥は応えました。
「ところで、お庭に
「虎耳草というと?」
「赤い
「庭にはないが、あ、裏の三日月の井戸には沢山ある」
「それは?」
「
「拝見出来ましょうか」
「いいとも」
案内されたのは、神津家の裏門の外。ザッと屋根をかけた立派な井戸で、ザラの人には汲ませないために、
「ひどく荒らしてありますな」
「子供たちが
吉弥は自分はもう大人の部に入っているような口をききます。
「ところで、内密に伺いますが||」
「何だ」
吉弥は平次の物々しい顔色を読んで、
「お江野様は、若様にどのようになさいます||こんな事をお訊ねするのは、失礼でございますが」
「お江野か。||良い人だよ、たいそう親切にしてくれるし」
「それからお妹のお鳥さんは?」
「あれは面白い女だ、まるで芸人のようで」
吉弥は何やら思い出し笑いをしているのです。
「御用人は?」
「佐久間は若年寄だよ。||年はまだ若いくせに、物忘れがひどいし、老人のように引っ込み思案だから、私は若年寄と
「外に?」
「若党の三次、爺やの熊吉、それから
「有難うございます」
平次はていねいに礼を言って、奉公人の部屋へ下がりました。若党の三次は二十七八のちょっと良い男。||頭の空っぽな美男によくある、
門を出ると、
「八、関口の子分衆と、下っ引を五六人集めて、あのお妾姉妹と、奉公人達の身許をすっかり洗ってくれ。
平次は八五郎に言い付けました。
「親分は?」
「俺はもう一度大滝へ行ってみる。あの辺に大八車か何かあればしめたものだが」
平次のこの予想は見事はずれました。八五郎に別れて大滝へ引返した平次、その辺を
その日は八方に飛ばした下っ引の報告を待って、
「親分ッ」
表の格子戸を押し倒して、八五郎が飛込んで来たのは、
「八、帰って来たか」
手を取って引上げぬばかり、後ではさすがにはしたないと気が付いたか、女房のお静が持って来た
「驚いたの、驚かねえの||」
「どうした、八。無事だったのか」
「無事は無事だが、驚きましたよ、親分」
「関口の太助を殺した相手だ。油断をするととんだことになる。出かける前に、お前によく言い含めておくんだったよ。でも間違いがなくて何よりだ。どんな事があったんだ。事詳しく話してみろ」
「あの手紙の通り、正
「何が?」
「大きな男、黒い
「············」
「相手は人をなめた野郎で、先に立って気取った
「馬鹿だなア」
「覆面を
「誰だ、そいつは?」
「
「フーム」
「それから取っ組み合いが始まったが、恐ろしく強い野郎で、その上
「お前が落ちたのか」
「正にあっしで。相手は坂の上で笑っていましたよ」
八五郎はさんざんの
関口の太助の子分と、平次の子分たちに調べさした神津家のいろいろの事が、次第に手元に集まって来ました。
それによると、神津右京は召使のお江野を
お江野は下賤に育った女ですが、心掛けはともかく不思議に賢い
妹のお鳥は、もと見世物小屋にもいたことがあり、一度は亭主も持ったそうですが、喧嘩別れをして姉のところへ転げ込んだほどで愛嬌もあり人付きは
吉弥は十四にしては出来過ぎたほう。弟の京之助は五つで何にもわからず、若党の三次は房州の者で、おしゃれで、金遣いの荒い渡り者。爺やの熊吉は
これだけ判ると、何の変哲もない調べの中から、平次は何やら呑込んだ節があるらしく、一人でうなずいて事件の発展を待っておりました。
事件の発展||それは思いも寄らぬ形で、その翌る日は江戸中を驚かしておりました。
「親分」
飛込んで来たガラッ八。
「また大騒ぎが始まったろう、今度は何だ」
「神津の若様が
「何?」
平次も思わず
「昨夜宵のうちに脱け出したっきり、今朝になっても帰って来ねえ」
「二千両に釣られたんじゃないか」
「あっしもすぐそう思いましたよ。あの
「フーム」
平次も
「気の毒なのは神津の殿様と、お江野とかいうお妾だ。邸の中は言うに及ばず、
「俺にも判らないよ、待て待て。||少し考えてみる」
平次は高々と腕を
その晩正
ほんの煙草の二三服ほど待つと、眼の前の月明りの中に、ヌッと立った者があります。頭の大きな黒装束、見事な恰好。
「············」
黙って小手招ぎすると、平次は心得てそれに従いました。
「二千両の小判はこの井戸の中にあるよ||夜じゃ見えない、
ピーンと金属性の響を持った不思議な声です。曲者はそう言いながら、用意したらしい手燭と火打道具を
平次、何のこだわる色もなく、ズカズカと進んで、落着き払った態度で
「灯があればよく見える。千両箱が二つ、水の中にあるよ。ヒ、ヒ、ヒ、ヒ、ヒ」
平次はその不気味な笑いを背に聴いて、手燭を取って井戸に近づきました。
チラリと灯先が曲者の顔のあたりを照らします。黒い覆面から漏れたのは、鉛色の濁った皮膚、
次の瞬間、平次は手燭を持ったまま、井戸の上へ乗り出しておりました。深い深い井戸、石を畳み上げて、
「あーッ」
無意識に乗っていた板を後ろからサッと引かれて、平次の身体は真っ逆さまに井戸の中へ||。
「ヒ、ヒ、ヒ、ヒ、ヒ」
曲者||彦徳の源太は、かねて用意したらしい竹竿を手に取って、井戸の上から覗きました。中の平次が
が、しかし、不思議な事に平次は這い上がる様子もなく、第一、落ちた時、水音も立てなかったのは何とした事でしょう。
「?」
上から、竹竿を構えてそっと差しのぞく曲者。
「野郎ッ、御用だぞッ」
その後ろからむずと組付いたのは、ガラッ八の八五郎でなくて誰であるものでしょう。
「八、逃すなッ」
井戸の中から
「
その
「畜生ッ」
飛び付く八五郎。
「八、もういい。あの頭と足を見たろう。||相手の素姓は判っている」
平次はいきなり神津邸の裏門へ廻ると、
寝ぼけ顔を出した熊吉を叱り飛ばして、屋敷に飛込んだ平次と八五郎、おどろき騒ぐ家人を尻眼に、寝巻のまま飛び起きて来た主人神津右京の袖を
「早く
平次の息は弾みました。
「何を申す」
神津右京、何が何やら判りませんが、平次の気組みの激しさに釣られて、お鳥の部屋へ案内する外はなかったのです。
「八、よいか」
「馬鹿ッ、何をする。姉も京之助も破滅だぞッ」
「えッ」
おどろく拳へ、平次の手から投げ銭が二枚、三枚つづけざまに飛びました。
ひるむところへ飛込んだ八五郎が、吉弥の身体をむしり取るのと、平次が怪人を押えるのと一緒だったことは言うまでもありません。
*
事件はその晩のうちに片付きました。
御用金の二千両はお鳥の部屋から発見され、お鳥は
この騒ぎのうちに、妾のお江野は
もっとも、この陰謀を企んだのは、右京が京之助を自分の本当の子でないと
「矢の根五郎吉はなんにも知らなかったわけさ。||さいしょ関口の太助の死骸の縄の結び目に、女の癖があった時から俺はお江野お鳥姉妹を疑い始めたよ。縄の下に
平次は八五郎のためにこう説明してくれるのでした。