お父さんが社から帰って来て、一同
「今日は
なぞというのはお母さんの書き入れ事件である。それに対してお父さんは、
「ふうむ、それは
と応じる。続いて里の話になって、
「私、その中に一日行かせて戴きますわ」
「何処へ?」
「里へですよ」
「この間行ったばかりじゃないか?」
「いいえ、あれはお正月でございますよ」
「
というようなことに帰着する。
自分に関係のない問題は何うでも構わないが、
「あなた、今日は
などと
「そうして行ったのかい?」
とお父さんは
「お友達が門のところに待っていますし、土曜日ですから、つい······」
とお母さんが言い
「もういけないよ。活動は
「はい」
と私も恐れ入る。しかし直ぐその後から、
「その代り今度芝居へ連れて行ってやろう」
とは有難い。活動の分らないのは少し時勢に
お客さまも来ず、僕達もおとなしく、地震も揺らず、病人もなく、全く平穏無事の日もある。そんな時にはお母さんは、
「今日は押売が玄関に坐り込んで困りましたわ」
ぐらいのことで間に合わせる。こんな問題でもお父さんは、
「押売撃退の
なぞと受けて、冗談の材料にする。
「教えて戴きますわ。毎日一人や二人は
とお母さんは毎度暇を潰されるので、女中のお蔦を相手に、然るべき
「ああいうものに対等で行くからいけないのさ。俺なら斯うだ」
とお父さんは舌を出して目を白くした。
「何ですの? それは」
「
「まあ、お父さんが!」
と子供達が笑い出す。
「
「オホホホホ。今度試めして見ましょうか? お蔦、お前一つやって御覧よ」
とお母さんが言った。
「あら、奥さま、私、
とお蔦は昨今は
さて、昨日は僕が学校から帰って来ると、浩二が待ち構えていて、
「兄さん、今日はお母さんのところへ女の西洋人が来たよ」
と
「あなた、今日は私の昔の先生でスミスさんという方がお見えになりましたのよ」
と女学生時代
「ふうむ、それは
とお父さんは箸を取りながら応じた。
「スミスさんてアメリカの方でございますよ。私十何年ぶりかで英語を話しましたの」
とお母さんはイソイソとしている。
「ふうむ、それは宜かった」
とお父さんは一日働いて来て腹がへっている。
「母校の

「ふうむ、それは宜かった」
「宜しゅうございますの! 安心致しました」
とお母さんは
「けれども
「五十円? 五十円何うするんだい?」
とお父さんは初めてお母さんを
「母校の復興寄附金でございますよ。その為めにスミスさんがお
「スミスさんて
「まあ! あなたは
「腹がへっているものだからね。
「それでは後から申上げましょう」
とお母さんは話の腰を折られて、又のことにしなければならなかった。
お父さんは僕のことを
「うむ、
と覚悟をするところを見ると、初めの中は方針として
「スミスさんて
と
「郁子はお母さんの英語を聞いたのかい?」
とお父さんは早速相手になった。
「いいえ、日本語よ。時々英語をお使いになりますけれど」
「お母さんがかい?」
「
「お母さんの英語よりも西洋人の日本語の方が余っ程うまかったろう?」
「それは無論然うよ。ねえ、お母さん?」
「オホホ、私、英語なんかもう
とお母さんは妙なところへ責任を持って来た。年を取るのも物忘れをするのも皆子供の
「お父さん、家はサンドウイッチですとさ。子供がサンドウイッチですって。上と下が男で、中が三人揃って女ですから」
と郁子はその席に居合せたと見えて、スミス夫人の冗談を紹介した。
「ふうむ、サンドウイッチは
とお父さんはむずかしく解釈して、尚お女の威張る実例を二つ三つ挙げた。この通り別に損のつかない問題なら、頼まれなくてもお
「スミスさんは
とお母さんが話し足すと、
「同感だね。
と言って、お父さんは女の子達を見渡した。
「それ丈け上等じゃありませんか?」
「私達は肉よ。兄さんと坊やはパンよ。矢っ張り女は豪いんだわ」
と長女の郁子と次女の
「サンドウイッチには野菜のもあるぜ」
と僕は
「野菜のもあるけれど、サンドウイッチといえば大抵肉に
と郁子はお父さんの加勢を求めた。近頃覚えたと見えて、能く常識という言葉を利用する。
「
とお父さんは何処までもサンドウイッチを問題にして、
「高等学校の入学試験に出るかも知れないから教えてやろう。郁子も敏子も聴いていなさい」
「
とお母さんはソロソロ警戒した。
「茶羅っぽこなものか。歴史上の事実だ。昔英国はジョージ三世の



「大変むずかしいんですね」
と僕は感心してしまった。何でもないことにこれぐらい
「兎に角安心したわ、野菜でなくて」
と
「私達は矢っ張り肉よ。兄さんと坊やはパンよ。唯の食パンよ」
と敏子も得意になって
「何だい。女、女、女!」
とこの時浩二は男性に対する挑戦に応じて、
「女が
と敏子は聞き捨てにしない。
「女!」
「女が何うしたんですよ。
「女、女!」
と浩二は女という言葉が有らゆる種類の
「やあい!
「敏子、いけませんよ、大きな
とお母さんもナカナカお骨折りである。お給仕の手伝い丈けでも好い加減忙しい上に、姉弟喧嘩の

間もなくお父さんは、
「これでもこの頃は
と言って一同に花を持たせたのは
「浩二が捉まり歩きをする時分には困ったよ。
と思い出すままを口にした。それを
「浩二ばかりじゃありませんよ。千代子だって敏子だって随分困りものでしたからね」
と僕は単に長兄として公平を期した積りだったが、忽ち敏子と千代子の睨むところとなった。
「余計なことを言わないで下さいよ。
とお母さんが注意した。
「はいはい」
と僕が一番おとなしい。大に褒めてくれても宜いのに、お父さんは、
「源太郎こそ手に余したぜ」
と僕を槍玉に揚げて、
「お前のは何でも掴み次第後ろへ投るんだから危くて仕方がなかったよ。困ったねえ、お鶴。一人押えていて代り代り御飯を喰べるという騒ぎだったじゃないか?」
「あの時分はお祖父さんお祖母さんも御一緒でなく、女中も居ませんし、何しろ初めてで子供をよく理解しなかったんですね。何処の家でも長男が一番骨の折れるのは親が不慣れだからですわ」
とお母さんは僕の為めに弁じてくれた。
「それも確かにあったろうね。兎に角
「お茶碗の向う側って、そんな飲み方がありますの?」
と
「茶の湯にもあるまいね。斯うやるのさ。茶碗を両手でこんな具合に鷲掴みにして、おい、浩二も御覧、兄さんのお茶の飲み方だよ、坊やよりも小さい時の······」
とお父さんは持っていたお茶碗を不器用に掴み直して、
「······当りまえに
「お蔦や、早くその手拭を取っておくれ。まあまあ、あなたも未だエプロンが
とお母さんが驚く。
「やあ、お父さんがこぼした!」
と浩二は伸び上り、兎角
「一寸真似をしたばかりにひどい目に遭った」
とお父さんは胸から膝を拭いている。
「罰が当ったんですよ」
と僕は聊か溜飲を下げたが、
「奇抜だったのね、兄さんは。矢っ張り逆立ち歩きがお上手な筈だわ」
と郁子に
「お母さん、大人は徳ね」
と今まで黙っていた千代子がこの時初めて感想を洩らした。
「何故?」
「だってお父さんなんかあんなにお行儀が悪くても
「お父さん、少しお気をつけ下さいよ。千代子が苦情を言っていますよ」
とお母さんは笑いながら
「はいはい。恐れ入りました」
とお父さんがお辞儀をしたので、浩二は、
「やあいやあい!」
と
僕の家はいつもこの通り賑かだ。夕御飯が済んでも、お父さんは葉巻を一本
「賑かだね。何か面白いことがあるかな?」
と言って顔を出した。すると浩二は、
「お祖父さん、今お父さんがお母さんに叱られたの」
とばかり、直ぐに立って行って一部始終を囁き囁き披露に及んだ。
「ははあ、成程、
と
「八つにもなって話のよく分らない子があったら大変だわね」
「直ぐに豪いと仰有るから増長するんだわ」
と郁子と敏子は兎角
「お祖父さん、僕、今日も皆三重丸でしたよ」
と浩二は姉さん達に頓着なく、お祖父さんの膝に
「豪い豪い。浩二や、お祖父さんが学校へ行っても
とお祖父さんは家で褒めて足らず、学校まで褒めに行きたいのである。
「いけないよ」
「何故? この間は
「でも今日からいけないことが出来たんですよ」
「何うして?」
「今日
「何故?」
「渡辺章三のお父さんは頭が
と浩二は真面目になって主張したので、皆クスクス笑い出した。
「おやおや、それがいけないのかい?」
とお祖父さんは頭を掻いて、
「禿げてはいるが、未だ極く世間並みの積りだがなあ」
「それ以上はありませんでしょうよ」
とお父さんも一寸敬意を表した。
「あら、その人なら私の方へも来ましたわ。私の方の渡辺さんは浩ちゃんの方の子の姉さんですからね」
と千代子が言った。
「矢っ張り笑ったのかい?」
「ええ。少し。そうして後から先生に叱られたわ。でも禿げているんですもの。お祖父さんよりは余っ程ひどいのよ」
「僕はお祖父さんの方がひどいと思う」
「だって私、お祖父さんのは笑わないことよ」
「それは慣れているからさ」
と浩二と千代子はお祖父さんの頭で議論を始めた。
「それでは参観は思い止まるかな。後から子供達が叱られたりしちゃ飛んだ罪作りだ」
とお祖父さんも笑って諦めた。
「子供は
と郁子が大人ぶった。
「時に源太郎や、もうソロソロラジオが来るだろう。今夜は何だい?」
とお父さんが訊いた。
「落語と義太夫です」
「これは有難いぞ。浩二や、お祖母さんに落語があると言って来ておくれ」
とお祖父さんは喜んだ。
お父さんの書斎へハガキを一枚拝借に行ったら、
||惣領 の筍 伸 びや衣更 ||浩郎
という句が柱にかけてあった。
「俺のように上達の見込のないものは自分の書を見慣れるに限る。その証拠には、女は始終鏡で見慣れているから自分の顔を然うまずい顔と思わない」
と言っている。この点は私も親譲りで、字でも絵でも
||衣更えて昔を妻に戯 れし||浩郎
とある。お父さんの留守中に書斎へ忍込んで机の中を探すなぞと聞くと、僕を不良少年と思い込む向き向きがあるかも知れない。しかしそれは「源太郎や、葉書はいつでもここにありますから、お前もお使いなさいよ」
と僕にまで言渡してある。僕は
さて、葉書の問題でなくて俳句のことだが、この方面に於ける僕の
「伸びたのねえ、
といった具合で、お母さんの予測を越さないものは一人もなかった。
「源太郎は大きくなったね。もうソロソロ
とお父さんは先ず僕を問題にした。
「体操の時間には僕が四年級全体の二番ですから、お父さんより大きいかも知れませんよ」
と僕は威張ってやった。実は先日お父さんの知らない間に背較べをして確めて置いたのである。
「どれ、較べて見よう」
とお父さんは気軽く立ち上った。敷居の上に並んで較べ合った結果は僕の方が心持ち高かった。しかしお父さんは、
「丁度同じだ。驚いたな」
と言った。髪の毛を身長に入れている。僕は坊主刈りだ。
「兄さんの方が少し高いわ」
と妹の郁子が公平な断定を与えた。
「いいや、おッつかッつさ。未だ未だ伸びるだろうから、来年は負ける」
「千駄ヶ谷の叔父さんぐらいになりますよ」
と僕はお父さんの背では満足しない。
「叔父さんぐらいが限度だね。あれより高いと注意を惹き過ぎる。日本人は矢張り五尺六寸ぐらいが一番見頃さ」
とお父さんは好いことなら大抵自分を標準にする。
郁子から浩二まで四人皆大きくなって褒められた後、お母さんは反対に若くなって褒められた。
「少し派手でしたわね?」
と初めお母さんは着替えた浴衣の柄のことを言ったのだった。
「いいや、派手なことはなかろう。よく似合うもの」
「
「恐れ入った。然うして澄ましているところはお嫁に来る前とそんなに変らないようだよ」
とお父さんが
「まあ、大層評判が好いんですね」
とお母さんは若いと言われるに無論苦情はないようだった。
その時の感想をお父さんは句に現したのである。お母さんが昔ながらに若く見えるという句は麗々しく柱にかけて置くべき性質のものでないから机の中へ仕舞い込んで、僕の方丈けを張り出しにしたのである。それだから
「源太郎さんは又大きくなりましたね!」
とその都度驚歎される。友達も僕のことをノッポと呼んで
孫が大きくなるにつれてお祖父さんとお祖母さんが年の寄るのは是非もない。お祖父さんは軍人で、馬に乗って出勤した姿を僕は朧ろながら覚えている。
「妙なことがあるものですね。
と
「それは私も同じことです。年を取ると身体が縮みますからな。斯う皺だらけになるのは何よりの証拠です」
と荒川さんは
「成程、皺は年々豊富になりますな」
と
「悪いものばかり豊富になりますよ。私は
と荒川さんもお祖父さんに負けない。
「頭丈けは痩せないと見えますな。帽子は一向大きくなりません」
とお祖父さんは妙なことを言い出した。頭の痩せる奴はなかろう。
「頭は骨です。骨は何年たっても痩せませんよ。しかし内部は矢張り縮みますな。昨今物忘れをすること
と荒川さんは序ながら
「しかしあなたは外部に異状がない」
「その代りこの通り真白です」
「白くても毛のある方が
「あなたは早くお禿げになりましたな。初めてお目にかかったのは聯隊長時代でしたが、もう
「いや、あの時分は未だありました。禿げたのは少将になってからです」
とお祖父さんは主張した。いつの頃から禿げたか知らないが、僕はお祖父さんの若い時分の写真を見ているから、以前生えていたこと丈けは保証出来る。しかし余程昔に相違ない。お母さんも髪の毛のあるお祖父さんは
「いや、確かに禿げていましたよ。禿げているという印象が残っていますし、もう一つ私に
と荒川さんは果して納得しなかった。
「いや、少しはありましたよ。少将になってから皆無になったのです。何うも
「
「俺は若い時分に
「何ですか? お
「いや額が禿げ上って顔と頭が地続きになってしまったのです。帽子を被れば、それ、国境が分る」
とお祖父さんは得意だった。
「成程、ハッハハハハ。初めてお目にかかったのは確かにその国境問題時代でしたよ」
「
「ははあ、面白い
「然うですよ。仕掛けがそんな具合に出来上っていますから、
「余程髪の毛に執着がありますね。しかし大内さん、あなたは髪のないのを苦労になさるが、私はあるので持て余しましたよ」
「それは又妙ですな」
「この白髪頭の為めに私は若い時から何れくらい嘘をついたか知れません」
「しかし初めてお目にかかった折は
「いや、それです。染めていたのです。あの折はあなたも一杯食わされたのですよ」
と荒川さんはニコニコした。
「然うですか。ペテンのお上手なのは碁ばかりじゃないんですね」
「恐れ入ります。しかしあなたは例の国境問題に頭を悩ましていられた丈けに、あの折私の髪に目をつけましたよ。『羨しいですな、あなたは』と仰有いました」
「
「それから髪の毛の
「ははあ、あなたもあの際に白髪染を怠らなかったとは、承わって敬服します。
とお祖父さんは条件をつけた。
「この白髪頭では心ならぬ嘘をついて
「悪いことは出来ませんよ」
「日露戦争後間もなくチブスに
「
「いいや、露顕は軍医だけです。早速散髪をさせましたから、白髪頭になりました。病み上りで真白と来ていますから、自分ながら年が寄ったと思いましたよ。その頃から見舞の客に会えるようになったので、高熱の為めこの通り白髪になったと申しました。すると『艦長殿はチブスで悉皆白くなられた』と皆信用してくれました。これが嘘のつき納めでしたろうね」
「何処までも嘘で固めますな」
「
と荒川さんは
「ホトホト感心致しました。横着な男もあればあるものです」
「お互に頭の説明で時間を潰しました。一局願いましょうか?」
「
と冗談を言って、お祖父さんは碁石を握った。間もなくパチリパチリという音がする。
離れは隠居だから始終閑散だ。お
「お祖母さん、何かあるでしょう?」
「もう遊びに来てやらないから宜いや」
と公然ゆすって行く。皆水陸両棲動物だ。
お父さんの書斎から拝借して来た葉書へ英語通信教授の見本申込を
三年級まではこの現象を遠方の火事のように考えて多少面白ずくでいたが、この春四年級に進むと同時に、同級生一
「そんなことは小問題です。教育は入学試験でありません」
と言ったとか言わなかったとかが又問題になりかけた。僕達四年生としては、うっかりしていればこの通りという実物教訓に行き当って、
「宜しい。それぐらいの決心なら、この四十人の中二割丈けは保証します」
とその折先生が激励してくれた。しかし
僕はその日家へ帰ると直ぐに、
「お母さん。明日からイヨイヨ課外が始まりますから
と断った
「けれども当てにしちゃ困ります。僕は試験が
と早手廻しながら来年の不成功を弁解して置いた。夕御飯の折お母さんが常例のニュウスの種に僕の課外準備を使ったので、お父さんは、
「
と元気をつけてくれた。
「
と僕は又弱音を吹いた。
「何あに、五人に一人ぐらい。相撲だって少し稽古して取れば五人抜きが出来る」
とお父さんは自分が取るのでないから強そうなことを言った。
「一
「そんなに悲観することはないよ。勝負は時の運さ。入学試験なんか人生の大問題じゃないんだからね」
「校長さんもそう
と僕はお父さんも分っていると思ったが、
「しかし入る方が矢っ張り
と来た。結局大問題に帰着する。
お父さんやお母さんが期待しているほど僕は重い責任を感じる。これからはもう活動へも行くまい。
尋常四年の千代子と尋常一年の浩二は極く仲が好い。浩二はナカナカ姉思いだ。千代子も
「浩ちゃんは書生とコックの手伝と
といった具合で、役不足だから面白くない。甚だしいに至っては、
「今日は地震ごっこよ。浩ちゃんは男で強いんだから自警団になって頂戴。表へ行っていつまでも番をしているのよ」
と敬遠される。男は子供の時から口先では到底女に
「千代子や、浩二を仲間外しにしちゃいけませんよ。皆さんも仲よく遊んでやって頂戴」
と調停の労を
「僕は大人になったら
とこの間は
「買っても置くところがないじゃありませんか?」
と千代子は家に自動車のないのは置くところがないからだと思い込んでいるらしかった。
「自動車小屋を
と浩二はその辺の問題も
「それは
と千代子は
「けれども浩ちゃん、二円五十銭じゃ自動車は買えなくてよ」
と浩二の
「
と秋子さんも同感だった。
「今は二円五十銭しかないけれど、大人になれば金持になる」
と浩二は確信があるようだった。
「
「私知っているわ」
と二人は組になっていて、
「銀行へ行って
と浩二は大きく出た。
「まあ。矢っ張り智恵があるわ」
「
と千代子と秋子さんは
「又買えば
と言って、平気なものだった。
「お金は何うするの?」
と訊いて見たら、
「お母さんにお貰いなさいな。沢山持っていてよ」
と教えてくれたが、お母さんは銀行へ行って貰って来るものと信じているのだ。
実は僕もつい先頃まで尋常科の思想でいた。少くとも大人にさえなれば何うにかなるのだろうぐらいに考えていた。生活問題を念頭に置かず、二円五十銭を大金と思っている時代は
「ねえ、荒川さん、斯うなったら一日でも
と今頃漸く世間並みの心掛けに
「しかしアメリカは
なぞと言い出す。
「
とお母さんは耳よりな話だと思う。
「いや、俸給よりは運さ。二十年目にカナダへ行っていた独身者の叔父が死んで遺産がたんまり入ったのだそうだ」
「まあ、本気に聴いていれば人を馬鹿にしていらっしゃいますのね」
「何あに、和洋東西新聞記者で産を為すものがないという教訓さ」
とお父さんは
この間に処して、僕は何とか志を立てなければならない。尤もお伽噺の世界から目覚めたのは僕ばかりでなく、同級生も皆
「僕は兄貴が医者だから、矢っ張り医者だ。あれは一番儲かる」
「僕は弁護士が
「東京の復興はここ二十年かかる。して見れば工科へ入って建築をやると一番儲かる」
という具合で、ナカナカ慾張っている。活動のフィルムを交換していた頃とは全然違う。その他一番儲かるものが沢山あるようだが、
「軍人は儲からないぞ」
「先生も儲からない」
とあって、この二つは今のところ殆んど志望者がない。
「商売が一番儲かる」
とは
周囲がこんな風だから、僕は益

「あの男は
「いたいた。
「
「
というような乗客同志の会話も、以前なら強盗の
矢張り会社と銀行が一番儲かると見えて、僕の同級生ばかりでなく、
数からいってもこんなに勢力のある会社員を、お父さんは何ういうものか余り好んでいないらしい。恐らく頭が少し古いのだろう。この事実はこの間の晩芳夫さんがひょっくりやって来た時に偶然突き止めた。実は僕も好き嫌いは別として商売は自分の柄でないと思っていた矢先だったから、
「芳夫さん、三越は面白いですか?」
と社交的に出たのが話の切っかけになったのである。
「詰まらないですよ」
と芳夫さんはいつになく景気が悪かった。
「忙しいんですか?」
「忙しいけれど、毎日伝票の整理をする
「相変らず
とお母さんが
「しっかりやるにも何にも、小学程度の読み書き
「学校で習ったことは役に立ちませんか?」
とお父さんが訊いた。
「役に立つどころの沙汰じゃありません。驚きましたよ。経済学も荷厄介になるばかりです」
と芳夫さんは大学教育の効果を絶対に否定した。
「荷厄介は厳いですね。学校を卒業したから採用資格が出来たのに」
「それは
「成程、入場券は面白い。君のは、当大学に於て野球学を専攻し、三年の課程中一回も対校試合に欠席したることなきを証すと書いてあったろう?」
とお父さんは冗談を言った。
「恐れ入ります。それにしても多少卒業成績を
「それで
「それがあるんですよ。能率では僕達学校出の方が遥かに劣ります」
「劣るかね?」
「僕達は十数名一緒に入りましたが、一人だって小僧上りに
「だらしがないんだね」
「
「それじゃ不平も言えない」
「不平は言いませんが、考えて見ると矢張り
「しかしそれは当分の中でしょう?」
「いいえ、
「自由貿易というと?」
「万事生存競争に
と芳夫さんは算盤が余程
「そんなことを
とお母さんは心配顔をした。
「まあその辺ですな。何かもっと末の見込のある仕事をしたいと思うんです」
「三越だって末の見込のないことはありますまい?」
「それは他の人にはあります。しかし僕にはないんです」
「
とお父さんは大抵の場合建設よりも破壊を得意とする。
「僕は
「やめ給えやめ給え。不見識だ。もっと個性の伸びる仕事をするさ」
「あなた、やめろなんてお
とお母さんは故障を申入れた。
「やめることが悪いことかい?」
「悪いことですわ」
「叔母さん、実はもうやめる決心で
と芳夫さんは気の毒がった。
「まあ! お父さんやお母さんと御相談の上?」
「お母さんには一寸話しましたが、お父さんは例の通り石の上にも三年主義ですから、イヨイヨ
「それで
「宜いでしょう?」
「今度は何ういう方面へ向いますか? 場合によっては及ばずながら御援助しましょう」
とお父さんは大に期待したようだったが、
「銀行です」
と芳夫さんが答えると、
「金網の中で働くんですね」
と言った。
「あなたは悪い癖ね。銀行や会社というと妙な反感を持っていらっしゃる。芳夫さんが新聞社へでも入ったら、御機嫌でございましょうね?」
と身内に実業家の多いお母さんは
「その通りその通り」
「僕も筆が立つと新聞社へ入っても
と芳夫さんはお茶を濁した。まさか新聞記者は嫌いだとも言えなかったのだろう。
「
「その牛刀が案外
「そんなことはないさ。しかし実業以外の方面へ出る気があるなら、一つ外国へ行ってもう
「いや、駄目ですよ。
「芳夫さんは俺と正反対だな。いつも自分を実価より以下に見積っている。矢っ張り銀行員ですか?」
とお父さんは諦めた。これでは頭の好いものが新聞記者になって頭の悪いものが銀行員になるとしか受取れない。
芳夫さんを玄関に見送ってから、お父さんは二階へ上り、お母さんは茶の間へ戻った。僕は離れへ帰ろうとすると、
「源太郎や、
とお母さんに呼び止められた。
「何ですか?」
「そこへお坐りなさい。これから勉強?」
「いいえ」
「源太郎や、私、心配だよ。お前も芳夫さんのようになりはしないかと思って」
「芳夫さんは何処も悪いことはないじゃありませんか?」
「でも辛抱が足らないわ。
「だって越後屋の丁稚芳どんですもの。無理はないです」
「お前も三越は嫌いなの?」
「ええ。三越に限らず、商店員は厭やです」
「会社や銀行は?」
「それも厭やです」
「まあ! それじゃ一体何になる積り?」
「
「来年は高等学校を受けるんですから、ソロソロ方針を
「彼奴等は
「源太郎や、お前考え違いをしちゃいけませんよ。お金だって
「それは分っています」
「いいえ、分っていないんでしょう? それは無論お金ばかりの世の中じゃありませんが、お金を儲ける人も学問上の新発見をする人も同じように
「
「ありますとも。本郷の伯父さんは年に五万円から取りますよ。大きな会社の重役だと十五万円から二十万円も取りますからね。大臣は年俸八千円よ。大臣より重役の方が豪いとは言いませんが、豪くないとも言えませんわ。仕事は何をしても
「あるある
とこの時お父さんがぬっと入って来た。お母さんは拍子抜けがして、
「あなたは
と恨めしがった。
「子供に入れ智恵をしないでおくれよ」
「オホホホ。あなたこそ甥に悪智恵をつけないで下さいよ」
「恐れ入った」
「それからお願いですから、私が子供に物を教えている時丈けは御冗談をお慎み下さい。母親の威厳がささほうさになってしまいますからね」
「
とお父さんが何処までも
「それは聴きものですわ。何うして上下がありますか、承わらして戴きましょう」
とお母さんは開き直った。
「つまり職業の内容に上等と下等がある。何うして斯ういう
「お言葉の中ですが、掏摸は職業でございましょうか?」
「待っておくれ。何うして品物を安く買い込んで高く売りつけようかと思っている商人は、何うして一国民の思想を善導しようかと考えている聖人よりも下等に相違ない」
「お父さん、お言葉の中ですが、聖人も職業じゃありますまい?」
と僕も注意してやった。
「
とお父さんはもう
「何ういった風のものございますの?」
とお母さんは追究した。
「要するに同胞の為めを計る職業は貴く、自己の為めを計る職業は
「あなた、商人だって同胞の為めを計って居りますよ、何も彼も一々製造元へ買いに行った日には、あなたにしても原稿をお書きになる暇はございませんわ」
「それだから毎日高いものを買っているのさ。社の最近調査によると、品物はすべて約八割の手数料が掛けてあるそうだ」
「医者へも払いますわ。薬九層倍!」
「口がへらないね。まあお茶の一杯も入れておくれ」
とお父さんは
蛙の子は蛙になる、僕は新聞記者の子だから新聞記者になる積りでいたが、
「例えばお医者さんが患者を診察している時は、病源を探り当てて最も適当な処置をしたいという一心だ。この
とある。
「源太郎や、お前の学校の先生がお前達に講義をしている時は何うだろう?」
「先生は皆一生懸命ですよ。少し
「
「道理で僕の方の漢文の先生は
というふうな問答のあった末、
「時に源太郎や、お前は一体何になる? まさか実業家じゃあるまいね?」
とお父さんは突然僕の一身に及んだ。
「
と僕は小説家だとは答えにくかった。
「急ぐ必要もないが、夏中ゆっくり考えて御覧。何でも自分の天分を一番能く発揮出来ると思うものになるんだね。
と言って、お父さんは僕を解放してくれた。
既に同級生が
「小説家なら随分苦心を要する上に、罷り間違えば一文にもならないし、成功しても日本では大丈夫金持になる心配はない」
と僕は可なり乗気になっていた。そこへ持って来て新学期早々例の光風霽月居士が僕の自由作文「夏中見たこと聞いたこと」というのに、
「
とつけて
しかし小説家は銀行頭取や医学博士と違って、物が

「早いね。しかし
と例によって金にならない仕事の偉力を高唱した後、
「ところで源太郎は何うだね? もう決心がついたかい?」
と休暇前の註文を思い出して、居合せた僕に訊いた。
「つきました」
と僕はここだと思って元気好く答えた。
「ふうむ。何になる?」
「矢っ張りお父さんのように筆で立ちたいと考えています」
「
とお父さんはニコニコした。
「いいえ、新聞社へは入りません」
「新聞記者じゃないのかい?」
「ええ、小説家になります」
と僕は
「小説家? ふうむ」
「厭やですよ厭やですよ。源太郎や、私はのらくらものは芳夫さん丈けでも困っているんですからね」
とお母さんは果して不服だった。
「小説家必ずしものらくらものとは限らないが、これは
とお父さんも小首を傾げた。
「あなた、親の感化って恐ろしいものでございますわね。十六や十七で小説家になろうなんて言い出すんですもの」
とお母さんは僕が
「少し薬が利き過ぎたかな。無論大学へは行く積りだろうね?」
「大学へ行って文科をやります」
「文科と定めて、もっと考えて見るさ」
とお父さんは賛否を明かにしなかった。
「源太郎や、私はお前が法科へ入って本郷の伯父さんのように立派な実業家になってくれるものとばかり思っていましたよ。
とお母さんは文科と定める丈けでも期待を裏切られたようだった。
「でも僕は商売は嫌いですもの」
「嫌いなら仕方ないけれど、文科じゃ一生貧乏しなけりゃなりませんよ」
「お金なんか欲しくないんです」
と僕は思う通りを言った。
「まあまあ。お父さんの家庭教育が行き届いているんですね。あなた、平常からもっと世間並のことを仰有って下さらないと、子供が皆危険思想になってしまいますよ」
「何あに、これぐらいの時から金を欲しがるようなら、それこそ危険思想だ。しかし小説家とは
とお父さんは分らないことは言わない約束だったから仕方がなかった。
「心掛けるって、あなた、小説家にするんですか?」
「なると言うものにするさ。しかしこれぐらいの時には
「どうか
とお母さんも僕の志望を
「お父さん、一体
「小説家かい?」
「
「小説家の修行は第一に観察さ。人間の性格や心理を
とお父さんはお母さんの顔色を覗った。
「分りました。それから何ですか?」
「第二も観察だ。ジッケンズなぞは子供の時から
「第三は?」
「第三も観察だ。お前は鋳掛屋の仕事を見ていて学校が
「第四も観察でしょう?」
と僕は果しがないから先廻りをしてやった。すると
「いや、違う。第四は想像力だ。
と早速方向を転換して、
「お鶴や、お母さんは何を喰べても一番
とお母さんに話しかけた。
「この子でございますよ。鶴なら喉が長いから、
「兎に角五ツや六ツの子供にしては
「あなた、そんなことを仰有って奨励なすっちゃ駄目よ。好い気になって決心を固めてしまいますわ」
とお母さんは小説家は何処までも不賛成だった。
「お母さん、小説家だってお金が取れれば宜いでしょう?」
と僕はお母さんに安心させる必要を感じた。
「私だってお金のことばかり考えてはいませんよ。お前が自分で喰べて行けないようでは困ると思って、それを案じるんです」
「お金が取れるんですよ、小説家は。スコットって人は十何年間というもの毎日毎日五十
「西洋のお話は通用しませんよ。お前もお父さんも悪い癖で、少し後ろ暗いと直ぐ
とお母さんはちゃんと知っている。
「恐れ入った。しかし源太郎はナカナカ研究しているんだね」
とお父さんは笑っていた。
お母さんの期待に
気をつけて見ていると

斯ういう心掛けだから、
「君、昨日の紳士は君の叔父さんかい?」
なぞと翌日
「よく家が分ったね」
とお祖父さんは何よりも先ず感心した。
「
と久作さんは得意だった。成程、話の模様によると、電車も一番近いところを乗って、停留場から一直線に来ている。
「まあまあ、ゆっくり見物するさ」
とお祖父さんは珍客を
久作さんは手土産の
「お
とお母さんが訊いた時、
「はい。旦那はんのとこにありますから、驚かないです」
と答えた。何も
「郷里からお
とお父さんが社交辞令に努めた。それに対して久作さんは、
「はい。東京駅へ着いた時は大勢いましたが、俺はこの通り人を恐れないだから、トットッとおっ走って来ました」
と応じた。大分変っている。東京へ度胸試しに来たようだ。
翌朝久作さんは驚かない理由を半ば説明した。
「坊ちゃんの御案内は恐れ入りますが、俺は人を恐れないだから安心して下さい。一々大口を開いて驚くと見づらいからと郷里の大旦那はんに断られて来たですに」
「今日は日曜ですから
と僕は間もなく久作さんを伴って玄関へ出た。
「久作さん、あなたお帽子は?」
とお母さんはその辺を探し廻った。
「俺はシャッポは嫌いでがんす。頭痛持ちで
と久作さんは郷里から無帽で遥々やって来たのだった。
「困るなあ」
と僕は帽子を被らない紳士のお供をして友達に会うのを恐れた。
「久作さん、お
とお母さんはお父さんの古帽子を出して来た。久作さんはそれを被ったが、スッポリと眉まで入ってしまった。頭を使わない人の頭は頭を使う人の頭ほど発育していない。僕は新聞を折り込んで調節してやった。
「山がないですなあ」
と久作さんは外へ出ると直ぐに
「東京に山があっちゃ溜りませんよ」
「山のないのは心細いものですな。何だか
「そんなこともありますまい。帽子の具合が悪いですか?」
と僕は久作さんが帽子を小脇に抱えているのに気がついた。
「いや、頭痛がすると悪いから取ったり被ったりして行くだ」
と久作さんは又
停留場で電車を待っている
「何うしました?」
「今深井の与平が
と久作さんは息をはずましていた。
「それは人違いでしょう?」
「いや、与平は東京だか横浜だかへ来ているだ。
「
と僕は注意したが、これは骨の折れる御案内だと思った。銀座や浅草あたりへ行けば深井の与平さんに似た男が何人いるかも知れない。その都度チョコチョコ駈け出されては
電車に乗って二町場と走らない中に久作さんは、
「電車は郷里にもあるだあから驚かにゃあだ」
と僕に断った。驚かなくとも宜いから黙っていて貰いたい。殊に僕と二人きりになったら、言葉も
泉岳寺を見物した時も、僕に散々説明をさせた後、
「義士の墓がある丈けのこんだから驚かにゃあだ。郷里の東光寺の方が余っ程
と言った。鳩なんかを目安にされては案内者も張合が抜ける。斯う驚かない驚かないと一々断られると、此方は意地にも驚かしてやりたくなる。
僕は新橋で下りて銀座を見せることにした。尾張町まで歩いた時、
「何うです? 賑かでしょう?」
と感想を伺った。
「大勢いるから賑かには相違にゃあだが、俺は人を恐れにゃあだ」
と来た。これは建築物を利用するに限ると思って、僕は久作さんを松屋へ連れ込んだ。二階三階四階と引き廻して
「随分高いでしょう?」
と言って顧みた。
「裏の
と答えて、久作さんは更に驚かなかった。尤も驚かない覚悟をして来ているのだから仕方がない。
「ここからは東京中が見えますよ。上野はこの真直ぐです。浅草は
と僕はこれから行先を指示した。
「三越も見て行くべえ」
「あの塔のあるのが三越です」
「ははあ、あれが東京駅だね?」
「然うです。宮城も見えましょう?」
「お昼は帝国ホテルへ寄ってライスカレーでも食うべい」
と久作さんはナカナカ東京に通じている。
「もう下りましょうか?」
と僕は久作さんを促してエレベーターへ入った。
「この機械は郷里の田原屋にもあるだから驚かにゃあだ」
と久作さんが言い出した。それがギッシリ詰まっているエレベーターの中だから僕は
「お
とやったので、
僕達は松屋から三越へ志した。京橋日本橋と久作さんは相変らず帽子を小脇に抱えてテクテク歩いた。
「あの巡査は何をしているだあね?」
と久作さんは橋向うの交通巡査を指さした。
「あれですか?」
と僕は考えた。今度こそ驚かしてやる積りで、
「あれは
と言った時、交通巡査は又躍り初めた。
「何だって往来の真中で躍るんでがんす?」
「交通整理です。御覧なさい。自動車の通って好い時と悪い時をラジオ仕掛けであの人形が知らせるんです」
「成程、
と久作さんは漸く驚いてくれた。
しかし僕の驚く番が直ぐに来た。というのは三越へ入るか入らないに久作さんがひっくり返ってしまったのである。
「久作さん久作さん」
と僕は恥も外聞も観察も忘れて呼び叫んだが、目を白くしていて正体なかった。
「
と久作さんの頭へ草履を載せてくれた人もあった。
「救護所へお連れ申しましょう」
と店員達が来てくれた。その親切な介抱で久作さんは間もなく正気づいた。
「
「もう確かです。
「兎に角家へ帰りましょう」
と僕は自動車を頼んだ。又ひっくり返られては溜らない。
「山が見えない
と久作さんは言ったが、家へ着いたら
「······
とお祖父さんが読んだばかりのところだった。人を恐れないだからと頻りに
「矢っ張り山がないと気が落ちつきませんわ」
と言って、久作さんは泉岳寺と松屋と三越の入口を見物した丈で翌朝郷里へ帰ってしまった。
「浩二は悧巧だ。目から鼻へ抜けるというのはあの子のことだろう。
とお祖父さんは口癖のように
「あんな風でいて浩二はナカナカやさしいところのある子だよ。お祖母さんは目が悪いからってね······」
とお祖母さんも一度針へ糸を通して貰ったのを、幾度にも吹聴する。同じことをいってもしても、一番年下が一番
「年を取って愚に返っているんだわ。それであんな赤ん坊見たいなものの言うことばかり感心するんだわ」
「お祖母さんに糸を通して上げたことなら私の方が余計よ。何を頼まれたって、私、厭やな顔をしたことなんか一遍もありませんわ」
と上の二人は時折憤慨する。
「私、浩ちゃんと喧嘩すると屹度私が悪いんだわ」
と千代子も相応言分がある。
しかしお祖父さんにしてもお祖母さんにしても孫は何れも皆憎くない。一様に可愛い。一視同仁だが、唯一番小さいのに一番余計に
秋も大分更けた或日曜の午後、お祖父さんがお茶の間へノコノコと入って来て、
「お鶴や、浩二は実にうまいことを言うよ。
とお母さんに話しかけた時、敏子は郁子の袖を引いた。
「姉さん、又始まってよ」
「浩ちゃんは
と郁子も
「まあ、何を申しましたの? 又お祖母さんの悪口じゃありませんの?」
とお母さんはお仕事の手を休めた。
「あの子は親父に似て悪口も上手だが、今日のは
とお祖父さんは煙草の灰を落す為めに言葉を途切らせた。
「それで感心なすったの?」
と敏子は早速第一
「いや。火鉢のところに坐っていて、『お祖父さん、この鉄瓶がお父さんなら、この
「あら、それぐらいのことなら何処の子でも言いますわ」
と今度は郁子が勘定高く出た。
「いや。ナカナカ
「よく感心なさるのね」
と敏子は策の施しようがない。
「いや。お前達は知るまいが、
「
と僕が口を出した。僕は英語をやっているし、お父さんも英国
「仏蘭西語は男性と女性丈けだよ。独逸語より簡単だ。つまり浩二は独逸式に品物を見ているから豪いのさ。矢っ張り頭が好いんだね」
とお祖父さんは少尉か中尉の頃独逸へ留学したことがあるから、大の独逸贔屓だ。何しろ
「大変むずかしいんでございますわね」
とお母さんは誰が褒められても嬉しがる。
「何処へ行ったね? 浩二は」
「庭で千代子と遊んでいましょう」
「
とお祖父さんは自分のことを棚に上げて、
「ははあ、郁子も敏子も鳴りを静めたね。独逸式に恐れ入ったと見える」
と
「恐れ入りもしませんけれど、確かに低能じゃないわね」
と郁子は譲歩した。
「お祖父さん、泥棒を獣と思っていたのも矢っ張り独逸式でしょうかね?」
と敏子は納得しなかった。次女は
「あれは間違さ」
とお祖父さんは敏子を
「間違でも浩ちゃんなら笑われませんのね。徳だわ」
「でも子供だからさ」
「お祖父さんはあの時お褒めになったわ。道徳的な間違で
と敏子が畳みかけた。
「能く覚えているのね。お前に理窟を言われるとお祖父さんは
とお祖父さんは
「あら、
「いや、
「嘘よ」
「嘘じゃない。
「敏子さんは睨んで笑っているわ。そら、又笑った」
と郁子が
「
と、しかし敏子はナカナカもって
「敏子さん、あれを申上げましょうか?」
「
「あなたの
「厭やよ厭やよ」
「
と郁子は
「何だい?」
と僕は促してやった。
「敏子さんはこの間学校の調査表に面白いことを書いたのよ。自分の長所は気の利いていることですって」
「でも先生が思う通り正直にお書きなさいと仰有ったんですもの」
「だから
「
「それはお母さんも見ているけれど敏子丈けよ。郁子は知らん顔をしていますわ」
とお母さんは敏子の長所を認めた。郁子は女学校に入ってから殊に雑用を
「敏子は
とお祖父さんも共鳴して、敏子は
「でも学校へ報告することはないわ」
「でも正直に書いたんだわ」
「書こうと思って心掛けるんでしょう?」
「そんなことがあるもんですか」
と内輪揉めが始まる。
「それっきりかい?」
と僕は進行係りを勤める。
「
「知らないわ」
「短所は少し生意気のことですって。これは
と郁子は
「宜いわよ」
「生意気なことはないさ。しかし弟が褒められると怒る癖がある。それは書かなかったのかい?」
とお祖父さんが笑った。
「そんなこと誰だって
「何故?」
「弟ばかり褒められて好い気持のする人があるもんですか」
と
「それだからお祖父さんもお祖母さんもお前を褒めているのさ。
「でも
「ホホホホ。敏子にも
とお母さんが同情したので、
「
とお祖父さんは逃げ腰になった。
「今日はお
とお母さんが
「
「いいえ、結構でございますわ。一度先生に御ゆっくりして戴きたいと思って居りましたが、何なら晩のお支度を致しましょうか?」
「然うさね。斯うっと······」
「別にお構い申上げませんから、
「
と言って、お祖父さんは離れへ帰って行った。
浩二はこの通り姉や妹の間に問題を起すくらい年寄の愛を
「大きな足跡だね」
と僕は縁側の
「座敷にもある。二人らしい。ブル公が吠えてくれなかったら
と文一君はブル公の頭を撫でながら
「人間の足跡と同じね」
と浩二は不審を起した。
「人間だもの、泥棒は」
と僕が教えてやると、
「人間かい、泥棒は? 驚いたなあ。僕は獣だと思っていた」
と浩二がませた
「
と文一君のお父さんは感心した。
しかし浩二に於てはこれは冗談でも
「泥棒と犬とは
というような質問があった。
「動物園なんかへは入らないだろうね?」
とも訊いた。これは獅子や虎がいるからという意味だったろうが、僕は単に、
「無論あんなところへは入らない」
と答えて置いた。尚お昼間は隠れていて夜出て来るとか犬が好んで追っかけるとか聞いていたから、
「戸がこれっぽっち開いていても入って来るって言うんだもの」
と浩二はその折顔を赤らめて思い違いの説明をした。泥棒を知らなかったのを恥じさせる社会は
「間違にしても意味深長だよ。
と言って、お祖父さんは無論敬服した。斯くてお隣りへ入った泥棒は一
さて、そのブル公が今し
「誰だろう?」
と僕は責任を感じて早速玄関へ出て見た。
「坊ちゃん坊ちゃん」
と
「自分で思っているほど人相の好くない証拠ですな。毎度吠えられます」
と先生は
「いいえ、未だお馴染みにならないからです」
と僕は花を持たせてやった。
「さあ、どうぞ。又吠えられましたな。取次がなくても分ります」
とお祖父さんは出迎えて杉山さんを吠えられるに
「犬嫌いは何処へ行っても吠えられますが、お宅のは殊に恐れます。普通のと違って顔も
「ブルですよ」
「ブルと申しますと?」
「ブルドッグです」
「ははあ。ブルドッグと申すのは洋犬のことですか?」
「英国産です」
「英国ですか? 国丈けは合っています。いやはや、私はお蔭で一つ学問をしましたよ。矢っ張り口は
「
「私は欧洲戦争当時からブルドッグを英国の将軍だとばかり信じ切っていましたが、犬とは驚きますな。一大発見です。道理で時々
と杉山さんは
「オホホホホホ」
と郁子と敏子は申し合せたように忽ち畳に突っ伏した。
「聞えますよ」
と制したお母さんも
僕はこれは
「英国の将軍なら間違にしても多少道理がありますよ。ブルドッグは英国の将軍と同じことで押し出しばかりです。
とお祖父さんは一笑いした後、国粋論を持ち出していた。一騎討ちなら英国が独逸を負かす筈はないという信念がブルドッグ将軍の話で再び呼び
「当時は横文字
と杉山老は
「ははあ」
「ダリヤが大層美事な出来でしたから褒めますと、
「成程、面白い御観察ですな。何も彼も西洋崇拝で癪に障ることだらけですよ」
とお祖父さんは思う壷だった。
「料理にしてもフライが天ぷらだったりマカロニが
「西洋でも独逸あたりは違いますが、英米崇拝ですから困ります。英米のやることなら何でも好いと思っているから始末に負えません。あなたは
「あの支那の
「支那の博奕は
「大流行です。余程面白いものと見えますな。男爵家なぞはお花見から麻雀へ
と杉山さんは何かというと男爵家だ。
「支那人の発明としては碁に次いで面白い勝負事です。支那では、上下を通じて昔からやっています。日清日露の戦争以来日本人は随分
とお祖父さんのお談義はナカナカ長くて
或日学校の帰途、例によって電車の中で観察修行を心掛けていると、真正面の席に腰を下した二人連れの洋服が早速話し始めた。
「何を言っていやがると思ったが、四十の声を聞くと矢っ張り違う。無理が利かない。身体が大儀になったね」
と訴えたのは大男だった。
「
と応じた相手は少し若かった。
「いや、争われないものさ。何を食っても二人前が漸くだからね」
「二人前いければ沢山じゃありませんか?」
「もとは三人前だったが、この頃は物によると二人前が怪しい。人間も食えなくなっちゃ駄目だよ」
「理想が高いんですな。私なぞは一人前が漸くで、それが食べられない時には
「そこさ。要するに人間は食えるか食えないかの問題だね。
と大男は至極簡単な人生観を持っている。
「今でも随分御元気じゃありませんか?」
と若い方は下僚と見えて言葉使いが丁寧だった。
「いや、
「豪傑でしたな」
「その頃は君の方の課長の川口君と我輩が両大関さ」
「川口さんこそ昔日の面影がありませんな」
「我輩より二ツ三ツ上だもの。能率がグッと下っている。あれ丈けの元気があったから、あれまで漕ぎつけたのさ」
「この頃の人間は
「そんなこともなかろうが、川口君は実に
「盛んなものですな」
「それから腹ごなしに須田町まで歩いたが、今度は期せずして焼鳥屋へ入ってしまった」
「おやおや、
「これぐらい食ったのが食えなくなったんだから心細い。余程身体が
と大男は悲観している。
「しかしそれは以前が元気過ぎたからでしょう? 初老になって丁度この頃の私達と同様なんですから、
と若い方は慰めた。
「いや、他にも
「早くお休みになるからでしょう?」
「朝が早いから自然夜も早くなる。それに
「そんなものですかな」
「我慢が出来ない。無理が利かなくなった証拠さ。昔は役所へ行って昼までは坐りっ切りだったが、この節は必ず一度や二度は行く。吸収作用が衰える程度に放出作用が盛んになるから溜らない。君、見給え。こんなに白髪が生えて来た」
「そんなでもないじゃありませんか?」
「いや、可なりあるんだよ。それに脳天が薄くなっている。
「そんなに顕著なものですかな?」
と若い
「食えなくなるから直ぐ分るよ。栄養が廻らなくなれば、
「漸くです」
「牛肉なら何うだね? 我輩も無理なことは言わない。あれなら誰でも食えるものだ。三人前食えるだろう?」
「精々二人前でしょうな」
「それじゃ牛肉にしよう。そんな若い身空でお上品なことを言っていると、初老にならない中にへたばってしまうぜ。我輩も牛肉丈けは未だに三人前食える。
と大男は尚お持論を主張して間もなく下りたが、恐らく若いのを牛肉屋へ引っ張って行ったのだろう。
初老とは四十歳の
「あなた、此年は厄年ですから殊にお気をつけ下さいよ」
とお母さんも案じているから、或はあの大男の主張通り四十の声に多少の威力があるのかも知れない。
就いては食えるか食えないかという根本問題から確めるのが早手廻しと考えて、それとなく心掛けたが、お父さんは元来食物に興味がない。まずければ小言をいうけれど、うまければ黙っている。お母さんも張合がないそうだ。いつまでたっても要領を得ないから、僕は或日のこと、
「お父さん、厄年になると多少身体に影響があるんですか?」
と訊いて見た。
「何だ?」
とこの親切な質問に対してお父さんが僕を睨みつけたのは甚だ案外だった。
「厄年······」
「そんな言葉を使うもんじゃない。お鶴、お前が宜しくない。お前は子供に迷信を
「鼓吹なんか致しませんけれど、昔から四十二は厄年じゃございませんか?」
とお母さんは飛んだ行きがかりになった。
「お前は去年一年厄年厄年と言ったね。此年も言う。来年も亦言う積りだろう?」
「でも厄年ですから、仕方ないじゃありませんか?」
「いくら教えても分らないんだね。そんなことで子供の教育が出来ると思うのかい?」
とお父さんは呆れたように言った。
「あなたは何でも一概に迷信と仰有いますが、それでは却って教育になりませんわ。この間もお祖母さんが、
「それは浩二の言うことが
「けれども年寄が見す見す御機嫌を悪くするじゃありませんか?」
「それは別問題さ。年寄の機嫌を損じないように別に教えれば
「二重手間になりますのね?」
「教育は
とお父さんは少し追い詰められた。
「厄年が迷信か何うかは問題ですわ。私、お医者さまにも伺って見ましたが、矢張り厄年はあるそうでございますよ」
「医者がそんな馬鹿なことを言うものか」
「いいえ、
「誰が言った?」
「佐久間さんが仰有いました」
「あの馬鹿なら言うかも知れない」
「それなら子供が病気の時、何故佐久間さんをお呼びなさいますの?」
「小児科の腕利きだから呼ぶ。馬鹿でも将棋丈けは五段の男がいるからね」
「身体の問題ですから、お医者さまの仰有ることは参考になりますわ。厄年は丁度身体に変化の起る年頃に当るそうでございますよ。それさえ無事に過ぎれば後は六十ぐらいまで大丈夫ですから、矢張り気をつけるに越したことはないと仰有いましたわ」
「
「本気で心配していますのに、あなたは変なことばかり仰有いますのね?」
とお母さんは躍起になった。僕は
「お父さん、初老なら迷信じゃないでしょう?」
と訊き直した。
「初老なら
とお父さんも
「初老になると身体に影響がありますか?」
「それ御覧なさい。子供まであなたのお身体を案じているんですよ」
とお母さんは切り込んだ。
「一向影響しないね。しかし迷信的に影響すると思うんだね、世間の馬鹿共は」
とお父さんは僕を仲介として
「憎らしいお口ね」
とお母さんは
「まあまあ黙って聴いていなさい。医者に言わせると人間の身体は二十五で
「安心しました」
と僕はお辞儀をする外なかった。こんな御機嫌の悪い時にはかかり合わないに限る。孔子さまさえ同僚扱いだから、うっかり口を出せば叱り飛ばされる。
ところがその翌晩のことだった。お父さんはいつになく茶の間の長火鉢の
「お鶴や、
と溜息をついた。
「何うなさいました?」
とお母さんは待ち構えていたように訊いた。
「左の耳が悪くなった」
「まあ? 痛みますの?」
「いや、何ともないが、能く聞えないんだ」
「お
「いや、聴力丈けの問題らしい。先刻帰って来て二階へ上る時、梯子段の途中で時計を落したんだよ。しまったと思って左耳へ持って行くと果して止まっている。しかし電燈の下で
とお父さんは説明した。僕は初老が耳へ来たと思った。
「鎌田さんに見て戴いたら如何でしょう?」
とお母さんは早速医者を
「見て貰わなくても分っている。聞えないもの。
とお父さんは万事主観的である。この論法で社説を書くのだから
「
「考えて見ると左の方はもう長いこと悪いのらしい。電話を
「あなたは何でも
とお母さんはこの機を利用してお父さんを
「初めから耳が悪いと思い込む奴もあるまいさ。
「お耳ばかりじゃございませんわ」
「兎角自分のことは分らないものさ。今日は右の手に鞄を持っていたから、左の手で拾って左の耳へ持って行ったんだね。時計を落さないと
「
「聾耳聾耳って言うなよ。年寄染みて外聞が悪い。耳が遠いと言え」
とお父さんはナカナカ気むずかしい。
「同じことじゃありませんか?」
「耳の故障と言ったら
と僕は初めて口を切った。
「然うさ。
とお父さんは
「
とお母さんは言葉を改めて
「又始まったぜ。しかし早速見て貰うよ。別に不便もないが、好い方まで悪くなると大変だ」
「何れくらいお悪いのかここで試して御覧なさいませ」
「よし。何か言って御覧」
とお父さんは右の耳を塞いで身構えた。
「あなた。あなた。聞えますか?」
「そんな大きな声なら聞えるよ」
「聴覚機関は
「それぐらいなら聞える。低い声が聞えないんだ」
「
「············」
「
「············」
「御自分ばかりお悧巧の積りでしょう?」
「
「聞えそうなことばかり申上げたんですが、矢っ張り余っ程······聴覚機関に故障がございますわ。困りましたね」
とお母さんは予想以上思わしくない結果に行き当った。
「何あに、構うもんか。耳の悪いのは自分の負担にならない。話し相手に大きな声を出させるばかりだ」
とお父さんは負け惜しみを言った。
「矢張り鼻と喉から来ている。
とお父さんは故障の次第を話した。
「
「いや。治らない。この上悪くならないように時々鼻から空気を通す外仕方がないんだそうだ」
「心細いんですわね!」
とお母さんは
「もう一つ心細いことを発見して来たよ」
「
「鎌田さんは、お太鼓医者じゃないから、
「するともう老眼でございますの?」
「老眼というほどでもないが、四十を越すと視力が衰弱するそうだ。夜分読書をする時はもうソロソロ弱い老眼鏡を使う方が宜かろうという鑑定さ。専門医に相談し給えと言って、紹介状を書いてくれたよ」
「厭やですわねえ。聾耳になったり、老眼になったり」
「聾耳じゃないよ」
「耳がお悪くなったり老眼になったりして、矢っ張り厄年は争われませんわ」
「老眼じゃない。視力が衰弱したんだ」
とお父さんは老眼もお気に召さない。すべて年寄染みたことはお嫌いである。
「衰弱するのはお年を召した証拠じゃありませんか?」
「衰弱必ずしも年の
「兎に角好い徴候じゃございませんわ。年寄並みにお気をつけ下さいませ」
とお母さんはお父さんの若がる癖を
「もう余り御無理をなさらない方が
と孝子の立場から
「
とお父さんは納得したが、無条件ではなかった。
「
と附け加えた。
「兎に角気をつけてさえ下されば結構ですわ」
とお母さんは理窟より実利で、もう逆らわなかった。
「猿が二疋弱っているんですからね」
と僕も自重を願った。
「一疋丈けは益

とお母さんが笑った。
お父さんの書斎には面白い横額がかけてある。
「成程、大内さん、これは如何にも新聞記者らしい心得ですな」
と言って感服する。着想奇抜な墨絵だ。猿が三疋、見ざる聞かざる言わざるの正反対をやっている。一疋は双眼鏡を目に当てている。一疋はラジオのレシーバーを耳に当てている。もう一疋はメガホンを口に当てている。その上に、
何ぞ大に世の非を聞か
何ぞ大に世の非を言わ
「
「駄目だよ」
と
「
「此方は大内源太郎であります。高等学校入学試験準備は
となる。同じ教室に机を並べる三十余個の西瓜頭は入学試験以外に
大内源太郎は斯く申す僕で、片山文一は
「
と僕は
「好かった。僕達はもう中学生だ」
「無論さ」
「今までとは違うんだから
と文ちゃんは益

「先生も
「それは然うだけれど、僕はもう文ちゃんと呼んでも返辞をしないよ。子供らしくて外聞が悪い」
「片山君」
「何だい?」
「明日一緒に教科書を買いに行こう」
「大内君、然うしましょう」
「ハッハハハハ」
「ハッハハハハ」
と笑って、文ちゃんと源ちゃんはそのままお
あの時分は愉快だった。大難関を突破して後は
「片山君、一つ息抜きに活動でも見に行こうじゃないか?」
と僕が
「
と文一君は煮え切らない。
「矢っ張りよそう。その
と僕も実利に就く。
「大内君、出かけようか、久しぶりで?」
と文一君が言い出す時は、
「さあ」
と僕が二の足を踏む。
「厭やかい?」
「行っても
「大変大変。宿題が残っている」
と文一君はいつもの癖で両手で膝を叩きながら慌て出す。以前は
「お母さん、片山君のお母さんは僕となら宜いけれど、他の友達とは遊ばせないんですって」
と僕は先ずお母さんの御機嫌を伺う。
「それはお隣り同志で始終交際していますからね」
とお母さんは無論悪い心持はしない。
「お母さん、片山君と一緒に活動へ行っても
と僕は直ぐに用件を切り出す。
「この間も二人で行ったでしょう?」
「ええ。断りましょうか?」
「然うねえ。けれどもお前が行かなければ文一さんも行けないんでしょう?」
「ええ」
「まあまあ、文一さんとなら
とお母さんは承知してくれる。同時に文一君は文一君で、
「お母さん、大内君は僕なら宜いけれど、他の友達と遊ぶと家で叱られるんですよ」
とお母さんに取り入っている。
「それはお隣り同志で能く分っているからさ。お前も他の人とは余り交際しない方が宜いよ」
と文一君のお母さんも異議はない。
「大丈夫です。けれどもお母さん、大内君はこれから活動へ行くんですって。門のところに待っています」
「源太郎さんが行ってもお前はいけないよ。お母さんが又後でお父さんに叱られますからね」
「それじゃ僕、断って来ます。けれども僕が行かなければ大内君も行けなくなるんですよ」
「約束をしたの?」
「いいえ、大内君のお母さんは僕となら宜いけれどもと仰有ったんです」
「
「行って参ります」
と文一君も
僕達は公明正大を
「頼むよ、大内君」
「片山、行け行け!」
「大内、やれやれ!」
と級友が四方八方から
「先生」
と吉岡先生のお顔を拝借して、
「今日は久保田先生が三時間目を休んで下さいますから、先生も四時間目を······」
と言い
「休んでくれという註文かい?」
と先生も学生時代にやったと見えてお察しが
「はあ。少し練習しないと負けるんです」
とこれは全然
「よし、久保田先生が休むなら
と吉岡先生は承知してくれる。点は辛いけれど話の分る人だ。もう一方片山君は教員室の向う隅で久保田先生を捉えている。両方対決になっては面白くない。
「先生、四時間目に吉岡先生が休んで下さいますから、先生も三時間目をお休みになって下さいませんか? 練習しないと
「よしよし。吉岡先生が休むなら僕も休もう。
と久保田先生も休んでくれる。先生は大学を出たばかりだから、学生に同情が篤い。つまり斯ういう具合に両方から快諾を得れば、初めの嘘が
「お母さん、お正月には
とねだっている。
「二年生から金紗って規則でもありますの?」
「そんなこともありませんが、奥村さんも島さんも拵えて戴くんですもの。私一人肩身が狭いわ」
「お友達が拵えて戴くようなら、お母さんだってお前に引けを取らせたくありませんからね。何でも拵えて上げますよ」
とお母さんは

「お母さん、校長さんが何と仰有っても
と言っているに相違ない。島さんも同じく鼻を鳴らしてお母さんを動かす。それからお正月には三人金紗ずくめでお客に行ったり来たりする。三方のお母さんは
それは然うとして、僕と文一君は
「
と僕は上り込む。文一君の勉強部屋は玄関の直ぐ隣りだ。
「駄目だよ」
と文一君が応じる。
文一君のお父さんはビールを
「勝之進唯今戻りました」
と言って、お
「文一唯今戻りました」
とお母さんの前にかしこまらなければならない。僕のように荷物を放り出して、
「唯今!」
の一言で済ませ、
「お母さん
と
「源太郎は行儀が悪いのね。お隣の文一さんを御覧」
とお母さんは何に彼につけて僕に反省を促す。文一君も苦しかろうが、斯ういうお手本をお隣りに控えている僕も不断の努力を要する。それにお母さんは文一君の好いところ丈け知っていて
「あなたも
なぞと時折忠告に及ぶ。社務多忙が続くと、お父さんは屹度何か言われる。
「恐れ入った。
「何でございます」
「いやさ、精神さえあれば毎日出頭しなくても通じている」
とお父さんは誤魔化すけれど、近所に余り謹厳な実行家が住んでいるのも迷惑なものだと思っているらしい。新聞記者は言論家で、必ずしも実行家をもって任じていない。物には夫れ夫れ分業がある。慣れないことを急に始めても柄にはまらない。お父さんが離れの敷居際に平身低頭して、
「浩一郎唯今戻りました」
とやれば、お祖父さんは笑い出すに
「
と尚お形式を主張すれば、お祖母さんはこれは唯事でないと思うから、
「お鶴、お鶴! 兎に角お医者さまを呼びましょう」
と大騒ぎになる。冗談だと言うまでは決して安心してくれまい。親に苦労をかけるのは親不孝だ。家では矢張り以心伝心で年来事が足りているのである。
僕は文一君の立場に同情する。お父さんがこの通りの実践躬行家だから、息がつけない。期待されるところが大き過ぎるので弱っている。半官銀行の頭取か一流会社の重役以下では納得してくれないらしい。しかしそれは遠い将来のことで、差当りは学校の成績である。これが
尚お文一君には負けても他の奴等に負けたくないという気がある。一年級の時には文一君が一番だったけれど、二年級からは僕が一番文一君が二番で通している。文一君のお父さんは懸賞で僕を抜かせようと努めた。
「世の中は競争だ。お父さんなぞも何うしたら好い品物を格安に供給出来るかと思って、そればかりに屈託している。勉強して他の会社をバタリバタリと倒すくらい面白いことはない」
と教えたそうである。ビールも学問も道理に二つはない。然るに去年文一君が
「お隣りは
と言ったと聞く。
文一君は長男だが、僕と違って姉さんが二人ある。弟と妹に至っても五人いるから、随分賑かだ。お父さんが家庭教育に熱心な丈けに、
「桜田本郷町乗換え、上野」
と一枚丈け切って貰った。次に直ぐ妹の勝子さんが、
「桜田本郷町乗換え、上野」
と矢張り一枚切らせた。これも女学校の二年生だから不思議はないが、小さい連中の切符は誰が切って貰うのだろうと
「桜田本郷町乗換え、上野」
と
「何故君が一緒に切ってやらないんだい?」
と僕は訊いて見た。
「自治独立の精神を
と文一君が答えた。
「能く乗換え場を知っているんだね?」
「地図を便所へ貼って置く」
「成程、それなら
「実は今日は喜三郎を迷子にするんだよ。尤も僕が見え隠れについて来る。皆は勝子が引率して帰る予定さ」
「
と僕は呆れてしまった。
「大丈夫とも。本人も薄々承知で地理を研究している。僕だって尋常一年の時お父さんに須田町で置いてきぼりを食わされたぜ。僕のところの子供は東京中なら何処へ放り出しても平気で帰って来る」
と文一君は澄ましていた。
お隣りで斯ういう緊張した家庭教育を施しているのだから、家のお母さんがお父さんの放任主義に苦情を申立てるのも無理はない。お母さんは高等学校の入学試験には文一君が合格して僕が落第するものと確信している。実際、文一君が僕のところへ来ると
さて
「巣鴨の兄さんです」
と文一君が紹介するまでもなく、僕は文科大学の助教授と承知していた。
「
と助教授は
「駄目ですよ」
と文一君は僕まで代表してくれた。
そのまま話が途切れて手持ち無沙汰が
「毎日忙しいでしょうな? 同情しますよ。しかし誰でも一度は通る関門ですから、精々突破するんですな」
と助教授が沈黙を破った。
「何点ぐらい取れば入れるでしょうか?」
と文一君が訊いた。
「さあ。少し出来れば入れますよ。千人志願者があっても三分の二は元来問題にならない連中ですからね。実際の競争は三人に一人ぐらいでしょう」
「心細いなあ。その三分の二の中へもう入っているかも知れません」
「何あに、案外のものですよ。まあまあ、精々やるんですね」
と助教授も別に妙案はなかった。
「夜
と文一君は何か秘訣が欲しいのだった。
「睡くなったら寝れば宜いです」
「でも寝れば勉強が出来ません」
「一体一日に何れくらいやるんです?」
「学課が五時間、課外が二時間、先生のところが一時間、夜が七時から十一時までです」
「それじゃ大変だ。十時間以上になる」
「電車の中でも参考書を見ていますから、十三時間ぐらいになります。それでも宿題がやりきれないんです」
と僕が訴えた。
「超人間の努力ですな」
と助教授は驚いたようだった。そこへ文一君のお父さんが入って来た。僕は
「や、源太郎さんが見えていたんですか? 何うです?」
「駄目です」
と僕は再び頭を下げた。
「文一も駄目だ駄目だと言いますから、
「僕は参りません」
「
と文一君のお父さんは丁度好い幸いとお婿さんに頼んだ。子供の顔さえ見れば勉強と言う人だ。
「
と助教授は薄笑いをしていた。
「こんなことで
「宜いですとも。まあまあ、
「カマボコ主義というと?」
と謹直な片山さんは洋名と思ったらしい。昨今は種々な主義が
「
と助教授は机を叩いて説明した。矢張りあの蒲鉾だった。
「
「程度問題です。こんな風に無理ばかりしていると、肝心の専門学科を修める時分には頭が利かなくなってしまいますよ。失礼ながらお父さんは
「けれども油断をして試験にはねられちゃ取り返しがつきませんからね」
「何あに、一年
「いや、何でもあるです。
「実はお父さんが文一君を責め殺しはしまいかと思って、それとなく偵察に上ったんです。
「その点は心配ありませんよ。毎日
と文一君のお父さんは告白した。これによってこれを見れば文一君は僕を出し抜いて土曜講習へ通うのみならず、一日に
「源太郎や、髪が伸びていて見っともないね。散髪に行っていらっしゃい」
とお母さんに注意されてからもう数日になる。月に一度
「源太郎は変な顔をしているね。何処か悪いんじゃないか?」
と今朝御飯の時お父さんが訊いた。
「髪が伸びているからでございますよ。この間から催促していますが
とお母さんは
「行って来ますよ。今日は日曜ですから」
と僕は今はこれまでなりと覚悟した。
「朝の中は込まないから早く行って来ると
とお父さんが言った時、
「フフフ」
と
「貉の妹やい」
と僕は
「
とお父さんは今日は朝機嫌が好い。日曜で一日休めるからだ。
「まさか」
とお母さんは本気にしない。
「もう一人電話口で気絶した男がある。チリンチリン、何処そこの何千何百番と言うか言わないに交換手が間違いなくその番号へ
「お父さんのように
と郁子が相槌を打った。
「
とお父さんはこんな悪口が大好きである。
「
と郁子が再び調子を合せた。お母さんはもっと真剣な個人問題でないと相手にならない。
御飯が済んでから勉強部屋の掃除をしていると、
「源太郎や、今日こそは真正に行っておいで。お前お小遣がないんじゃないの?」
とお母さんが

「あります。直ぐ行きます」
と僕はもう
「お早う。何処へ?」
「散髪」
と文一君は指で
「僕も散髪だ。一緒に行こう」
「けれども僕は郵便局へ寄ってこの小包を出すよ」
「
と僕は連れ立った。
「君は散髪屋の競争を知っているかい?」
「知らない。
「今度直ぐそこに一軒出来たろう? あれと河口と競争さ」
と文一君が教えてくれた。
「然うかい。あの親方のことだから大騒ぎだろう?」
「
「
「あれでも
「それは
「
「到頭やっちゃったのかい? 豪いな」
と話題は例によって受験準備のことになる。
「ここだよ、今度の散髪屋は」
「ナカナカ大きいね。河口よりも立派だ」
「それで躍起になるのさ。僕達は昔から河口だから河口を贔屓にしてやる」
「無論さ」
「しかしそんなに伸しちゃ贔屓にならないぜ」
「これから月に一度ずつ行ってやる」
「
その河口の前へ差しかかった時、
「おやおや、看板を塗り直したぜ、『民衆理髪軒プロレタリ屋』は
と僕は踏み止まった。
「プロレタリヤが好きだからね」
「好い
「君は先に寄り給え。僕はこの小包を置いて直ぐ来る」
「いや、一緒に行くよ。散髪だ。おや、『近所に
「
「しかし散髪屋の偽物は変だね」
「偽物さ。
と文一君は何処までも河口贔屓だ。
郵便局に着いて文一君が小包を書留にして貰う間に、僕は
「もしもし、坊っちゃん」
と折から
「何ですか?」
「恐れ入りますが、ハガキを一枚御足労願います」
「はあ?」
と僕は訊き直したが、
「さあ、
とハガキを突きつけられたので矢張り代筆の依頼と分った。あの筆で書くには実際御足労ぐらいに相当するかも知れない。
「お安い御用です」
「子供衆でないと頼み
「御主人ですか?」
「冗談言っちゃいけないよ。私は奉公人じゃない。これでも職業婦人だよ。家の奴が逃げたのさ。亭主野郎さ。酒ばかり
とお
「何と書きましょう?」
と僕は度胆を抜かれて恐る恐る伺った。
「帰れって言ってやって下さい。私も今度丈けは
とお上さんは声が大きい。
そこへ文一君が用を済ませて近寄った。
「代筆を頼まれたんだよ。
と断って置いて、
「拝啓、

と僕が書いた通りお上さんに読んで聞かせた。
「私が悪いことは
「それじゃ消しましょうか?」
「まあまあ、それで
「着かなければ見ませんから、
「成程、坊ちゃんは学問がある。それじゃそれ丈けにしましょうよ」
「あなたのお名前は?」
「お
「御主人は?」
「亭主ですよ。新田長吉」
「何処です? 今いらっしゃるところは」
「平塚の踏切、辰さんところ」
「そんなことじゃ届きませんよ」
「大丈夫です。踏切の側の家で私は知っています」
「
「辰んべえと言う丈けで苗字は聞いたことがありません。矢っ張り大工です。然う然う大辰って言いますよ」
「神奈川県平塚踏切、大辰様方、新田長吉様。大抵行くでしょう」
「御足労さま。実はもう一軒心当りがありますから、もう一本願います」
とお上さんは又ハガキを突きつけた。
「片山君、君一つ書いてやってくれ給え。この筆は実にひどい。首が抜けちゃった」
と僕は援兵を求めた。
「よしよし」
と文一君は承知して、
「何と書きます」
「今の通りで結構です。けれども後悔しているなんて書かないで下さいよ。
とお上さんは僕を睨んだ。
「何処ですか? 行先は」
と文一君は表からかかった。
「
「皆踏切ですね」
「コウさん」
「さあ、
「コウ二郎ですよ」
「
「あるには相違ありませんが、存じませんよ」
「職業は?」
「大工」
「皆大工ですな」
「亭主は大工、私はヨイトマケ」
とお上さんは節をつけて言った。
「大工職幸二郎としましょう」
と文一君は初めの方は僕の書いた通り認めて、
「······尚お先日のことは何とも申訳無之、お目もじの上万々お詫び申上可く候」
と読み聞かせた。
「あやまる約束だね。馬鹿にしていらあ」
「
「主人主人ってお言いだが、私は坊っちゃん達のお母さんとは違うよ。亭主野郎を一
「それじゃ消します」
「消しちゃ失敬だろう? それぐらいのことは知っているよ。まあ
「あなたの番地を書いて置きましょう」
「御念には及びませんよ。いくら飲んだくれだって自分の家を忘れるもんかね。何うも御足労さま。これでキャラメルでも買って喰べておくれ」
とお上さんは
「そんなもの
と文一君は慌てて手を引いた。
「まあ、そんなことは言わないで。
「片山君、もう行こう」
と僕は促した。
「それじゃ無理にとは言いませんが、坊っちゃん、ヨイトマケだって馬鹿にするもんじゃないよ。この風呂敷にはコートが入っている。これでも仕事が済めばこれを着て帝劇の三階ぐらいへ納まるんだからね。その辺の安月給取りに負けやしないよ」
と職業婦人は
「驚いた」
「豪いものに
「追っかけて来やしないかい?」
「大丈夫だよ」
と言いながらも、僕は振り返って見た。
「時勢が進んだんだね」
「何故?」
「教育のないものにあんな女権論者があるんだもの」
「あれは女権じゃないよ」
「それじゃ何だろう?」
「
「同じことじゃないか」
「教育のあるのにもあんなのが随分いるんだぜ」
「然う然う。活動で見たね」
と話は差当り婦人労働者で持ち切った。
散髪屋の間近に来た時、
「君、あの爺さんが入るぜ」
と僕は予感があった。待たされるのが辛いから神経過敏になっている。
「何あに、大丈夫だよ」
と文一君が保証した。成程、その通り行き過ぎたから安心した
「いけないいけない」
と言っても
「込んでいるようだぜ。君は先に寄れば宜かったのにね」
と文一君は気の毒がった。
「何あに、
と高を
「好いお天気が続きますなあ」
と一足違いの爺さんは
「坊ちゃん方お揃いですな。もう直ぐですよ」
と親方は愛嬌が好い。尤もこの男のもう直ぐは三十分から一時間に
「やあ、これは大分込んでいるな」
とそこへ又一人やって来た。矢張り一足違いだったけれど、
「いらっしゃい。旦那、もう直ぐでございます」
と親方は剃刀を
「待つかな」
と新来の客は腰を下した。可哀そうに、僕と文一君が占領しているから、新聞も附録を読まなければならない。
親方は剃りかけた髯に戻って、
「それで今のその策というのは
と話の続きを始めた。
「名案だけれど、多少金がかかるぜ。
「何うせ競争ですから、金に糸目はつけませんや」
「大きく出たね」
「
「
とお客さんは勿体をつけた。
「大丈夫ですよ。皆御贔屓の方ばかりです」
「それじゃ秘伝を授けようか。乞食を狩り集めて来て差し向けるのさ。親類に
「冗談仰有っちゃいけませんよ」
「これは
「成程、考えましたな」
「本職でなくても
「旦那はお口が悪いなあ。そんなものは皮膚病院じゃないって叩き出されますぜ」
「叩き出せば尚お結構さ。大きな声で呶鳴らせる。人立ちがして近所
「はてな」
「
「然う言えば
と親方は僕達の方を向いて舌を出した。お客さんは目を閉じていたから冗談とは気がつかず、
「無論断ったろうね?」
と釣り込まれた。
「いや、顔を当って後で見つけたんです」
「
「矢っ張り旦那のこの椅子に坐りましたよ」
「
「ハッハハハハハ」
「しかし油断はならないぜ。
「そこですよ。妙な宣伝をしやがるから癪に障る。
「ふうむ。
「
「真剣の話、何うしたんだい?」
「斯うやってお客さまの
「
「チョクチョク耳に入るから、聞けば聞きっ腹でね、ヤキモキしていまさあ」
「お
「実際、考えて見ると床屋ぐらい信用のある商売はありませんな。俺は斯うやって旦那の
「よせよよせよ」
「殺そうと
「
「毎日毎日やっていて
「なられて溜まるものか」
この客が済むと同時にもう一人明いて僕達の番になった。僕達一分刈りは余程廻り合せが好くないと親方の手にかかれない。
「近所に一軒出来たんで、多少影響するだろうね?」
と先刻の爺さんが親方に話しかけた。
「矢っ張りチビチビ食われますな」
「競争なら間違ない法が一つある」
「これは有難い。是非御伝授願います」
「
「成程、これは当らず障らずで宜い」
と親方は喜んだ。少くとも乞食を差し向けるよりは実行性に富んでいる。
「
「余程昔ですね」
「日清戦争前だったよ。物価が
「成程ね」
「その代り金も取れなかった。巡査の月給が八円」
「それは
「然う然う。三銭五厘を三銭に下げ二銭五厘に下げたが、果しがつかない。その中に敵の方が別嬪を二人下剃りに使った。すると
「旦那もですかい?」
「無論さ」
「頼みにならない人だ」
「同情がないんだね。
と爺さんは椅子から下りたようだった。
散髪屋を出て家へ帰る途中、
「君、世の中は矢っ張り生存競争だね」
と文一君が溜息を吐いた。
「
と僕は例の職業婦人を思い出した。
「
「新聞だって少しも油断が出来ないそうだぜ。その日の成績がその日に分るんだからね」
「誰でも一生懸命なんだから、入学試験ぐらい仕方がないね」
「皆苦労があるのさ。今朝は
「面白かった。しかしあのお上さんは怖かった」
と文一君も同感だった。
「もう幾つ寝るとクリスマス?」
と浩二が訊いた時、
「
と
お父さんもお母さんも子供を喜ばせるのが大好きだから、
「東京へお
と言って置いたから、僕は少し引き廻してやらなければならない。尤も修学旅行に来て
「田舎もの扱いにされちゃ困るわ」
とその折
妹や弟が学校へ出払った後、
「源太郎や、お前は今日からお休みでしょう?」
とお母さんが念を押した。
「はあ」
「今日はお祖父さんに代って、絹子さんを少し案内して上げてくれませんか?」
「ええ、何処へ行きましょうか?」
「何処でも宜いわ。絹子さんと相談して御覧なさい」
「
と僕は引受けた。
そこへ離れから絹子さんが入って来た。
「賑か過ぎて落ちつかないでしょう?」
とお母さんが
「いいえ。
と言いながら、絹子さんは坐った。
「子供が学校へ行ってしまわないと、碌々お話も出来ませんわ」
「結構でございますよ。
「昨日は明治神宮でございましたね?」
「ええ、神宮から
「日比谷は?」
「参りません。不良少年が出るそうでございますね?」
「まさか」
「でも
「お祖父さんは軍人ですから、御案内はいつもあの方面丈けでございますのよ。余り
とお母さんが笑った。
「私、もう大抵のところは拝見して居りますから、家で遊ばせて置いて戴けば結構でございますのよ」
「今日は源太郎が御案内申上げますよ。源太郎なら何処へでもお望みのところへ参りますわ」
「でもお忙しいんでしょう?」
「いいえ、構いませんよ」
と僕は夏行って世話になるから義理がある。
「然う」
と絹子さんもそれは分っているようだった。
「叔母さん、私、叔母さんに御相談がございますのよ」
と絹子さんは薄笑いをしながら言い出した。叔母さんではないけれど、叔母さんと呼ぶ。僕も
「何? 絹子さん」
「私、
「隆鼻術? お鼻ですか?」
「ええ。あれは
「さあ、
「いいえ。低いんですよ。始終苦になりますの。
「
とお母さんは再び保証した。
「低いんですわ。もう少し何うにかなりそうなものと存じますの」
「お母さんは何と
「母は旧式ですから無論反対で、それは慾だと申しますわ」
「慾ですよ、絹子さん。そんな好い御器量に生みつけて戴いて、
「まあ」
と絹子さんは少し赤らんだ。
間もなくお父さんが出勤の支度をして下りて来て、
「絹子さん、今日は乃木神社ですか?」
と
「
「今晩は銀座へクリスマスの買物に出かけますからお供致しましょう」
「有難うございます」
「あなた、隆鼻術で信用のある人を御存知?」
とお母さんが訊いた。
「隆鼻術? 鼻かい?」
「ええ」
「絹子さんかね?」
とお父さんはそのまま坐り込んで、
「斯うお見受けしたところ
と矢張り保証した。
絹子さんは黙っていた。
「私も然う申しているのですが······」
「隆鼻術なら懇意な男がやっていますよ」
「何処でございますの?」
と絹子さんは
「麹町です。フランス仕込みで素晴らしく
「何故でございましょう?」
「フランス仕込みの隆鼻術ということが既に
「でもあれは
「その
「そんな簡単なものじゃございませんわ」
とお母さんも美容術へは行きたがっている丈けに覚えず不服を
「美容術丈けなら郷里にもございますのよ」
と絹子さんはもう一歩進んでいる。
「その美容術の一部門、隆鼻術のことですが、皮肉なことには先生自身の鼻が並み外れて低いんです。
「ひどい人ね」
「恐ろしいものです。絹子さん、あなたは
「何でございますの?」
「活字の信者です。活版で刷ってさえあれば何でも
「それじゃ叔父さんのお書きになる新聞も信じられませんのね?」
「一本参りました。ハッハハハハ」
「好い
とお母さんは喜んでいた。
「新聞丈けは例外として、活字で刷ったものには随分嘘があります」
とお父さんは苦しい弁解をして、
「隆鼻術に限らず、詐偽師は宣伝が上手ですからなあ。婦人雑誌の広告なんかを一々信仰しちゃ大変です。目でも鼻でも生理的故障のない上からは、持って生れたのが一番自分に似合っているんです。子供の心持に帰らなければいけません。家の浩二はもっと小さい時、鼻は穴さえ明いていれば
とお談義を始めた。
「もう分りましたわ。私もこの低い鼻で満足致しますわ」
「低いことは
「まあ、馬鹿ばかり仰有いますのね」
とお母さんは迷惑した。
「冗談は兎に角、絹子さん、あなたは御器量が
「まさかねえ」
と絹子さんはお母さんを顧みて桜色になった。褒められて嬉しかったのもあるだろうが、当らずと
「いいえ。矢張り理想が高過ぎるんですわ」
とお母さんもお父さんと同感だった。
「隆鼻術では実際南部の
「低いからですわ」
「いや、調和が取れているからです。女は
と言って、お父さんは慌しく出て行った。
玄関へ見送った後で、絹子さんは、
「面白い叔父さんね」
と笑っていた。
「銀座から三越へでも参りましょうか? クリスマスの装飾で綺麗ですよ」
と僕が案を立てた。
「それじゃ
と絹子さんは離れへ戻ってお支度に取りかかった。
「源太郎や、絹子さんはね、隆鼻術と
とお母さんはその間に僕に話しかけた。
「然うですか、成程」
と僕はお父さんの隆鼻術攻撃に思い及んだ。
「それでお前に美容院へ案内を頼むかも知れませんから、気をつけて下さいよ。男だから、そんなところは存じませんと仰有い」
「僕が説諭をしてやります。今のお父さんのお話は皆嘘でしょう?」
「嘘ですとも。お父さんなんかが美容院の先生を知っているものですか。口から
と美容術についてはお母さんはお父さんに反感を持っていた。
「僕も一つ嘘をついてやります」
「けれどもナカナカお悧巧だから、お前の手には乗りますまいよ」
「鼻は然う低くもないんですのにね」
「いやが上にも綺麗になりたいんでしょう。歯医者に寄ると仰有っても、家のかかりつけのがあると言うんですよ」
「然うしましょう。歯が悪いんですか?」
「二本丈け並びが悪いと仰有るんですが、然うも見えませんの。家で甘やかすから、
「一つ作戦計画を立てて置きましょう」
と僕は親の許可を得て嘘がつけるのだから、
容姿に確信のある人丈けに、絹子さんは僕が待ちあぐむほどお化粧に手間を取った。連れ立って出かけたのは十時過ぎだった。久作さんなぞの場合とは全く違う。先方が令嬢で
「源太郎さん、私、三越よりも何処よりも行って見たいところがありますのよ」
と絹子さんが言った。僕は、それお
「何処へでもお供致しますよ。何処ですか?」
と受けた。
「本郷の
「お友達ですか?」
「いいえ、中央美眼院。眼科よ」
「ああ、
「御存知?」
「ええ」
「何うして?」
と絹子さんは詰め寄って来た。
「友達の姉さんが彼処で手術を受けたんです」
「何うでしたの、結果は?」
「それがいけなかったんです」
「まあ、
「さあ、つまり······」
僕は詰まってしまった。
「一皮目が二皮目になりませんでしたの?」
と幸い絹子さんの方から手掛りを提供してくれた。
「なったんです。片一方丈け」
「片一方は駄目?」
「ええ。片一方は
「まあ、
「矢張りあれはいけないものですね」
と結論に漕ぎつけて、僕は相応嘘が吐けるのに意を強くした。斯ういう風に一個人を相手にすれば
電車に乗った時、絹子さんが、
「美眼術も矢張り
と訊いたのは僕の嘘がお父さんのと
「そんなことはありませんよ。
「
「一皮目よりも二皮目の方が
と僕は探りを入れた。
「好いってこともありませんが、大きく見えますわ?」
「大きい方が引き立ちますね、何うしても」
「耳かくしや断髪には持って来いですわ」
「断髪になさる気?」
「いいえ」
「でも手術はお受けになるんでしょう?」
「考えものよ。片ちんばになっちゃ溜りませんわ。それに
と絹子さんは着物の柄を選ぶようなことを言った。
芝口で下りて銀座を歩いた。硝子窓のクリスマス装飾が目を
「お嬢さん、坊ちゃん、
と合図をして、写真機をパチンとやった男があった。
「何でしょう?」
と絹子さんが訊いた。
「新聞社の人でしょう」
「叔父さんの新聞?」
「さあ、どうでしょうか?」
と僕も実は要領を得なかった。
松屋で大分手間を取って、三越で食事をしたのは二時過ぎだった。それでも
「何うしましょうか?」
と僕が
「神田の錦町はここから近いでしょう?」
と言い出した。
「電車で行けば直ぐですが、何ですか?」
「でも叔父さんに叱られますわ」
「隆鼻術ですね?」
「前を通って見る丈けなら
「ええ。寄らなければ構いません」
と僕は先方に着くまでに成算があった。
しかし電車が込んでいて碌々話せなかったから、僕は錦町で下りると直ぐに、
「絹子さん、先刻新聞記者があなたの写真を撮ったでしょう? 何故だかお分りですか?」
と切り出した。
「
「新聞記者でなくても同じことです」
「分りませんわ」
「あれは綺麗な人の来るのを待っていたんですよ」
「あら、
と言ったが、絹子さんは満更悪くもないようだった。
話し話し探して歩いたが、絹子さんの註文の東洋隆鼻院は容易に見つからなかった。
「越したんでしょう、もう」
と僕は
「今月の雑誌にも出ていましたわ。まさかこの汚い露地の奥じゃありますまいね」
と諦め兼ねた。
「僕、
「私も行くわ」
と二人で入ったら、その出外れの三軒長屋の真中に看板がかかっていた。
「名前ばかり大きいのね!」
と絹子さんは呆れてしまった。東洋隆鼻院の規模が小さかったのは何よりの仕合せだった。二人は直ぐに引き返して、五時近くに家へ戻った。
「
とお母さんは迎えてくれたけれど、僕は錦町丈け報告から
間もなくお父さんが帰って来て、
「絹子さん、家の新聞に
と夕刊の第一版をポケットから出した。「
「まあ!」
と絹子さんは
「家の子供は何うしてこんなに風邪ばかりひくんだろう?
とお父さんは悲観してしまう。
「余所の子供でも風邪ぐらいひきますよ。丈夫な子ばかり外で遊んでいるんですわ」
とお母さんは看護に一生懸命で夜の目も碌々寝ないのだから、その上苦情を言われては引き合わない。
「それにしても三人も四人もひくことはないよ。
とお父さんは未だ愚痴をこぼす。
「あなたが
とお母さんは日頃の干渉を問題にする。お父さんは自分が寒がりだから、子供に厚着を
「寒いことはありませんわ」
「いや、寒いよ。暖か過ぎる分には構わないんだから、何枚でも着せなさい」
「でも抵抗力が弱くなりますわ」
「それは医者の理窟だ。兎に角風邪さえひかせなければ
というような意見の相違は

「何うだね? 千代子は」
と訊く。好い経過を期待していると思えば、お母さんも骨が折れる。
「悪いこともありませんが、
ぐらいに取り繕って答える。
「
と病室を見舞って食卓につくが、三十九度以上は一膳、八度台は二膳、七度台で定量の三膳を召し上る。子供が病気になると自分も半病人だ。それから寝るまで幾度二階から下りて来るかも知れない。
「俺は積極的に活動することなら
と兜を脱いでいる。騒ぐ丈けで一向役に立たないのに、自分では相応
ところで
一概に医者といっても個人個人の性質によって違うのだろうが、この佐久間先生はナカナカ面白い人だ。もう可なり古い医学士で、僕達は赤ん坊の時からの馴染である。以前陸軍にいた関係からお祖父さんと懇意だったので、僕の家は何でも佐久間さんだ。内科外科小児科と有らゆる看板を出しているが、子供が好きだから、いつの間にか小児科が先ず専門になっている。内科も相応にやる。外科は不器用だから手荒くていけない。
「私は念の為め必ず必要以上に切ります」
と言っている。
「
と至って正直だ。見ず知らずの人の外は手術をしないらしい。
斯う打ち解けた間柄だから、診察に来ると
「皆丈夫ですが、田舎の高等学校へ行っている次男がこの頃
なぞと矢張り子煩悩と見えて、息子さん達が

「
とお父さんは子供の病気には特に同情する。
「早く手術を受けろと言って、金まで送ってやったんですが、
「何ういう妙案ですか?」
「
「成程、お父さんの手術なら退っ引きなりませんな」
「いや、私は痔の手術ではこれまで度々
と佐久間さんは笑っていた。
「医者の
「養生の為めの生活ですか? 生活の為めの養生ですか?」
と理窟をつける。この辺が共鳴すると見えて、お父さんと話が合う。猛烈な喫煙家で、以前は一銭蒸汽という
「先生は唯今手の放せないことをしていられますから、後刻伺います」
と書生が答える。まさか晩酌中だとも言えない。しかし約束は必ず守る。後刻
僕が佐久間先生を面白いお医者さんだと思ったのは尋常六年の時だった。天然痘が
「先生今日も又いたずら小僧共が裏の梅を盗みに来ています」
と薬局生が
「何人来ている?」
「十人ばかりいます。表から廻って捉えましょうか?」
「うっちゃって置け。うっちゃって置け」
「皆取ってしまいますよ」
「取れば結構さ」
「何故です?」
「あの梅は未だ種が
と笑いながら先生は僕の種痘にかかった。これだから佐久間医院は小児科の患者が多いのだろうと思った。
「奥さん、何うでしょう? 私は診察料を
と佐久間さんが訊いたことがある。天真爛漫だから疑問とするところを直ぐ口に出す。しかし斯ういうのは殊に答え
「まあ、御冗談を······」
と
「実は私はこの間靴屋に仇を討たれましたよ」
「靴屋でございますか?」
「あの私の家の直ぐ側の靴屋です。彼奴はナカナカ理窟を言いますぜ。靴が大分傷みましたから、一足買う積りで、通りがかりに寄ったんです。しかし
「まあまあ」
「それが本気なんですよ。『この間
と気がついて、佐久間さんは帰って行った。
この先生は、正月早々から二週間毎日来た。お母さん丈けだと然うでもないが、お父さんが居合せると種々の余談が出る。絹子さんが苦しがったので夜分再度の来診を頼んだ時、佐久間さんは矢張り手が放せないということだったが、後刻赤い顔をして駈けつけた。斯ういう折からは殊に元気が好い。
「
とお父さんは度々の御足労に対して言訳らしく説明した。
「ははあ、又腫れましたな。これでは多少痛みましょう。扁桃腺炎ばかりでなく、俗にいうお
と佐久間さんは一向驚かない。
「頬が
と頻りに気にするのを、
「いいえ、そんなでもありませんよ」
とお母さんが控え目に教えているのにお医者さんは有りのままを言う。それにしても美顔術を根本的にやる積りで上京した人がお多福風に取りつかれるとは如何にも皮肉だった。
「どれ、拝見致しましょう」
と佐久間さんは診察に取りかかった。
「痛むにも痛みますが、この腫れは直りましょうか?」
と絹子さんは泣き声を出して訊いた。
「直りますとも。こんなお顔に固定しちゃ大変です。
「化膿するようなことはありませんでしょうか?」
「大丈夫です。昨今斯ういうのが
「でも万一化膿すれば切開でございましょうね?」
「それは
と佐久間さんは保証した。絹子さんは納得が行ったようだった。痛いよりは腫れたので夕刻から泣いていたのである。
「源太郎さん、私、苦しくて仕方ありませんの。もう一遍先生に来て戴けないでしょうか?」
と言って夕方僕に頼んだ時、
「痛いのは
とお父さんは苦痛とばかり信じているから、例によって短兵急だった。
「精出してお冷しになるより外手当の仕様がありません。二三日の御辛抱です」
と佐久間さんはいつも氷で冷す外に智慧のないことを告白させられる。
「私は苦痛という奴が快感とまで行かなくても、例えば立ったり坐ったりする動作のような中性のものだったら、
と忍耐力に乏しいお父さんは今度は自然法に故障を申込む。
「ははあ、豪い改良意見ですな」
「医者の方で苦痛を根滅する発明をしませんかな?」
「しかしそれは危険ですよ。苦痛は矢張り不快感のところに価値があるんです。中性だったら例えば怪我をした場合、腕が一本取れても気がつきますまい。痛いから
「成程、そんな場合もありましょうな」
「もし快感だった日には生物が自滅しますぜ。
「成程、理窟ですな」
とお父さんも
「時に大内さん、私は長年各階級の患者を取扱った結果、この問題について面白い事実を発見しています」
「何ういうことですか?」
「苦痛は富の程度に正比例するという真理です」
「ははあ」
「よくしたもので、同程度の病気にかかった金持と貧乏人では、金持の方が遥かに余計に苦みます。金持は
「矢張り天の
「
「私のところは強い方ですか、弱い方ですか」
「弱いですよ。知識階級は精神的の金持ですから、矢張りいけません。医者を一日に二度呼びます」
「おやおや、巧く
「ハッハハハ。冗談ですよ。それではお
と佐久間先生、ナカナカ味をやる。
絹子さんも郁子も追々
「気をつけなければ困るよ」
とお母さんの責任にした。
「随分気をつけているんですが、この二三日急に寒くなったからでしょう。
「下るものか。佐久間さんは何と言った?」
「別に何とも仰有いません」
「九度もあるのにそんなことじゃ困る。もう一度見て貰いなさい」
「でも食慾もございますし、元気も
とお母さんは始終ついているのだから、
お父さんは御飯を一膳で済ませて、又郁子と千代子の病室へ行った。千代子の額へ手を当てて見て、
「あるね。咳も出る」
と言って、早速佐久間さんへ電話をかけた。先生は手の放されないことを丁度果した刻限だったから、直ぐ来てくれた。
「再三恐れ入りますが、余り熱が高い上に咳も出ますから······」
とお父さんはこの間で懲りて、予め弁解した。
「いや、
と佐久間さんは直ぐ診察にかかって、
「胸には異状ありません。少し下っているようですよ」
と検温器を挾んだ。
「何か熱の早く下る方法はありませんかな?」
「今日から又熱さましを差上げてあります。二三日の御辛抱です」
と
「下ったですよ。七度六分です」
と佐久間さんは検温器を取り出した。
「それ御覧なさいませ」
とお母さんは嬉しがった。
「それじゃ今下ったんだ。
とお父さんは

「
と
「いや、それは何処でも然うですよ。私なぞも家の子供が病気になると、自分では手がつけられません。矢っ張り迷うんですな。しかし考えて見ると、人間は滅多に死ぬものじゃありませんよ。欧洲戦争の死亡率が二十パーセントかそこらでしたろう? 両方で殺し合っても、それぐらいのものです。
と言って佐久間さんが玄関へ向った時、お祖父さんが現れて、
「や、度々御足労をかけます」
と挨拶をした。
「何うも御縁が切れなくて困ります。しかしもう御心配はありません。時に閣下、閣下のお顔を拝見して思い出しましたが、神沢閣下が亡くなりましたな? 先刻夕刊で拝見しました」
「ははあ、
「御存知なかったですか?
「ははあ、太っていましたからな」
「矢っ張り死ぬじゃありませんか?」
とお父さんは揚げ足を取った。
佐久間さんを見送ってから夕刊を拡げると、成程、正三位勲一等功三級······と神沢さんが隅の方の黒枠の中で死んでいた。
「どれ。ふうむ。
とお祖父さんは旧戦友の面影を浮べているようだった。
「お祖父さん
と僕はもう一枚の夕刊の
「どれどれ」
とお祖父さんは奪うようにして一読した後、
「驚いたなあ。
と呟いて眼鏡越しに僕の顔を見つめた。
「神沢さんて
と僕もこの将軍の武勲と共に覚えがある。
「
「お父さん、お悔みですか?」
「然うだ」
「明日にして戴きたいものですな。今夜は寒いです。この上風引きが出来ちゃ溜まりません」
とお父さんは
浩二は数の観念が強い。数えられるものは何でも数えて見る。初めて算術を習った尋常一年生は物の勘定が面白いのらしい。家中の畳の数や電燈の数は固よりのこと、障子の
「駄目だよ、前が沢山止まっている」
と僕が教えたら、
「幾つ止まっているか勘定して見よう」
と言って、二十一台立往生をしていることを確めた。同じものが並んでいると屹度数える。冗談でも数に関係のあるのを喜ぶ。
「兄さん、雀が十羽いるのを一羽鉄砲で打てば何羽残りますか?」
なぞと言って僕を引っかけに来る。これは
「それは無論九羽残るさ」
と答えてやる。すると、
「いいえ、一羽も残りませんよ。鉄砲の音で皆逃げてしまいます」
と天晴れ兄貴をやり込めた積りでいる。しかし時には
「お父さん、家の梯子段は何段ありますか?」
と突然訊かれた折、お父さんは、
「これは一つ浩二にやられたよ」
と直ぐに兜を脱いだ。知らないものとしては自分の家の梯子段の数が諺になっている。
「一番上を入れて十二段ですよ」
と浩二は勘定していた。
さて、節分の晩、お祖父さんは離れから茶の間へ入って来て、
「さあ、今年も無事で豆を
と一種の感慨を洩らした時、
「お祖父さん、家中の人の年を合せると二百八十七になりますよ」
と浩二が言った。今夜は年越しだと聞いて聯想したのである。
「二百八十七? それぐらいのものかね」
とお祖父さんはお祖母さんと二人丈けでも百三十幾つになるから、もっと多いと思っていたのらしい。
「お蔦を入れれば三百八、絹子さんも入れれば十一人で三百二十八ですわ」
と千代子も
「
とお祖父さんは笑っていた。
「病人騒ぎで忘れていましたが、七十におなりでしたな?」
と子供の年さえ始終うろ覚えのお父さんが案外図星を指した。
「
「お祝いのことを考えていました。私ぐらいの年になって両親の揃っているものは滅多にありませんよ。子の方から言っても古来稀です」
「まあまあ当分は大丈夫だろう」
とお祖父さんは
「何よりですよ。一つ季節の好い時に一
「
「その時は又その時です。しかしそれも決して望めないことじゃありませんよ」
「さあ、
「そんなになりますかなあ」
とお父さんはそこまでは考えなかった。
「浩二が中学校へ入ると七十五さ。それぐらいまでは
「オホホホホ、手に取るようでございますね」
とお母さんはこんな話が大好きだから、黙っていられなかった。
「
「今お祖母さんが
「
と独りごとのように言って、お祖父さんは立って行った。
人間、六十七十になると若い時分の
「大将閣下は弘化元年生れの八十二歳だったそうだから、お年に不足はない。
とあって、苦情は言わない。自分と同じ少将でも、
「あの男は確か
と綺麗に諦めのつくのもある。大将でも少将でも、先に生れたものが先に死ぬのは
「四十五ぐらいでは若死だが、こればかりは何うも仕方がない。矢張りそれまでの約束ごとだったろう」
と
「今度は
と冗談のように
丈夫だといっても年寄は先が見えている。
「
と相談した。
「ありますとも。『千本桜』の椎の木場に負けないような奴を持って参ります」
「大きい分にはいくら大きくても
「かしこまりました。旦那、植木屋は御隠居さん相手に限りますよ」
と親爺は喜んだ。
「何故ね?」
「若旦那なら中どころを御註文なさいまさあ。若い方は
「成程」
「三年五年と木の伸びるのを待っちゃいられません」
「如何にも
「安政五年、午の六十九です」
「ふうむ、それじゃ
「それ、御覧じませ。旦那の方が爺さんです。大きいのを植えようか小さいので間に合せようかという時、
「巧いことを言う。よしよし、それじゃ一つ煽てに乗って、うんと太い奴を植えようよ」
とお祖父さんは椎の木一本にも
それ以来僕は年寄に死ということを成るべく聯想させまいとして、子供心にも、及ばずながら努めている。高齢の相場も大に繰り上げた。
「もう六十七だそうです」
と今までなら言う場合に、
「まだ六十七だそうです」
とやる。もうではもう先がないように聞える。まだなら、
「何あに、これは
と理窟をつけていたが、昨今は再び真黒になっている。
「あなたは好い塩梅に御丈夫になったと見えて、白髪が
とお母さんが怪んだくらいだった。
「頭の毛が引っ込んで溜まるものか。これには
とお父さんは笑っていた。
「お染めになるんですか?」
「いや、まだ染めるほどのこともないから、黒チックを塗っている」
「そんなものがあるんですか?」
「あるとも。松屋で売っている。当分はあれで誤魔化せる」
「そんなものを塗ってまでもお若く見せたいんですかね?」
「いや、これは親孝行さ。
「へへえ、結構な親孝行でございますわね。カッフェなぞへ行ってもお若く見えましょうから、一挙両得で自然励みが出ますわね」
とお母さんは冷やかした。
つい話が横道に
「絹子さん、あなたもお拾いなさいよ」
と敏子が勧めたけれど、
「私、拝見致しますわ」
と絹子さんは辞退した。
「玄関から撒くかな?」
とお祖父さんは一同を顧みた。
「提燈持ちは先よ」
と促されて、浩二が玄関の障子を明け放つ。
「鬼はあ
と軍隊で鍛えた
「何でしょう?」
とお母さんが
「鬼か知ら?」
と浩二が提燈を
「僕ですよ。ああ、吃驚した」
と言って入って来たのは四谷の芳夫さんだった。
「福はあ内! 福はあ内!」
とお祖父さんは、早速
「さあ、早くお上りなさいよ」
とお母さんが
「格子へ手をかけようとした時、突拍子もない大声がしたものだから、尻餅をついたんですよ。そこへブルが飛んで来て顔を
と芳夫さんはズボンの埃を叩いたり、額を拭いたりした。
それからお祖父さんは方々撒き廻って、最後に二階の座敷で、
「さあ、皆拾うんだよ」
とお三
「僕も拾います」
と芳夫さんも仲間に入った。
「私も」
と絹子さんがその隣りに坐った。次いで、
「鬼はあ外! 福はあ内!」
と豆に交ってチョコレートやキャラメルがバラバラ降り始めた。それを競争で自分のところへ掻き込むのだから、キャッキャッという大騒ぎだ。勢い、強いもの勝ちになる。お祖父さんが手加減をしたと見えて、
「狡いわ狡いわ。浩二と千代子のところへばかり撒くんですもの」
と郁子から苦情が出た。芳夫さんは野球の心得があるから、滑り込みを利用して他の領分を侵す。
「鬼はあ外! 福はあ内!」
とお祖父さんが一段と高く叫んで撒き終った時、
「失礼失礼。これは失礼」
と芳夫さんの慌て声が聞えた。見ると、芳夫さんのチョッキのボタンが絹子さんの髪に引っかかって、二人とも困っていた。起きれば釣れて絹子さんが痛いから、
「叔母さん、叔母さん」
と助けを求めた。
「まあまあ」
とお母さんは取り外すのに多少手間がかかった。髪と網が
「
と芳夫さんは重ねてあやまった。
「いいえ」
と会釈して、絹子さんは真赤になっていたが、
「あらまあ! 折角拾ったのを皆拾われてしまいましたわ」
と気がついた。
「僕のもない」
と芳夫さんも驚いた。
「チョコレートが四十一、キャラメルが五十三、豆がこんなに沢山」
と浩二は勘定していた。絹子さんのは千代子が拾ったと見えて、これも郁子や敏子よりは遙かに
「実に機敏だね。この分なら社会へ出ても大丈夫だ」
と言って、お父さんは笑っていた。子供連中は用意の紙に獲得物を包んで、大喜びをしながら茶の間へ下りて行った。
「何うぞ御ゆっくり」
とお祖父さんも去って、後にはお父さんお母さんと芳夫さんと僕が残った。
「ここは寒いから書斎へ行きましょう。源太郎、その座蒲団を持ってお
とお父さんは芳夫さんのお相手に僕を引き留めて置く積りだった。
「今夜は
と芳夫さんは書斎の火鉢の
「随分久しくお見えにならなかったのね。
とお母さんが訊いた。
「皆ピンピンしています」
「
「誰がお悪かったんですか?」
「郁子と千代子と今のあの娘さんがナカナカ重い風邪でね」
「然うでしたか。あれは何処の方ですか?」
「
「綺麗ですなあ」
「芳夫さん、お貰いになっちゃ何うです? 嫁入口を探しに出て来たんですから」
とお父さんが諢った。
「
「真正ですよ」
「真正ですけれど、芳夫さんのように来る度に勤め先の変る人は駄目ですわ。私、あなたの顔を見ると、又
「実はそのことで御相談に上ったんです」
「厭やですよ厭やですよ」
「兎に角背水の陣を張る積りで、もう辞表を出してしまったから仕方ありません」
「それじゃ相談でも何でもないじゃありませんか」
「何処か当てがあるんですか?」
とお父さんも
「教育界へ入ろうと思っています。実は学校を卒業する時、研究生として残らないかと或教授が勧めてくれたんですが、僕よりもっと成績の好い人が大勢ありましたから、遠慮していました。ところが、この間その教授に会ったら、来るなら都合をつけてやると仰有るんです」
「それは
「
「定ってから辞表を出しても晩くはありませんのにね」
と実業界の大好きなお母さんは惜しがった。
「しかし見す見す
「お父さんやお母さんに御相談なすったの?」
「ええ。もう呆れて、
「
「けれども叔母さん、家に多少金のあるのを当てにして腰が落ちつかないように思われちゃ困りますよ。僕は
「その精神さえあれば結構ですよ」
とお父さんは芳夫さんを能く理解している。
「家賃で食って行くなぞは
「何がひどいの?」
「一も金二も金です。金が
「それも
「
「学校の先生でも芳夫さんのは大学でしょう」
「
「それなら勉強次第で博士になれますわ」
「なったって詰まりません」
「仕様がないのね。お金も名誉も要らないんじゃ
とお母さんは下りて行った。
「その学校の方の口が
「大丈夫定りますよ。この間訊いて見ましたら、僕は三越へ入るような悪い成績じゃなかったんです」
「元来行くべき方面へ行くんだから、今度は動きますまい?」
「もう動きませんよ。時に叔父さん、その
と、この時芳夫さんは短冊掛けを見上げながら尋ねた。
「これかね? おやおや、
「ええ」
「月並みだけれど、
とお父さんは褒めてくれた。
「はあ」
と僕は益

「御丈夫で結構ですな。僕は来年もチョコレートを拾いに来ます」
「又
とお父さんが言ったところを見ると、お母さんとの間に絹子さんについてもう何か話があるように
新聞に新郎新婦のことが
「新郎A君は○○銀行頭取○○○○氏の長男、○○大学を十年計画にて卒業したる
というような現実
「新郎清太郎君は商科大学卒業の秀才にして海軍主計監河野信広氏の
といった具合に書く。獣医学とは博士を捜した跡が歴然としている。息子と
「帝国ホテルの披露会一切を背負って立つ親達は単に縁の下の力持ちを勤めるんだから気の毒だよ。しかし何か肩書をつけないと折角紹介してやっても、
とお父さんはこんな何うでも宜いことでも必ず社会に責任を負わせる。新聞記者が悪いとは決して仰有らない。
結婚は新聞の記事か雑誌の口絵で見るものと思っていたら、つい鼻の先に一つ出来かけているのには驚いた。僕も案外
「嫁でも貰ったら少しは落ちつきましょうと思って心掛けているんですが、ナカナカ
と仰有ったのでも分る。もう一方は又縁談の
「源太郎や、芳夫さんだけれど、お前は
と仰有って予め僕を遠ざけた。子供の出る幕じゃなかったのである。
もう一方絹子さんは何うかというと、一向変った
「相変らずお忙しいようですな?」
と訊くと、
「一日立ち通しですよ。眼科の十六倍忙しい勘定です。目は二つ歯は三十二枚、そこを見越して開業したんですから、
と答える。この先生の診察の結果、前歯二枚は何うせ長くは持たないから削り取って

「もしもし姉さんでございますか? 先日は失礼申上げました。はあ、はあ、はあ、
と女は
「······ここ二三日か三四日ですの。お分りにならなくて? あらまあ、

とお母さんは通話を終った。僕は一旦玄関へ引き返して、
「お母さん、唯今」
と取り繕った。
「お帰りなさい」
とお母さんはドウナッツを出してくれた。学校から帰ればおやつを頂戴することに
「お母さん、絹子さんは芳夫さんと結婚なさるんですか?」
と僕はドウナッツを喰べながら訊いて見た。
「さあ、
「でもお父さんがこの間芳夫さんにお貰いなさいって
「あれは冗談ですよ。子供がそんなことを口に出すものじゃありません」
とお母さんは僕を圧迫してしまった。
兎に角その翌日、絹子さんは前歯を二枚削り取って来て、
「
と鏡ばかり見ていた。好いと思っても鏡を見る。悪いと思っても鏡を見る。実際鏡は女の魂だ。僕はお母さんの電話を考え出して一つ
「
とお母さんが訊いたから、
「四谷の芳夫さん······」
とまで言って、ラジオを聴いていた絹子さんを顧みた。すると絹子さんは
「······に
と後を附け足したら、安心したように
或日絹子さんは僕の勉強部屋へ来て話し込んでいる中に、受験準備の書物を
「こんなに沢山読むんじゃ源太郎さんも大変ね」
と慰問してくれた。
「
「けれどもあなたなんか秀才だから大丈夫よ。始終一番でしょう?」
「学校の成績なんか当てになりませんよ」
と僕は謙遜したが、絹子さんは、
「矢っ張り一番や二番は実力があるんですから、保証つきですわ」
と言ってくれないで、
「あの芳夫さんも秀才でございましょうね?」
と尋ねた。元来僕の勉強に同情したのでなくて、問題を四谷へ持って行きたかったのである。
「
と僕はお父さんの鑑定通りを紹介した。
「銀行をおやめになったんだそうですね?」
「ええ。やめることは
「まあ、三越へ勤めていらっしゃいましたの?」
「ええ。しかし越後屋の長松どんじゃ満足しないんです」
「ホホ、面白い源太郎さんね」
「いいえ、自分で
「銀行の方は何故おやめになったの?」
「金網の中に入っているのは動物園のようで
「まあ。それで今度は学校へお出になるんですね?」
「ええ」
「源太郎さんとは
と絹子さんは差当り訊くことがなくなったものだから、分り切った質問で話を
「ええ。子供の時から
「あの方今まで何か悪い評判はなかったこと?」
「落第ですか?」
「いいえ、外のことで」
「カンニング?」
「違うわよ」
「ああ分った。お金を使ったかと
「まあその辺よ」
「人格は保証します」
と僕は断言した。
「時々お見えになりますの?」
「卒業してからは滅多にお
「慶応大学ですってね?」
「ええ、今度洋行して教授になるんですから、大喜びです」
「いつ洋行なさるの?」
「二三年の中だと言っていました」
「博士になるんでしょうね?」
「なりますとも。お気に召しましたか?」
「あらまあ、
「僕、知っていますよ」
「何を?」
「何をって」
「子供がそんなことを仰有るものじゃありませんよ」
と
縁談中の女性はこれで可なり観察したから、今度は男性を研究しようと思って、僕は或日四谷へ電話をかけた。
「芳夫さんですか? はあはあ。僕、大内です。源太郎です。いや、
「よし、今から直ぐ行く」
「いいえ、お
といくら言っても返答のないのは、もう切ってしまったのである。実に気が早い。観察するのに来て貰っては気の毒だから、僕はもう一遍かけ直した。
「もしもし、畑さんですか? 僕、大内ですが、芳夫さんにもう一度電話口までお
「
と矢張り
「はあ」
と待つこと
「もしもし、若旦那さまは急用がございまして、もうお出掛けになりました。実は門まで追って参ったんですが、丁度電車に飛び乗りをなすったところでございましたの」
という返事。
「
と僕は
それから一時間とたたない中に玄関で声がした。僕が出て行ったら芳夫さんはもう茶の間へ上り込んで、
「やあ源太郎さん、代数を見に来たよ」
と
「まあ! よくお
とお母さんが台所から現れた。
「叔母さん、今日は家庭教師です。源太郎さんが代数を見てくれって電話をおかけになったから、急いで参りました」
と芳夫さんは誤解のないように断った。郁子と敏子も挨拶に出たが、絹子さんは姿を見せなかった。
「僕の方から伺う積りだったんですが······」
「いや構わないよ。銀行をやめて
「それでは早速願いましょうか?」
と僕は芳夫さんを離れへ案内した。
「やあ、芳夫さん、よくお
と縁側で蘭の鉢を
「お変りもございませんか? 今日は源太郎さんの代数を見に上りました」
と又断って、芳夫さんは僕の勉強部屋へ入った。
「随分早かったんですね?」
と僕は内心恐縮していた。
「これが僕のところからのレコードだろうね。電車運が好かったから、
「お家の前で飛び乗りをなすったでしょう?」
「能く知っているね。乗換も飛び乗りさ」
「危いですな」
「何あに、大丈夫さ。時に代数だが、この方は頗る怪しいものだぜ。入学試験の頃は相応やったが、もう
と芳夫さんは弱音を吹いた。
「そんなこともないでしょう」
「まあ、やって見ようか。何れだね? 成るべく易しい奴にしてくれ給え。大変な先生だろう?」
「これですよ」
と僕は手当り次第に一題指し示した。気がつくと、それは自分で出来たのだったが、目的は観察にある。しかし芳夫さんはそれを解くのに三十分もかかった。
「
「いいえ、結構ですよ」
「英語なら確信があるけれど、数学は駄目だ」
と芳夫さんは
「慶応大学の方は
「
「
と僕は
「
と芳夫さんも絹子さん同様僕を利用して早速目的物に達した。縁談中の男女は常に敵本主義を心掛ける。
「しかし絹子さんと僕達は又いとこですよ」
「然う然う。お父さん同志が従兄弟だってね。それにしても似ているよ」
「顔よりも声が似ています。そら、あれが郁子です。今のが絹子さんです」
と僕は縁側伝いに洩れて来る
「ああ、あれだね。笑っている笑っている」
と家庭教師は
「芳夫さん、面白いものを御覧に入れましょうか?」
と僕は絹子さんと僕の写っている新聞写真の切り抜きを机の中から引き出した。
「やあ、絹子さんと君だね?」
「ええ、暮に銀座を歩いていたら偶然家の新聞が写したんです」
「よく写っているよ」
と芳夫さんはいつまでも放さない。
「もう一つ切り抜きがあります。今度は記事ですよ」
と言って、僕は小さな紙切を渡した。
「おやおや、これは驚いた。何新聞に出ていたの?」
と芳夫さんは飛び立たないばかりに
「新郎芳夫君は東京市市会議員畑孫一郎氏の長男、慶応大学卒業の秀才にして同大学少壮教授、新婦絹子さんは静岡県浜松在の
とある。
「ハッハハハハ。これは僕が拵えたんですよ」
「でも
「新聞の活字を
と僕はお得意だった。明るい時では細工が分ると思って、時機を見計らっていたのである。
「成程、
「半日かかりましたよ」
「こんなことに時間を潰していると入学試験に落第するぜ」
と芳夫さんは
「この二つは参考の為めに貰って置く」
と言って
「芳夫さん、この間絹子さんがあなたのことを訊きましたよ」
と僕は電燈を
「何て?」
「
「種々って、
「何故然う頻繁に職業を変えるんですかって」
「ふうむ。君は何と言ったい?」
「その方は名人ですって」
「ひどいね。それから?」
「それから芳夫さんは今までに何か評判の悪いことはありませんでしたかって」
「
「学校時代に少しお金を使って一週間ばかり家へお
「それを喋ったのかい?」
「いいえ、悪いことは黙っている方が
「しかし源太郎さん、あれは友人の借金証文に判を
「それですから人柄は極く
「おやおや。それから?」
「それぐらいのものですよ」
「安心した」
「もう話が大分進んでいるんでしょう?」
「何の?」
「縁談ですよ」
「フッフフフフ。君、知っているのかい?」
「知っていますよ」
「それじゃ話すが、もう殆んど
「
「
「あれで決心がついたんですか?」
「
と芳夫さんは男らしく告白した。しかし僕に対して尊厳を保つ為めに余程言葉を
「芳夫さんも兄さんも御飯でございますよ」
と折から郁子が障子越しに注進した。
「又絹子さんが一緒ですよ」
と僕は注意してやった。
「もう大丈夫だよ。ハハハハハ」
と
さて、
「
と例によってお隣りの文一君が訊く。
「駄目だよ」
と僕は相変らず確信がない。
「何うだい、暗記ものの方は?」
と文一君は僕の準備の
「受験者が皆流感にでも
と僕は簡便法を考えたことがある。
「病気にならなくても電車の故障か何かで遅刻すれば宜い。一人でも
と文一君も競争者を
「源太郎や、お前大丈夫かね?」
とお母さんが始終念を押す。
「駄目だって言っているじゃありませんか?」
と僕は癇癪を起す。確信のないところへ期待されては荷が重過ぎる。文一君も入学試験のことを言われると直ぐ怒るそうだ。
四谷の芳夫さんは一度家庭教師に頼まれたのを好い口実にして時々やって来る。しかし元来数学はお得意でない上に絹子さんのことばかり考えているから、
「今日はもうこれで
と僕は一二題で御免蒙る。
「
と芳夫さんは決して長追いをしない。直ぐに茶の間へ行ってしまう。その折絹子さんは屹度茶の間で新聞を読んでいるから不思議だ。芳夫さんの手の明くのを待っているのである。
「源太郎さん、あなたそんなにラジオなんか
「もう駄目と覚悟をしているんですよ」
「そんなことはありませんわ。英語が好いんですから有望ですって芳夫さんが仰有っていましたよ。もっと数学を御勉強なすったら
と絹子さんは御催促に及ぶ。
「勉強しているんですよ、これでも。代数の分らないのが二つ三つ溜まっていますから、今夜あたり又芳夫さんに来て戴かなければなりません」
と僕は気を利かして早速四谷へ電話をかける。
芳夫さんは数学は
「出来れば必ず入れます」
というような思い切りの好いことは言わない。受験者は出来なくても入りたいから
「出来て及第するのは当り前さ。イヨイヨ
という積極方針を授けてくれる。
「カンニングをやるんですか?」
と僕は驚いてしまう。
「いや、不正行為は絶対にいけない。しかし試験場へ入ったら馬鹿正直は慎み給え」
「一体何うするんですか?」
「出来ないからって白紙を出すようじゃお話にならない。
「それは
「例えば地理の試験に北極の動物を十挙げろという問題が出たら、君は何う書く?」
「そんな簡単な問題は出ませんよ」
「いや、仮りにさ。完全に出来なかった場合、然るべく書く方式の研究をするのさ。北極には
「
「
「
「それで漸く三つだ。三点しか取れない」
「北極熊」
「四点」
「もう思いつきません」
「四点じゃ落第だ。もっと考えて見る。それでも駄目だったら、北極熊四頭、白狐二疋、海豹二疋、猟虎二疋と書き給え」
「何あんだ。人を馬鹿にしている」
「いや、これはイヨイヨ切羽詰まった折の要領さ。動物の名前を四つ書いて後を余白にして置けば一目瞭然四点と定ってしまう。間違いっこない。しかし今のようにして置くと、兎に角賑かだから五点貰えないとも限らない」
「まさか」
「いや、入学試験の時には何千枚という答案を見るんだから、採点者も好い加減頭が馬鹿になっている。つい釣り込まれて、二疋に二疋······と勘定ぐらいするぜ。同じ四点を取るにしても余計な労力をかけてやれば腹癒せになる。元来試験官と受験者は
と芳夫さんは四月から先生になるのだけれども、今のところは未だ学生
或晩代数の稽古が済んだ後、
「芳夫さんの方の大学も入学試験がむずかしいんでございますね。郷里の知った人の息子さんが二度失敗して今度は三度目でございますのよ」
と絹子さんが話しかけた。
「随分競争が激しいんですよ。五六千人来ますからね」
「まあ!」
「斯うなると、教職員丈けじゃ手が廻りませんから、上級の学生が手伝いを頼まれます。私も去年監督員を志望して日当を三円稼ぎました。二日で六円」
「オホホホホホ」
「しかしこれは受験生の油を
「まあ乱暴な先生ですわね」
「先生じゃないんですもの。けれども背広を着ていましたから、受験生は教師だと思って、『先生、時間は後何分ございますか?』なんて改まって訊きましたよ。
と芳夫さんは代数の問題を解く時のように
「皆一生懸命でしょうね」
と僕も入学試験のことだと身につまされて話し込む。
「目色が変っています。見ていても息が詰まるようです。しかし監督員の中には、不断自分が試験で
「可哀そうですわね。源太郎さん、あなた毎晩数学をお習いなさいよ」
と絹子さんが注意してくれた。
「精々やりましょう」
「しかし
「そんなことをされちゃ溜りませんな」
「直ぐ前の席の男が出して行った答案を取って自分の名を書き込んだのです。そこへ私が廻って行ったものですから慌てて出てしまいましたが、自分の答案に名前を書いていなかったところを見ると、初めからその計画でいたんですな」
「ひどい奴があったものですね」
「しかし学校の方では答案用紙に一々受験番号を打って置きますから、そんなことをしたって直ぐ分ってしまいます。後から調べて見たら、
「
「六千人というと大変なものですよ。電車も学校の前の線は車台を増して運転しますが、
「いつか活動写真で見ましたが、僕もあれじゃ溜まらないと思って
「あれは地方へ宣伝の為めに学校で写したのです。しかし採点するところまで撮ったのは失敗でした」
「何故ですか?」
「試験官の答案の見方が速過ぎるという苦情が出たんです。『一年かかって書いた答案をああチョイチョイと不親切にやられちゃ張り合いがないから、あすこはもう受けない』と毎年落第する連中が憤慨したそうです」
「実際そんなに速いんですか?」
「いや、先生は丁寧に見ますよ。毎日毎日朝から晩まで調査室に閉じこもって御苦労なものです。採点後必ず神経衰弱を起すくらい念の入った人もあるんですが、活動写真って奴は
と芳夫さんは頗る得意だった。
「そんなものでございましょうね」
と絹子さんは感心して、
お父さんは放任主義だから、僕がこんなに入学試験の為めに苦労していても一向頓着ない。単に、
「あすこには昔の友人がいるから、
と仰有ったばかりだった。何うせ縁起の好いことは言わない。尚お、
「願書が
と催促してくれた。
「願書は文一君と一緒に出します」
と僕は答えて置いた。そこで学校が休みになった日に文一君と連れ立って一高へ手続きをしに行った。これは文一君のお父さんが暦を調べて一番好い日を選んでくれたのである。成程、吉日だと見えて、早目に出掛けたにも拘らず、もう大勢詰めかけていた。僕達のように中学生ばかりでない。
「大内君、五十人からいるぜ。そうして皆強そうな人ばかりだ」
と文一君は
「何あに、腕力の試験じゃないんだから大丈夫だよ」
と
「大変だね。この分じゃ二千を越すぜ」
と文一君が言った。
「無論さ。後二日あるから二千五百ぐらいになるだろう」
「やれやれ、
「お互いさまだよ。僕のは僕のところの電話番号よりも百多い」
「こんなことなら、用心の為めに第二班をかけて置くんだったになあ」
「しかし田舎へ行っちゃ詰まらないよ」
「それでさ」
「ラジオの聞えないところへ行くと時勢に
と僕は決心丈けは堅い。
「同感同感!」
とこの時太いステッキをついた
僕はもう観察修行は犠牲にして、
「源太郎や、お前気の毒だけれど、絹子さんと一緒に東京駅までお迎いに行っておくれ」
とお母さんが小声で仰有った。
「私一人で
と絹子さんは辞退したが、お父さんが出勤中だから、僕は代理を勤めなければならない。それに夏休みに遊びに行けば多大のお世話になる大伯父さんの
「何あに、構いませんよ」
と早速お供をした。
「源太郎さん、私、イヨイヨ
と絹子さんは途々名残り惜しそうにシミジミと話し出した。
「そんなことは
「何故ですの?」
「家庭教師が来なくなりますから」
と僕は日頃無意識で利用されているのでない旨を伝えてやった。
「あらまあ、随分ね」
と絹子さんは可なり利いたようだった。
「冗談は兎に角今度お
「オホホ、子供がそんなこと訊くもんじゃありませんよ」
「来年でしょう?」
と僕は
「もっと近いのよ」
「秋?」
「もっと」
「夏?」
「ええ、当ってよ」
と絹子さんは実は言いたかったのだ。順繰りに行けば誰だって当る。
晩にはお父さんの帰るまで名代の資格で客間へ御機嫌を伺って、
「源太郎さん、つい忘れていましたが、去年の秋は久作が上って
と絹子さんのお父さんが思い出した。
「
とお祖父さんが笑った。
「あの男の
「その後もう
と僕は訊いて見た。
「いや、可なり長く治まっていたのですが、あれから又癖がついてチョクチョクひっくり返るようですよ。東京で嫌いな帽子を無理に
「気の毒なことをしましたな」
と僕は好い面の皮だと思った。
「変りものだなあ」
とお祖父さんが
「変りものと言えば久太が死にましたよ」
「まあ! いつ」
と絹子さんが驚いた。これは僕も知っている有名な
「ついこの間のことさ。彼奴については面白い話があるんですよ。私は以前から承知していましたが、本人の稼ぎに
「やりましたとも。毎日やりました」
「叔父さんも御存じでしょう?」
「知っている。矢張り一銭銅貨をやった口だ。俺の行った頃には二銭銅貨があったから、その方を喜んだ」
とお祖父さんも
「久太は一銭銅貨と十銭の白銅を出すと、大きい方が徳だと言って、必ず一銭の方を取りました。一円紙幣と一銭銅貨を並べても、紙幣の方へは見向きもしません」
「低能ですわね。数の観念が
と絹子さんが説明した。
「ところが或日のこと私が


「ははあ、すると
「いや、
と絹子さんのお父さんは打ち興じた。
「
と絹子さんは今更口惜しがった。
「やあ、お賑かですな。よくお
と折からお父さんが帰って挨拶に現れた。僕は名代役が解けたから、失礼して勉強部屋へ罷り下った。
翌々日絹子さんはお父さんと一緒に帰郷の途についた。前日四谷と往復のあったことは言うまでもない。僕は郁子と敏子を連れて東京駅へ見送った。芳夫さんも来ていた。
「今度お
と敏子が車窓で
帰りは途中まで一緒だから、芳夫さんも同じ電車に乗って、
「源太郎君、もう数学はあれで沢山だから、これから
と忠告してくれた。僕は家庭教師の手を放れて専心勉強することになった。