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おのれにも飽きた姿や破芭蕉
香以山人の句である。江戸の富豪或日わたくしは台処の流しで一人米をとぎながら、ふと
時節は十一月のはじめ、小春の日かげに八ツ手の花はきら/\と輝き
わたくしも既に久しくおのれの生涯には飽果てゝゐる。日々の感懐には或は香以のそれに似たものがあるかも知れない。然しわたくしには破芭蕉の大きくゆるやかに自滅の覚悟を暗示するやうな態度は、まだなか/\学ばれて居さうにも思はれない。ぼろ
わたくしは南京米をごし/\とぎながら、無花果の枯葉を眺め、飽き果てし身に似たりけり······と口ずさんだが、後の五字に行詰つてそのまゝ止してしまつた。
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赤坂氷川神社の樹木の茂つた崖下に寺がある。墓地に六文銭の紋章を刻んだ大名の墓がいくつも倒れてゐる寺である。
本堂の前の庭に大きな芭蕉の、きばんだ葉の垂れさがつた下に白い野菊の花が咲きみだれ、真赤な葉


枯葉のことを思ふと、冬枯した蘆荻の果てしなく、目のとゞくかぎり立ちつゞいた、寂しい河の景色が目に浮んでくる。
鐘ヶ淵のあたりであつた。冬空のさむ
蘆の枯葉蘆の枯茎
蘆の枯穂ももろともに
そよげる中の水たまり
短き日あし傾きて
早や立ちこむる夕霞
遠き眺のけぶれるに
水のたまりに黄昏の
名残の空のたゞよへる
鏡のおもに星一ツ
宵の明星唯一ツ
影あざやかに輝きぬ。
風さつと袂を吹く時
見渡す枯蘆俄にさわぎ
眠りし小鳥も飛立つに
よどみし水に明星の
影は動かず冴え行きぬ。
さびしさ悲しさ騒しさ
その底に一つ動かぬ星の影。
わかき人は望の光
平和の光と見もやせむ。
されどわれ既に幾たびか
まどはしの影を追ひけん。
今われ望みを抱かざれば
また幻のかげを見ず。
吹け、吹けよ、夕風。
蘆の枯葉枯茎枯穂を吹け。
枯れしもの色なきもの
死せしもの皆一さいに
驚きさわぐ響にまぎれ
われはひとり泣かむとす。
暮れ行く河原の
冷き石の上に。
○蘆の枯穂ももろともに
そよげる中の水たまり
短き日あし傾きて
早や立ちこむる夕霞
遠き眺のけぶれるに
水のたまりに黄昏の
名残の空のたゞよへる
鏡のおもに星一ツ
宵の明星唯一ツ
影あざやかに輝きぬ。
風さつと袂を吹く時
見渡す枯蘆俄にさわぎ
眠りし小鳥も飛立つに
よどみし水に明星の
影は動かず冴え行きぬ。
さびしさ悲しさ騒しさ
その底に一つ動かぬ星の影。
わかき人は望の光
平和の光と見もやせむ。
されどわれ既に幾たびか
まどはしの影を追ひけん。
今われ望みを抱かざれば
また幻のかげを見ず。
吹け、吹けよ、夕風。
蘆の枯葉枯茎枯穂を吹け。
枯れしもの色なきもの
死せしもの皆一さいに
驚きさわぐ響にまぎれ
われはひとり泣かむとす。
暮れ行く河原の
冷き石の上に。
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古本を買つたり、虫干をしたりする時、本の間に銀杏や朝顔の葉のはさんだまゝに枯れてゐるのを見ることがある。いかなる人がいかなる時、蔵書を愛するの余りになしたことか。その人は世を去り、その書は転々として知らぬ人の手より、また更に知らぬ世の、知らぬ人の手に渡つて行く。紙魚を防ぐ銀杏の葉、朝顔の葉は枯れ干されて、紙魚と共に紙よりも軽く、窓の風に飜つて行くところを知らない。
〔一九四六(昭和二一)年九月五日、筑摩書房『来訪者』〕