誰にも読めぬ大分県日田の皿山たる小鹿田(おんだ)の地名が、今では多くの方々の口に上るまでに至った。つい三十年前には山間に深く隠れて、車も通わぬ無名のこの窯場が、今や内地のみではなく世界からも客を集めて、小型でもバスまでが日々通うに至った。
しかし皮肉なことに、かかる急変が漸次この窯に幾多の危機を招くに至ったのを残念に感じる。今や窯を毒する様々な外敵が迫ってくるからである。実はその責任の一半は、この窯を広く世に紹介した私の
窯への害毒の第一は、茶人や何も分らぬ客たちの無理解な色々の注文であり、第二は利得を忘れぬ人間どもの度々の介入である。出来得るなら、この大切な窯の正しい味方となって頂きたいといつも心に念じる。私は最初この窯の価値に対して熱心な味方となった者であるが、今ではむしろその外敵と戦うはめに至った事を残念に考える。讃美者よりも、実は
追伸、以上は『大分合同新聞』からの依頼で、本年の正月に寄稿した一文で、その折の対象は日田の小鹿田窯であったが、実は全く同じ事がその兄弟窯たる小石原窯に対してもいえるのである。否、小石原の方が福岡のような都市と、一日に何往復かのバスが通うので、その危険は小鹿田窯よりも更に近く迫っているともいえよう。特に利得を忘れない注文主の介入によって、民窯への無理解な買入れが続くことほど恐ろしい事はなく、地元の人たちには大いに反省する必要が起ってこよう。土地の
ではどうしたら小鹿田や小石原の窯を正しく発展さす事が出来るのか。
第一に必要な根本条件は、これらの窯々が持つ伝統のよさを美しさの上から正しく理解し得る人を見出して協力を求める事である。これがないと、幾ら金銭的に保護されても、ますます品物が悪くなる危険が迫ろう。かかる貴重な窯では、常に質を量の上に置くべきである。世界に見られる一つの好適例を挙げよう。
これはわずかな一例に過ぎないが、私は量よりも質が二つの窯場の運命を決するのを信じて疑わない。ただ私の長年の経験では、これらの窯に度々行き得る協力者を得る事が、大変に必要なのである。彼が美の理解者たるべき事は、前述のように第一の根本的な資格であるが、第二には特に民藝の美に深い尊敬を持つ技術者(陶工)であるなら、事情は一層よいに違いない。しかし県の陶磁器研究所などに協力を求めるのは、非常に危険なのである。官の役所はそんなに親身になって世話はしてくれない。しかも若い技師などに
今日スイスやスエーデンで、伝統の仕事が栄えているのは決して国家官僚の役人たちの守護があるためではなく、国民全体に国の正しい伝統を守ろうとする気運が高まっているからに依る。これは国家の保護よりも、どんなに根本的な鼓舞であるか分らない。