1
||このたびはその第十九番てがら。
前回の名月騒動が、あのとおりあっけなさすぎるほどぞうさなくかたづきましたので、その埋め合わせというわけでもありますまいが、事の端を発しましたのは、あれから五日とたたないまもなくでした。もちろん旧暦ですから、九月も
「ね、だんな、性得あっしゃこの秋っていうやつが気に食わねえんでね。だからってえわけじゃござんせんが、せっかくの非番びよりに、生きのいいわけえ者がつくねんととぐろを巻いていたって、だれもほめてくれるわけじゃござんせんから、ひとつどうですかね、久方ぶりに浅草へのすなんてえのもあだにおつな寸法だと思うんだが、御意に召しませんかね」
「············」
「ちぇッ。親のかたきじゃあるめえし、あっしがものをいいかけたからって、なにもそう急に空もよう変えなくたってもいいじゃござんせんか。そりゃ、あっしゃ口うるせえ野郎です。ええ、そうですよ、そうですよ。辰みてえにお上品じゃござんせんからね。さぞやお気に入らねえ子分でござんしょうが、なにもあっしが行きたくてなぞかけるんじゃねえんだ。あのとおり、辰の野郎がまだ山だしで、
「············」
「伝之丞の居合い抜きが殺風景だというんなら、生き人形なぞも悪くねえと思うんですがね」
「············」
「それでも御意に召さなきゃ、ことのついでに両国までのすなんてえのも、ちょっと味変わりでおつですぜ」
「············」
「聞きゃ、娘手踊りと
「············」
「ちぇッ。何が御意に召さなくて、あっしのいうことばかりはお取り上げくださらねえんですかい。天高く馬肥えるってえいうくれえのものじゃござんせんか。人間だっても、こくをとってみっちり太っておかなきゃ、これから寒に向かってしのげねえんだ。久しく油っこいものいただかねえから、まだ少しはええようだが、今からそろそろ出かけて、お昼に水金あたりでうなぎでもたんまり詰め込んでから、腹ごなしに小屋回りするなんてえのは、思っただけでも気が浮くじゃござんせんか」
||と、それまで何をいっても黙々として相手にしなかった名人が、はしなくも伝六のいった食べ物の話をきくと、むっくり起き上がりながら、にわかに活気づいて、いとも朗らかにいいました。
「ちげえねえ、ちげえねえ。どうも近ごろ少し骨離れがしたようで、何をするのもおっくうだと思っていたら、それだよ、それだよ。水金のたれはちっと甘口でぞっとしねえが、中くしのほどよいところを二、三人まえいただくのも、いかさま悪くねえ寸法だ。はええところお
いうまに茶献上をしゅッしゅッとしごきながら、
「ちッ、ありがてえ! ちくしょうめ、すっかり世の中が明るくなりゃがったじゃねえか。だから、なぞもかけてみるものなんだ。じゃ、辰の野郎をすぐひっぱってめえりますから、ちょっくらここでお待ちくだせえましよ」
しかるに、どうも伝六というやつは、なんと考えてみても変な男です。すぐに辰をひっぱってくるといったにかかわらず、駆けだしていってから、かれこれも
「兄貴ゃどうしたい」
「え?」
「伝六太鼓はどこへ逐電したかってきいてるんだよ」
「それが、じつはちっとのんきすぎるんで、あっしもさっきから少しばかり腹だてているんですが、半年のこっちも一つ
「やにわと変なことをいうが、けんかでもしたのかい」
「いいえ、それならなにもこうして、ぼんやりしているところはねえんですがね、今から両国へ気保養に行くんだから、だんなの雲行きの変わらねえうちに、はええところいっちょうらに着替えろと、火のつくようにせきたてたんで、いっしょうけんめいとしたくしたら、あきれるじゃござんせんか。おれゃちょっくら朝湯にいって、事のついでに床屋へ回ってくるから、おとなしく待っていなよっていいながら、どんどん出ていったきり、いまだにけえらねえんですよ」
「あいそのつきた野郎だな。あわてるときはあわてすぎやがって、気がなげえとなりゃ長すぎるじゃねえか。あいつはきっと長生きするよ。かまわねえ、ほっといて出かけようぜ」
「だいじょうぶですかい」
「あいつのことだもの、鳴らしながら追っかけてくるよ」
まことにしかり、それと知ったら伝六太鼓がからだじゅうを総鳴りさせて、ぶりぶりしながら追っかけてくるのは必定でしたので、辰とふたりの道中もまた一興とばかりに、
しかし、うなぎは名人にとって恋人にもまさるほどの、
「みどもはいかだにいたそうかな」
「心得ました。そちらのお小さいおかたは?」
「············」
「早く何か注文してやんなよ」
「············」
「小さいっていわれたんで恥ずかしいのかい。じゃ、おれが代わりに注文してやらあ。がらは細かいが、お年はあぶらの乗り盛りだからね、大ぐしがよかろうよ」
「心得ました。おふたりまえで||」
「いや、六人まえじゃ」
「え||」
「六人まえだよ」
「でも······」
「できぬというのかい」
「いいえ、おふたりさまで六人まえは、ちょっとその||」
「だいじょうぶ、だいしょうぶ。あとからひとり勇ましいのが来るから、足りないかもしれんよ」
しかるに、来るべきはずのその勇ましいのが、どうしたことかなかなか姿を見せないのです。
「兄貴め、まさかまい子になったんじゃありますまいね」
「お門が違わあ。食いものとなりゃ、親のかたきをほっておいても駆けだすやつなんだもの、だいじょうぶ、いまに来るよ」
ところが、どうも変なのでした。自分から先へ誘いの水を向けたことではあるし、もちろん、水金へ来ることは先刻承知のはずなんだから、だれがどう考えても、あの伝六がまい子になることはあるまいと思われるのに、
「あきれたやつじゃねえか。めんどうくさいから、おいていこうよ」
「でも、おこりますよ」
「身から出たさびだよ。いこうぜ、いこうぜ」
辰を促すと、もちろんまず娘手踊りのほうへはいるだろうと思われたのに、さっさとさるしばいのほうへ曲がっていったものでしたから、がらはちまちましているが、お
「おいら川越の山育ちなんだからな、
「控えろッ」
「えッ?」
「といったら腹もたつだろうが、町方を預かっている者は、一に目学問、二に耳学問、三に度胸、四に腕っ節というくれえのもんだ。娘手踊りなんぞはいつだっても見られるが、さるしばいをのがしゃ、またいつお目にかかれるかもわからんじゃねえか。珍しいものと知ったら、せっせと目学問しねえと、出世がおくれるぜ」
治にいて乱を忘れず、閑にあってなおその職分を忘れず、かくてこそわがむっつり右門が名人なるゆえんです。||小屋は、さるのしばいという珍しいその評判が客を呼んで、すでにもうそのとき七分の入りでした。
2
さるでもしばいとならば、大根、下回り、中看板、名題と、いろいろ階級があるとみえて、最初は下回り連のありふれた曲芸。その次が鳴り物づくしに、首引き綱引き、第三にすえたのが呼び物の一つである
お定まりどおり、
「畜生とは思えぬくらいじゃな」
すっかり名人も感に入って、久しぶりの目保養気保養にうっとりなりながら、あごをなでていると||、
「どきねえ! どきねえ! じゃまじゃねえかッ。[#底本には、1字あき]どきねえってたらどきねえよッ」
ガラッ八のぐあい、かしましいぐあい、どうも聞いたような声なのです。
「さてはお越しあそばさったな」
遠慮のないぐあいが、てっきりあいきょう者だろうと思われたので、あごをなでなでふり返ってみると、果然わが親愛なる伝六なのでした。
しかるに、親愛なるその伝六が、来るそうそうから少しよろしくないことをいったのです。
「いくら非番だからって、あきれただんなじゃござんせんか! こんなところでのうのうとやにさがって、しばい見物とはなんのざまです! おしばい見とはなんのざまです!」
おそくなったのをわびでもするかと思いのほかに、言いだし本人のそのご本尊が、誘いの水を向けたことなぞは忘れ顔に、あたりかまわずがみがみとやりだしたものでしたから、名人の顔色がいささか変わりました。
「人中も人前もわきまえのねえやつだな。おまえがここへ来ようと水を向けた本人じゃねえか。みっともねえ、ガンガン大きな声を出すなよ」
「声のでけえな親のせいですよ! それにしたとて、町方を預かるお身分の者が、このせわしいなかに、のうのうと
「変なところへからまるやつだな。おれが来たくてこんなところへ来たんじゃないよ。おめえがやけに誘ったから来たんじゃねえか。おいてきぼりに出会った腹だち紛れにのぼせているなら、大川は目と鼻の近くだぜ。ひと浴び冷やっこいところを浴びてきなよ」
「ちぇッ。血のめぐりのわるいだんなだな! のぼせているな、こっちじゃねえ、そっちですよ! レコなんだッ。レコなんだッ。レコが降ってわいたんですよ!」
「なに!
「だからこそ、やいのやいのと騒いでるじゃござんせんか! ご番所からお呼び出し状が来たんですよ!」
「でも変だな。おまえは髪床へいって、朝湯へ回って、たいそうごきげんうるわしくおめかしをしていたはずだが、違うのかい」
「もうそれだ。なにも人前でかわいい子分をいびらなくたっていいでがしょう! あっしだっても生身ですよ。生身なら
「とちるな、とちるな。愚痴はあとでいいから、肝心のあなというのはどうしたのかい」
「さればこそ、このとおり愚痴から先へいってるじゃござんせんか。なにごとによらず芸は細かくねえといけねえんだ。だから、あっしだって、髪床へも行くときがあろうし、朝湯にだっても出かけるときがあるんだからね、いこうとすると、途中でばったり出会ったんですよ。だんなへ用かときいたら、女が殺されたんだといったんでね、女だったら||」
「いずれべっぴんだろうと思って飛び出したのかい」
「いちいちとひやかしますなよ。なににしても、女が殺されたと聞いちゃ、ほかのことはともかく聞き捨てならんからね、だんなに来たお呼び出し状なら、この伝六様のところにも来たのと同然なんだから、下検分してやろうと、さっそく行ってみるてえと、生意気じゃござんせんか。あんな
「············」
「ちぇッ。何がおかしいんですかい! 話ゃちゃんと筋道が通ってるじゃござんせんか! 年増のぶ器量な女で、ちっと気に食わねえが、変な殺され方をしているんで、はええところお出ましなせえましといってるんですよ||辰もまた、小せえくせに何がおかしいんだッ。人並みににやにやすんない! とっととみこしをあげたらいいじゃねえか!」
「あげるよ! あげるよ! 催促せんでもみこしをあげるが、でもなんだからな、兄貴の話ゃ||」
「何がなんでえ! 話がわかったら、気どらなくたっていいじゃねえか! やきもきしているんだから、活発に立ちなよ!」
「と思うんだが、兄貴の話ゃ、大きに芸が細けえようなことをいって、ちっとも細かくねえんだからな。女の殺されているのはいいとして、どこで本人が殺されているのか、肝心の方角をいわねえんで、だんなだっても急ぎようがねえんだよ」
「つべこべと揚げ足取るなッ。何もかもおぜんだてができていればこそ、せきたてるんだッ。細けえか、細かくねえか、表へ出てみりゃちゃんとわからあ! さ! だんなも立ったり! 立ったり!」
手をひっぱるようにしながら表へ連れ出すと、いかさま芸が細かいと自慢したのも道理でした。珍しく気のきいた大働きで、ちゃんともう用意しておいた
けれども、本人は大得意。
「ざまみろい! 辰ッ。このとおり、おいらのやることあ細けえんだッ。||ここですよ! ここですよ! この家がそうですよ」
てがら顔に案内してはいろうとした問題のそのひと構えを、あごをなでなでちらりと見ながめていましたが、ぴたりともう右門流でした。
「ほほう。ご家人だな」
「え?」
「ここのおやじはご家人だなといってるんだよ」
「やりきれねえな。おいらが汗水たらして洗ったネタを、だんなときちゃ、ただのひとにらみで当てるんだからな。どうしてまたそんなことがわかるんですかい」
「またお株を始めやがった。この一郭は大御番組のお直参がいただいている組屋敷町じゃねえか。直参なら旗本かご家人のどっちかだが、この貧乏ったらしい造りをみろい。旗本にこんな安構えはねえよ」
まず一つ伝六を驚かしておくと、八丁堀の名物の巻き羽織のままで、案内も請わずさっさと通りました。しかるに、構えの中へ通ってみると、少しくいぶかしいことには、表付きの貧弱なるにひきかえ、家うちの器具調度なぞのぐあいが、ただのご家人にしてはいたくぜいたくなのです。
「はてな、目が狂ったのかな」
いうように、じろじろと見ながめていましたが、事の急は非業を遂げたとかいうそれなる女の検死が第一でしたから、まず現場へと押し入りました。
ところが、その現場なるものがまたひどく不審でした。寝所らしい奥まった一室であったことに別段の不思議はなかったが、旗本ならいうまでもないこと、いかに
「ごめん······」
黙礼しながら通ると、
「念までもあるまいが、検死が済むまでは現場に手をおつけなさらないようにと、当家のかたがたへ堅く言いおいたろうな」
「一の子分じゃあござんせんか! だんなの手口は、目だこ耳だこの当たるほど見聞きしているんだッ。そこに抜かりのある伝六たあ伝六がちがいますよ!」
確かめておいてから、あけに染まって夜着の中に寝かされたままである
「ほほう。わきざしでなし、短刀でなし、まさしく
ずばりとホシをさしておくと、気味のわるい町方役人が来たものじゃな、というように、じろじろとうさんくさげに見ながめているあるじのほうへ、いんぎんに一礼していいました。
「お初に······八丁堀の者でござります。とんだご災難でござりましたな」
いいつつ、名人十八番中の十八番なるあの目です。見ないような、見るような、穏やかのような、鋭いような、ぶきみきわまりないあの目で、一瞬のうちに主人の全体を観察してしまいました。
したところによると、それなるあるじがなんとも不思議なほど若すぎるのです。非業の最期を遂げている女を三十五、六とするなら、少なくもそれより七、八つは年下だろうと思われるほど若いうえに、男まえもまたふつりあいなくらいの美男子なのでした。加うるに、どうも
しかし、それと見てとっても、なに一つ顔の色に現わさないのがまた名人の十八番です。いたって物静かに尋問を始めました。
「ご姓名は?||」
と||、なんとしたものだろう! これがすこぶる意外でした。
「申します。お尋ねなさらなくとも申します。井上金八と申します」
剣もほろろにはねつけるか、でなくばいたけだかになってどなりでもするかと思われたのが、じつに案外なことにも、いたって穏やかな調子ですらすらと申し立てましたものでしたから、名人の不審は急激に深まりました。貧弱なご家人だなと思えば、家へはいってみると思いのほかに裕福なのです。裕福かと思えば、見舞い客が少ないのです。少ないかと思えば、主人らしい男が、殺されている女とはひどくふつりあいに若くて色男なのです。しかも、傲慢に見えるので、心しながら尋問すると、じつにかくのごとく穏やかなのです。
「どうやら、これは難事件だな」
すべてのお献立がはなはだぶきみでしたから、推断、観察を誤るまいとするように、名人はいっそうの物静かな口調で、尋問をつづけました。
「お
「お恥ずかしいほどの少禄にござります」
「少禄にもいろいろござりまするが、どのくらいでござりまするか」
「わずか五十石八人
「では、やっぱりご家人でござりましょうな」
「はッ。おめがねどおりにござります」
「これなるご不幸のおかたは?||」
「てまえの家内にござります」
「だいぶお年が違うように存じまするが||」
「はっ。てまえが九つ年下でござります」
「ほかにご家族は?||」
「女中がひとりいるきりでござります」
「年は?||」
「しかとは存じませぬが、二十二か三のように心得てござります」
「では、これなるご内室がどうしてこんなお災難にかかりましたか、肝心のそのことでござりまするが||」
きこうとしたのを、
「それだッ、それだッ。いま出るかいま出るかと、そいつを待っていたんですよ!」
わがてがらの
「ようよう、これであっしの鼻も高くなるというもんだ。いまかいまかと、ずいぶんしびれをきらしましたよ。ところで、ひとつ、肝心のその話にうつるまえに、ぜひにだんなにお目にかけたい珍品があるんだがね。というともってえつけるようだが、こいつがたいそうもなくだいじな品なんだからね。そのおつもりで、よっく見ておくんなせえよ! な! ほら! こういう書きつけなんだがね」
とつぜん妙なことをいいながら、うやうやしく懐中から取り出してみせたのは、次のように書かれた一封でした。
「酒肴料 松平伊豆守家 」
「いきなり変なものを出したが、これはなんのお守り札かい」「ところが、このお守り札が、なんともかとも、うれしくなるほどいわくがあるんだから、たまらねえじゃござんせんか。先ほどからたびたび申しましたように、とかく芸は細かくなくちゃいけねえと思ってね、じつあ今までとらの子のようにかわいがって懐中していたんだが、ときにだんなは、ゆうべ、上さまが、お将軍さまが、松平のお殿さまのお下屋敷へもみじ見物にお成りあそばさったことをご存じでしょうね」
「知っていたらどうしたというんだ」
「そうつっけんどんにおっしゃいますなよ。話は順を追っていかねえとわからねえんだからね。そこで、こちらの井上のだんななんだが、このとおり縦から見ても横から見てもおりっぱなご家人さまだ。しかも、大御番組のご家人さまなんだから、だんなを前に説法するようだが、お将軍さまがお
「わかっているよ」
「いいえ、きょうばかりゃ別なんだから、伝六にも博学なところを見せさせてやっておくんなせえよ。ところで、こちらの井上のだんなも、ゆうべそのお
「るす中に変事があったというのか」
「そ、そうなんです! そうなんです! このとおり、お内儀がふとんの中に寝たまま、ぐさりとやられていなすったので、何はともかくと、取るものもとりあえずご番所へ変事を訴えにおいでなすったとこういうわけなんですがね。しかし、物はいちおう疑ってみなくちゃなるめえと思いましたんで、差し出がましいことでしたが、ゆうべたしかにお徒歩供をなすったという生きた証拠はござんせんかと、さっき下検分に来たとき念を押してみたら、井上のだんなが、これこそその何よりな証拠だとおっしゃって、あっしにくだすったのが、つまり、この酒肴料うんぬんの包み紙なんですよ。中身はどのくれえおありなすったか、はしたねえことだから、そいつまでは聞きませんが、いずれにしてもこの包み紙は、ゆうべのお徒歩供の特別お手当としてくださった金一封のぬけがらにちげえねえんだから、とするてえと、井上のだんながおるすなさったことに疑う節もねえんだし、ほかにまたこれといって怪しいところもねえんだから、こいつ変だと||」
「ふふうむ。なるほどのう」
「ちぇッ、変なところで感心しっこなしにしましょうぜ。話やこれからが聞きどころ、眼のつけどころなんだからね。そこで、何かネタになるような怪しいことはねえかと、この伝六様がけんめいと捜してみるてえと||」
「あったか!」
「だから、鼻がたけえというんですよ。こういうもっけもねえ品が見つかったんだから、これこそは粗略にできねえと、たいせつに隠しておいたんですがね。どんなもんですかね」
奥歯に物のはさまったようなことをいいながら立ち上がって、そこの縁先のすみから、これまたうやうやしくささげ持ちながら携え帰ったのは、一本の
「いかにものう! どこで見つけ出した!」
「どこもここもねえんですよ。ついそこの
まことにしかり! かくも疑わしき遺留品があったとするなら、それなる血染めのいぶかしき丸樫杖の持ち主に、下手人としての第一の疑いがかかるのは論のないところでしたので、名人もまたそう思ったらしく、手に取りあげてもてあそぶように見ながめていましたが、ずばりと、真に勇ましいくらいの右門流でした。
「この持ち主は座頭だな!」
「えッ?」
「この杖の持ち主は、あんまの座頭だなといってるんだよ」
「たまらねえな! ピカピカッと目を光らすと、もうこれだからな。しかし、どこにもこの持ち主が座頭だなんてことは書いてねえようだが、どうしてまたそう早く知恵が回りますのかね」
「また始めやがった。眼をつけりゃ、じきとおまえはそれをやるんだからな、うるさくなるよ。青竹づえはあんまの小僧、丸樫杖は一枚上がって座頭、

「なるほどね。だんなの博学は、おいらの博学と見ちゃまた
気早にせきたて、もう駆けだそうとしたのを、
「お待ちなさいまし。座頭ならば||」
心当たりがござります、といいたげに、もじもじしながら呼びとめたのは、あるじの井上金八でした。
「目ぼしがござりまするか!」
「はっ。ひとり||」
「ひとりあらばたくさんじゃが、名はなんと申します」
「
「このご近所か」
「はっ。ついその道向こうの、はら、あそこに屋根が見えるあの家が住まいでござります」
「お心当たりにまちがいござりますまいな」
「はい。じつは、このつえの先の油のしみに見覚えがござりますゆえ、たしかに仙市の持ちづえと、とうに見当だけはつけておりましたが、人を疑って、もしや無実の罪にでもおとしいれては、と今までさし控えていたのでござります」
「ご当家へはお出入りの者でござりまするか」
「はっ、家内が
「女房持ちでござりまするか、それともまたひとりでござりましたか」
「どうしたことやら、もう三十六、七にもなりましょうに、いまだに独身でござります」
「ほほうのう! ちと焦げ臭くなってきたかな。
心得たとばかりに、伝六、辰の両名は、横っとびでした。
3
しかるに、道向こうのそれなる仙市宅へ駆けつけていってみると、これが奇態でした。いや、いよいよ不審でした。ぴったりと雨戸が締まっているのです。早くも風をくらって逐電したのか、まだ八ツになるかならぬかの昼日中であるのに、どこもかしこもぴったりと戸がおろされていたものでしたから、伝六の鳴ったのは当然||。
「ちくしょうめッ。手数のかかるまねしやがるじゃねえか! だからいわねえこっちゃねえんだッ。ろくでもねえ
おこり上戸のおこり太鼓を、柳に風ときき流しながら、いとものどかにあごをなでなで、しきりと家のまわりをのそのそやっていた様子でしたが、そこの、ちょうどお勝手口のところまでいったとき、
「ふふん||」
とつぜん名人が、ふふんと吐き出すようにいうと、にやりとやりました。そのまたふふんなるふふんが、なんともかともいえぬふふんでしたから、鳴り屋の千鳴り太鼓がさらに鳴ったのはこれまた当然でした。
「ちぇッ、何がおかしいんです! 人がせっかく腹をたてているのに、何がおかしいんですかよ」
「控えろッ」
「えッ?」
「そうまあガンガン安鳴りさせずと、その足もとをよくみろよ」
いわれて足もとの流し口をなにげなく見ると||、こはそもいかに! 勝手口からちょろちょろと流れ出ている水から、ぽあん、ぽあんと湯気がたっているのです。
「よッ、さては野郎め、家の中に隠れているんだろうかね」
「あたりめえだッ。湯気水の中に、出がらしの茶の葉がプカプカと浮いてるじゃねえか。やっこさんゆうゆうと茶をいれ替えて、とぐろを巻いているぜ。このあんばいじゃ、一筋なわで行きそうもねえやつのようだから、気をつけねえとやられるぞ!」
「なにをッ。きょうの伝六様は品がお違いあそばすんだッ。||ざまあみろッ」
ドンと、もろに体当てを食わして、雨戸をけとばすと、いかさまできが違うのではないかと思われるほどの勇敢さで、七くぐり、八返りの仕掛け造りではないかともあやぶまれる暗い家の内を目ざしつつ、伝六が先頭、つづいてちんまりとした善光寺辰が、風船玉のように飛び込んだあとから名人はゆうゆうとはいっていくと、まずお公卿さまに命じました。
「目ぢょうちんだッ。目ぢょうちんだッ。はええところ辰公! 見当つけろッ」
「つきました! つきました! 床の間の前におりますぞ」
「一匹か。それとも、
「一匹です! 一匹です! どうしたことやら、ブルブルと震えておりますぜ!」
「なんじゃい! 震えているんだとな! ほほう、またこれはちと眼が狂ったようだが、こいつ思いのほかに気味のわるい
あけさせてみると、いかさま座頭仙市がそりたてのくりくり頭をかかえるようにして、こちらに背を向けながら、じつに必死と震えているのです。しかも、なんたる不審! まったくどうしたというのだろう? ||その震えている向こうの床の間の上には、三本! 五本! 八本! 十本! いや、全部数えたら十七、八本もあるのではないかと思われる刀が、なぞはこれにあり、といわぬばかりに飾られているのです。
名人は発見すると同時に、およそ不審に打たれたらしく、じっとそこにたたずんだままでした。また、これはまたいかな名人とても、考え込んでしまったに不思議はない。逐電したかと思えばちゃんとおり、おる以上はおそらく不敵なやつだろうと想像してはいったのに、案外にもブルブルとやっているにもかかわらず、もみ療治
「ちっとこりゃまたてこずりそうだな」
つぶやいていましたが、やがてしかし床の間へ近づくと、何はともかくというように、飾ってある大刀を、一本一本と調べだしました。もちろん、調べたところは
しかも、端然と端座しながら、床の間の不審な刀を見ては、いまだにうしろ向きで震えつづけている仙市のほうに目を移し、移してはまた刀のほうに目をやって、
「ちぇッ」
「············」
「じれってえな」
「············」
「何がわからねえんだろうね」
「············」
「まちげえならまちげえ、
「············」
「
いかさまつるべ落としの秋の日と、形容どおり、いつかもうたそがれかけてきたというのに、なおしきりと考え込んでいましたが、しかし、そのうちに名人の手がそろそろとあごの下にまわされだしました。まわれば、いうまでもなく眼のつきだした証拠です。知った千鳴り太鼓が、またどうして鳴らずにいられよう!
「よよッ。そろそろと潮が満ちかけたようですね。たまらねえな。ここが千両なんだッ。どうですかね。大漁ですかね。まだ
催促したところへ、
「伝六ッ」
果然、さえたことばが飛んできたものでしたから、
「さあ、忙しいぞ! 何丁ですかね! 一丁ですかね! 三丁ですかね!」
すっかり心得て、しりはしょりになったのを、しかし名人はクスリと笑いながらとつぜんいいました。
「なげえつきあいだったが、おめえとはもうこれっきり仲たがいしたくなったよ」
「何がなんです! やにわと変ないやがらせをおっしゃって、あっしがどうしたっていうんですかよ!」
「すわりな、すわりな。ふくれなくとも黙ってすわって聞いてりゃわかるんだ、おめえがあれこれとろくでもない献立をならべて迷わしたんで、狂わなくともいい眼がちょっと狂ったんだよ。ところで、仙市さんだがね」
じっくりとことばを向けると、ずばりと予想外なホシをさしました。
「おまえさん目あきだね」
「············」
「だいじょうぶ、だいしょうぶ。目があいていたとて、疑いが濃くなるわけじゃねえんだから、震えていずとこっちをお向きなせえな。あんたの疑いはすっかり晴れましたよ」
「えッ。じゃ、あの、||そうでございますか! 向きます! 向きます! 疑いが晴れたとなりゃ向きますが、いかにもこのとおり目あきのあんまでごぜえます」
「やっぱりな。ぱっちりとりっぱなやつが二つくっついていらあ。それならそうと早く顔を見せりゃいいのに、頭をかかえて震えてばかりいなすったんで、すっかりあぶら汗をかかされましたよ。でもまあ、目あきであって大助かりだが、ときにおまえさんは妙なお道楽をお持ちだね」
「へえい、あいすみませぬ。あんまふぜいがとお笑いでごぜえましょうが、こればっかりゃ病みついたが因果とみえて、女房一匹飼う金までもおしみながら、刀を集めているのでごぜえます」
「そうだろう、おめえさんが顔をかくしていたからわるいんだ。どうもこいつが変だと思ってね、すっかり頭を絞ったんだが、目の不自由な者が刀を集めてみてもしようがあるまいし、といってこれだけ飾ってあるところを見りゃ、たしかに刀道楽にちげえねえんだがと、いろいろ考えた末に、ようようといましがた目あきだなとにらみがついたんですよ。そこでだが、||きさま何か隠しているなッ」
「えッ」
「といっておどしてみたところで始まりますまいから、今まで手間をとらせたその償いに、ゆうべの一条をすっぱりと白状したらどうですかい」
「············」
「黙っていりゃ、せっかく晴れかかった疑いがまた曇りますぜ」
「でも······」
「心配ご無用。見りゃ刀のどの
「恐れ入りました。そのとおりでごぜえます。じつあ||」
「見なすったか!」
「見もし、出会いもしたんで、疑いがかかりましてはと、今まで生きた心持ちもなかったんでございますが、ゆうべのかれこれ九ツ近いころでした。井上のおだんなのところから、お葉さんがお使いにみえましてね||」
「葉というは女中か!」
「へえい、ぽちゃぽちゃっとしたべっぴんなんで、年は若いし、ちっと気にかかっているんですが、そのお葉さんがお使いに来て、奥さまからのおことづてだが、おだんなが夜勤にお出かけなすって、たいくつしているから話しに来いと、こういう口上でございましたんで、夜中近いのに変だなと存じましたが、何はともかくお呼びならばと思いまして、かって知った庭先のほうからお伺いしましたところ、妙なんですよ。いま話しに来いとおことづてくださったそのお内儀のへやがまっくらがりで、おまけにいくらごあいさつを申し上げてもご返事がございませんのでな。さては持病の
「血がついたんで、無我夢中に逃げ帰ったといわっしゃるか!」
「へえい、そうなんです。だからもう、つえも何もほったらかして||」
「待った! 待った! ちょっと待ったり! でも、少しその話ゃ変だな。りっぱな目あきのあんたが、用もないつえを持っていったとはおかしくないかい」
「ごもっともです。いかにもご不審はごもっともですが、わたしたちあんまのつえは、

「何じゃ」
「
「なにッ。
「へえい、たしかに猿公なんです。でも、いくら猿公がくらやみの中から飛び出してきたって、けだものが人間をそうやすやすと刺し殺せるわけのものではなし、だからどうしたってきっと行き合わしたあっしに疑いがかかるだろうと存じましてね。つまらぬ疑いのもとになっちゃたいへんだから、ほうり出したつえも拾って帰って、どこかへ隠そうかとも思いましたが、なまじ隠して見つけ出されりゃ、いっそう疑いが濃くなるんだし、それに家のほうにもこのとおり疑いのもとになる刀も何本かあるんだから、こいつもどうしよう、隠そうか、売り飛ばそうかと迷いましたが、細工をしてまた足がつきゃ、なおさら疑いがかかるんだしと、すっかり思いあぐねて、ただもう震えていたんでごぜえます」
「いかにものう。変なことに出会ったというのはそれっきりか」
「いえ、もう一つあとで気がついたことなんですが、どう考えてもふにおちないことがあるんですがね」
「なんじゃ」
「お葉さんがお使いに来たとき、井上のおだんなは夜勤に出かけてるすだとたしかにおっしゃったのに||」
「いたというのか!」
「ではないかと思うことがあるんですよ。というのは、ポンポンと妙な鼓の音が聞こえたんですがね」
「なにッ、鼓とな! ふふうむ! ちとおかしなことになってきたようだが、鼓の音と井上の金八と、なんぞかかり合いでもあると思うのか!」
「あるからこそ、どうもふにおちねえと思うんですがね。ああいう鼓は、なんというんだか、謡の鼓でもなし、
「ふふうんのう! まて! まて! どうやらこいつあ、いろはから考え直さなくちゃならねえぞ! するてえと||?」
あごをなでなで考えていましたが、やがてこのたびこそはほんとうにさえざえとした十八番の「伝六ッ」が、あいきょう者のとこに飛んでいきました。
「大将! 兄貴! おい、伝六ッ」
「フェ······?」
「とぼけた返事をすんな! おめえのことだから、しりぬけのへまをやっていても大澄ましに澄ましていることだろうが、たぶんまだ松平のお殿さまのほうは洗っちゃいめえな」
「たぶんとはなんですかい! いいかげん人をバカにしてもらいますまいよ」
「じゃ、もう洗ってきたか」
「いいえ、はばかりさま! 別段と洗うこともなし、けっこうまた洗う必要もねえんだから、洗いませんよ!」
「しようのねえ善人だなッ。だから、かわいさ余って仲たげえもしたくなるじゃねえかッ。不審は井上の金八が証拠に見せたあの祝儀袋だ。たしかに、ゆうべ野郎も
「············」
「手数のかかる兄いだな。首をひねって何をぼんやりしているんだッ。いろはから出直して、もう一度とっくりと考え直してみなよ! 井上の金八
「なるほどね。いろはだけじゃわからねえが、ちりぬるをわかまで考えてみりゃ、いかさまちっとくせえや! うなぎを食いはぐれてあぶら切れがしていやがったんで、野郎にたぶらかされたんだ。よくもだましゃがったな! どうするか覚えてろッ。地獄でまた会いますぜ!」
「まてッ、まてッ」
「えッ?」
「きょうは特別だ。急がなくちゃならんから、早駕籠で行ってきな」
「ちぇッ。たまらねえことになりやがったな! ざまあみろい! 井上の金八! おうい! 駕籠屋! 駕籠屋! 早駕籠はどこかにいねえか!」
やっこだこのようにそでをふくらまして飛び出したあいきょう者を見送りながら、
「
のどかそうに庭先で、しきりに投げなわのけいこをしていた善光寺辰を呼び招くと、にこやかに
「子どもは日が暮れてからひとりで遊ぶもんじゃねえ。おめえは今から大急ぎで両国までいってきな!」
「かなわねえな。造りは細かくても、気は大まかですよ。両国へ行くはいいが、何を洗ってくるんです

「知れたこっちゃねえか! さっき見てきたさるしばいを洗ってくるんだ。ゆうべの九ツ前後に、きっとあの一座のさるの中で異状のあったやつがいるはずだから、抜からずにかぎ出してきな!」
飛ばしておくと、
「仙市さん||」
静かなること林のごとし||いや、むしろそれは風流といいたいくらいのものでした。
「あんたはなかなか凝っていらっしゃる。さっき流しもとで拝見したぐあいではたいへん上等なお茶を召し上がってのようだが、宇治のいいところがあったら、
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かくしてゆうゆうと待つほどに、やがて鼻息すさまじく早駕籠で飛んで帰ったのは、
「ちくしょうッ。ずぼしだ、ずぼしだッ、井上の金八め、ゆだんのならねえ細工師ですぜ!」
「そうだろう。
「いいえ、いったのはほんとうなんだが、その間に変な小細工しやがったんだから、ゆだんがならねえというんですよ。なんでも九ツ少しまえにね、金八の野郎め、急に腹が痛くなったから休ませてくれといやがって、供べやへさがっていったんでね、急病なら手当をしたらいいんだろうというんで、
「お手の筋! お手の筋! そのとおりだよ。じゃ、せくこともあるまいから、お茶でも飲みな」
待っているところへ、江戸はどっちだというような日本晴れの顔つきで、のどかにちょこちょこ帰ってきたのは善光寺の辰でした。
「おちついているようだが狂ったか」
「ところが大当たり。やっぱり、ゆうべの九ツ前後に一匹、あの一座の
「もしや、その猿公は、おまえも見たあの
「そうなんです! そうなんですよ! 袈裟御前を突き刺したあのでけえ雄ざるなんですよ! しかも、血まみれの
「よしッ。もう眼はたしかだッ。じゃ、ちっとばかり草香流を小出しにしようぜ!」
「どうだ。こっちも似合うだろう」
「ま! すてき! これもくださるの」
「やる段じゃない、みんなもうきょうからはおまえのものだよ」
「ほんと? じゃ、ご本妻にも直しくださるのね」
「そうさ。だから、な······? わかったかい?」
なぞと、ことのほかよろしくないふらちを働いていたものでしたから、ぬうっと静かにはいっていった名人の口から、すばらしいやつが飛んでいきました。
「大きにおたのしみだね」
「げえッ!||」
というように驚いて振り返ったところを、十八番の名
「げいッもふうもあるもんかい! おたげえに忙しいからだなんだ! のう、金大将! ふざけっこなしにしようじゃねえか! こんなしばいはもう古手だせ!」
「な、な、なにを申すかッ。天下のお直参に向かって何を無礼申すかッ」
にわかにいたけだかとなったやつを、あっさりと押えてさらに名啖呵!
「笑わしゃがらあ! そのせりふももう古手だよ! さる回しの鼓がしょうずなお直参もなかろうじゃねえか! あっさりとどろを吐いたがよかろうぜ、むっつり右門とあだ名のこわいおじさんがにらんでのことなんだ。どうでやす? 金どんの親方!」
「き、き、金どんの親方とは何を申すかッ。無礼いたすと容赦はせぬぞ」
「よせやい! 大将! 抜くのかい! できそこないの秋なすじゃあるめえし、すぱすぱと切られちゃたまらねえよ||ほら! ほら! このとおり草香流が飛んでいくじゃねえか!」
なまくら刀に手をかけようとしたのを、パッとあざやかにひねりあげておくと、さらにずばりと胸すかしの名啖呵が飛びました。
「まだお夕飯をいただかねえので、ちっと気がたっているんだ。手間をとらせると、おれはがまんしてもこっちの伝六あにいが許すめえぜ。さらりと恐れ入ったらどんなもんだ。なんなら、ゆうべたたいた鼓を家捜ししてやってもいいぜ」
「············」
「黙ってたんじゃわからねえよ。鼓だけで気に入らなきゃ両国から袈裟切り太夫をつれてきて、けだもの責めにしてやってもいいが、それまでホシをさしてもまだしらをきるつもりかい」
「············」
「手間のかかる親方だな! じゃ、いっそことのついでに仙市座頭を呼びよせて、無実の罪を着せようとした一件を対決させてみせようかッ」
それまでぴしぴしと右門流にたたみかけられたのでは、いかなる金八も責め落とされたのは当然なことです。
「あいすみませぬ。何もかもおめがねどおりてまえの仕組んだ狂言でござります」
「そうだろう。このきのどくなめに会わされたおかみさんと年が違いすぎるところから察するに、おそらくおまえはあとから入り婿にへえったやつとにらんでいるが、違ったか!」
「そのとおりでござります。ゆうべ鳴らした鼓のことまでお調べがついているご様子でござりますゆえ、隠さずに昔の素姓も申しますが、じつはお恥ずかしながら、さる使いをなりわいにいたしておりました卑しい身分の者でござります。それで因果とでも申しますか、少しばかり人がましいつらをしておりますんで||と申しちゃうぬぼれているようでございますが、どうしたことやら、こちらのこの仏がてまえを気に入ったと申して、二、三度夜の内座敷を勤めているうちに、どうしても入り婿となれとこんなにせがみましたんで、てまえがご家人の株を買った体につくろい、井上金八と名のってこの屋のあるじになったんでございます。なれども、魔がさしたとでも申しますか、ちょうどてまえが入り婿になりましたのといっしょに、こちらのこのお葉めが女中となって参り、ついしたことから仏となったこの者の目をかすめて、ねんごろになったのが身のあやまち||一方は恩こそあっても年は上だし、それにぶ器量、お葉のやつはまた因果と水のでばなの年ごろでござんしたので、だんだんと目にあまるような不義がつづくうちに、けんかはおきる、内はもめる、毎夜のように
「だから? いっそ毒くらわばさらまでと、殺す気になったのかい」
「は······、殺して、まんまとご家人のこの株を奪いとり、お葉を跡に直してと思ったんですが、いかにむしの好かぬ女であっても、一年あまりなめるほどもかわいがってくれた相手でございますゆえ、自分が手を下すのもむごたらしいし、といってまごまごすれば追い出されそうだし、ところへたまたま耳に入れたのが両国のあの袈裟切り太夫のうわさでござりました。たいそう真に迫った人切りの狂言を踊りぬくという評判でございましたゆえ、こいつさいわい、昔覚えたさる使いの腕を使って、あの雄ざるをつれ出し、ひと狂言うたせようと、ゆうべ松平様のお屋敷からこっそり抜けてかえり、鼓一つで両国からさるをここまでおびき出し、すやすやと眠っていたこの仏をば袈裟御前に見立てさせて、
「よし、わかった! わかった! 鼓一つでさるを使い、まんまと殺させるには殺させたが、もし見破られちゃたいへんと、仙市座頭に罪を着せようとしたのかい」
「あいすみませぬ。べつにあの仙市が憎いというわけではござんせんが、ちょくちょくもみ療治に参り、だいぶこの仏とも親しくしておりましたゆえ、よくない関係でもあったためにあの座頭が刺したんだろうと世間さまに見せかけるつもりで、殺してから知らぬ顔でお葉めを呼びにやらしたのでござります。ありようしだいはかくのとおり、もうじたばたはいたしませぬ······すっぱりと、あすにでもすっぱりと打ち首にしてくだせえまし。どうせない命なら、せめての罪ほろぼしに、この仏といっしょに
「気に入った! 人を殺したなあ気に入らねえが、罪をほろぼしに冥土へいっしょにいきてえたあ、おめえも存外善人かも知れんよ。だが、来世はもっとぶおとこに生まれて来なよ。ろくでもねえやつが、つらばかりりっぱだって、それこそ顔負けがするんだからな||じゃ、伝六あにい! このお葉も当分暗いところで日を送らずばなるまいから、いっしょに早くしょっぴく用意をしなよ」
しかるに、伝六あにいがまた右に左にそろそろと首をひねりかけようとしたものでしたから、押えて名人がずばり。
「わかった! わかった! ひねらなくともわかっているよ。さると聞いて、なぜにまた袈裟切り太夫にホシをつけたか、そいつがふにおちねえというだろうが、だからいわねえこっちゃねえんだ。どろぼうを見てなわをなうんじゃあるめえし、あわてて髪床や朝湯に行くひまがあったら、さるしばいも見ておくもんだせ、見たからこそピンと否やなく眼がくるんだからな、どうだい、これで