帝大を卒業したものは好い学校を卒業したと思っているに相違ない。官僚国日本にあっては、帝大卒業ほど好都合の条件はない。早稲田を出たもの、慶応を出たもの、それ/″\母校に満足している。詰まらない学校を出たから一生損をすると言って歎く人も時稀あるようだが、本心は果して何うだろう? 学校には元来相当の考慮をして入る。西瓜を買ったが、割って見たら赤くなかったというのとは場合が違う。
私は帝大出でも早稲田出でも慶応出でもなくて、ミッション・スクール出だ。而も二つ卒業している。青山学院と明治学院だ。そうしてこの二つのミッション・スクールで学んだことを一生の幸福と思っている。宗教学校の同窓必ずしも敬虔な信者でない。中には随分暴れものもいた。もう六十を越したその一人が級友会の席上、一杯機嫌で、
『おい。おれは学院へ入って本当に宜かったと思っているよ。若し他の学校へ行っていたら、もっと悪い人間になっていたに相違ない』
とツク/″\言ったことがある。私はこゝにミッション・スクールの教育が生きていると思った。私達は聖人君子になる努力はしなかったが、少くとも常に自分の生活を反省する教育を受けたのである。
『凡人伝』の背景は青山学院からも取り、明治学院からも取った。ジョンソン博士の『神様の道教えるの学校、基督教紳士組み立ての学校』は益

佐々木 邦
[#改丁]私達の母校明治学園は
「
に通じる。
「明治学園、飯が食えん」
と
「明治学園、それはお金儲けする人を養わない。それは
と始終念を押していた。甚だ
「私、明治十年、御国へ来て皆さんより早い」
なぞとやり出す。君達の生れない中に日本へ来たという意味だ。
「私の日本語、内務大臣に褒められる。
と大の自慢だった。
ジョンソン博士の考えによると、
「日本勝った。
とあって、軍人はいけない。
「お金を儲けた。儲ける為めの儲けの金持、
とあって、実業家もいけない。
「聖書に遠きの学問は悪魔の学問。それを学ぶの人、豪くはない。神を信ずる。それ豪い」
とあって、学者もいけない。
「聖書に近きの学問は神の学問。それを学ぶの人、それを教えるの人、それ皆豪い」
とあって、神学者が一番豪いのらしかった。
この総理指導の下に
教諭の
「先生は旦那様と御同窓だそうですな?」
と或時書生が話しかけた。
「
「これぐらいになるお方ですから、学生時代から頭がお
「さあ」
と私は明答を避けた。
「成功者は
「
「
「さあ。下級生が
「はゝあ、
と書生は溜息をついて敬服した。
「いや。ハッハヽヽヽ」
「何うしたんですか?」
「赤羽君は皆同じところを聴きに来るよって、不思議がっていました。何処だい? って訊いたら、『君子は
「成程。その頃から盛徳がおありでしたな」
「いや、後の方でしょう。
「矢っ張り大きいところがありますな」
「違っていましたよ、確かに、赤羽君は」
と私は赤羽君に花を持たせる外仕方がない。
「豪いものです」
「まあ/\、同窓中の出世頭でしょうな」
「先生、立身出世はしたいものですね」
「君も
「兎に角、昔の同級生を家庭教師に使っているんですから豪いものです」
と書生は
しかし赤羽君自らは決して威張らないから助かる。
「おれの子はおれに似て皆
と下から出る。
「
と
「
と言って受けつけない。
「
「御免蒙る」
「もっと純潔なところなら来るかい?」
「場所ばかり純潔でも駄目だ。まあ/\、断って置いてくれ給え」
「
「
「無論悪いことはしているさ。しかしもう一方で罪滅しもしている。学園へ十七万円の講堂を寄附したじゃないか?」
と私は赤羽君の為めに弁解の労を取った。
「僕はあれが気に入らない」
「しかし君は落成式の時に祝辞を述べたじゃないか?」
「あの時は感激したが、以来彼奴の人格が分った」
「
「あの講堂は結局砂の上に建てた家だったよ。見給え、震災で崩れてしまった」
「それは仕方がない。震災は世間並みだ」
「取り片付けに五千円かゝっている。僕はあの時、一個人の資格で赤羽のところへ談判に行ったんだ」
「ふうむ」
「寄附した以上は早速建て直す責任がある。それを力説したんだが、奴、言を左右に
「それは君が少し無理じゃなかろうか?」
「何故?」
「あの頃の赤羽は好景気時代の赤羽と違う。大戦後のガラを
「ガラって何だい?」
「知らないのかい?」
「僕は神の道を説く牧師だよ」
「仕方がないな。ガラはガラ落ちさ。急に
「建て直しが不承知なら、直ぐに取り片付けろと僕は忠告してやった。寄附した以上、
「さあ」
「赤羽は兎に角考えて見ると言ったよ」
「その筈だよ」
「しかし
「牧師って変な計算をするものだね」
「間違っているかい? 五千円かゝるのに五百円しか出さないんだぜ」
「成程」
「僕は人格に疑問のある人間と深い交際は御免蒙る」
「しかしそれじゃ
「道を聴きたいというのなら、幾らでも説いてやるよ。僕の教会へ引っ張って来給え」
と牧師さんは見識が高い。
保険屋の野崎君も好い感じを持っていない。
「彼奴はもう昔の赤羽じゃない」
と言っている。
「学生時代には君の方が僕よりも親しかったじゃないか?」
と私は又
「卒業後方面が違ったから、御無沙汰はお互だが、奴、金が出来てから態度一変したよ」
「しかし以前は神戸へ行く度に寄ったろう?」
「あの頃はそんなでもなかったが、最近
「喧嘩をしたね?」
「いや、行っても会ってくれないんだ」
「そんなことはない筈だがな」
「保険会社へ入ってから三度行っている。勧誘にでも来たと思ったんだろう。玄関払いを食わせやがった」
「変だね」
「もう行かない」
「何かの間違だよ」
「いや、三度目には打ち合せて置こうと思って電話をかけたが、御主人は一切電話口へお出になりませんという
「それじゃもう永く会わないんだね?」
「この間校友会の相談会で会ったよ。奴も僕も評議員だ」
「何とか言っていたかい?」
「僕は癪に障っていたから、顔を合せると直ぐに、コツンと一つやってやった」
「乱暴だね」
「相変らず
「
「
「それから何うしたい?」
「それっきりさ。実に失敬な奴だ」
と野崎君は
さて、二十何年か前の同級生四名をこゝに引き出して、その現況を紹介したのは
「······世間はもう偉人伝に
私は目が覚めたような気がした。この一節を天から直接私へ来た使命のように思った。失敗が後進の参考になるなら、私には英文和訳よりももっと材料がある。第一、飯の食えない学校へ入ったのからして失敗だ。学園時代から今日までを有りのまゝに書けば事が足りる。尚お都合の
「凡人伝なるかな!」
と私は
この計画を赤羽君に話したら、
「おれのことも書くのかい?」
と

「うむ。君が主要人物になるかも知れない」
「しかし僕の伝は目下郷里出身の文士に書かせている」
「これは驚いた」
「それと
「
「うむ。大分取られる」
「僕は唯で書く代り有りのまゝだ。郷里のが
と私は皮肉ってやった。少し成功すると偉人の素質でもあるように思うところが浅ましい。愚なるが如しと衆目が認めている赤羽君にしてこの通りだ。
「凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
と私は信念を固めて、次に保険会社の野崎君を
「柄にないな」
と野崎君は一応
「苦し
と条件をつけた。
「迷惑かい?」
「当り前さ」
「何故?」
「おれは例外だ。材料にならない」
「ソロ/\
と私は
「同じ平社員でもおれのところは外国会社だ。制度が違う。それにおれは
「学園を出たものは皆然うさ」
「職業を度々
と野崎君は例によって荒い。素質はあるけれど、特別に運が悪かったと思い込んでいる。自分を凡人と覚るのはナカ/\困難の
「凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
その次に私は日曜を利用して牧師の安部君を訪れた。この男に渡りをつけるには日曜が一番好い。朝晩説教をするので、
「
と
「平凡人の平凡生活」
と掲げてあった。
「野郎、やっているわい、おれの来るのを知っていたのか知ら?」
と私は敬服した。
「それは好い。僕の説教を聴いて思いついたのかい?」
「いや、
「面白い。
「主に学園の連中を利用する」
「赤羽も好いね」
「うむ」
「立花も適任だ。二十何年一日の如く平々凡々として田舎にいる。学園の先生にも大勢あるよ」
と安部君は一々材料を
「平凡なるかな! 平凡なるかな!」
「何だい? それは」
「間違えたよ。
「凡人宣伝の標語かい?」
「
「凡の凡なるかな、すべて凡なり。僕も大に説く。君は筆でやれ。僕は口でやる」
「世人には皆『
と私は当てつけてやった。
「確かに
「凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
「凡の凡なるかな、すべて凡なり。実際だよ。これは材料豊富だから書けるぜ」
と安部君は共鳴するばかりで、何処までも自分の「おれ」を別にしている。
ナポレオン志望者は実に多い。各人皆それだ。これは後世どころか、現在に於いて友達を益することが出来る。万人
「世界は多数のナポレオンを要しない。見よ。
と私はイヨ/\決心を固めて、家へ帰りつくと早々、
「
と発表した。
「はあ?」
「小説を書く」
「あなたが? まあ! 馬鹿々々しい。オホヽヽヽヽヽヽ」
と
「凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
「この間から
「これは神さまの
「
「何だい?」
「その上、小説を書くなんて仰有られると、心配でなりませんわ」
「何故?」
「
「人を馬鹿にするな。小説を書くと言えば何うかしているのか?」
「でも、人によりけりですわ。あなたは
「まあ/\、見ていろ」
「正気?」
「無論だ」
「それじゃ見ているわ。けれどももう一つ伺いたいことがありますよ」
「何だ?」
「受験書の方は
「待って貰う」
「厭よ」
「何故?」
「印税が来なくて後から困るようなことはなくて?」
「お前達に
「それじゃ勝手にお書きなさいませ。書けるものなら」
「書くとも」
と私は意地ずくにも
凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな! これに限る。
[#改ページ]
「
これが私の小学時代
父親は
「
と言って聞かせた。
「勤まらないって何のこと?」
「校長先生をやめなければなりません」
「やめると
「村にいられません」
「いられなくなると何うなるの?」
「何処かへ行って
「それは大変だ」
「大変ですから、落第しないで
「優等って何?」
「一番です」
「なります。
と私は堅く約束した。子供心にも重い責任を感じて一生懸命になって、毎日お
「メ、メン、ワン、ワラ、トラ、ヒト、ヒレ、カメ、ガン、トビ」
と四十年後の
「第一課。コノ絵ニカイテアル
なぞと思い出す。これは確か尋常三年だった。
「第一課。
とこれは高等一年、今の尋常五年だった。不思議に第一課丈け頭に残っている。
私達はこの駿河の国だった。こゝを習った時、私は疑問が起ったから、
「先生」
と呼んで手を挙げた。
「
と先生は誰も私の質問を喜ぶ風があった。
「日本武尊に手向いをして火を放ったのは駿河の国の人達ですか?」
「
「先生、それじゃ僕達困ります」
「何故ですか?」
「駿河の国の土民なら僕達の先祖です」
と私はこれが畏れ多かった。
「ワッハッハヽヽヽ」
と同級生は笑い出した。
「いや、その土民は皆悪ものばかりですから、私達と関係ありません。この本にも書いてある通り、一人残らず焼け死んだり討ち滅されたりしてしまいました」
「あゝ、
と私は安心した。
「皆さん」
と先生は一同の注意を
「読本を読む場合に字ばかり読んで、書いてあることを考えないようでは何にもなりません。皆さんは今河原さんの質問を笑いましたが、それは大きな心得違いです。字を読むと一緒に意味を読めば、
と私を
尋常一年生から私は級の模範だった。行儀の悪いものがあると、先生は必ず、
「河原さんをお手本になさい」
と言った。その折、皆の視線が私の顔に集注する。私は如何にも模範のようにキチンと坐っている。初めの中は得意だったが、追々窮屈になった。しかし家へ帰って母親に喜ばれるのが
「お母さん、僕は今日も先生に褒められました」
「
「吉村孝一という子と
「まあ/\。喧嘩?」
「えゝ、乱暴で困ります。教場でするんですもの」
「時間中?」
「えゝ。先生が皆仲を好くしなければいけないって仰有っている最中でした」
「まあ」
「僕が止めたんです」
「それから
「先生は二人を叱りました。今度すれば罰則ですって。それから河原さんを御覧なさいって仰有いました。僕のようにおとなしくしなければいけないって」
「宜かったわね。御褒美を上げますよ」
と母親はお菓子を出してくれる。
「お母さん、この頃は先生が褒めてくれない」
と鼻を鳴らしても、又直ぐに、
「お母さん、今日は先生が河原さんは
と報告する日が来る。褒められる機会があれば決して
「これは
と先生が見廻す場合、
「先生!」
と私は真先に手を挙げて振り廻す。
「誰かこゝへ出て、この唱歌を一人で歌って御覧なさい」
「先生!」
「河原さん」
と先生は私を指してくれる。
「
と私は顔中を口にして歌う。何うも大変な奴だと皆は思っていたに相違ない。
「誰かこゝへ出てメメンワンワラを黒板に書いて御覧なさい」
「先生!」
「
「先生!」
と褒められたくて溜まらない。浅ましい話だが、そこは子供だ。
教室以外にも
「河原さんは感心ですな」
と先生は褒めてくれたばかりでなく、教場で紹介して、
「皆さんはこれも河原さんをお手本にしなければなりません」
と修身科の材料にした。
私は同級生の模範丈けで満足せず、下級生の世話を焼いた。一年生は帰りに
「君達、お父さんやお母さんが待っているんだから、早く帰らなければいけませんよ」
と私はもう三年生だった。
「
「何でいとは何ですか?」
「お前先生か?」
「先生じゃないけれど、道草を食っちゃいけませんよ」
「何でい?」
と一年生は礼儀を知らない。以来私の顔を見る度に、
「何でい?」
とやる。二年生も似たり寄ったりだ。或日のこと、私は二三名が
「動物を
と
「何でい?」
「何でいとは何ですか? この犬だって君達と同じように、棒で叩かれゝば痛いです」
「余計なお世話だ」
と一人の子が尻尾を縄で
「よし給え」
と私は其奴を押し退けて、もう一人の子の持っていた棒を奪い取った。
「君は先生か?」
「先生じゃないけれど、可哀そうじゃないか? 分らないことを言うと堪忍しないぞ」
「何でい?」
「撲るぞ」
「撲って見ろ。さあ、撲れ」
と三人は詰めかけた。私は棒を振り上げた。しかし模範生は
「さあ、学校へ来給え」
と言って引っ張るぐらいが関の山だ。
善行は先生に褒められても、同輩や後輩に喜ばれない。
「お母さん、僕は友達がなくって困ります。
と度々訴えた。
「暴れる子供とは遊ばない方が
と母親は親戚の子供を推薦してくれた。しかし庄作も徳三郎も、
「友ちゃんは学校ごっこばかりするから詰まらない」
と言って、直きに帰ってしまう。
「やあ、小西君と佐藤君、何処へ行く?」
と訊いても、
「何あに、
としか答えてくれない。二人とも手拭を腰に下げているから河へ水浴びに行くのに
「
と呼んで私を指すと、誰か必ず
それは高等二年になって、一泊旅行に出掛けた晩だった。
「それじゃ皆おとなしく寝るんですよ。宿屋だから、騒ぐと他の客の迷惑になります。分ったろうね」
と念を押して別間へ入った時、私は級長として、
「皆早く寝給え」
と
「さあ、もう寝給え」
と私は再び促して、模範を示す為めに先ず床に入った。疲れていたから、直ぐにウツラウツラした。皆も
「実際此奴は生意気だ」
という声が私の夢を破った。
「校長の子だと思って好い気になっている」
「先生がおベッカを使って贔負するものだから増長している」
「学校なら兎に角、こんなところまで来て級長風を吹かせやがる」
と大勢だ。私は目を
「此奴の為めに僕は幾度先生に叱られているか知れない」
「僕も
「僕だって然うだ」
「皆然うだよ」
「一体何ういう
「馬鹿さ」
「大馬鹿だよ」
「先生に
「おい、早く撲ってしまおうよ」
「蒲団を
「おい」
「おい」
私はもう寝ていられない。ムックリ起き直って、
「何をするんだ?」
と極めつけた。同時に
「これに
と国分が言った。
「············」
「学問の出来るのを鼻にかけるな」
「············」
「品行方正を自慢にするな」
「············」
「
「············」
「おれ達はな、退校される覚悟で出て来たんだ」
「············」
「先生に言いつけろ。その代り
とこれは、
「お父さん、僕は高等二年が済んだら直ぐに中学校へ行きたいです」
と申出た。
「中学校?」
「はあ」
「お前は師範へ入る積りだったじゃないか?」
「師範は高等を卒業しなければ入れないから厭です。それに僕は
「それは結構な心掛だが、中学校丈けじゃ中途半端で困る」
「高等学校から大学へ行きます」
「しかし家の事情を考えて御覧。中学校丈けなら
「中学校丈けで
「それはむずかしい」
と父親は相手にしてくれなかった。しかし私は高等科にいる限り、模範生を免れない。先生は相変らず、
「皆出来ない? よし、それじゃ河原君、君やって見給え」
と私に花を持たせる。国分の一味はもう咳払いどころでない。一遍撲り徳をしたものだから、つけ上って、
先生に褒められ同級生に
「お父さん、
「何故だい?」
「僕はお父さんが校長先生だから優等になるんだそうです」
「そんなことがあるものか」
「でも皆然う言って僕を
「誰と誰だ?」
と父親は私の同級生の名前を一人々々知っている。
「一人残らずです。僕は今に豪い人になって、村中の奴等を縛ってやります」
「そんなに憤らなくても
「僕は口惜しいです。
「ふうむ」
「去年の今頃······」
と私は思い出したら、涙がホロ/\
「
「············」
「言って御覧」
「僕は撲られたんです」
「誰に? 何処で?」
「遠足に行って静岡へ泊った時です」
「誰が撲った? 話して御覧」
と父親は真剣になった。職掌上も捨てゝ置けない。私は一部始終を物語って、
「僕は
と又泣き出した。
「能く分った」
「やって下さいますか?」
「考えて見よう。お前がそれほど行きたがるものなら、何うにかして出来ないこともあるまい」
「僕は屹度豪くなって皆を縛ってやります」
「縛らなくても
「それから僕はもう模範生は
「それはもう
「友達が一人もないから面白くありません」
「
「暴れても
「宜いとも。喧嘩でも何でもしろ」
「一人と一人なら国分にだって誰にだって負けません」
「友一や」
「何ですか?」
「能く今まで辛抱したな。お父さんが悪かった」
と父親はシミ/″\言った。
忘れもしない。その日のことだった。町の牧師さんが訪ねて来た。この人は父親を教会へ引き入れようと思って努力していた。
「坊ちゃん、日曜学校へお
と私にも勧めて、来る度に綺麗なカードをくれた。しかし母親が、
「
と言うものだから、行ったことは一遍もない。
「
と父親がその日の話の中に私の問題を持ち出した。
「何ういう事件ですか? お宅の坊ちゃんは模範生じゃありませんか?」
と牧師さんまで私の成績を知っていた。
「実はその模範生で私も今朝から後悔しているんです」
「結構です。悔い改めて神さまをお信じなさい」
「
「ハッハヽヽヽヽ」
「始終一緒にいて、忰の苦しみを六年間も知らなかったのです。いやはや、
と父親は私の立場を説明した。
「こんな次第でもう親の学校にいたくないから、早く中学校へ行きたいと言い出しました。実は高等を卒業させて師範へやりたいんですが、親の考えばかり通すのは今の模範生でも分っている通り、本人を殺すことになります。しかし中学校も考えものです。小学教師の生計ではそれから上の学校へやれませんから、中途半端になります」
と迷っている儘を打ち明けた。
「明治学園へおやりになったら何うですか?」
「はあ」
「明治学園です」
「そんな学校がありますか?」
「あなたは世間に暗いですな」
と
「明治学園? 何処にありますか?」
と父親が訊いた。昨今でも私は出身学校が明治学園だと言うと、大抵この質問を受ける。
「無論東京です」
「はゝあ。
「私の卒業したミッション・スクールです」
「ミッション・スクールというと?」
「アメリカの宣教師がやっている学校です。中等科と高等科があります。中等科が中学校です。一年生から西洋人が教えますから、英語が達者になります」
「
「中等科を卒業するとアメリカの大学へ入れます」
「留学なんか
「いや、
「それは苦しいでしょう」
「何あに、夏休み中働けば一年分の学資が稼げます。現に私もそれでやって来たんです」
「はゝあ」
「僕、その明治学園へ行きます」
と私は膝を進めた。何のことか知らないが、ミッション・スクールというのが気に入った。
[#改ページ]
村から町へ
或日、私は叔母の家へ寄った
「一遍行って
と
「けれども耶蘇ですよ、あの人は」
と母親が危んだ時、
「何あに、耶蘇だって決して悪いものじゃない」
と父親は力強く保証した。それで私も決心がついたのだった。
占部さんの家は教会の裏だった。私が入って行ったら、先生自ら出て来て、
「やあ。能くお
と喜んで迎えてくれた。
「先生、明治学園のお話を伺いに上りました」
「さあ、何うぞ
「先生、耶蘇のお話じゃないです」
と私は断って上り込んだ。金ピカの洋書が沢山並んでいるのに驚いて、
「これは何の御本ですか?」
と訊いて見た。
「
「アメリカから持ってお出になったんですか?」
「
「綺麗ですな。僕は西洋の御本は初めて見ます」
「君も今に明治学園へ入ると、斯ういうものを読むんですよ」
と
「先生、何んな学校ですか? 僕はこの間から明治学園のことばかり考えています」
「大きいですよ。地面が三万坪からあって、建物は皆煉瓦造りの西洋館です」
「はゝあ」
「時計台があります。一間ぐらいな大時計ですが、
「はゝあ」
「寄宿舎は三階造りで、塔は五階になっています。富士山が
「はゝあ」
と私は一々感心した。占部さんは尚お、
「然う/\。明治学園の写真がありましたよ」
と言って、大きなのを二三枚見せてくれた。
「まるで西洋ですね」
「ミッション・スクールですから、西洋の学校をそのまゝ持って来たのです」
「成程。立派なものですな。これがその富士山の見える五階ですか?」
「はあ。地下室がありますから、実は六階になります」
「地下室って何ですか?」
「地面の中の部屋です」
「はゝあ」
と私は寄宿舎の建物に見入った。当時○○町の西洋館は警察署丈けだった。白塗りで、金の菊の紋がついていて、
「ジョンソン博士という人が総理です」
と占部さんは建物から人物に移った。
「総理大臣ですか?」
「いや、学園の総理です。校長です。豪い人ですよ」
「博士なら大したものでしょう」
「学問も豪いですが、人物が豪いです。あゝいうのを大人物というのでしょうな」
「
「西郷隆盛が神さまを信じたら、あゝいう風になったかも知れません。私はツク/″\感心したことがあります」
「はゝあ」
「私が五年生の時でした。或日、ジョンソン博士のコックが私のところへ泣いて来ました」
「コックって何ですか?」
と私は分らないことが多い。何しろ日清戦争直後の小学生だ。それも田舎に育ったのである。その積りで万事同情を願いたい。
「料理をする人です。このコックは余り善くない人間でした。博士の家の
「日本語が出来るんですか?」
「変な日本語です。コックは親が病気だから
「後悔したんですね」
「はあ、それから私のところへ飛んで来て、博士にあやまってくれと言うのです。私は一緒に行ってやりました。コックはそれまでに博士の金を少し
「まるで修身のお話ですね」
「
「はあ」
「斯ういう総理の感化を受けていますから、卒業生にもナカ/\豪い人があります。第一回の富岡先生なぞは日本一です」
と
「大臣ですか?」
「いや、牧師です」
「はゝあ」
「大阪の西村先生は第三回ですが、雄弁家としては日本一でしょう」
「何をしていますか?」
「牧師です」
「はゝあ」
「この間この教会へ来てお話をした安川さんなんかも一流です。あなたのお父さんは大層感心していられました」
「何をする人ですか?」
「牧師です」
「はゝあ」
と私は失望した。牧師ばかりだ。
「京都の同志社も豪い人を出していますが、明治学園も劣らず豪い人を出しています」
「先生」
「何ですか?」
「明治学園から大臣は出ていませんか?」
「そんなものは出ません」
「大臣でなくても、本当に豪い人は出ていませんか?」
「今申上げたのは皆本当に豪い人達です。自分というものを捨てゝ、世の中の為めに尽しています」
「しかし人を縛るような豪い人は出ていないんですか?」
「はあ?」
「大臣の次でも
「官吏は出ていません」
と占部さんの頭と私の頭には大分
「僕は人を縛るような豪い人になりたいから、明治学園へ行こうと思ったんですが、それじゃ駄目です」
「一体
「
「成程」
「僕は何うしても豪くなって、四人とも縛ってやります」
「
「何故ですか?」
「大きな考え違いです」
「何ういう
「敵を愛さなければいけません。『悪に敵すること
と
「これあなたに差上げます。こゝです。読んで御覧なさい」
と言いながら開けて渡した。私は指し示されたところを一読した。これがオウガスチンやルーテルあたりだと、
「先生、
と不服を申立てた。
「まあ/\、聞いて下さい」
「············」
「人類は皆
「存じません」
「これは耶蘇のお話ではありません。耶蘇が生れない前のことです」
と断って、占部さんは創世記を大略物語った後、
「人類は皆四海
と愛の宗教を説いてくれた。
「先生」
「何ですか?」
「敵を愛していたら、日本は今頃支那に取られています」
「さあ。それは何うでしょうか?」
「学校の先生は
「戦争ということが既にいけないのです。あれは
「しかし又やらなければなりません。日本は今度おとなしかったから、
と私は時事問題を持ち出した。四海同胞は合点行ったが、非戦論は腑に落ちなかった。学校の先生の意見によれば、日本は英仏独の干渉の為め遼東半島を支那へ返したのだから、将来この三敵国にうんと利息をつけてお礼返しをしなければならない。その責任はかゝって諸君の双肩にあると教えられていたのだった。
「しかし友さん、国分という子がそんなに憎いのでは毎日不愉快でしょうな?」
と
「はあ」
「思い切って堪忍してやって御覧なさい。気分が
「毎日生意気をしますから、堪忍する暇がありません」
「余程悪い子ですな?」
「先生に叱られてばかりいます。それが口惜しくて、僕に突っかゝって来るんです」
「成程」
「大きくなって
「それもいけません」
「先生、
「聖書を読んで能く考えて見るんですな。追々分って参りましょう」
「僕は先生に伺えば何でも直ぐに分ると思いました」
「何が分るものですか。皆神さまが教えて下さるのです。友さん、さあ、一緒にお祈りをしましょう」
「僕、
と私は慌てたが、占部さんはもう祈り始めた。神さまの御指導によって正しい道が
当時私は国分が唯一の問題だった。早く中学校へ行きたいのも主として此奴の為めだった。今から思うと
「
という諺を読本で覚えた当座、国分は、
「級長」
と私を呼んで、
「何だい?」
と答えさせて、
「君のことじゃないよ。懐ろに入った窮鳥のことだよ」
と言う。
「級長」
「············」
「呼んでいるのに何故返辞をしないんだ?」
と今度は責任を問う。
次に訪れた時、占部さんは、
「友さん、聖書をお読みになりましたか?」
と訊いた。
「はあ」
「何うでした?」
「
と私も祈って貰った手前、気の毒になって、精々教訓に従う積りだった。
「それは
「いゝえ、国分丈けは別です。彼奴は
「他の三人はもう宜いんですね?」
「はあ」
「それじゃもう一息です」
と占部さんは喜んで、
「友さん、今日はお祈りを教えてあげましょう。私の言う通りを後について言って御覧なさい。屹度気分が清々しますよ」
と
「我等に罪を犯すものを我等が
というところ丈け気に入らなかった。誰が赦すものかと思いながら祈っているのだから、神さまも驚いたろう。
その次に行った時も占部さんは、
「何うでしたか? 国分君を堪忍してやりましたか?」
と
「堪忍する暇がないんです。後から後からと生意気をします」
と私は相手の仕打を説明した。
「成程」
「何うしても縛ってやります。国分の為めに僕が奮発するようなら
「友さん」
「何ですか?」
「もう一遍お祈りをしましょうか?」
「厭です」
「ハッハヽヽヽ。友さん」
「厭ですよ」
「それじゃお祈りはやめて、他の方法で行きましょう? 友さん、君は国分と喧嘩をして
と占部さんは妙なことを訊いた。
「さあ。一騎討ちなら負けない積りです。僕は去年おとなしいばかりじゃ駄目だと思ってから、学問は二の次にして運動ばかりやっています。相撲を取っても競走をしても大抵のものに勝ちます」
「体育は結構です」
「今日は
「
「やりましょう」
と私は早速机の上で応戦したが、二度とも負けてしまった。しかし占部さんは、
「ナカ/\強いです」
と褒めてくれた。
「大人には
と私は負け惜しみを言った。
「私は大人でも強い方です」
「それじゃ尚お敵いません」
「試めして見たんです。それぐらい力があれば大抵の子供に勝てます。友さん、一つ国分を撲ってしまっちゃ
「敵を愛さなくても宜いんですか?」
「無論愛する方が宜いですけれど、君のように
「はあ」
「その上、国分を縛る為めに将来の方針を立てるようでは神さまの思召に
「はあ」
「友さん、何うしても堪忍出来ませんか?」
「出来ません」
「一番好いのは堪忍することです。その次は撲り返して
「僕、撲り返します」
「それじゃおやりなさい」
「しかし先生、喧嘩をしても宜いんですか?」
「君がそれ
と牧師さんは思いもかけないことを言い出した。私がその後
「何をする?」
と私は
「覚えていろ!」
「覚えているとも」
「帰りに八幡様で待っていろ!」
「待っているとも」
と敵味方言葉を
模範生が暴力を用いたのだから、皆案外のようだった。
「国分が悪いんだよ」
と私に同情したものもあった。私が模範生として嫌われていた以上に、国分は暴れものとして憎がられていた。しかし国分には子分がある。それが又加勢するに
「よし/\。
と承知してくれた。徳三郎君は高等四年だった。育ち盛りだから、三年と四年ではグッと粒が違う。
放課後、私は徳さんと二人で八幡宮へ駈けつけた。勝てるようにと拝んだ時、占部さんが祈っていることを思い出した。和洋両方の神さまがついている
「君達三人は手出しをすると聞かないぞ」
と徳さんが極めつけた。
「うむ」
と
「しっかり!」
と徳さんが声援する。国分の味方は徳さんを恐れて黙っていたようだった。
私達は間もなく組み討ちになった。私は木の根に
「友ちゃん、木の根で頭をこくれ」
と徳さんが寄って来た。
「よし」
と私は国分の頭を両手で捉えて、木の根へコツ/\当てた。この方が撲るより痛い。
「
「············」
「これでもか?」
「もう
「あやまれ」
「············」
「これでもか?」
「悪かった」
と国分も
「友ちゃん、
と徳さんは三人を睨んだ。
「僕達は何にも関係ない」
と三人は
「いや、ある。友ちゃん、修学旅行の時のは此奴等だろう?」
「
と私は国分丈けで
「兎に角、あやまれ」
と徳さんは撲り兼ねない権幕だった。
「失敬しました」
と三人は私にあやまった。同級の有志が鳥居のところまで来て見物していた。
私はこの日をもって模範生を
「言うことを聞いてくれなければ困るよ」
と頼んでも聞いて貰えなかったのが、
「やい!」
と一声呶鳴れば事が足りる。小さい野蛮人共は品行方正学術優等よりも腕っ節に敬意を表する。
「おれは来年の春三年生が済めば直ぐに東京の明治学園へ行くんだ。六階のミッション・スクールだぞ。
と言っても、誰一人歯向うものもなかった。
しかし私は高等小学を卒業する運命を持っていた。待っていた三年生の終りが近づいた時、その翌年から○○町に中学校が出来ることになった。
「友一や、丁度好い都合だから、お前は家から町の中学校へ通わせる」
と父親が
「それじゃもう一年高等にいるんですか?」
と私は無論不平だった。
「
「しかしどうせ入るものなら少しでも早い方が徳です」
「いや、高等を卒業して置けば二年へ入れる。今東京へ行っても、三年修業じゃ半端だから、矢っ張り一年へしか入れない」
「でも来年二年になりますから、同じことでしょう?」
「分らないことを言っちゃ困る。東京へ出るのと家から通うのでは費用が違う。中学を安上りにやれば、それから上の学校へ行く都合もつくんだ」
「はあ」
「町の中学へ通うなら、卒業してから明治学園の高等科へ入れてやる」
「分りました」
「師範なら兎に角物になるが、中学丈けじゃ全く仕方がない。
と父親は先の先まで考えていた。
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入学難の声の高い今日から見ると、私の中学時代は
「
と結んであった。然るに私は先頃三男の入学試験前に某中学校長を訪れたら、
「入学志望のことならば、昨今
と
「お宅の御令息は今回高等二年修業だそうでお芽出度う存じます。ところで
とやる。
「何だね? 一体」
「一つ中学校の方へお願い出来ませんでしょうか? 月謝が一円、教科書が二円二十銭。何うぞこの表を御覧下さいまし」
「一円の月謝!
と百姓は勘定高い。小学校の月謝は尋常が五銭、高等が八銭だった。
「その代り御卒業になれば、志願兵の資格が出来ますから、三年の徴兵が一年で済みます」
「成程」
「大学へも入れますし、十円やそこらの月給は楽に取れます。これからの社会へ出るには
と書記は教えられた通り中等教育急務論を始める。しかし相手は尋常丈けで沢山なのを、村長さんや校長さんに煽てられて、高等科丈け余計なことをしたと思っているから、
「駄目でがんす」
と言って、受けつけない。
「まあ/\、教育の利益をお考え下すって······」
「駄目でがん!」
「
「駄目でがんと言っているにこの人は分らない人だな」
「飛んだお邪魔を申上げました」
と書記はもう仕方がない。この上
現今のように入りたがるのを入れないのではない。入れたがるのに入らないのだった。これによってこれを見るに、日本の中等教育も長足の進歩を遂げたものである。兎に角、こんな具合に入学志望者が
「権藤さんや安井さんはお金があるから何をしようと構わないが、
と村の人達が疑問を起した。
「高が小学校長じゃないか? 幾ら月給を取ると思う?」
「身分不相応のことをしたものだ」
「学校の月謝をちょろまかしているんじゃなかろうか?」
「河原校長はこの頃町の
と父親は一時評判が悪くなったそうだ。金のないものが
私は中学校へ入って初めて完全に解放された。小学校時代は、父親が校長をしている関係から、お父さんの学校へ通っているという頭があった。お母さんは、
「友一や、お前が一番にならないとお父さんの顔が立ちませんよ」
と、教えて、この信念を固めさせた。先生方も、
「
と言って褒めてくれた。これは無論校長さんの子だからという意味だった。責任が重い。子供心にも親の顔を立てたいという気があった。随って悪いことが出来ない。年々歳々模範生として
然るに中学校は全く自分の学校だった。万事自分本意でやって行ける。遠く東京の明治学園へ遊べなかったのは残念だったが、父親の学校から解放されたのが嬉しかった。
「君、中学校は好いね」
と私は或朝登校の途中、
「それは小学校と違う。第一校舎が新しい」
「僕は実に愉快だ」
「僕もさ」
「君よりも僕の方が愉快だ。その
「
「僕はもう模範生にならなくても
「それで今八幡様の前でお辞儀をしなかったのかい?」
「これは参った」
「ハッハヽヽヽヽ」
「中学生になってそんなことをすると笑われる」
「僕は
「耶蘇なんかになるものか」
「あんなものにはならない方が宜い」
「僕が君よりも愉快だってのは、もう一番にならなくても宜いからさ」
「君は
と言った安井君は小学校で二番だった。
「何あに、もう駄目だよ」
「何故?」
「小学時代は親父に迷惑をかけるといけないと思って無理に勉強したんだ。しかし苦しかったぜ」
「それは察していたよ」
「もう一つ先生の手加減があったんだ。僕は校長の子だからね。実力は君の方が上だよ」
「そんなことがあるものか」
「兎に角、今度はもう宜いんだ。一番にならなくても、校長は迷惑しない」
「するよ」
「何うして?」
「校長先生はこの間入学式の時に、皆一番になる積りで勉強するようにと言ったろう?」
「あれは矛盾している。一番は級に一人しかない」
「その一人になるように皆で心掛けろという意味さ」
「すると校長は三十九人分失望するに
「又理窟を言い出したよ」
「一年級は二組あるから、七十八人分失望する。僕の方と合せて百十七人分だ。五年級まであって見給え、何百人分も失望しなければならない」
「ハッハヽヽヽ」
「僕はもう芸当はやめた」
「怠けるのかい?」
「うむ」
「入学早々好い心掛だ」
「ハッハヽヽヽ」
と私は
「しかし僕等は責任が重いぜ」
「何故?」
「二年級は第一回生だから模範になるようにって校長先生が言ったじゃないか?」
「模範生は懲り/\だが、上級生のないのは嬉しいよ」
「頭を押え手がないからね」
「
「入ると直ぐに上級生だから有難い。一年の連中は
と安井君も得意だった。
「しない奴は睨みつけてやると矢っ張りするよ」
「僕等を怖がっているんだ」
「粒が違うからね」
「
「うん」
「彼奴は東京の中学校で幾度も落第して来て、もう十七だそうだ」
「強そうだね」
「東京で暴れた話ばかりしている」
「厭な奴だ。彼奴と並んでいる
「あれは勉強家らしい」
「町役場に勤めていたのが志を立てゝ入学したんだそうだ」
と私は○○町出身の生徒から聞いて、この男に敬意を表していた。
「感心だね」
「一生懸命だから質問ばかりしている」
「もう一人
「あれはまるで
「もう十八九だろう。
「これは驚いた。先生と生徒が同級生になってしまったんだね」
「
「先生の方が下になると大変だぜ」
「何とも知れない。二年級は高等卒業生から馳り集めたんだから、ヒネの多いのは分っているが、先生が入っているとは思わなかったよ」
「これは
「見給え」
「何だい?」
「君は矢っ張り一番になろうって気があるんだ」
「ないよ」
「しかし村の名誉の為めに奮発する方が
と安井君は最初の話題に戻った。
責任解除の結果は早速第一学期の成績表に現れた。私は総評可、席次十三だった。
「一番になれなかったね」
と父親は

「はあ」
「中学校は小学校と違うからな」
「はあ」
「しかし十番以内にはなれそうなものだったが」
「さあ」
と私は気の毒になって、
「算術と地理と歴史が悪かったからです」
と説明した。
「成程」
と父親は尚お成績表に見入って、
「十三番か? これぐらいのところかも知れない」
「はあ」
「安井は何番だったね?」
「十番です」
「ふうむ」
「安井君は小学校の時でも本当は僕よりも
と私は思っている通りを
「そんなことはないよ」
「············」
「一番は何という子だね?」
「子じゃありません」
「うむ?」
「大人です。長谷川さんです」
「成程。先生をしていた人だね?」
「はあ」
「二番は?」
「町役場です。これも大人です」
「成程、三番は?」
「三番が子供で、四番が又大人です」
「年長者が多いんだね」
「高等を出て三四年たった人が七八人いますから、
「まあ/\、十番台なら
「はあ」
「中学校は小学校と違う。先ずこれぐらいのところが本当かも知れない」
と父親は思い当るところがあったらしく、案外簡単に諦めてくれた。母親は黙っていたが、何れ追ってお小言があるだろうと覚悟していたら、果して後から、
「友一や」
と来た。
「何ですか?」
「お前、中学校じゃ一番になれないの?」
「はあ」
「せめて三番ぐらいにならないとお父さんの顔が立ちませんよ」
「大丈夫です」
「なれるの?」
「いゝえ、お父さんの顔なんか知っているものは一人もありませんから」
「それにしても、小学校が八年間模範生で中学校が十三番なんて、少し変じゃないの?」
「中学校には
「それじゃ小学校は贔負で一番だったの?」
「
「そんなことはありますまい。小学校でも中学校でも自分の勉強一つですわ」
「大人がいるんですよ。直ぐ二年級へ入ったんですから、むずかしい学問ばかり習うんです。お母さんに中学校のことが分るものですか」
と私はもう女親を圧迫することを覚えた。
四年間の中学生活は小学校時代よりも遥かに楽しかった。成績は父親の注文通り十番台で通した。一度八番になったが、その次に二十五番へ落ちた。以来二十番台の
最初私達は長谷川さんを
「先生はよしてくれ給え。同級生じゃないか?」
と長谷川さんは御機嫌が悪かった。
「それじゃ長谷川さん」
「何だい?」
「あなたはお幾つですか?」
と私は訊いて見た。安井君初め数名から頼まれたのだった。
「十八だよ」
「本当ですか?」
「嘘をつくものかね。君は幾つだい?」
「僕は十五です」
「それじゃ三つしか違わない」
「先生を何年していたんですか?」
「そんなことは
と長谷川さんは年の
「小松さんはお幾つですか?」
と私はこれも序に頼まれていた。
「僕かい?」
と小松さんは頭を掻いた。
「えゝ」
「長谷川君と同じだよ」
「本当ですか?」
「妙に疑るね」
「
と私は弁解して置いた。それは入学早々のことだった。それから間もなく、この二人の年長者が一日欠席した。大きいのがいないから目に立って、
「
「勉強家が揃って休んだじゃないか?」
と私達は不思議がった。
「僕は知っている」
と矢張り年の多い北村というのが首を縮めた。
「何ですか?」
「徴兵検査さ」
「成程」
と皆大笑いをした。これで二人の年が分った。
翌日、私は、
「長谷川さん、あなたは嘘をついた」
と言って、長谷川さんに組みついた。無論冗談だった。
「参った/\」
「小松さんも嘘つきだ」
「いや、僕は長谷川君と同じだと言っている」
「
「やあい/\!」
と皆
「一体誰が
と長谷川さんが訊いた。
「北村さんです」
「北村君は斯う見えても僕等より上だよ。去年済んでいる」
「上には上があるんだなあ」
「やあい/\!」
とこれで一番の
「
と北村さんは頭を掻いて舌を出した。実に年寄の多い
私は
「仕方がない奴だなあ」
と諦めてくれる。三年生になってからのことゝ記憶するが、或日長谷川さんが、
「河原君、君は
と訊いた。
「耶蘇じゃないです」
「
「耶蘇なら悪いんですか?」
と私は少し癪に障って、
「悪いさ」
「何故悪いんですか」
「耶蘇は西洋の宗教だもの。日本中が耶蘇になれば、日本は西洋に取られてしまう」
と長谷川さんは極くありふれた偏見に
「長谷川さん、そんな馬鹿なことはありませんよ」
と早速
「河原は耶蘇へ行く」
「耶蘇だよ、彼奴は」
という評判が立った。
「よし。それなら耶蘇になってやる」
と私は間もなく
学級が進むにつれて、私達は将来のことを語り合った。
「河原君、君は好いな」
と或時長谷川さんが
「何故ですか?」
「いつも愉快そうにしている。人生の苦労ってことを知らないからさ」
「御苦労なしですか?」
「まあ
「失敬だ」
「僕は始終
「
と私は悟り澄ました積りだった。
「又
「あなたの
「それもあるが、もっと差迫ったのがある」
「何ですか? 一体?」
「話そうか?」
「えゝ」
「まあ、やめにして置こう」
「いけませんよ。恋愛問題でしょう?」
「馬鹿を言っちゃいけない」
「それじゃ何ですか?」
「さあ」
と長谷川さんは
「僕、誰にも言いませんから」
「河原君、長いことお世話になったが、僕は近々お別れをしなければならない」
「
「実は僕は養子に行く約束でこの学校へ来ているんだ。それで煩悶している」
「養子が罪悪ですか?」
「いや、養家先の商売が宜しくない」
「何です?」
「
「え?」
「
「それで
「逃げる。こゝにいたんじゃ
「何処へ逃げるんです?」
「無論東京さ」
「いつ?」
と私が訊いた時、
「どけ! どけ/\」
という声がかゝった。同級生両三名が木馬を飛びに来たのだった。長谷川さんは、
「
と答えて歩き出した。
「長谷川さん」
「何だい?」
「こゝにいて縁を切る法はないんですか?」
「絶対にない」
「しかし後一年足らずですよ」
「利害関係は考えていられない。僕は基督教は信じないが、罪悪ってことが
「おい/\、又議論かい?」
と小松さんが寄って来たので、話はそのまゝになった。
翌日、長谷川さんは学校へ来なかった。小松さんが、
「
と呼んで、私を北村さんのところへ引っ張って行った。
「何ですか」
「君、今夜町へ出て来られないか?」
「さあ」
「北村君と長谷川君で会をやる。君、長谷川君から聞いたろう?」
「東京行きのことですか?」
「うむ、その送別会だ。君にも来て貰いたいって長谷川君が言っている。成るべく出てくれ給え」
「出ます」
と私は承知した。
会場は料理屋だった。芸者も来ていた。校則によれば正に退校ものだ。しかし三人は平気で酒を飲んだ。教室ではナショナル読本に首を
「事こゝに至ったのは河原が悪いんだ」
と北村さんが

「何故ですか?」
「まあ一杯飲め」
「僕は厭です」
「酒を飲めない奴が何になる?」
「よせよ、北村」
と長谷川さんが制した。
「おれはクリスチャンというものが気に入らない」
「よせよ、馬鹿」
「事こゝに至ったのは河原の罪だ」
「何故ですか?」
と私も癪に障った。
「君が耶蘇の説法をしたからさ。女郎屋だって商売だ」
「僕はそんなこと知らなかったんです」
「商売でも
と小松さんは硬論を唱えた。
「後を頼むよ」
と長谷川さんは幾度も言った。
「宜いとも」
と二人は
「男子志を立てて郷関を
と長谷川さんが
「僕達は駅まで送る。君は
と北村さんが言った。
四年間の中学生活で一番身に
「河原君、それじゃ来年東京で会うぞ」
と長谷川さんは重そうな鞄を提げて料理屋を出た。
「君は早く帰れ。一切黙ってろ」
と小松さんが念を押した。長谷川さんは十一時の終列車で東京へ立った。翌日、北村さんと小松さんは学校で幾度も教員室へ呼ばれた。翌々日、二人の姿が見えないと思ったら二週間の停学処分を受けていた。長谷川さんの退校届を級監督に出して
[#改ページ]
郷里から東京まで五時間、私は新橋で下りた。東京駅のなかった昔である。もうソロソロ三十年になる。私は当時
「明治学園」
と、これが私の四年間待ち
「へえ?」
「明治学園」
「何処ですか?」
「
と私は新橋駅頭、先ず
「何区ですか?」
「赤坂区青山だ」
「青山は練兵場の近所ですか?」
「初めてだから知らない。七丁目だ」
「遠いですな」
と俥屋は渋った。幾らで
「東京は大きいね」
と私はつい口走った。
「大きいですとも」
と俥屋は自分の東京のように答えた。
「神田区ってのは
「まるで見当が違いまさあ」
「神田の夜学校ってのは君知っているか?」
「神田は学校の巣ですよ」
「ふうむ」
と私は又々後悔した。黙っているに限る。神田を訊いた
人間の記憶は不思議なものだ。私は唯今筆を執りながら、

「はあい!」
という声がかゝった。馬車だ。而も二頭立てだ。私は初めてこんな立派なものを見た。
「大山大将だね」
と私は直ぐに分った。
「
と俥屋が言った。犬殺と将軍、何年も忘れていたことを
煉瓦造りの西洋館ばかりだとは
「これを何うぞ
と自分を先にして貰おうとした。私は癪に障って、
私達の紹介状を持って引っ込んだ受附の老人は間もなく廊下に現れた。
「何うぞ
と招いた。二人は事務室へ通った。
「こゝでお待ちなさい」
と老人は隅っこの狭いところへ私達を残して行った。手近の机で事務員に何か
「君、君」
と猪股先生が呼んだ。
「はあ」
と青年は私を差し置いて進み出た。何処までも横着な奴だ。序に一つ小突いて行ったんだから、私の方が借越になる。
「君は
「野崎です」
「丸尾君の御紹介ですね?」
「はあ」
「丸尾君はお達者ですか?」
「はあ、先生に宜しくと仰有いました」
「有難う」
「高等学部へ入学したいんで、郷里から願書と履歴書を出して置いたんですが、もう着いていましょうか?」
「待ち給えよ」
と猪股先生は
「野崎喜三郎。これですね?」
「はあ」
「浜松中学校と。卒業は去年じゃありませんか?」
「はあ」
「今まで何をしていたんですか?」
「家で遊んでいたんです」
「去年何処か他の学校を受けたんじゃないですか?」
「高商を受けてしくじりました」
と青年は頭を掻いた。私は好い
「
「矢張り、その、何です、将来実業界に
「成程」
「大変好い学校で、語学をやるにはこゝに限ると丸尾先生が仰有いました」
「中学校の成績は何んな具合でしたか?」
「可もなく不可もないところでした」
「何番で卒業しましたか?」
「中どころです。二十九番でしたから」
「何人中の?」
「さあ。三十四五人いました」
「はゝあ」
と猪股先生は感心したようだった。私も変な中どころがあればあるものだと思った。見す/\
「五年の時に三週間ばかり休んだのが
「こゝの高等学部は主として西洋人が教えますから、英語の力が足りないと、苦しいですよ」
「はあ。それは丸尾先生からも、承わりました」
「英語の成績は何んな具合でしたか?」
「中どころでした」
「この履歴書の賞罰のところに停学三週間とあるのは一体何をしたんですか?」
「さあ」
と青年は行き詰まって、又頭を掻いた。
「
「ストライキを起そうとした形跡があったんです」
「成程」
「もう決して致しません」
「
「中どころでした」
「操行の中どころというと?」
「要するに乙です。尤もその罰を受けた為め丙ですけれども」
「
「丙です。中どころです」
「宜しい」
「入れて戴けますか?」
「君は又
「いゝえ」
「こゝを腰掛にして高商を受ける積りじゃないですか?」
「そんなことは絶対にありません」
「何処までもこゝで勉強する気なら、喜んで入学を許可します」
「
「この手紙を見ると、君は寄宿舎へ入りたいんですね?」
「はあ」
「それではそこで待っていて下さい」
と猪股先生は青年を片付けて、
「君、
と私を呼んだ。
「はあ」
「君は
「はあ」
「占部君はお達者ですか?」
「はあ。くれ/″\も宜しくと仰有いました」
「有難う」
「矢張り高等学部志望で、
と私は机の上を見た。私の入学願書と履歴書が拡げてあった。
「中学校の卒業席次は」
「十七番です」
「何人中の?」
「三十四人の級でした」
「それでは本当の中どころですね。この学園が年来の志望でしたか?」
「はあ。実は中学部から入りたかったんですが、家庭の都合で今回初めて上京致しました」
「
「三年の時でした」
「お父さんお母さんも信者ですか?」
「いゝえ、僕一人です」
「将来の志望は?」
「
「結構です。まあ/\、勉強しながらゆっくり考えるんですな」
「はあ」
「
と猪股先生は占部さんの手紙を読み直して、
「働いて学資を補う必要があるんですか?」
と訊いた。
「いゝえ」
「占部君は何を言っているんだろうな」
「それは占部先生が御親切に仰有って下すったんでしょう。学資は全部都合がついたんです」
「働きながら勉強ってことはナカ/\むずかしいです」
「はあ」
「しかし成績の好いものには
「僕は
「寄宿舎へ入るんですね?」
「はあ」
「それではそこで野崎君と一緒に待っていてくれ給え」
「はあ」
と私は引き退って、以前の通り隅っこに、例の青年と二人立ち並んだ。一つ小突かれ越しているから、機会あり次第返済しようと思っていたら、
「君」
と奴が
「何です?」
「同級になるんだから、宜しく頼む」
「僕は知らん」
「君」
「それじゃこれで」
と私は
猪股先生は事務員を呼んで又
「それでは河原君と野崎君、寄宿舎へ案内しよう」
と言って歩き出した。
「君」
と野崎君が私を促した。もう先を争わない。
「恐れ入ります」
と私は先生自らを
「何あに、家へ帰る序です。私のところは丁度寄宿舎の裏になっています」
と、先生は学園内に住んでいるのだった。
私達は行李を受附へ頼んで、鞄丈け提げてお供をした。
「広いですなあ!」
と野崎君が感歎の声を洩らした。
「三万坪からあるそうです」
「銀座のと同じ時計台がある」
「あれはいつも五分
「ふうむ」
「時計台の向うに五階の塔の
と私が言った時、猪股先生は、
「河原君は
と
「
「成程」
「写真を見せて戴きました」
「道理で詳しい。寄宿舎で思い出したが、占部君はヤンチャンで困ったよ」
「はゝあ」
「誰かと
「危いことですな。怪我はなさいませんでしたか?」
「何ともなかったが、鼻血を流した。余り神さまを試み過ぎるといって、ジョンソン博士からひどく叱られた」
「そんな乱暴な方でしたかな」
「この頃は何うだね?」
「
「年を取って、おとなしくなったんだろう」
「矢張り先生からお習いになったんですか」
「中学部の一年からさ。出来は悪くなかったが、いたずら小僧だったよ」
「丸尾先生は
と野崎君が訊いた。この紹介者も矢張り卒業生と見えた。
「あれは活気のない男だった」
「今でも
「浜松の中学校へ行ったきり動かないが、評判は好いのかね?」
「中どころでしょうな」
「君と同じかい? ハッハヽヽ」
と
「野崎君は浜松ですか?」
と実は私は
「
「僕は○○ですよ」
「それじゃ同県です。宜しく願いますよ」
「
「僕は君が東京だと思って用心したんです」
と野崎君は弁解した。用心よりも
折から
「グッド・アフタヌーン」
と挨拶した。猪股先生は立ち止まって話し込んだ。私は英語を習い始めて
「ドクター・ジョンソン、
と言いながら、私達を指さした。これがジョンソン博士かと思って、私はお辞儀をした。
「Very glad to see you. お芽出度う」
と博士は毛だらけの手を出して、私達の手を握った。握手だ。これも初めてだった。
「
と猪股先生が紹介した。博士は、
「この明治学園、他の学校と違う。神の道を教えるの学校」
「イエス」
と私は生れて初めて英語を使って見た。
「金儲け教えるの学校でない」
「イエス」
「
「グッド・バイ」
と今度は野崎君が使った。
間もなく寄宿舎に着いた。猪股先生は中へ入らずに、
「
と呼んだ。
「はあい!」
と答えて、小使が出て来た。
「この二人を頼むよ」
と申渡して、猪股先生は、
「この寄宿舎は自治制です。
と言って行ってしまった。
こんな
「それじゃ腹の中まで君と同じですよ」
と野崎君は打ち興じた。
「これは
と私も
初めて
「君、明治学園ってのは耶蘇学校らしいね?」
と野崎君は今更発見したように口を切った。
「無論ですよ」
「丸尾って奴はひどい奴だ」
「君の先生でしょう?」
「先生のくせにして嘘をつく。耶蘇学校ってことは
「はゝあ」
「僕は英語学校だと思って来た」
「ミッション・スクールじゃないって仰有ったんですか?」
「ミッション・スクールって何だろう?」
「耶蘇学校のことですよ」
「そんなことは一切言わないで、唯、英語の力をつけるのなら明治学園に限ると言ったんです」
「それじゃ嘘でも何でもない」
「いや、結局嘘になる。僕はミッション・スクールだとは夢にも思わなかった。これは考えものだ」
「何故?」
「耶蘇になるんじゃ困る」
「ならなくても
「君は耶蘇か?」
「えゝ」
「生徒は皆耶蘇だろうか?」
「そんなこともないでしょう?」
「それなら宜いけれど」
「信仰は自由です」
と私はこの問題について野崎君よりも一日の長があった。
「君、モニトルって何だろう?」
「知りません」
「あの西洋人がチャペルで話すと言ったが、チャペルって何だろう?」
「それも分らなくて考えているんです」
「今も門のところで別の西洋人に会いましたね」
「西洋人の先生が大勢いるそうです。小さい西洋館は皆その家ですよ」
「それじゃ英語の力がつく。矢っ張りいようかな?」
「君は入学したんじゃないんですか?」
「入学はしても、退学も出来るでしょう」
「それじゃ先刻同県人だから
「あれはミッション・スクールってことを知らなかったからです。
と野崎君はその頃から
「君は耶蘇がそんなに嫌いですか?」
「さあ、僕は何うでも
「
と私はつい思い浮んだまゝを訊いた。
「失敬な」
「何です? それじゃ」
「酒屋ですよ」
「成程」
「耶蘇は禁酒会ですからね」
「
「いや、大敵です。
「君は酒が好きですか?」
「嫌いです。その代り煙草が好きです。この通り」
と野崎君は懐ろから取り出した。この頃は
「煙草も学園じゃいけないんですよ」
「知っています」
「やめたら
「内証でやるさ。実は先刻便所で一本すってやった」
「野崎君」
「何です?」
「君のようなのは静岡県人の恥さらしですよ」
「何故?」
「そんな卑怯なことがあるものですか」
「いると決心がつけば無論やめますよ」
「
「河原君、君は憤ったのかい?」
「いや、僕は耶蘇だ。憤らない」
「折角君と友達になったんだから、矢っ張り一緒に勉強しようかな?」
「
「君、君は何でも僕と一緒になって頑張ってくれないかい?」
「何をするんです?」
「喧嘩の時ですよ。君と僕と二人で組めば他県人に負けない」
「僕は喧嘩なんかしません」
「矢っ張り耶蘇だからですか?」
「えゝ」
「しかし君は変な耶蘇だぜ」
「何だって?」
「見給え。もう憤った」
「憤りはしない」
「先刻僕が小突いたら、きっかりその数だけ小突き返したじゃないか?」
「ハッハヽヽヽ」
「そんな耶蘇はない。
「ハッハヽヽヽ」
と私は急所を突かれたので、笑って
その晩、私達は長いこと語り合った。同県だから、何彼と共通の話題があった。野崎君は舎監がいないというのに安心して煙草をすった。学園そのものについては、
「矢っ張りこゝで勉強しよう」
と
「何うも丸尾って奴はひどいよ。僕を耶蘇学校へ入れたばかりか、紹介状に僕の悪口を書いたのらしい。猪股先生に会った時、君とは待遇が違っていた。矢っ張りこゝは早く切り上げる方が
と気が変って、結局、
「僕は斯ういう時には一晩寝て起きると、頭の中に決心がついている。明日の朝までには確定するよ」
と
翌朝、私は目が覚めると直に五階の塔を思い浮べた。富士山が見えると聞いていたので、早速上って行った。成程、能く見える。箱根と覚しい山を踏まえて、チョコンと立っていた。故郷の山だ。無論
「案外小さいな」
とさえ思った。
「河原君」
とそこへ野崎君が上って来た。
「やあ、起きたのかい?」
「もう決心がついたよ」
「
「こゝでやる」
「それは
と私は喜んだ。
「もう一つ決心したよ」
「何だい?」
「耶蘇には決してならない」
「ふうむ」
「感心したかい?」
「当り前さ。耶蘇だから来るって人が多いのに、君は変っている」
「ところでもう一つあるんだ」
「何だい?」
「耶蘇と喧嘩をして負けるのは口惜しいから、煙草をやめる。見給え。この通りだ」
と野崎君は煙草の袋を
「好い決心だよ」
「斯ういう具合に
「ナカ/\
「しかしこゝに吸殻が落ちているぜ」
「成程」
「こゝにもあるよ」
「寄宿生がこゝへ来て吸うのかも知れない」
「それじゃ考えものだぞ」
「いけない/\」
「ハッハヽヽヽ」
「君、富士山が見える」
と私は指さした。
その日、私達が事務室へ行って入学金と授業料を納めているところへ、又一人の同級生が着いた。此奴が現在の
「新入生は君達三人きりらしい。尤も中学部から来るのが六人ある」
と言った。
「私は群馬県の産、赤羽明と申します。何分宜しく」
と赤羽君は
「宜しく」
と野崎君は肩を怒らせて睨みつけた。悪い癖だ。直ぐに喧嘩を売りかける。
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群馬県の産、赤羽君は矢張り寄宿舎へ入って、私達の隣室に落ちついた。荷物を片付けると直ぐに出て来て、
「好い学校ですな。僕は西洋館は初めてです」
とニコ/\した。
「群馬県の学校は藁葺きですか?」
と野崎君が
「学校は皆西洋館ですけれど、寄宿舎の話です」
「僕達の方じゃ寄宿舎も皆西洋館です」
「何処ですか?」
「静岡県です」
「随分進んでいるんですね」
と赤羽君は争わなかった。
「新入生が僕達三人きりとは心細いですな」
と私は話題を変えた。野崎君は喧嘩を売る気だ。始まれば私が同県人だから加勢につくと信じている。
「そこがこの学校の特徴だそうですよ」
「生徒の
「えゝ。多いといけません」
「何故ですか?」
「
と赤羽君は何気なく言った。野崎君は肩を怒らせた。これはいけないと思っていると、果して、
「赤羽君、群馬県ってのは馬の多いところですか?」
とやり出した。
「さあ」
「馬ばかり
「字は然うですが、馬は福島県でしょう。一向作りません」
「それじゃ人間の顔が長いんでしょう。馬のような人間が群っているんでしょう」
「そんなことはありません。大人物が出ています」
「誰です?」
「
と赤羽君は目を輝かした。
「大臣ですか?」
「違います」
「実業家ですか?」
「君は新島襄先生を御存じないんですか?」
「知らん、そんな人」
「ハッハヽヽヽ」
と私は笑い出した。
「何が可笑しいんだ? 君」
と野崎君は私に喰ってかゝった。
「
「卒業生かい?」
「同志社の社長さ。
「同志社なら知っているけれど」
「豪い教育家だよ。もう死んでしまった」
「僕は信者じゃないからね。福沢先生なら知っているけれど」
と野崎君は
間もなく私は、
「赤羽君、君は信者ですか?」
と訊いて見た。
「いゝえ」
「お家が信者ですか?」
「いゝえ。僕は基督教は嫌いです」
「それじゃ何うしてこの学校へ入ったんですか?」
「実は去年高商を受けて
「それまでの腰掛ですか?」
「えゝ。しかし確信がありません」
と赤羽君はニコ/\した。
「これは話せる」
と野崎君が共鳴した。
「ハッハヽヽヽ」
「僕も去年高商をしくじったんです」
「
「何故?」
「君の受験番号は二百五十九番でしたろう?」
「
「僕は二百六十番です。君は僕の直ぐ前の机でした」
「はゝあ」
「カンニングをやったでしょう?」
「冗談言っちゃいけない」
「僕は後ろから見ていました。英語の時間に辞書を引きました」
「おや/\」
「それだから印象が深いんです。
と赤羽君は
「悪いことは出来ない」
「ハッハヽヽ」
「しかし入学試験のカンニングは
「実は僕もやったんです」
「それ見給え」
「君のを見たんです」
「何の時?」
「数学の時です」
「僕のを見たんじゃ落第するよ」
「その
「罰だ。ハッハヽヽ」
と単純な野崎君は態度を一変して、旧知のように話し始めた。
「君も又受けるんですか?」
「さあ」
「僕は兎に角受けようと思っています」
「それじゃ僕もやって見ようかな?」
と入学早々、他の学校へ逃げ出す相談だ。
「二人とも腰掛じゃ
と私は失望した。
「腰掛とも限りませんよ」
「僕も限らん」
「落第すれば、このまゝ居残るんです」
「僕も
「高商はむずかしいです。僕は数学が出来ません。英語が駄目です。そこへ持って来て暗記物が形なしですから、
「僕だって同じことだ。一旦決心をしたんだから、矢っ張りこゝにいる方が
「こゝだって専門学校です。卒業すれば
「英語の力丈けはつく」
「それですよ。僕もいようかな? 又数学をやり直すのが辛い」
「瘠せるくらい勉強するのかと思うと、厭になる」
「英語さえ出来るようになれば、高商も同じことですよ。折角入ったんだから、もう諦める方が宜いかも知れない」
と二人はグラついていて、
そこへ廊下から部屋を一寸覗いたものがあった。
「誰だい?」
と野崎君が咎めた。実に威張りたがる男だ。
「僕です」
「僕じゃ分らない」
「
「何か御用ですか?」
と私は野崎君を遮って、立って行った。喧嘩を始められては困る。
「あなた方は高等学部へお入りになったんですか?」
「はあ」
「僕も高等学部のものです。今帰って来たばかりです」
「然うですか? 失敬しました。僕達は新入生ですから、何うぞ宜しく願います」
「僕も新入生です」
「しかし中学部からお入りになったんでしょう?」
「はあ」
「それじゃ先輩です。何うぞ宜しく」
「僕こそ」
「お入りなさい」
と赤羽君が歓迎した。
これが現在○○教会の牧師として都下の
「僕は安部です。ヤンチャンですから、
「僕は河原と申します」
「僕は野崎喜三郎、乱暴ものです」
と野崎君は肩を怒らせて睨んだ。
「僕は群馬県の産、赤羽明と申します。今しがた入ったばかりで勝手が分りません。何分宜しく」
と赤羽君は丁寧にお辞儀をした。
「僕こそ」
「早速ですが、安部君」
「何ですか?」
「便所は何処ですか?」
「一番下です」
「下の何の辺ですか?」
「一緒に参りましょう」
と安部君が案内して行った。
「ひどい奴だなあ」
と私は呆れた。
「馬鹿だよ。群馬県の
と野崎君は悪口を言った。
安部君はその頃から弁才に長じていた。私達に較べると社交的でもあった。群馬県を便所へ案内した序に部屋から自分の椅子を持って来て、明治学園の過去と現在を
「一体に振わない学校ですよ。建物の大きいのは見かけ倒しです。生徒よりも先生の方が多いんですからね。高等学部は生徒が十人以上あったことはありません」
「そんなに
と私は今更驚いた。
「新入生は君達三人きりですか?」
「
「それじゃ一年級はこの四人と後五人ですよ。二年が二人です。三年は一人いたのが死んでしまったから、
「はゝあ」
「高等学部が一番振いません。その次は神学部です。十二三人いましょうかな」
「神学部って何ですか?」
と野崎君が訊いた。
「基督教の牧師を養成するところです」
「本当の耶蘇学校ですね?」
「
「僕の知っている
と私は思い出した。
「
「慌てゝいやがる」
と野崎君が言った。
「しかし豪い人ですよ、ジョンソン博士は」
「立派な人ですね。昨日お目にかゝりました」
と私は博士のことをもっと知りたかった。占部牧師から聞かされているので興味がある。
「まあ、聖人君子でしょうな」
「
「何処となく豪いところがあります。他の先生は然うでもないですが、ジョンソン博士丈けには自然頭が下ります」
「新島襄先生と
と赤羽君は不服のようだった。
「新島先生はこゝとは教派が違いますが、ジョンソン博士を豪いと言ったそうです。ジョンソン博士も新島先生のことを説教の中に持ち出して、大変に褒めていました」
「それは当り前です」
「君は信者ですか?」
「いや、信者じゃありませんが、新島襄先生と同郷です」
「成程。群馬県でしたね?」
「はい。
「それじゃ
「はい」
「僕は今新島先生の伝を研究しているんですから、何んな町だか教えて下さい」
「はい」
「馬がはい/\言っている」
と野崎君が
「何だい?」
「何だ?」
「馬ってのは失敬だぞ」
「馬丈けなら
「君は僕を馬鹿にするのか?」
「今分ったのか?」
「君、喧嘩はよせよ」
と私が制した。
「君は紳士の礼儀を知らない」
「君こそ知らない。信者でもないくせに新島先生の自慢をするのは
「何だ? 君は新島先生を知らなかったじゃないか?」
「知らない方が正直で宜い」
「············」
「
「成程」
「もうやめろ」
「やめる」
と赤羽君は
安部君は新島襄先生を諦めて、
「中学部丈けが先ず世間並です。二百人近くもありましょう。僕達の級から盛んになったんです。僕達は二十人でした」
と話を
「その中から六人来るんですね」
と私が又相槌を打った。
「
「
「早稲田と慶応へ大分入りました。アメリカへ行くものもあります」
「はゝあ」
「三四人官立を受けますから、九月には
「落武者って何ですか?」
「一高や高商で
「成程」
「耳が痛いね」
と赤羽君が野崎君を見返った。
「実は僕達も去年の落武者ですよ」
と野崎君が頭を掻いた。二人とも案外無邪気なところがある。
「河原君は信者でしょうね?」
と安部君が訊いた。前後の関係から落武者は何うせ信者でないというような意味にも取れた。
「はあ」
「教会は何処ですか?」
「
「お郷里は?」
「静岡県の○○町です」
「いつ洗礼をお受けになりました」
「中学三年の時です」
「それじゃ僕と同じことです。神学校へお入りですか?」
「いゝえ。あなたは?」
「
「僕は中学校の先生が志望です」
「それも宜いでしょう。こゝを出た人は大抵英語の先生になっています」
「しかし資格がないんですってね?」
「さあ」
「教員免状が貰えないんですって」
「しかし大勢なっていますよ」
「それは検定試験を受けて取ったんです」
と私は父親が小学校長だから、この辺の事情に
「何うしたんでしょう? 二人は」
と間もなく安部君が
「さあ」
「僕が忘れて君丈けと話していたものだから、憤ったんじゃないでしょうか?」
「そんなこともないでしょう」
「
「いや、野崎君は昨日、赤羽君は今日からです」
「
「今に屹度喧嘩をしますよ」
「僕は先刻心配しました」
「野崎君はミッション・スクールってことを知らないで入ったんです」
「はゝあ」
「
「新島襄先生も大分変っていますよ」
「顔付からして当り前じゃありません」
「年寄のようなところがあると思うと、子供のようなところもあります。男のような女のような、全く
「
「ハッハヽヽ」
「老若男女と
「いけませんよ。僕達は信者です」
「信者だって言論は自由でしょう」
「いゝえ、言論じゃありません。兄弟の
「人を議すること
「汝等も亦議せられん」
「ハッハヽヽ」
「ハッハヽヽ」
野崎君と赤羽君はナカ/\帰って来なかった。安部君は尚お話しこんだ後、折から戻ったばかりの吉田君を紹介した。それから私は独り机に向って、郷里の両親と占部牧師に手紙を書いた。
「おい」
と野崎君が赤羽君と一緒に帰って来た。
「何処へ行ったんだい?」
「赤羽君と二人で蕎麦屋へ行って、
「大に
と赤羽君は老若男女の
翌朝、入学式があった。九名の新入生の中、四名まで姿を見せない上に、二年生が二名総欠席をしたものだから、私達は
「
と幹事の
「一つの腰掛に一人宛かけて下さい」
という註文だった。居並ぶ先生方が笑った。頭数を多く見せたいという苦心が現れていた。
式は讃美歌で始まった。
私は信者だから心得があった。しかし野崎君と赤羽君は初めてらしかった。安部君と吉田君は大きな声で歌った。
讃美歌が終ると、猪股先生が聖書を朗読して、お祈りを始めた。
「在天の父よ······今回、新学年と共に曾つてない多数の有為な青年を私達にお与え下すったことを深く感謝申上げます。前学年の入学者は三名でございました。その中一名はお召しによりまして、お手許へ参りました。その前年の入学者は一名でございました。これもお召しによりまして、お手許へ参りました。その又前年は四名、中一名はお召しによりましてお手許へ参りましたが、残る三名は無事卒業、目下社会へ出てそれぞれ仕事を探して居ります」
と猪股先生のお祈りは、後から安部君に聞いて承知したが、
「父よ。今年は九名でございます。あゝ、我が盃は満ち
と生徒に対する苦情も交っていた。これは私も同感だった。
「父よ、私達教育の任に当るものも実に弱きものであります。あなたのお導きがなければ、何事も出来ません。私達に特別の
といった具合に、先生方への註文もあった。
猪股先生は長いお祈りを終って、
「これから当学園総理神学博士ジョンソン先生にお話を願います」
と紹介した。
「
と博士が
「今日は神さまのお与えの大きな喜びであります。皆さんにお目にかゝること初めてでないかも知れない。知った人います。しかし高等学部の生徒は初めてであります。大きな喜びの
と甚だ
「この明治学園、私、説明します。それは学問の学校でありません。お金儲けの学校でありません。神さまの道、教えるの学校!
とジョンソン博士が感激を与えた積りで両手を拡げた時、私の隣りの
「何うでありますか?」
と博士は首を
「僕、帰ります」
と野崎君は戸口の方へ向って歩き出した。
「お待ちなさい」
と博士は壇上から招いて足らず、
「誰か止めて下さい」
と頼んだ。赤羽君が追って行って、何か囁いた。野崎君は
「お金儲けの学問、手の
と博士は
「唯今、憤った生徒がありました。それ、私の日本語
と結んだ。何の誤解か分らない。恐らく余り日本語が上手なので、野崎君が憤ったと思ったのだろう。
その日、野崎君と赤羽君の問答が面白かった。
「君、
と赤羽君が訊いた。
「矢っ張り退学する」
「それじゃ約束が違う」
「何故?」
「
「君は勝手にし給え」
「一体君は何が気に入らないんだ?」
「僕はお金儲けの学問だ。実業界が志望なんだからね」
「僕だって
「それなら行動を共にし給え」
「いや、僕はこゝで勉強しても同じことだと思う」
「こゝは魂の問題が先じゃないか?」
「あれは人格のことだよ。あれぐらいのことは何処の校長でも言う」
「帰れなんて失敬だ」
「校長は皆あゝ言うのさ。
「············」
「見給え。君が立ったら、直ぐ止めたじゃないか?」
「まあ、考えさせてくれ」
と野崎君は腕を組んだ。
「生徒の
「············」
「尠い方が
「何故?」
「五十人いれば、先生の教えることが五十分の一しか覚えられない。九人なら九分の一覚えられる」
「そんな勘定はないよ」
「無論
「苦しいぞ」
「楽に勉強しようって
「
「英語の力さえつけば高商も同じことだ。決心しろよ」
「さあ」
「僕はこの学校が気に入った。見込がある」
「しかし生徒が毎年一人宛死ぬんだぞ」
「僕達は大丈夫だ。信者が死ぬんだ」
「兎に角、今夜一晩待ってくれ」
「借金取りに会ったようなことを言うなよ」
「僕は寝て起きると決心がつく」
「散歩に行こう。もっと話して聞かせる」
と赤羽君は一生懸命だった。
[#改ページ]
「神さま。
というのが私の感謝だった。明治学園の生活は
「こゝだ。新入学と共に生れ
と
或朝、私が五階の塔へ登って、
「お早う」
「お早う」
と双方同時に挨拶をした。
「君は
と安部君は溜息をついた。
「
「実に
「君こそ能く祈る」
「いや、僕は
「そんなことはないですよ。僕は早く済んで君の方を見たら、君が
と私は有りの儘を告白した。
「僕も
「それにしても僕は三度目を開いています」
「僕も一二三、矢っ張り丁度三度です」
と安部君も
野崎赤羽の両君は特別として、最初に会っている
「これは何ですか?」
と私が訊く。
「
と安部君が教える。チャペルでも、
「あの頭の禿げた西洋人は何という人ですか?」
「ニコルさんです。幾つに見えます」
「六十ぐらいでしょう」
「可哀そうに。四十そこ/\ですよ」
「若いんですね」
「あの頭に毛が
「はゝあ」
「先生、一生懸命になって、毎朝
「そんなものが
「駄目でしょう。先生、奥さんのことゝ頭のことばかり考えています。そら、頭を撫ぜながら、時計を出して見ているでしょう?」
「えゝ」
「あの時計の蓋の裏に奥さんの写真が焼きつけてあるんです」
「成程」
と私はその都度何か得るところがある。
授業が始まって二三日してからのことだった。放課後、安部君は、
「河原君、その辺へ散歩しませんか? 好いところがありますよ」
と誘ってくれた。
「お供しましょう」
と私は丁度散歩の時間だった。その頃の東京は場末が
「まるで田舎でしょう?」
「えゝ。水車がありますね」
「こゝが僕の散歩道です。夕方独りで来て、
「君は詩人ですな」
「斯ういう美しい自然界へ出ると、誰でも詩人になりますよ」
「東京にこんな静かなところがあるとは思いませんでした」
「夕方はあの森へ日が落ちるんです。何とも言えない
「実際好い」
「讃美歌を歌いながら歩きましょう」
と安部君は早速
「おうい」
「馬鹿野郎やあい!」
と呼ぶものがあった。
「野崎君と赤羽君だ」
と私は振り返った。
「待てよう」
と野崎君は手を挙げて、赤羽君諸共駈けて来た。
「御散歩ですか?」
と安部君が訊いた。
「いや、これです」
と野崎君は持っていた煙草を見せた。
「寄宿舎じゃ吸えないから、この辺まで出て来るんです」
と赤羽君もスパ/\やった。
「いけないぜ、野崎君。君はもうやめると言ったじゃないか?」
と私は
「申訳ない。三日坊主だ」
「駄目だなあ。静岡県は」
「群馬県が誘惑するんだもの」
「ハッハヽヽヽ」
と赤羽君は膝を叩いて笑い出した。
「二人で時々散歩に出る
と私は思い当った。
「まあ/\、勘弁してくれよ」
と野崎君は責任を感じているようだった。
「構わないよ。君の勝手だもの」
「もう信用しないかい?」
「そんなことはない」
「勉強は
「もう
と私は気の毒になった。
四人連れ立って歩き始めた。
「安部君」
と赤羽君が話しかけた。
「何ですか?」
「煙草は何故いけないんでしょう?」
「さあ。分りませんな」
と安部君は明答を避けた。議論を吹っかけられると思ったのらしい。
「聖書に煙草を飲むべからずという規則が出ているんですか?」
「そんなことはありません。
「見給え、野崎君。僕が勝った」
と赤羽君が威張った。
「そんなことは僕だって知っているよ」
「知らなかったじゃないか?」
「あれは聖書の
「煙草以前の人が煙草の戒をする筈はないよ」
「それは
「見給え」
「しかし直接煙草の戒でなくても、今の時代に引き直して、意味が然う取れゝば同じことじゃないか?」
「今更誤魔化しても駄目だよ」
「誤魔化すものか。僕は単に一般的に煙草は聖書の教訓に
と野崎君が主張した。
「君は
「何を知らない?」
「新島襄先生を知らなかったじゃないか? 基督教のことは何も知らない」
「君こそ知らないよ」
「君はミッション・スクールを知らなかったじゃないか?」
と赤羽君が
「やめ給え。喧嘩になる」
と安部君が心配して割り込んだ。双方
「赤羽君、それじゃ君は基督のことを知っているのか?」
と野崎君が再び進み寄った。
「知っているとも」
「基督は紀元前何年の人だ?」
「さあ」
「言って見ろ。早く言って見ろ」
「待て」
「大体で
「
と赤羽君は考え込んだまゝ、行き詰まってしまった。
「見ろ、馬鹿野郎!」
と野崎君が極めつけた。
「············」
「基督紀元を知らない奴があるか?」
「知っているよ。基督は紀元元年だ」
「教わってから言っても駄目だよ」
「つい釣り込まれたんだ」
「知らなかったんだよ」
「君が
と赤羽君には何処か愚なるが如きところがあった。
安部君は再び讃美歌を歌い始めた。私も負けない気になって怒鳴った。しかし
「君の声は太いですな?」
と私は歌の切れ目に訊いて見た。
「ベースですよ」
「は?」
「ベース」
「何のことですか?」
「御存知ありませんか? 正式に習っているんです」
と来た。田舎の教会育ちは情けない。私は少し極りが悪くなって、ふと見返ったら、野崎君と赤羽君がもういなかった。
「
「敬遠したんですよ、窮屈で」
「あの百姓家のところから曲ったんだ」
と私が立ち止まって見返った時、
「馬鹿野郎やあい!」
と呼ぶ声が聞えた。
「ひどい奴等だ」
「河原と安部の馬鹿野郎やあい!」
「何だ? こん畜生!」
と私は声の方角へ二三歩進んだ。
「君、それはいけませんよ。悪に敵すること
と安部君が制した。
「
「あの二人は心に
「あゝ、
と私は二人の姿を立木の間に認めた。
「
と安部君が聖句を
「
と受けた。
「ハッハヽヽ」
「ハッハヽヽ」
「あの二人は
「命の為めに何を食い何を飲まんと思い
「命は
「空の鳥を見よ。
「この故に明日のことを思い
「明日は明日のことを思い患え」
「一日の苦労は一日にて足れり」
と二人は基督の言葉で語り合った。お互に
「時に河原君、君は明治学園が気に入りましたか?」
と安部君は話題を
「えゝ」
「好い学校でしょう?」
「申分ないんですが、一つ案外に感じたことがあります」
「何ですか?」
「ミッション・スクールだから、生徒は皆信者だろうと思っていたら
と私は元来怪しげな信仰を如何にも確実のように
「それは仕方ありませんよ。誰でも入れるんですから」
「ミッション・スクールなら、もっと信仰を勧めれば
「チャペルでやる
「あんなことじゃ
「さあ」
「洗礼を志願するものがあるんですか?」
「ありますよ。僕なんか
「誰がやるんですか?」
「ジョンソン博士です。晩は他の人ですけれど」
「早く聴きたいものですな」
「
「女学生が来るんですか?」
「えゝ。僕達は右側に坐ります。女学園の連中は左側です。それで面白いんですよ」
「何ですか?」
「皆女学生の方を見るんです」
「説教中にですか?」
「えゝ」
「それは不都合千万だ」
「ハッハヽヽヽ」
「叱られるでしょう?」
「何あに、時計が左側の壁にかけてあるものですから、それを見る風をして誤魔化します」
「
「これを『左向け』と言っています」
「成程」
「皆左向けばかりするものですから、いつかジョンソン博士がチャペルで
「ハッハヽヽ」
「皆やっているんですよ」
「しかし皆信者でしょう?」
「信者には限りません。生徒ですから」
「中学部も神学部も出るんですね?」
「えゝ。神学生が一番左向けをします」
「これは驚いた」
「アメリカあたりじゃ皆
「然う言えば、君も少し左へ曲っていますよ」
「ハッハヽヽヽ。僕は大丈夫です」
と安部君は否定した。
「
「もう一人立花君があれでも信者です」
「熱心ですか?」
「
「え?」
「蝙蝠信者ですよ。エソップにあるでしょう? 蝙蝠は鳥の仲間へ入ると、おれは鳥だと言って、獣の仲間へ入ると、おれは獣だと言います。立花君もその通りです。信者の仲間へ入ると、信者らしくして、未信者の仲間へ入ると、未信者らしくします」
「厭な奴だなあ」
「抜け目がないんです」
「僕はそんな
と私は
「しかし成績は好いですよ。
「一番ですか?」
「えゝ」
「君は二番でしょう?」
「僕は三番です。吉田君が二番です」
「吉田君は真面目のようですね?」
「あの人は模範的です。好い信仰を持っています。お父さんが牧師ですからね」
「道理で違う」
「
「誰ですか?」
「高木君です。痛快な男ですよ」
「もう一人何とかいうのがいるじゃありませんか?」
「佐伯君ですか? 谷君ですか?」
「さあ。
「
「えゝ」
「それじゃ佐伯君です」
「あれは生意気ですね」
「案外好人物ですよ。金持のお坊っちゃんですから、皆に
「通学生ですね、二人とも」
「えゝ。
と安部君は級友の
土曜日の晩に
「懇親会ってのはソーシャル・ガザーリングかい? 一つ覚えた。
と野崎君が感じた。
「これは間違っている。会はソサイチーだ」
と赤羽君は別に説を立てた。
「その会とは会が違うよ」
「会は何でも会さ」
「団体の会はソサイチーさ。集会はガザーリングかミーチングさ」
「成程」
「分ったかい? 基督は紀元元年だよ」
と野崎君はこれ丈け余計だった。赤羽君は黙って唇を咬んだ。これがこだわりになったと思われる。
会は教室で催された。
「これから指名しますから、当った人は成るべく詳しく自己紹介を願います。河原君」
と
「御郷里は
と請求した。私は又立って、
「郷里は静岡県○○町、千秋の雪を戴く富士山の裾野であります」
と附け足した。
「静岡県、もっとやれ」
と野崎君が力をつけてくれた。
「赤羽君」
と立花君が指名した。私達は三人並んでいた。
「私は群馬県の産であります」
と赤羽君が立上った時、皆クス/\笑った。もう幾度も聞いている。
「群馬県と申しても、馬ばかり出るところではありません。大人物が出ています」
「始まったぞ、新島襄先生が」
と野崎君が先廻りをした。
「新島襄何者ぞ? 彼の如きは群馬県の本領を語るものに非ず。群馬県からはもっと豪い人物が
「誰だ?」
「国定忠次を初めとして、日本国中を
「············」
「臍が茶を湧かす。静岡県の富士の山が何だ?」
「············」
「
と赤羽君は
「野崎君」
と立花君が指名した。
「静岡県の比でないとは何だ? 君は清水の次郎長を知らないか?」
と野崎君は赤羽君を睨みつけた。
「文句があるなら後から聞こう」
「野崎君、願います」
と立花君が促した。
「僕は静岡県、河原君と同県ですが少し西へ寄って、
「強くない」
と赤羽君が弥次った。
「いや、強い。その証拠に、僕の村には上州無宿の墓が二三十ある。これは昔、上州の博奕打が喧嘩に来たのを皆叩き殺してしまったのだ。殺した方と殺された方と何方が強いんだ?」
と野崎君は
「こん畜生!」
と赤羽君は立ち上りざま、野崎君に横ビンタを
「何をしやがる」
と野崎君がその手を捉えて、組み打ちになった。
「よせ/\」
と私達は止めたが、二人は揉み合って、
「ランプが
「危い/\」
と皆口々に言いながら手探りを始めた。その瞬間、床の上がパッと燃え上った。流れた石油に火がついたのである。
「火事だあ」
と叫んだものがあった。皆羽織を脱いで叩き消した。野崎君も赤羽君も喧嘩を忘れて手伝っていた。
「
と小使の老人が提灯を持って駈けつけた。
「もう大丈夫だ」
「いけません。火事を出すようなものに教室は貸せません。
「後はもう気をつけるから」
と立花君が歎願したけれど、小使は承知しなかった。懇親会が取り止めになったのみならず、翌々朝学校の掲示板に、
「教室にて集会を催すことを一切禁止す」
と出ていた。
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野崎君と赤羽君は喧嘩をしても、直ぐに仲よしになる。懇親会で組打をやった翌朝は
「おい。ぼんやりしていないで、散歩にでも出掛けないか?」
と野崎君の方から話しかけた。
「
と赤羽君が簡単に応じた。二人偶然私の部屋で落ち合った時だったから、
「昨夜は
と私は
「静岡県の方が強かったろう?」
「何あに、群馬県の方が強かった」
「本当にやるんだなあ、君も」
「小突かれちゃ黙っていられないよ」
「
「おれも
「ハッハヽヽヽ」
「ハッハヽヽヽ」
と二人はもう何等
懇親会は喧嘩で中止になったが、私達同級生は間もなく
「僕達は腰掛だよ」
「
と言って、官立学校の試験を受ける為めに、英語の授業丈け
「
と高木君が憤慨した。しかし母校ばかりでない。二人は江戸っ子を鼻にかけて、私達地方出の新入生を馬鹿にした。
「
なぞと
「佐伯って奴は生意気だ」
と言い出した。谷君もやるのだが、佐伯君は柄が大きい丈け余計目についた。
「何故?」
と赤羽君は呑気だった。
「分らなければ
「教えてくれ給え。喧嘩なら加勢をしてやる」
「彼奴は僕達を馬鹿にしている」
「そんなことはないだろう。僕には
「それが生意気じゃないか? 僕にもしやがった」
「僕にもしたよ」
と私も二三回やられている。
「
「君は
「何故?」
「上州長脇差は人が好い」
と野崎君は益

「いくら長脇差だって、売らない喧嘩は買いようがない」
「売っているんだよ。質問にもよりけりだ。僕には rustic と書いて来て、『君、この字を知っているか?』と訊いた」
「君も知らなかったのかい?」
「rustic ぐらい知っているよ。
「
「今分ったのかい?」
「兎に角、辞書を引いて見る」
と赤羽君は
それから間もないことだったと記憶する。会話の時間に
「ミスター・アカベーン」
と呼んだ。Akabane とある
「先生、僕の名はアカバネです」
と赤羽君が訂正を申入れた。
「それではミスター・アカバネ」
「はい」
「君は好い話題を提供してくれました」
「············」
「アカベーンと呼ぶと何故皆が笑いますか? その
「············」
「アカベーンは木の名ですか? 石の名ですか? 或は又鳥の名ですか?」
とニコル先生は早速会話の材料に応用した。しかし赤羽君はもう上ってしまって、聞き取れない。
「何だい? 何だい?」
と日本語で私に訊いた。私も
「アカベーンの説明だよ」
と智恵をつけてやった。
「アカベーン」
と赤羽君は早速目の下に指を当てゝ舌を出した。
「ミスター・アカベーン」
「日本、アカベーン」
「ミスター・アカベーン」
「日本、アカベーン」
「ミスター・アカベーン、やめなさい!」
とニコルさんは机を叩いた。
「先生」
と立花君が立ち上った。
「何ですか?」
「アカベーンについて、私の知っているところを申上げたいと思います」
「話して御覧なさい」
とニコル先生は
「ミスター・アカバネは先生に失礼を申上げたのでありません。アカベーンの
と立花君は比較的
「分りました。ミスター・タチバナ、有難う」
とお礼を言って、もう一方赤羽君に、
「ミスター・アカバネ、君のアカベーンの実例によって得るところがありました。有難う」
「ジス、日本、アカベーン」
「もう
「ジス、私、アカバネ」
「分りました」
「はい」
と赤羽君が坐った時、一同腹を抱えて笑い出した。
授業が終ってから、
「日本アカベーンはひどかったね」
と野崎君が
「ジャッパン・アカベーンの方が
と赤羽君は平気だった。こんな野郎が何百万の成金になったのだと思うと、世の中も変なものだ。
このアカベーン事件には余談が二つある。一つはニコル先生が早速実地に応用したことだ。或日
「諸君は西洋人に嘘を教えて
と怖い顔をした。
「············」
「こゝの人は皆日本に一生涯を捧げる積りで来ているんだから、
「僕です」
と赤羽君は立ち上った。
「そんな
「あれは会話の時間に······」
「いや、後からで宜しい。教員室へ来て、一応ニコルさんに断りを言い給え」
「はあ」
「ニコルさんはこの間の日曜に或教会へ行って説教中、あれをジェスチュアーに応用して笑われたそうだ。生徒の言うことは信じられないって、
「············」
「気をつけてくれなければ困る」
と猪股先生は事情を知らないものだから、皆で
もう一つは佐伯君が受けた
「日本アカベーン」
と言って、その通りの真似をしたら、赤羽君が
「邪魔するな」
「まあ、
「余計な世話を焼くと
と赤羽君はそこに置いてあった佐伯君のマンドリンを蹴飛ばした。佐伯君は学校の帰りに稽古に寄るので、いつも持って来る。その頃の学生は
「何をする?」
と佐伯君は無論憤った。
「ヴァイオリンなんか習やがって」
「ヴァイオリンじゃない。マンドリンだ」
「
「分らず屋! マンドリンを習って何が悪い?」
「黙れ! 国賊」
と赤羽君は忽ちマンドリンを踏み
「江戸っ子は矢っ張り口ばかりだ」
と野崎君は拍子抜けがした。
「始まったら、僕も手伝う積りだったのに」
と高木君も待ち構えていたのだった。私は信仰上暴力を好まないが、佐伯君が撲られるようにと念じていた。
同級生としての佐伯君と谷君はこれで記憶から消える。二人は官立の入学試験が近づいたというのを口実に、もう学校へ来なかった。しかしその年も翌年も失敗したと見えて、私達が二年になった秋に、
「おい。又来たのかい?」
と赤羽君は威張った。
「宜しく頼む。明治学園は矢っ張り好いよ」
と帰り新参共は下から出た。
私達七名の同級生は
学課は案外楽だった。先生が大抵アメリカ人で何でも英語で教えるから、最初の中はまごついたが、間もなく慣れた。唯七名だから、毎時間
「おれの言った通りだろう。否応なしだ。これで力がつくんだ」
と先見の明を誇る以上、相応勉強しなければならなかった。
「これなら申分ない。落第がないってんだから安心だ」
と野崎君も腰を据えた。
「高等学部に限って落第は決してありません」
と立花君が保証した。
「何故でしょう?」
「高等学部は生徒は紳士として待遇するんです」
「成程。三階から小便したり、大変な紳士だ」
と野崎君は首を縮めた。
一学期の試験の時に、この紳士待遇の事実が分った。能く赤羽君が引き合いに出るが、大将、論理の答案が書けなかった。時間がドン/\迫って来る。
「おい。教えてくれ」
と隣席の私に向って
「駄目だよ。パートリッジ先生が見ているよ」
と囁いて、私は受けつけなかった。問題がむずかしい。私も出来ないのがあって、ベルの鳴るまで机にしがみついていた。パートリッジ先生は赤羽君のところへ進み寄って、
「書けませんかね?」
と訊いた。
「はい」
と赤羽君もそれぐらいのことは分るようになっていた。
「少しでも
「············」
「この答案用紙は君には大き過ぎる。これ丈けで宜しい。お書きなさい」
と先生は紙の耳を
「矢っ張り紳士待遇だよ。これじゃ義理にも勉強しなければならない」
と言って喜んだ。
紳士達はナカ/\横着だった。一学期で味を占めて、二学期から本性を現し始めた。秋晴の午後は兎角誘惑が多かった。
「
と
「
と放課を待ち
「しかし授業が進むと後が苦しいぞ」
「安部君と吉田君を買収しよう」
と早速相談を持ちかける。安部君も紳士だ。
「賛成だね。こんな好い天気の日には
と応じる。吉田君も、
「僕は少し疲れているから、休もうかと思っていたところだ」
と元来病弱だから、決して反対しない。級長の立花君は特待生という都合上、自分一人
「皆休むとストライキになるから僕丈け出て、先生に断りを言おう。一人じゃ授業はしないよ」
と自分の為め又一同の為めに然るべく計らってくれる。しかしこれを度々やると、
紳士達は斯ういう散歩の途上、調子に乗って
「こら!」
と百姓が突然物蔭から現れた。私達三人は直ぐ逃げ出したが、木の上の野崎君は何うも出来ない。ノソ/\下りて来て、百姓に取っ
「さあ。交番へ来い」
と
「この野郎、太い奴だ」
と取っ捉まえた。
「や、旦那ですか?」
と先方も覚えがあった。
「この間は何だ?」
「恐れ入りました」
「学園へ出入りするものが学園の生徒を捉まえるって法があるか?」
「ついお
「馬鹿野郎!」
「まあ/\、
「あやまるには礼式があるだろう?」
と野崎君は小突き/\論判して、柿を
私はいつの間にかこの未信者組との交際が深くなった。鹿爪らしいことばかり言っている信者連中よりも面白い。野崎君も赤羽君も見せかけているほどの
「君、
と一々肩で押す。
「おい。危いよ。僕は川へ落ちてしまう」
と時々注意しなければならない。
「河原君、
と入学早々の頃、高木君が吹っかけたことを思い出す。運動場の芝生で話していた時だった。
「それは信仰の問題さ」
「無論
「僕は信者だから、基督以外に
「他の宗教じゃ駄目かい?」
「無論」
「君の信仰によると、神さまは大変不公平なものになるぜ」
「そんなことはない。神の愛は一視同仁だ」
「違う。西洋人に厚くて、東洋人に薄かった」
「何故?」
「君の信仰に従うと、神さまは基督紀元以来
「それは交通の関係さ」
「ふん。
「············」
「君」
「何だい?」
「要するに宗教も食物と同じことだよ」
「何故?」
「米の取れる東洋では米を食っていれば
「それは
と私は相手の
「それは構わない」
「見給え」
「しかし麦を食わなければ死ぬというのは間違っている。何うだい?」
「さあ」
「神さまは一視同仁なら、米を食っても麦を食っても叱らない」
「それは
「見給え。ジョンソン博士の信仰は間違っている。変なところへ力瘤を入れたものさ。
「神さまはあるさ」
「それは又別問題だ。君」
と高木君は私を運動場の
一年の三学期の時、日露の
「君、塔へ登って祈ろう」
と或朝安部君が誘った。
「厭だよ。寒い」
と私は断った。
「君は時局の為めに
「今は左の頬を打つものに右の頬を向けている時じゃない。非戦論なんかやっていれば、国を取られてしまう」
「君達は分らないな。僕は吉田君と二人で毎朝塔へ登って祈っているんだ。ロシヤだって神を信ずる国だから、
と安部君は真剣だった。信仰で戦争を食い止めようというのだから、意気
「三
と毎日
「やれば日本は
と
「
と説明を加えた。
「負けてもとは何だ?」
と野崎君が
「しかし勝てる確信はないよ」
「
「何?」
と温厚な立花君も
「ロシヤの
「贔負はしない」
「勝てる確信がないなんて、初めから景気の悪いことを言うな」
「戦争は景気でやるものじゃない。
「
「大和魂なんてものは心理学上存在しない」
「
「そんな乱暴な話があるか?」
「貴様のような意気地なしがいるから、ロシヤが威張るんだ」
と野崎君は飛びかゝりそうな権幕だったが、
「こら、分らず屋!」
と赤羽君が組みついて、止めてしまった。
「分らず屋とは何だ?」
「まあ/\、落ちつけ」
「失敬な」
「戦争なんか誰だってしたかないんだ」
「君は今更非戦論者になったのか? 露探まがい!」
と野崎君は睨みつけた。仲よしだから、まがいと濁したのだった。
「感情問題じゃない」
「分っている。正々堂々の議論だ」
「議論でもない。日本は今悪い相手に引っかゝって、戦争するより外仕方がないんだ。勝つも負けるもない。やらなければ亡びるから、
と赤羽君は
戦争は直ぐに始まった。しかし連戦連勝で案じるほどのこともなかった。こんな

「人を
と私達も
「やッ!」
と
「可哀そうだなあ」
と鈍感の赤羽君さえ真青になって、頻りに唾を吐いた。
「あゝ、厭だ」
と野崎君も身震いをした。
「もう行こう」
と私は皆を促して歩き出した。轢死者の浅ましい姿が目について、四人が四人、
「河原君」
と高木君が沈黙を破った。
「何だい?」
「神さまはない」
「············」
「霊魂もない」
「············」
「
「さあ」
と私は考え込んだ。
「人間は生きているから心がある。死んでしまえば、あの通りだ」
「············」
「鳥や獣と
「霊魂はないだろうかね?」
「ない。信者は心を霊魂と取り違えているんだ」
「そんなことはないよ。心以上に何かある」
「今の女に何があったい? 君」
「············」
「あの姿を見て、霊魂があると思えるかい? 肉体が死ねば、もうそれで万事お仕舞いだ。それは霊魂があって不滅なら、こんな都合の好いことはないさ。しかしないよ。霊魂はないよ」
と高木君は例によって押して来た。
「霊魂なんかないな。あの
と赤羽君も悲観していた。
「あゝ、厭だ/\、死ぬのは厭だ」
と野崎君は頭を両手で押えていた。
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この間、陸軍少尉になった
「若い将校だなあ」
とツク/″\見守った。軍服はつけているが、まるで中学生のようだ。
「
と
「それにしても若い。特別早いんだろう」
「同期生の中では一番若い方ですけれど」
と少尉は若いのが残念のようだった。
「信さんは成績が好いんですからね」
と妻はこの甥が大の自慢だ。
「前途有望だね」
と私は異存もないが、
「軍人が若くなったね」
と又やった。
「············」
「兵隊が言うことを聴くかね?」
「聴きます」
「戦争が出来るかね?」
「さあ」
と少尉は迷惑そうだった。
「私達の学生時代には軍人は豪いものだったよ。陸軍でも海軍でも、道で会うと、一人々々拝みたいような心持がした」
「はゝあ」
「軍人は戦争がないといけない」
「はあ」
「一
「叔父さんの学生時代は日清戦争時代ですか?」
「冗談言っちゃいけない。
「失礼致しました。それじゃ日露戦争時代ですね」
「
「一向存じません」
「はてね」
「未だ生れていません」
「ふうむ」
と私は驚いた。
「御覧なさい。人が若く見えるのは自分が年を取った証拠よ」
と妻が笑った。
「成程ね」
「叔父さんはその頃お幾つでしたか?」
「さあ。二十か二十一だったろう」
「それじゃ今の私よりも年下です。軍人が年寄に見える筈ですよ」
と信さんも
私の明治学園時代は日露戦争から切り放して考えることが出来ない。あれは明治三十七八年の戦役となっているが、学校生活から言うと、一年級から三年級まで、足掛け三学年続いた。この故に大抵の思い出が戦争を背景としている。卒業の折はもう平和
挙国一致、日本があれくらい緊張した時代はその後見られない。平和の宗教を説く学園の
「神さまよ、国家の為めに戦う
というお祈りが捧げられた。それはジョンソン博士だった。先生の考えに従うと、戦争をする国は
「この戦争、それは
と極めて当り前のことを言っていた。しかし
「神さまよ、我軍が一日も早く露西亜軍を満州の野から撃退するよう、この上の御導きを与え給え。過日来、敵軍はその勢力を奉天に
と猪股先生はやる。次いで、生徒に向って、
「唯今のお祈りによってお分りの通り、我軍は奉天を占領しました。もう大丈夫です。
と言うところを見ると、お祈りよりも報告だった。
「号外々々! 大勝利の号外!」
と鈴を鳴らしながら駈けて来るもの数名あった。何うした弾みか、その一人が赤羽君に突き当って、
「気をつけろ!」
と怒鳴った。向う鉢巻で気が立っている。
「何だ?」
と赤羽君は早速身構えをした。しかし号外屋は喧嘩を売る積りでなかった証拠に、
「大勝利!」
と言って、一枚突きつけた。
「有難う」
と赤羽君は例によって人柄が好い。
「長谷川さん」
と私は号外屋さんに追い
「やあ、河原君」
と号外屋は立ち止まって鈴を掴んだ。
「珍らしいですな」
「見つかるとは思わなかった」
「僕、探していたんです」
「おい、バルチック艦隊全滅だ」
と赤羽君は号外を私の目の前へ持って来た。私は郷里の中学校で別れた旧友に
「赤羽君、これは長谷川さんだよ。そら、いつか話した」
「唯今は失敬しました」
と長谷川君は少し極りが悪いようだった。
「いや、僕こそ」
「同級の赤羽君です」
「群馬県の産、赤羽明と申します。
と赤羽君が名乗った。
「折角お目にかゝったんですが、お急ぎでしょうね」
と私は長谷川君の
「いや、今日はもう
「それじゃ少し何処かで話しましょう」
「そこへ入ろう」
と長谷川君は私達をミルク・ホールへ誘った。その頃の学生は質素なものだった。ジャムパンを食べ牛乳を飲んで、相応の気焔を上げる。
「あなたは正義の士だと言って、河原君が感心していますよ」
と赤羽君は長谷川君を相手に早速やり出した。号外を一枚貰ったので、
「
「酒屋は
「さあ」
「正義の為めに苦学するのは
「そんな
と長谷川君は迷惑そうだった。他の客が聴いている。
「赤羽君、このバタパンを食って見給え。うまいぜ」
と私は
「
と長谷川さんがシミ/″\言った。
「あなたは年が寄った」
「そんなこともないだろう」
「いや」
「随分無理をするからね」
「僕は神田へ来る度に会うか/\と思って、気をつけていたんです」
「僕はこの春明治学園の側を通った。余っ程寄って見ようかと思ったけれど」
「寄ってくれゝば
「この
「構いませんよ」
「連中から便りがあるかい?」
「小松さんから時々手紙が来ます。北村さんは早稲田にいます」
「北村君には会ったよ」
「いつ?」
「ついこの間。矢っ張り号外を売りに出た時」
「僕はこの正月
「誰にも教えない」
「何故ですか?」
「
「仕方ないです。しかし今何をしているか、それぐらい話しても宜いでしょう」
「この通りさ。新聞配達をやっている」
「学校へは行かないんですか?」
「夜学へ通っている」
「何の?」
「法律学校さ」
「何処の?」
「それを言えば分ってしまうよ」
「分っても宜いじゃないですか?」
「いけない」
「相変らず頑固だな」
と私は諦めた。
「しかし河原君、僕はこれでも
「何ですか?」
「君の蒔いた種が生えた」
「はゝあ」
「僕は神さまが見えかけて来た」
「教会へ出るんですか?」
「うむ。聖書も読んでいる」
「············」
「あの頃の主張は全部取消す。君は僕よりも五つ六つ若いけれど、
「ハッハヽヽヽ」
と赤羽君が笑い出した。
「何ですか?」
と長谷川君は不思議そうに向き直った。
「大変な先覚者です。
「よせよ」
と私は困った。
「去年の今頃です。一緒に散歩に行った時、汽車に轢かれた女を見たんです。それで無神論者になったんです」
「無神論者ってことはないよ。
「
「違うさ」
「同じさ。教会へ出ないもの」
と赤羽君は大ザッパだ。
「君、牛乳をもう一杯飲まないか?」
「もう沢山だよ。
「参ったね。ハッハヽヽヽ」
と私は頭を掻いた。赤羽君はこの通り、
「信仰が一時動揺したんでしょう。それは有り勝ちのことです」
と長谷川君は私の為めに弁解してくれた。
「反動ですよ」
「何の?」
「郷里にいた頃は周囲が皆未信者で基督教のことを悪く言うでしょう。よし、それならやってやるという気で信者になったんです。ところが明治学園へ来ると、周囲が大抵信者でしょう。中には先生の御機嫌を取る為めに有りもしない信仰を衒う奴がいますから、つい
「君は
「さあ」
「確かにそうです。決して見せかけ通りのおとなしい男じゃありません」
と赤羽君が又悪い保証をした。
「ミッション・スクールを卒業しない中に、信仰を卒業してしまったのかい?」
「············」
「卒業したら何をやる?」
「人生が分らないんだから、何をやって
「
と長谷川君は失望したようだった。パンと牛乳では
人生や信仰の問題で随分
「君、君は
と度々勧めてくれたが、私は、
「もう駄目だよ」
と答える丈けだった。総理ジョンソン博士は
「河原さん、
と呼ぶ。
「はあ」
「この頃、
「相変らずです」
「肉体よりも魂の方」
「············」
「君の顔、教会に見ません」
「今度から出ます」
「
「はあ」
と私は約束して、一二回義理を果す。聖人の心を苦めるに忍びない。
「河原さん、一寸待て」
と野崎君や赤羽君が
戦争中で兎角世間が落ちつかなかった
「高等学部は紳士待遇だなぞと思っていると大間違です。規定の点数に達しないものはドシ/\落第させます。これは唯今から念の為めに申上げて置きます。
と警告した。
「あれは
と高木君が善意に解釈した。
「無論さ。高等学部は
と立花君も保証した。それを文字通りに信じたのでもなかったが、私達は当局を甘く見過ぎた。猪股先生が再三注意してくれたにも拘わらず、
「大丈夫だよ。試験の時に本気になれば大丈夫だ」
と相変らず高を
私達は早速相談会を開いた。
「運動して二人を救おう」
と高木君が
「しかし成功するか知ら?」
と立花君が危んだ。
「君がそんなことじゃ困る。級長のくせに」
と野崎君は一生懸命だ。
「無論やるにはやる」
「君、皆を代表して、猪股先生のところへ行ってくれ給え」
「行く。行くには行くよ。しかし······」
「しかしなんて言う奴に頼むな。僕が行く」
と私は憤慨した。
「僕も行く」
と安部君も
「皆で行こう」
ということになった。
その夕刻、猪股先生は私達がゾロ/\門を潜るところを二階の書斎から見ていた。直ぐに下りて来たが、
「君達は吉田君と赤羽君の成績のことで来たのでしょう?」
と機先を制して、玄関払いの意思を示した。
「
と立花君が一同を代表した。
「もう発表したから仕方ありません。再三注意したのに勉強しないから、本人達が悪いんです」
「
「卒業に仮及第ってことはありません」
「他に何か方法はありませんでしょうか?」
「さあ」
と先生は首を傾げた。
「先生、
と皆
「実は本人を呼んで篤と話すことになっていますから、まあ/\、君達は差控えて下さい」
「先生」
「教員会議で定ったことを私一人で動かす
と言って、先生は玄関の障子を締めてしまった。
私達は生垣の蔭に匿れていた本人の赤羽君と吉田君を呼んだ。
「聞いたか?」
「うむ」
と二人とも頷いた。
「
と私が言い聞かせた。
「御免」
と赤羽君が改めて案内を求める。私達は運動場へ退却して待っていた。二人は三十分ばかりたって帰って来た。
「
と皆寄り
「
と赤羽君はニコ/\していた。
「何」
「再試験をして貰う」
「いつ?」
「来学期だ」
「それじゃ、一緒に出られないのか?」
「うん。仕方がない」
「これでも、特別の計らいらしいです」
と吉田君も苦情がなかった。
しかし私達有志は再び運動を始めた。信者組は手を引いて、私と高木君と野崎君だった。
「
と言う勝手な言分だった。猪股先生は受けつけない。高木君は行きがかり上、
「赤羽君と吉田君が一緒でないなら、僕達は卒業式に出ません」
とやり出した。
「それは君達の勝手です。御相談には及びません」
と先生は飽くまで強硬に突っ
「
「権利はあるんだ」
「これから猪股先生のところへ行こう」
ということになった。早速その晩、玄関へ出頭して、高木君が先ず、
「先生、この間中は
とあやまった。
「分ったら宜しい」
「先生」
「何だね?」
「僕達は卒業証書が戴きたいんですが······」
「あれは総理が持って居られる。私は関係ない」
「総理のところへ伺えば戴けましょうか?」
「さあ。総理は今日君達が出ないと言って、あの大きな目に涙を溜めていたよ」
「真に済みませんでした」
「上って話すかね?」
と先生は
翌朝、私達三人は総理ジョンソン博士の登校を寄宿舎の窓から見極めて置いて、総理室の戸を叩いた。
「お入り」
と返辞があった。
「お早うございます」
と三人、直立不動の姿勢をした。
「
「············」
「
と博士は憤っているようだった。
「申訳ありません。お
と私が代表した。
「宜しい。心配いらん」
「············」
「朝、仕事忙しい。アメリカへ卒業式のことこれから書きます」
「先生、僕達は卒業証書を戴けませんでしょうか?」
「あれは差上げられません」
「先生」
「あれは卒業式に来ない人、欲しくないからでしょう?」
「いゝえ、欲しくて上りました」
「この机の引出にありますが、神さまの思召し、仕方ないです。式を休んで皆々に迷惑をかけるもの、これから先もあります。差上げると、総理、監督出来ません」
「············」
「差上げません。その代り、今、この窓から捨てます」
「············」
「
「はあ」
「差上げません。捨てます。分りましたか? 紙屑拾い、泥棒でありません。早くお帰りなさい」
と命じて、総理は立ち上った。私達はお辞儀をするが早く、校庭へ下りて待っていた。二階の窓が開いて、卒業証書が三枚ヒラ/\と舞って来た。
[#改ページ]
私達は正月頃から心掛けて伸した髪の毛を卒業試験間際から分け始めた。皆頭をテカテカさせていた。赤羽君は、
「頭がねばって勉強が出来ない」
と言った。
「見給え。帽子がこんなになってしまう」
と
「一体君は
と訊いたら、
「あれは一日に
と平気で答えた。極端な男だ。皆と一緒に卒業出来ないことが分ると直ぐ、又
「おれは
と説明をつけた。以来、決して髪を伸さない。上せ性は本当だった。昨今は大方禿げてしまって、アイロンをかけようものなら、
五名の卒業生の中、首席の立花君は優秀の成績だったので、折から欠員の出来た中学部の方へ教師として残ることに
「たってと頼まれたので仕方がない。母校の為めに尽すのさ」
と弁解するように言った。
「月給は幾らだい?」
と私達はそれを問題にしていた。
「さあ」
「三十円もくれるのかい?」
「いや。
「二十五円かい?」
「もっと下だ」
「二十円?」
「十七円さ」
と立花君は
「田舎の中学校へ行けば四十円取れるんだが、母校の為めさ。仕方がない。それにこゝに踏み
と又弁解を加えた。
立花君が
「おい、
と野崎君は私に相談をかけた。
「さあ」
「もう卒業してしまったんだから、
「兎に角、
「ジョンソンさんは駄目だよ」
「何故?」
「明治学園、それはお金儲けの学校でありません、と来る」
「しかし卒業生の就職口を探すのは学校の責任だもの」
と私はこの問題について当局が一向努力してくれないのを不足に思っていた。
二人は先ず猪股さんを訪れる積りだったが、校庭でジョンソン総理に行き会った。
「河原さん、一寸待て」
と博士が呼んだ。
「この間は有難うございました」
と私はお礼を述べた。先頃、卒業生一同が招かれて、
「一向」
「先生」
「
「それについて、一寸伺いたいと思っていたところです」
「お
と博士が誘ってくれたのを幸いに、私達はお供した。
「先生、私達はこれから何か仕事をしたいのです」
と私が切り出した。
「仕事、結構。何しますか?」
「それが分らないのです」
「神さまの御心に叶うの仕事、それ、見出すこと大切です」
「私達はもう卒業しましたから、自分でやって行かなければなりません。何かしたいと思います」
「何しますか?」
「それが分らないのです」
「神さまの御心に叶うの仕事、それ、
「見出しません」
「大変困りました」
と博士は誤解している。
「何でも
「河原さん、あなた、神さまに召された仕事、一番の適当な仕事、何かあります。それ、よく考えて御覧なさい」
「さあ」
「学校の先生、何うですか?」
「私は元来、教師になろうと思って勉強したのですけれど」
「それ、やって
「はあ」
「あなた、神さまに召された仕事、一番の適当な仕事、何かあります」
「僕は実業界へ入りたいと思っているのです」
「それ、やって
「しかし口がありません」
「探して御覧なさい。求めよ、さらば
「はあ」
と野崎君は私に目くばせをした。これはもう見込がないから、早く切り上げようという意味だった。
「この明治学園、神さまの道、教えるの学校。基督教紳士、組み立ての学校」
「············」
「この学校の卒業生、学問忘れても宜しい。しかし、忘れてならないこと一つあります。それ何でありますか?」
「············」
「金貧乏、それ、恥でない。人格貧乏、それ、一番いけない。野崎さん、
「はあ」
「
「はあ。分りました。それではこれで失礼致します」
と私も
辞し去って校庭へ出た時、
「
と野崎君は落胆していた。
私達は次に猪股さんを訪れた。先生は先頃の運動の時と違って、
「心配しているんだけれど、不景気の
と首を傾げるばかりだった。
「先生、横浜あたりの外国商館に御懇意の方はございませんか?」
と野崎君が訊いた。
「さあ。古い卒業生の勤めているところがないこともないけれど」
「
「それも一つの方法だね。紹介状を書いてやろうか? 何とかいう男が何とかいう商館に入っていたよ。名簿を見れば分る」
と猪股先生、甚だ
「先生、地方の中学校は
と今度は私の番だった。
「去年は知っている校長に牧君を売りつけたが、
「御存知の校長が大勢ございますか?」
「三人ある。皆明治学園を信用しているから、欠員があれば、屹度申込んで来る」
「来次第に御推薦を願います」
「
「検定試験を受けます」
「君達は卒業してしまったから、もう学資が来ないんだろうね?」
「はあ」
と二人一緒に答えた。
「当分の間、寄宿舎にい給え。研究生として一時間でも二時間でも誰かの講義に出席すれば名目が立つ」
「はあ」
「こゝにいるくらいのことは
「はあ」
「実はこの間から総理とも相談中だ」
「駄目でしょう」
と野崎君が口を
「何故?」
「ジョンソン博士は同情がありません。金貧乏、恥でないと
「しかし食わないじゃ生きていられない」
「
「明治学園、飯が食えんか? ハッハヽヽ」
「
「しかし不思議なものだよ。皆、兎に角食っていく。金持になったって胃袋の大きさが倍になる
「それは
「ジョンソン博士の仰有るのは、命の為めに何を食い何を飲まんと思い
と猪股さんは
春の休暇が終って新学年が始まると間もなく、赤羽君と吉田君が再試験を受けて卒業した。吉田君は神学校へ入ったが、赤羽君は私達同様身の振り方がつかない。
「
「仕様がない。
と皆覚悟を
或る日、猪股先生から私へ沙汰があった。教員室へ出頭して見たら、
「君は一つ西洋人に日本語を教えて見ないか?」
という相談だった。
「やります」
「二三日中に新しい宣教師が来る。ロビンソンという若い男だ。これに日本語を教え給え。報酬は幾らくれるか分らないが、学資ぐらいは取れる」
「有難うございます」
と私は即座にお受けをした。
それと殆んど同時だったと記憶するが、野崎君は図書館の係りを拝命した。
「商館の口があるまで
とこれも大喜びだった。次に赤羽君が呼び出された。
「何の口だろう」
と
「学園には差当りもう仕事がないから、待っていても駄目です。君は寄宿舎で煙草を吸うそうだが、
という申渡しだった。
「人を馬鹿にしていやがる」
と赤羽君はカン/\に
私はロビンソン氏に日本語を教え始めた。日本語だから訳はなかろうと思って取りかゝったが、やって見ると、案外だった。一々英語で説明するのだから骨が折れる。時には何を言っているのか自分ながら分らない。ロビンソン氏は呆れて私の顔を見ている。しかし亦これが好い練習になった。私には一生に唯一度失敗の成功がある。それは丁度その頃起った。或晩、立花君が私の部屋へ入って来て、
「
と頭を下げた。
「何だい? 改まって」
「実は先刻
「ふうん」
「最近卒業の優秀なものを寄越してくれというんだ」
「成程」
「猪股さんは君をやろうか、僕をやろうかと考えている。席次からいうと僕だけれど、約束からいうと君だそうだから、二人で相談して
「君行き給え。優秀という条件なら君だよ」
と私は喉から手が出るようでも、成績を言い立てられると、
「いや、優秀といっても必ずしも首席と限らない。出来の悪いのを寄越してくれというところはないからね。単に出来の好いのという意味さ」
「兎に角、僕は駄目だよ。ロビンソンさんに約束があるから、こゝ当分は動けない」
「僕もこゝ一二年母校の為めに尽す決心だったけれど、君とは少し違う。我より
と立花君は信者の常として
「誰だい? それは」
「君さ」
「馬鹿を言っている」
「いや、僕は席次こそ上だけれど、実力は君だよ。それに僕はこれで君の都合も考えているんだ」
「何ういう?」
「君は今ロビンソンさんから幾ら貰っている?」
「十五円さ」
「そこへ僕の後を引き受ければ十七円だから、三十二円になる。地方の口は三十五円だ」
「何処だい? 一体?」
「一ノ関さ。寒いところだ」
「それじゃ君に譲るよ」
と私も慾だ、寒い東北へ行って三十五円貰うよりも東京にいて三十二円取る方が徳だと思った。
「本当に
「宜いとも」
「それじゃ僕はこれから猪股さんのところへ行って、君を推薦する」
「宜しく頼むよ」
「猪股さんは
と立花君は目的を達して出て行った。
私は微笑を禁じ得なかった、早速、隣室の野崎君を訪れて、
「君、口ってものはあり始めるとあるものだぜ」
と見込を打ち明けた。
「それは巧い。唯じゃ堪忍出来ないよ」
「
「行こう」
と野崎君は気が早い。
立花君は数日後に一ノ関へ赴任した。私は後任のお鉢が廻って来る積りで待っていたが、その分は新来のロビンソン氏が教えることになって
「君は長くアメリカにいる日本人よりも好い英語を話す」
とロビンソン氏が褒めてくれた。西洋人はお世辞が上手だから、大抵こんなことを言う。しかし可なり得るところがあった証拠に、中等教員の検定試験を
「河原君、何うですか? 東京にいて母校の為めに尽して下さいませんか?」
と頼み入った。しかし
「駄目です。僕は経験がありません」
「いや、結構ですよ」
「それに信仰がグラついているんですから、学園の教師として
と私は辞退して、三つかゝって来た口の中一番俸給の好い九州の某中学校へ赴任することに
その途次、
「お父さんはもう学校をおやめになっても大丈夫ですよ」
と私は得意だった。
「何あに、
と父親は相変らず小学校長として
「僕、これから毎年お金を送ります」
「それには及ばないが、無駄使いをしなさんなよ」
「四十五円ですもの、お父さんよりも
と母親は俸給を価値の標準にした。
「結構さ」
と苦情もなかった。
「友一や」
「何ですか?」
「お前、もうソロ/\お嫁さんを貰わなければならないね」
と母親には母親らしい
「当分一人でいます」
「一人口は食えないが、二人口は食えるといって、一人でいるのは無駄の多いものだから、矢っ張り早い方が宜いよ」
「それもありましょうが、本当の勉強はこれからです。ここ二三年結婚なんてことは考えていません」
と、大きく出たものゝ、私は二三年この方、若い婦人を見ると、心の中で及落の評点をつける習慣になっていた。
占部牧師が先頃北越へ転任してしまったのは甚だ遺憾だった。しかし私は翌朝中学校を訪れて、旧師数名と旧友小松君に会った。
「九州とは遠いね。この間
と小松君は残念がった。
「しかし
「それは確かにあるが、都合の好いこともあるよ」
「何れ修業を積んだら、引っ張って貰おう」
と私も
「心掛けて置くよ。時に君はいつ立つ?」
「明日の朝だ」
「それじゃ今晩、北村君と一緒に話そうじゃないか?」
「
「北村君には僕から知らして置くから、君は六時までに
「何処だい?」
「そら、いつか長谷川君が逃げ出す時、送別会をやったところさ」
「成程」
「長谷川君といえば、到頭やり上げたね」
「この間会ったよ。いつか会った時は号外屋だったけれど、今度は弁護士だ」
「立派な紳士になっていたろう?」
「いや、
「前途有望さ。
「例によって飲むだろう?」
「うむ。その方も大発展らしい」
と小松君は尚お話したいようだったが、授業があった。鐘が鳴る。昔懐しい響だった。
郷里から任地までの間に、私は神戸の駅で赤羽君に会った。唯五分の停車時間を打ち合せて置いたのだった。雨の晩にも拘らず、赤羽君はプラットホームに出ていてくれた。
「
と私は窓から乗り出して、赤羽君の前垂姿を見下した。
「駄目だよ」
と赤羽君は背広服の私を見上げた。立脚地が上と下の通り、得意と失意の二人だった。私は新任の口のことを簡単に話した。赤羽君は現状について二言三言
「まあ/\、辛抱するんだよ」
「君は勉強したからね。僕とは違う」
「何あに」
「野崎君は何うだい?」
「去年、横浜の商館へ入ったよ」
「それは知っているが、勤まるのかい?」
「可なりやっているようだよ」
「月給は幾ら取る?」
「三十円だけれど、ボーナスが半分つくそうだから、矢っ張り僕ぐらいになる。尤も僕は一年で昇給する約束だけれども」
「君は当り前だけれど、野崎は巧くやっている」
「
「彼奴はおれと似たり寄ったりだったがなあ」
「君だってソロ/\地盤が固まるんだろう?」
「この通り未だ前垂がけだよ」
「僕達見たいに月給を当てにするよりも自家営業の方が有望だよ。腕次第で何うにでもなるじゃないか?」
と私は口先で励ましたものゝ、肚の中はアベコベだった。人間は四十五円以上の月給を取らなければコンマ以下だと確に意識していた。
「仕方がない」
「失望しちゃ駄目だぜ」
「うむ」
「大いにやり給えよ。あゝ、もう出る」
「さよなら。君も達者で」
と赤羽君は慌てゝ一二歩下った。矢っ張り愚なるが如き
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新任地は九州の○○市、中学校も県で
「先生」
と年長者から呼ばれるに恐縮した。
「先生はお幾つですか?」
と訊かれる度に、
「二十四です」
と答えて、一種の得意を感じた。
「お若いですな」
と皆
新聞が紙面の都合か何かで、私の辞令の後に私の経歴を数行載せた。東都明治学園卒業後英米人に英語を教授すること数年云々とあった。この英語というのは無論忙しい記者の書き間違だった。私は日本語を教えていたのである。それも相手は米国人一人だ。しかしこの
「英米人に英語を教えるくらいなら、余程英語の出来る先生に相違ない」
と
「先生、質問があります」
と言って、手を挙げた。
「何です?」
「先生は一体お幾つですか?」
「そんなことは教室の問題じゃありません」
「いや、先生。敬意をもって真面目に伺うんですから教えて下さい」
「二十四ですよ」
と私が答えたら、
「参った!」
とその生徒は両手で頭を押えて、ペタリと坐った。
「ハッハヽヽ」
と級生一同が笑った。
「
と私が訊いたら、
「佐野君は二十五です」
と別の生徒が立って答えた。今では二十五歳の中学生は絶無だろうが、二十年前には時折ないこともなかった。
下宿の婆さんも、
「先生はお幾つでいらっしゃいますか?」
と間もなく問題にした。
「二十四です」
「お若い先生でございますな。それ丈けにお出来が宜しい
「そんなこともありませんが、満でいうと二十三と少しです」
と私は益

考えて見れば、あの頃が花だった。今でも相応若い積りでいるけれど、周囲の形勢が許さない。現に昨日も鏡に向って髪の毛の整理をしていたら、
「あら! 御勉強かと思ったら、
と不平顔をした。
「大分
「当り前ですわ」
「同情がないんだね」
と私は又抜こうとしたが、妻は毛抜を奪い取って、
「いつまでもお若い積りでいちゃ困りますよ」
と言いながら、鏡を手にして見入った。
「お前も生えたのかい?」
「えゝ」
「
「こゝよ。二三本ですけれど」
「成程。もうソロ/\婆さんだ」
「それだから、私丈け抜いて、あなたは抜かない方が宜いんですよ」
「何故?」
「あなたが年寄に見える分、私が若く見える勘定になりますわ」
「巧いことを考えていやがる」
と私は感心した。
昨今はもう仕方がない。万事諦めている。しかし右を見ても左を見ても、自分が一番若かった当時は、人生がもう少し
「好い年をして何て
と自分には前途がある積りだ。
「何だ? 見っともない女房を持って、食うに困るほど子供を生んで」
と、私は実際訪れるのも不見識のような気がした。赤ん坊を抱いて、
「やあ、河原君。珍らしいね。上り給え。これはいけない。シッコだ/\」
なぞとやられると、
「いや、又今度にする。さよなら」
と言って、逃げて来る。家内が何うしたの子供が斯うしたのと、事故ばかりあって、
「斯うやって
と私は気の毒に思っていた。爾来二十年、既にもう終ったのが可なりある。しかし考えて見ると、私も間もなく彼等の道を
若いのを誇りとしていた私は同僚中一番の老人と特別
「
と命じた時、チラリと私の顔を見た老人があった。その人も矢張り俥に乗るところだった。私はズック鞄の外に大きな行李を二つ持っていたので、一台には乗り余った。
「もう一台」
と註文したが、
「
ということだった。この時、私は偶然老人と又顔を見合せた。
「俥屋さん、
と言って、老人は既に乗っていた俥から下りて、
「これでいらっしゃい」
と私に向って
「いや、
「いや、御遠慮に及びません。
「
「
「恐縮ですな。それではお言葉に甘えます」
と私はお礼を述べて乗って来た。
学校では書記が私の下宿を
「
「
「ハッハヽヽ。
と老人は満足のようだった。同姓には驚いた。尚お会計に川原というのがいた。字は違っても音が同じだから、三人鉢合せをして
私の下宿は
「当分大丈夫でしょうね?」
と念を押したが、
「縁のことですから、
とあって、心細い下宿人だった。いつ追い出されるかも分らない。甚だ感心しなかったけれど、正直なところが気に入った。士族だそうで、品の
「先生とは妙に御縁がありますな」
と言った。
「
「お互いに、
「
「しかし西洋人にお教えになった経験がおありだそうですな? 先生は」
「先生は困りますな。具合が悪いです。先生と私は親と子ぐらい違いましょう」
と私は
「それでは河原さん」
「はあ」
「失礼ながら、あなたはお幾つですか?」
「二十四です」
「成程。お若いですな」
「失礼ながら、先生は?」
「さあ。私は言わぬが花でしょう。ハッハヽヽ」
と河原さんは笑いに
「当てゝ見ましょうか?」
「いつも年より余計に見られる方ですよ」
「それでは丁度ですか?」
「
「成程」
と私はもう訊かないことにした。七十も丁度、六十も丁度だ。河原さんは五十の丁度の積りだったかも知れない。
「河原さん」
と呼んで、河原さんは、
「何うも自分のことのようで変なものですな」
と笑った。
「学校は河原の
「妙に揃いましたよ」
「この土地には河原姓が多いんでしょうか?」
「さあ」
「生徒にもありますよ」
「あります。しかしこゝで多いのは吉田姓ですよ。第一、この家が吉田です」
「成程」
「吉田組といって、鳴らしたものだそうです。今でも市長の吉田さん初め羽振りの好い人が多いです」
「それじゃこの吉田も昔は可なり幅を利かしたんでしょう?」
「いや、この辺一帯は
「
「
「先生も矢張りこゝの
「私は土地のものじゃありません」
「はゝあ」
「
「道理で」
「
「
「ハッハヽヽ」
「お
「余りありませんな」
「私は平民ですが、私の村には河原姓が多いです。
「それじゃ昔は同族だったに相違ありません。御縁がある筈ですよ」
「確かに
と私は河原老人が
目と鼻の間に住んでいるから、若河原と老河原は毎日連れ立って登校した。帰りも大抵一緒だった。
「河原さん、あなたは何がお好きですか?」
と或日老人が訊いた。
「何って何ですか?」
と私は
「
「さあこれってものもありません」
「しかし何かおありでしょう? 西洋料理ですか?」
と河原さんはニコ/\しながら追究する。
「天ぷら蕎麦ぐらいのものです」
と私は東京を出て以来、久しく油が切れていた。学園時代は何かというと天ぷら蕎麦だった。貧乏書生だから、それ以上の御馳走は喰べたことがない。
「
「いや、天ぷらです」
「天ぷらにしても、蕎麦切りですか?」
「蕎麦に天ぷらを入れたのです」
「矢張り蕎麦切りですよ」
「違いましょう」
「いや、
「はゝあ」
「蕎麦切りの天ぷらを御馳走致しましょう」
「いや、結構ですよ」
「御遠慮には及びません。家内に命じて置きますから、今晩いらっしゃい」
と河原さんは招待してくれた。私は心配しながら行ったが、矢張り天ぷら蕎麦だった。お嬢さんがお給仕をしてくれた。前にも言った通り私は若い婦人を見かけると、
こんな
英語の柴田君は今でも東京へ来ると必ず寄ってくれる。この男は私より二つ上で一番若かったが、私に株を奪われたのである。
「しかし僕も来た時は君と同じことだった」
と言って、自ら慰めていた。差当りは通り一遍の交際だったが、柴田君の性質として、それでは満足出来ない。
「僕は仲が好くなるか悪くなるか
と極端な男だ。
「おい、河原君、
と或日申入れた。
「何だい?」
「君は老河原の家へ時々遊びに行くね?」
「行くよ」
「あんな老ぼれと何か共鳴するところがあるのかい?」
「何ってこともないが、親切にしてくれるからさ」
「僕は不親切かい?」
「そんなことはないよ」
「それじゃ
「何故ってこともないけれど」
「なければ来給え」
「行こう」
「今日これから来い」
「来いは厳しいね」
と私は笑ったが、少し怖かった。柴田君は大男で、いかつい面構えをしている。近頃、多年の宿望が叶って、中学校長になった。澄まし返っているが、錚々館当時はナカ/\荒かった。
私はその日学校の帰りにお供をして行った。顔出しをしなかったのを根に持っているのかと思ったが、
「これは
と柴田君が
「
「何が?」
「あれさ」
「どれ?」
と私は見上げた。
「誰だい?」
「老河原さ」
「巧いものだね」
「大したこともないが、折角お祝いに書いてくれたんだから、二円五十銭はずんだ」
と柴田君は新婚早々らしかった。学校で
「至極円満のようだね」
と私も
「恐れ入った」
「いつ?」
「この春休みさ」
「こゝで?」
「いや、
「
「冗談言っちゃいけない。
「
「人のことだと思って
「奥さんも金沢かね?」
「
「はゝあ」
「子供の時からの
「ふうん」
「
「
「ハッハヽヽ」
と柴田君は得意だった。その間、細君の鹿の子さんは平気な顔をして控えていた。もう一般婦人がソロ/\自覚を生じて、万事イケ
「話が変るけれど、河原君、君は
「校長かい?」
「うん」
「馬面は
「長い顔だよ、実際。僕は教員会議の時、ツク/″\と見ていることがある」
「反対に教頭はマン
「
「口が悪いね」
と私は覚えず膝を進めた。教育家は言行を
「僕は皆に
「一人々々承わろうか?」
「追々出すよ。ところで、君は馬面を訪問しないといけないぜ」
「行ったよ、来てから一遍」
「もう一遍行こう。僕も久しく行かないから、一緒に出掛けよう」
「話がなくて手持ち無沙汰だぜ」
「それだからさ。一人じゃ睨みっこになってしまう」
「その中お供しよう」
「ゴム人形へも一緒に行こう」
「行こう。あすこは初めてだ」
「君は余り出て歩かない方だね」
「うん」
「老河原のところ丈けだろう?」
「あすこへは
「あの人は面白い。戦争の話をしたろう?」
「いや
「冗談言っちゃいけない。年を考えて見給え、年を」
「
「もっと古い。
「成程」
「
「足を?」
「うむ。その
「
「進んで行ったら、敵の大将が倒れていたから、今は早これまでなりと、大刀を振り
「首を切れば宜かったのに」
「いや、首はもう誰か切って行ってしまった後さ」
「何だ。ハッハヽヽ」
「ハッハヽヽ」
と柴田君は笑い転げた。
「それっきりかい? 河原さんの手柄話は」
「一人本当に切っている」
「
「敵と味方が組打をしているところへ来かゝった。上になり下になって揉み合っているが、真暗闇の晩のことで、
「
「上の奴さ」
「
「
「敵は何うした?」
「跳ね起きると共に一目散さ。
「助けてやったようなものだね」
「
「落ちついているようだが、案外
「しかしその頃は若かったのさ」
「一体幾つだろう?」
と私は
「年をいわない人だが、会津征伐といえば明治元年だから、その頃壮年だったとすると、何うしても六十を越している」
「余り多いと具合が悪いんだろうね」
「
「そんなにいつまでも働く必要があるのか知ら?」
「子供に仕合せの悪い人だよ。長男も次男も死んでしまって、女の子ばかりだから、
「ナカ/\学者のようだぜ」
「詩人だよ。漢詩じゃ県下随一だ」
と柴田君は悪口を言いながらも、老河原を
同僚の銘々伝を書くのではないが、もう一人五味君を挙げたい。矢張り英語で、柴田君と同じく東京の高等師範出身だった。私より三つ上だったけれど、十も違うような印象を与える。
「先生はこゝはもうお長いんですか?」
と敬意を表してやったら、
「
と言って、
「去年来たばかりです」
と答えた。去年来たばかりなら、そんなに考える必要もなかろう。余程頭が悪いのだろうと思った。その後、私は日曜に散歩に出た時、五味君が川端で釣糸を垂れているのを見かけた。
「
と訊いて見た。
「
と五味君は
「面白いです」
と答えた。
「何ですか? 今お釣りになった魚は」
「
「小さかったですな」
「

「沢山釣れますか?」
「
「
と私は引き上げて見て、
「これは/\」
と感心した。

「朝からやっているんです」
「これなら商売になりましょう?」
「
「ナカ/\お上手らしい」
「気分転換の為めの道楽ですよ」
「

「
と五味君は又浮を睨んだまゝで要領を得ない。私はもう面倒臭くなったから、
「さよなら」
と言って逃げて来た。二町ばかり上って、橋の上から見返ったら、五味君は気がついて、頻りに帽子を振った。善意はあるのだ。しかしテンポが遅い。
このことを柴田君に話したら、
「彼奴の
と笑った。
「
「教室でもあの通りらしい。生徒が質問すると、
「まさか」
「本当だよ。決断力のない男だ。今学期の受持を
「それは当り前だ。見す/\損をするんだもの」
「いや、損得に
「癖かね?」
「つまり馬鹿さ。念の入れどころが間違っている」
「君の口にかゝっちゃ
と私は打ち切った。
五味君は親しくなるにつれて、「
「君と話していると、つい釣り込まれて、後で後悔、いや、後から
と言った。
「何故?」
「
「又始まった」
「何が?」
「僕も君と話をすると、後悔する」
「何故?」
「一体、君の『
と私はもう遠慮しなかった。
「これは仕方がないよ」
「
「精神修養だもの」
「へえゝ」
「即答すると後悔を残す
「考える必要のない時でもやるよ」
「あれは一二三四と二十まで数えているんだ」
「道理で手間が取れると思った」
「何うせ人の時間だもの。
と五味君は鹿爪らしく見せかけていて、ナカ/\横着なところがあった。
これぐらい考えている男だから、游ぎ方が巧かった。錚々館へも転任で来たのだったが、三年で又飛んだ。その折、
「おい、おれを引っ張ってくれよ」
と私が頼んだら、
「
と言って考えた丈けだったが、忘れなかったと見えて、二三年後その次の任地へ私を引き抜いてくれた。そこで数年間又一緒だったから、特別関係が深い。今では女学校長をしている。柴田君よりもずっと
「錚々館へ赴任した時は二十四だったが、長男がもう二十一だよ。此年から大学へ入った」
と私は年の寄ったことを子供で証明した。
「もうそんなになったかね」
「早いものさ」
「お互に白くなったり禿げたりする筈だよ」
「君のところは子供がないから淋しかろう」
「僕は平気だが、
「奥さんには長くお目にかゝらないが、相変らず太っているかい?」
「
「そら、始まった」
「デップリした中婆さんになったよ。時に奥さん」
と五味君は思い出して、
「河原老先生はもう何年になりますか?」
と訊いた。
「浩子の生れた年でしたから、丁度十九年でございます」
と妻が答えた。妻はその初め私に蕎麦切りの天ぷらを御馳走してくれた令嬢だ。縁あって夫婦になった
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初めての暑中休暇が来て、私は郷里へ帰った。独身で金がかゝらないから、俸給が半分残っていた。その中五十円を母親に渡して、
「お母さん、何も買って来ませんでしたから、お
と言った時、私は自分ながら孝行息子だと思った。
「まあ、こんなに貰っても
と母親が驚いた。
「
「矢っ張り中学校の先生は違うのね」
「これからは毎月
と私はその積りだった。そうして半年以上続けたと記憶する。しかしこれが私の孝養の全般だと思うと情けない。
「子供にかゝるだろうから心配しなくても宜いよ」
と父親は
いや、話が一足飛びになったが、初めて任地から帰郷した折のことだった。私は間もなく上京した。田舎にいると時世に
「
と祝してくれた。
「何あに、一向駄目だよ」
「
「何の?」
「この人は物になるだろうか何うだろうかってことが生徒さんの時から分りますよ」
「
「恐ろしいものですよ。例えば、あなたの級の
「何故?」
「人間に締りがありません。手拭ばかりでなく
「何処へ?」
「風呂場へですよ」
「はゝあ」
「褌を忘れて行く人で物になった人は
「妙な統計だね」
と私は神戸駅頭の赤羽君を思い出した。
「赤羽さんは三十本から忘れました。皆、私が貰って使っています」
「ハッハヽヽヽ」
「もう一人、赤羽さんの相棒がありましたね?」
「
「へえ」
「彼奴も忘れたかい?」
「いや、あの人はあゝ見えてシッカリものですけれど、先がありませんな」
「何故?」
「此間お
「何うしたんだい?」
「私を見かけながら知らん顔です。小使にしろ、
と音さんは憤慨していた。
「
「いや、あゝいう人情味のない人ですよ。そこへ行くと、立花さんあたりは
「立花君も来たのかね?」
「へえ。二三日前にお見えになりましたよ」
「それは惜しかったな」
「これが家内だと言って、奥さんを紹介して下さいました。物になるくらいの人は実に行き届いたものです」
「それじゃもう結婚したのかい?」
「御存知ありませんか?」
「知らない」
「
「
「さあ。お郷里へいらっしゃると仰有っていました」
「新婚旅行かい?」
「
「成程。お芽出度いね」
と私は微笑を洩らした。
「折角お出になったのに
「仕方がない。もう帰る」
「晩にお出になって、お泊りになっちゃ
「
「食われますよ。餌が皆帰ってしまって
「御免だ。これから用足しをして横浜へ寄る」
「
と音さんは門まで送ってくれた。
私はその足で丸善へ行った
「何だい? それは」
と野崎君は私の風呂敷包に目を留めた。
「本だよ」
「丸善へ行ったのかい?」
「うん。それから三越も初めて見て来た」
「
「仕方がないさ。しかし気の利いた土産物を買って来たぜ」
と私は包を解いて、コルクの草履を出して見せた。
「これは女のじゃないか?」
「
「へ」
「何だい?」
「お礼を言わなくて
と野崎君は笑った。
「君のところへも持って来たよ」
と私は万年筆を出した。自分のを買う序に思いついたのだった。
「これは面白い」
「何うして?」
「万年筆の鉢合せだ」
「誰かに貰ったのかい?」
「いや、僕達商館にいるものは
「密輸入かい?」
「何あに、
「ふうむ」
「最新式の上等品だぜ」
と野崎君は机の引出から取出した。
「これは好い」
「
「有難い。案外人情味があらあ」
と私は受け納めたが、買って来た二本の始末に困った。
「そんな和製は仕方がないよ」
と野崎君は遠慮なく
「しかし両方で万年筆を買ってやろうと思ったところが
「一種の美談だろう」
「僕は志丈け通じて品物を出さないんだから徳をした」
「和製の志あり。舶来の志あり」
「君の方が上かい?」
「無論さ」
「それじゃこれは使って貰えないかい?」
「貰ったも同じことだ。君、万年筆丈けは和製を買うものじゃない。ガリ/\音がして頭に答える。この頃神経衰弱の
「まさか」
「本当だよ。それに安物買いの
「困ったな。何うしようか?」
「名案があるよ」
「何だい?」
「同僚へ土産に持って行き給え」
「成程」
「
「そんなのが揃っているよ」
と私は然うすることに定めた。
野崎君は勤め先の受けが好いそうで余程得意のようだった。ボーナスを貰う上にコンミッションを取ることを話した後、
「君は一体幾ら貰っているんだい?」
と訊いた。
「教員は駄目だよ」
と私は謙遜する外なかった。
「立花はもっと好いのかい?」
「
「それでも女房を貰うんだから度胸が好い」
「彼奴は
「小才子だから何だい?」
「
「君はどうだい?」
「僕は
「何とか言っている」
「何故?」
「コルクの草履なんか買って来やがって」
「あれは単にお土産だ」
「四十円や五十円で結婚すると、身動きが取れなくなるぜ」
と野崎君は鼻息が荒かった。
このコルク草履は家へ帰ってからも一寸問題になった。
「友一や、お前こんなものを何処へ持って行くの?」
と母親が見つけて
「同僚に矢張り河原って老人があるんです。その人の家で始終お世話になりますから、お礼の
「でもこれは年寄の
「娘さんがあるんです」
と私は尚お尋ねられるまゝに河原さんの家庭を説明した。
「その娘さんは幾つ?」
「十九です」
「妹があると言いましたね?」
「えゝ」
「その方は幾つ?」
「十六か七でしょう」
「それじゃ片一方丈けへ上げると、恨みっこになっていけませんよ」
「成程、
「もう一足広小路から買って行ったら
と母親は注意してくれた。村から半里の○○町に母親の妹が下駄屋を営んでいる。
「こんなのがありますか?」
「ありますとも」
「もう一遍東京へ出ますから、その時買って来ても宜いです」
と私は公平を期した。しかし姉丈けに持って行く積りで妹の存在を全く忘れたところに、私の心の傾きが現れていた。
母親が話したと見えて、或日、父親が、
「友一や、お前も
と訊いた。
「さあ」
「同僚の人から縁談を勧められはしないかね?」
「いゝえ、一向」
「話が始まったら、直ぐに知らしておくれよ」
「それは無論です」
「お前の気に入れば、それで宜いようなものゝ、私達にも私達で又相応考えがあるんだから」
「御安心下さい。必ず御相談申上げます。しかし
と私は答えた。
任地へ戻ってから間もなくのこと、或日学校に何かの会があって、職員一同と生徒の一部が剣道部に集った。
「河原君」
と柴田君が私の耳へ口を寄せて囁いた。
「何ですか?」
「老河原さんを見給え」
「え?」
と私は振り返った。
「涙をホロ/\こぼしている」
「成程ね」
「あれは敵の
と柴田君は冗談を言った。
その
「河原先生は琵琶がお好きですか?」
と訊いて見た。
「好きでも嫌いでもありません」
「しかし大層感に入って御傾聴のように拝見しましたよ」
「いやはや、お恥かしい次第です」
「いや、然ういう意味で申上げたんじゃありませんけれど」
「あゝいう切羽詰まった語り物は
「何故ですか?」
「身につまされます」
「戦争にお
「それですよ」
「先生の
「私のは功名談なんて景気の好いものじゃありません。
「却って結構じゃありませんか? 人殺しを自慢するようじゃ仕方ありません」
「河原さんは
「是非願います」
「斯うっと、早速ですが、今晩いらっしゃいませんか?」
「上ります」
「あなたのように
と老河原さんは満足のようだった。
その晩、老河原さんを訪れた時、私は物語に多大の期待を置いていなかった。腕の冴えない慌てものと聞いていたから、
「先生は戦争でお怪我はなさいませんでしたか?」
と先ず安否から尋ねた。
「
と老河原さんナカ/\大きなことを言う。
「それでは敵をお切りになりましたか?」
「
「それは/\」
「一人は
「はゝあ」
と私は知っているけれど初耳のように聞かなければならない。
「好い敵ですが、惜しいことでした。今は早これまでなりと思って、お面と言いさま、脚を切ってやりましたよ」
「ハッハヽヽヽ」
「無論冗談です。
「はあ」
「真剣勝負は初めてですから、刀を試めして見る気もあったのです」
「しかし敵が死んでいるんですから、勝負にはなりますまい」
「それは無論
「切れましたか?」
「いや、いけません。死んでから大分時間がたっていました」
「はゝあ」
「骨が固まっていましたから、スッパリとは参りません」
「成程」
「その次は味方を切りました」
「同志討ですか?」
「真暗闇の晩でしたから、仕方ありません」
と老河原さんの話したところは私が柴田君から聞いたところと全く同じだった。
「何分
とこれも切れていない。勝っていた味方に軽傷を与えて、敵の危急を完全に
「しかし面白いです。それ丈けでございましたか?」
「いや、それ丈けなら私も一生こんな苦しい思いは致しません」
「それでは
「一人本当に切り捨てました」
「はゝあ」
と私は驚いた。
「実に無情なことを致しました」
「しかし戦争ですから仕方ありません」
「
と老河原さんは縁側に近く占めた席から軒端を仰いだ。
「············」
「城下と
「はゝあ」
「娘は屈んだまゝ、手を合せて拝んでいます。『間諜だ。切れ!』と又同輩が叫びました。『決っして/\······』と娘は拝むばかりです。『逃げろ』と私は申しました」
「成程」
「無論許してやる積りでしたが、同時に『河原、卑怯だぞ』と罵られたので、娘が立って在方の方へ向った刹那、後ろから
「到頭おやりでしたか?」
「全く
「しかし事情仕方がありますまい」
「娘は倒れました。そうして私の顔を恨めしそうに見つめたまゝ落ち入りました」
「はゝあ」
「
「間諜じゃなかったんですか?」
「はあ。間諜であってくれゝば宜かったんですが、罪も
「何うして又そんな危いところへ通りかゝったんでしょう?」
「その日の夕方まで通行を許していたのです。後から分りましたが、橋袂を守っていた同輩の
「厭なお心持でしたろうね?」
と私はつい口に出した。
「
と老河原さんは俯向いて考え込んだ。
そこへ
「戦争のお話を承わっています」
と私はお愛想に言った。
「操も来年はもう
と老河原さんは操さんの顔を見詰めた。
「私は大丈夫よ、お父さん」
と操さんは笑って出て行った。私は
「これも会津の娘の
と説明し始めた。
「そんな理窟はないでしょう」
「いや、恐ろしいものです。家庭の上へも悪の
「
「長男が
「はゝあ」
「操も来年はもう二十ですから、
「河原さん、飛んでもないことを仰有いますな」
「いや、私はその初め
「お子さんが成人しないとでも言われたのですか?」
「はあ、会津の娘は恐らく二十でしたろう」
「河原さん、
と私は長く忘れていた
それから老河原さんと私の間に長いこと沈黙が続いた。
「河原さん」
と老河原さんが
「何ですか?」
「私は斯ういう
「悪人でも何でもありません。然う興奮なすっちゃいけませんよ」
「············」
「僕は
「何をですか?」
「斯ういうお苦しいお話とも知らないで、つい御所望申上げて本当にお気の毒です」
「そんなことは構いませんよ」
「僕はもう失敬致しましょう」
と言ったものゝ、私は何うも直ぐに立ち兼ねた。
「河原さん」
と又老河原さんが呼んだ。
「何ですか?」
「私はもう何うなっても構いませんが、操を救って戴けませんでしょうか?」
「はあ?」
「操は私の娘にして置けば、来年二十で死にます」
「············」
「河原さん」
「分りました」
「何とも厚かましいお願いですが、お考え願えましょうか?」
「操さんにその御意向がおありですかな?」
「なければ明日にも手放せます。こんな心配は致しませんよ」
「それではお言葉に従いましょう」
「お考え下さるか?」
「操さんを戴きます。あなたの迷信の為めでなく、操さんの為めに操さんを戴きます」
と私は即座に決心した。前途遼遠どころでない。戦争の話を聴きに行って、縁談を
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私は前途遼遠どころでなかった。話の始まったのが九月末、一月間を置いて、十一月三日天長節の
「年を越せば二十で、操は命が危いんです」
と老河原さんが目の色を変えて
「道理で君は頻りに老河原のところへ押しかけると思ったよ」
と予定の行動のように解した。
「決してそんな意味じゃなかったけれども」
「何とか言っている」
「全く偶然さ。いや、君も関係がある」
「何故?」
「昨日の会の余興最中、君が『老河原さんを見給え、涙をホロ/\こぼしている』と言ったろう」
「うん」
「僕はあれから帰りに、『琵琶がお好きですか?』って訊いたんだ」
「
「あゝいう語り物は身につまされると言ったから、戦争の功名談を承わりたいと
「成程」
「功名談が身の上話になって、それから急転直下、縁談だ。娘を貰ってくれと言って河原さんは泣き出した。君、河原老人はあれでも人を切っているよ」
「脚だろう?」
「いや、本当にやったんだ」
と私は会津の娘のことを話した。消息通の柴田君もこれ丈けは初耳だった。河原さんは誰にも打ち明けずに、独りで
「ふうむ」
「驚いたろう?」
「よくよくの腰抜
「無論強い方じゃないさ。しかし以来四十年間後悔を続けているところは感心じゃないか?」
「中途半端だよ。それぐらい申訳がないと思うなら、腹を切るなり
「人のことだと思って、簡単に片付けるね。それが出来ないから煩悶しているのさ」
「しかし君、老河原の煩悶や迷信は全く別問題として考える方が
「うむ」
「単に縁談として慎重に研究しなければいけない」
「無論その積りさ」
「僕は好い縁談だと思っている」
「それで、もう取定めて来たんだよ」
「何あんだ。僕の分別を借りに来たんじゃないのか?」
「顔を借りに来たんだ。仲人になってくれ給え」
「よし。引受けた。実は僕も折を見て勧めたいと思っていたところだ」
と柴田君は快諾してくれた。
父親からは、
「······
と問い返して来た。私は河原老人の経歴から迷信を詳しく書き認めて誤解のないように願った。父親はそれで納得してくれたが、母親は取越苦労ばかりする。
「······えりにえって
と父親に内証で注意して寄越した。
式には両親が遠路を遥々来てくれた。婿も嫁の父親も仲人も皆同じ学校に勤めている関係から、校長初め同僚全体が列席して、ナカ/\賑かな披露だった。一世一代のことだから、私はその折の光景を
「
とやり出した。これが私達新夫婦に多大の感銘を与えた。以来お蔭をもって至極円満に暮しているから、私も序をもって、校長の言葉をそのまゝ広く天下の新家庭へお
「私達夫婦は結婚後二十四年、来年はもう銀婚式であります。その間夫婦喧嘩というものを一遍もしたことがありません。至って円満な生活を続けています。しかしこれは私なり家内なりの人格が高いからでもなく、特に修養が深いからでもありません。単に新婚当時の約束によるのであります。その折、私は家内に、『私は気の短い性分だから、時々憤るかも知れない。しかし私が憤った時、お前は決して憤っちゃいけない』と斯う申しました。家内は承知してくれましたが、同時に『私も気をつけますが、長い月日の中には、矢張り憤ることがないとも限りません。しかしその時丈けは、あなたも決して憤らないで下さい』と斯う申しました。要するに、
と校長はこゝで私を呼んだ。
「結構な御教訓でございます」
と私は
「夫婦同時に憤らないこと。これを御実行下さいますか?」
「はあ」
「一つ
と校長は教室と間違えている。私が手を挙げたら、一同拍手喝采した。
「新婦の
「············」
「夫婦同時に憤らないこと。これを御実行下さいますか?」
「············」
「一つの証の為めに手を挙げて見せて下さい」
と校長は少し酔っていたのかも知れない。
「そんなことじゃ困るじゃないか?」
とプリ/\する。
「あなたは早いのね」
「何が?」
「今度こそ私、憤ろうと思っていたら、先に憤ってしまうんですもの」
と妻はもう憤ることが出来ない。私は先手々々と取った。その為め、可なり我儘だけれど、風波の立つことがない。妻も時には
「おや/\、機先を制したな」
と思って、私も
私達は多産の夫婦だった。十一月に結婚して、翌年の秋に長男が生れた。以来一年置き
「一番お若いですな」
と褒められた男も、次の任地では、
「ナカ/\大勢さんですな?」
「はあ。三人あります」
「それは/\。いや、それにしてはお若いです」
ともう条件がついた。
「
「何でございますか?」
と
「お母さんが心配していたけれども、全くアベコベだったね」
「えゝ」
「実に能く生れる」
「オホヽ」
「それに
「でも御勉強が出来なくてお気の毒ね」
「何あに、仕方がないさ。何処でも
「あなた」
「何だい?」
「私、お気の毒だと思って、未だ申上げませんでしたが······」
「何だ?」
「又少し······」
「え?」
「
「ふうむ」
「今からですと、又年子ですわ」
「驚いたなあ。おや/\、おシッコだよ」
と私も溜まらない。
四国に三年いる中に又二人生れて、中国へ転任した。子供は毎年又は一年置きに殖えるけれど、俸給の方は三年ぐらいたゝないと上らないから、兎角生活が苦しくなる。上ったところを又上って転任することに心掛けた。当時、九州にも好い口があった。それは仲人の柴田君の周旋で、有名な温泉町の中学校だった。土地がらだから、物価は少し高いが、借家にも温泉が引いてある。もう一級上るまで湯治をする積りで行って見ないかという勧誘だった。
「温泉場なんて困りますわ」
と妻は頭から反対した。
「子供の教育の為めに面白くないかね?」
「それもありますが、温泉は温まりますわ。無学ね、あなたは」
「何だい?」
「唯さえ生れるんですからね、私の身体は」
「成程」
「毎日温泉なんかに入っていて御覧なさい。双子が生れますよ」
「おい。お前は憤っているのかい?」
「えゝ」
「それじゃ仕方がない」
と私は温泉場を諦めた。元来子供に追われての転任だから、この上生れる可能性のあるところでは仕方がない。
中国では、
「河原君は大関だ」
という折紙がついた。もう若いとも秀才だとも言ってくれない。単に子供の数が注意を惹く。
和歌山名古屋と歩いて、子供の数が十人に達した時、私は考えた。無論その前にも度々考えたことは考えたが、その中に何うにかなるだろうと思っていたのである。
「操や」
「何でございますか?」
「これは到底やり切れないよ」
と私は或晩腕を
「私、もう大丈夫の積りでございますけれど」
「
「オホヽ」
「何が
「まあ」
「笑いごとじゃないよ」
「あなたは憤っていらっしゃるの?」
「うむ」
「何がお気に召しませんの?」
「子供が多過ぎる」
「そのことなら、あなたよりも私の方が余っ程憤りたいくらいよ」
「何故?」
「次から次と生んでばかりいて、ナリも形もないじゃございませんか?
「操!」
「何でございますか?」
「その態度は何だ?」
「············」
「
「はい」
「ニコ/\笑っていなさい」
「今笑いごとじゃないと仰有ったじゃありませんか?」
「口答えをしちゃいけない。
「はい」
と妻は約束だから仕方がない。
「考えて見ると、
「それじゃ何うなさいますの?」
「学校をやめようと思う」
「まあ!」
「恒男はもう十七だ。来年は高等学校へ入れなければならない」
「こゝの高等学校へ通わせれば宜いじゃございませんか?」
「高等学校は兎に角、今のような境遇じゃ大学へ出せない。その頃になって御覧。中学校女学校と下が続々だ。浩子も嫁にやらなければならない」
「私も考え出すと寝られないことがございますのよ」
「奏任待遇の先生がまさか子供を奉公に出す
「はあ」
「教育家って変なものだね。人の子供の教育をしながら、自分の子供の教育が出来ない。
「半分なら
「いや、半分でもむずかしい。今の俸給じゃ
「でも、およしになれば尚お駄目になりますわ」
「よして恩給を取る」
「恩給は三分の一でございましょう?」
「いや、東京の私立学校へ行って稼ぐんだ。恩給丈けが浮くよ。
「心当りがございますの?」
「あるさ」
「月給は幾らぐらい?」
「月給じゃない。時間給だよ。一時間二円として、一週に三十時間教えれば、二三が六の六十円。四週間と見て、四六二十四の二百四十円さ。それに恩給が六十円と見て、合計三百円の収入になる」
「あなた、然うして戴きます」
「今直ぐって
「来月からでも
「夏休みに行って運動して来る」
と私は方針を変えることに決心した。
丁度その頃、赤羽君が訪れてくれた。但し家へ来たのでなく、旅館から学校へ電話をかけて、私に出頭を命じたのである。昔は兎に角、今は身分が違うから仕方がない。
「赤羽だよ。赤羽明。群馬県の産」
と名乗り丈けは昔の通りだった。
「はあ/\。赤羽君ですか?」
「うむ」
「それは/\。珍らしいですな」
「シナ忠にいる。直ぐやって来ないか?」
「上りましょう。丁度授業が終ったところです」
と私は何うしても対等の調子が出なかった。貧乏していると金力の威圧を感じ易い。シナ忠旅館に出頭した私の背広姿は見すぼらしかった。田舎町だと中学校の奏任教諭は相応顔を見知られているが、名古屋辺では保険の勧誘員ぐらいにしか扱われない。私は応接間へ通されたきり一時間近く待たされた。先客が二人控えていたから順番で赤羽君の部屋へ呼び出される。
「やあ、待ったぜ」
と赤羽君が言った。
「僕こそ待ったよ」
「何処で?」
「応接間で」
「早く
「ふうむ」
と私は感心して、
「久しぶりだね」
と直ぐに
「死んでいるか生きているかと
「御無沙汰した」
「いや、僕こそ」
「忙しいだろう?」
「うん」
と赤羽君は気がついたように、
「
と呼んだ。次の間から立派な紳士が現れて、平身低頭した。
「もう誰にも会わないから、その積りで」
「はあ」
「君も、もう
「はあ」
「寛いで自由にやってくれ給え」
「はあ」
「
「はあ」
と紳士は返辞毎にお辞儀をして退いた。赤羽君よりも悧巧そうな顔をしているが秘書らしかった。
「十八年ぶりだね」
と私は言った。
「子供は何人ある?」
と赤羽君が訊いた。
「十人あるよ」
「十人?」
「うむ」
「拵えたものだね。ハッハヽヽ」
「君は何人だい?」
「五人だよ。男ばかりだ。君のところは?」
「丁度半々だ」
「君に似て皆成績が好いんだろう?」
「さあ。親の苦労を毎日目に見ている
「僕のところの奴は怠けて仕方がない。それに皆
「そんなこともなかろう」
「いや、妻に
と赤羽君は大いに主張した。この辺は昔と変らない。
「君は学園へ講堂を寄附したってね?」
「うん」
「心掛が好いや」
「何あに、あれは、ハッハヽヽ」
「
「
「うむ」
「事実無根だ」
「大いに弁解するね」
と私は皮肉ってやった。
「君は教育家だからさ」
「それからどうしたんだい?」
「妻の奴、大に憤慨してね、間もなく学園から何とかって先生が勧誘に来た時、家には要らない金がありますからって、独断でやってしまったんだ」
「成程」
「今更後へも引けなかったのさ」
「すると寄附金も有難味がなくなるね」
「当り前さ。卒業の時に因縁をつけた上、世話もしないでおっ
と赤羽君は腕
「しかし君は評議員じゃないか?」
「あれは
「東京へ越すんだってね? この間学報で見た」
「もう越したよ。今度来たら、寄ってくれ給え」
「実は僕も東京へ帰ろうと思っている。いつまでも田舎にいると子供の教育が出来ない」
と私は最近の決心を打ち明けた。
「一体、君はこゝで幾ら貰っているんだ?」
「そんなことは訊いてくれるな」
「何故?」
「
「しかしもう教頭だろう?」
「教頭の次さ」
「それじゃ三百円も貰っているのか?」
「
「ふうむ」
「何しろ十人だからね。校長になったって追っつかない」
「そんなに苦しいなら、僕が何とかしようか?」
「
「君のことだから小理窟があるだろうな。しかし見す/\困るんじゃないか?」
「東京へ行って私立学校を稼ぐさ」
「それじゃ君、東京の口を僕に探させろ」
「畑違いじゃないかい?」
「手を廻すよ。会社の口だとお手のものだが、何うにかなる積りだ」
「誰か校長を知っているのかい?」
「知らん。しかし私立学校には
「それはある筈だね」
「僕のところへは
「さあ」
「三百円じゃ何うだい?」
「恩給を合せて、それぐらい見当をつけている」
「恩給は幾ら取れる?」
「五十円か六十円だろう」
「それじゃ恩給を五十円と見て、僕が百円出す」
「君からは貰わない」
「いや、僕の子供を頼む。
「東京へ行くようになれば、無論都合をつけるよ」
「それじゃ
と赤羽君は独りで呑み込んでいた。
しかし間もなくこれが実現された。私は赤羽君の
「お母さん、皆可愛い子でしょう?」
と私は賞讃を要求した。
「可愛いことは可愛いよ」
「お母さんは子供が生れないだろうと仰有ったけれど、この通りです。あんなことは迷信ですよ」
「いゝえ。私が行者に頼んで
「はゝあ、少し利き過ぎましたね」
「十人生れて一人も欠けないなんてことは滅多にありませんよ。私は降っても照っても毎日八幡さまへお詣りをしますからね」
「はゝあ、それも利いているんでしょう」
「
と母親は信心家だ。私は早速妻子を連れて出掛けた。途中数名の知った顔に出会った。その中に小学校時代の喧嘩相手国分君がいた。挨拶は交したものゝ、私達をやり過してから、
「耶蘇の会かやあ? それとも皆友さんの子かやあ?」
と大きな声で
「友一や、お前は能く学校が勤まるね?」
と訊いた。
「何故ですか?」
「家の中がまるで運動会のようですもの。私は頭が痛くなってしまいますよ」
「大勢でさぞ御迷惑でしょう」
「可愛いには可愛いけれど、私は
「それは困りましたな。お父さんは何ういうお考えでしょうか?」
「もう少し
「それじゃ仕方がありませんなあ。あゝ/\、子供が多いと親孝行が出来ない」
「別にしなくても
「
と私は有難く感謝した。
それから五年になる。早いものだ。長男は帝大へ通っている。長女は高女を卒業して家事の手伝いをしているが、下に中学生が二名、女学生が二名、小学生が二名、学校へ行かないのが二名という勘定になる。長いこと嶮しい坂を登って来たが、峠は
「君は実際
と言って褒めてくれた。
「稼がなければ、これ丈けの人数が
「それにしても感心だよ」
「何あに、自分じゃ平気だ。これが当り前だと思っている」
「一体何時間やっているんだね?」
「
と私は直ぐに答えられない程やっている。
「昼間の学校が二軒で三十六時間。夜学校が一晩置きで九時間、両方で一週四十五時間さ」
「大変だね。僕の方の先生の三倍、いや、二倍半だ」
「それから日曜講習が午前午後で四時間」
「すると四十九時間じゃないか?」
「家庭教師が一晩置きで、これは六時間だろうね、精々」
「おや/\。
「
「
「夜十時頃に帰って来て、十二時まで書くのさ。教えるのとは別なんだから変化になる」
「
「いや、仕方なしだよ。しかし宜くしたもので、子供の為めだと思うと、一向苦にならない」
「
と柴田君は益

「僕はこの頃昼間の学校でゴールドスミスのヴィカーを教えているが、あの冒頭に千古の真理が書いてある」
「何んなことだい? 僕も読んだことがあるが、忘れてしまった」
「僕は
「面倒だから翻訳をしてくれ給え」
「女房を貰って大勢の子供を育てる
「成程」
「ナポレオンはナポレオン、
「
「いや、悟ったんだよ。
と私は十人の子供を