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符牒の語源

三代目 三遊亭金馬




 何商売にも隠し言葉、隠語、俗に符牒というものがある。この符牒にも通り符牒と内符牒とがあって、通り符牒は同商売であればどこへ行っても通用するが、内符牒というのはその家だけの符牒だから、同商売でもほかの家の者がきいたのではわからない。

 すべての符牒に上品なものは少ない。

 われわれ咄家も昔はずいぶん符牒を使ったものだ。見習から前座になるまで、この楽屋符牒を覚えるのに苦労したものだ。またこの符牒を全部知っていないと一人前の前座といえなかったが、この頃では楽屋でもあまり使わなくなった。現在の若い咄家はほとんど使わないといっていい。実に結構なことである。

 あらためて記録に残しておくほどのものでもないが、言葉を商売としている咄家で、その語源を調べてみるのも面白いと思った。咄家の符牒が、いつから使い始めて、誰が考えだしたか正確なことはわからない。なかにはまたあらかた想像のつくことばもある。昔は客のいる前であまり不躾ぶしつけな話もできないというので小さな声で喋ったのであろうが、これを客が聞くとなおさらいやなものだ。昔でもギボシのうちの芸人(正確に落話組合、柳派とか三遊派へ登録している人。つまり誰の内輪の芸人と決まっている人)はあまり使わなかったが、土手組どてぐみ(組合以外の芸人。昔、町火消の数に入らない人足のことを土手組といった。これからでた言葉であろう)とか端席の芸人、今のことばでセミプロ級の半商売人が多く使ったものである。

「今夜はスイバレだからキンチャンカマルよ」

 雨のことが水で「スイ」、降ることを「バレル」、「キンチャン」は金を持ってくるので客のこと、「カマル」は加えるで客が多くくる。

 寄席の打ちだし、終いも「はねた」といわない。

「何時にバレた」

 助平の話も「バレ話」。何か隠していることがあらわれても「さてはバレたかな」なぞという。もとは「破れる」と書いたらしい。

 よいことを「ハクイ」、悪いことが「セコイ」。便所へ行くのを「セコバラシ」に行く。よいお客は、「ハクイキンチャン」。顔のことは「トオスケ」。「あのタレはハクイトオスケだ」つまり美しい顔の女。

 この頃では、中学、高校の若い女の子までが符牒を使っている。先生のことは「センチ」。女のことを「スケ」。悪い顔を「ブス」、これも不様ぶざまのスケをつめてブス。

 デパートの女店員は皆符牒を使う。

 各デパートによって違うが、客商売でお客にわかっては都合の悪い言葉がある。トイレのことを、「スケンヤ」「ニノジ」「サンサン」。または「エンポウ」へ行ってきます。

 お客様は「ゼンシュウ」「お成り」。綺麗な人がくると「チューさんがきた」

 これは注意を引くというのからでたものらしい。

 食事は「ノの字」「八の字」「ギョク」「キザ」ともいう。

「キザへ行ってくるわ」

 このキザは昔駕屋さんが腹の減ったときの符牒で「喜左衛門」の略。この小咄がある。

「相棒キザエモンになったなあ」

「お前もキザエモンか、俺なんざあ昨日からキザエモンだ」

 なかに乗っていた客が喜左衛門という名前の人で、

「駕屋さんお前方も喜左衛門かい」

「旦那に聞こえて済みません」

「なに、いいんだよ。今聞いていればお前さん方は昨日今日の喜左衛門だろう。俺なんざあ先祖代々喜左衛門だ」

 そんなに腹が空いていてはしょうがない。

 咄家は女のことを「タレ」、男を「ロセン」。

 このロセンは露先と書く。楽屋の男便所に張り紙がしてある。

「朝顔の外へこぼすな棹の水」

「露先に注意」

 男女性器のこともタレ、ロセンという。北海道では火鉢の灰ならしのことを炉線ろせんと言う。囲炉裏の前に座っていて、向うの人に「ちょっと隅に立っているロセンを貸して下さい」といわれて驚いたことがある。女のタレにもいろいろ階級があって、若い小娘、おぼこ娘を「シンダレ」、年増を「マダレ」、年寄り「バアダレ」、芸者が「シャダレ」、女郎は「チョウチョウ」、女郎買いは「チョウマイ」。これも「蝶々」「蝶舞」と書くらしい。女房、人妻はすべて「ワコ」。

「奴にしてはハクイワコを持ったね」

「あいつのワコはもとシャダレしていて、しまいに蝶々になったんだよ」

 いや楽屋雀はうるさいことである。

 女義太夫は「タレギタ」である。同じ女房のことでも長唄屋さんの方では「ベクナイ」という。

 ある長唄屋さんが自分の師匠のところへ手紙をだすのに「家内が病気にて」と書くのを、「家内」の字を「可内べくない」と書いたので、始めはその人の奥さんだけをベクナイさんと呼んでいたが、しまいに一般女房までベクナイにされてしまった。

 高座で使う手拭を「マンダラ」。新村博士の辞苑をひもといて見ると「曼陀羅」と書いて、仏教の宇宙法界を網羅せる種々雑多な色としてあるから、咄家の符牒のなかでは一番の大できといえよう。昔うるさ型の師匠連は演る咄によって手拭を替えてきた。また、たたみ方、懐のしまいどころも違えていた。

「あの師匠もよい人だったが急に六字になった」

 南無阿弥陀仏の六字からでたことばで、日蓮宗の南無妙法蓮華経と七字の題目でも七字とはいわない。

「今夜お通夜だからモートルができるよ」

 モートルとは電動機でなく博奕のことである。

 お寺の和尚様も現在では何宗旨でも妻帯、肉食は自由であるが、昔は門徒宗以外は全部表向きは魚肉を食べることができなかった。落語『蒟蒻こんにゃく問答』の八さんでなくとも、鶏をつぶし、裏の池くらいはかいぼりをしたものらしい。俗に生臭坊主ということばがある。

 蛸を「テンガイ」といったのはお寺の本堂の天蓋から見立てたことばで、あわびを「フセガネ」なぞはうまい。玉子を「御所車」、なかに「キミ」が御座るの洒落である。鰹節を「チワ(痴話)ブミ」、とも「恋文」ともいう、忍んで「カク」。まぐろは「赤豆腐」。酒は「般若湯はんにゃとう」。どじょうを「踊り子」。

 これも、落語にあるが、寺男が門前町の魚屋へ徳利を持ってどじょうを貿いに行き、

檀家の者ですがどじょうを売って下さい」

 といった。門前までくると子供が大勢集まって、

「やあ権助さんがまた徳利を持って内緒でお酒を買ってきたのだろう」

「あれ子供というものはしょうがねえもんだな。徳利せえ持っていれば酒だと思う。酒ではねえ。このなかの物がおめえ達にわかるもんかね。もしこのなかに入っている物を当てたらなかのどじょう一尾やるべえ」

 葷酒くんしゅ山門ばかりでなく、表向きは妻帯も許さずで、近頃は表方に対して裏方と呼んでいる。寺の権妻を大黒といった。


大黒を和尚布袋ほていにして困り


 檀家の衆、裏方よりそっとのぞき見るに、和尚勝手にて向う鉢巻、蛸を料理しているので、これは悪いと思い、わざわざ表より頼もうと声をかければ、和尚慌ててでてきたり。座敷に上がり、いろいろ、話の末に、

「和尚様にはよいお楽しみがございますな。私は親しい間柄、何もお隠しなくお打明け下さい」

 といえば、

「これはどうもさばけたおことば。それでは、これお花、ごく近しい檀家の方じゃ、ここへでてきてお近づきになんなさい」


ひらかねば扇も風の蕾かな


 咄家になくてならない小道具の扇子を「カゼ」という。楽屋でつい馬鹿咄がはずんで、扇子を忘れて高座へ上がって喋りだしたが、どうしても扇子がなくてはできない咄がある。まさか楽屋へ「扇を忘れてきたから取ってくれ」とは商売人としていえない。そんなときは咄のなかへ、

「今日は風が忘れたようになくなって、暑くて咄もできない」

 なんぞというと、気のきいた前座がうしろの帯戸を細目にあけて、座蒲団の脇へ扇子をだしてくれる。

 着物は全部「トバ」、鳥羽と書くのだと思う。

 羽織だけは「ダルマ」という。これも達磨の肩から掛けている布からでた言葉であろうが、芝居道幕内では、「ダルマ」とは男の性器のことになる。

「後がきましたらダルマを引きますから、見はからいメンダイにツナイで下さい」

「ツナギ」は引っ張る、延ばす。紐も継げば長くなる。長い物はすべて「メンダイ」である。

「帰りにそばでも食べて行こう」というのは、

「帰りにメンダイでもノセて行こう」

 字は麺台と書くのかも知れない。メンダイの反対語が「アシ」である。前座が、

「師匠、時間がありませんから、チョンやりでハショってアシに願います」

 昔の師匠連は咄のどこをつめたかわからないが、そういわれるといつもより時間は短い。娘義太夫の方ではつめることは「デカシタ」という。

「カブってからどこかでセイでも引こうか」

「カブル」は打ち出し、はねる。「セイ」は清酒の頭だけ。「引こう」は飲む。

「源四郎がひどいのでワリがツブレルから、タロセコだ。家へ帰ってサイコノセてカンタン」

 歩合興業の場合、客が三百人きても楽屋へ二百五十人とサバを読む。泥棒、誤間化すことを「源四郎」、歩合給金を「割り」、「ツブレル」は少なくなる。「タロ」は金、「セコ」は悪いこと、「サイコ」はめし、「ノセル」は食う。「カンタン」邯鄲は夢の枕で寝ること。

 刑事仲間でも符牒があって、汽車電車乗物のなかで物を盗むのを「箱師」、魚釣りではつり堀ばかりやっている人を「箱師」というが、居眠りあるいは昼寝を専門にやるのを「邯鄲師」。普通の泥棒は「ノビ」、忍びこみをつめたことば。強盗は「タタキ」。殺人のことを「コロシ」。刑事さんと商売敵の泥棒の方でも同様な符牒を使っている。

 土蔵を「娘」というのは白く塗るということ。やじり切りや土を掘って下から入るのを「モグラ」。すべて入ることは「養子に行く」。犬は吠えてうるさいので「シュウト」。犬に餌をやることを「持参金」。これなれば白昼往来で大きな声で仲間同士で話をしてもわからない。

「横丁の伊勢屋の娘はいい娘だな。養子に行こうと思うのだがシュウトがいる。あいつがうるさくって」

「持参金持って行きなよ」

「今夜あたり口説いて見て養子に行こう」

 なるほどこれなら大丈夫だ。

 役者、咄家ともに貧乏なことを「世話場」という。

「いくら世話場でもドジボオは食えないよ」

「ドジボオ」は薩摩芋。

 人聞でも蛸でも足のことは「ゲソ」。「ナゲゲソ」は大入りで下足札がない。別札にしてなげだしておくこと。

 子供のことは「ジャリ」砂利。客間で子供が騒ぐ。

「セコジャリがうるさい」

 幇間に床屋もわれわれ咄家と同じ符牒を使っている。お客が「金ちゃん」。馬鹿のことは「金十郎」。頭のことを「須弥山しゅみせん」。大きなことを「やっかいだ」。酔っ払うとお客の悪口を符牒でいう。

「金ちゃん金十郎、金ちゃんの須弥山やっかいだ」

 客は何も知らないから、

「そいつはまた有難てえ」

 これを本当にやると大変なことになる。

「お客は馬鹿だ。お客の頭はでっけえなあ」

 これではそいつはまた有難てえといわれない。

「ムタロオ」「無」はなし、「太郎」は金、木戸銭を払わずに寄席へ顔で入る人を「アブラムシ」、「ヘミ」、「デンボオ」。このデンボオは、昔浅草伝法院の印物を着ている人は全部木戸銭なしで入れたものだからである。

 楽屋の固有名詞は大太鼓は「オオド」。〆太鼓を「シメ」。笛は「トンビ」、鳶の鳴き声。鉦を「ヨスケ」、〆太鼓二丁、大太鼓一丁、トンビと四つを助けるので四助け。これは「マゴサ」太神楽からでた符牒らしい。

「入れこみの突っかけばなに近所にテラシがあってキンがウスイ」

「テラシ」は火事、「ウスイ」は少ない。

 テキヤさん、縁日やさんの符牒にはおもしろいのがある。

 口上をつけて売るのを「三寸」とも「タンカバイ」ともいう。タンカは、浪花節の対話もタンカというが、辞苑には「啖呵=勢い鋭く歯切れのよいことば、江戸っ子弁でまくしたてる、路傍にたって大声にて口上をいう」としてある。「バイ」は商売、「三寸」とは舌三寸で売るという意味もあるが、障子の桟のような物を並べて、その上へ品物を乗せるともいう。

 縁日で売る飴やさんを俗に「コロビ」、飴を「ネキ」、作ることを「デッチル」、つまり「ネキデッチ」

 ゴム風船を「チカ」、紐をつけて上げる、つまり「アゲチカ」、おなじ風船でも水のなかへ入れて釣らせるのは「ボン釣り」

 金魚釣りは「赤タンポ」

「ナキバイ」、これは「サクラ」といって仲間が二、三人いる。

「よいナメ棒だ。このナタはいくらだい、俺は床屋の職人だぞ」

 うそばっかり、これも同じ仲間のサクラである。ナメ棒もナタも剃刀のことである。

 ぼくはテキヤさんのタンカを聞いて歩くのが大好きで、うまいのがあって思わず聞き惚れる。

 浅草公園で俄雨にあって、見ると蝙蝠こうもり傘をタタキ売りをしている。前は大勢人が立っているので、後ろから、

「その傘一本下さいな」

 というと、その男が振り向いて、

「ああ師匠、この傘はシケモノだ、デッチモノだ、セコモノだからお止しなさい」

 と符牒でいう。よく考えてみると、この男は前に咄家の前座をやっていた男である。「シケモノ」と「セコモノ」は悪い品、「デッチモノ」はこしらえ物というわけだ。

 床屋も咄家と同じ符牒を使っている。どちらが古いかなんという本家争いはやめて、明治時代上州高崎に床安という床屋の親分がいた。「座り物」という咄家、講釈師、浪花節の興行は、一度この人のところへ「ワラジ」を脱ぐ、「荷を下ろす」つまり世話になる。それでいつとはなしに同じ符牒になったものだと聞いたことがある。それも近頃の若い床やさんは御存知ない。ぼくが剃刀を買っておいてくれと頼んでおいた。次に行って、

「この剃刀はいくらだい」

 というと、職人が親方に、

「ヘイビキですか、ではヘイカタ戴いていいんですねえ」

 金の数の符牒は諸家の紋所を取った言葉が多い。

一 ヘイ 平 たいらで

二 ビキ 丸に二引きの紋

三 ヤマ 山は上へ三本出る

四 ササキ 佐々木高綱の紋 四つ目

五 片個 一個二個と数えて片方の手で五個

六 サナダ 真田の紋 六文銭

七 タヌマ 田沼様が七曜の星

八 ヤワタ 八幡

九 キワ 十のきわ

一から九まで ツノコエ 一つから九つまでツの声がつく

十から上 ツバナレ 十から上はツがいらない

 落語のなかへでてくるお上品な符牒の咄に、『青菜』というのがある。出入りの植木屋に旦那が青菜のヒタシ物を食べさせようと奥様にいいつけると、奥様が、

「鞍馬から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官」というと、旦那が、

「ああそうか、それでは義経にしておきな」

 青菜は食べてしまったというのを、

「その名を九郎判官」

 それではよしにしようで、

「義経にしておけ」御家庭としては上品なよい符牒で、それを植木屋が旦那に教えてもらって、自分のかみさんに「今度友達がきたときに、大きな口をあいて、ないよといわないでこの符牒でやってみろ」と教えるが、そのかみさんが「九郎判官義経」までいってしまうのでしかたがなしに

「弁慶にしておけ」

 というので落ちになる。






底本:「日本の名随筆70 語」作品社

   1988(昭和63)年8月25日第1刷発行

底本の親本:「浮世断語」旺文社文庫、旺文社

   1981(昭和56)年6月

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2015年1月1日作成

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