川に張り出した道頓堀の盛り場は、仇女の寝くたれ姿のように、たくましい
太左衛門橋の
舟料理の葭すだれは、まき上げられたままゆうべの歓楽の名残をとどめている。
宗右衛門町の脂粉の色を溶かしたのであろうか、水の上に
だが、宵っ張りの町々は目ぶた重く、まだ眼ざめてはいない。
「朝は宮、昼は料理屋、夜は茶屋······」という大阪の理想である生活与件。そのイの一番に大切な信心の木履の音もしない享楽の街の
私は、安井道頓の掘ったこの掘割に目をおとして、なんとなく、
||どおとん。
と、つぶやく。そしてフッと
||
というフランスの言葉を連想する。
左様、巴里の空の下をセーヌが流れるように、わが大阪の生活の中を道頓堀川が流れているのだ。
間もなく秋が来る。