「なんだあの腰つきは、卵でも産もうというのかね」
「向うの男は
「ああ外してしまった」
「まるでへた
右田藤六は思わずにっと笑った。足軽なかまの下馬評はなかなか
「あんまり悪口を云うと聞えるぞ」
と云ってかれは
「······それよりもうすぐ終るだろうから後片付けの手配でもするとしよう」
「けれどもお小頭」
と、若い足軽のひとりが立って来て云った。
「······このままでは我慢できませんね、たとえ士分の者と試合ができないにしても、足軽は足軽同志でやるにしても、来年はぜひ試合に出られるようにして頂きたいものです、あんまりひどすぎますよ」
「そうだ」
と、別のひとりもそれにつけて、
「······武芸には士分と足軽の差別はない筈だ、われわれの腕をみれば少しはかれらも奮発する気になるだろう」
「そんな望みは木によって魚を求めるようなものだ」
藤六は低くそう答えた。
「······これがせめて戦国の世なら、おれたちの腕の見せどころもあるのだが、こんな時代ではどうしようもない、まあ眼をつむって我慢するんだ」
そして幕張の外へ出てしまった。
岩代のくに三春は名駒の産地として名が高い、そのときの藩主は秋田
「どうせ戦場に出るでもなし」
という投げた気持から、稽古もお役目になり一般の腕も低下してゆくばかりだった。全部がそうでないにしても、士風がそのように
かれの住んでいる長屋は、槍術の師範をする横井大学の屋敷に近く、大学の子の横井鉄之助とは幼少の頃から往来した縁で、十五歳のときその道場に入門をゆるされ、現在では師範の大学とさえ対等で勝負のできる腕になっていた。かれは自分が修業を励むかたわら、なかまの足軽たちにも少しずつ
親代々の
「せめては士分に取立てられたい」
多かれ少なかれそういう望みをもっていた、しぜん稽古も熱心だし上達もめざましく、そのうえ人数もしだいに多くなるばかりだった。······けれどもいかに槍術が達者になっても足軽は足軽である、藩では毎年五月五日に「大試合」というものがあって、家中の者の槍術くらべを催すのだが、足軽は一人も出ることができない、師範と対の勝負をする右田藤六でさえ出場を許されないのである。
当日は矢来を結い、幕を張り、諸士の接待をするのが役で、あとは黙って勝負を見ていなければならなかった。||卵を産みそうな腰つき、などと酷評をするのは、かれらにとって口惜しさをまぎらわす僅かな
その日の「大試合」が終ったのは午後三時であった。役目を済ませて、藤六が長屋へ帰って来ると、妹の
「どうしたのだ、髪などあげて······」
「お祝い日ではございませんか」
汀は
「······お忘れなさいましたの、今日は五日でございますよ」
「ああそうか、大試合のごたごたでど忘れをしていた」
藤六はそう云いかけて、
「······すると鉄之助どのも忘れているかも知れないな、ちょっと案内をして来ようか」
「そのほうがお宜しゅうございますわ、わたくしもまだ買物がございますから」
ではちょっといって来ると云って、藤六はそのままひき返していった。
毎月五日は右田家の祝い日になっていた。それは藤六が二十歳のとき足軽小頭を命ぜられた日で、以来ずっと欠かさずに続けている。すでに父母は亡く、兄妹ふたり暮しの寂しい家に、その日ばかりは仲のよい横井鉄之助が客に来る、······殊にこの頃では、鉄之助と汀のあいだに親しさが濃くなり、
「嫁に欲しい」
「差上げましょう」
と云い交わす折の近いことを、殆ど互いに
大試合の忙しさで自分も忘れていたくらいだから、鉄之助も気づかずにいるかも知れない、そう思って横井の屋敷を訪ねると、||まだ下城していない、ということだった。
「試合のあと槇山正左衛門どので祝宴があると申していた、おそらくまだ、そこにおるのであろう」
そういう返辞なので、すぐ近所にある槇山邸へまわってみた。槇山正左衛門は番頭を勤める老人で、つねづね若い者を好み、槍術が達者だということから藤六もしばしば会ったことがある。······取次ぎを頼むと、
「いま広間で無礼講をやっている、庭からまわってじかに呼ぶがよい」
と云われた。時どき来て馴れてもいたし、云われるままに内庭のほうへまわってゆくと、中の木戸をはいったところで、ばかげた高笑いと、酔に乗じた
「たかが足軽ではないか、刀を差しているというばかりで、かたちは武士でも中間小者と選ぶところはない、いわば
「そうだ、その点を明確にすべきだ」
続けて別の者がどなった。
「······その区別を明確にしないからのさばる、第一かれらが槍術をやるのからして
ここまで聞くと、藤六は全身を震わした。おのれらはさむらいの本分をさえ忘れているのに、ただ武士であるからというだけで、人を
「いちどかれらを懲りるほど叩きのめしてやるがいいのだ」
というのが聞えた。
「······なに主なやつ二三人やれば、あとは縮みあがってぐうの音も出はせぬよ」
藤六は我慢の緒を切った。かれは
「よろしい叩きのめして頂こう」
と絶叫した。
「足軽は雑草も同様だという言葉たしかに聞いたぞ、何百石という相恩の食禄を頂いて、無為徒食する貴公たちの眼から見たら、足軽などは人間の数にはいらぬかもしれぬ、しかし泰平なればこそさような
広間には十五六人いた、もともと酒興から出た無責任な暴言だったので、眼の前に藤六があらわれると共にみんなぴたりと口を
「どうした、偉そうに蔭口はきいても、いざとなると出る者はないのか、雑草を刈る者は一人もないのか」
「······拙者が相手をしよう」
そう云いながら、一座の中から立って来た者があった、横井鉄之助である、······藤六はあっと息をのんだ。鉄之助、||そうだ鉄之助がいたんだ、しまった。思わず
「いや鉄之助もこの座にいた、かれも足軽を
そういう
「何誰でもこちらに選り好みはない」
「だれか稽古槍を二筋たのむ」
鉄之助はそう云って庭へとびおりて来た。
「······場所はここでよいか」
「
藤六はそう云ってひたと相手を見た。稽古槍が二本そこへ差出された、二人はひと筋ずつを取り、左右へわかれた。
位取りをしたとみた
「······まいった」
鉄之助は槍を持ったままぐらっと左へよろめき倒れた。
「······まいった」
縁先にいた若侍たちは色を
「おお血だ、横井がけがをした」
と喚き、
「その下郎、生かして帰すな」
と、いっせいに刀を
藤六はもういけないと思った、すべてが終ったという感じで槍をとり直したとき、奥から槇山正左衛門がとびだして来て、
「なにごとだ、鎮まれ鎮まれ」
と大喝し、若侍たちの前に立ち
「······貴公たちこの人数で、足軽一人をとり
そう叱りつけながら藤六にふり返った。
「此処はよいから帰れ、追って沙汰をする、早く立ち去れ」
「それでは仰せのままに」
藤六は会釈をするとそこへ槍をおき、しずかに庭から出ていった。
住居へ帰って、妹にどう云おうかと思いあぐねていると、組がしらの笹沼市蔵が駆けつけて来た。
「
市蔵は息を切らして、金包と思えるものを差出しながら、
「······槇山どのが始末の扱いをなさるという、そこもとは即刻ここを退去して呉れ、これは槇山どのから当座のご
と云った。
「わたくしは立退きますまい」
「その気持はわかる」
市蔵は忙しく
「······しかしそこもとがいると、この騒ぎは大きくなる、侍と足軽ぜんたいの騒動にもなり兼ねない、そこもとの人物は老職がたにもわかっているから、追って帰参のかなうようにする、槇山どのはそう
かれがいては騒ぎが大きくなる、それは疑いのないところだった。御城下を騒がしては相済まない、藤六はそう思って心をきめた。
「よろしゅうございます立退きましょう、しかしこのお金はお返し下さい、僅かながら貯えもございますから······」
そう云って餞別は断り、まだなにも知らずに不審がる汀をせきたて、支度もそこそこに城下町をたち退いていった。
妹にすべてを語ったのは、守山藩松平領へはいってからだった。汀の驚きはひじょうなものだったろう、しかし
「選りに選って鉄之助とこうなったことは、運命というよりほかにないだろう」
かれは妹の傷心をどう慰めてよいか言葉に窮した。
「それにつけても身分が足軽ではどうしようもない、これからはなんとしても槍一筋のさむらいになるんだ、それまではおまえにも苦労をかけることだろうが、右田の家名を興すという気持で辛抱して
「はい、汀はどんな苦労でも致します、ですからどうぞ」
汀は涙を湛えた眼でひたと兄を見あげた。
岩代から
山を越え川を渡り、谷峡を
そういう人たちのなかにひとり、いつも黙って風車を作っている老人がいた、
藤六はこの老人に心を
「爺さんはいつも不平がなさそうだな」
と問いかけた。
「まったく飴屋の爺さんは幸福人だよ」
と、みんなが一斉にそっちへふり向いた。
「······いつどこで逢っても眉ひとつ
「爺さん、なんとか云わないかね」
と、古蚊帳買いの庄さくが云った。
「······どうしたらおまえさんのようにそう安気でいられるか、みんなあやかりたがっているぜ」
「そんなことはないのさ」
老人はいつものなごやかな調子で答えた。
「······わたしのような者にあやからないでも、みんなそれぞれ結構にやっているじゃあないか、まあ考えてみなされ、こうして四五日も雨に降られながら、暖かい炉端にながくなって、茶菓子や
「それは爺さんにはもう慾というものがないからそんなことを云えるだろうが、おれたちはまだこんなしがない渡世で終ろうとは思わない、みんなもうひと花咲かせようという気持だから、そこは爺さんとおれたちとで違うんだよ」
「······そうだとすれば」
と、老人は微笑しながら云った。
「つまり、苦労や不平のたねは世間にあるのじゃなくて、おまえさんたち自分のなかにあるわけだ、それをとやこう云おうとは思わない、人はそれぞれ分別もあり望みもある。誰も彼もおなじように生きられるものじゃないから、······けれども、わたしはよくこんなことを考えるよ」
老人は作りあげた風車を手に持って、ふうと吹き、くるくると廻るのを楽しげに見やりながら続けた。
「······この風車というものは竹の親串と、軸と、留める豆粒と紙車で出来ている。けれども、こうして風に当てて廻るのは紙の車だけさ、人もこの廻るところしか見やしない、親串を褒める者もなし、軸がいいとか、豆の粒がよく
藤六はそこまで聞いて座を立った。そしてその夜ひとよ、かれの脳裡で一つの風車がくるくると廻り続けていた。······老人の言葉はごくありふれた世間観である。かくべつ名言でもなく
兄妹が信濃のくに高島(諏訪市)へはいったのは三月のことだった。そして間もなく、藤六は世話をする者があって高島藩の足軽に召抱えられた。そのときかれは、妹に向って、
「武士でなければ再び主取りをせぬつもりだったが、少し考えることがあって足軽の
と云った。
汀は兄の気持をどう推し測ってよいかわからず、||やっぱり初めのお考えどおりにはゆかないのだ、そう思って心が暗くなった。
人間がなにか一つぬきんでた能力をもっていると、たとえ自分から誇示しなくともしぜんと人の注意を惹くものである。藤六はできるだけ控えめに、いつも人の蔭へまわるように気をつけ、日々の勤めも少し度の過ぎるほど精をだした、そして他人の分まで進んでやるという風で、
「あの男をばかにしてはいかん」
長尾甚之允はよく組下の者にそう云った。
「······あれはきっと素姓卑しからぬ男だ、必ず一芸一能に秀でている人物だ、みんなもっと
しかし藤六にとっては、そういう扱いをされるほうが堪らないようだった。かれはますます身を
「汀どのを奉公におあげなさらぬか」
と云いだした。
「そこもともご存じだろうが、さきはお上の御舎弟、つまり忠秋さまのお浜館なのだが」
「それは有り難いことでございます」
藤六はそう云って少し考え、
「しかし折角ではございますが、妹はわたくし
「そこもとはお浜館のお
「さようなことはございません、ただわたくし共は早く両親に死別いたしまして、ずっと二人で過してまいりました、いわばわたくしが親代りになって育てましたので、間もなく縁定めも致したいと存じますし、その儀はひらにご辞退をつかまつりとうございます」
それでもとは云いかねたとみえて、甚之允は不本意そうに帰っていった。······お浜館といわれている忠秋は藩主の弟で、よくいえば
「そのほう右田藤六と申す足軽だな」
「はっ······」
かれは
「······仰せの如く藤六にございます」
「余を存じておるか」
「恐入り奉る、お浜館さまと存じ上げます」
「余もそのほうを知っておる」
忠秋はするどい
「······新参の足軽、右田藤六、そうたしかめたのは五十日ほどまえのことだ、······ひとくせある面だましい、よほど兵法にも堪能であろうと見た、そのほうなにをやる、刀法か、槍か」
「恐れながらそれはお
「云うのも
忠秋はにっと笑っていった。
「······妹を奉公に出すのも厭、おのれの能を知らせるのも厭、······それもよかろう、しかし藤六、忠秋は我儘者だ、こうと思ったことは必ずやりとおしてみせる、必ずだ、それを忘れるな」
忠秋の言葉は
秋十月になってはじめて五日の祝いをした。三春を去って以来おちつかず、いとまもないままに過して、そのときようやく祝いの日を始める気持になったのである。······酒ひと瓶と湖の小魚、汀の心を
忠秋からは、かくべつ難題が出るようなこともなく、冬が来て、雪の降る日々となった。そして、師走の五日のことである。
「······今日はお祝い日でございますから、お早くお帰りあそばせ、お支度をしてお待ち申しております」
出がけに妹からそう云われて、藤六はああもう
「
と云って城へのぼった。
朝は晴れていた空が、
「おや、まだお帰りになりませんか、もう
と、
「よく降りますな」
と声をかけ、ゆき過ぎようとしてふと立止まった。
「······ときにお妹さんは帰っておいでかな」
「いやまだ戻らぬので案じているのですが」
「お帰りがない」
老人はふむと首を
「······それではやっぱりそうかも知れぬ」
「ご老人なにかご存じですか」
「いや確かとは云い切れぬが、一刻ほどまえ、御老職の菅谷さまへ使にまいったとき、お浜館の前で会ったのが、たしかお妹さんだったように思えるのでな」
「お浜館······」
藤六はぎょっとした。
「してそのとき妹はどうしておりましたか」
「お屋形の中から二名ほど人が出て来て、通りかかる汀どのになにやら申しかけ、手を取って御門の中にひき入れるのを見た、······お妹さんではないかも知れぬが、もしやすると」
「それはよいことをお知らせ下すった、ともかくみにまいってみましょう」
藤六には忠秋の冷笑する顔がみえるようだった、||おれは我儘者だ、思ったことは必ずやりとおしてみせる、そう云った声音までがまざまざと耳に
「······これは尋常なことではいかんぞ」
かれは即座に心をきめた、火桶の火を埋め、身支度を直し、久しく
今日まで共に
障子の内は二十畳敷ほどの広間だった。
「妹を頂戴にまいった、御免!」
そう叫んで踏込もうとする、突然のことで侍臣たちが総立ちになるのを、忠秋は手で制し、
「······待ち兼ねたぞ藤六」
と、よく
「もう来る頃と
「会いたいというのはおれだよ右田」
そう云いながら、汀の横からすっと立った者があった。
「······まさか忘れはすまい、横井鉄之助だ」
藤六はあっと云った。立上ったのは正しく横井鉄之助である、夢ではないか、||あまりに思いがけなかったので、藤六はすぐには声が出なかった。
「ずいぶん捜したぞ」
鉄之助は鋭い眼でひたとこちらを
「······めぐり逢えたのは武神の加護だろう、貴公には借りがある、それを返そうと思ってな」
「念の入ったことだ」
藤六ははじめて口をひらいた。
「······望みなら返して貰おう、いつどこで······」
「暴れ者の忠秋さまも御所望だ、お庭さきを貸すと仰しゃる、どなたか拙者の槍を、お持ち下さい、出よう右田」
心得たと云って、藤六はさきに庭へとび下りた。侍臣の一人が走っていって槍を取って来た、鉄之助は忠秋に会釈して、しずかに広縁のほうへ進み出た。そのとき藤六は、再びあっと胸をうたれた、······鉄之助は右足を
「あのときおれの突いた
すぐにそう気づいた、||知らなかった。
「燭台を縁へ出せ」
忠秋が侍女たちに命じ、自分も
「······藤六、隠していた手だれの槍、今宵はしかと見とどけるぞ」
皮肉な笑をうかべてそう云う忠秋の顔と、その傍らに深く面を垂れている妹の姿を見たとき、藤六は弱りかかった闘志の燃えあがるのを感じた、||よし、と思った、鉄之助が下へおりて来た。白雪を敷いた庭上へ、なお
「いざ」
と、二人は左右へわかれた。
互いに中段につけて呼吸五つばかり、藤六は相手の槍の穂尖から電光が飛ぶように思った、||あがった、すばらしくあがった。あの時からみると数段上を遣う、||苦しんだな、そう思ったとたん、鉄之助は不自由な右足をずと寄せ、いしづきを下げるとみるや、えいと絶叫しながら突きを入れてきた、二人の足下から雪煙があがり、
「まいった、これまでだ右田」
という声と共に、鉄之助がどっと横倒しになった。
「きさま······」
と肩で息をつきながら鉄之助は感に堪えたという声で云った。
「······きさま強いなあ右田、浪々しても腕は鈍るまいと思ったが、あの頃よりはまた一段じゃないか、口惜しいがおれはまだ及ばない、残念だ」
「立て······」
藤六はしずかに答えた。
「勝負はこれからだ、もういちど立て」
「その必要はない」
忠秋が座敷からそう呼びかけた。
「······横井はそのほうに大切な知らせを持って来ている、勝負は余の所望だ、もうよいから上って坐れ、改めて一
藤六はちょっと解せなかった。しかし汀が出て来たし、鉄之助も笑いながら、いかにも仔細ありげに促すので、ともかくも
「兄の給仕をしてやれ」
と命じた。
鉄之助はそこで
「さて」
と、鉄之助は膝を直した。
「そこもとを尋ねて来たわけを云おう、実は藩家からお召返しの上意がさがったのだ」
「······お召返し」
藤六は眼を
「おれの父が老衰の故を以て師範を隠退することになり、そこもとを後任として推挙した、老職の中にもそこもとの人物槍筋を認めている方が多いので、とりあえず槍術師範助役としてお召返しときまったのだ、右田······いよいよそこもとの槍が世に出たぞ」
「待って呉れ」
藤六はしずかに面をあげた。
「······御師範の御好志も、御家中皆々の寛仁なお扱いも、胆に銘じて
「なに、帰らぬ、それはまたどうしてだ」
「おれは自分を恥じる気持でいっぱいだ、おれにはお召返しをお受けする資格はない」
藤六は
「あのときそこもとと争いになった原因は、おれの見苦しい
かれは自分を

「······御奉公というものは身分に依って違うものではない、士分には士分の奉公があり、足軽には足軽の奉公がある。その本分を忘れて僅かな腕に眼が
男が
「三春を退国してから、おれはいかにもして槍ひと筋の武士に成ろうと誓った、その流浪中のことだったが、天竜川に沿った或る貧しい旅籠宿で、飴売りをする老人の述懐を聞き、はじめて夢から覚めたように思った。······足軽は足軽としてひと筋に勤める、そこに奉公の道がある、そこにすべてがあるのだ、おれは生れ
鉄之助は深く頭を垂れて、
「そうか」
と頷いた、そしてなにか云おうとして眼をあげたとき、忠秋がそれを抑えるように云った。
「いまの言葉はよい土産になるぞ横井、その言葉と、汀を土産に、そのほうは三春へ帰れ」
「なんと仰せられます」
「とぼけるな、汀のことは昨夜の物語に洩らしていたぞ、右田は高島へ貰う、これほどのもののふを手に入れて、今さら離すばかはおるまい、右田は高島で貰う、そのほうは汀をつれて帰れ、それで藤六にも不足はあるまいが」
「お待ち下さい」
鉄之助がおどろいて、
「······お館さまがそのように仰せられましては」
「なに藤六が自分でそう申したではないか」
と、忠秋は笑った。
「······余が望んだ汀をそのほうがつれてまいる、そのほうの望む藤六を余が貰う、これで五分と五分だ、······帰ったら三春侯に申上げて呉れ、高島藩では天下一の槍術家を足軽に抱えておるとな」
酒が冷えた、代えてまいれという忠秋の声は、しめやかになった御殿の内に、燈の点いたような活気を与えた。外はまだしきりに降る雪である。