脚本を読んで見て私は殆んど手の出しやうのないのに驚いてしまつた。とても自分の貧弱な頭ではそれ/″\に立派な解釈をつけて批評して行くことは
「あんまり六ヶしく考へすぎるんだよ」といふ様な注意を傍らで聞くとなほイラ/\して来てどうしても
一番主として考へなければならないのはヴイ
ヴイ※[#濁点付き井、47-10]イは悧巧な冷静な理解力をもつた自信の強い女である。だが情熱とか優しみとか云ふ方には欠けてゐる。
これは彼女が幼い時から母の傍を離れて寄宿生活をして来た結果だ。彼女は幼い時から当然受くべき両親のやさしい愛をうけることが出来なかつた。彼女は第一に親の愛を知る時期がなかつた。第二に彼女は寄宿生活に万事少しの
其処で彼女は母に対して、母の職業に対して或理解をもつ事は出来た。同時に幾分の同情することも出来た。然し最後まで行つたとき彼女は母に対して、あまりに苛酷な態度をとつた。もし普通に母親に対する愛情をもつ女ならあゝいふ酷な態度のとれやう筈はない。もう少し角だてずにやさしく
ウォーレン夫人はそれにくらべるとずつと世間並の女でまたありふれた普通一般の母親とすこしも変りはない。唯だ幾分気丈とでも云ふやうな点のある、ヴヰ※[#濁点付き井、48-12]イよりも気持ちのいゝ女だ。同情すべき女だ。彼女は娘を自分で教育することが出来なかつた。一つは彼女が無智だと云ふことを自覚してゐる処からと、それから職業の都合からも来たことであらう。彼女は娘に充分の教育を与へた。それは世間の親たちが娘を教育するのと些しも違つた考へからではない。もう少しでも違つた処があればそれは自分の無智をも
次に来る問題はこの脚本の主題となつたウォーレン夫人の職業だ。私達も現在考へさゝれてゐることであり、また早晩ぶつかる問題である。教育のない無智な何の芸能をも有しない婦人の職業||それが一番真面目にはやく考へなければならない問題だと思ふ。私は出来ることならこれを眼目にして大いに書きたい気もするけれど時日もないしそれにまづしい私の社会的な智識では到底大したことも云へなささうだ。併し私達はどうしてもこれから先きの研究はそこまで進めて行かなくてはならないのだからその時にまた機会があるかもしれない。
ウォーレン夫人のやつてゐるやうな仕事がいゝか悪いかの問題は今は預つて置く。そう云ふ職業が存在し得るは止むを得ない。
ヴヰ※[#濁点付き井、49-18]イ ねえお母さん正直に云ひますけれどそんな風にまでしてお金をこしらへるのをいやしむと云ふ見識もあなたの云ふ女の性根つ玉ぢやありませんか?
夫人 勿論さ。誰だつて心にもない勤めをして金を拵 へるのを好んでるものはないさ。ほんとに折々は可愛さうだと思つたよ。疲れきつてふさいでゐる女が藁しべ程も思つてゐない男の機嫌をとらうとしてゐるのを見るたびにね、||どんな金高にも易 へられない程の嫌やな思ひをさせてさんざつぱら女を苦しめておきながら見事面白がられてる了簡 でゐる生粋の間抜共を見るたびにね。だが商売となればどんな厭やなこともがまんしなきやならず荒くあたられてもやはらかに受けなきやならない、丁度看護婦か何ぞのやうにね、無論だれだつてすきこのんでする事ぢやない。お宗旨屋の法なんぞを聞いてお前は安楽な仕事のやうに思ふかもしれないけれど。
ヴヰ※[#濁点付き井、50-5]イ でもあなたは仕甲斐のある仕事だと思つてゐらつしやるのでせう。お銭になるから。
夫人 仕甲斐がありますともね、貧乏人にとつては。その娘がおだてにのらない奇麗な身だしなみの悪くない悧巧な娘でさへあればね。他の何 商売よりはましだからね。無論よくないことさヴヰ※[#濁点付き井、50-7]イ、それにました職業が女にないといふのは。私はあくまでそれは悪いことだと思ひます。けれどもよかれあしかれさうなつて見ればそれを利用するより他に為 やうがないのさ。立派な人たちのすることぢやないよ。お前なんぞしやうとすれば馬鹿だ。けれども私がやらなかつたらそれはまた馬鹿だ。
ヴヰ※[#濁点付き井、50-11]イ (ます/\深く感動して)お母さん、かりに私たちが昔のあなたのやうに貧乏であつたとしたら屹度 あなたはすゝめないでせうか私にワーテルローの酒場へ出ろとか労働者へ嫁入りしろとか又は製造所へさへも入れとすゝめないでせうか。
夫人 (憤然として)すゝめるものかね。私を如何 んな母親だと思つてるんです。そんな食ふや食はずでゐてお前見識が保てますか。女と生れて生甲斐があるかい? 見識が保てないで||同じ境涯にゐる他の女達は泥の中にゐるのにどうして私だけは自力で生活を立てゝ娘に一等の教育まで受けさせたか? いつも私は自分を尊敬し自分を制 へて行くことを知つてゐたからさ。どうしてリツヅが寺院町で人に尊敬されてゐるか? 同じ理由さ。今頃若 しあの僧 さんの馬鹿気た訓戒を守つてゐたなら私等は何処にゐるだらう? 一日七十五銭で床板の拭掃除にこき使はれてさとゞのつまりは養育院厄介だらうぢやないか?||
私は此処まで書いて来て考へて見るとこの脚本の作者バアナアド、シヨオは社会の色々な欠陥をもつて来てその欠陥が生んだ種々の人々を捉へて来て一人々々の欠点をうまく表はして、大きな社会問題にふれさせる処にその皮肉な見解を見せてゐるのだ。さう思つて見れば皆さうだ。一々細かに評すれば際限がないし大きな社会問題を持ち出さなくつてはすまない。シヨオのこの脚本に対する根本の意の潜んでゐる処が解れば云ふことはないやうだし批評するのも無駄な事をやつてゐるやうな気がする。併しなか/\面白い問題だと思ふ。機会があつたらなほ細かにフランク、クロフツ等についても書いて見たいと思ふ。
[『青鞜』第四巻第一号附録、一九一四年一月号]