何にする積りかこの間学校で担任の先生が
「無職!」
と元気好く答えた。おや。仲間があったか、と思ったら、僕は急に心丈夫になった。しかし先生は、
「無職! 実はその無職というのに困るのですが、全然無職という人は滅多にありません。何かしていらっしゃるでしょう?」
と森下君を追究した。
「何にもしていません」
「それなら金持で唯遊んでいらっしゃるのですか?」
「
と森下君は否定した。
「それでは生活は
と先生が立ち入った。
「
「それなら
「沢山あるようです」
「そうして御自分の地面でしょう?」
「そうです。地代も入ります」
というような問答のあった末、森下君のお父さんは地主という判決を受けた。そうして次は僕の番だった。
「無職です」
と答えて、僕はこれは矢張り簡単には済むまいと思ったから、立った儘でいた。果して先生は
「全然の無職には困りましたな。それならばお父さんは主に何をなすって一日をお送りですか?」
と訊いた。
「大抵本を読んでいます」
と僕は有りの儘を答えた。
「何ういう御本ですか?」
「さあ、文学の本が主です」
「それなら文学者ということにして置きましょう。全然無職では困る」
と先生は奥さんまで職業婦人の
調査はなお次から次へと進んだ。結局四十何名かの父兄の中で純粋に徒食を業としているものは僕のお父さんだけだった。皆何か彼かして、

「陸軍御用!」
と言って、直ぐに又、
「陸軍
と訂正した。
「御用商人ですか? 商業ですね?」
と先生は念を押して書き留めようとした。この時土屋君は「はい」と答えればそれで済んでしまったのに、
「
と説明を加えた。
「それでは製造業ですね?」
と先生は
「否、そうでもありません。やはり陸軍衛戍病院御用です」
と何処までも家業を官辺に結びつけようと努めた。
「病院へ納めると······成程、分りました。
「否、薬種じゃありません。もっと反対のものです」
「反対のもの? 一体何ですか?」
「拵えて病院へ納めるのです······
「あ、分りました。宜しい/\。もう宜しい」
と先生は妙に慌てゝ土屋君を坐らせた。皆はクス/\笑い出した。
僕は土屋君の努力を甚だ面白いと思った。


さて、余談は
「三輪さんがあんなに仰有ってお勧め下さるのですから、その学校へ
とつい

「今に何かやるよ。屹度やる。まあ/\
と気休めを言っただけで矢張りその儘になってしまったらしい。
お父さんに定職を望むのは僕よりもお母さんの方が急だ。殊に
「あなたは
「それは分っているよ」
「分っていらっしゃるなら、何かなすって戴きたいものですね」
「今にやると言っているじゃないか」
「あなたの、『今に』はこれで
「学校でも新聞でもだろう? そうして
「そう
「
「何にもさせますまいよ。図体が大きいから鹿爪らしい顔をして店に坐っていて呉れゝばそれで宜いと仰有っていましたわ。家で書斎のお机に坐っていらっしゃるのも店へ行って支配人の椅子に坐っていらっしゃるのも同じことじゃありませんか?」
「同じことだから家にいるのさ。そう/\急き立てるな。今に何かやる」
「私、あなたが何時までも商売なしでいらっしゃると里へ帰っても肩身が狭うございますわ。秋子のところでは自動車を買い入れるという勢ですもの。芳江のところでは博士になりましたしね。私、黙っていても実際気が気じゃありませんよ。それをお父さんは少しもお察しなく、私の顔を見ると何時も、『
お父さんはお母さんと話をする時には里のお祖父さんのことを鬼瓦々々と言う。その返報かお祖父さんの方では僕のお父さんを愚迂多羅兵衛と呼んでいるらしい。こう
もう一つお父さんの無職のためにお母さんが困るのは、客来の殆ど絶えないことだ。主人公が相手欲しやの閑人だから、友達が入り替り立ち替り押し寄せる。そうしてそれが愚迂多羅兵衛と肝胆相照らす手合ばかりだから、皆多少愚迂多羅気分を
「君のところへ来るのは一挙両得だね。必ず誰か仲間のものに会えるから、友達に御無沙汰ということがなくなる。
とか、
「何うです||正月は此処で会うのを年賀と見做して面倒な形式は一切廃そうじゃないか?」
とかと言って、家の客間を倶楽部と心得ているのがある。実に能く人が来る。去年町内が毎晩のように泥棒に襲われて両隣りまで難に遭った時僕のところだけ免れたのは余り人の出入が繁いので泥棒の方で怪しい家だと思ったのかも知れない。お父さんはこんな風でも平気だが、お母さんは忙しくて堪まらない。それに子供が多いから女中や婆やは手一杯で頻に愚痴を

こういう次第で僕はお父さんに早く何か始めて貰いたいと思っていたところへ、先生に「全然無職では困る」と言われたのだから、感銘が至って痛切だった。尤も先生は無職業では自分の調査の上から差支えると言うので、何も人間として不都合だという意味ではなかったのらしい。それにしてもやはり僕はその日は始終お父さんの職業問題が気になって、これを機会に一つ僕から諫めて見ようかと思いながら、学校の門を出た。電車道から家の方角へ折れた時、
「君のお父さんは文士なのかい?」
と道連れの森下君が突然尋ねた。
「否、文学者だよ」
と僕は答えた。
「文士と文学者とは違うのかい?」
と森下君は
「それは違うさ。文学を
と僕はお父さんの受売をした。実は文士だと言いたかったのだが、
「それじゃ君のお父さんはその書かない方の口だね?」
「そうさ」
「それじゃ僕のところも文学者と言うと宜かったにな。親父は始終講談本を読んでいる」
と森下君は残念がった。
家に着くと例によって客が来ていた。
「僕もイヨ/\何かやらなくちゃならない。今に/\と思っている中に年が寄ってしまうね」
とお父さんが言った。時の経つと共に年の
「何か感ずるところあったのかね」
と三輪さんが訊いた。
「別に発憤した
とお父さんが答えた。五人の子供があるのに青年の積りでいられてはお母さんが堪らない。三輪さんも稍

「ふうむ、君は青年だと思っていたのかい?」
と笑った。
「無論青年だとは思わないが、誰かの小説に
「小っぴどくやられたね。自ら任ずるところ余り若過ぎるからさ。そうして註文は見合せて来たね?」
「否、一も二もなく深ゴムということにして尻尾を捲いて逃げて来た。ところがその翌日のことだ。母の眼鏡の度が合わなくなったと言うから、僕が出た序に眼鏡屋へ寄ったと思い給え。『これより一二度強いのと入れ替えて貰いたいが』と頼むと、番頭は玉を
「
「学校は御免だよ。時間で縛られる商売は
「何をやるんだい?」
「何だか分らないが、兎に角やる」
「到頭隠居から苦情が出たんだね?」
「否、子を見ること親に
とお父さんは唯やる/\とばかり言って、何をやるのだかまだ見当がついていないらしい。けれども先頃までは、「やる」という動詞には必ず「今に」という未来の副詞を
「時に君は熊本だったが、熊本は余程まだ人文の進まないところだね」
と
「
と三輪さんは直ぐに釣り込まれた。
「水道もない。電車もない。都会というよりも森の中に家が沢山寄り集まっているようなところじゃないか?」
とお父さんは見て来たようなことを言った。
「能く知っているね」
と三輪さんは案外の感を語調に表した。
「日本にいて日本のことを知らなくて何うするものか。君は横手の五郎が
「横手の五郎? 知っているさ。しかし君は妙に熊本のことが明るいね!」
「
「豪いことを知っているね。何処で覚えて来たんだろう?」
「恐れ入ったもんだろう? まだ沢山あるんだが、
「その辺で恐らく種切れと認めるが、一寸驚いたよ。僕は子供の時に此方へ来てしまったから、今の『おてもやん』の歌なんか全くうろ覚えだ。誰から聞いたね?」
「実は必要があって最近に調査したのさ」
「熊本のことなら僕の親父が詳しいから、何でも訊いてやる。しかし何にするんだい?」
「書く支度さ。別に熊本に重きを置くんじゃない。今のは

とお父さんは高が名所見物か何かを北極探検のように
「ふうむ、大奮発だね」
と十何年かの
「
「道連れがあればこの上なしだ。実を言うと孤影飄然は少し心細いからね。しかし君は閑がないだろう?」
「休暇の時なら何うにでも都合をつける。それに例の神経衰弱で医者から保養を
「それじゃ君の春休みを待つかな」
そこでお父さんと三輪さんの間に一緒に旅行に出掛ける約束が忽ち成り立った。お父さんは余程以前からこういう
「団君、珍らしいことがあるぜ。村岡君がイヨ/\
と三輪さんは直ぐ
「ピックウィック・ペーパーズ? 何だい。ピックウィックてのは?」
と団さんは文学者でなくて建築の技師だ。
「君はヂッケンズを知らないのかい?」
と英文学専門の三輪さんは呆れたように言った。
「ヂッケンズ? 知らないね。そんな建築学者は少くとも英米にはないよ」
と団さんは眼中に小説家がない。
「然う/\、アイ

と三輪さんはヂッケンズは沙汰止みにして、お父さんの旅行の趣意を平明な言葉で説明した。しかし工学士は、
「それなら要するに遊覧旅行じゃないか? ピックウィックでもヂッケンズでもない。何うも君達は言うことが大袈裟でいけないよ」
と
「相変らず愛嬌がないね」
とお父さんが笑った。
「野郎共を相手に愛嬌を振り蒔いても始まらないさ。しかし君は
と団さんが訊いた。
「真正さ。三輪君も行くから君も来ないか?」
「まあ、御免蒙ろうよ」
「何故? 忙しいのかい?」
「
「それなら丁度誂え向きじゃないか? 行こうよ。君の郷里へも寄るよ。君は名古屋辺だったね」
「名古屋さ。名古屋も
「それじゃ『笹島駅から三丁目』かい? 『一軒置いて二軒置いて三軒目』だろう? 『名古屋へ入りゃあたら寄て
とお父さんが節をつけて言うと、
「おや、妙なことを知ってるぜ!」
と団さんは怪んだ。
「行きゃあすか、置きゃあすか、何うしゃあすか? 一寸も
「聊か驚いたね。何処で修業して来たい」
「君、こんなことは朝飯前だよ。僕等は建築家と違って、居ながらにして名所を知る組だ。方々珍しいところを見せて上げるから黙って跟いて来給え」
とお父さんは大きく出た。
「さあねえ、僕も生命は惜しいからね」
と団さんは相手にならない。
「アフリカへでも行きはしまいし、何の危険なことがあるもんか」
「否、アフリカなら案内人を頼むけれど、なまじ言葉の通じる日本だけに、却って始末が悪い。考えても見給え。数理の観念のない君と方角の観念のない三輪君に引き廻されるんじゃ、何処へ行くか何時帰れるか分ったもんじゃないよ」
「僕に数理の観念がないとは聞き捨てにならないね。何か証拠があるのかい?」
とお父さんは不服を唱えた。
「あるさ。君は数理どころか数そのものゝ読み方さえ怪しいぜ。御希望ならこの場で証明して上げても宜い」
と団さんは確信のあるように言った。
「参考のため一つ願いたいもんだね」
「お安い御用さ。それじゃ、村岡君、十万円が十で何円だい?」
「百万円さ」
「百万円が十なら?」
「千万円さ。人を馬鹿にするなよ」
「千万円が十では?」
「一億万円さ」
「夫れ見給え」
「何だい? 千万円が十なら一億万円に相違ないじゃないか?」
「億万という単位はないよ」
「ふむ、一億円か?
「否、君は何時でも然う言っている。誤魔化しても駄目だ」
「僕に方角の観念がないという証拠があるなら見せて貰おうか?」
と三輪さんも団さんの手の明くのを待っていて苦情を持ち込んだ。誰でも自分のことは分らないと見える。
「君のは村岡君のよりも更に甚だしいぜ。君は去年の正月僕の家へ来てからその後一度も顔を見せないね?」
「そうさ。しかしそれは此処で度々会うからで、お互いじゃないか?」
「そんなことを訊いているのじゃない。君は
「見たとも。あの
「感心に記憶力だけはあるね。しかしあれは上海でも独逸商館でもない。丸ノ内ノ海上ビルデングだぜ。海上ビルデングと左から右へ書いてあるのを君は逆にグンデルビ上海と読んで、『上海には海上ビルデングに能く似た建物があるね。独逸商館か知ら?』と言ったじゃないか?」
「成程、それは
「根に持つ

と団さんは哄笑一番痛快を極めた。
「それじゃ一つ団君に引き廻して貰おうじゃないか? ねえ、三輪君」
「それが宜い。団君、僕等がお供をしよう」
と二人は又勧誘に努めた。何んな形式でも道連れが出来さえすれば宜いという肚だ。
「然う出て来れば又考えようがある。尤も無職業や教員と違って、僕は事務所の方の都合があるから、確答は
と団さんは到頭本音を吹いた。
「然う来なくちゃ嘘だ。一も二もなく賛成したんじゃ勿体がつかないからね」
「役人時代の出張旅行で方々を歩いているんだから一緒だと心丈夫だ。実際好いものが引っかゝったよ」
と二人は
僕はお父さんには失望した。今に今にと言っていたのが、イヨ/\やるとなったから、何んな事業を始めるのかと思って力瘤を入れていれば、これから支度にかゝるのだそうだ。そうしてその支度も旅行だそうだ。それも欧米視察とでもいうのなら又考え様もあるが、高の知れた日本国内を保養がてらの友達と一緒に見物して歩くとあっては、僕もお父さんの
僕はこんな風に考えて、お父さんに世間並のことを期待するのを諦めてしまい、もう何うでも構わないと思っていたが、
僕が学校から帰ったのを見かけて、妹の愛子と歌子がニコ/\しながら僕の部屋へ入って来た。
「兄さん、お父さんは御旅行なさるんですってね?」
と愛子が真先に注進に及んだ。
「然うだってね。けれどもまだ何時出掛けるとも
と僕はそんなことは何うでも宜いという風で答えた。
「あら、兄さんは
と今度は歌子が言った。
「何故さ?」
と僕は実際意味が分らなかった。
「何故って、兄さんもお父さんと一緒にいらっしゃるんじゃありませんか? 先刻お父さんとお母さんがそう仰有っていましたよ。兄さんは私達が行きたがるといけないと思って黙っていたんでしょう?」
と愛子が説明してくれた。
「
と歌子も勝ち誇ったように口を添えた。
僕は思いがけない吉報に何とも言いようがなく覚えず
「それ御覧なさい!」
「
と二人は
「けれども愛ちゃん······歌ちゃん······まあお待ちよ······」
と言って訊こうとしたが、余り嬉しいと力が抜けるものだ。妙にニタ/\して言葉が途切れてしまう。それを
「やあい、
「一升徳利詰まった!」
と
しかし僕は間もなく疑問が起った。何うやらこれは話が余り
晩御飯が済むと間もなく、一番お代官様の
「おい、文子が睡いよ」
と火鉢の側に坐っていたお父さんがお母さんを呼んだ。漸く圭二を寝せつけたお母さんは又文子を連れて行った。尤も文子の方は
「おい/\、愛子と歌子が喧嘩をしているようだよ」
と
「おい/\、鉄瓶が吹いているよ」
という風に口に出して大して間違いないように報告すればそれで用が足りる。
お母さんは勉強部屋の喧嘩を仲裁して来て火鉢の向う側に坐った。これで先ず一日の仕事が片付いたのだ。お父さんが立とうとすると、お母さんは、
「あなたは私がこゝに坐ると、お立ちになりますのね?」
と有りの儘を記述した。
「そういう
とお父さんはそれを批難と解釈して、その儘腰を落ち着けた。
「こんなに大勢の子供と年寄を預かっていて、あなたの居所が
とお母さんが急に言い出した。
「それは大丈夫だよ。予定を拵えて、何日に何処へ泊るぐらいは分るようにして置くからね」
とお父さんが直ぐに答えたところを見ると、この
「予定は無論
「書くさ。手紙ぐらい」
「
とお母さんが言った時、僕は覚えず伸び上った。
「それは連れて行っても宜いが、足手纒いだからね」
とお父さんは遠慮がない。
「足手纒いなことがあるものですか。もう中学生ですもの、自分のことは何でも自分で出来ますよ。謙一に毎日欠かさず通信して貰えば私も安心していられますわ」
とお母さんは極めて
「それもそうだな。一つ連れて行くか。しかし謙一は学校があるよ」
とお父さんは
「三輪さんが御一緒なら何うせお休みの時でしょう? 学校のお休みは何処も同じですわ」
とお母さんは僕のために弁じてくれた。実際それに相違ない。
「謙一、お前一緒に行くかい? 大人と一緒に歩いても詰まらないだろうね?」
とお父さんは、今度は直接に僕の意向を求めた。
「毎日汽車に乗るんでは、子供は倦きてしまうからね」
とお父さんはなおお為めごかしにしようとした。僕はもうこの時には
「謙一は無論喜んでお供を致しますよ。旅行は好きですもの」
とお母さんが註解してくれた。
「連れて行こう。
とお父さんは冷かすように言った。
「そんなことを想像なさるほど男というものは自尊心がないのでしょうかね?」
とお母さんは
「けれども団さんが御一緒ですから、三輪さんの奥さんも多少警戒なすったのでしょうよ」
と
「団君こそ好い面の皮だ。しかしそれは然うとして、先刻隠居でもお父さんとお母さんが謙一を是非連れて行くようにと言っていた。尤もこの方は謙一は我儘者だから男親がいないと手に余るだろうというのが表向きの理由だったけれどもね。要するに皆の
と言って、お父さんは到頭僕に随行を仰せつけることになった。
さあ、斯う局面が開展して来ると僕も今までのように呑気に構えてはいられない。殊に自分のことが自分で出来ないようならお供はお母さんから願って帳消しにして貰うからと言い渡されている。
斯ういう
「何うだね? この間の話は?」
と約束通り確答を要求した。
「今日見てやる。しかし余り期待しちゃ困るよ」
と団さんは答えた。
「それじゃ駄目かい?」
とお父さんは失望したようだった。確答を聞くまでと思ってその場に坐り込んだ僕も全く当が外れてしまった。
「駄目なこともないが、日本家屋で完全な戸締りということは到底出来ない相談だからね」
「何を言っているんだい? 君は」
「何をって、君は旅行するから戸締りを一つ見てくれとこの間頼んだじゃないか?」
と団さんは戸締りのことを言っているのだ。まだ脈がある。
「成程、それもあるが、君は一緒に行くか
「それは無論行くさ。そのことも報告しようと思って来たのさ」
「それなら然うと早く言えば
とお父さんは
「旅行は交際関係で第二の問題さ。戸締りの依頼は事務関係で第一の問題さ。第二から第一へ移らないと順当らしくないかね? 何うも君達はその通り
と団さんは相変らず理窟っぽい。
「それは有難い。それさえ聞けば戸締りの方は又今度でも宜い」
「
「君に似合わない消極的なことを言うね。建築を商売にしている人に完全な戸締りが出来なくちゃ仕方がないじゃないか?」
「実は戸締りのことではこの間赤っ恥をかいたんだよ。
「泥棒を紹介してくれは気に入ったね。矢っ張り君は人相が好くないと見える」
「人相の問題じゃないよ。戸締りの試験をしようと言うのさ。ところで僕は有らゆる階級に知人があって交際は決して狭い方じゃないが、
「巧いところに気がついたね。
とお父さんは少し変った話になると無暗に嬉しがって小説の人物を引き合いに出す。この点は三輪さんと共通だ。
「西洋人じゃないぜ。君の知っている彼の井口君さ。僕は彼の男に感服したのは今度ばかりじゃないが、実に豪いもんだね。
「それはあの男のやりそうなことだけれど、職掌上怪しからんな。
「
「しかし戸締りは全然無効だという結論になるじゃないか?」
「否、然うじゃない。戸締りは火の用心同様警視庁でも始終宣伝している。いくら
と団さんは語り終って、
「時に今日は三輪君は来ないかね?」
と第二の問題に移る予定と見えた。
「今呼びにやるよ」
と答えて、お父さんは僕を顧みた。言葉を待たずに僕は立ち上った。斯ういう風でなければ秘書役は勤まらない。
三輪さんの家はつい目と鼻の間だ。物の五分とはかゝらない。僕が玄関の呼鈴を鳴らすと、女中ではなくて、奥さんが出て来て格子戸を明けて呉れた。
「お使いですか? 御苦労さまですね。今床屋へ行っていますから、帰り次第上らせましょう」
と毎度だから僕の顔さえ見れば御主人を無心に来たものと認めてしまう。これでは途中で言い方を考えるにも及ばなかったと思った。そこでその儘一つお辞儀をして引返す積りだったが、奥さんは僕を呼び入れて、
「謙さん、圭ちゃんがお風邪だそうですが、如何ですか?」
と訊いた。
「
と僕は初めて口を利いた。
「それは宜しゅうございましたね」
と奥さんは安心したように言って、
「謙さん、あなたは嬉しいでしょうね||お父さんの御旅行のお供をすることになって」
と最早知っている。お母さんと万事打ち合せが出来ているのだ。
「その旅行の御相談に団さんが見えていますから、
と僕はニコ/\しながら答えた。
「団さんも御一緒のようでしたか?」
「えゝ、御一緒です。団さんが面白いところへ方々案内して下さるそうです」
「羨ましいわね。私もお供したいくらいですわ。何れ後から改めてお頼み致しますが、能く宅の主人の面倒を見てやって下さいね。それからあなたはお父さんの腰巾着ですからね。何処へお出でになってもお父さんに固く
「大丈夫ですよ。旅で迷子になっちゃ大変ですからね」
「宅の主人は年を取った子供のようなものですから、旅行は
と奥さんはナカ/\僕を放さない。此方が相手にならなくってもこの通りだから、お母さんが来ると半日仕事になるのも
「あなた帽子が違っていやしませんの? 又」
と奥さんは早速咎めた。細君によっては第三者のいるところで、
「然うかな? 少し大きいような気がしたけれど、髪を刈った
と三輪さんは帽子を脱いで奥さんに渡した。この通り最初から諦めて自分の持ち物の識別を
「矢っ張りあなたのですわ。この紺は何うして斯う早く
と奥さんが和製で間に合わせて置いたのに思い当っても、
「へゝん、
と三輪さんは自慢にもならない説明を添えて威張っている。僕はこの間に、
「それではお早く。左様なら」
と言って駈け戻った。
間もなく三輪さんが来た。奥さんから聞いたと見えて、団さんと顔を合わせると、
「行くってね」
と嬉しそうだ。
「行くさ」
と団さんは相変らず落ちつき払っている。
「君が味方について呉れゝば百人力だ」
と三輪さんは例によって言うことが大袈裟だ。
「
とお父さんが笑った。
「お
と団さんは妙に改まった口調で切り出した。
「何でも承知するよ。ねえ、三輪君」
「宜いとも。余り話がトン/\拍子だから条件をつけられるのは覚悟の前だ」
とお二方は
「実は僕は娘を連れて行かなければならない。
と団さんは
「そんなことなら
とお父さんが答えた。
「何だい? 君も子供を連れて行くのかい?」
「
「案外君も信用がないんだね。三輪君は何うだね?」
「僕は縦も横もない。子供がないんだからね。うっかり振ろうもんなら
と三輪さんが
「子供のないのは分っている。その口吻じゃ矢っ張り信用のない組だね」
と団さんは皆自分の組に入れてしまう。
「何故さ?」
と三輪さんが訊くと、
「何故って、子供をつけて出そうというのは
「君は酒を飲むし、特に端正を以て鳴る方でもないようだからそれは当然だが、僕のは違うよ。僕と三輪君のは······」
とお父さんが、自分達の立場を説明しようとしても、
「違うもんか。程度の問題だ。それは表面からは無論そうは言わなかろうさ。君のところでは大方家との連絡を保つためとか何とかいう触れ込みだったろう?」
「能く知っているね」
「それぐらいのことが分らなくて女房の操縦が出来るもんか。文学者というものは案外人情に
と団さんは一寸気焔を揚げて、
「僕のところでも矢っ張りその手さ。『
「厭に駈引があるんだね。君は平素が悪いから然う曲解して僕達まで不信用のように思うんだよ。しかし子供の為めから言っても旅行は無益のことじゃないから、それで細君が満足するなら一挙両得さ」
「謙さんも話相手があると退屈しなくて宜い。益

と三輪さんは
それから三人はイヨ/\本題に移った。僕はお父さんの書斎から地図を持って来て客間の

「君、熊本には散髪屋があるかい?」
と言った調子だ。
「あるとも。しかし剃刀を持って行く方が宜いよ||
と三輪さんが考え込む。
「馬鹿なことを言っちゃ困るぜ。長い旅行だから携帯品は成るべく簡略にするんだ。一体君達は持ち物の相談をするのか旅程の打ち合せをするのか!」
と団さんは二人の注意を地図の方へ呼び戻した。
「兎に角、日曜から土曜へかけて行けるようなところは、原則として、一切省くことにしようじゃないか?」
と三輪さんが言った。
「土曜から日曜だろう? 宜しい。
と団さんは議事の
「宜かろう」
と三輪さんが賛成した。
「何の辺まで行けるだろう?」
とこれはお父さんで、
「それは歩きようさ。しかし飛脚旅行じゃ保養にならない。汽車は一日精々五時間ぐらいにして、ゆっくり見物しながら行けるところまで行くのさ。尤も君達のように家庭奉仕の念に篤い連中は先ず一直線に目的地まで行ってしまって、チビ/\見物しながら引き返す方が宜いかも知れない。日一日と女房子の方へ近くなるから心丈夫だろう?」
と団さんはナカ/\
「矢っ張り帰るとなったら一直線の方が宜いよ。チビ/\は待遠しい」
と三輪さんは出かけない中から、帰ることを考えている。
「大体の方針を然う定めて、詳しい日程は団君に一任しようじゃないか?
とお父さんは
「その方が早い。団君、頼むよ」
と三輪さんが応じた。
「宜し、引き受けよう。村岡君のこの手帳を拝見したが、これは
と団さんは手帳を
「それは理想に過ぎないのさ」
とお父さんは澄ましている。
「道理で昼飯を食う時間が
「それは余り重きを置かないで適宜に
「成る可く楽に拵えて呉れ給えよ。村岡君の予定はそんなに猛烈だったかね。危い/\。
と三輪さんは呆れたように言った。
団さんから戴いた謄写版刷りの旅行日程と毎日のように首っ引きをして待っていた甲斐があって、イヨ/\出発の日が来た。僕は朝の八時前にお父さんと三輪さんのお供をして東京駅へ
間もなく田口さんがキョト/\しながら、画家に似合わない彼の大きな図体を運び込んで来た。強度の近眼鏡で
「間に合った。間に合った。や、奥さん、先日は失礼致しました。村岡君、これだ。三輪君、よろしく頼むよ」
とお父さんに何だか妙に
「大きなものを持って来たね。此奴は驚いたな」
とお父さんは委托物の目方を
「嵩の割に軽いよ。僕が持っていよう」
と田口さんは平気でいる。
「此奴が千里を
と三輪さんが言った。
「まあ約束だから仕方がない。しかしこんなに大きいとは思わなかったよ」
とお父さんは又
「こんな大きなのはナカ/\なくて方々探したんだよ。大切にしてやって呉れ給え。そうして景色の好いところへ行ったら見せてやって呉れ給え。三輪君にも頼んで置くぜ。団君にも······団君は何うしたんだろう? 遅いじゃないか?」
と田口さんは
実際団さんと田鶴子さんは約束の洋服姿を容易に見せなかった。出納の事務は一切団さんが引受ているから、僕達は切符も買わずに追々不安を催しながら待っていた。その間も三輪夫人は幾度か僕に寄り添って、
「団さんは何うしたんでしょうね?」
と五回目繰り返した刹那、噂の
「待ったぜ/\」
とお父さんと三輪さんが言った。
「まだ十二分あるよ」
と団さんは相変らず落ち着き払ったもので、田口さん初め見送りの連中に挨拶してから、田鶴子さんを未だ
「
と繰り返し/\頼んだ。
「君、切符を早く買い給え」
と三輪さんが促すと、団さんは、
「今赤帽が持って来る」
と答えて、
「皆洋装で、荷物は一つ二つ三つと。感心に約束を守ったね」
高が日本内国の周遊で、それも今回は間もなく帰ってくるのだが、いざお別れとなると、矢っ張り好くないものだ。僕は汽車に乗り込んでから妹達や弟と幾度も握手の交換をした。お母さんも、
「謙一や、能く気をつけてね、毎日お手紙を下さいよ」
と言って窓を離れない。三輪さんの奥さんも三輪さんに何か言っている。田口さんも、
「諸君、
と叫んだが、これは僕達の身の上よりも新聞包のことだったかも知れない。間もなく
「
「左様なら!」
僕は初めて第三者の地位に立って自分の生れ故郷の東京を眺める機会に接した。品川までは省線の電車に度々乗ったことがあるが、それは東京にいる時の話で、当然東京が
「綺麗ですわね、東京も、ナカ/\」
と眺め入っている。
「綺麗ですね、あら、鳶が追っ駈けっこしていますよ」
と僕は宮城の空を指さした。
「おやまあ。沢山いること!」
「沢山いますね!」
と僕達はこれが皮切になってお互に澄ましていることは止めにした。
大人連中は
「僕は一大発見をしたよ」
と言った。
「何だい?」
とお父さんが訊くと、
「東京駅で人を見送ると何時も汽車が
「相変らずグンデルビ上海をやっているね」
と団さんが笑った。
「僕も東京駅のプラットフォームへ出ると西東を取り違えるよ。矢っ張り方角の観念が不正確なんだね。門から玄関までの長い家へ行くと
とお父さんは方角を諦めている。
「あの時は僕も一緒だったよ。巡査に怒られたろう?」
と三輪さんが言った。
「一緒だったかね。兎に角この謙一ぐらいの頃で中学へ入りたてだった。昼休みに散歩に出掛けたが、そう/\一緒だったね、入ったばかりだから他に友達はなかった筈だ」
とお父さんは二十五六年前に
「散歩に出掛けたが、帰りに道が分らなくなってしまった。幸い交番があったから、『学院は何処ですか?』と訊くと、巡査は怖い顔をして睨むばかりで教えて呉れない。又訊くと、『こら、人を馬鹿にするな! お前達は学院の
「その時分から好い相棒だったんだね。然ういう西も東も分らないのが二人ぎりで出掛けようとしたんだから、度胸が好いさ」
と団さんは
「何だい、君、それは?」
と団さんも新聞を措いて目を円くした。
「田口君に一杯食わされたのさ」
とお父さんが答えた。
「餞別かい?」
「
「そんなものは荷になって困るよ。断れば宜かったのにね」
と団さんは荷を恐れること
「つい引き受けてしまったから仕方がない。君も承知の通り彼の男は虎が大好きで、画室へ入って見ると
とお父さんが説明した。
「実際最も軽い性質のものだと言うから、僕もポケットへ入るぐらいの品だろうと思っていたよ。
と三輪さんもツク/″\頼まれ物を見詰めながら呟いた。
「何と言っても
と団さんは相談相手にならずに、又新聞を見始めた。
「打棄って了おうか?」
とお父さんが言うと、
「
と三輪さんが
「約束をした以上は日本中持って歩くより外はないよ。田口君に相談なしで処分出来るもんか。僕は一向知らないことだから、君達二人で責任を負い給え」
と団さんは内心面白がっている。
虎が再び棚に納まってしまうと、僕は鶴見辺りまでは花月園に来て知っているから余り興味がないので、旅行日程と旅行案内の対照に没頭した。田鶴子さんはナカ/\勉強家で終始トルストイか何かを手にしていた。横浜に着いた時、客が大分乗り込んで、僕達の近辺では西蔵婦人がボーイの注意によって信玄袋を棚へ上げた跡に、子供を抱いた若い奥さんが坐った。こゝまでは東京の場末の延長のようなもので別に目新しいこともなかったが、程ヶ谷からは景色が急に田舎風になった。道筋の
「謙さん、これが昔の東海道ですよ」
と団さんが僕に教えて呉れた。
「成程、この藁屋と並木の様子はいかにも街道筋らしいね。広重の絵にそっくりだ」
とお父さんが言うと、
「景色が好いかい? 好ければ一寸虎に見せてやろう」
と三輪さんは立ち上って棚から虎を下した。広重と聞いて景色と合点し、景色から田口さんの依頼を思い出したのらしかった。
「どうも
とお父さんが
「一寸拝借」
と田鶴子さんも矢張り虎が気がかりだったと見えて手を伸した。厄介物は三輪さんのところから団さんとお父さんを経て僕の手許へ来た。
「そら、東海道を見せてやるぞ」
と僕は窓から一寸外を覗かせて田鶴子さんに渡した。
「まあ、大きいのねえ! 首を振ってるわ。お前も日本中歩くの?
と田鶴子さんは表情たっぷりに言って僕を笑わせた。
虎は
「母ちゃん、よう。母ちゃんようってば!」
を始めたのには少からず弱った。これが家だったら、子供にそんな欲しがりそうなものを見せるから悪いと頭から極めつけられて一も二もなくお代官様に献上してしまうところだ。何なら奉納しても宜いのだけれど、現に大人連中の間にも責任問題の持ち上っている
「君、そのピンはつい見かけたことがないようだが、新調かね?」
と団さんが

「何、このピンかい? 新調じゃないよ。僕は斯ういうものには
とお父さんが答えた。
「しかし余程面白い
「
「虎の顔だね。口を開いているところが奇抜で宜い。田口君の好みとでもいいそうな品物だ」
「これがかい? おや/\!」
「何うした?」
と団さんが訊くと、お父さんは、
「これは僕のじゃない。可怪しなことがあるもんだな」
とピンを指先に持ったまゝ首を傾げた。
「それだからつい見かけないと言ったのさ。
「どれ、見せ給え」
と首を伸していた三輪さんがお父さんの方へ手を伸すと、
「おや、三輪君のカフス
と団さんが袖を捉えた。
「成程ね。しかし妙だな。僕は何時こんなものを買って貰ったんだろう?」
と当人は無論覚えがない。
「此奴も奇抜な意匠だ。左右少し面相の
とお父さんが笑いながら言った。三輪さんは本気にしてポケットの蟇口を探って見た。
「ピンだのカフス釦だのを掏り替えられて知らないでいれば
と団さんは
ところで僕の前の坊ちゃんは到頭本泣きになった。お母さんは真赤になって
「頂戴よう! 彼の虎、頂戴よう!」
と意のあるところを
「坊ちゃん、その虎、上げますよ。もう坊ちゃんのよ。持ってお遊びなさいよ」
と言葉を添えた。坊ちゃんは虎を抱くとすぐ黙ってしまった。現金のようだが、これが天真爛漫で好いところだ。体裁ということがないから、大人見たいに問題の片付いた後まで愚図々々言っていない。
「何うも恐れ入ります。では
と奥さんはいかにも申訳ないように言った。
「
「否、戴きましては済みません。
「決して御遠慮には及びません。実はその品物は先刻から皆で持て余していたのですから、坊ちゃんが御懇望下さったのは何よりの好都合です」
「
張子の虎はこれで完全に処分がついたが、ピンの虎とカフス釦の虎はまだ疑問になっていた。
「ピンなら兎に角両袖の釦を掏り替えられたとは考えて見ると有り得べからざることだ。これはやっぱり妻が今度の旅行に新調して呉れたのだろうと思うよ、僕は」
と三輪さんは両袖の釦を見較べている。
「しかし虎だぜ。張子の虎を初めとして、斯う虎ばかり鉢合せをする
と団さんは争い難い事実に注意を呼んだ。
「それは偶然さ。
「芝居の話で実世間の問題を解釈されちゃ張合が抜けるね。田口君も大いに趣向を凝らした積りだろうが、悲しい哉、相手を見損っているようだ」
「趣向はちゃんと通じている。見給え。景物の方は今処分してしまったじゃないか? このピンのは息子で、カフス釦のは両親さ。落しっこない性質のものを三輪君の方へ廻した
とお父さんは大きく出た。
「おや/\、悪事露顕に及んだかな。まあ待って呉れ給え。この汽車には食堂がないからこゝで弁当を買わなければならない」
と団さんは折から
「はいちゃ/\」
と幾度もお辞儀をした。
弁当を喰べてしまうと、大人連中は煙草を喫いながら又話し始めた。
「すぐに僕と目星をつけたところは案外
と団さんは
「最初は田口君かとも思ったが、君の素振りでそれと
とお父さんが訊くと、
「東京駅で細君に別れを惜んでいる間にさ。同じやるなら、後日大きな口の利けない時をと思ってね」
「人の悪い
「三輪君のは
「道理で
と三輪さんが負け惜みを言った。いくら条件つきでもカフス釦を両方とも掏り替えられて知らずにいるとは能く/\だと僕は思った。
「兎に角掏られて威張っていたところで始まらないから気をつけ給え。僕だから宜いようなものゝ、
と団さんは将来を戒めて、
彼れ此れする中に汽車がトンネルへ入り始めた。出たかと思うとまた入る。窓を閉めたり開けたり、僕は
「此処が箱根よ」
と田鶴子さんがハンカチを鼻へ当てたまゝ教えてくれた。大人連中の方に屈託していて田鶴子さんのことは余り書かなかったが、僕達はもうこの時には大分打ち解けて来た。
「然う? 八里の山道だからこんなにトンネルがあるの?」
と僕は
「あの箱根は元箱根で蘆ノ湖のある方よ。
「あなたお
「えゝ。去年学校の修学旅行で」
「随分遠くまで来るんですね。女学校でも」
「女学校でもなんて
「
その待ち構えていた沼津に着いたのは田鶴子さんが御殿場で凸凹した富士山を
「今通ったのが目貫きの町筋で、こゝが千本浜公園です。沼津は先ずこれくらいのものですな」
と仙夢さんが言った。恐しく簡潔な案内役だ。停車場から此処まで物の十分とは
「お疲れでなければ直ぐに三島へ出掛けましょうか?」
と仙夢さんは
「三島までは余程かゝるかね?」
とお父さんが訊くと、
「急げば往復三十五分です」
と答えて、仙夢さんは矢張り今しがたの流儀で引き廻す料簡らしい。
「まあ/\見物旅行だから、ゆっくりやろうじゃないか」
と団さんが
千本というだけあって浜伝いは見霞む限り松原だ。それも生やさしいものでなく、三抱えもありそうなのが、潮風に揉まれる為めか、あらゆる
「好い景色だなあ!」
と僕達が見惚れていると、
「此処だけは自慢です」
と仙夢さんも満足らしかった。そうして僕達を噴水のあるところへ引っ張って行った。
「何だな! 時は春、
と三輪さんが
「
とお父さんが疑問を起すと、仙夢さんは、
「さあ、兎に角此処で育って此処で弁護士をしていたという話ですよ。それは
と又催促した。
そこで僕達は再び自動車に鮨詰になって三島へ向った。相変らず目の廻るような速力だ。
「君、自動車は儲かるかい?」
とお父さんが訊いた。
「毎期欠損さ。しかし社会の為めだと思ってやっている」
と仙夢さんが答えた。
「大きなことをいうぜ。君が社長かい?」
「僕は専務だ」
「然う/\。専務だから仙夢と号したという手紙だったね。句はやっているかい?」
「社務多端、
「人を轢いて三十円ぐらいで誤魔化そうとすると自然忙しいね」
「外聞の悪いことを言ってくれるなよ。僕のところは事故は極く少い」
「田舎は人通りが少いから運転手が楽でしょうね? しかしそれにしても、これは規定以上の速力じゃありませんか?」
と団さんが口を出した。
「巡査さえ見ていなければ構いませんよ」
と仙夢さんは平気なものだ。
「どうも危くて仕様がない。東京でこんなに速力を出したらすぐに捉りますよ」
と三輪さんも先刻から心配している。
「此処が
と少時してから仙夢さんが言った。
「三枚橋って?」
とお父さんが説明を求めた。
「本海道は廻り道、三枚橋の浜伝い、勝手覚えし抜け道を······」
「成程、あの三枚橋か。そうすると沼津の段は実説かね?」
「此処では実説にして貰わないと都合が悪い。現に千本浜に平作の銅像を建てるといって騒いでいるからね」
「それもよかろう。桃太郎の銅像さえ出来る世の中だ」
折から右に大きな川を控えた松原へ差しかゝった。と見る間もなく車がガクリと止まって、僕は田鶴子さんと鉢合せをした。仙夢さんが慌てゝ下りようとすると、
「大丈夫ですよ。つん

と運転手が言った。成程、
「
と運転手は説諭をしてから手帳を出して書き留めた。今度通行の邪魔をしたら
「今運転手が何か帳面へつけていましたね?」
と団さんも不審を起した。
「つける真似をしたんです。あれぐらいに嚇かして置かないと、
と仙夢さんは笑っていた。
「好い気なもんさ||此方で転ばして置いて。この筆法で行くと怪我人から膏薬代を取兼ねないね」
とお父さんが感心した。
「今のは形式は自動車と爺さんだったけれど、内容は新旧両思想の衝突だね。爺さんの煙草の喫い方は遺憾なく保守主義を代表していた。そうしてこの自動車は進取主義も少し過激の方だ。背景が東海道の松原だから殊に
と言って三輪さんは嬉しがった。
「仙夢君、事故は極く尠いと言う口の下からあゝいう事故が起るじゃないか。危険だからもう少しゆっくりやってくれ給え」
とお父さんが註文した。すると仙夢さんはその旨を運転手に伝えてから、
「実は君の手紙に地方人士の野呂馬さ加減とお国自慢を見聞する為めの旅行だとあったから、その裏を掻く積りで大いに苦心しているのさ。田舎の自動車は
「気を廻したもんだね。道理で一向お国自慢を言わないと思った。しかし折角見物に来たんだから、宜しく頼むよ」
「そう話が分ればゆっくり引き廻してやる。一つ案内の練習をして見るかな。······坊ちゃん、今橋を渡ったでしょう? あれが
「大社とも明神さんとも言いますよ。この辺の人は。伊豆一番の神社ですが、あの池の鯉が大きいくらいなもので、別に珍しいこともなかったでしょう?」
と仙夢さんは僕達が三島神社の
「
と団さんが柄にないことを訊いた。
「万病に利きますな。神社仏閣は温泉と同じようです。頼朝が源家再興の祈願をかけた霊場ですから、立身出世にも
と仙夢さんも抜からない答え方をして、
「これから一つこの町の奇蹟を御覧に入れましょう」
「まあ、綺麗な水だこと!」
と折から川に差しかゝって、田鶴子さんは忽ち石の上に佇んだ。
「随分深いなあ! あゝ、魚がいる!」
と僕も
「これがその奇蹟ですよ。三島で珍しいのは水ばかりです」
と仙夢さんが紹介した。
「はゝあ、仙夢さんも自動車会社は少々方面違いですな。やっぱり文学者だと見えて、この連中同様仰有ることが大袈裟です。成程綺麗な水に相違ありませんが、これぐらいの川は何処の町にもありますよ」
と団さんはもう思った通りを口に出すほど仙夢さんと懇意になった。
「恐れ入ります。しかしこれだけ
「はゝあ、成程」
「三島は他所と違って川を輸入しません。川だけは
「何だい。水の説明だと思っていたら自動車の広告か? それにしても綺麗な川だ。『富士の白雪ゃ朝日で解ける、解けて流れて三島へ落ちる』という唄を君はよく歌っていたが、この水がまさかそれじゃあるまいね?」
とお父さんが交ぜっ返した。
「それさ。『三島女郎衆の化粧の水』さ。富士山に降った白雪が朝日で解けてこの辺の
「面白いですな。
と三輪さんが喜んだ。
「場所によると底を抜いた酒樽を埋めて置いても水がコン/\と湧き出します。とても水の豊富なところで、俗説にも多少の根柢がありそうですよ」
「とても
と団さんはとても
「五六里でしょうな。ところで此処が川の
「成程、湧いていますな。一杯になれば流れるのは
と団さんは奇蹟を奇観と訂正した上に兎に角という条件をつけた。ナカ/\勘定高い。
三島美人化粧の水の泉源は手頃な池で、

「この辺ではこういう池を
と仙夢さんは沼津で見た時よりも両脚の長くなっている富士山を指さして、
「······地底を潜ってこの湧き間に通じているという証拠は春から夏にかけて雪の解ける頃ほど三島の水が多くなることです。夏は冬の倍湧きますからね」
と説明した。
「ナカ/\巧いね。始終案内をしていると見えてお手に入ったものだ」
とお父さんが感心した。団さんは黙っていたが、三輪さんは何か言いたそうに唯ニヤ/\笑っていた。
間もなく僕達は又自動車に乗って三島の町を走り始めた。
「馬鹿にひょろ長い一本町だね」
とお父さんが悪口をいうと、団さんは、
「田舎町は大抵ひょろ長いさ。都会も人間と同じことで、栄養不良なのは君達みたいに横幅がない。仙夢さん、三島も未だ『
「
「三島の名物は何ですか?」
「やっぱり水ですな」
と仙夢さんは水の宣伝ばかりしている。
「水の好い割合にそう綺麗な人もいませんでしたわね」
と田鶴子さんが言った。
「富士の白雪も
とお父さんが言うと、仙夢さんは、
「美人は沼津さ。間もなく紹介するよ」
「私、参考の為めにあの池の水をこれだけ汲んで参りましたわ」
と田鶴子さんは
「田鶴子さんは仙夢さんに
と三輪さんが笑った。
「白雪ですとも。三島の水は皆富士の······」
「
「何うも
と仙夢さんは頭を掻いて笑い出して、
「しかし世間体は矢張り富士の白雪ということにして置く方が詩的でいゝですよ。余り理詰めに説明してしまうと、この辺の繁栄策上面白くありません。あれが唯の野良水となった日には早速私の方の営業に差し響きますからな。それに私がこうやって三島の水の宣伝をするのには魂胆があるんです。私は将来あれを壜詰にして、『富士印白雪化粧水』とでもいうものを発売する積りです。何に、リスリンの
「随分ですわ!」
と睨んで田鶴子さんは白雪化粧水の見本を
黄昏に沼津へ戻ると、僕達は晩餐を認める為めに料理屋へ案内された。
「子供衆は
と皆に酒を薦めていた仙夢さんが
「大人衆も可なり疲れていますよ」
と神経衰弱の三輪さんは休息を急いだ。
「未だ日が暮たばかりだよ。今から宿屋へ行って寝るのも芸のない話だ。ゆっくり飲もうじゃないか?」
と団さんは落ちついている。
「お湯にでも入って御ゆっくりなさい。一つ沼津情調を味わって行かなくちゃ話の種になりません。此処へ御案内したのには聊か魂胆があるのです」
とこの主人役仙夢さんはよく魂胆のある男だ。
「仙夢君、楽隊は無用にして呉れ給えよ」
とお父さんは田鶴子さんと僕の存在を顎の先で相手に伝えながら言った。
「案外堅いんだね? 君達は」
「否、堅くないのもあるが······」
「おい/\、何を言うんだい?」
と団さんは故障を申立てた。
「お酌をするだけなら宜いだろう? 実はもう来ているんだ」
「困るよ、君」
「いゝさ」
「実際困る」
「
と仙夢さんが言った時、襖の蔭から女が顔を出した。恐ろしく大きな鼻だと思った刹那にもう消えてしまった。続いて二つ三つ現れたが、その都度仙夢さんが首を振ったもんだから、一人も入って来なかった。田鶴子さんはと見返ると唯さえ澄まし屋さんが殊更凛として
「芸者かね? あの連中は」
と三輪さんが一大発見でもしたように訊くと、団さんは、
「然うさ、そんなに伸び上るなよ」
と答えて、仙夢さんに、
「一番初めのはナカ/\美人でしたな。何処かで見たような顔ですが、名古屋産じゃありませんか?」
「
「大きな鼻でしたね」
と三輪さんさえあの鼻には気がついたと見える。但し偽善者のお父さんは何も言わなかった。
御飯が済むと仙夢さんが、
「それでは子供衆本位ということにして早目に宿へ引取りましょうかな」
と言って、僕達は又々自動車に乗った。何だか東京の場末みたいなところを通ると思っていたら、間もなく田圃へ出た。
「君、何処へ行くんだい?」
とお父さんが訊くと、
「三島館さ。飯は沼津で食って泊りは
と仙夢さんが答えた。なお大分走って松の大木の間を彼方此方縫い
田鶴子さんと僕は家への第一信を認めるのに忙しかった。殊に僕は三輪さんの分まで書かなければならないから骨が折れる。尤も芸者撃退係以外に秘書役を兼ねて随行しているのだと思えば苦情も言えない。大人連中はもう湯に入って寝るばかりだから、至って呑気だ。
「東郷さんという人は思い切った
とお父さんは床の間の掛物の批評をして、
「
と三輪さんがいった。東郷さんの書は東京でも珍重されている。
「これぐらいなら甲上だよ。僕も役人をしていた頃は地方へ行くと揮毫を頼まれたもんだが、ナカ/\こうまっすぐには行かない。そうしてすっかり自分の文句らしいから
と団さんは子供のお清書を標準にしている。
「君が書いたのかい?」
「然うさ。何もそんなに驚くことはないよ。地方には
「何を書いたい?」
「何をって、僕は
「豪い書家があったもんだ」
「支那へ出張した時には鞭声粛々をすっかり書いてやった。あれは書生の頃剣舞で覚えたんだが、一体誰の詩だい?」
「
「道理で支那人共大いに敬服したぜ。ところが
ところへ仙夢さんがこの家の主人
「然うです。先々代まで三島の本陣をやっていました。兎に角
と六太夫十一世は
「本陣時代の遺物が
と今しがた女中が持って来た行李を開いた。
「
と仙夢さんは六太夫さんと親類だから始終来ていると見えて、中から表装のボロ/\になった軸を一本掴み出した。そうして、
「これが
と紹介した。
一我等 今度 下向候処 其方 に対 し不束之筋有之 馬附之荷物積所 出来申候 に付 逸々 談志之旨 尤之次第 大 きに及迷惑申候 依 て御本陣衆 を以 詫入 酒代 差出申候 仍而件如
元禄十四年
大高源吾
国蔵どの
とお父さんが言った。
「大高源吾ともあろう
と六太夫さんが
「忠臣蔵ですな。何うして詫証文を取られたんですか?」
と三輪さんも僕同様詳しい話は知らなかったらしい。
「
「巧いもんだね、六さんは。
と仙夢さんが茶々を入れた。
「交ぜっ返しなさんなよ。腰が折れてしまうに」
と六太夫さん一寸沼津弁を出して、
「まあ要するにこんな次第でこの詫証文が出来たのですな。これは代々私の家に伝わって今日に及んだのですから確実な品です。しかし神崎与五郎で通っているものを今更大高源吾に改める必要もないと思いまして、講釈師には矢張りその本分に従って見て来たような嘘を吐かせて置きます」
「この本陣の絵図は実に好く引いてありますな。大工与左衛門と書いてありますが、矢張りその与五郎と関係があるんですか?」
と団さんは虫の食った古い図面の上に這ったまゝ尋ねた。
「
「ふゝん、浪花節ですか?」
と建築家は鼻の先で扱った。団さんは文学は分らないと標榜している丈けあって、ピックウィック・ペーパーズどころか赤穂義士でさえ碌々御存知ない。
ポッ/\/\/\という自動車にしては
立つ前に江の浦あたりまで行って来る筈だったが、皆
「もう少し時間の余裕があると伊豆の方をもっと紹介するのだが、無暗に急ぐから仕様がない。一日や半日でこの辺の特徴を究めようというのは
と仙夢さんが汽車の中まで僕達を送り込んで来て言った。
「否、お蔭様で最も有効に見物したよ。お宅へも上らなくちゃ悪いんだが、この通りの大連中だから、何卒奥さんに宜しく言っておいて呉れ給え」
とお父さんが人並に挨拶をした。
「
「何人あるんだい? 一体」
「今度で六人目だ」
「君、君、汽車が出るぜ」
「何に、まだ大丈夫だよ」
「出ますよ、仙夢さん、何うも
と三輪さんが催促の積りか慌てゝお礼を言い始めた。
「否、何う致しまして。実は
「恐れ入りますな。道理で落ちついていると思いましたよ」
と団さんが言った時、汽車が動き出した。
「まあ、綺麗だこと!」
と間もなく田鶴子さんが感歎の声を洩らした。成程、桃の花が咲いている。それも十本二十本ではない。見渡す限り桃畑だ。
「惜しいなあ! こんなところでもドン/\行ってしまうんだもの」
と僕が言った。しかし目の覚めるような紅の霞は、千本松原を背景に可なり長い間、棚引き続けた。
「元来静岡県は人材物資二つながら貧弱で有名なところですが、この頃は発憤して
と仙夢さんは桃畑から静岡県人の性格に説き及び、
「名所にしても人物払底の跡が歴然として現われていますな。伊豆方面は頼朝と義経で持ち切っています。これから静岡へ行くと家康公でなければ夜が明けません。舞台は此方のものでも役者は
と歎息した。
余程経って海が見え始めた時、僕は窓から乗り出して石炭の燃え
「謙さん、擦っちゃ駄目よ。
と田鶴子さんが教えてくれた。僕は凝っと目を閉じていたが、涙がポロ/\
「もう
「未だです」
「あら、擦っちゃいけませんよ」
「でも涙が出て困るんです」
「この綿で拭いて御覧なさい」
「少し快くなったようです」
「あら、軍艦々々!」
「どれ? あゝ、軍艦です」
「もう快くて?」
「まだ少し······」
「あら、潜航艇!」
「どれ、何処に? 嘘ばかり!」
「もう快いでしょう?」
「えゝ、もう」
と僕は田鶴子さんには自由自在に操縦される。昨日もこの手を食った。目に埃の入った時、それを取ろうとして専心に擦ると益

「謙さん、銅像が見えてよ。井上侯爵よ」
と田鶴子さんは今度は
「これも輸入人物です」
と仙夢さんはまだ人物を問題にしていた。
江尻で下りて、俥で
「こゝには次郎長というこの土地生え抜きの侠客がいましたよ。
と矢張り人物を気にした。間もなく僕達は
「晴れてよし曇りてもよし富士の山、もとの姿は変らざりけり。鉄舟か?」
と団さんは境内の石に刻ってある歌を読んで、
「何とか言っているぜ。我輩に分るくらいだから大したもんじゃない。第一曇ったら姿が見えない筈だ」
その隣りの
「此処にも輸入人物の墓があります」
と言って、仙夢さんは僕達を庭の山の上へ案内して西洋式の立派な墓を紹介した。
「
とお父さんは不平らしかった。
「成程ね。今車屋も高山博士の墓がございますと手柄顔に言っていたよ。博士ぐらいで石塔が名所になっているのはこの人ぐらいなものだ。よく目的を達している」
と三輪さんも同感だった。
「文科かい? この男は。工科は損だね」
と団さんまで不足を言った。
「兎に角好い眺望でしょう? こう晴れて富士に全く雲のない日は滅多にありません。あの海に突き出しているのが三保の松原です。おい、車屋さん、黙っていないで少し助太刀をしてくれないか?」
と庭へ下りてから仙夢さんが促した。すると僕の車屋がバットの火を消して耳に挾み、二三歩進み出て、
「あの岬はあの通り鼻が三本に分れているので三保と申します。一村になっておりまして、渡米労働者を出すこと県下一番という評判でございます。謡曲の『
という具合に
間もなく僕達は
「旦那、あの一本マストのは皆遠洋漁業船でございます。遠州から伊豆の漁業船が残らず寄りますから、魚の集まること清水港は蛙の小便じゃないが
「それじゃ魚は安いだろうね?」
と団さんは
「ところがその魚が目っくり玉の飛び出すくらい高いです」
「何故ね?」
「皆東京へ出てしまいまさあ。去年の冬は
「捕れたもんだなあ」
「斯ういう大漁なら
と車屋は余程鰤が食いたかったらしい。
「旦那、この山の石垣に赤いものが見えるでしょう?」
「成程、
と団さんは山の腹を見上げた。
「早いどころか、これは
「冬料理屋でくれる苺はこれだね?」
「そうでございます。石垣苺と申して皆東京や横浜へ出ます。あんな口も碌に利けない草木を
「矢っ張り高かろうね?」
「
と車屋は苺にも未練を持っている。そうして、
「
「矢っ張り土地の人の口には入るまいね?」
と今度は団さんの方で先廻りをした。
一昨日の夜更かしで懲りていたから、僕達は昨日はあれから久能山丈けで切り上げて、清水から電車で静岡に着くとすぐに宿を取った。それでも夕飯後沼津へ帰る仙夢さんを見送ったり家へ通信を認めたりして床に就いたのは八時過ぎだった。
「御飯は旦那様のお座敷で皆さん御一緒でございますか?」
と朝起きると間もなく女中が姿を現して訊いた。
「然う、昨夜の通りで
とお父さんが答えた。僕は
「驚いたね。旦那様のお座敷というのは此処のことかい?」
とお父さんは座蒲団に坐るとすぐに言った。
「僕も自分の部屋の積りで今まで待っていたんだよ」
と三輪さんも案外のようだった。
「やっぱり旦那様に見えるかね? 恐ろしいもんさ。悪いことは出来ないよ。姐さん達は商売柄で
と団さんはそのまゝ旦那様に成り澄ました。
「狂言をお書きになっても駄目でございますわ。この坊ちゃんがこの旦那のことを旦那さん/\と仰有るじゃありませんか?」
と女中の一人が
「はゝあ、団さんが旦那さんに通じたんだね」
とお父さんは思い当った。
「
と団さんは調子に乗って益

「電報なんか打ちゃしないよ」
と三輪さんが否定しても駄目だった。女中共は太って
「昨日の久能山には
と団さんは万更冗談でもないようなことを
「時に姐さん、この大東館は本陣かい?」
と三輪さんは一昨日の晩覚えた本陣という言葉を応用した。
「
と女中が答えた。
「能く本陣へ泊り合せるね。矢っ張り大名旅行だ。此処は三島館とは段が違うから、大石内蔵助の詫証文があるだろうね?」
とお父さんが訊いた。しかし女中共はお取り巻きは余り相手にせず、専ら旦那様の質問に対して、
「然うでございます。駿河半紙も名産でございます。この辺ではその駿河半紙のことを半紙といって
「成程、昨日も車屋が富士山のことをお山/\と言っていた。駿河の国に来ればお山というと富士山、半紙というと駿河半紙か。それでは美濃へゆくと美濃紙のことを紙というね? 大いに感服した」
と旦那様は詰まらないことを感服している。
御飯が済むと間もなく僕達は見物に出掛けた。団さんは何処までも旦那様と
「此処が昔のお城の外濠であります」
と言う団さんの車屋の案内が
「この外濠は湧くでありますからこの通り水が綺麗であります。此処で
と説明をして呉れた。
「山葵はこんなところで出来るもんかね?」
と団さんが言うと、
「水の綺麗な沢で出来ます。静岡は
「やはり富士の白雪かな」
「然ようであります。能く御存知でありますな」
とこの車屋は何うも兵隊上りらしかった。そうして、
「これから通ります
と言って
「団君、今川義元も君のように
とお父さんが冷かした。
「専門家は建築屋に限らず忙しくて文学なんかやっている暇がないのさ」
と団さんは今川公の弁護をした。
古道具が済んでから義元公の墓へ来た。昨日の久能山の家康公の
「車屋さん、この
と三輪さんが訊いた。
「はい、今川義元公は静岡県人であります」
と例の兵隊上りが答えた。
「道理で成功しなかったんだね。仙夢さんの説はナカ/\事実を
「今川焼は兎に角この寺の建築が気に入ったね。狭い地面を最も有効に利用してあるところが多少参考になる。地盤は殆ど岩らしい。それで大岩というのだろう。庭の石段なんかは岩にその儘刻みつけたもんだ。それからこの石段を見給え。古いもんだが、寸分の狂いも出ていない。君達のような
と団さんは酷いことを言う。
間もなく僕達は浅間神社へ引き返して、
「まだあるのかい? 僕はこの辺で待っていよう」
と途中で無精を極めようとしたが、「日本一富士の眺めこの上にあり」という立札に再び勇気を鼓した。
「旦那様の御体格では山路は骨が折れます。然ういうのを脂肪過多と申して軍隊では大層
と車屋が言った。
「僕は目方が重いから、どこへ行っても車屋さんには受けが悪い。しかし扁平足というのは何だい?」
「土踏まずのない足のことであります。足がのっぺらぼうでありますから
「益

「少し後を押しましょうか?」
「それにも及ばない。しかし流石に田舎だね。公園といっても生易しいことじゃない」
と団さんは苦し紛れに悪口を言った。
静岡は可なりの都会だ。賤機山の上から見晴らした時も随分横幅があると思ったが、俥で通り抜けても町外れの
「
とお父さんの車屋が気焔を吐き始めた。
「ナカ/\繁華だね」
とお父さんが相槌を打った。
「繁華でがんすとも。銀座でも日本橋でも
とこの車屋は頗る愛郷心が強い。この論法でゆけば実際天下に恐れるものはなかろう。
「これが安倍川だね?」
とお父さんが訊いた時、
「
と語尾を略して、
「野崎尾崎宮崎というのが当市指折りの金持でがん。あの今の宮崎さんの先代はこの橋の袂で安倍川餅を売ってあれ丈けの身上を
と修身講話もどきになった。府中丈けあって車屋まで徳川家康のようなことを言う。
三輪さんの車屋もやはりお国自慢に力瘤を入れていた。何でも灸の話らしく、
「
と自分のお手のものゝように未だ罹りもしない病気の安請合をしている。
程なくいかにも東海道らしい松並木へ差しかゝり、
「吐月峯が沢山できていますな。日本中の吐月峯を此処で供給するのですか?」
と団さんが訊いた。
「
「一つ本場の吐月峯を戴いて参りますかな」
と三輪さんは棚から大きなのを下してきた。
「君、それは筆立だよ」
とお父さんが注意した。
「道理で馬鹿に太いと思った。しかし吐月峯としてある」
「此処で出来るものは何でも吐月峯さ。しかし物を知らない奴は大きな灰吹だと思って唾をするぜ」
と団さんは最早吐月峯通を振り廻した。
引き返して静岡へ近づいた時、
「しまったなあ! 丸子のとろゝ汁を食わないでしまった」
とお父さんが残念がった。
「君は
と三輪さんが振り返って言った。
「汚い家で
と車屋が三輪さんを慰めた。
「家丈けでも見て来ると宜かったが」
とお父さんは名物に執着が多い。そうして、
「もう何か見るものはないかね?」
「さあ、由井正雪公の墓ぐらいなもんでがんすな」
とお父さんの車屋が答えた。
「それは是非見たいもんだ。ねお[#「ねお」はママ]、三輪君、昨日は大成功者の廟へ詣ったんだから今日は大失敗者の墓を弔おうじゃないか?」
「由井正雪は駿河の人かね?」
と三輪さんは失敗者といえば必ずこの土地の人だと思っている。
「正雪公は県人であります」
と団さんの車屋が答えた。そうして、
「丸橋殿が東京で失敗せられたと気がつくとすぐに此処の梅屋町で自殺をせられました。警官が向った時には既に物の美事に気管を掻き切っておられたそうであります。それ以来毎年この市へ由井殿の亡霊が現れます」
「ふうむ、幽霊が出るのかい?」
と団さんが言った。
「然うであります。毎年四五月になりますと、
「蚊蜻蛉って何だね?」
と三輪さんが疑問を起した。
「君達のような細っこいのさ」
と団さんは昨日の久能山がまだ余程
大井川を越すと間もなく僕達は金谷で下りた。静岡から一時間と少しだったけれどもう遠州だ。そうして言葉が大分変っている。
「丸石まで
と駅下の車屋が言った。団さんの図体に恐れをなしたらしい。
「二人曳きに後押しをつけちゃ何うだね?」
と山道となると意気地のない団さんは俥を唯一の頼みとした。
「何うだろうな、丸石まで二人曳きの後押しでやってくりょうと言うが?」
と車屋は仲間のものに相談をかけた。しかし川越の子孫共は、乞食小屋のような溜りに坐ったまゝ、
「この通り出払っているだで、何にしても好い体格だでな」
と団さんの体格を褒めるばかりだった。実際俥は三台しかなかった。尤も
「そんなに道が悪いのかね。それなら歩いて行くから誰か一つ
とお父さんが言った。
間もなく僕達は車屋の後に
「酷いところだね。成程、これじゃ俥は通れない」
と三輪さんが
「
と車屋が言った。
「
と団さんは汗を拭いていた。
「何という山だね? これは」
とお父さんが訊いた時、僕達は頂上の平坦な
「城山といいます。
と車屋が説明した。
「何故ね?」
「御殿女中が蛇になったので、やっぱり口紅を
「好い道だね。これなら楽なもんだ」
と団さんも元気が出た。
「······
と爺さんは毎日のことで淀みなく喋り立てる。
「お姫さまが殺された時にこの石が泣いたのでございますか?」
と奥さんの一人が尋ねた。
「
「それじゃ却って夜泣かず石じゃないか?」
と団さんが口を出した。
「その泣かないではこの石が大失敗を演じています。明治十年頃に土地の人達が一儲けしようという肚でこの石を東京の浅草へ見世物に出す相談を致しました。ところが
「
と三輪さんが感心した。
「さて、観音寺の住職に育てられました男の子は十五歳の折に母親の仇を討ちたいと志ました。すると或晩観音さまが夢枕にお立ちになって、『
と爺さんは物語を終った。
僕達は茶屋に休んで夜泣飴を喰べた。奥さん達は何時の間にか田鶴子さんと話を始めて、
「おや、
と一人が嬉しがると、もう一人が、
「本郷は
「
と田鶴子さんは二人を相手にしている。
「あらまあ、弥生町?
「世の中も割合に狭いものですわね。こんな山の中へ参ってもつい目と鼻の間のお方に遭うのでございますもの」
「それだから悪いことは出来ませんわ。お嬢さんは此処からもうお引き返しなさるのでございますか?」
「さあ、確か然うでございましょうよ。馬鹿ね、私も随分。自分で自分のことが分らないのですもの」
と田鶴子さんは表情たっぷりに笑った。
「折角好いお連れが出来たと思いましたのに惜しゅうございますわ。私達は夜泣石は附けたりで此処の観音さまへ心願に参るのですが、お序に如何でございますか?」
「真正に二度とお
と奥さん達は勧誘に努めた。
女どうしの会話はこの夜泣石同様聞き物というよりも見物だ。一言一句に精密な表情を伴わせる。「おや」とか「まあ」とか言う時には眉毛を動かして及ぶ限り目を見張ることに申し合わせてあるのらしい。そうして聞く方でも一々表情で相槌を打ち言葉の内容通りの顔をするから、女と女の話は
「お爺さん、此処の観音さんは何ういう
とお父さんは手帳に何か
「子供衆のない方が参詣致すと不思議にも
とお爺さんが答えた。
「此処から余程あるかね?」
と三輪さんがこれも水飴を頬張ったまゝ、
「すぐこの上の山でございます。旧道をお帰りになると通り道ですから御参詣なさいませ」
「それなら序だから寄っていこうじゃないか? ねえ、村岡君」
「さあ、団君が何うだろうかね? 車屋さんに酷く嚇かされているから矢っ張り新道を引き返すと言うかも知れないぜ。団君、旧道を通って田舎箱根を越す勇気はないかね?」
とお父さんが相談を持ちかけると、
「田舎箱根
と団さんは案外容易に賛成した。
「美人の道連れがあると思ってすぐに承知したよ。現金な男さ」
とお父さんは小さな声で三輪さんに言った。そうして車屋に、
「それじゃ車屋さん、来た序だから観音さんへ詣って旧道を帰ることにするよ」
「それが本当です。道は悪くても此処へ来て菊川を通らないじゃお話になりませんからね」
と車屋が答えた。
なお
「行かずう!」
と促した。僕達もいつまでも油を売ってはいられないから、それを
「馬鹿なものを沢山買い込んだぜ。昨日はあんなに灰吹を買うし、何でも見た物が買いたい病気だから仕方がない」
と団さんは飴のお土産を
奥さん達は観音堂で御祈祷を
「迷信も有害なのは些っと官憲の手で抑圧しなければならないね。あの女連中は観音堂を婦人科の病院と間違えている。子供を授かりたいというくらいならまだいゝが、病気を直したいという積極的の問題だったら
と余り手間が取れるので団さんは不平を鳴らし始めた。
「出来ないものは婦人科へ行っても出来やしない。お経で
と子供のないのには経験上特に同情している三輪さんさえ憤慨した。
「相応な家の奥さんらしいが、浅はかなもんさ。これだから新聞の三面に女の問題が絶えないんだね。こんなところまで参詣に寄越す亭主野郎の気が知れないよ。大方実業家か何かだろう」
とお父さんも悪口を言った。この三人は観音さまへお詣りに来たのでなく、苦情を言いに来たのらしい。
住職はこんなに評判が悪いとも知らず、長い御祈祷を
「旦那方、何うもお待たせ申しました」
と一
「昔、この辺に
と頼政の
「あの坊主は実に無学だね」
と寺を出て旧道を辿りながらお父さんが呟いた。
「無学さ、何うせ坊主だもの」
と下り坂だから団さんも元気が好い。
「山賊や猟師の娘に
「詰まらないことを知っているね」
「月小夜姫はおとましく綺麗な女子だったとあのお坊さんが申しましたね。その月小夜姫からこの小夜の中山という名前がついたんでしょうね?」
と奥さんの一人が説を立てると、
「そうでございましょうよ。切り通しや広小路なんかよりも好い名前ね。趣味があって」
ともう一人が受けて、それを田鶴子さんが、
「物語から取った名前には何うしてもロマンチックな
と至って学者らしく結論した。
坂を下り切ると菊川の里だった。鉄道開通のお蔭で東海道筋には却ってこの通り淋れてしまって、昔の格式を保ってゆけなくなった町が往々あるそうだ。山又山の谷底で、余り要害が好いものだから、文明の交通機関に全く敬遠されているのらしい。僕達はこの里の名所
「これも昔こゝで殺されたお
とお父さんは真面目な顔をして奥さん達に説明して聞かせた。
田舎箱根は車屋の誇張通り嶮しい坂道だった。しかし団さんは何とも言わずに辛抱した。或は口を利く余裕がなかったのかも知れない。
「団君に山を登らせるには美人を連れて来るに限るね」
とお父さんが三輪さんの耳許で囁いていた。
金谷へ戻った時僕達は停車場の
「これは誰の銅像だね?」
とお父さんが訊くと、車屋は、
「作十さんといってこの土地の金持です」
「妙に横の方を向いて
「はい。
「金を溜めちゃ駅の方へ向けないのかい?」
「
「成程ね。静岡県人だから」
と三輪さんが横から口を出した。
浜松の花屋本店で夜が明けた。
「お父さん、雨が降っていますよ」
と枕から頭を
「うむ、大分降っているね」
とお父さんは
「兎に角この雨じゃ仕様がありません。測候所へ電話をかけたら、昼から晴れると言っていましたから、まあゆっくり話しましょう」
と村田さんが言った。村田さんは団さんの友人で昨夜も僕達を停車場に出迎えてこの宿屋へ案内して来て呉れた。
「君、
と団さんは十年ぶりに会った人にも遠慮ということが更にない。
「人聞の悪いことを言うなよ。この花屋にしてもこれで僕の病家範囲だ。田舎の医者でも先生が診察室からすぐ早替りで薬局へ廻る奴とは違うぜ」
と村田さんも早速売言葉に買言葉になった。
「
「
「ふん、眼科だったね。眼科とは考えたな。罷り間違っても殺しっこないし、一つ潰してもまだ一つ残っているしね」
「おい/\、好い加減にして呉れよ。お
成程、女中とは違う人が入って来て、
「
と愛相好く挨拶をした。
「
と村田さんが言うと、
「まあ、
とお上さんは村田さんの肩を叩いた。
「だって土俵入りだと思ったんだもの」
と村田さんが註釈した通り、このお上さんは太っている。僕は田鶴子さんが昨夜縁側の暗いところでお相撲に行き当ったと言っていたのを思い出した。
「それは然うとお上さん、何か一つ浜松の話をお客さん達にしてやって呉れないか?」
「
「一体浜松の名物は何だろう?」
「
「成程、沼津でも静岡でも西の風が名物だと言っていましたよ。あれが此方まで来るのと見える」
と三輪さんが思い当ったように言った。
「此方から行くんだよ。相変らずグンデルビ
と団さんが揚げ足を取った。
「その空っ風と私の商売との間に緊密な関係があるから面白いでしょう。空っ風も東京のとは較べものになりません。冬になると橋から馬力が馬ぐるみ吹き落されるくらいですから、人間にも
と村田さんが説明した。
「成程、面白い影響があるもんですな。あなたは
とお父さんが訊くと、村田さんは、
「
「何うだかね」
「まあ、黙っていたまえ。当時旧藩主が
と村田さんは身の上話を終った。
「面白いですな。すると此処にこうして坐っていらっしゃるのも全然旧藩公のお鼻の然らしむるところですね」
とお父さんが嬉しがった。
「まあ、そんなもんですね」
「馬鹿なことばかり言っている。それより天気は何うだろう? 止みそうもないね」
と団さんは
「謙さん、朝四つの足で歩いて昼二つの足で歩いて晩三つの足で歩くもの
と
「さあ、四つの足で歩いて······」
と僕は田鶴子さんの言った通りを繰り返して見たが、何うもそんなものは思い当らなかった。団さんも釣り込まれて、
「一番
と考え込んだ。
田鶴子さんは散々僕を焦らした後、
「人間よ」
と教えて呉れた。這う頃は四本足だが、立つようになれば二本足で、年が寄ると杖を持つから三本足だそうだ。
「うむ、成程、巧いことを言ったもんだ」
と団さんは横手を
「団君、今のはスフィンクスの謎だよ。スフィンクスは往来に立っていて通る人にこの謎をかけた。それも解けなければ食ってしまうという条件つきだから
と三輪さんが笑った。
「スフィンクスなら僕だって彫刻の方で知っているよ。
と団さんはまだ感心している。
「
とお父さんも冷かした。
「朝を赤ん坊に
と団さんはスフィンクスが馬鹿に気に入ってしまった。
「七不思議はピラミッドさ」
とお父さんが言うと、
「七不思議で思い出しましたが、この遠州にも七不思議がありますよ」
と村田さんが案内の役目を思い出して、
「昨日御覧になった夜泣石もその一つです」
「それは是非承って置きたいもんですね」
とお父さんは忽ち乗り出した。
「夜泣石に佐倉の池に遠州灘の浪の音に······片葉の蘆と天狗の火と······」
と村田さんは行き詰まってしまい、
「おい/\、お上さんを一寸呼んで来てお呉れ」
と折から縁側を拭いていた女中に頼んで、
「天狗の火というのは燐か何かでしょうな。大井川へ
お上さんは再び大きな体躯を持ち込んで、村田さんのまた言う通りを数え立てた後、
「京丸の牡丹と井戸の土ですわ」
と二不思議を附け加えた。
「然う/\。井戸の土か? 思い出せない筈だよ。これは僕も
「この遠州では井戸を掘って埋めて見ますと屹度土が足りなくなっています。掘った丈けの土では埋まらないから不思議だと申すのでございます」
「掘って埋めて見る奴があるもんかね」
と建築を商売としている団さんは黙っていられなかった。実際家を拵えて壊して見る馬鹿はない筈だ。
「井戸でなくてもこれは分ります。この遠州ではお葬式の時墓穴を掘って棺を埋めますが······」
「遠州でなくても葬式は大概穴を掘って埋めるに相場の
と村田さんが弥次った。
「
「おや/\、アルキミィジスの法則で
と村田さんは無暗に口を出す。
「覚えていらっしゃいよ、人が知らないと思って病院の
とお上さんは睨んだ。
「アルキミィジスは結構だが、前提が間違っている。何うしても減るという理窟がない」
と団さんは何処までも真面目だ。
「理窟のないことがあればこそ七不思議さ。困った男だね」
と三輪さんが言った。
「元来土から出た人間だから常に地面の下に棺桶だけの空虚が待っていると解釈したら何うだい? 土も減らなくて済むし、この不思議も宗教的色彩がついて生きて来る」
とお父さんが
「何うも旦那様方はお話が
とお上さんは逃げ腰になった。全く朝からこんな
「まあ/\。そうお
と村田さんが水を向けても、お上さんは、
「あのお池の底が信州の諏訪湖へ通じていると言わせて又私を笑うお積りなのでしょう。
「もう一つ京丸の牡丹だ」
「あれも
といった具合で至って手短に片付けてしまった。
お昼近くになっても雨は止まなかった。今日の予定は弁天島も岡崎も
「三河の土を少しも踏まないでしまうのは残念だね」
とお父さんは甚だ不本意らしかった。
「三河には別に見るものはありませんよ。
と村田さんは畳の上で浜松の案内を終って
「名古屋の勢力範囲ですから三河の人は皆
「
と団さんが故障を申立てた。
「成程、君は名古屋だったね。名古屋人同様皆
「然うでしたね。権現さまと万歳の発祥地でしたね」
とお父さんが言った。
「万歳村というのがありまして、村中万歳ですから、
と村田さんはナカ/\話が面白い。
「相変らず詰まらないことを言って嬉しがっているね。それよりも天気だ。田舎の天気予報を
と団さんは旅行日程と手帳を見較べながら言い出した。
「いきなり名古屋へ行ってしまうのかい?」
と三輪さんが訊いた。
「然うさ。何うせ降るものなら汽車の中で降られる方が時間経済だからね」
「まあ/\然う急ぐことはないよ。しかし降るね。一つ度胸を据えてもう一晩泊って行かないか? 珍客をこの儘逸してしまっては惜しい。浜松美人を紹介するぜ。此処の家は料理屋も兼ねている」
と村田さんが誘惑を試みた。大人社会では珍客は必ず芸者で遇することに申合が出来ているのらしい。
「そんな下等な趣味はこの偽善者が反対だよ」
と団さんはお父さんに当てつけて沼津以来の溜飲を下げた。
「まあ兎に角もう
と言って村田さんはなお引き止めようと努めた。
有難い! 昨日とは打って代った日本晴れだ。名古屋では団さんの兄さんの家に泊るのが出発前からの条件だったので、昨夜は総勢五人御厄介になった。団さんの兄さんは団さん
「兄は僕の

という団さんの説明通り、うっかりしていると間違うくらいだ。兄さん丈けに、
「常々仙吉がお世話になりまして······仙吉、お寛ぎなさるようにお前からも申上げてな······」
という風で全く呼び捨てだ。
「兄さん、案内は私がしますから、何うか御心配なしに願いますよ」
と団さんも
「痛快ね。家で威張っているお父さんも此処へ来ると唯の仙吉なんですもの。何だかお父さんの名前を初めて聞いたような気がしますわ」
と僕に言った。
さて「名古屋へいりゃあたら
「あんた、
といった具合に
「旦那、やっとかめでなも。この前は大変御厄介になりまして、有難うございます」
と団さんに挨拶した番頭さんの案内で僕達は近廻りを見物に出かけた。お城の方へ一直線に進んで、中を電車の通っている外濠のところへ来ると、番頭さんは、
「この電車が
と説明を始めた。
「徳さん、名古屋弁でやっておくれよ」
と団さんが註文した。
「
「
「冗談言っては困るわえも」
兵営のあるところを通ってお城の前へ出た。遙に天守閣が見える。成程、金の
「今にあのすぐ近くへ参ります」
と言って、間もなく又、
「これが東京の馬場先御門です。明治四十三年にこの離宮へ移したのです」
「はゝあ、馬場先門が何時の間にか見えなくなったと思っていたら
と三輪さんは旧知の人に会ったようなことをいった。
「明治四十三年じゃなかろう?」
と団さんが例の癖を出すと、徳さんは、
「否、確に四十三年です。私が初めて東京へ······」
「······逃げた年かい?」
「鯱が益

とお父さんがいうと、団さんは又、
「馬鹿なことをいうと笑われるよ」
「鍍金じゃないのかい?」
「否、鯱の問題でなくて、歌のことさ。その歌は伊勢の歌でも名古屋の歌でもない。『石は釣って持つ釣って持つ石は、尾張名古屋の城へ持つ』といって、石の運搬法を説明した昔の歌だ」
「面白いね。『石は釣って持つ釣って持つ石は』か。妙なことを知っているね。君も」
「余り
「同時に名古屋の築城当時の光景を歌っているじゃないか?」
「否、名古屋に関係はないさ。石が主題になっているもの。附録の方は『肥後の熊本の城へ持つ』と直してもその儘通用する。物理の原則を歌っているんだからね。『独逸ヴィッチンベルグの城へ持つ』としても同じことさ」
「恐れ入った解釈だね。すると『伊勢は津で持つ』という歌はこの土地じゃ謡わないんだね?」
「
と徳さんがうっかり口を辷らすと、
「魚の棚だって? 困るぜ、徳さん。もうあすこへは足踏みをしないという条件で僕が詫びてやったんじゃないか」
と団さんは眉毛を
間もなく僕達は濠を距てゝ真正面に天守の見えるところへ来た。
「鯱が
と徳さんは指さしながら、
「昔柿の木金助というものが大きな凧に乗ってあの鯱の鱗を一枚剥ぎ取ったことがあります。それ以来あの通り金網を張って警戒し、半紙百枚以上の凧は
と説明してくれた。
「成程、見える。右の奴の口元だ」
とお父さんは逸早くお茶屋の遠眼鏡を覗いていた。つゞいて皆代り/″\に鯱の魚に見参している間も、
「この鯱を
と徳さんは案内役に身を入れた。
お城を一周して練兵の坂というのを上った。名古屋は完全に平坦な
「此処は東京なら
と徳さんが言った。度々逃げて行っただけに東京のことをよく知っている。
こんな風で僕達は徳さんの案内に委せてお昼前に中村公園と鶴舞公園を見物した。前者は小さいが太閤が呱々の声を揚げたところで
「名古屋人を軽薄だというが、それは中京の真相を知らないものゝ説だね」
と団さんは池の
「日本中で実力競争の最も赤裸々に行われているところは恐らく名古屋だろうと僕は思っている。万事実力即ち金力で情実が
「物価の
とお父さんが言った。
「それも実力競争の
「女の子が生れると赤飯を
と三輪さんが訊いた。
「芸者に売れるからさ。此処は芸者の産地としては日本一だぜ。おきゃあせ
「おきゃあせとは何ういう意味だい?」
と三輪さんは一々訊く。
「置きなさいさ。お止しなさいさ。略して『おきゃあ!』ともいう。先刻電車の中で女学生が連発していたじゃないか」
「名古屋言葉の特徴ですよ。おきゃあせ/\というものに、おきゃあせんもんだでそれ見ゃあせ」
と徳さんが低い声で唄いだした。
「労働賃銀も此処は

「御賢兄も然ういう説だったね」
「御賢兄々々と言うなよ。僕が如何にも
と団さんは少々憤慨したが、又、
「名古屋人の勘定高いのはこれだけの大都会でいながらこの頃漸く電車賃の均一制が行われる様になった一事でも分る。以前は一区二銭で、最長限が三区だった。三区たっぷり乗る場合には文句もないが、二区半ぐらいの場合には二区で下りて
「三銭なら均一でも我慢してやるという論が盛んでなも。浮か/\していると電車は焼打を食うところでしたよ。あゝいう正義人道の問題が起りますと、名古屋中の人がこの公園に集まります」
と徳さんも
僕達は再びその均一電車に乗った。気の
「おや、何処へ」
と頷くと、僕が鯱泥棒の嫌疑を半ばかけていた男は、
「病院へ行って来ました。末のが
「然うきゃも。疾風はおぞぎゃあぎゃあも」
「村岡君、疾風というのは
と隣にいた団さんがお父さんに通訳した。
「疫痢が
「此処の名物さ。恐らく此処が本場だろうよ。此処のは特に悪性で勝負が早いから土地の人は疾風と言っている」
「
とお父さんが言った時、僕達はもう
「栄町までブラ/\歩こう。何も見物だ」
という団さんの
「こういう時には均一が特別癪に障りますね。
と徳さんが憤慨した。
「いゝさ。昼から熱田へ行くから埋め合せがつくよ」
と団さんが慰めても、
「熱田までは以前なら三区ですもの、唯一銭しか開きがありません」
と徳さんは一銭の儲けでは不満足らしかった。電車に乗って儲けようというのだから始末に負えない。
「この辺が名古屋の銀座なんでしょうね? ナカ/\賑かだわ」
と田鶴子さんが喜んだ。
「栄町が銀座でございます。この向うが伊藤松坂屋のあるところでございます」
と徳さんが教えてくれた。
「あら、名古屋にも松坂屋があるの?」
と僕が訊くと、
「松坂屋は此方が本店よ」
と田鶴子さんは
「此処の名物は一体何と何だね?」
と栄町から
「先刻の『おきゃあせ』とコーチン······」
と団さんが数え切らない中に、
「動物は困るよ」
「······尾張大根と······」
「植物も困る。菓子か何か家へ送れるものはないかね?」
「菓子なら
「御賢兄のお宅へ
とお父さんが言った時、大きな
「大きな川だなあ! 何川でしょう?」
と僕が言った。
「木曽川よ」
と先刻から地図を見ていた田鶴子さんが教えてくれた。
「御参宮でございますか?」
と品の良い老人が三輪さんに話しかけた。すべて汽車の中の交際は行先地の質問から始まる。
「えゝ、あなたも矢張り?」
と三輪さんが応じた。
「はい。伊勢路はお初めてでございますか?」
「えゝ」
「
「はゝあ、私が漸く生れたか生れない頃ですな」
「日本橋は
とお父さんは火事とでも聞きつけたように向う側から乗り出した。
「
と老人が答えた。
「そうでございますか。実は
「奥さんのお里が? はゝあ、三丁目は
「
「はゝあ、木本さんでございますか? 木本さんなら
話し合っている中に不図共通の知人が出て来たり、商売や道楽の同じなことが分ったりしても直ぐに肝胆相照らして名刺の交換に及び、別れる時には窓から鞄を出してやってそれっ
「然うでございましたか。木本君の、はゝあ、御長女の、はゝあ、御婿さんで、はゝあ」
と老人は額に掛けていた眼鏡を鼻の先へ下してお父さんの名刺を見ながら言った。
「村岡君、大分鼻の下が伸びているぜ」
と団さんが冷かした。
「田鶴子さん、早く写真機をお出しなさい」
と三輪さんまで
「四十何年か前に私を抜け詣りに誘ったのが木本君ですよ。今しがたもその頃のことを考えていたところです。何しろまだ汽車が横浜までしかなかった時分でしたから随分困難しました。しかし伊勢詣りは能く/\深い御縁ですなあ。こう頭の禿げた今日又こゝで昔一緒に逃げてきた木本君の御長女のお婿さんと道連れになるのですもの」
と老人は感慨無量という体であった。
「木本の親父もそんな時代があったんですか? 人を誘い出したりしてナカ/\悪友でしたね?」
とお父さんは嬉しそうに言った。
「
と老人が説明した時、僕達は再び大きな川へ差しかゝった。
「あの折は何でもこの川を舟で下りて桑名へ着きましたよ。然う/\、
間もなく遙に玩具のような城が見えて、桑名に着いた。成程、
「名物しぐれ
と売子が呼んでいた。
「一の鳥居は桑名にあると申してな、
と当年の抜け詣りは汽車が動き出すと共に又話し始めた。
「一の鳥居から本殿まで三日も四日もかゝるんですね?」
とお父さんが訊いた。実に調法な道連れが出来たものだ。僕達はこの老人のお蔭で車窓に現場を控えながら半世紀前の伊勢詣りの模様を
「こゝから二晩、足の弱いものは三晩泊りでしたな。昔は伊勢参宮が冠婚葬祭に次ぐ
「成程、御一説ですな。然う承ればこの頃は交通が便利になった割合に伊勢を知らない者が多いようですよ。現に私達も皆初めてですからね」
と団さんが半ば同感を述べた。
「然うですとも。交通機関が完備したり新聞が発達したりした丈けに遙々出掛けて来る必要がなくなったのです」
「全く然うですなあ。
と三輪さんは黙っていれば宜いのにと思うようなことまで発表して老人の説を全然確認した。
「
とお父さんは自分の無精から意見を割り出した。
亀山を通ったとき老人は、
「坊ちゃん/\、この宿はお祖父さんの古戦場ですよ。坊ちゃんは雲助というものを御存知でしょう? 私達の来た時分には車屋がまだその雲助
と
「奥ん坊って何です?」
と僕が訊くと、
「奥州者のことです。
「大いに江戸っ子の為めに気を吐いたのですな」
とお父さんが喜んだ。
「ところがそれから先がいけないのです。
「膏薬代を取られましたね?」
「膏薬代丈けで済めば結構だと思いましてね、木本君は、『おい車屋さん、お前さんは
「危いところでしたね。しかし好い仲裁人があって結構でしたよ」
とお父さんも安心したが、僕も胸を撫で下した。
「私達はその二人と一緒に関の地蔵さんに参詣して別れました。参宮でなくて大阪へ行くのだそうでした。危難を救って貰ったのですから後日の為めにと思って名を訊いても『私達は堅気のものじゃありませんから』と言って笑っていました。
と老人は話し終って笑った。
「木本の鬼瓦が博奕打ちに説諭をされたとは好いことを承りました」
とお父さんも笑い出した。そうして、
「面白い。実際面白いですな。関ですね、舞台は? 喧嘩は道中亀山噺の亀山で、説諭は関の小万のあの関ですね?」
と場面を能く記憶に留めて置いて他日鬼瓦に当って見る積りらしかった。
「然うです。地蔵さんのある関です。『関の地蔵に振袖着せて奈良の大仏婿に取る』という歌がありますよ。浅草の観音様同様小さいので評判の地蔵様のあるところです」
「こゝは何んなところでしょう? 下りて見る価値がありましょうかね?」
と団さんは津に着いた時訊いた。「つ」と唯一字停車場に書いてある。凝っと見ていると余り簡単で何だか馬鹿にされたような気がする。縦も横もないから団さんも自然内容の価値を疑ったのだろう。
「さあ、その折泊りましたが、一向覚えがありませんな。何でも馬鹿にひょろ長い町でしたよ。津の宿は七十五町といって名前の割に長いとかと詰まらないことを自慢にしていましたよ」
と老人は余り好い推薦をしなかった。
「津う、津うって、唾でもするようで駅夫も呼び
と田鶴子さんも言った。
「損な名前ですな。一寸した公園がある丈けで他には何も見るものがないそうですよ」
と三輪さんは誰に聞いて来たのか能く知っていた。兎に角こう不評判では津は
しかし松坂では、
「こゝは三井家の発祥地で有名な金持町です。取引先の木綿問屋がありますから、私も帰途に寄って見る積りです。『伊勢の松坂女郎衆の名所迷わさんすな帰らんせ』といって、こゝは昔から繁昌なところです」
と無暗に力瘤を入れた。
「その折お泊りでしたね?」
と団さんが言った時、田鶴子さんが、
「
「鈴の屋? まさか待合じゃあるまいね?」
「厭なお父さんね。
「知らないね。織田信長なら少し懇意だけれども」
と団さんは悪い癖で文学者となると必ず茶化してかゝる。
「有名な歌人ですわ。『敷島の大和心を人問わば』なら何ぼお父さんでも御存知でしょう?」
と田鶴子さんも好くない傾向でお父さんを
「あれならお父さんも知っているさ。ふん、あの人かい?
と団さんは益

「時に今晩は何うしてもやはり
とお父さんが遺憾そうに老人に尋ねた。
「はい。古市へ泊って伊勢音頭を見なければ話になりませんからな。あなた方は何うでもやはり
と老人は憐れむように訊き返した。
「鳥羽は朝の海が何とも言えないそうで、伊勢へ行ったら鳥羽に限ると教えられて参りましてね、宿屋まで
「海の景色は二見の日の出が好いそうで、私は今夜は古市明晩は二見と定めてあります。伊勢音頭と日の出を御覧にならないのは惜しうございますよ」
見物客の予定は信仰箇条のようなものだ。各自我が
「仙吉や、参宮を先に済ましてから鳥羽の
という調子でもう
「それでは
と言って真先に俥に乗った。
お父さんと顔を洗いに行くと、団さんがもう
「お早う。相変らず几帳面にやっているね」
とお父さんが褒めた。
「相変らずって、僕はこれでもう二十二三年続けているよ」
と団さんは棒手拭で背中をグイ/\やりながら答えた。
「些っとは効能があるのかい?」
「風邪をひかないこと不思議だね。君も一つ始めちゃ何うだい?」
「真平だ。毎朝そんなに一生懸命になって
「無精な男さね。時に三輪君は
「何に、チョク/\細君の顔が見たくなるのさ」
田鶴子さんは
「何うだね? 脈はあるかい?」
と団さんはお父さんと一緒に上って来ると直ぐに冷かした。
「実は感心しているところさ。毎日の過労が未だ一向影響していない。家で学校へ行っている時よりも忙しいのだから身体具合は悪くなって宜い筈だけれどもね」
と三輪さんは健康を損ねるのが目的のように答えた。
「
と団さんが言った。
「兎に角身体具合の好いのは結構だよ。時々里心を起すのは君の癖だから何とも思わないけれどもね」
とお父さんも安心したようだった。
御飯が済むと宿の亭主が出頭して挨拶を述べてから、
「
と尋ねた。
「
と団さんが答えた。
「左様でございますか。お早いことで。鳥羽もこの附近の島めぐりをなさいますと丁度よろしい一日のお慰みになります。八十五島ございまして、すぐそこの坂手や
「昨日登る時には大骨を折ったが、高いところ丈けに眺望は好いね」
とお父さんは島だらけの海を見渡しながら言った。
「この
と亭主は忽ち大きく出て、
「今朝は生憎と霞んでいますが、好く晴れた日には富士山が一間半に見えます」
「一間半とは何うして測定したのだろう?」
と団さんは数字が出るとすぐに理窟っぽくなる。しかし亭主は、
「丁度一間半ございますな」
と物指を当てたように繰り返して、説明の必要を認めなかった。鳥羽の人は日の山公園は東洋一、富士山は一間半と確信している。
「兄貴め、僕の山登りの下手なのを知っていて、

と団さんは景色には余り興味を持っていない。
「東京も結構でございましょうが、男としては何と申してもやはりこの辺の島へ生れて来るのが一番の果報でございますな」
と
「何故ね?」
と今度は三輪さんが相手になった。
「女房が皆
「それは耳よりな話だね」
と団さんが喜んだ。
「亭主は女房が海の中でセッセと稼いでいる間くわえ煙管で浄瑠璃を語りながら櫓を押していればそれでもう申分ないのでございます。それに海女ほど貞操の堅いものはありません。
「食わせて大切にするんだから感心なものだね。お互のところ見たいに食わせてくれるから亭主が大切と言うのとは段が違う」
と団さんは益

「海へ入って
「何うだね、海女は、器量は?」
「左様な、何分水につかるので大概ふやけていますが、時には相応綺麗なのもございます」
「器量が好くて、亭主を大切にして、裸体商売だから無論着物は欲しがらなくて······」
と団さんが長所を数え立てると、
「要するにお互の女房とは全く反対の美点を具備している」
と三輪さんが言い、お父さんも、
「僕達は今更仕方がないけれど、若い人にはこゝの島へ婿に来るように勧めてやるんだね。好いことを聞いたよ。もう何か他に珍しい話はありませんか?」
「左様でございますな。昨日相の山でお杉とお玉の踊りを御覧になりましたか?」
「
「あれにまず伊勢音頭でございますな、御覧になるものは」
「伊勢音頭で思い出したが、芝居でやる彼の古市の油屋は今はもうないようだね」
「有りますとも、相の山から古市へ入ると右側に油屋旅館というのがございましたろう? あれでございますよ」
「あれかい? しまった。昨日
「今は宿屋でございますが、あれがその『伊勢音頭』の油屋で、お紺の使った品物や
「つい宿屋だとばかり思っていたもんだからね。道理で彼の老人も古市へきて油屋へ泊らなくちゃと頻に言っていた。実際惜しいことをしたよ」
「又
と団さんは海女の話ほどに力を入れない。しかし亭主は、
「油屋の白井さんはナカ/\の
と古市の話を続けた。
「一美談ですな」
と三輪さんが感心した。
「白井何といいますか?」
とお父さんは手帳を取り出した。こんなことを時々書き留めたりするところを見ると、ピックウィック・ペーパーズも満更口ばかりじゃないのか知らと僕は思った。尤も団さんは、
「救世軍へでも報告するのかい?」
と冷かしてやはり信用していなかった。
「もう何か他に面白い話はないかね?」
「左様でございますな」
と亭主はこういう
「お
「お木曳きというと?」
とお父さんは言葉の意味から訊いてかゝった。予備知識の全くない連中だから先生も並大抵でない。一々根本から説明しなければならない。
「
「成程、名古屋の城の石を運ぶ歌を借用するんだね」
と三輪さんは団さんの
「
と亭主は稍

「そうして『あれやいせ、これやいせ』と申すのも『あれはお伊勢様の御利益、これはお伊勢様の御利益、何も彼も一切万事お伊勢様の御利益、有難いことじゃ』という意味でございますからな」
といかにも
上り下りに馬鹿骨が折れる丈けに樋の山はいながらにして
「鳥羽は真珠の名産地だよ。
と団さんは町中へきた時買い物好きのお父さんと三輪さんに
「田鶴子さん、真珠を買ってお貰いなさいな。こゝは真珠が名産だそうですから好い記念になりますよ」
とお父さんは復讐の積りか早速田鶴子さんに意地をつけた。
「買ってやるとも。しかし真珠で候とお
「田鶴子さん、宜いですか? 大きいのを買って貰うんですよ」
と三輪さんも入れ智慧をした。
こんな冗談を言い合っている中に僕達は土産物の売店へ入ったのだか呼び込まれたのだかしてしまった。番頭が頻に品物を並べる。田鶴子さんがそれを一々手に取って
「田鶴子、この辺のは何うだね?」
と団さんは幾度か田鶴子さんの御機嫌を伺ったが駄目だった。
僕は待っている間に先頃お母さんと
「うっかり口は利くもんじゃないね。ひどい目に遭ったよ」
と団さんが
間もなく停車場に着いた。水兵が大勢参宮にでも出掛けるところと見えて整列していた。
「軍港かね? こゝは」
とお父さんが訊いた。
「軍港じゃないけれど軍艦が始終来るらしいね。先刻も二三艘見えたろう? 水兵と鉄工所の職工で持っているとあの亭主も言ったじゃないか?」
と団さんが答えた。
「水兵は陸軍の兵隊と違っていかにも愉快そうだね。
と三輪さんは整列のすぐ
「それは練兵や行軍の時とは違うさ。斯うやって勢揃いをして遊びに出掛けるんだもの。尤も陸軍は強制だけれどもこの連中は皆志願だから、その辺の関係もあるだろうね。実際愉快そうにやっているね」
と団さんも青ジャケツ達を
「以前は兵隊が叔父さんのように見えたもんだが、この頃は若くなったね。将校にもこんな子供に戦争が出来るか知らと思うようなのがあるが、それ丈け此方の年が寄ったんだね」
とお父さんも海兵を材料にして感想を述べた。
二見が浦で下りて
「お嬢さん、
「坊ちゃん、栄螺の壺焼をお喰りなしていらっしゃい。理科の参考にもなります」
と一々名を指して呼びかける。
「田鶴子も謙さんも余程喰べたそうな顔をしていると見えるよ。一つ喰べて行こうか?」
と団さんは僕達に託けて、割合に綺麗な店へ差しかゝった時腰を下した。
「
と躊躇した三輪さんも一人前平げて、
「この尻尾のような青いところも喰べられるのかい?」
と念を押し、
「尻は胃病の薬ですよ」
と女中に教えられて殻丈けは残した。
夫婦岩は甚だ評判が悪かった。
「これは
とお父さんが言うと、団さんも、
「写真では彼の玩具の鳥居が
「この石垣が又俗悪だね。
と三輪さんに至っては
予定の時刻に伊賀の上野に着いたが、迎えに出てくれる筈だった三輪さんのお弟子の姿が見えない。電報は
「君が
とお父さんが言った。
「まさか。僕もこれで学校の時間丈けは
と三輪さんはお弟子の責任を田鶴子さんと僕に
「斯うやって待っていても始まらない。兎に角上野へ行って宿屋へ落ちつくとしようじゃないか?」
と団さんは赤帽に切符を買いにやった。
「上野へ行くって、此処が上野だろう? 伊賀上野とちゃんと書いてある」
「
間もなく僕達は玩具のような汽車に押し込められた。
「英語では
と団さんが悪口を言った。
「今の上野は偽物の上野かね?」
と三輪さんはまだ上野を気にしていた。
「偽物という
「何うして?」
「鉄道の出来初めには
「成程ね。山の中で人智の進まないところだろうからね。それで今更軽便鉄道でつぎ足して騒ぎを入れているのかも知れない」
と二人は土地の人達が乗っているのに勝手な熱を吹いている。
「はい、
とお父さんは隣席の
「友忠さんなら東大手でお下りなされ」
と商人が教えてくれた。
「
と商人の連れの中老が口を出した。
「三町ということはありませんよ。東大手から五町台、西大手からは七町ありますよ」
「否、西大手から三町であす。私はつい筋向うであすから始終試していますが、東大手よりは煙草を一服
と双方
「何うです? 近うあしょう?」
と確信的に言って別れた。
「まあ/\、一服やってお茶を飲むほど儲かったんだから」
とその儘神輿を据えてしまいたがる団さんを促して、僕達はまず見物を果すために宿屋を出た。
俥に乗るほどのこともなかろうと高を
「もし/\、
とお父さんは訊き方を呑み込んでしまったくらいだった。芭蕉翁と言っても通りがかりの人には通じない。続いて
「一寸お尋ね致しますが、この辺に蓑虫庵というのはありませんか?」
「知りまへんなあ、そんなものは」
「芭蕉はんのいたところで、この見当だと聞いて参りましたが······」
「芭蕉はん? そんな人存じまへんなあ」
といった調子だった。
「驚いたね。誰も知らない。翁も案外人気がないんだね。矢張り予言者は故郷に尊ばれないのか知ら?」
とお父さんは
「君、相手が悪いんだよ。先刻から選りに選って女子供やヨボ/\爺さんにばかり訊いているからさ」
と三輪さんが注意した。
「要するに
と団さんは芭蕉が俳人だということ丈けは知っているようだった。
漸く探し当てた揚句の果が、庵は今では個人の別荘とあって門が閉っていた。
「これでは町の人も知らない筈だよ。住宅になっているんだもの」
とお父さんは翁のために弁じたが、拝見させて戴くのに又
「何うも君達は物見高くて困る。こんな安普請がそんなに有難いのかなあ」
と腹のへった団さんは頗る不平らしかった。
「僕も大分
と三輪さんも
「厭な人ねえ! 皆私達の
と田鶴子さんは僕に目くばせをして三輪さんを睨んだ。
「もう洋服を着る時にお手伝いをしてやらない方が
と僕も朋輩の
「君、蓑虫庵が妙に現代的に
とお父さんは他の思惑には頓着なく、矢張り翁の遺跡を問題にして振り返りながら言った。
「
と三輪さんは古いことを思い出したように答えた。
「一つ葉書を出してやるかな。あの蓑虫庵で初めて世帯を持ったと言っていたよ。そうしてそれがナカ/\お安くないんだぜ。中学校に運動会があった時若い綺麗な女学校の先生が生徒を引率して見物に来たんだとさ。すると先生忽ち見惚れてしまって、茫然自失、運動会は
「何方の先生だい?」
「何方も先生さ。生徒なら差詰め退学処分だね」
「否、何方の先生が
「それは無論男の方が女の方に見惚れたのさ。女が男に見惚れてしまってゝパッタリと
「何だって? 見惚れているところを写真に撮られたって?」
と団さんが寄って来た。
「
「何ういう意味だろう? その鼻の下というのは」
と三輪さんが解釈に苦しんだ。
「あの瞬間の鼻の下は
とお父さんは真面目になって説明した。
「下らないことを言っているぜ」
と団さんが早足になると、
「団君の話と言うのは何うしたんだい?」
と又三輪さんが訊いた。
「あれは
「馬鹿ばかり言っていると日が暮れてしまうぜ」
と言った団さんは田鶴子さんを
「二三年前の花の日に団君が銀座で何処かの若い令夫人から造花を買ったと思い給え。するとその場を新聞記者が写真に撮って夕刊に出したんだね。団君は決して見惚れたんじゃないと言うが、誰が判定しても

「それは団君も
と三輪さんは
「去年から婦人の聴講を許したところが、数名の志望者があった。そのうち一人が水際立った美人だったので、学生の注目を
「成程、巧いね。その先生といい団君といいまた根上君といい、揃いも揃ったもんさ。して見るとポープの名句も The proper study of mankind is woman と訂正しなければならないことになるね」
とお父さんが嬉しがった。西洋人の言葉を引合に出すときは悦に入った絶頂だ。
トボ/\頃宿へ戻ってお湯に入り御飯を喰べ始めたが、土地の知人がいないと一向話がはずまない。女中方はお給仕が本務だから、一々質問に答える責任はないと信じているらしく、何を訊いても「はい」とか「いゝえ」とか唯の一口で片付けてしまう。お父さんは余程努めたが、
「はい、藤堂様であす、こゝの殿様は」
「伯爵だねえ?」
「はい」
「子爵だったかな?」
「さあ」
「やっぱり伯爵かい?」
「
というぐらいが関の山で全く取りつく島もなかった。ところへバタ/\/\と階段を踏み鳴らして入ってきた青年紳士があった。
「先生、皆さん、何うも飛んだ失礼を致しました」
という挨拶で、これが三輪さんの遅刻のお弟子松本さんとすぐ知れた。
「電報が間違ったろう? 子供委せにして置いたもんだから」
と三輪先生が大きく出た。尤もお弟子さんの手前、このお子さん達が身の
「否、電報は昨晩確に戴きましたが、気を利かして亀山までお迎えに出掛けたのがソモ/\間違の
と答えて、松本さんは、
「姐さん、私にも御飯を持ってきてお呉れ。御一緒に失礼することにしましょう。早速で済まないが、急いでね」
と命じた。物のしこなしや言い廻しが先生より余程世間慣れている。
「謙さん、電報が着いて
と田鶴子さんが
「
と僕も意を体して応じた。しかし三輪さんは、
「それは打った電報ですもの、着かなけりゃ間違です」
と今更のように教えてくれた。些とも手答がない。
「皆私の
と却ってお弟子さんの方へ響いたのは気の毒でならなかった。
食事が済むと、田鶴子さんと僕は例によってそれ/″\家への通信事務に従った。必要は発明の母なりという通り、毎日手紙を書かされると自然
「
「何ういう
と三輪さんが訊いた。神経衰弱は何でも病気で釈明しようと努める。
「
「はゝあ、お粥を喰べますか?」
とお父さんがその後を促した。
「朝とか晩とか又は朝晩二回とかと貧乏人でも金持でも必ず粥を喰べて米の節約をすることになっています。これは昔饑饉のあった時お
「さあ、東京の下宿屋の味噌汁と同じ関係ですかね?」
と団さんは書生時代の経験から柄になく
「然うです。
「芭蕉の句の『馬に
とお父さんが六ヶ敷く出た。
「何でもありませんよ。たゞ茶を入れて煮た粥です。それに麦を交ぜたのを麦茶粥といいます。
「麦茶粥に小豆茶粥に芋茶粥と。ナカ/\種類がありますな」
「まだ餅茶粥というのがあります。これは主に冬分寒さ
「餅茶粥と。これで五つになりますな。お待ち下さいよ。餅茶粥は寒さ凌ぎと。冬は矢張り寒いですか?」
「寒いの何のと申して、『伊賀の上野は
と松本さんはお粥から又本題へ戻ったが、
「いや、遅参の申訳からとんだ尾籠な話になってしまって恐縮です。これからはもっと綺麗なところを申上げましょう。伊勢からお
「然うですかな。ついうっかりしていて気がつきませんでしたよ」
と団さんが言った。
「それで根上君も見惚れたんだね。しかし君は美人系らしくもないじゃないか。第一色が黒い。原則を証明する例外という組かね?」
と三輪さんは思う通りを口に出す。
「私のは東京の影響です。これでも伊勢の人よりは白いのです。私の姉婿は伊勢から来ましたが、私ほどの色になるのに五年かゝりましたよ。
「小便系と美人系ですな」
とお父さんは手帳に認めた。
「その美人系もこの上野が中心です。妙なお話ばかりするようですが、この土地は有名な妾宅地です。伊賀では上野に妾宅を構えていないものは紳士といえないことになっています」
「成程、東京でも結局其処へ帰着しますね。あなたは未だ紳士の資格がありませんか?」
と団さんが笑いながら訊いた。
「前途遼遠ですな。親父の
と松本さんは
田鶴子さんは未だ手紙を書いていたが、この時、
「謙さん、あなたは今日も絵ハガキで済ましてしまって
と僕に確めた。
「ひだり奈良道ですよ」
と松本さんが答えた。そうして、
「彼処は上野一番の名所です。
と約三百年前の
「又五郎の一行を待ち受けている間に又右衛門は数馬その他二名のものとあの辻の飲食店で腹拵えを致しました。伊賀の人でしたが、この日は特に茶粥を控えました。切合最中に差支えては困ると思ったのでしょう。何を喰べたかと申すと蕎麦と鰯だったそうです。蕎麦は側に通じ、鰯は当地の方言の
といった行き方でこれが尠からず興を添えた。
「
と残念がった。天神さまのお
「この
と言った。この筆法に従うと伊賀の上野もそれより大きな町を
「伊賀の『
と今度は又右衛門と共に無条件だった。
「姐さん、お茶を一杯いたゞこ。余り喋って喉が乾いた。熱いのをいたゞこ」
と
「いたゞこは一寸変っていますね。当地の方言ですか?」
とお父さんが訊ねた。
「然うです。略して『だあこ』とも言います。『その煙草取ってだあこ』とやります。伊勢の『お
と松本さんはお国訛まで有名にしてしまう。
朝は池に飼ってある白鳥の鳴き声で目が覚めた。松本さんの
「昨日休んでいないと今日は何うにか都合をつけて奈良までお供をするのですがね」
と銀行員は如何にも残り
「まあ/\、紳士の資格を得るまでは辛抱して勉強することだね」
と三輪さんは先生らしい訓諭をした。
「何うも種々有難うございました。お蔭で上野は頗る材料豊富になりました」
とお父さんは
「東京で鮨を喰べるときには必ずあなたのことを思い出しますよ。何卒御健在で」
と団さんもお礼を述べ、それに和して田鶴子さんと僕が幾度もお辞儀をした。
「鮎の捕れそうなところだね」
とお父さんが言った。
鮎の話は先刻から二人連れの乗客が始めていた。
「この辺の鮎は昔の
と甲が言った。
「はゝあ、私は乾からびたのしか見たことがありませんが、あれでも
と乙は
「去年の夏伊勢へ商用で参りましたが、
「
「
「そんなにして京都まで行ったら嘸高いものにつきましょうな?」
「二十銭の鮎が京都に着くと一円五十銭になるそうです。全くそれぐらい取らなければ引き合いますまいて」
「そんなものを食ったら口が曲りますぜ」
「一桶二十五
と甲は頻りに指を折って首を傾げた。
「
と乙は余り感心しなかった。
「私もその折然う思いましたよ。二時間も三時間も立ち続けてあの重い桶を揺っているのは大抵の仕事じゃありません。これが病人に薬を持って行くとでもいうのなら兎に角、全く金持の口腹の慾を満たす為めだと考えたら私も何だか不愉快の心持になりました。あゝいう風に徒労に骨を折る商売が多いから社会は案外進歩しないですな」
と甲が
「御説の通りです。日本人は少くとも三分の一は大骨を折って徒労をしています」
と立ち上って僕達の方へ歩み寄った。多分お父さんの反省を促すのだろうと思ったら、煙草の
「しかし此処の鮎は実際好いですよ。この辺では何といってもこの木津川と吉野川ですな。吉野川では一尺からのが釣れます」
と甲は又鮎の問題に立ち帰った。
「そんな大きなのがありますかな?」
「ありますとも。去年私は一尺からのを四五十尾釣りました」
「あんたは大漁のお話をよくなさるが、現物を私のところへ御覧に入れたことは根っからありませんな」
「
「否、冗談ですよ」
と乙は制するように言って、
「一体餌は何ですか?」
「鮎の餌をお訊ねになるようでは心細いですな。鮎は
「成程、二重の
「然うです。しかし普通の詐欺では
「三百種? 一々形でも違うのですか?」
「形は大同小異ですが、毛の色合が一つ/\違います。この三百余種類から天気の模様や水流の具合に鑑みて一番鮎の御機嫌に叶いそうなのを
「それは魚のかゝったときは嬉しいものです。私も子供の頃釣堀の緋鯉を引っかけたことがありますが、胸がドキ/\しましたよ」
「釣堀と一緒にされちゃ張合がありませんな。ところで鉤が合えば面白いように釣れますが、合わないと来た日にはこれくらい
「ナカ/\人が悪いですな」
「
「吉野川は唯今承りましたよ」
「いや、これは
「ハッハヽヽヽ」
と長い顔にも短い顔にも春の光が隈なく照っている。
程なく奈良に着いた。田鶴子さんのお友達の清瀬さんがプラットホームに出迎えていてくれた。田鶴子さんと僕は夕刻ホテルで皆に落ち合うまで清瀬さんのお引き廻しに委せることになった。大人連中は差当り子供の圧迫を遁れて自由行動を
清瀬さんはお父さんの転任と共に東京から当地の女学校へ転じ、田鶴子さん同様つい先月卒業したのらしい。何方も現代婦人の雛っ子だけに表情頗る逞く、殆ど相擁して、
「私、随分吃驚したわ。
「あなたこそ。見違えるくらいですわ。でも二年足掛け三年目ですからね。無理もないわ。あの頃
「面白い清瀬さんねえ。そんなことを仰有るところは些っとも変っていないわ。けれどもいつかお別れする時には此処でお目にかゝれるとは思いませんでしたわね」
「だから矢っ張り長生はするものでしょう? 私
「私も。この胸が一杯で何からお話して宜いか分らないの」
という風で、僕は
「謙さん、それではソロ/\御案内して戴きましょうかね?」
と僕も漸く田鶴子さんの認めるところとなって停車場前の大通りを辿り始めた。
「これが皆見物客よ。天気さえ好ければ毎日この通りです。田舎もなか/\馬鹿にならないでしょう?」
と清瀬さんは僕達の前の団体を指さした。両側から宿引が大声を揚げて頻に招いている。と見ると蝙蝠傘を担いだお爺さんと信玄袋を提げたお婆さんが往来の真中で立ち止まった。左右からの引力が全く均等の場合には前進は当然遮られる。宿引は得たり賢しと小腰を屈めながら、
「もし/\/\/\/\/\······」
とばかり息もつかずに両方から招き寄った。その真剣なこと、
「何うしたんでしょう?」
と田鶴子さんが怪しむぐらいだった。
「宿引の競争よ。何方が勝つでしょうね?」
と清瀬さんも興味を催した。
「もし/\/\/\/\/\······」
とその間も血相を変えて競争者がジリ/\と獲物に迫った。
「開化天皇の
と間もなく清瀬さんが左手を指さして言った。そうして、
「奈良の案内は此処から始めるのよ。遊覧地ですから毎月のようにお客さまが見えます。その都度御案内を言いつかるもんですからもう
「
「采女って誰?」
と田鶴子さんが訊くと、
「昔の美人よ。
「まあ、可哀そうに! 愛情問題の犠牲ですね?」
「
と清瀬さんが説明した。成程采女の社というのは鳥居だけが池に面して御本尊はツンと
奈良には鹿がいると聞いて来たが、実に沢山いる。
「あなた方は鹿に紅葉の
と清瀬さんが花の松のところで訊いた。
「
と田鶴子さんが僕の分まで答えてくれた。
「それなら石こづめの
と清瀬さんは僕達を十三
「昔、十三になる興福寺のお小僧さんが春日様の鹿を殺して、鹿の死骸と一緒に此処で石こづめにされたのですとさ」
「石こづめって、何うするんです?」
と僕が尋ねた。
「穴へ入れて石で詰めるのです。けれどもこれは嘘よ。その証拠にはこのお堂が十三鐘でしょう。子供の年が十三でしょう。それから石こづめの穴の深さが一丈三尺というのですもの。そう十三という数ばかり揃う
「けれども十三という不吉な数ばかり揃えて動物愛護の精神を表した伝説と見れば宜いでしょう?」
と田鶴子さんが註解を試みた。
「人間虐待の精神も表れていますね」
と僕は不服を唱えた。
「

と伝説を出来合のまゝで受け容れないところは田鶴子さんよりも清瀬さんの方が団さんに似ている。
春日様は一の鳥居から二の鳥居まで随分長道だった。この間も其処此処で鹿に行き会うものだから、田鶴子さんは記念の為めにと言って、まさか今しがたの
「鹿は
と説明を始めた。
「毎年十月半ばの土曜から日曜へかけて鹿の角きり祭りがございます。これが又珍らしい
車屋さんの安産論が身に沁みたのか、春日様の境内にあった
ところ/″\に伊勢の
「喧嘩だ!」
と僕達の前の連中が駈け出した。成程、喧嘩も喧嘩、朱塗りの社殿を背景に一人の武士と二人の娘が斬合をして、尚お助太刀が二人抜刀で控えていた。
「活動の実写ですよ」
と清瀬さんが僕達に安心させてくれた。
武士はナカ/\強かったが、助太刀が手出しを始めたので受け身になり、間もなく妹娘に一刀浴せられて倒れると、姉娘が走り寄って止めを刺した。「親の仇、思い知れや!」とでも言うのだろうが、口を動かす丈けで聞き取れなかった。
「お二人とも
と待ちあぐんでいたお母さんは清瀬さんに小言を仰有って、直ぐにお昼の支度のしてあるお茶の間へ案内してくれた。距離から言うと伊賀の上野の茶粥以来大和の奈良まで一口も喰べないのだから実際空腹だったが、お蔭であれから二月堂三月堂大仏と目ぼしいところは大抵見てしまって、土地のお話を聞く下拵えが
御飯が済むと間もなく清瀬さんのお父さんがお役所からお帰りになって、
「何うです? 公園でも御見物になりましたか?」
と仰有った。
「公園どころじゃありませんよ。十一時から今しがたまで常子が立て続けに御案内申上げたのですって」
とお母さんが笑いながら答えた。
「それは/\。お
とお父さんも笑い出した。
常子さんは一人娘だ。万事独占で我儘が
「
とお母さんが羨ましがった。
「私だって
と清瀬さんは黙ってはいなかった。
「この通りですからね。一人娘は親の見境がありません」
とお父さんが
「宅では代々一人だそうです。遺伝でしょうかね?」
とお母さんが訊いた。
「悪い事は何処でも皆遺伝へ持って行く。
とお父さんが言った。
「でもお隣では一人もないじゃありませんか。一人もないのが遺伝なら御本人達の生れてくる筈がないわ」
と常子さんが揚げ足を取ると、
「それさ。それが
とお父さんが笑い出した。一人娘は僕達のような十把一からげの数ものとは違うようだ。一寸こんなことを言ってもお父さんに笑って貰える。一人だから余計に存在を認められるのか、家庭の一員として充分の権利と尊敬を享有しているのらしく、却って
「地方は何処も大抵然うですが、こゝは殊に
と折に触れて愚痴になった。
「浮塵子って何のことですか?」
と僕は少しでもお父さんの参考になりそうなことは覚えて置こうと思って訊いてみた。
「成程、東京からでは浮塵子から説明を要しますね? 浮塵子というのは稲につく害虫ですよ。私達が農作について
「すると農学士は皆浮塵子ですわね?」
と田鶴子さんが言った。
「まあ然うですな||百姓に言わせますとね。そうして
「この辺では皆お粥を喰べるのですよ」
と常子さんが説明してくれた。
「
と田鶴子さんが昨夜仕込んだばかりの知識を披瀝した。
「然うです。茶粥も······」
「豆茶粥でございましょう?」
「よく御存知ですな?」
と眼鏡をかけた浮塵子は稍

「その豆茶粥の稀薄なのをこゝの百姓は日に四度も五度も
その中に常子さんは突然問題を千百余年の昔に戻して、
「田鶴子さん、今の奈良市をその頃の都と思っていらっしゃると大間違よ。私、講義をして差上げますわ。昔の奈良は今の停車場の
と地図を拡げて説明を始めた。
「常子は何時も見ていたように言うね」
とお父さんがニコ/\した。
「見ていましたとも。その頃この辺は全くの田圃続きで、春先になりますと都の人達が先刻御案内申上げた
「常子さん、
と田鶴子さんが故障を申入れた。新婦人の雛っ子は時々こんな六ヶ敷い口の利き方をする。しかし清瀬さんは頓着なく、
「そこで
と手品の種明しにまで及んだ。
「ひどいことを教える先生ね。土地の方ではないのでしょう?」
とお母さんが驚いた。
「宮崎県とか仰有っていましたよ」
「宮崎あたりから来ると、こゝは物価が高いからね。
とお父さんが同情した。すべて官吏教員の如き
「田鶴子さんはお茶をお習いでございますか?」
とお母さんは一寸
「はい······学校で······
と田鶴子さんはチビ/\継ぎ足しながら答えたところを見ると、お手前を御覧に入れられるのを恐れたらしい。お茶のお稽古初めは人の顔を見ると無暗に立てゝ飲ませるものだそうだから、僕もそんなことにならなければ宜いがと思っていたが、
「奈良は常子の悪口通り引っ込み思案が勝っていて活動的でない
と来たので、判らないながらも安心した。
「例のって、
とお父さんも僕と同感だった。
「その通りですもの。あなたのような人には茶の湯の趣味は
「三位一体説か。降参々々」
「田鶴子さん、もう一日延ばせなくて? まだ桜井
と常子さんは勧誘を始めた。
「それからもっと奥へ入って十津川までお出になると山又山で一寸別世界の観がありますよ。何しろ医者が草鞋穿きで病家廻りをするところですからね。山林の好いのがありますぜ。
と
「奈良へ行ったら南君を
とはお父さんと三輪さんが

「僕は雲助や六尺の子孫でないから人を担ぐお手伝いは御免蒙る。博物館でも見て停車場で落ち合うことゝしよう」
と何時になく君子然と構えていた。田鶴子さんは昨夜からの約束でもう清瀬さんが迎えに来て、
「十一時までに屹度停車場へお届け致しますから」
と引っ
昨日とは方面が違う。これで奈良の両側が見られると思っていると、俥はところ/″\に崩れかゝった土塀のある場末町へ差しかゝった。
「この土塀は随分古いようだが、昔のが残っているのかね?」
とお父さんが訊いた。
「はい。昔の
と車屋さんが教えてくれた。そうして、
「南さんと仰有いましたな?」
「
「お医者の南さんならこの
と僕の車屋が知っていた。間もなく、
「成程、南医院とある。こゝだ。案外大きいね」
とお父さんが言うと、三輪さんは看板を見詰めて、
「内科婦人科小児科か。何でもやるんだね」
「目ぼしい科は皆書いて置くんだよ。何か引っかゝるからね」
僕達は早速玄関へ上り込んだ。患者は一人も来ていなかった。
「御診察を願いたいので」
と三輪さんは出て来た書生に申入れた。
「
といって青年が引っ込んだ後、
「先生余り
とお父さんが小さい声でいった。
「しかし履物が大分あるから診察中なんだろう」
と三輪さんは伸び上って土間を見渡した。
「履物って、下駄は今の書生っぽうので、あの靴は皆僕達のだぜ」
とお父さんも土間を覗くようにして相手の
「成程、然うだね。或は未だ時刻が早過ぎるからかも知れない」
と三輪さんは時計を出して見た。捲き忘れたから例によって止まっている。「一週間捲きのを細君に買って貰い給え」とは先日団さんから受けた説諭だった。兎に角今脱いだ自分の靴をもう
お父さんと三輪さんは硝子障子の隙間から診察室を覗き始めた。
「いないね」
「まだ寝ているのか知ら?」
「
「爆弾を置いても危険はない」
患者がいないにしては馬鹿に待たせる。何のことはない。三輪さんとお父さんは東京から奈良の高畑くんだりまで空しく医者の玄関に坐りに来ているのだと僕が歯痒く思った頃、先刻の書生が再び姿を現わした。
「何うぞ
という案内につれて三輪さんは診察室へ入って行った。必ず障子を締め残す人丈けにこの際は隙見をするに調法だった。代診らしいのがペンを手にして型の如く姓名宿所から
ところへ御大将が悠然として出て来た。三輪さんやお父さんと同年輩だというのに頭のツルリと禿げた老成人だった。三輪さんも案外だったのか、直ぐに名乗りを揚げてアッといわせる仕組を忘れてしまい、その儘従順に脈を取らせた。
「これはいけない。親父さんだ。謙一や、門に標札が二枚出ていたかい?」
とお父さんが僕に囁いた。
「
と僕も確める必要を認めるほど好奇心を起して
再び診察室を覗くと三輪さんは吊し亀のようになって白シャツを脱いでいた。上り込んでしまっては今更人違いだとも言えず、乗りかけた船と度胸を据えて、序に
「何処にも異常はありません。全く健全です」
と判定を下した。
「若い頃から神経衰弱があるのですが······」
と三輪さんは不服らしかった。
「否、立派な健康体です。
と
「ヒッヒヽヽヽ、何うだい? 三輪君!」
「や、矢っ張り南か?」
とばかり、アッと言わせる筈の三輪さんは見事一杯食わされてシャツを着る方角もなかった。
「十七年目にめぐり会い、
と図星を指されて、お父さんも、
「や、
とノコ/\と入っていった。
僕達は来患から珍客に栄進して客間へ通った。主人公は、
「兎に角
とこの気紛れな訪問の形式に拘らず唯々大喜びだった。
「君は年が寄ったね」
とお父さんは南さんの頭をツク/″\と
「大分来たよ」
とお医者さんは頭を撫でた。
「顔は君だけれど頭がその通りだから、僕はお父さんが出て来たのだと思って、何うも策の施しようがなかったのさ。斯うして顔丈け見ていると然う老人でもないようだね」
とお父さんは今度は顔ばかり眺めた。
「馬鹿を言っちゃいけない。君達とおっつかっつだ。君達だって相応に
「変ったね、実際、君は。青年で別れて再び顔を合わせると頭の毛がなくなっているんだもの」
と三輪さんも主人公の
「何も不思議はないよ。同窓の中にこの十七年間に死んだ奴さえ可なりあるじゃないか。頭の毛ぐらい無くなるさ」
と南さんは毛髪に超越して、
「しかし忍びで入り込んで来た君をまんまと裸体にしたのは聊かお手際だろう?」
と得意がった。
「僕も
「家まで来て主人公を見違えるところは何うしても、三輪式だね」
「往来で会えば却って分るよ。帽子を
「兎に角今日は痛快だった」
「しかし健康体は
「否、神経衰弱は
「しかし
とお父さんは疑い出した。
「実は君達が奇襲を
「誰だろう?」
「それは
「団君か知ら?」
「そんな人は知らないよ」
それから
「君達は
と恨んだ。
「実は昨日の昼過に来る積りでホテルから電話をかけたんだが、京都へ往診に出て
とお父さんは弁解した。
「京都へ都踊りを見に行ったのさ。尤も京都や大阪へは何の用で行っても病家へは往診と触れ込む。繁栄策さ」
「
「流行らない。門前雀羅さ。爆弾を置いても危険はないよ」
「おや、聞いていたのかい?」
「聞いていたとも。襖の蔭でね」
「
と三輪さんが言うと、南さんは、
「木乃伊取が木乃伊になるんだよ。例によって頓珍漢だね。道中気をつけて自動車にでも轢かれないようにし給えよ」
と
「ところで坊ちゃんに何かお土産を差上げたいのですが、あゝいうものは何うですか?」
と床の間に置いてあった瓦を指さした。
「
とお父さんが訊くと、
「
と南さんは戸棚の中から
「坊ちゃん、こんな
折から車屋からもう余り時間がないという注進が来た。患者も何うやら二三人溜ったらしかった。
「こんな厄介なものを
と奥さんが瓦の断片を新聞紙に包んでくれる間も南さんは、
「京都まで案内ながら行きたいんだが、生憎丁度今夜あたり危い患者が一人あるんでね」
といかにも本意ないようだった。
「また会うさ。東京へ診察に来た時には是非寄り給え」
とお父さんは一
日程によると宇治を見物する筈だが、秘書役二人の不在中に何う模様が変ったのか、僕達は
「都踊りを見れば伊勢音頭なんか何うでも宜いって南君が言っていたね」
とお父さんが妙に意気込んで言うと、
「しかしそんなに方々を見物してからで間に合うか知ら?
と三輪さんも魂はもう
「大丈夫だよ。その為めに宇治を犠牲にするじゃないか? しかしそんなにしてまで見るほどのものじゃないぜ」
と団さんは余り期待していない。
宇治川へ差しかゝった時、お父さんは、
「案外小さいね。昔の人はこんなものを渡って宇治川の先陣なんて威張ったんだね」
と
「
と悪口を言った。見たいのに都合で素通りをしてしまう名所は何とか難癖をつけて軽視しないと気が済まないのだろう。
京都に着くと自動車が待っている||
綺麗な川だとばかり思っていた鴨川は案外だった。それに量も至って少ない。
「けれども隅田川のようなことはないわ」
と田鶴子さんは懐しそうに伸び上った。
「しかし富士の白雪には
と僕が言うと、
「でもこゝのは綺麗で有名じゃないのよ。質が好いのよ」
間もなく
「春先だからお上りさんが多いよ」
と柴さんが言った。
「
と三輪さんは春先と聞いて早合点をした。尤も団長らしいのは日清戦争時代の軍服を着て勲章を二つ三つ下げていた。
「地方から見物に来る人のことさ。東京なら
と柴さんが説明した。
「何を見ているんだろうね? 未だ口を開いているぜ」
「
「何うして置き忘れたんだろう?」
と三輪さんは訊き始めると無暗に訊く。
「其処までは知らないよ」
「余り完全に出来たもんだから魔がさゝないように
と団さんは商売柄御存知だった。そうして、
「名工は矢張り人そのものとして豪いところがある。天工を
と何時になく真面目なことを言い出した。
「然ういえばこの頃の建築で蝙蝠傘の置いてあるのは見受けない。団君、あれは出来上るまでに結構狂ってしまうから

とお父さんが癖を出した。
「廊下は残らず
とお爺さん滅法大きな声だ。成程、廊下の板は踏む度にホウホケキョ、ケキョ/\/\、法華経と鳴く。浄土宗の本山としては
「
「ケキョ/\/\」
「梅の間ア!
「ケキョ/\/\」
「松の間ア!
「ケキョ/\/\」
「鶴の間ア! 狩野直信の筆ウ!」
「ケキョ/\/\」
と案内人は何処のも同じことだが、早く片付けて了う積りか、決して仔細に検分する余裕を与えない。その中に庭の見えるところへ来ると一段声を高めて、
「この山が
「ケキョ/\/\」
と何処まで行っても鶯張りだ。そうして間もなく、
「当山総坪数七万三千百四十二坪、当山総棟数百六軒、当山総畳枚数五千八百枚、鶯張廊下総間数三百間、ケキョ/\/\」
とあって僕達は一同放免になった。
「鶯張は今の人が
と長廊下を通りながら柴さんが尋ねた。
「そんなことはない。日本は残念ながら
と団さんは答えた。
「でも近頃直したところは鳴らないぜ」
と柴さんは新しい板を踏んでみせた。成程、鳴らない。
「それは

とお父さんは人の悪い解釈をした。
「謙さん、唱歌の一寸法師がお姫様と一緒に参詣したのは此処ね」
と田鶴子さんが言ったので、成程と合点が行った。
「清水の坂のぼり行く日傘哉か。
とお父さんも何かの連想で悦に入っていた。
店並に清水焼を売っている。妹達の
「三輪君、あの金の定紋入りの湯呑を買って行かないか?」
と柴さんが笑いながら云った。
「買って行こう。僕の紋のがあるかしら」
と買いもの好きの三輪さんは勧められるまでもなく左右を物色していた。
「ところが僕は此処へ着任の当座あの茶碗で
「何うして?」
「僕の紋がついていたから買って来て使っていると或日友達が来て、君、是は仏様の茶碗だってさ」
「あれがかい? 然う聞かないと買うところだった。団君、あの虎はどうだろう? 田口君が喜びそうだぜ」
「いけない/\、あんな大きな重いものは」
と団さんは例によって荷を恐れた。
登りつめて本堂に着くと、
「これが所謂清水の舞台だよ。町が
と柴さんが紹介した。
「成程高い。一寸飛び下りる決心はつかないね」
とお父さんが言った。
「これから桃山の
と柴さんが促した。
三十三間堂では薄闇の中に
「随分いるね。しかし千頭は掛値だろう」
と三輪さんが呟いた。
「千体だよ。馬じゃあるまいし」
と柴さんが訂正した。
「千手観音といっても手はそんなにないわ」
と田鶴子さんが念の為めに勘定して見たら四十二本あった。
「たった四十二本かい? それでも生きているのよりか余程多い」
と団さんが言った。
「千体もその筆法ですよ。百や千という字は何処の国でも沢山という意味に使いますからね」
と柴さんは如何にも語学の先生らしい註釈をしてくれた。
「そんな
「相変らずだね。兎に角参詣者はこの千体の観音像の中で必ずどれか亡い親兄弟に似たのに会えるという伝説さ。迷信というよりも一種悲痛な人間苦が脈を打っている詩的空想だね」
「その詩的空想という奴がごく気に食わない」
「どうも手がつけられないね。それじゃ気に入る都踊りへ早く案内しよう。僕も
「然う願おうかね。団君の御機嫌が好くなるように」
とお父さんは人に
「イヨ/\都踊りだね」
と勇み立った。
丁度刻限だったので今度は何処へも寄らず一気に宿屋まで駈けつけた。家ではお湯は一日か二日置くのに旅行に出てからは一晩も欠かしたことがない。無精なお父さんは、時には入らないでしまう癖に、
「謙一、お湯に入っておいで」
と僕には命令的に来る。毎日のことなので僕は風呂場の凝り方によって宿屋の格式を判定するようになった。
「京都は何うだね? 住み心地は」
と御飯を食べながらお父さんが訊いた。
「落ちついていて好いそうだよ」
と柴さんが答えた。
「好いそうだなんて
「僕は東京で生れて東京で育ったんだから、東京以外の生活は生活の
「極端なことを言うぜ。朝鮮満洲とでもいうなら兎に角内地なら何処でも同じことじゃないか?」
「同じことさ||東京以外ならね」
「それ程までに思うなら早く東京へ帰って来ることだね」
「もう間もなく帰るよ。そうして教員の足を洗う」
「何だ/\? 不平かい?」
と団さんは盃を置いて乗り出した。
「不平も大いに手伝っている。しかし個人としての不平でなくて階級としての不平だ」
「同情するよ。僕も行政官と技術官の待遇に兎角甲乙のあるのが不平でね、到頭官を辞したんだよ。恩給に漕ぎつけるのを待っていて局長と大喧嘩をしてやった。『おれだって法科をやっていればとうに局長になっていらあ。大きな
「僕は
「一体何うしたんだい? 高等学校の教員は待遇が好いっていうじゃないか?」
「まあ、後からゆっくり話そう」
と柴さんは食事中不平談でもなかろうと思ったらしい。
「店並は東京と
とお父さんは依然京都の住み心地を気にしていた。
「此処は
と柴さんが言った時、
「あら、そんなことあらしまへんで。格子が大けえとお日様が沢山入って畳がえら早くいたむからどす」
と給仕の女中が説明してくれた。
「何方にしても消極的だね、そうして衛生上好くないだろう?」
「衛生よりも畳の方が
食後団さんは、
「さあ、柴君の不平を承ろう」
と不平を専らの話題にした。柴さんの主張は要するに教育全体が政府の
「君、技師には一級俸の人があるだろう!」
と柴さんが訊いた。
「あるとも、僕の同輩は
と団さんが答えた。
「ところが高等学校には一高から八高またこの頃できた
「
「死んで一級になった人が神武天皇以来たった一人あるばかりさ。事実三級が特別の異例で四級が行き止りだ」
「一級俸は正一位だね。生きている中には貰えない」
と三輪さんが言った。
「見せる丈けでくれない。福引の
とお父さんが言った。
「福引の箪笥はくれるぜ。去年の暮に僕のところの女中が引いてきた。して見ると高等学校の教員は
と柴さんは憤慨した。
「君は今何級だい?」
と団さんが訊いた。
「この間漸く五級になったと思ったら、見給え、この通り白髪がポツ/\生えて来た」
と柴さんは頭を指さして、
「僕は念のために専門学校の方を調べて見たが一級俸は矢張り絶無だ。尤も校長はペテン省の棒先丈けに何処でも
「ナカ/\
「それから中学小学の教員にも機会の許す限り会って実状を探ったが、この連中は妙に諦めが好い。一級俸は理想で到底現実世界の問題でないと観念している。ペテンにかゝっていながら少しも気がつかないから可哀そうなもんだよ」
「益

「正にペテンだね。国家的大ペテンだ。僕は東京へ帰って新聞社へ入る。
「大いにやるべしだよ。社会の為めだ」
「僕もペテンにかゝっているのか知ら?」
と同じく先生の三輪さんが考え込んだ。
「然うさね。私立は都合の好いところ丈け官立を標準にするから、矢っ張り間接ペテンだろうね」
と柴さんは断定して、
「未だ早いけれど新京極でも見ながらブラ/\出掛けようか」
「同僚だね?」
と団さんが尋ねた。
「
と柴さんはまだ文部省のペテンを問題にしていた。僕は振り返って老紳士を
日本橋通りのような四条へ出て大橋を渡り、祇園へ折れて
「この串団子の模様が祇園の
と柴さんが
「戴いて行きますわ」
と田鶴子さんはお菓子諸共粗末な皿を紙に包んだ。
やがて踊りが始まった。三十名に余る妙齢の女が着飾って舞うのだから綺麗には相違ないが、要するに同じことばかりなので、僕は間もなく倦きてしまった。背景丈けは他に類がない。何処の風光でも
「案外つまらないもんだね」
とお父さんも退屈したようだった。
「好いさ。綺麗じゃないか」
と三輪さんは嬉しがっていた。
「もっと大きなのが裸体で踊らなければ駄目だ」
と団さんは
朝起きようの遅かった
「間一髪だったね。世の中は万事斯う行かなくちゃ嘘だ」
と得意がった団さんも今日は
「要するに程度問題さ。晴れたって完全に湿気のないことはない。殊に低気圧の
と言って、余り意気が揚らなかった。程度問題を
「降っても構わないさ。張子じゃあるまいし」
とお父さんも負け惜しみは強い。困り切っていながら困るとはナカ/\言わない。独り三輪さん丈けは、
「困ったなあ。僕は蝙蝠傘を
と率直に歎息した。
「剛情だね。いくら言っても分らない。蝙蝠傘なんか掏る奴があるもんか。あれは君が奈良の停車場の待合室へ置き忘れて来たんだよ」
と団さんが言い聞かせた。
「そんなに場所までちゃんと知っていながら君は黙っていたのかい?」
と三輪さんは
「理窟を言うぜ。承知で黙っていた
「結果だけに満足して原因を究めなかったんだね。ぼんやりしているぜ」
「恐れ入った。斯ういう先生にかゝっちゃ
と団さんはもう相手にならなかった。
「蝙蝠傘は掏られる。万年筆を掏られる。一ダース持って来たハンカチもこれ一枚になってしまった。旅行は実際油断がならない」
と三輪さんは忘れたり落したりして
「時に何うするね? 雨を冒して嵐山へでも出掛けるか? 待っていたって何うせ止まないぜ」
と今日の案内役の星野牧師が
「然うさね。能く降る雨だなあ」
とお父さんは
「大人連中は馬鹿ばかり言っているから宜いけれど、子供衆が退屈だぜ」
「何なら一つモーセの話でもしてやって呉れ給え」
「イヨ/\晴れる見込がないから予定を変えて芝居へでも行こうじゃないか? 星野君、牧師だって芝居ぐらいは差支ないだろう?」
と三輪さんが言った。
「僕は芝居へでも活動へでも行く。職業柄却って世俗に遠ざからないように努めている。
とこの牧師さんは案外話せる。
「芝居は感服しないね。やることが
と団さんは早速故障を唱えた。
「団君は芝居は駄目だよ。一度引っ張って行ったことがあるが、あれじゃ実際退屈するだろうと思う。相撲を見る気でいるから皆目分らないんだね。そうして大道具の
とお父さんが紹介に及んだ。
「女中に逃げられて
と団さんが弁解のように言うと、田鶴子さんも、
「あの折は余程感心なすったと見えて、あゝいう教育的の芝居なら子供を連れて行っても差支ないからお前も見て来ると宜いなとお母さんに仰有っていましたよ」
とその時のことを思い出した。
「それは感心するさ。
「御高説恐れ入るよ。しかし一番身につまされるところが御殿女中の数だと聞いたら、『先代萩』の作者は確かに泣くぜ。星野君、世間には斯ういう先生があるんだから君も説教には随分苦心するだろうね?」
「
と星野さんは団さんの為めに弁じた。
「僕も大いに同感だ。十日も旅行をして何一つ持物をなくなさないようじゃ
と三輪さんが
「今日は方々から名論卓説が出るね。しかし好い気なもんさ。君は先刻から団君の煙草を
とお父さんが注意した。
「敷島なら誰のだって同じことさ。僕は余り自他の差別を設けない」
と三輪さんは平気で言った。
「流石に余韻がある」
と団さんが笑った。
こんな
「坊ちゃん、あれが京都のドンですよ」
と星野さんが教えて呉れた。成程ピューウというような汽笛が尻上りに喧しく鳴り渡っている。
「あれがかい? ドンまで間が伸びているね」
と団さんが
「うむ。未だ鳴っている。あゝ長くちゃ聞いても痛切に腹が空らないね」
とお父さんも言った。
「ドンといえば大砲に限ると思っているところが浅ましい。君達は考えないから困るよ。口では軍国主義を否定しても、国民挙げて時計の針を陸軍の大砲の音に合せているんじゃ、外国人が本気にしない。ところが流石に
「然う来られると一言もない。矢っ張り牧師は着眼点が違うね」
と三輪さんが感心した。
「日本の大都会で軍隊に時間を支配されていないところは独り我が京都あるばかりさ。この点丈けでも
と星野さんは京都に
「何うも宗教家は解釈が
と団さんは遠慮のないことを言った。
「矢っ張り商売柄建造物の保護とすぐ分るんだね。実際然うさ。便宜上の問題だけれど、結果から言うと京都では芸術の権威が武力を
と星野さんは主張した。
間もなく女中がお膳を運んで来た。
「あんなドンでも矢っ張りお昼御飯が出るのね」
と田鶴子さんが内証で僕に言った。これだから躾けは
「京都は
と団さんはそんな事情には頓着なく
「魚の不便なところだから
と星野さんが答えた。
「
とお父さんが言うと、団さんは、
「坊主が鱧を食うのかい?」
「否、漢字の覚え
「成程ね、僕にしても確信のあるのは山という字ぐらいなものだ。閑人丈けに君は妙なことを知っているね」
「鱧はこれでナカ/\うまいよ。しかし京都の名物は一体何だい?」
と三輪さんが訊いた。
「さあ、余り名物もないね。『京の着倒れ大阪の食い倒れ』というほどだから、此処へ来たら食う方は諦めるんだね。八ツ橋に五色豆、蕪の千枚漬にすぐき漬ぐらいのものさ」
と霊の糧を扱う星野さんは肉体の栄養物に興味を持っていないらしい。停車場の売子の呼声をその儘取次いで呉れた。
見限っていた天候が昼から恢復し始めたのは何よりの仕合せだった。空模様ぐらい人間の無定見を暴露するものはない。
「京都へ来てこんなものに一々敬意を表していた日には一月かゝっても足りないよ」
と断って素通りをしてしまった。
間もなく金閣寺に着いた。大木好きの三輪さんは
一面池になっている庭の景色丈けは
「好いところね。あら、大きな鯉がいるわ」
と田鶴子さんが言った時には三輪さんは
「もっと大けなのがいたんどすが、四五年前に鯉取りが入って皆持って参じました」
と番人も僕達の仲間入りをして欄干に
「鯉取りって泥棒かね?」
とお父さんが訊いた。物取りは泥棒、月給取りは無産階級、塵取りは勝手道具と心得ているが、何の取りに属するのか僕も多少疑問があった。
「
「矢っ張り鯉泥棒だね。此奴は面白い」
「一寸も面白いことあらしまへんで」
「それにしても池の中の生物を
「油断って、あんた、鯉を盗むもんがあろた思いまへんわ。それに家の中の品物と
「そうして鯉取りは捕ったのかね?」
「捕りました。三人がかりで荷車に二台取ったんどすて。皆三尺からのばかりどす。何と好い商売じゃおへんか。
と番人は僕達が歩き出しても未だ池を相手に話していた。
「こんな門がこれで保護建造物だからね」
と星野さんが古い山門を
「これが
と田鶴子さんが尋ねた。蚕の社へ詣れば絹物に不自由しないと今しがた聞いたので、お賽銭を上げる積りらしかった。女は大陸文学の誤訳を愛読して新しがっても、問題が美容のことになると
「否、これは太秦の
「
「日本らしくないこともないさ」
と団さんが口を出して、
「しかし
「然うかも知れないよ。しかし其支那人の中にイスラエル人が交っていたと聞いたら驚くだろう?」
「驚いてやろう。それから何うしたい?」
「何うもしないが、此処に
と星野さんは僕達を附近の百姓家へ案内して、大きな井戸を紹介した。好い水が湧いている。
「成程、
とお父さんが言った。四角な石の井戸側に『
「井浚い井では名前として何うも意味を為さない。昔の人はイスラエルなんて固有名詞を知らなかったから、苦し
と星野さんはイスラエル人の輸入に努めた。
「面白いね。一発見だよ」
と三輪さんは共鳴したが、団さんは、
「井浚いがイスラエルか? 東京には
と約束通り驚いた。
太秦から嵐山までは間もなかった。
「京都もこの辺は草深いね。竹藪ばかりじゃないか?」
と三輪さんが外を覗きながら言った。
「此処らは
と星野さんが説明した。
「これをこそ藪医者となんいうめれさ。
とお父さんが
「否、実際だよ。竹では世界的の学者だそうだ」
と星野さんが本気に主張すると、
「世界的じゃない。東洋的さ。竹は西洋にはないよ」
と団さんが訂正した。斯う
雨上りにも拘らず嵐山には
「これはいけない。水が濁っている。
と予め苦情を封じる積りらしく言った。向う岸へ着いても、
「此処の桜は晩いからね。漸く
と条件をつけ、川端を
「此処を舟で少し上らないと
と残念がった。
「八
とお父さんがソロ/\始めた。
「桜の満開も好いそうだが、紅葉の時が又格別だってね。雪景色は天下一品だというし、雨なら雨で
と団さんは妙な褒め方をした。
「好いところさ。東京市内には
と三輪さんが言った。
月にも花にも好いというが、やはり花で人を呼ぶ積りらしく、嵐山では桜の花を塩漬にして売っている。三輪さんがそれをしたゝか買い込むと、星野さんは、
「君、そんなに沢山何うするんだい?」
「大阪へ土産に持って行くのさ」
「其奴は思いつきだ」
とお父さんも買った。
「この塩漬では僕は失敗したことがあるよ。未だ来たばかりの頃教会の青年から貰ったが、飲むものとは知らないから、
と星野さんは自動車に乗り込んでからクス/\笑い出した。そうして、
「それも黙っていれば
「宜いさ。それぐらい度胸が据っていないと両本願寺の膝元で
とお父さんが言った。
昨日は雨で見す/\半日潰れたからその分の取り返しをする為め今日はナカ/\忙しかった。朝早く宿屋を引き払い午後大阪へ立つまでの時間を最も有効に利用しようとあって、案内役も星野さんと柴さんの二人がかりだった。まず手近から片付けることゝ
「学校騒動と財政困難で有名な同志社は直ぐこの向うで
と柴教授が特に僕に教えて呉れた。
「この案内人は碌なことは言わない」
と星野牧師が笑った時、若い夫婦が歩み寄って丁寧にお辞儀をして行った。星野さんがその後姿を見送りながら頻りに小首を傾げていると、
「何うしたい?」
とお父さんが訊いた。
「驚いたよ。彼奴等は二三日前に喧嘩をして別れるの何のと騒いでいたんだが、
「結構じゃないか」
「無論結構さ。しかし僕のところへ何とも言って来ないのは不都合だよ」
「君の方の教会員かい? 夫婦喧嘩は一々
「そんなこともないが、あの二人ほど喧嘩をする夫婦は珍しいぜ。一年の半分は何とか彼とか

「乱暴な牧師があったもんだ。しかし説教ばかりでなくそんな家庭の問題まで引き受けるんじゃナカ/\骨が折れるね」
「骨が折れるよ。
「信者でも夫婦喧嘩をするのかなあ。しかし京都の電車はナカ/\来ないね」
と団さんが待ちあぐんだ。
「来たよ/\。込んでいるぜ」
と殆ど同時に三輪さんが言った。
「東京と同じさ。従業員に碌な俸給を呉れていないからね」
と柴さんは今日も一級俸問題を論じる積りと見えた。
御所の

「京都にも三輪君のような人がいて、『安全地帯』を『
と内証でお父さんに言った。その代りに仏具のような
「この仏壇の九百五十円は安いよ。『万寿寺通仏具屋町角、仏屋善右衛門製作』とある。善右衛門にしても悪右衛門にしても兎に角安いもんだ」
と大安心で褒めていた。
「仏屋善右衛門は面白いね。
と詰まらないことに感心するお父さんは手帳に書き留めた。
「動物園は何うです? 此処のは東京のよりも設備が好くて獅子が子を産みますよ」
と星野さんが勧めて呉れたが、今更お猿さんでもなかろうと思って辞退した。
「船頭動かずして舟山に登るというのは此処ですよ」
と柴さんが言った。
「御覧なさい。舟が
と星野さんが具体的説明の労を執った。
「兎に角三十人力あったというから体格丈けでも豪い奴さ。石川五右衛門というと盗賊とは承知していながら何となく悪い感じがしない。日本のロビン・フッドだね」
と柴さんは懐しがった。
「
と
黒谷では、「
「強そうな坊主だね。これでは軍馬の蹄の音に聞き惚れていて覚えず木魚を叩き
とお父さんは石塔を見上げた。路を距てゝ向き合いに、
「
間もなく星野さんが、
「これから吉田山へ登って一段落かな」
と独言のように言うと、団さんは、
「
と注意した。山と聞いて例の通り恐れを為したのらしい。
「大文字って何?」
と田鶴子さんが僕に訊くと、
「今の話じゃないんですよ」
と星野さんも山登りは嫌いらしく、
「盆に
と
「時に僕の
と柴さんが藪から棒に招待した。この辺は住宅地と見えて同じような黒門構えが並んでいる。僕達はその一軒へゾロ/\と入った。何しろ大人数なので、
「お嬢さんも坊ちゃんも何卒お敷き下さい。模擬布団を」
等と柴さんは斡旋に努めて、奥さんを紹介した。
「夫人丈けは模擬夫人じゃない。最愛の細君だぜ」
と星野さんが註を入れた。
「星野君には始終笑われるが、実際模擬生活だよ。東京へ帰ろう/\と思っているもんだから、世帯道具にしても永久的のものは買う気にならないからね」
と柴さんは支那まがいの大きな瀬戸火鉢を撫ぜながら言った。
「それも確かに
とお父さんが同情した。いくら東京贔負でも京都を植民地と一緒にするのは
「不平は人一倍言う上にそんな腰掛主義でいられたんじゃ学校で困るだろうね?」
と団さんは学校に同情した。
「腰掛主義よりも齧りつき主義の方が困るようだよ。しかし不思議なもんだね。こんな模擬家庭でこんな模擬生活をしていても子供がもう四人出来たぜ。これ丈けは模擬じゃない。
「冗談は兎に角経過は
と星野さんが尋ねた。
「有難う。危険はないらしい。少し慌て過ぎたんだね」
「子供が四人は
と
「京都は実際子供が能く出来る。星野君のところなんかは信者の出来ない年はあっても子供の出来ない年はないようだ」
と柴さんが
「
と告白に及んだ。
「それはお目出度い。それじゃ少くとも八人丈けは信者を拵えたことになるじゃないか。決して悪い成績じゃないよ」
と三輪さんが真面目になって慰めたので奥さんまで大笑いをした。
病人のあるのにお気の毒だからと柴さんをその模擬家庭に残したまゝ僕達は間もなくお暇をした。八ツ橋は生に限ると今がた味を覚えたその
「車掌と学生の喧嘩だ。これは面白い」
と星野さんは掘り出し物でもしたように言った。牧師さんで納まり返っていても時々野性を発露する。尚お驚いたことには最も物見高くない筈の団さんが忽ち人を押し退けて論判の現場へ割り込んだ。丁度その折一紳士が、
「この方は下りない中に私の肩越しに手を伸して確かに渡しましたよ」
と仲裁に入った。
「否、受取らいまへん」
と車掌は第三者は相手にせず、
「あんた、渡したいう証拠がありまっか?」
と何処までも当事者を追求して腕のところへ手を掛けた。これが東京なら本人は
「何で人を叩く?」
と車掌はヨロ/\しながら
「叩いたいう証拠がありまっか?」
と反問して悠々と歩み去った。
「痛快だったね」
と団さんが溜息を吐いた。
「京都の学生はナカ/\荒っぽいね」
と三輪さんは喜ばなかった。
「荒っぽいよ。学生に限らず車掌でもあの通りだ。演説会なんかでも京都ぐらい弥次の多いところはない」
と星野さんが言った。
「兎に角今のは車掌が少し附け上っていたね」
とこれはお父さんで、
「車掌ぐらい不都合なものはないよ」
と未だ憤慨していたのは団さんだった。
新京極で電車を下りて牛肉屋へ上り込んだ。此処でお昼を食べるのが昨日から予定になっていたところを見ると、「すき焼」は京都の名物らしい。こんな大仕掛の店構えが何軒となく単に牛の肉を食う為めに出来ていると思うと、何も知らずにいる牛に気の毒な心持がする。
「この玉子は何うするんだね?」
とお父さんが柄になく鍋の番を勤めながら訊くと、
「斯う皿に
と星野さんが未だ
「関西では皆斯うさ。これ丈けは東京でも真似をすると宜いね」
と隣りの鍋を引受けている団さんが言った。
「時に先刻の喧嘩には大いに力瘤を入れていたね。僕は君が手を出さなければ宜いがと心配していたよ」
と星野さんが言うと、
「手は出さないが、前後の関係が能く分らないので口を出せないのに弱ったよ。電車の車掌ぐらい不都合なものはない」
と団さんは余程車掌が嫌いらしい。
「妙に車掌に反感を持っているね」
「実は僕のところの助手がこの間車掌に撲られたのさ。尤も仇は早速討たせたが、妙なもので、それ以来相手が車掌だと
「ふうむ、大分念入りだね。何うしたんだい? 一体」
「助手が丁度先刻のようなことで
「君のことだから黙っちゃいなかったろう?」
「大いに将来を

「
「すると助手は『何分
「牧師が喧嘩の秘伝なんか心得ているもんか」
とお父さんが横から口を出した。
「牧師だから特に多少研究して置く必要があるのさ。教会で始終大勢に接しているからね」
と団さんは教会を議会ぐらいに考えているらしく、
「僕達は同時に二個の空間を占めることは出来ない。考えて見ると自由や平等なんかよりもこの原則の方が遙かに深く社会生活の根本義を為している。此奴が崩れた日には、この
「成程一理ある。君は
とお父さんが又横槍を入れた。
「ところで僕の家の助手は僕の忠告を
「又やったんだね?」
と星野さんが嬉しがった。
「やったとも。翌日同じ終点で前の日と殆んど同じ刻限に何もしない車掌の頭をポカリと叩いて下りて、追い
と話し終って団さんは頻りに食べ始めた。
「斯ういう大将じゃ助手もナカ/\勤め
と
「案外単純で好い男だぜ。人間は建築で儲けて株で損をして団仙吉と名乗るのが一番本式だと信じ切っているんだからね。この辺の手心さえ分っていれば却って機嫌が取り宜いよ」
と三輪さんが言った。
「早く言えば
とお父さんが言った。
「おい/\、子供の聞いているところで勝手な棚下しをするなよ。それだから田鶴子が親の言うことを聞かなくなる」
と団さんは笑っていた。
停車場へ一時間も早く着いたので、又引返して東本願寺に寄った。

「君達は一体西かね東かね?」
と星野牧師は説教の材料にでもするのか
「盆になると坊主がお箸を持って年始に来るから兎に角仏教に相違ない」
と
「僕は君の方の傾向だが、家の宗旨は門徒だと言った。門徒って東本願寺かね西本願寺かね?」
とお父さんも甚だ要領を得ない。団さんに至っては、
「僕のところは無宗教で、耶蘇も坊主も寄せつけない。うっかり来ると

と
「日本人の宗教心」
と題してこの三人の無頓着を憐れみ、基督教の
本堂を拝見して廊下へ出た時、
「お嬢さん、これを御覧なさい」
と星野さんが田鶴子さんの注意を惹いた。
「あらまあ、髪の毛ね!」
と田鶴子さんは恐ろしそうな表情をした。成程、髪の毛で拵えた太縄が
「何うです? 宗教の力は偉大なものでしょう?」
と星野さんは
「新潟ではこんなに大勢尼さんになったのでしょうかね?」
と田鶴子さんは心配そうに訊いた。
「否、この髪の毛は此処の建築の時材木を曳く綱に婦人信徒が寄進したのですよ。女の髪の毛には
「宗教も程度問題だね、斯ういうことになると官憲の取締を要するよ」
と団さんは不承知だった。
「地方から来る善男善女の中には宿賃を踏み倒してもお賽銭を余計上げたがるのがある。お前達の上げるお賽銭で坊主が道楽をするんだと言って聞かせれば、生仏様に御道楽をして戴くのなら尚更のことゝ又財布の口を開ける。始末に負えない。しかし代々日本人が斯うまで打ち込んでいるには確かに何かあるんだね。僕等門外漢でも懐かしい気がするよ」
「何があるもんか、少しのお賽銭で自然法を自分の都合の好い方へ
満員の電車が
「
「この頃てんとあきまへん。何かぼろいことおましたら、わたいも仲間へ入れておくなはらんか?」
「時にえゝお天気だんな。あんた、えろお早うおまんな」
「へえ、ほんまに早うおまっしゃろ。お日さんがよう照ってはるさかいこれがほんまの日本晴れだっしゃろ。時に皆はん変りおまへんか?」
「へえ、わたいとこもお蔭で皆達者だす。あんたはんとこかて、皆達者だっか? あんたかてぼろいことおましたら聞かしておくんなはれ。ほんまに頼んまっせ」
「え、よろしおま。この頃てんとあきまへんけど、あったら電話かけまっさ」
といった調子で、大阪会話篇は必ずぼろいことで始まってぼろいことで終る。随って全く金の欲しくない人は大阪には居たゝまれない。尤も今のところ然ういう篤志家は滅多にないから、このぼろいこと本位の大都会は市内に収容し切れないほど
さて、昨日の夕方梅田に着くと、一行は予定通り散り/″\になった。団さんは
「近いとも、地図を見ると一寸五分はない。大丈夫だよ」
とばかりに「左様なら」と言うのを忘れて行ってしまった。何か忘物をしないと気が済まない。それから
朝御飯を戴いてから、二階の縁側で鈴実り電車の数に郊外生活の繁昌を
「坊ちゃん、お電話でございますよ。田鶴子さんと仰有います」
と奥さんが取次いで呉れた。直ぐに下りて行って、
「もし/\、田鶴子さんですか?」
とやると、
「はあ。謙さんね? お早うおます」
と田鶴子さんが笑った。別に要件があったのではない。明日はお目にかゝらないから朝お早うを電話で掛けましょうという約束を果したに過ぎなかったが、尚お、
「お子さんのあるお家?」
「
「猫でしょう?」
「
「
「何がいるの?」
「子供のことよ。
「そんなに暴れるの」
「
「頭痛がしても家が生薬屋なら安心ね」
「ところが然うでないのよ。お父さんが言っていましたわ||此処の家のは飲む薬でなくて売る薬だよ。何処か悪いようなら医者に見てお貰いってね。私、初めて売薬という意味が分ったの」
というような問答があった。
二階へ戻って見ると、お父さんは小川さんを相手に頻りに不器用な社交振りを発揮していた。
「然うかね。日曜以外絶対に休日なしと来ちゃ勤まらない。ナカ/\慾が深いね。そんなに働いて面白いかい?」
「面白くもないが、仕方がないさ。商売だもの」
「住友さんだの
「
「この頃は儲からないかい?」
「儲かる口もあるが、儲からない口もある。再び
「戦争では儲けたろうね?」
「その話さ。儲かったが、丁度それぐらい又吐き出してしまったから
「昨今は実際不景気だろうね?」
と
「時に、君、家内の目は何うだね? 余程出ているだろう?」
と
「え?」
とお父さんは
「僕のところの
「細君の目?」
「然うさ。実はバセドウ氏病という厄介な奴に
「然う言われゝば成程少し出目過ぎるようにも思ったが、病気かね?」
「
「それはいけないね。君が余り苦労をかけるからじゃないかい?」
「その辺もあったかと思ってこの頃は身を持すること甚だ謹厳だよ。そうして万事
と小川さんは奥さんの棚下しに努めた。何だか何処かでお目にかゝった顔だと思ったらトランプだったか。然う言えば成程少し似ている。
「圧迫を加えられると見えて
とお父さんもトランプの女王には微笑んだ。
「圧迫されるよ。あの目にはね。あれ以上出て来られちゃ溜まらないから一も二もなく
ところへ当の奥さんが上って来て、
「何うも失礼致しました」
と女王に似合わず淑かに挨拶をした。
「
と小川さんが言っても、
「
「はい/\、早速行って参じましょう。しかし何の用だろうなあ? 一体」
「何うせ好いことじゃありませんよ、警察なんか」
「警察へ行くのかね?」
とお父さんが驚いた。
「この間から警察から頻りに呼び出しが参るのでございますよ。忙しいので
と奥さんも
「何か身に覚えはないかと此奴まで僕を罪人扱いにするが、これでも未だ警察へ引っ張られるようなことはしていない。余り謹直なものだから、或は女房孝行という
「何だろうね? 実際。盗難品でも出たのかな」
とお父さんが考え込んだ。
「最近泥棒に入られたこともなし、入ったことは無論なし、物を拾ったこともなし、落したこともなしと······全く良民だから一向見当がつかない」
と小川さん自らも持て余していた。
「何時までもそんなことを仰有っていらっしゃるより、直ぐお
と奥さんが又促した。
「警察へ自分の操行点を問合せに出頭するのかい? 坊ちゃんが笑っている。妙なことになって来た。これは
「天王寺行って何だね?」
「天王寺に
「ふうむ、東京なら
とお父さんは早速手帳を出して
「何が面白いもんかね。
と小川さんは間もなく用件を果しに出掛けた。
その後で奥さんは、
「有難うございます。電気治療や何やらで昨今は殆んど健康体に戻りました」
とお父さんのお見舞の言葉に答えて、
「
と病気の起り初めから話し出した。
「成程、大将幾分身に暗いところがあったんですな」
とお父さんは笑いながら相槌を打った。
「
「面白いですな」
「今考えて見ますと
「大成功でしたな」
「けれども同時に私は二階へも上れないほど息切れがするようになりました。余り苦しいのでお医者さまに見て戴きますと、この通りの病気でそれも
「それは/\、しかし小川君が早まって
「
「兎に角早くお宜しくて結構でした」
「それでも根治は矢張り困難と見えまして、少し何か心配事がありますと、
と言って奥さんは笑った。貞女は良人の素行さえ修まれば少々の病気ぐらいは苦にならないらしい。
「天王寺は此処から直ぐのようでしたね?」
と
「直ぐでございます。彼処の公園と新世界それにお城と千日前が坊ちゃんを連れてお出になるのには一番よろしゅうございましょうよ」
と奥さんは
「······その大きな丸い石に淀君の亡霊が籠っていて今でも時々人を引き込むのでございます。御器量の好かったお方丈けに、呼ばれますと随分道心堅固な男でも退っ引きの叶わなくなるようなそれは/\優しい声を出すそうでございますよ」
「昨今の小川君のようなら大丈夫でしょうがね」
とお父さんが調子を合わせた。
「何う致しまして。小川などは一声で真っ逆さまに飛び込んでしまう組でございますよ。ところがその重役の方は
「一声で飛び込んでしまったんですね」
「
それは然うと小川さんは大分待たせた。或はその儘
「や、失敬々々。馬鹿な話さ」
「
と奥さんは早速尋ねた。
「でも無事に帰って来て宜かったよ」
とお父さんが冗談を言った。
「矢っ張り柄にない文学書なんか註文するもんじゃないね。散々油を取られて来たよ。彼奴は巡査部長か知ら? いやに威張っていやがる。『おいこら』なんて全く罪人扱いだ」
と小川さんは憤慨していた。
「妙でございますわね。実業家が文学書を註文しちゃ悪いのでございましょうか?」
と奥さんが聞き咎めた。
「
と小川さんが頻りに取り繕っているのに、
「徳川時代の何だね||物は?」
とお父さんは一向察しがない。
「去年のことで名は
「うまく言っているぜ。
「まあそんなに言うなよ」
「しかし知恵がないね。学術研究上の参考にするんだと言って、逆捻じを食わしてやれば宜かったのに」
「ところが突然で何も考えて行かなかったもんだから、
「
と奥さんはお手のもので、成程
「はい/\、一言もございません。
と小川さんは又憤慨して、袂の中から
「この金を受取るにも、生憎認印を持っていないと言ったら、
「
とお父さんは決して好いことは言わない。
「これに懲りて
と奥さんは問題の十円紙幣二枚を手早く帯の間に納めて、キッと主人を睨んだ。バセドウ氏はナカ/\
「あの通りで実際困るよ」
と間もなく小川さんはお父さんと僕を案内して家を出た時に
「困るって、君が悪いんじゃないか。細君から
とお父さんは同情しなかった。
「女中や番頭を買収して僕の監視をさせるんだから叶わない。今日も君がいたから罰金ぐらいで事済みになったんだよ。この間なんか大騒ぎだったぜ」
「謹厳の君子チョク/\尻尾を出すと見えるね?」
「
「二個連れというと?」
「家内以外の異性、即ち主として芸者だね。然ういうのを連れて一日の清遊をするのが二個連れさ。それから家内、即ち
「妙な
「鋳掛連れは別称鋳掛けて歩くともいう。夫婦仲の好い鋳掛屋から来た言葉で、差詰め二本棒さ。
「馬鹿に力瘤を入れるぜ。それが悪いんだよ。矢っ張り子供がないと何時までも呑気でいけないね。ソロ/\頭の禿げる年をしていて」
「
と小川さんは慨歎して、
「ところで何処へ行くんだね?」
と甚だ覚束ない案内者だ。
「何処でも宜いさ。大阪らしい気分さえ味わえればね」
と此方にも別段の註文がない。
「
と
「······次の食が直ぐ進む。咳なら二日目で止まる。婦人病には猿の頭が利くが、これも利く。
と
此処へ来たら五重の塔へ登るものだとあって、埃だらけの材木の間を息の切れるほど
「謙一や、危いよ」
と
「大丈夫だよ。金網が張ってある||時々命の惜しくない連中が此処から飛び下り自殺をやるんでね」
と小川さんが説明した。
亀の池だの大鐘だのを見て西門へ戻った時、
「
とお父さんが訊いた。
「この直ぐ
「西門通り一筋に······と
「義太夫が分るのかい? これは話せる」
と小川さんは喜んで、
「生憎と文楽座が開いていないから······」
「休みかい?」
「休みだから今夜僕が語って聞かせよう。合邦は殊に得意だよ」
「何時頃から習い始めたんだい?」
「去年からさ。
「未熟の果物と
「酷いことを言やがる。しかし合邦辻を見ようか?
「まあ止そうよ。後が怖いからね」
とお父さんは唯々小川さんの
又電車に乗ってお城へ向った時、
「途中に
と小川さんは無精を言った。
「宜いとも。しかし込むねえ、此方の電車も」
「込むとも。東京のよりも込む。東京よりも賑かだと言うと妙だけれど実際此方の方が人口
「矢っ張りそれ丈け
とお父さんはソロ/\悪口を言い始めた。
大阪城へは石を見に行ったようなものだった。尤も目ぼしいものは大抵焼けてしまって、場所によってはその石さえ焦げているという始末だ。門に入るのを待ち構えて、
「大きいだろう?」
と小川さんが石垣の石を自分のものゝように紹介すると、
「大きなもんだね、実際。何うして持って来たろう? ||こんなに大きなものを」
とお父さんが感服する。間もなく又素晴らしいのに行き当って、
「
と小川さんが説明する。
「成程、振袖石が高さ二間半余横七間半、蛸石が高さ四間半横六間とある」
とお父さんは立札を読んで、
「昔の
「淀君がつけたんだろうぜ。ちょいと旦那、この石は振袖に似ているわね。あゝ私、何うしても朝鮮人参を飲んでもう一遍振袖を着る年に若返りたいわ。朝鮮征伐をしてよう。ようってば、よう、旦那······てな
「旦那じゃなかろう」
「それなら
「閣下じゃない」
「
と言いかけた
「······えっ、吃驚した。
お城から天神橋まで歩いて、橋の中途から中之島公園へ下りた。此処は有り合せの地面を利用したのでなく、川の中流を埋めて拵えたのだから、広くなくても贅沢は言えないのだそうだ。尚お小川さんは、
「坊ちゃん、この公園は余程進歩していますよ。男の子の遊ぶところと女の子の遊ぶところと別々になっていますからね」
と両方へ案内して呉れた。
「
とお父さんが言った。
「風儀が悪いと何うして断定するんだい?」
「二個連れとかで出掛けるのが理想だと言ったじゃないか?」
「それは紳士の場合さ。大阪にだって教育家はあるぜ」
と小川さんは教育家は紳士でないと思っている。
「風儀は教育家に一任して、紳士は一意専心ぼろいことをするんだね」
「まあ
「美人は
「然う/\」
「しかし案外美人の少いところだね。そうして出っ歯の女が多いと聞いたが
とお父さんは
「誰に聞いたんだい?
「然うさ。しかし歯科医の説だと言ったぜ」
「家内のことばかり言うと家内を恐れているように誤解されるかも知れないが、実は先月一軒置いて
「美人だけれど出っ歯だというのは
「それが矛盾じゃないんだよ。女というものは皆自分は兎に角美人だと確信しているんだからね。家内なぞは自分は美人だけれども少し目が出て年が寄っているくらいに思っているらしい。それだから美人だけれども出っ歯だと言っても些っとも矛盾を感じない」
「面白い観察だね」
「自分は美人だけれど少し器量が悪いと思っているところに
「
「然うさね。美人だけれど少し鼻が低い代りに額が高いと確信しているんだろう。
と公園で通行の婦人の品定めをするところは正に不良中年だ。
さて、中之島では御自慢の公会堂と市庁を拝見して四ツ橋で下りた。大阪は川と橋の都だそうだが、殊に此処は川が十文字に打っ違い橋四つ向き合って特徴を発揮している。
「何だい? 涼しさに四ツ橋を
と小川さんは
「四ツ橋を四つというと四々十六度渡った勘定になるね。悉皆で」
「否、つい四つ皆渡ってしまったという丈けの意味さ」
とお父さんが解釈した。
「それじゃ
「両方に鬚があるなり猫の恋······なら分るだろう? 矢っ張り来山だよ」
「それなら分る。両方に鬚があるなり······か。成程、面白い。猫は確かに
「それぐらいなら低能でもないよ」
「恐れ入ります」
間もなく心斎橋へ出て賑かな
「実際人口
と小川さんが紹介した。
「成程、人出は銀座や日本橋以上だ。この筋だね、榊原君の親父さんが若い時夏帽子を買って
とお父さんが言った。
「榊原の親父が何うしたんだい?」
「余程閑だったと見えて夏帽子を一つ買うのに心斎橋筋の唐物屋を端から端まで冷かして歩いたんだそうだ。何軒訊いても要するに値段は
「帽子と宗教と関係があるのかね?」
「大いにあったのさ。宗教も要するに大同小異||唐物屋は軒並にあっても問屋は共通だと先ず
「ふうむ、
「それだから大いに関係があると言うのさ。現にあの男が
「
「そこさ。榊原君は心斎橋の唐物屋が一軒として割引もせず懸値も言わなかったのを今もって感謝しているだろうよ」
「宗教も商取引も大同小異だね。妙なことが縁になるもんだ」
と二人は何時までも他愛もないことを論じている。尚お話によるとこの親父さんというのは現に堺市指折りの成功者だそうだ。そうして、或日息子の一人が木から落ちて腕を挫いた時、それをこの子には手の仕事よりも頭の仕事をさせろという神さまの思召と解し、本人を諭して今日ある通り伝道師になる決心をさせたとある。身を伝道に捧げている以上は或は多少社会を教化しないとも限らない。斯うなって来ると一個の麦藁帽子もその影響の及ぶところ実際広い。
然う歩きもしないが兎に角立ち詰めだったから
「坊ちゃん、お腹が空いたでしょう? しかし川料理はこの
と小川さんは僕とお父さんに振り分けに言った。
「
とお父さんが顔を出した。
「風流というよりも実利が
と小川さんが力説した。
「低級はどんなのだい?」
「低級娯楽で満足するならこの道頓堀には芝居小屋が並んでいるし背中合せの
「君は
「家内には低級に見せかけて芝居などへも僕の方から言い出して連れて行く。鴈治郎なんて凸助は嫌いだけれど、矢っ張り
「矢っ張り監視を受ける丈けのことはしているんだね。君は若い時分から
とお父さんは言ったが、
「成程、算盤が置いてある。此方の人は勘定高いから、食べながらもこれで当って見て心静かに
と思い出したように尋ねた。
「それは悪口だよ。此方では商談は大抵斯ういうところか
と小川さんは算盤の説明と一緒に自分の立場を弁明した。
「細君が余程苦手と見えるね」
とお父さんが笑うと、
「
と小川さんは強く言って、
「唯あの目が怖いんでね。病勢を
「ナカ/\悪知恵があるんだね」
「これぐらいに立ち廻らないと息抜きは出来ない。十二時まで遊んでいても大丈夫だよ。自動車で急げば十分で家へ着く。しかし家へ着いてからが大事だ。二人一緒に入ると直ぐに感づかれてしまう。君が先に入って僕が外に待っている。否、僕が先の方が手順が
「泥棒でもするようだ」
「嘘をつくんだから一種の泥棒には相違ない。家内は『お
「随分人知れぬ苦労があると見えるね」
とお父さんが笑うと、
「苦労の多い丈け楽みさ。冗談は兎に角、この寸法を一つ実地問題にしようじゃないか?
と小川さんは返答によっては理論を応用する積りらしかった。
「御免だよ。僕は高級趣味は分らない」
「話せないね」
御飯が出るまでに小川さんは幾度もお酒を命じて大分赤くなった。酔うに連れて益

「時に君、そんなに飲んでも宜いのかい?」
とお父さんがソロ/\案じ始めた。
「宜いさ。酒丈けなら何等の
「いやさ、少し
「大丈夫だよ。僕は少し酔っている方が
と小川さんは家へ帰って義太夫を聞かせる料簡と見えた。
千日前は
「大阪へ来て義太夫を聞かないでしまうのは残念だね」
と言った。しかし小川さんは、
「此処のは女太夫ばかりだからね」
と答えた丈けで問題にしなかった。
楽天地の前では今度は僕が立ち止まった。小川さんは温良の君子で決して僕の存在を無視しない。先刻も単に理論としてだけれど僕の処分法に関する研究の結果を発表したくらい僕に重きを置いている。そこで早速僕の方へ摺り寄って来て、
「坊ちゃん、新世界の方が此処よりも大規模です。大阪中の見える
と条件をつけて
「
とお父さんも言った。
又電車に乗って帰る途中、
「君、此処だよ。
と小川さんは窓から指さして、
「君は合邦と
「圧迫的に来るね。何方が短いかな? まあ何方でも得意の方を聞こうよ」
とお父さんは諦めをつけた。
「両方得意だ」
「恐れ入るね」
家へ着くと間もなくお父さんは、
「謙一や、お前一つ三輪さんへ電話をかけて見てお呉れ」
と僕に頼んだ。小川さんの浄瑠璃を聞くので急に心細くなったのかも知れない。
「何とかけます?」
と僕が
「別に用もないが、お昼前に何とかいうところで自動車に弾ね飛ばされた人があったね。お前も電車の中から見ていたろう? 何うも様子が三輪君に似ていたから気がかりでならない」
秘書役は手帳を繰って早速電話口に立ち、番号を呼び出して訊いて見ると、
「へえ、東京の三輪さんだっか?」
「
「へえ? もし/\」
「お変りありませんか?」
「へえ、お変りおまへん。東京の三輪さんだっしゃろ?」
「自動車に轢かれやしませんか?」
「一体あんたはん
と

もう間もなく下関だと聞くと三輪さんは早手廻しにハンチングを麦藁帽子に
「惜しいことをしたね、折角のタスカンを!」
とお父さんが同情した。同時に半ば立ち上ったのは或は三輪さんが前後を忘却して飛び出すかも知れないと懸念したらしい。しかし御本人は、
「否、惜しいことはない。お蔭で寿命が又一年延びたようなものだ」
と答えて泰然たるものだった。
「相変らず妙なことを口走るね」
と団さんは退屈まぎれに冷かした。
「でも僕は毎年夏帽子を一つしか被らないからね」
「頭が二つあれば格別、一つしかない限り二つは被れないよ」
「否、一夏に一つという意味さ。君だって然うだろう?」
「それは然うさ。それなら初めから然う言えば宜い」
「理窟っぽい男だ。そこで夏帽子を買う度に僕は感慨無量なものがある」
「買って貰う度にだろう?」
「一々
「数の観念がない筈だが、案外あるね」
「大いにあるさ。昔から相場通り人生五十と仮定すると正当なら夏帽子は後九つしか被れないことまで勘定が出来ている。後九つとは考えて見ると心細いじゃないか? ところが、今年はこの旅行の為めに二度目を買い、それを今飛ばしてしまったから、又一つ買える。それで少くとも夏帽子という問題丈けでは二年寿命が延びたも同じことになるだろう? 最も有効な若返り法は旅行だという君の説も案外一理あるよ」
「恐れ入った。帽子を吹き飛ばされて気焔を吐いていれば世話はない」
「面白いね。汝の夏帽子数えらる。僕は後十か。冗談じゃないぜ」
とお父さんはこの問答を聞いて歎息した。
大阪から下関とは三輪さんの帽子諸共旅程が急に飛ぶようだが、僕達は前回の僕達でなくて又東京から出直して来た僕達だ。春の旅行は僕の不覚の為めに大阪でさゝほうさになってしまった。まさか小川さんの義太夫に
「この前は君達が物見高い顔をしていた
と団さんは何かの序に注意した。
「中国や九州へ来て
とお父さんは服さなかった。
「否、それがナカ/\然うじゃないんだよ。住めば都だからね。中国でも九州でも皆自分のところが世界の中心だと思っている。
「そうして晩酌をやるように西に没して呉れると君は信じているんだろう」
と三輪さんは今しがたの
「
「大阪屋ってのは何だい?」
「下関文化生活の中心さ」
「三輪君。うっかり乗っちゃいけないよ」
とお父さんが警戒した。
「兎に角東京から来たから敬意を表して貪るんだと思っていると大間違だぜ」
「貪られたり馬鹿にされたりしたんじゃ
と三輪さんは共鳴した。
「しかし安心し給え。今度は自動車へでも俥へでも土地の相場で乗って見せる。金は惜しくないが、田舎漢に附け込まれるのは
と団さんは何か工夫のあるように言った。
漸く下関に着いた時、田鶴子さんと僕は例によって家への通信を果した。未だ何処も見物しないから至って簡単だ。それでも田鶴子さんのには、
「······二十四時間も乗り続けると紳士淑女が遺憾なく動物性を現します。寝通しの人もあれば食べ通しの人もあります。列車全体が動物園で客車が一個々々檻のような観があります。檻ですからボーイさんが掃除に来る度に必ず食べ粕が一杯溜まっています。そうして動物ですから、掃除の都合の好いようにナカ/\退いてやらないのやうっかり足に触ると唸るのがあります」
というようなことが書いてあった。
駅前で俥に乗って
「この辺は一向変っていないね?」
と車屋に話しかけた。
「へい、変りません」
と車屋が答えた。
「市長は評判が好いかね?」
「へえ?
「
「好いのやら悪いのやら私共には市長さんの評判は分りませんわ」
「寄らないで行くと後で怒るかも知れないが、この通り
「はい、やっておられます」
「あの男も年を取ったろうね?」
「はい、取りました」
至って無難な問答だ。年を取らない奴はありっこない。而も
「御承知でございましょうが、此処が日清談判の
と狭い道の左側を指さした。石段に門構えは宿屋兼料理屋に似つかぬ
「成程、此処だったね。此処へは能く
と団さんは昔懐しそうに言った。
「春帆楼だとさ、これが。講和談判を料理屋でやるところは
とお父さんは
「河豚は何うしても下関さ。チリで一杯と来たら溜まらないからね」
と団さんは土地通を続けた。
「結構なものでございます。第一酒の廻りが違いますからな」
と車屋が受けた。
「故郷忘じ難しで、一つ食べて行くかな、久しぶりで」
「唯今は駄目でございます」
「休業かい?」
「
「
と団さんは危く馬脚を露すところだった。
「謙さん、好いものを見せて上げましょうか?」
と言って、ポケットから小さな蟹の乾し固めたのを出した。
「
と僕が欲しそうにすると、
「あなたのも買って来てよ」
と一
「似ているなあ! 全く能く似ている。蟹二つだ」
「
「僕の方の生徒監督に」
「まあ! 先生に蟹二つなの? 謙さんもナカ/\お口が悪いわね」
「だって平家蟹って
「あなたのは男よ」
「あなたのは女? 女でも矢っ張り怖い顔をしているんですね」
「顔じゃないわ。
境内には
「錨を背負って飛び込んだ
とお父さんは立札を仰ぎながら言った。
「雑兵は皆海の底に居残って蟹になってしまったのさ。負け戦さには実際雑兵で出るもんじゃないね」
と団さんは平家蟹に同情した。
「墓ないものは、雑兵の身かね。田鶴子さん、その蟹をもう一遍見せて御覧なさい」
と三輪さんが言った。
「此処のお
と団さんは名誉恢復を心掛けて安全な質問をした。神社には必ずお祭典がある。そうしてお祭典は大抵賑かなものに
「四月の二十三日でございます。
と車屋が答えた。団さんの車屋が一番
「然う/\、あれは
「全く此処ばかりでございます」
「下関中のが皆参詣に出るのかね?」
とお父さんが訊いた。
「
「
「否、そんなものじゃございません。矢っ張り女郎の参拝です。生き残った平家の女子達が今の稲荷町の基を開いたというので昔からの
間もなく町を通り抜けて壇浦へ出た。海があるばかりで、他には
「此処こそ
と団さんは安心して言うことが出来た。
「何もございませんが、これが
と団さんの車屋が、溝ぐらいの小川を指さした。
「成程」
「旦那は平家の一
「さあね、聞いたような気もするが、長らく洋行していたもんだから、日本のことは箸の持ち方まで忘れてしまったよ」
「この川と海の
「成程、平家の一杯水か。然う言われゝば聞いたようだね。何しろ此処で皆沈んでしまったんだから浮ばれないのさ。昔は雨の晩にこの辺に
と団さんが言った。
「矢っ張り御存知ですな」
と車屋はつい口車に乗ったが、
「旦那方は広島でございますか?」
「まあその辺さ」
「これから朝鮮へお帰りになりますね?」
「これも図星だ」
門司へは予定の刻限に渡った。狭い海峡を一つ距てゝいる丈けだから本土と異るところは些っともないが、宿引のような男が寄り添って、
「大連へいらっしゃいますか?」
と訊いたのには、成程遠方へ来たという感じがした。停車場の二階で昼食を
「何うだったね? 俥賃は安かったかね?」
とお父さんは食べながら思い出したように尋ねた。
「否、安くもなかったが、先ず土地相場だろう」
と団さんは答えた。
「多少有効だったね」
「あんなに嘘を吐いて漸く土地相場じゃ割に合わない」
と三輪さんは
「高い安いは兎に角田舎漢扱いを受けなかったからね」
と団さんは主張した。
「田舎漢扱いさ。広島県人という判決じゃないか? ねえ、村岡君」
「然うとも。そうして朝鮮へ出稼ぎと来ている。有難い仕合せさ。これじゃ無料で乗って少しお
「馬鹿ばかり言っているよ。自分の土地が世界の中心だからね、隣県と見て呉れたのは絶大の好意だぜ。君達は世間を知らないから分るまいが、朝鮮へ行って産を為しているのは主として山口県人と
「斯ういう人に会っちゃ
とお父さんが笑った。
門司では何も見なかった。駅前に五六軒並んだ果物屋の仮店が一寸異国風で注意を惹いた。汽車に乗り込むと、ビール樽のような紳士が、
「やあ!」と言って立ち上った。
「やあ!」
と応じてお父さんが寄り進んだ。
「これはお珍しい。一体何方へ?」
「悪いことは出来ませんな。何うせ寄れないからと思って、無断乗り越しという積りでいましたが······」
「それは
「まあ/\」
と二人は挨拶に移った。
このビール樽はお父さんの
「偶然も斯うなると神秘に属しますね。九州で親戚といってはあなたのところ一軒きりなのに、そのあなたとこの玄関口でバッタリ行き当るのですもの」
「私も門司へは滅多に来ないのですが、今日は全く偶然でした。矢っ張り神さまのお引き合せです。この上寄って行かないと罰が中りますぞ。冗談は兎に角何うですか?」
と川島さんは早速誘いをかけた。しかしお父さんは予定があるので何うも動きが取れず、百方陳謝して
「何でしょう? あれは」
と田鶴子さんが見慣れない形の貨物列車を指さした。
「石炭を搬ぶ汽車さ」
と団さんが振り返った。
「成程、石炭だわ。
「あれは
と川島さんが教えて呉れた。
「此方は石炭が名物だからね。田鶴子さんも謙一も叔父さんに石炭のことを伺って置きなさい」
とお父さんが言った。
「石炭ならお手のものです。石炭即ち福岡県です。福岡県即ち工業動力です。日本の商業中心はこゝ十年の中に門司に移りますよ。
と川島さんは福岡県の為めに気焔を揚げた。
「矢っ張り中心説だろう?」
と団さんが囁き、
「成程、中心説も案外根柢があるね」
と三輪さんが笑っても、川島さんは勘違いをして、
「根柢が石炭ですから中心ですとも。そうして商工業の中心は国家の中心、国家の中心は世界の中心です。お嬢さんや坊ちゃんを此処まで運搬して来た汽車と連絡船も石炭あっての話でしょう? 電信電話電車電燈から百般の製造業、何一つ石炭のお蔭を蒙らないものはありません。石炭が日本を動かしています。そうしてその石炭は福岡県||と要するに斯うなるのです」
「すると石炭屋が一番
とお父さんが冗談を言った。
「然うです。そうしてこの叔父さんがその石炭屋です。御覧なさい。こんなに太っている」
と川島さんは
小倉を過ぎると右側は煙突の森林続きだ。煤煙で空が曇っている。
「実際盛んなものですなあ!」
と団さんが感歎した。
「此処は工業地として東洋一という評判です。その代り煤煙で家があんなに真黒になってしまいます。八幡は雀まで黒いと申しますからね。桜だって満足な色には咲きません。女にしても白粉を塗っている間に煤煙を受けますから折角のお化粧の出来上る頃には灰色になるそうです」
と川島さんの説明は形容に剽軽な誇張があるから印象が深い。
「太っ腹な男さ。あんな風だから損をしても得をしてもケロリとしている。成功しているのか失敗しているのか分らない」
とお父さんは折尾で川島さんが下りてから批評した。
「快活で好いね。不平や苦情は痩せた人の言うことさ」
と団さんが言った。
「妙なところで当てつけるね」
と三輪さんは聞き捨てにしなかった。
「そら、もう始まった」
九州で大きいのは福岡、町の綺麗なのは長崎、繁華なのは博多||と昨夜散歩をしながら、三輪さんの甥の大学生が定義的に教えて呉れた通り、博多は実際賑かだ。
「福岡と博多は違うんですか?」
とその時お父さんが訊いた。
「さあ、まあ同じようなものですな。正確にいうと福岡市は福岡及び博多の両区より成り立ちます。この故に博多は福岡市の一部分です。然るに停車場は御承知の通り博多にありますから、鉄道方面からいうと博多即ち福岡市です」
と小三輪生は何でもないことを無暗に六ヶ敷く言う。医科だそうだから、卒業して脈を見る時の心得を今から練習しているのらしい。それは然うと博多も殊に僕達の宿の附近は芝居小屋等があって目貫のところと見えた。田舎銀座の呉服町まで行って、
「博多人形を買って行くと宜いんだが、毀れてしまうだろうかね」
と団さんは娘にまで駈引をする。しかし田鶴子さんは、
「店から直ぐ家へ送らせるから大丈夫だわ」
とその又上を行って、人形丈けは大きなのを買って貰った。
朝御飯が済むと直ぐに俥で見物に出掛けた。すべて小三輪生が引き廻しの労を執って呉れる。電車道を一直線に辿って左にお濠の蓮の花を賞しながら、
「車屋さん、何連隊だったかね? 此処は」
と団さんはソロ/\釘を打ち始めた。
「二十四連隊でござす」
と車屋が答えた。
「連隊長は矢っ張りあの大佐がやっているだろうね?」
「やっとります。旦那は御存知でござすな」
間もなく西公園に着いた。
「村岡君、太った人が苦情を言いそうな高いところだね」
と三輪さんが嬉しがった通り、この公園は平地じゃない。
「高いとこじゃけん、眺望がよござすばい」
と言って車屋達も
「此処はこの辺唯一の桜の名所です。春になると毎日ドンタク騒ぎをやりますよ」
と小三輪さんが説明した。
殿様を祀った神社があったが、そんなものに頓着する連中でない。山の上は成程海の眺めが佳かった。何とかという可愛い島も見える。風景にも余り屈託のない一同は直ぐに下りて来た。
「車屋さん、君達は博奕を打つそうだね?」
と団さんは平野次郎の銅像の前で立ち止まった。
「とっけもなか御冗談を仰有る」
と車屋は驚いた。
「
引き返して東公園へ向った。九州第一の大都会丈けに、端から端まではナカ/\乗りでがある。
「オヤ/\、松が枯れているじゃないか」
と千代ノ松原に差しかゝった時三輪さんが呟いた。
「先年から何か病菌がついて、
と小三輪生が答えた。先頭の連中は
日蓮上人の銅像は素晴らしいものだ。
「大きな坊さんね!」
と田鶴子さんが感心した。
「像も台座も三十五尺
と車屋が説明して呉れた。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経······」
とお婆さんが五六人頻りにお題目を唱えている。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経······」
と一心不乱だ。台座の石が手垢で黒くなっている。
筥崎八幡は東公園から目と鼻の間だった。入ると右側に楠の大木がある。「樹木を愛護せよ」という立札を読みながら、
「樹木を礼拝せよと書いても宜いくらいなものだ。実に大きい。恐らく日本一だろう」
と大木好きの三輪さんは何時までも見上げていた。
「この八幡さまといい亀山上皇といい、此処へ来ると何うやら遠い
とお父さんも多少、感慨を催したようだった。
「
と小三輪生が応じた。
「何うです? 此処の学生も京都の連中のように遊びますか?」
と団さんは現代にばかり興味を持っている。
「京都の連中見たいにノートを質に入れたりその
「そんな連中と交際しちゃ困るぜ。君は兄に似て矢っ張り酒が好きだからね」
と三輪さんは叔父さんぶりを見せた。
「私は大丈夫ですよ。借銭をして酒を飲んでも
「はゝあ、借銭と言いますか?
とお父さんが大発明でもしたように言った。
海岸は松原を背後に控えて好い景色だった。高燈籠のところで、
「多々良ノ浜はあの見当になります。海上で二百十日の台風を食ったのですから十万余騎の敵も溜りません。それにしても生存者が
と小三輪生は科学的説明を下した。
帰途医科大学の前へ出るまでに
「あれは何でしょうね?」
と田鶴子さんは俥の上から僕を顧みた。
「箱崎の浜の砂でござす。あらたな砂じゃけん、あげんして大切に持ち帰りますばい」
と僕の車屋が教えて呉れた。
宿へ戻って昼御飯を食べると
「叔父さんは『わし国』別名『都名所』というのを御存知ですか?」
と小三輪生が訊いた。
「知らないね。此処の名物のお菓子かい?」
と大三輪生は無学を告白しなければならなかった。
「
と小三輪生はビールに酔ったのか、小声で謡い始めた。
「『······九州大学潮湯晴心館、敵国降伏筥崎八幡、元寇記念碑日蓮銅像、荒津山から沖を眺むりゃ
「本物ですな。これは大分
と団さんは褒め、
「面白いですな。その文句を後から一つ調べて置いて下さい」
とお父さんは頼んだが、
「秀夫さん、そんな歌がそんなに上手じゃ余り信用出来ないぜ」
と三輪さんは

「大丈夫ですよ。兎に角今の歌の中の名所は
と小三輪さんは手首の時計を見た。
夏の雨は馬の背を分けるというが、全くその通りだ。
「又熊本でお目にかゝります」
と言って、博多駅で秀夫さんに別れた時には晴れていたようだったが、一停車場過ぎると
「選りに選って字の拙い人のお揃いですから、天神さまがお気に召さなくて

と田鶴子さんも遠慮のないことを言って笑ったくらいだった。
鉄道馬車というものはお父さんやお母さんの昔話に聞いてどんなものだろうかと思っていたが、佐賀にはその実物がノコ/\歩いている。旅行は確かに見聞を広める。
「
とお父さんが驚いた。
「悪口を言うなよ。此処は
と三輪さんが注意した。
「車屋さん、警察署長は矢張りあの男がやっているかい?」
と団さんが又始めた。
「ない!」
と車屋が答えた。
「あの男も年を取ったろうね?」
「ない!」
「高等学校が出来たから以前よりは余計金が落ちるだろうね!」
「ない/\! な!」
「これは驚いた。てんで言葉が通じない」
と団さんが言った。間もなく博多の水野旅館から差して寄越した新馬場の松本屋というのに着いた。
田鶴子さんと僕は早くお湯に入って、夕御飯までの時間を家への通信に利用した。大人連中は責任がないから相変らず駄弁を
「
と団さんが女中のお
「少し
とお父さんが冷かした。
「否、器量は別問題としてあれぐらい要領を得たのは未だ
ところへ女中が二人お膳を
「お芳さんもお峯さんも大変評判が好いですよ。器量は兎に角気転が利いているって」
と三輪さんが言った。
「あらいやばんた」
とお芳さんが笑った。
「冗談は措いて、僕達は佐賀のことを調べに

と団さんが頼んだ。
「宜しゅうございます」
「佐賀弁でね」
「よかばんた」
「毎日忙しいだろうね?」
と御飯が始まってからお父さんが同情するように言った。
「忙しゅうして戦争のごッたばんた」
「何でも
「佐賀人ぐらい
と三輪さんは何かを思い出した。
「知っている。成程、彼奴は此処のものだったね」
とお父さんが応じた。
「あの男なんか標本的佐賀人だろうね。未だに書生の時の通り左の肩を怒らして歩く。鹿児島人が右の肩を聳やかせるに対して佐賀人は左の肩を聳やかせるものだと言っていたぜ。犬の尻尾見たいに左巻き右巻きの区別が厳然として存しているんだね」
「
とお芳さんが苦情を言った。
「まあ/\待ってお呉れ。これから大いに
「いうなかばんた。佐賀の人の通った跡は草も生えんとでしょう?」
「
とお峯さんが加勢に入った。
「呆気は
とお父さんが言った。
「女も佐賀はお芳さんのような別嬪が多いんだろうね」
と団さんが油をかけると、
「佐賀の女はマルボーロのごた味がするばんた」
「マルボーロとは?」
お芳さんは菓子器を指さして、
「おいしゅうございましたろうがな」
「圧迫的だね」
「佐賀の女はマルボーロのごたッばんた。情が深うして
「恐れ入った」
と確信家の団さんも、この女中の確信には敬服した。
第一番に御飯を済ませた田鶴子さんは縁側の籐椅子にかけて、
「あら凧が揚っていてよ」
と言った。
「夏凧を揚げるのは佐賀ばかりでござッす」
とお峯さんが説明した。何でも他に類がない。
「佐賀言葉を教えて上げましょうか? にゃごとこくきゃ、こんちくしょう、あらいやばん、こなたのそくしゃあか、ぞうだんしんさんな」
とお芳さんが一
「何だい、今のは。もっとゆっくり言って呉れないと
とお父さんは
「
「成程、分る。肱鉄砲の時に使うんだね。冗談しんさんなは優しくて好い」
「こなたのそくしゃあかとは何ういう意味だね?」
と団さんが訊くと、
「この人の厚かましくて厭らしいこと、です。旦那のことよ。オホヽヽヽヽヽヽ」
とお芳さんはお膳を引き始めた。
夕食後未だ
「此処は楠の多いところですな」
と三輪さんは嬉しがった。
「楠の木が多かけん」
と言いかけて、
「楠の木が多いですから、
と男衆は標準語に改めた。
「蒟蒻の化物?
とお父さんが訊いた。
「さあ、
と男衆は痛快に笑った。
「何かね、その蒟蒻には目鼻でもついているのかね?」
とお父さんは化物の正体を突き止めたかったが、青年は、
「
と
「蛮人のユウモアは
と言ってお父さん丈けは喜んだ。
公園へ出て銅像を見た。
「
と男衆は改まって案内役を勤めた。
「まあ、殉死!」
と田鶴子さんが暗い顔をした。無駄口の多い連中も
江藤さんの記念碑に着いた頃トボ/\日が暮れ始めた。殉死をした人、謀反をして斬られた人、妙に陰気なところが続く。
「旦那方は明日は
と男衆が訊いた。
「川上は好いところだと聞いているが、時間の都合が悪くてね」
と団さんが答えた。
「是非いらっしゃいませ。軌道車で一時間です。
「何か見るものがあるかね?」
「水が綺麗で、風景が好くて、鮎の名所です。
お城の門まで行ったが、もう暗いので、壁に残った戦乱の
「矢張り、昔からの都会だね。ナカ/\大きな店が並んでいる」
とお父さんが言えば、
「間口の広いのは地価の廉い証拠さ。しかし今の店のマルボーロは一寸綺麗だったね」
と団さんは
「三輪君」
とお父さんが振り返った時、僕達は三輪さんのいないのに気がついた。考えて見ると先刻から姿が見えなかったようだ。
「何うしたんだろう?」
と店並を一軒々々に覗いて歩いたが、見つからない。
「子供さんじゃなかけん、案じることはござッせん」
と男衆が言った。しかし気になるのでその儘宿へ引き返すと、
「此処は松本屋というんだってね」
と三輪さんは寝転んでお茶を飲んでいた。何か買物をして来たらしかった。
「何を言っているんだい? 心配したぜ」
と団さんが
「此処の家の名前を知らなかったから僕も一寸心配したよ。松原神社を覚えていなかろうものなら迷子になるところだった。何処へ行っても宿屋の名前丈けは知って置く必要があるね。今女中に訊いて漸くホッと一息ついたところさ」
「もう家が分ったんだから、
「家の名を聞いて漸く安心したところが宜い。日本人で
とお父さんが笑った。
左側に美しい山の
「好い景色ですね。
と僕が言った。
「
と田鶴子さんは僕を凹ませた。団さんの娘丈けあって時々こんな小理窟を言う。
「佐容姫って何だっけね?」
と団さんが訊いた。
「
とお父さんは
「石になった口かい? 僕は蛇になったんだと勘違いをしていた」
と三輪さんが言った。
「蛇は
と田鶴子さんは婦人として万一の場合の化け方を一々心得ている。
「暑い/\。斯う暑いと慾も徳もなくなってしまう」
と言って畳の上に落ちつくとその儘横になりたがる団さんを促して、僕達は
「車屋さん、此処も鉄道馬車かい?」
と団さんは町中の線路へ差しかゝった時訊いた。
「此処んとは軌道車でござす」
と車屋が答えた。折から真黒な機関車が
「あれでござす。あの通り
と車屋はこの交通機関に好意を持っていないらしい。
お城の跡が公園になっている。可なり高い丘で見晴らしはこの上もない。
「唐津は丁度城公園級の都会だね」
と団さんが言った。団さんの説によると一番下は横幅のない
「虹の松原と西の松原が両の翼で、
と車屋の甲が舞鶴城の由来を説明して呉れた。
「成程、大きな鶴だね。
と三輪さんが感心した。
「あいです。あいが
と車屋の乙が虹の松原の
「ふうむ。あんな高いところから佐容姫さんがハンカチを振って別れを惜んだんだね」
とお父さんは眺め入った。
「あいが松浦橋です。三百六十間あいます、あぎゃん長か橋は日本国中になかと申します」
と車屋の丙が紹介した。此処の車屋は芝居の腰元や武士のように順々に口を利く。
「松浦橋に松浦川に松浦潟か? 此処は統一的で宜い」
と団さんが褒めた。
「松浦橋の少し上に松浦石がございます」
と車屋の丁が教えて呉れた。
「まあ、松浦姫の石が
と田鶴子さんが好奇心を動かした。
「何と申しても虹の松原が一番の名所でございます」
と車屋の戊が言った。これで、
「さあ、参りましょう」
と一同声を揃えれば
松浦橋は実際長かったが、
「この松原は虹の形をしていますので虹の松原と申します」
と三輪さんの車屋が説明を始めた。
「好い松が揃っているね。千代の松原よりも
と三輪さんが褒めると、
「何誰もそぎゃんにいわっしゃいます」
ところへ例の軌道車がポッ/\と
「あんなに煤煙を吹っかけちゃ松が枯れてしまうだろうね?」
と三輪さんが心配した。
「松の為めにも好くないと申します」
と車屋は軌道車を目の敵にしている。
「三輪君は名君だからね。始終
と前の車からお父さんが振り返った。
「こんな松は節が多くて余り好い材木にはならないよ」
と一番
「坊ちゃん、この松原は蝉が多かろそなところですが、一つも鳴いて居らんでしょう?」
と僕の車屋は僕を小学生と認めた。
「成程、鳴いていないね」
と僕は耳を澄ました。
「これには面白い
「面白いね。海が近いから蝉が来ないのか知ら?」
と三輪さんが言っても、
「そんなことはございません。唐津公園では鳴き居りましたろうがな」
と車屋は何処までも関白の御威光の然らしめたところと信じ切っている。
「それは然うと馬鹿に長いね、この松原は?」
と団さんはソロ/\退屈して来た。
「長うございますとも。端から端までは一里八合ございます」
とこれは先刻松浦橋の長さを自慢した男だ。
「一里八合? 八合とは切り刻んで面白い言い方だね」
「九州では何処でも一里八合とか一里五合とかと言うよ。
と三輪さんは熊本生れ丈けにこの辺の消息に通じている。
「一里八合は分ったが、そんなに松の木の間を歩いたって仕方がないじゃないか?」
「
と車屋が言った。
「何うだね? 少し休もうじゃないか?」
とお父さんが
「お茶でしょうかね? これは」
と田鶴子さんは最初は躊躇したが、
又
「坊ちゃん、太閤さんの御威光は素晴らしいものです。この辺の松は皆小さいでしょうがな?」
と僕の車屋が左側を
「小松ばかり生えているね」
と僕は又太閤が叱ったのだろうと思った。
「この辺を太閤睨みの松と申します。昔太閤さんが此処から朝鮮を睨みつけました。その御威光でこの辺の松ばかりはその頃の儘一向伸びません」
「蝉も鳴けん、松の木も睨まえちゃう、
と田鶴子さんの車屋の
遊園地から海岸へ出た。漁師が網を曳いていた。振り返ると松原の上から領巾振山が見下している。
「矢っ張り女性的な山ね」
と田鶴子さんが懐しがった。
帰途橋のところから少し
「大きな岩ね」
と田鶴子さんも驚いたようだった。
「お前のお母さんぐらいな大女だったと見えるね」
と団さんが言った。
「厭なお父さん! 佐容姫はこの辺で身を投げたんですわ」
「そんなことが何かにあったかなあ?」
とお父さんが本気にした。
「そうして死骸が海へ流れてしまって揚がらなかったもんですから、里人達は石になったと思い込んだんでしょう」
と田鶴子さんは新しい解釈を下した。
昨日は一日雨に降られた。唐津からこの長崎までの間車窓の景色さえも碌々楽むことが叶わなかった。物事が都合好く運ばないと
「見給え。この大雨に晴れとあるんだからね。田舎の測候所は全く
と先ず団さんが
「東京の気象台だって
とお父さんが相槌を打った。
「僕は早晩養子を貰うんだけれど、気象台へ勤めている人の子丈けは御免蒙ることにしている」
と三輪さんも悪意を表明した。
「何故さ?」
とお父さんが訊くと、
「何しろ嘘は親からして吐き放題だからね。家庭教育も何もあったもんじゃなかろうと思うよ」
「
と団さんが言えば、お父さんも、
「官費で而も社会の
「親がその通りじゃ子供に向って、『お前方は嘘を吐いちゃいけない』とはよもや言えまい。『それなら伺いますが、お父さん、今日の予報は何うしたものでございますか?』と反問されゝばグウの
と三輪さんもナカ/\やる。
「夫婦間の愛情も怪しいもんだぜ。七
と団さんが笑った。
「私は何処へも行きませんわ」
と田鶴子さんは
さて、今日は昨日に引き換えた日本晴、一同の御機嫌も三国一だった。現金なものだ。朝御飯中団さんは長崎日日新聞というのを
「晴れとある。感心に今日のは
と言った。
「豪いね。昨夜此処へ着いた時の
とお父さんが敬意を表した。
「天気にさえなれば予報なんか
と三輪さんは天真爛漫だ。
「
と団さんは自分のことは棚へ揚げた。
間もなく昨夜宿屋へ送り込んで呉れた渡辺さんが訪ねて来た。一礼を述べた後、
「案内して貰えればこの上なしだが、忙しいだろうね?」
とお父さんが言った。
「忙しいさ。しかし今日は日曜だよ。相変らず七
と渡辺さんは遠慮がない。
「
と団さんが訊いた。
「前途遼遠だね。順番の廻って来るまでに頭が真白になりそうだよ」
「成程、大分白くなったね。しかし髭丈けは不思議に真黒だ。髭の方は二十年若うございますからと言った奴があるそうだが、君も髭青年の組だね」
と三輪さんが批評した。
「待てよ。この前会ったのは
と団さんが怪んだ。
「親父が死んだんでね」
「然う/\、もう
とお父さんは軽く頭を下げた。
「白髪は心配すると急に生える。一晩の中に真白になるのが小説には
と三輪さんは小説と現実の差別がない。
「心配じゃない。安心さ」
「安心して白髪が生えたのかい? 不思議なこともあるもんだ」
「小説にもないだろう。親父が生きている間息子が余り白くなっちゃ死に急がせると思って染めていたのさ。諸君を
と渡辺さんは悪びれた様子もなかった。
「
とお父さんが褒めた。
「当てつけるなよ」
と
「動機の悪いのが随分あるよ。此処の実業界の
と渡辺さんは長崎の消息にはこんな微細な人事にまで通じている。
「巧いことを考えたもんだね。三段伸びなら容易に
と団さんが感心した。
「しかし被っている丈けじゃ気が咎めると見えて
「
と三輪さんが訊くと、
「要するに若く見えて芸者にでも好評を博そうというのさ。社会の為めに若返り法をやろうなんて奴は一人もないよ」
と渡辺さんはナカ/\手厳しい。
「時にソロ/\お引き廻しを願おうか?」
とお父さんが言うと、渡辺さんは、
「早く支度をし給え、自動車が待っている」
長崎も
「涼しいね。斯ういう風のないところへ来ては自動車で疾走するに限る」
と団さんは喜んでいたが、
「
と三輪さんは

「それじゃもう一遍行こうか? 見物の程度が
と渡辺さんが気の毒がった。
「結構だよ」
とお父さんが言った。
「未だ裏の方に相応見るものがあったんだよ。そら、坊ちゃんもお嬢さんも御覧なさい。あの山の上のは
と渡辺さんは説明の足し前をして呉れた。
「船は此処から出ます。
と団さんは渡辺さんの口真似をした。
「あの円い大砲の玉は何のお
とお父さんは自動車が動き出してから訊いた。
「あれが『玉はあれども大砲なし』という長崎七不思議の一つさ」
と渡辺さんが答えた。
「七不思議ってのは何だね?」
「さあ、
「長崎の
「僕が書いてやろう」
「七不思議じゃない。
と団さんが
「上海まで一昼夜半とは近いもんだね。東京へ行くのと余り変らないじゃないか?」
と三輪さんが言った。
「時間数は丁度同じだけれど、船に乗って寝てしまえば後は世話がないから、
と渡辺さんが応接した。
「
とお父さんが僕の感想まで述べて呉れた。
「案外気が弱いんだね」
「この二人は何かというと
と団さんが話に輪をかけた。
「それじゃ矢っ張り今夜立つんだね?」
「僕はゆっくり異国情調を味わって行きたいんだが、何分聴き分けがないからね」
「此処が
と三輪さんは頻りに首を伸した。
「安心し給えよ。今夜此処から立つんだから」
と団さんは今日は無暗に活躍する。
「そんなに家が恋しいんじゃ
「家庭発展党、
「
とお父さんは又問題になりそうなことを言った。
「この向う岸が
と渡辺さんは対岸を
「坊ちゃんは写真をおやりですね?」
と渡辺さんは僕の持っていた写真機に目を止めた。
「
と僕が答えた。
「一つ御伝授を願いたいものですな。私もついこの間から道楽に始めましたが、何うもいけません。
「危い写真師だね。何うしたんだい?」
と早速団さんが口を出した。
「ピントの具合を考えて
「面白いね。兎じゃあるまいし」
「目が二つ写って耳丈け一つという法はあり得ないと確信している。子供の描いた絵にさえ耳は屹度二つある等と理窟を言う。要するに僕の技術を信じないからだろうが、天草というところは余程
と言って渡辺さんは大笑いをした。
彼れ此れする中に田圃に出て間もなく浦上の天主堂に着いた。折から
「お嬢さん、あのお婆さん達の前掛を御覧なさい」
と渡辺さんが田鶴子さんの注意を呼んだ。
「まあ、前掛でしょうか? 袴のようですわね」
と田鶴子さんが
「あれが三
「婆さん達が手を引き合って会堂から出て来るところは一寸奇観だね。爺さんも大勢いる。東京では教会といえば青年の行くところに
と中年になってから教会へ御無沙汰をしているお父さんが感に入った。
「此処のは東京辺の温室作りの教会員とは違うよ。命がけで信仰を持ち続けた連中の子孫ばかりだからね。この
「星野君が羨しがりそうなところだね」
「何にしても大きなものだ。そうして未だ新しいようだね?」
と会堂へ入って
「然うだね。材料の寄附は勿論、運搬から組立まで
「おや/\、『婚姻の公告』とあるぜ」
と掲示場のところへ出た時三輪さんが立ち止まった。そうして、
「お婿さんはペトロ深堀甚三郎二十一歳、父ルドウィコ善八か、面白い名前だね」
「お嫁さんがマリヤ深堀初子十七歳。十七歳は
とお父さんが余計な心配をした。
「信徒以外のものと縁組をしないから自然そういうことにもなるのだろうさ」
と渡辺さんが言った。
「苦情があるなら申し出て呉れと書いてあるよ」
と団さんも神妙に読んでいる。
「父ミカエル黒助は好いね」
とお父さんは手帳に書き留め始めた。
「如何にも
と田鶴子さんも珍しがった。
引き返してお
「村岡君は信者だったね?」
と渡辺さんが山里村から連想したのか不意に尋ねた。
「まあ然うだね」
「まあ然うだは
と団さんが言った。
「もう卒業してしまったんだね。昔なら
「転び切支丹て何だい?」
とお父さんも気になると見えた。
「何でも昔京都の四条河原とかで切支丹を刑に処した時のことだと言ったよ。信徒を俵の中に入れて置いて、『改宗して良民に戻るものは命を助けてやるから転げて来い』という申渡さ。信仰の固い俵は貧乏揺ぎもしなかったが、弱いのは河原をコロ/\と転げて来たそうだ。それで転び切支丹とか転び証文とかという言葉が極く普通になったらしい。
「
と団さんが遮った。
商品陳列所を一寸覗いてから諏訪神社の石段を登りながら、
「お嬢さんやお坊ちゃんに此処のお
と渡辺さんは僕達の相手をして呉れた。そうして、
「長崎三馬鹿の一つになっています。上海あたりから西洋人が

「三馬鹿って何でございますの?」
と田鶴子さんが訊いた。
「お諏訪さんのお祭典とお盆と凧揚げに馬鹿々々しい金を使うので、これを三馬鹿と申します」
「何、三馬鹿だって? 僕達のことだろう? 子供に親の悪口を言って聞かせちゃ困るよ」
と坂となると意気地のない団さんが息をはずませながら追いついた。
山の上からは長崎中が一目に見える。
「大分船が入っている。宿の三階からも見えたが、三越の造船所は大きなものだね」
と三輪さんは
「みどり屋は
とお父さんが頻りに物色した。
「あの白い建物が県庁だから、先ずあの見当だね。狭いだろう? 何しろこの通り山を背負っているから
と渡辺さんは目ぼしいところを
「平地の乏しい関係からその辺の山腹は
「余程
とお父さんが言った。
「
本殿の横に青銅の馬が立っている。この馬の為めにこの神社は
「此処のお
と渡辺さんは順を追って三馬鹿を説き尽す積りと見えた。
「町々で
「酷評をするね。君は見たことがあるかい?」
と団さんは稍

「宜しくないものゝ舞踊を見物してやるのは間接援助を与えるようなものだからね。しかし
「蛇踊りってのは男ばかりかい?」
「然うさ。龍が玉を取るところをやるんだよ。長さ二十何間とかあって顔は無論鱗や腹の具合が精巧を極めたものだよ。三馬鹿だからお祭典となると費用も時間も惜しまないからね。この龍が妙なお揃いの装束をした十数名の若い者に竿の先で支えられながら町を練り歩く。別に金の玉を矢張り竿の先につけた男がそれを或は高く或は低く
自動車に戻ってカルルスへ行くまでに三馬鹿が完結した。
「坊ちゃん、此処は凧揚げが名物です。凧といわずにはたといいます。四月の花時になると
「そんな詰まらないことを見に行くものがあるのかね?」
と団さんが言った。
「あるとも。
「
「
と渡辺さんは修身の先生のようなことを言った。
カルルス温泉に着くと直ぐお湯に入って汗を流した。渡辺さんが
「何だか湿っぽくて僕等は余り感心しない」
と団さんが
「
という調子だ。
「食パンは好いのがあるかね?」
とお父さんが訊いた。
「あるとも。居留地を控えているからパンはこの上なしだ」
「それじゃ一等国だね。僕の友人には食パンがその土地の文化の物差だと主張する男がある。この男の説によると人口一万以下の町には食パンが全然ないそうだ。即ち文化がないということになる。一二万の町のは
「確かに一説だね」
と渡辺さんが頷いた。
食事が済むと団さんは、
「自動車のお蔭で大変時間が余ったね。今度は
と模範を示す為めか脇息に頭を載せて寝転んでしまった。すると女中が枕を持って来て呉れた。
「僕はもう一遍お湯に入って来よう」
と三輪さんは何う気が向いたのか手拭を提げて下りて行った。
「
「
とお父さんと団さんが耳を澄ました。
「此処は料理屋だから兎角宜しくないものが
と渡辺さんは僕と田鶴子さんの方を見て言った。
「否、結構だよ。浴後一杯の酒、陶然として酔った」
と団さんは動こうともしない。
その中に奥座敷は益

「······
と隔ての間が明けっ放しだから歌の文句が手に取るように聞える。
「長崎名物だね。もう一遍歌わないか知ら」
とお父さんは手帳を取り出した。
「此奴は
と団さんが笑った。
「三輪君、三輪君。もう出掛けるぜ」
と渡辺さんは寝ている三輪さんを呼び起した。
「此方は町が何処も
と田鶴子さんはイソ/\して歩いた。全く心持ちの好いところだ。
「坂道は
と渡辺さんが言った。
電車から下りて浜ノ町へ差しかゝった。此処が一番賑かな
「何だ、『長崎の山から出たる月はよか、こんげん月はえっとなかばい』か。
とお父さんは※[#「敝/縄のつくり」、316-上-3]甲の盆というのに惹きつけられた。
「蜀山は此処で役人をしていたんだよ。しかしこの歌は少し違っている。確か『
と渡辺さんが
「細君へお土産を買うのかい」
と三輪さんが驚いた。
「
「僕も喧嘩の時の用心に買って行くかな」
とお父さんも
「僕のところだって平和時代ばかりはない」
と三輪さんも田鶴子さんを顧問として
「
と渡辺さんは笑っていた。
間もなく丸山へ出た。
「此処も素通りかね?」
と団さんが言うと、
「こんな宜しくないところで手間を取っちゃ大変だよ」
と渡辺さんは急いだ。
大徳寺で一休みした。稍

「頻りにばってんをやっているね」
とお父さんは隣りの
「長崎ばってん江戸べらぼうか。ばってんは英語の but and の
と渡辺さんが言った。
「面白いね。外国の影響の強いところだから、事実その通りかも知れないよ」
と三輪さんは大抵の説は受け容れる。
「銀行のことをバンコというしね」
「江戸長崎の国々といったり江戸の仇を長崎で討つといったりするから、兎に角昔から日本の果だったんだね。実際遠いところへ来たものさ」
とお父さんが言った。
「それじゃ君は
「洋行となれば又覚悟があるさ」
「詰まらないことを言っていないで、早く宿へ帰ってゆっくりしようじゃないか?」
と団さんが促した。
「
と渡辺さんが先に立った。
「当時矢張り支那米を輸入したんでしょうね?」
と僕の頭の中では支那寺と支那米が
「支那人は死骸をその儘
と渡辺さんは本堂の暗い隅を覗いた。
「まあ、
と田鶴子さんが首を縮めた。
「
と団さんは石段を下りて山門を顧みながら、
「もうこれで
と渡辺さんにお礼を言った。
早朝長崎を立って、
「炭坑は山だと思っていましたが、平地なのは案外です」
とお父さんが有りの儘の感想を述べた時、
「この通りの連中ですから、何うかお手軟かに願います」
と団さんが口を添えた。団さんは松田さんとは同年輩の工科出だし、この鉱業所以外にも共通の知人があるので、
「此処が万田ですが······」
と松田さんは
「山崩れのした跡等には断面に地層が幾つも
「十分の一勾配と申しますと?」
と三輪さんは数字になると
「十尺進む毎に一尺下るのです。それからです炭層の始まる大浦坑は
「此処の炭層は余程厚いですか?」
と団さんが訊いた。
「五尺乃至二十五尺ですが、平均八尺ですから八尺炭層と申します。十分の一傾斜ですから大浦を遠ざかるに従って深くなります。宮浦からは皆
「千三百七十尺! 成程、深いものですな。何里あるでしょう?」
「何里とはありませんよ。約二十八町です」
「二十八町にしても深い」
とお父さんも数の分り
「深いことその物は然う苦労にもなりませんが、排水と通気が大仕事です。採炭より
と来た時には、
「成程、大変ですね」
と諦めてしまった。
「一立方呎は一斗五升、又水一立方呎は六十六
と解説して呉れても、
「実際大変です」
で押し通した。
「この坑の中はこの通り四通八達の市街になっていまして、丁度京都全体ぐらいの大きさです。太い線になっているのが
「面白いですな。何処も
と三輪さんが絵図を見詰めた。
「
「何うも有難うございました。お蔭で
と団さんが謝意を表した通り、僕も大いに得るところがあった。
「少しその辺を案内させますが、坑へ下りて御覧になりますか?」
と松田さんが言うと、三輪さんは、
「是非一つ」
とお辞儀をした。
「入って見るのかい?」
とお父さんは案外のように訊いた。
「入るさ、君達は?」
「さあ、僕はね······」
「僕も君に見て来て貰おうよ」
そこで三輪さん丈け入坑することになった。
「炭なら四十五秒、人間なら一分です」
と案内者が言っている中にガラ/\/\と石炭が上って来た。この昇降機は
「石炭と間違えられはしますまいかね?」
と三輪さんも案じたくらいだ。
「合図をしますから大丈夫です。この棒に捉っていないと危いですよ」
と案内者が注意したところを見ると間違えられなくても油断はならないのらしい。
「よし/\」
と頷く間に三輪さんの姿は消えてしまった。
「直ぐは出て来ないぜ。祇園へでも寄ってサイダーの一杯も飲んで来る積りだろうから、
と団さんが言った。
まさか間違はあるまいと思ったが、僕は心配を始めた。
「暑い/\、何うも」
と先生達者で帰って来た。
「溜らん/\、カラーがこんなにへな/\になってしまった」
辞して大牟田へ引き返す途中、
「何うだったね? 地獄の底は」
と団さんが訊いた。
「全く地獄の釜の底だよ」
と三輪さんは未だ汗を拭きながら、
「あんな暑い思いをしたことはない。京都のようだと言うから入る気になったが、あの
「
「ゴーッと
「実際初めては目が慣れませんから
と同乗の事務員は三輪さんの大袈裟な報告を笑っていた。
「宮崎県は論外として熊本県は万事立ち
と三輪さんの兄さんが言った。
「何をやっても不器用だから仕方ありません。この頃都市計画を実行しました結果、
と同郷人の大掴みなのを笑った後、
「荒尾山や
と矢張り大ざっぱな説を吐いた。
さて、昨夜から一同此処で厄介になっている。団さんは宿屋へ泊ったそうだったが、名古屋で御賢兄の家へ皆を引っ張り込んでいるから、強い主張は出来なかった。宿屋ほど勝手の利かない欠点はあるが、土地の事情に通じるには家庭に限る。お蔭で熊本の話は三輪さんの叔父さんが
「叔父は変りものでした。そうして当時の分らず屋の標本でした。或時
と兄さんは三輪さんを指さした。
「似ちゃいませんよ」
「
「はゝあ、成程、矢っ張り叔父の遺伝があるんですかね?」
と団さんは人の悪い相槌を打った。
例によって見物に出掛けたが、博多で懇意になった秀夫さんと下男の徳さんが案内に立って呉れた。
「福岡が元寇で持っているように熊本は
と秀夫さんが紹介した。
池田からは順路とあって先ず
「妙にケバ/\しい
と三輪さんが言った。それから
「肥後の本妙寺は朝から晩迄トヽカチ
と秀夫さんは石段を登りながら上機嫌で歌い出した。
「何です、それは?」
とお父さんが訊いても、
「······そら、キンキラキン、
「此処のキンキラキン節の真似ごとの積りでございます」
と徳さんが笑った。
「真似ごとの積りは厳しいね」
「節が違っとるけん」
「面白いですな。ガネマサどんというのは清正公のことですか?」
とお父さんが興を催した。
「ガネマサどんは
と三輪さんが言った。
「蟹と清正と関係があるのかい?」
「||さ、矢っ張り熊本人の不器用なところが現れている」
「あゝ苦しい。実際胸突ガンギだね。其処で一寸休んで行こう」
と団さんは左側の氷屋へ寄り込んでしまった。
宝物館まで見物して帰る途中、
「清正は熊本城を築いたばかりでなく、白川の治水工事をやりましたから、市の為めには恩人です。五高の
と秀夫さんが説明した。
「あぎゃんした
と徳さんも清正公の徳を称えて、
「清正公に較べますと今時の工学士は皆
と附け加えた。
「恐れ入った」
と団さんが言った。
「君、あれが日本の基督教史に一頁を占めている
と
「十年の役には肥後の西郷といわれおった池辺先生があの山からお城へ大砲をかけました。かゝり切らんと諦めましたが、三日止めずに居りましたら城は持てんところでした」
と徳さんは昔を思い出した。
「田鶴子さん、何うです? 伊豆の三島を思い出すでしょう?」
と三輪さんが言った。
「全く三島の水ね。涼しく生き返ったようですわ」
と田鶴子さんも今日の暑さには弱ったらしい。団さんに至っては、
「もう夕方までは動かないぜ」
と
田鶴子さんと二人で池の
「学生と軍人と朝鮮飴が名物だそうですが、矢っ張り来ていますね」
と田鶴子さんが言った。
「朝鮮飴が歩いていますか?」
と僕が

「もう
と田鶴子さんは
座敷へ戻ると、
「······五郎は私と同じくこの直ぐ向うの横手村のもの、横手の五郎と申しました」
と徳さんは何か物語を始めていた。
「十八歳で三十六人力、何と
「殺意を生じたんだね」
と秀夫さんが言った。
「我がものというからには五郎め行く/\この城を乗っ取る所存と見える||これは今の中に何うにかせにゃならぬと
「川ですか?」
とお父さんが訊いた。
「否、井戸です。此方では井戸のことを井川と申します」
と秀夫さんが説明すると、
「井戸を掘っても言葉の不足から以前使っていた川という字を適用したのさ。井戸のことを単に川というところもあるぜ。言葉の進化の上から一寸面白い実例だね」
と三輪さんは大変に
「井川を掘らせまして、底にある五郎目がけて太か石を投げ落させました。ところが五郎はそれを一つ/\宙に取って足に踏んで上って来ます。大力無双ですから手に負えません。到頭清正公が姿を現しまして、『五郎、気の毒じゃが前世の因果と諦めて呉れ。後は
「
とお父さんは不服だった。
「昔は自分の都合で人を殺して置いて前世の因果と諦めよと言ったものさ。武将は皆虫が好い」
と三輪さんが言った。
「
と徳さんは残念がった。
「暑かばってん。今晩しこ物は読めん。
「はち
「善は急げじゃけん、きゃあ行こう!」
「きゃあ/\/\」
と全く
「喧嘩か知ら?」
とお父さんが怪んだ。
「否、至って平和です。今晩あたりは暑くて勉強が出来ないから新市街へ活動を見に行こうと相談が纒まったところです」
と秀夫さんが通訳をして呉れた。
「きゃあ/\いうのは賛成々々ですか?」
「否、単に語勢を強める為めの
熊本弁が引き続いて話題を
「此処にも『おてもやん』といって熊本言葉を読み込んだ歌があります。徳さん、君の十八番じゃないか? 一つお土産に聞かせて上げなさい」
と秀夫さんが促した。
「御参考になりますれば光栄でございます」
と徳さんは四角張って
「おてもやん、おてもやん、あんた
「ぐじゃっぺは
と秀夫さんが註解した。
「
と団さんが咎めるように言うと、
「これは街路樹です。昔から街路樹のある都会は恐らく熊本丈けでしょうな。東京辺でもこの頃頻りに此処の真似をして植えていますね」
と秀夫さんは平気な顔をして答えたが、それにしても甚だ行儀が悪い。道の真中どころに立ち並んでいる。
「九州は黄櫨の多いところですが、当県下は殊に
と徳さんが本当のことを言った。
「実が何かになりますか?」
とお父さんは何にも知らない。
「蝋燭の原料になります」
「はゝあ、成程」
と感心している。
「手帳へつけて置き給え」
と三輪さんが冷かした。
家に着いたのは日没だった。晩餐後田鶴子さんと僕は例によって家への通信に多忙を極めた。田鶴子さんは藤崎八幡のお
「ワッショ/\、ボシタ/\というて馬を追うて歩きます。
と覚束ない熊本弁さえ使っている。
「それじゃイヨ/\明日お立ちですか? 阿蘇へは私が御案内申し上げようと思っていましたに
と隣室では三輪さんの兄さんが到頭勧誘を諦めた。阿蘇は多少期待していたが、お流れになるらしい。団さんのような山嫌いが一緒じゃ仕方がない。山というと必ず何とか因縁をつける。僕の学校には
汽車が綺麗な
「イヨ/\、九
とお父さんは窓から首を出した。しかし左甚五郎が拵えた青井さんの御門の
「こえかあがウープ式にないます」
と乗客の一人が言った。
「ループ式よ。ラリルレロが駄目ね」
と田鶴子さんが僕に囁いた。
「線路が
とラ行を忘れて来た男は
「
と実業家風のが言うと、
「······
等と相手も劣らず
鹿児島に着くと、団さんの友人の小林さんの案内で直ぐに明治館へ落ちついた。日が暮れてから町を散歩したら、何となくゆったりした気分になった。電車も通っていて、山形屋呉服店のある
「長崎よりも遠い筈だのに一向そんな心持がしませんよ」
とお父さんも言ったくらいだ。
「此処は直接東京の影響を受けますから、割合に田舎らしくないです。東京へ出て成功している連中の多いことは
と小林さんが説明した。
「
と田鶴子さんは矢張りブラ/\歩いている同じ年頃の女子供を目送した。
「夏は東京から大勢帰って来ていますから、その儘でなくて
「成功者の町は何となく明るいですな。長崎も明るいですが、あすこは奮闘者の町で何うもこんな風に落ちつきがありません」
とお父さんは急に鹿児島贔負になった。
「芋蔓は確かに
と団さんが言った。
「蔓の成功だから郷里を光栄とすること
と小林さんは兎角薩州に反感を持っている。
「三輪君の方じゃ何と言うね」
とお父さんは東京が郷里だから自分では比較が取れない。
「熊本へ帰ると言うよ」
「熊本は分っているが、普通名詞ならさ?」
「国とも言うね。おの字はつけないようだ」
「矢っ張り余り成功していないからでしょうね。此処は必ずお国です。そうしてお国を
と小林さんが注意して呉れた。
「大いに悪口を言うね。物価でも高いのかい?」
と団さんが笑った。
「
「それは羨ましい美風だね。
と
「
「面白いですな。理窟がなくて信仰ですから
とお父さんは凡そ極端な実例なら何でも歓迎する。
宿へ戻ってお茶を飲みながら、
「桜島は
と三輪さんは道々聞いた話を不図思い出した。
「九十何年間保証つきですから、我々の存命中は心配ありません」
と小林さんが答えた。
「九十何年も生きる気かい? 恐ろしく図々しい男だ。此方は今明両日間爆発しなければ、それで結構だ。甚だ慾がない」
と団さんの方が余っ程図々しい。
「この
と間もなく例によって食物が問題になった。
「菓子ですか?」
と三輪さんは初めて一
「山芋を原料にしたものです」
「成程、
「食パンをお茶菓子に出す宿屋があるもんかね」
とお父さんが笑った。
「否、文化の程度を吟味する為めに君が

と三輪さんが弁じた。
「三輪の言うことも道理だ。村岡の申分も
と団さんは早速鹿児島の
「時に珍客を
と小林さんが帰りがけに団さんに
「それは何よりの好都合だ。是非然うしよう」
「是非然うするって、君独りで極めたんじゃ困るよ」
「否、早い方には一切苦情ありません。是非お供を願いましょう」
とお父さんが言って、相談は直ぐに纒まってしまった。
約束に従って僕達は早く起きた。朝御飯を済ませて立つばかりに支度が出来た頃小林さんが見えた。
「早いから涼しくて宜い。直ぐに出掛けよう」
と命じて置いた俥に乗った。
先ず小林さんの勤め先の県庁のところへ出た。鹿児島は妙に几帳面なところで、学校や官衙が同じ町に悉く軒を並べている。
「此処が七高だそうだよ。お前も一高へ入れないとこんなところまで来なけりゃならないのだから
とお父さんが僕を
「田鶴子や、今高等女学校があったろう? お前は女子大学なんかへ入りたがるけれど、こんなところへ来て一生独身で暮らす覚悟はあるかい?」
と団さんはお父さんの口真似だか意見だかをした。
「此処が県立病院です。十年の役には例の私学校でしたから、
と小林さんが教えて呉れた。
「成程、
と三輪さんの声がした。
間もなく
「西南戦争は此処が大悲劇だったんですね。男の死絶えてしまった家庭が沢山あるそうです」
と小林さんが言った。
「
とお父さんが応じた。
「おや、此処にも洞窟がありますわ」
と田鶴子さんが見つけ出した。
「それは乞食でも入るのでしょう。あら、
と僕達は元気好く坂道を
「結構だ。此処に斯うやって坐っていれば
と団さんが無精な癖を出した通り、頂上は眺望が好い。
「桜島が此処の景色の中心です。噴火以来向う岸が大隅に続いてしまいましたが、此方から見た形は変りません。あの黒くなったところが
と小林さんが説明を始めた。
「あすこから火を噴き出したんじゃ
と三輪さんは山を人間扱いにしている。
「大騒ぎだったそうです。しかし
「
「和歌さ。敷島の道さ。私は素人で能く分りませんが、此処のは大抵、『何が何して桜島山』とありますから、和歌には別に加工しないでも誂え向きらしいです。実際あの桜島山を取り
「そんな余計なことを想像する物好きがあるもんか。君は細君が和歌をやると言っていたが、何か聞き齧って来たんだね?」
と団さんが言った。
「
と小林さんは直ぐ降参したのには大笑いだった。
「気候は温和だし人間は
とお父さんが褒めた。
「野郎は海へ出て魚を釣るし
「もう止せよ。しかし
と小林さんは釣道楽と見えた。
「釣れるかい?」
「釣れるさ。毎日曜に海へ出る。余り釣れるので僕の役所には女房を離縁する気になった男さえある」
「それは聞きものですな」
とお父さんが乗り出した。
「何に、何でもないことですよ。私が釣魚に連れて行く男ですが、甲州の山の中のもので、鯛のかゝる度に『これなら女房は離縁しても
「成程、夫れ鯛といっぱ祝言、祝言といっぱ一遍という旧思想が鯛の釣れるのに促されて急に悪化したんですね」
「然うですよ。鯛の釣れない郷里で百姓をしていれば、間違はないのですが、困ったものです。始終夫婦仲が悪くて、今度は何うやら別れ話になったようです」
と小林さんは冗談を言いながらも下僚の身の上を案じていた。
山を下りると直ぐに浄光明寺へ駈けつけた。西郷、桐野、篠原、村田と悲劇の主人公の墓が高台から例の桜島を見晴らしている。上野公園で馴染みの銅像と寸分
「大西郷が生きていて
とお父さんが感心した。
「西郷丈けは
と団さんの英雄の
「一理あるね。カーライルも丁度そんなことを言っている」
と三輪さんも西郷の為めには痩せた人の主張をしなかった。
海岸へ向う途中で、
「その角の家が僕のところですから、
と小林さんが俥を止めさせた。
「然うだね。お世話になって素通りも失敬だから一寸令夫人の御機嫌を伺うかな」
と団さんが先ず下りた。
「急ぎますから、この方が勝手でございます」
と皆縁側に腰を掛けてお茶を戴いた。
「お暑いのにお大抵じゃございますまい」
と奥さんは田鶴子さんより二つ三つ年下の娘さんと二人で
「好いお住居ですな。はゝあ、
と団さんがその辺を見廻しながら言うと、
「
と奥さんは会釈した。
「随分漁がありましょうな?」
「
「段々評判が悪いね」
と小林さんは笑っている。
辞して門を出た時、
「この門構えは何だかお寺のようだね?
と団さんが訊いた。
「皆然うだよ。積みっ放しの石塀だから、成程、古い石塔を利用したお寺の構えに似ているね」
と小林さんが答えた。
祇園の

「桜島が大きくなったね」
とお父さんは寝転んだまゝ仰いだ。
「近くなったのさ。
と団さんが言った。
「これ以上の
と三輪さんも腰を据えた。何処へ行っても桜島が問題になる。
「この真正面にお台場見たいな青草の島があるでしょう? あれを
と小林さんが紹介した。
「袴腰? 成程、袴腰に似ていますね」
とお父さんが言うと、
「巧い名前ですわね。
と田鶴子さんも感歎した。
「
と小林さんは
「あれですよ。富士に似ているでしょう? 薩摩富士と申します」
「
と団さんが言った。
「
「富士の贋物だろう?」
「それは
「日本アルプス、薩摩富士、肥後西郷なんてのは人間の泥棒根性を能く現している」
「極端なことを言う男だね」
と小林さんは一笑に附して、
「ソロ/\出掛けようじゃないか?」
「まあ、待って呉れ。少し料簡があるんだから」
と団さんは考え込んだ。
「此処へ身を投げる決心かも知れないよ」
とお父さんも無駄口ばかり叩いて動こうとしない。
「好い風が来るなあ」
と三輪さんも寝転んでしまった。
「田鶴子や」
と
「お前はお父さんのことを俗物だと言うが、これでも相応風流心があるんだよ。袴腰を
「おや/\、大変なことになったぜ」
とお父さんと三輪さんは起き直った。
「道理で先刻から頻に両手の指を折って数えていたよ」
と小林さんも早速
「桜島さ、先ず。小川君のお説に従ってね。桜島、
「恐れ入った。一世一代だね」
とお父さんが
「実際
と団さんは汗を拭きながらも得意だった。
「桜島、溶岩が流れて盲目縞、くっきり青き袴腰かな」
と三輪さんはもう一遍繰り返して、
「和歌かね? 狂歌かね?」
「その辺までは
「桜島だから和歌に相違ないよ」
と小林さんが言った。ところへ車屋が歩み寄って、
「旦那、もう十二時が廻りましたから、一時四十五分のお立ちならソロ/\引き返さないと危うございますよ」