朝霧がうすらいでくる。庭の
槐からかすかに日光がもれる。
主人は
巻きたばこをくゆらしながら、
障子をあけ
放して庭をながめている。
槐の下の大きな
水鉢には、すいれんが
水面にすきまもないくらい、
丸い
葉を
浮けて花が一
輪咲いてる。うす
紅というよりは、そのうす
紅色が、いっそう
細かに
溶解して、ただうすら赤いにおいといったような
淡あわしい花である。主人は、花に見とれてうつつなくながめいっている。
庭の
木戸をおして
細君が顔をだした。細君は
年三十五、六、色の
浅黒い、顔がまえのしっかりとした、気むつかしそうな人である。
「ねいあなた、
大島の
若衆が
乳しぼりをつれてきてくれましたがね」
こういって、
細君は庭にはいってくる。
主人はゆるやかに細君に目をくれたが、たちまちけわしい声でどなった。
「そんなひよりげたで庭へはいっちゃいかん、雨あがりの庭をふみくずしてしまうじゃないか。どうも
無作法なやつじゃなあ、こら、いかんというに
······」
主人のどなりと細君の足とはほとんど
並行したので、主人は
舌うちして細君をながめたが、細君は、主人の
小言に顔の色も
動かさず、あえてまたいいわけもいわない。ただにわかに足をうかすようなあるきかたをして
縁先へきてしまった。
げたのあとは、ずいぶん目だって庭に
傷つけたけれど、主人はふたたび
小言はいわなかった。主人は、
平生自分の
神経過敏から、らちもないことに
腹をたてることを、自分の
損だと考えてる人である。いま細君にたいする
小言のしりを
結ばずにしまったことを、ふとおのれに
勝ちえたように思いついて、すいれんのことも
忘れ、庭を
損じたことも忘れて、
笑顔を細君にむけた。
細君は
下女をよんで、自分のひよりげたを
駒げたにとりかえさして、
縁端へ
腰をかけた。そうしてげたのあとを
消してくれ、と下女に
命じた。
細君は、主人からある
場合になにほどどなられても、たいていのことでは
腹をたてたり、
反抗したりせぬ。それはあながち
主人の
小言になれたからというのでもなく、主人を
恐れないからというのでもない。細君は主人の小言を
根のある小言か根のない小言かを、よく
直覚的に
判断して、根のない小言と思ったときは、なんといわれたってけっして主人にさからうようなことはせぬ。
主人は細君をそれほど
重んじてはいないが、ただ
以上の
点をおおいに
敬している。
「おまえは、とくな
性だ」
とほめてる。細君も笑って、
「とくな
性ではありませんよ、はじめから
損をあきらめてるから、とくのように見えるのでしょう」という。
世間には、ちょっとしたはずみで
夫から
打たれても、それをいっこう心にもとめず、打たれたあとからすぐ夫と
仲よく話をする女がいくらもあるから、これは
女性の
特有性かもしれぬ。
妻などはそれをすこしうまく
発達したものであろうと、主人は考えている。
そう考えてみると、自分が妻にたいしてわずかのことに大声たててどなるのは、いささかきまりがわるくなる。それで
近来主人は、ある
場合にどなることはどなっても、きょうのようにしりを
結ばぬことがおおいのだ。
乳しぼりというのは、五十ばかりの
赤ら
顔な、がんじょうな、人に
会ってもただ頭をたてにすこし動かすだけで、めったに口をきかない。それでどうかすると大きな
茶目を見はって人を見る。たいていの女であったら、
気味わるがって顔をそむけそうな、すこぶる
人好きのわるい男だ。
つれてきた
若衆の話によると、
乳しぼりは
非常にじょうずで朝おきるにも、とけいさえまかしておけば、一年にも二年にも
一朝時間をたがえるようなことはない。ただすこし頭の
調子が人なみでないから、どうもこれまで一か
所に長くいられなかったが、ご
主人のほうで、すこしその
気質をのみこんでいて使ってくだされば、それはそれはりっぱな乳しぼりだ、こちらのだんなならきっとうまく使ってくださるにちがいない、
本人もそういってあがったというのであった。
細君は、こうひととおり話しおわってから、
「わたしはどうも、あまり
好ましくないけれど、
乳しぼりもなくてはじつにこまるから、おいてみましょうねえ」
とつけくわえた。主人も聞いてみると、すこしはうわさに聞いたことのある、
花前という男だ。
変人で手におえないとも、じつはかわいそうな人間だともいわれて、
府下の
牛乳屋をわたっていた
乳しぼりである。主人はしばらく考えたのち、
「それはうわさに聞いたことのある
変人の
乳しぼりだ。朝おきるのがたしかで乳しぼりがじょうずなら、使ってみようじゃねいか。うまくいかぬことがあったら、それはそのときのこととして、とにかくおいてみるさ」
細君も
不安なりに
同意して、その乳しぼりをおいてやることになった。
牛舎のほうでは
親牛と
子牛とを
引き
分けて
運動場にだしたから、親牛も子牛もともによびあって
鳴いてる。二、三日ぶり
外へだされた
乳牛は、よろこんでしきりに運動場をとびまわる。
洗濯物に気をとられてる細君の目には、雨あがりのうるおった庭のおもむきも、すいれんのうるわしい花もいっこう問題にはならない。
「それじゃそう」
との一
言をのこして、また
木戸から細君はでていった。
昼乳をしぼる
刻限になった。女が
若衆をおこす。細君は
花前にひととおりのさしずをしてくださいというてきた。ほかのふたりの
若いものは運動場の
乳牛を入れにかかる。はり
板をふみたてる牛の足音がバタバタ
混合して聞こえる。主人も
牛舎へでた。
乳牛はそれぞれ
馬塞にはいって、ひとりは
掃除にかかる、ひとりは
飼い
葉にかかる。主人はここではじめて花前に
会った。
五十になってもしりのおちつかない、
落ちぶれはてた花前は、さだめてそぼろなふうをしているかと思いのほか、
髪をみじかく
刈り、ひげをきれいにそって、ズボンにチョッキもややあかぬけのしたのを
着てる。白いシャツをひじまでまくり、
天竺もめんのまっ白い
前掛けして、かいがいしい
身ごしらえだ。
主人はまずそれがおおいに気持ちよかった。花前は主人に
対しても、ただ
例のごとくちょっと頭をさげたばかりである。かえって主人のほうからしたしくことばをかけた。
「
花前、おまえのうわさはちょいちょい
聞いていたよ、こんどよくきてくれた、なにぶん
頼むぞ」
花前は、はいともいわない、わずかに目であいさつしてる。主人は家の
習慣とだいたいの
順序とをつげて、これだけの
仕事はおまえにまかせるからと
命じた。
花前は、耳で
合点したともいうべきふうをして
仕事にかかる。
片手にしぼりバケツと
腰掛けとを持ち、
片手に
乳房を
洗うべき
湯をくんで、じきにしぼりにかかる。花前もここでは、
「どれとどれをしぼるのですか」
と主人に聞いた。
主人はこれとこれとと、つぎつぎ
数えてつごう十
余頭が
乳のでるのだ。それからこの
西側から三つめの黒白まだらが足をあげるから、
飼い
葉をやっておいて、しぼらねばいかぬとつげる。花前はそういう下から、すぐはじめの赤牛からしぼりにかかった。花前の乳しぼる
姿勢ははなはだ気にいった。
左の足を
乳牛の
胸あたりまでさし入れ、かぎの手に
折った右足のひざにバケツを持たせて、
肩を
乳牛のわき
腹につけ、手も動かずからだも動かず、
乳汁は
滝のようにバケツにほとばしる。五分間ばかりで四
升あまりの乳をしぼった。しぼった
乳は、高くもりあがったあわが雪のように白く、毛のさきほどのほこりもない。主人はおぼえずみごとな
腕前だと
嘆称した。
乳を
受け
取って
濾しにかけた細君も、きれの上にほこりがないのにおどろいて、
「なるほど、花前はしぼるのがじょうずだ」
と主人のところへ顔をだしてほめる。
花前は
色も動きはしない。もとより一
言ものをいうのでない。
主人や
細君とはなんらの
交渉もないふうで、つぎの黒白まだらの牛にかかった。主人は
兼吉をよんで、いましぼるからこの牛に
飼い
葉をやれと
命じた。
花前はしぼりバケツを左に持ちながら、右手で
乳牛の
肩のへんをなでて、バアバアとやさしく二、三
度声をかける。
乳牛はすこしがたがた四
肢を動かしたが、飼い葉をえて一
心に
食いはじめる。花前は、いささか
戒心の
態度をとってしぼりはじめた。じゅうぶん
心得ている花前は、なんの
苦もなくはね牛の乳をしぼってしまった。主人は
安心すると
同時に、つくづく花前の
容貌風采を
注視して、一種の感じを
禁じえなかった。
その
毅然として、なにかかたく信ずるところあるがごとき花前は、その
技においてもじつに
神に
達している。しかるにもかかわらず、人に使われてるのみならず、おちついて使われている主人をすらえられないかと思うと、そこに
大なる
矛盾を思わぬわけにいかない。
見るところ、花前は、ほとんど口をきく
必要のないまで、自分の思うとおりを
直行するほか、なんの考えるところもないらしい。こう思うと、われわれの
平生は、ただ
方便を
主とすることばかりおおくて、かえってこの花前に
気恥ずかしいような感じもする。
花前はかえって人のいつわりおおきにあきれて、ほとんど
世人を
眼中におかなく、
心中に自分らをまで
侮蔑しつくしてるのじゃないかとも思われる。さりとてまた、五十になる
身を人にたくして、とんと人と
交渉しえない、世にもあわれな人間とも思われる。
主人が
妄想に
落ちて、いたずらに立てるあいだに、花前は二
頭三頭とちゃくちゃくしぼり
進む。かれは
毅然たる
態度でそのなすべきことをなしつつある。花前は一
面あわれむべき人間には
相違ないが、主人も花前を見るにつけ、みずからかえりみると、
確信なきわが生活の、
精神上にその
日暮らしである
恥ずかしさをうち消すことができなかった。
「だんな、
くそがはねますよ、すこしどうかこっちへきてください」
そういう
兼吉は、もはや
飼い
葉をすませて、おぼれ
板の
掃除にかかったのだ。うまやぼうきに力を入れ、
糞尿相混じた
汚物を下へ下へとはきおろしてきたのである。
「
湯が
煮たったから、ふすまをかいておくれ、
兼吉」
流し
場から細君の声で兼吉はほうきをおいて走っていく。五郎はまぐさをいっせいに乳牛にふりまく。十七、八頭の乳牛は一
時に
騒然として草をあらそいはむ。そのあいだにも花前はすこしでも、わが
行為の
緊張をゆるめない。やがて主人は
奥に
客があるというので
牛舎をでた。
その夜の
晩餐のときに、細君はそろそろこぼしはじめた。
「ねいあなた、人なみでないっち話ではあったけれど、よほど人なみでないようですねい、主人からものをいわれても、なるべくは
返事もしたくないというふうですからねえ、あれでどうでしょうかねえ」
「うむ、
変人だと
承知でおいてみるのだから、いまからこぼすのはまだ早い、とにかく十
日か二十日も使ってみんことにはわかりゃせんじゃないか」
「そりゃそうですけれど」
「えいさ、
変人のなりがわかりさえすりゃ、その変人なりに使ってやる道があるだろう」
話もそれでおわりになったが、
主人はこの
花前のことについて考えることに
興味を
持ってきた。その夜もいろいろと考えた。
かれははじめから変人ではなかったろう。かれがあんなになるについては、かならず
容易ならぬ
経歴があったにちがいない。それがわかれば、いっそうかれが
今日の
状態に
興味がふかいだろうけれど、わからぬものはしかたがないとして、きょう見ただけでもかれは
興味ある変人だ。かれが顔色とかれが
風采とに見るもかれがはじめから
狂愚でないことはわかる。
かれが
行動の
確信あるがごとくにして、その
確信の
底がぬけているところ、かれが変人たるゆえんではあるが、しかしながらかれは
確信という
自覚があるかどうか、確信の自覚がないのに底ぬけを気づくべきはずのないのはあたりまえだ。おそらくかれには確信という
意識はないにちがいない。確信も意識もないにしても、かれの
実行動は
緊張した精神をもって
毅然直行している。その
脈絡のていどや
統一の
範囲は、もうすこしたってみねばわからぬが、とにかく一
部の
脈絡と
統一とはじゅうぶんみとめることができる。みょうな変人があったものだ。
なにひとつ人にすぐれたことのない
人間からみると、ああいう人間のほうがたしかにおもしろい。あまりよく
他と
調和する人間にろくなやつはないけれど、そのろくでもないやつのほうが、この世の中ではたいてい
幸福であるのがおかしい。
自分と
花前とをくらべて考えるとおもしろい
対照ができる。われわれは問題の大小を
識別して、いつでも小問題をごまかしているが、花前は問題の大小などいう考えがはじめからなくて、なにごともごまかすことが
絶対にできない。であるからわれわれは、近い
左右前後はいつでもあいまいであるけれど、遠い前後と
広い
周囲には、やや
脈絡と
統一がある。花前になると、それが
反対になって、近い
左右前後はいつでも
明瞭であって、遠い前後や広い
周囲はまるで
暗やみである。
まずちょっとこんなふうに
差別されるようだが、近い周囲をあいまいにして
世に
処するということが、けっしてほこるべきことではなかろう。
結局主人は、花前に
学ぶところがおおいなと考えた。
そのよく朝であった。
細君はたばこ
盆に長いきせるを持ちそえて、主人の
居間にはいってきた。
「花前は
保証人があるでしょうか、なんでも
大島の
若衆の話では、
親類も
身内もないひとりものだということですから、保証人はないかもしれませんよ」
「うむ」
「
金銭に
関係しないから、そのほうはなんですけれど、病気にでもかかったらこまりゃしませんかねえ」
「そうさな、
保証人のあるにましたことはないが
······じゃちょっと
花前をよんでみろ」
細君は
下女に
命じて花前をよばせる。まもなくかれはズボンチョッキのこざっぱりしたふうで
唐紙の
外へすわった。
例のごとく
軽く
黙礼しただけで、もとよりものをいわずよそ見をしている。花前の顔色には
不安もなければ
安心もない。主人は
無意職に色をやわらげてことば
軽く、
「花前、おまえ
保証人はあるかね」
「ありません」
花前は、よどみなく
決然と答えて
平気でいる。話のしりを
結ばないことになれてる主人も、ただありませんと聞いたばかりではこまった。なみのものであれば、すぐにそれでおまえどうする気かと
問いかえすにきまってるけれど、
変人をみとめている花前にそういってもしかたがないから、
「うん、そうか」
といったまま、しばらく
黙している。細君はじれ
気味に、
「おまえずいぶん長いあいだ東京にいるというに、
懇意の人もないのかね」
花前はちょっと目を細君にむけたが、くちびるは動かない。これは細君の
問いがおかしいのだ。変人でとおった人間に
懇意な人があるかでもあるまい。主人はしかたがなく、
「まあえいや、そんなことあとの話にしよう、えいや花前」
「保証人がなくていけなければ
帰ります」
「いや、帰られてはこまる、えいから花前やってくれや、じゃこうしよう、おれが保証人になることにしよう、だからやってくれや」
細君は、目をぱちつかせて主人の顔を見る。
主人は目で細君を
制す。
勝手で子どもが
泣きたったので細君は
去った。花前もつづいて立ちかけたのをふたたび
座になおって、
「この国で
生まれた人間ですから、つまりはこの国のやっかいになってもしかたありません」
主人はきっと花前を見おろした。
果然、花前にはなにか
信念があるなと思った。それでさらにおだやかに、
「そうだとも、それでおまえの
精神はわかった、それで、おれがおまえの保証人になるから、おまえ安心してやってくれ、まだ
昼乳までにはすこし
休むまがあるから休んでくれ」
こういわれて花前は、それに
答うることばなく立った。花前は保証人になる人がないのではないらしい。自分のようなものは、いよいよ働けなくなれば、
個人が
世話するよりは
国家が世話すべきだと思ってるらしい。それならば考えのすじはたっていると主人は思った。主人はうしろ
姿を
見送って、この変人いよいよおもしろいなと思った。
それから五、六日たった。花前の働きぶりはほとんど
水車の
回転とちがわない。
時間の
順序といい、
仕事の
進行といい、いかにも
機械的である。
余分なことはすこしもしないかわりに、なすべきことはちょっとのゆるみもない。細君はやや安心して、
結局よい乳しぼりだと思った。
ところが
花前の
評判は、
若衆のほうからも
台所のほうからもさかんにおこった。花前は、いままでに一
度もふたりの
朋輩と口をきかない。自分は一
分もちがわず時間どおりにおきるが、けっして
朋輩をおこさない。それでいまだに一度も
笑ったこともない。したがって人がどんなことしようと、それにいっこう
頓着もせぬ。自分は自分だけのことをして、さっさとあがってしまう。
そうかといって、花前さんちょっとこれこれしてくれといえば、それにさからいもしない。自分のからだにだけは
非常に
潔癖であって、シャツとか
前掛けとかいうものは毎日
洗っている。
主人は笑って、それだけのことならばしごくけっこうじゃないかという。
台所のうわさはまたおもしろい。
下女はだいいちに花前さんはえい人だという。
変人だといってばかにするのはかわいそうだという。ご
飯だといわなければ、けっして
食いにこない。
一日二日まえ、下女がうっかりしてよぶのを
忘れたら、ついに
飯を
食いにこなかった。
若衆はすましたことと思ってさそわなかったとか。下女が夜おそくふと気づいて、聞きにいったら、まだ食わなかったそうで、それから食いにきた。
下女はとんだことをしたと
悔やんでいた。花前が
食事も
水車的でいつもおなじような
順序をとる。自分のときめた
飯椀と
汁椀とは、かならず
番ごと自分で洗って飯を
食べる。白いふきんと
象牙のはしとをだいじに持っておって、それは人に手をつけさせない。この
象牙のはしにはだれもおどろいてる。ややたいらめな
質のもっとも
優等な
象牙で、
金蒔絵がしてある。
細君などは見たこともないものだといっている。下女の話によると、下女が花前さんのおはしはじつにりっぱなものですねえ、なにかいわくのありそうなはしじゃありませんかというと、
しろりと笑うそうだ。
下女は花前さんを笑わせるにゃ、はしをほめるにかぎるといって笑っている。
しかし細君や子どもたちは、
変人とはいえ、花前がいかにもきちんとした顔をしているので、いたずら
半分にはしのことを
問うてみるようなことは
得しない。細君はどういうものか、いまだに花前を
気味わるくばかり思って、かわいそうという
心持ちになれぬらしい。
主人は
以上の話を
総合してみて、
残酷な
悲惨な
印象を自分の
脳裏に
禁じえない。
精神病者に
相違ないけれど、
花前が人間ちゅうの
廃物でないことは、
畜牛いっさいのことを
弁じて、ほとんどさしつかえなきのみならず、ある
点には、なみの人のおよばぬことをしている。いつかのように、この国で
生まれた人間ですからというような
調子に、
人世上のことになんらか考えてやしまいか。
人世問題になんらかの考えがあって、いまの
境遇にありとせば、いよいよ
悲惨な
運命である。
こう考える主人は、ときどきそれとなく
奥へ
招いで
茶菓などをあたえ、
種々会話をこころみるけれど、かれが
心面になんらのひびきを見いだしえない。なにを
問うても、かれは、はあというきりで、なんらの
語もつづらない。主人は
百方意をつくして、この国で生まれた人間ですからというような
糸口を引きだそうとこころみたが、いつでも
失敗におわった。かれは主人に
対したときにも、ときをきらわず立ってしまう。
あるときはその
象牙のはしから話しかけてみると、なるほど下女のいうごとく、かれががんじょうな顔に
しろりと
笑いを
動かした。しかしこれも
笑うたきりで、それ
以上には、なんの話もせぬ。
依然たる前後の
暗黒であった。
そのように花前は、
絶対にほかに
交渉しえないけれど、
周囲はしだいにその
変人をのみこみ、変人になれて、
石塊を
綿につつんだごとく、
無交渉なりに
交渉ができている。かくて
数月をぶじにすごした。
人との交渉には、
感情絶無な花前も、ふしぎと牛はだいじにする。
愛してだいじにするのか、運動の
習慣でだいじにするのか、いささか
分明を
欠くのだが、とにかく牛をだいじにすることはひととおりでない。それに
規則的にしかも
仕事は
熟練してるから、
花前がきてから二か月にして、
牛舎は一
変した
観がある、
主人はもはやじゅうぶんに花前の変人なりをのみこんでるから、すべてつごうよくはこぶのであった。
水車の運動はことなき
平生には、きわめて
円滑にゆくけれど、なにかすこしでも
輪の
回転にふれるものがあると、いささかの
故障が
全部の働きをやぶるのである。
主人は
読書にあいて庭に運動した。秋草もまったく
朽ちつくして、わずかに
けいとうと
野菊の花がのこっているばかりである。主人は
熱した頭を
冷気にさらしてしばらくたたずんでおった。
露霜に
痛められて、さびにさびたのこりの草花に、いいがたきあわれを感じて、主人はなんとなし
悲しくなった。
こういうときには、みょうにものに
驚きやすい、主人は耳をそばだてて、
牛舎に
荒あらしきののしりの声を聞きつけた。やがて
細君も
木戸へ顔をだして、きてくれという。いってみると、
兼吉と
五郎がふたりして、花前を
引きたてて
牛舎からでるところであった。
花前は、ややもすればふたりをはらいのけようとする。ふたりは、ひっしと花前の両手を
片手ずつとらえて
離さない。ふたりはとうとう花前を主人のまえに引きすえて
訴える。
兼吉は、
「わし、この気ちがいに
打たれました、なぐり
返そうと思っても、ひとりではとてもこの
野郎にかないません、
五郎さんがおさえてくれなきゃ
······わし、こんな気ちがいといっしょにいるのはいやですから、ひまをいただきます」
「この
若いものが、牛をたたいたから打ちました」
「わし、牛を打ったのではありません
······」
主人は、まあまあとことばしずかにふたりを
制した。秋のゆくというさびしいこのごろ、
無分別な若ものと気ちがいとのあらそいである。主人はおぼえず
身ぶるいをした。
花前は
平然たるもので、
「牛をたたくという
法はない」
こう
語勢強くいったきり、ふたたび口を
開かぬ。ふたりはしきりに気ちがいなどに打たれたりなんかされて、とてもいられないとわめく。
話をまとめてみると、
兼吉が
尿板のうしろを
通ろうとすると、一
頭の牛がうしろへさがって立ってるので通れないから、ただ
平手で
軽く牛のしりを打ったまでなのを、牛をだいじにする花前は、兼吉がらんぼうに牛をたたいたとおこったらしい。それで
例の
無言で、
不意にうしろから兼吉にげんこをくれた。
兼吉は、
腕力では花前によりつけないから、五郎に
加勢を
頼んだのだ。
事実は兼吉が牛をたたいたのかもしれないが、ふたりのいい
状はそうであった。ふたりに
同時に
去られてもこまるから、主人はふたりを
庭へつれこんだ。
「そうだ
······気ちがいだから、おれに
免じておまえたちもがまんしてくれ、おれがあやまり
賃はだすから、花前も気ちがいながら、牛をだいじにしてからの思いちがいであってみるとかわいそうなところがある、だからおれがあやまる、これからおまえたちはふたりで
仲間になっていて、
花前は
相手にせぬようにしていたらえいじゃないか、これで一ぱいやってがまんしてくれるさ、えいか」
兼吉も
五郎も主人に、おれがあやまるからといわれては口はあけない。
酒代一
枚でかれらはむぞうさにきげんを
直した。水車の
回転も
止めずにすんだ。
生業ということにかかわっていれば、らちもないことにも
怖じ
驚くばかばかしさを主人はふかく感じた。
細君もでてきて、
「わたしほんとにおどろきました、あのけたたましい声ったらないですもの、気ちがいがどんなことをしたかと思って
······ああそうでしたか、まあよかった、それにしても花前はなんだかわたし、
気味がわるくて
······」
主人は細君のことばを
打ち
消して、
「花前の気ちがいぶりもわかってるのだから、すこしも
気味のわるいことはないよ、こんどのことはどっちがどうだかわかりゃしない、
乳しぼりが牛をだいじにするというのだから、たとえまちがっても
憎くはないじゃないか」
細君は、
「そりゃそうですがねい」
とまだふにおちかねたが、主人は、
「あんなに
いかいかしいふうをしておっても、しりのぬけてるのが、かわいそうに見えないか、ふびんをかけてやれ」
というのであった。細君の
去ったあとで、主人は、おもしろいということのない花前がおこったというのはおかしいなと考えたけれど、その
理由は
解釈がつかなかった。
はじめて
花前に笑わせた
下女は、おせっかいにも花前にぜひ
象牙のはしの話をさせるといって、いろいろしんせつに
世語をしたり、話をしかけたりしたけれど、しろりと
笑わせるのが
精一ぱいで、それ
以上にはなにごとをもえられなかった。もう
根がつきたと下女は笑ってる。
かくて
水車はますますぶじに
回転しいくうち、
意外な
滑稽劇が一
家を笑わせ、
石塊のごとき花前も
漸次にこの家になずんでくる。
ある日、主人のるすの日であった。
警視庁の
技師が、ふいに
牛舎の
検分にきた。いきなり牛舎のまえに車にのりこんできて、すこぶる
権柄に主人はいるかとどなった。
兼吉と
五郎は
洗いものをしている。
花前が
例の
毅然たる
態度で
技師先生のまえにでた。技師はむろん主人と見たので、いささかていねいに用むきを
談ずる。
花前はときどき
頭を動かすだけで一
言もものをいわない。技師先生
心中非常に
激高、なお二言三言、いっそう
権柄に
命令したけれど、花前のことだから
冷然として
相手にならない。技師は
激しているから花前の花前たるところにいっこう気がつかない。技師はたまりかねたか、ここでは話ができないといって
玄関へまわった。あらたまってその
無礼を
詰責するつもりであったらしい。
玄関では
細君がでて、ねんごろに主人の
不在なことをいうて、たばこ
盆などをだした。技師もここで花前の花前たることを聞き、おおいにきまりわるくなって、むつかしい顔のしまつに
究したまま
逃げ
去った。夜、主人が帰ってから一
家くずるるばかり大笑いをやった。
兼吉と
五郎は、かわりがわり技師と花前との
身ぶりをやって人を笑わせた。細君が花前を
気味わるがるのも、まったくそのころから
消えた。
年が
暮れて春がき、夏がきてまた秋がきた。
花前もここに
早一年おってしまった。この
間、花前の一
身上には、なんらの
変化もみとめえなかった。ただ
考え
性な主人の頭には、花前のように、きのうときょうとの
連絡もなく、もちろんきょうとあすとの連絡もない。まして一年とかひと月とかいう時間の
意味のありようもなく、かれは
生きるために
働くのでなく、生きているから働くというような生活、きょうというほかに時間の考えはなく、自分というほかに
人生の考えはない。いやきょうということも自分ということも
意識していやしない。
してみると、かれに
義務責任などいう考えのありようもなければ、きゅうくつも心配も不安もないわけだ。明るいところに
魔の
住まないごとく、花前のような生活には
虚偽罪悪などいうものの
宿りようがない。
大悟徹底というのがそれか。
絶対的安心というのがそれか。むかしは、
宰相を
辞して人のために
園にそそいだという話があるが、花前はそれに
比すべき感がある。
主人はまたこう考えた。かえりみて自分の生活をみると、じつになさけないとらわれの
身である。わずかに手を
動かすにも足を動かすにも、あとさきを考えねばならぬ。かりそめにものをいうにも、人の
顔色を見ねばならぬ。
前後左右に
係累者はまといついてる。なにをひとつするにも、自分のみを
標準として動くことはできぬ。とうてい
社会組織上の一
分子であるから、いかなる
場合にも
絶対単独の
行動はゆるされない。
それでつまりよいかげんなことばかりをやって、まにあわせのことばかりいっておらねばならぬ。それというのも、
義務とか
責任とかいうことを、まじめに
正直に考えておったらば、
実際人間の
立つ
瀬はない。手足を
縛して
水中におかれたとなんの
変わるところもない。
このせつない
覊絆を
脱して、すこしでもかってなことをやるとなったらば、人間の
仲間入りもできない
罪悪者とならねばならぬ。考えれば考えるほどばかげているけれども、それをどうすることもできないのがわれわれの
生活状態である。
こう思うと自分がどれだけ
花前に
勝っているか、いよいよわからなくなる。むしろどうか一
度でもよいから花前のような生活がしてみたくなってくる。
要するに、自分を
強く
意識するのがわるいのだ。自分を強く
意識するから、世の中がきゅうくつになる。主人はこんな
結論をこしらえてみたけれど、すぐあとからあやふやになってしまった。自分と花前との
差別はどう考えても、
意識があるのとないのとのほかない。自分に意識がなければ自分はこのままでもすぐ花前になることができるとすれば、花前はけっしてうらやむべきでないのだ。
大悟徹底と花前とは
有と
無との
差である。花前は
大悟徹底の
形であって
心ではなかった。
主人はようやく
結論をえたのであった。主人はこの結論をえたにかかわらず、さらば自分の生活にどれだけの
価値があるかと思うてみて、やはりわけがわからなくなった。花前と
大悟徹底とは、
裏表であるが、自分と大悟徹底とは千葉と東京との
差であるように思われた。
ここ一、二年
水害をまぬがれた庭は、
去年より秋草がさかんである。花のさかりには、まだしばらくまがありそうだ。主人はけさも
朝涼に庭を
散歩する。すいれんの花を見て、去年花前がきたのも秋であったことを思いだす。この日、主人は細君より花前の上について
意外な
消息を聞いた。
花前は、けさ
民子をだいてしばらくあるいておった。細君はもちろん、
若衆をはじめ
下女までいっせいにふしぎがったとの話である。それは
実際ふしぎに
相違ない。これまでの花前にして、子どもをだいてみるなぞは、どうしても
破天荒なできごとといわねばならぬ。
下女の話によると、タアちゃんはこれまでもときどき、花前、花前といって花前のところへいき、花前もタアちゃんの持っていったお
菓子を
食べたようすであったという。主人はこの話を
非常な
興味をもって聞いた。
今後花前の上になんらかの
変化をきたすこともやと思わないわけにはいかなかった。
その
後自分も
注意し家のものの話にも注意してみると、花前はかならず一度ぐらいずつ民子をだいてみる。
民子もますます
花前、花前といってへやへ
遊びにゆく。花前は、ついに自分で
菓子など
買うてきて、民子にやるようになった。ときにはさびしい
笑いようをして、タアちゃんと一
言くらいよぶのであった。そう思って見ると、花前の
毅然とした顔つきが、このごろは、いくらかやわらいできたようにも見える。
若衆の話では、花前は
近ごろ元気がおとろえたようだという。それでもその
水車的運動にはまだすこしも
変わるところはなかった。
それからひと月ばかり花前の
新傾向はさしたる
発展もなく秋もようやく
涼しくなった。
花前の
友人という人が、とつぜんたずねてきて、花前の
身分がようやく明らかになった。
友人というのは、
某会社の
理事安藤某という
名刺をだして、年ごろ四十五、六、
洋服の
風采堂どうとしたる
紳士であった。主人は
懇切に
奥に
招じて、花前の一
身につき、
問いもし
語りもした。
安藤は
話の口があくと、まず自分が一年まえに
会ったときと、きょう会った花前はよほど
変わっている。自分は十
代から花前と
懇意であって、花前にはひとかたならず
世話にもなったが、自分も花前のためにはそうとう
以上につくした。いまのような
境遇になって、だれひとりおとのうてなぐさめるものもないうちに、自分だけはたえず
見舞うておった。
その自分に
対して、
去年会うたときには、
某牛舎に
寝ておって、うん
安藤かといったきり、おきもしなかった。それがきょうは、
意外に自分を見るとうれしそうに立ちあがって、よくきてくれたといった。じつは自分は花前はもうだめとあきらめていたところ、きょうのようすでは
精神の
状態が、たしかにすこしよくなってる。この家へきたときからこのくらいか、あるいはいつごろから
調子がよくなったかと
問うのであった。安藤は
真の花前の
友である。
主人は花前が
近来の
変化のありのままを
語ったのち、
今後あるいは
意外の
回復をみるかもしれぬと注意した。安藤はもちろん
見込みがありさえすれば、すぐにも自分が
引き
取って
治療をこころみんとの
決心を語り、つづいて花前の
不幸なりし十年まえの
経歴を
語った。
花前は
麻布某所に
中等の
牛乳屋をしておった。
畜産熱心家で
見職も高く、
同業間にも
推重されておった。母がひとり子ども三人、
夫婦をあわせて六人の
家族、
妻君というのは、同業者のむすめで花前の
恋女房であった。
地所などもすこしは
所有しておって、六人の家族は
豊かにたのしく生活しておった。
それ
以前から、
安藤は
某学校の
学費まで
補助してもらい、
無二の
親友として
交際しておったのだが、安藤がいまの会社へはいって二年めの春、母なる人がなくなり、つづいて花前の家にはたえまなき
不幸をかさねた。
その秋の
赤痢流行のさい、
親子五人ひとりものこらず
赤痢をやった。とうとう妻と子ども三人とはひと月ばかりのあいだに
死亡し、花前は
病院にあってそれを知らないくらいであった。
そんな
状況であるから、
営業どころの
騒ぎでない。自分が
熱心奔走してようやく
営業は人にゆずりわたした。花前は二か月あまりも病院におっていつまで話さずにおくわけにゆかないから、すべてのことを話すと、
「
破壊しおわった
断片の一
個をのこしてどうするものか、のこったおれだってこまる、のこされた社会もこまるだろう、この一
個の
断片をどうにかしてくれ、おれはどうしてもこの病院をでない」と
絶叫して泣いたけれど
命数があれば
死にも死なれないで、花前は
追われるように病院をでた。病院をでてもいく家はない。
待ってる人もない。安藤が自分の家へつれて帰ったものの、
慰藉のあたえようもない。花前はときどき
相手かまわず、
「どうせばえいんだ」
とどなる。
安藤は手のつけようがないから、ともかくもと
湯河原へつれだした。そうして自分もいっしょにひと月もおってなぐさめた。どうかして
宗教にはいらしめようとこころみたが、
多少理屈の頭があったから、どうしても
信仰にはいることができない。
破壊以前が人なみよりもあたたかい
歓楽に
富んでおっただけ、
破壊後の
悲惨が
深刻であった。
自分もそうそういっしょにはおられないので
帰京すると、
花前はそのまま一年半もその家におった。あっただけの
財をことごとく
消費して、ただ帰京の
汽車賃で安藤の家に帰ってきた。そのときにはたしかに
精神に
異状を
呈しておった。なにを話してみようもなく、花前は口をきかなかった。
その
後無断で安藤の家をでて、以前
交際した家に
乳しぼりをしておった。ようやく見つけてたずねていくと、いつのまにかいなくなる。また見つけだしてたずねると、またいなくなる。ゆくさきざきの乳屋で
虐待されて、ますます
本物になったらしい。じつにきのどくというて、このくらい
悲惨なことはすくなかろうと、安藤は長ながと話しおわって
嘆息した。
主人もことばのかぎりをつくして
同情した。しんせつな安藤はともかくも
治療の
見込みがすこしでもあるならば、一日も見てはいられぬといって
辞し
去った。
安藤は
去ってから三日めに、
車を用意して
自身むかえにきた。花前は安藤のいうことをこばまなかった。いよいよ家をでるときには主人にも、ややひととおりのあいさつをして、
厚意を
謝した。
台所へでて、
無言にタアちゃんをだいたときには、家のものみなが目をうるおした。
花前が
去ったあと、あのはしの話を聞きたかったけれど、なんだかきのどくで聞かれなかったと
下女も
涙をふいた。
十
日ほどたって、主人は花前を青山の
脳病院におとのうてみた。花前は
非常によろこんだ。話しするところによると
精神のほうはますますよいようであるが、それと
反比例にからだのほうはたいへん
疲れてるように見えた。それから二十日ばかりして、花前は
死んだと安藤から知らせてきた。