生垣つづきの小路が交叉してるところで私たちはばつたり出逢つた。飛田は意外な面もちをした。そしてほんの目と鼻の近処へこしてきながら知らせもしずにゐた私に尤もな苦情をいつた。私はなんとかいひ紛らしたにちがひない。
「遊びにきたまいよ」
飛田は口を尖らせていつた。そこで私たちは短い立ち話を切りあげて別れた。彼は役所の帰り、私は散歩か郵便を出しにゆく途中だつたらう。そんなことでもなければうち絶えたままになつたかもしれない交際がそれからまた始まつた。さうして一高時代からのどちらかといへば羽織袴のおつきあひがちよいちよい著からふだん著のそれへとかはつていつた。それには流れ去つた十数年の歳月や私自身の心境の変化のせゐもあつたらうが、直接にはその時から私の生活、私たちの交際の圏内へ不意にギャロップで飛び込んできた可愛らしい子馬||鳰子の無心な解きほぐしが原因となつたのであらう。私は小さな草原を横ぎつてむかうの閑静な高台の表つきの気に入つた家へ足繁く通ふやうになつた。
あるとき私は柄のいい
「あなたにはもつたいなうございますよ 私が頂きますよ」
といはれた。私はすこし得意に承知してその次の訪問のときもつてつてさしあげた。ところが間もなくそのお返しに駒江さんが当時流行の立派な竪絽の羽織をもつてきてくだすつた。私が一張羅の古い横絽しか[#「横絽しか」は底本では「黄絽しか」]もたないことを気がついてなのであらう。有り難いとはいふものの海老で鯛を釣つたかたちでいささか恐縮したことであつた。その後また遊びにいつたときに飛田は
「こなひだいい縮があつたからお揃ひに買つといたよ」
といつて反物を渡しながら
「これにいつかの羽織をきて銀座を歩くと女が惚れるよ」
とつけ加へた。あさぎと鶯とねずみの縞を縦長の細かい格子にしたもので、いかにも飛田の好みらしいいきな柄だつた。上等の品だけにしつとりと著心地がよかつたけれど生れつきしんからやぼにできてる私はそれを著て出る気になれず、徒に間がり生活の行李の底にしまひこんでおいた。したら今度は駒江さんが飛田と同じことをくり返した。二人してひとを焚きつける。とはいへ田舎のはうへ田舎のはうへと散歩をして孟宗の藪や角の鋭い乳牛などにばかり見とれ銀座なぞ考へてもみなかつた私は飛田から
「著たまいよ 折角買つたものを」
といはれてさへたうとうそれを身につけずにしまつた。
沼のほとりでだつたらうか、いよいよはでになるといふのでしかたなしに著はじめると間もなく飛田はそのお揃ひのひとへを
(昭和十四年十一月十日)