さわが十三になった年、
さわの父は
葉川村は越後のくに
小出は会津藩に属し、その代官所がある。絹と木材の集散地で、河見家でも広い木山を持っているため、庄屋のほかに藩の山方の
さわは
「そうさな」と代官は本尊仏を見て、
「違います」となかが云った、「これは木を彫って色を塗った物です」
「よしよし」と代官は笑った、「それでは木を彫って色を塗った物だとしよう」
「それなのに、どうして人が拝むんですか」
父の半左衛門はたまりかねて、叱ったり、乳母を呼んで向うへつれてゆかせようとしたりした。代官は笑ってそれを押し
「それはむずかしい話だが、そうさな、つまりそれは木を彫って色を塗っただけではなく、阿弥陀さまの姿をしているからじゃないかな」
なかは上眼使いに代官を見て、こくっと
なかが十五になると、縁談がもちこまれた。そのとき初めて、ひとびとは姉のさわの存在に気がついた。気がついたのは両親でもきょうだいでもなく、
「そんな間違った話はない」となかに縁談が始まったと聞いたとき、足助は云った、「||姉さまをさしおいて、妹の縁談を先にきめるなんということは順序が違う、庄屋さまともある人がそんなことをして、世間に済むわけがあるものではない」
その評はまず出入りの者に広まり、半左衛門夫妻の耳にもはいった。みんな姉娘のいたことに気づき、そうだったなと、改めて見直した。これはさわのために逆効果となった。いままではつとめてどこかの隅とか、人の背中に隠れるようにしていたため、人々は彼女については無関心に慣れていたが、さて前面に押し出されたさわを見ると、縹緻のよくない顔の、陰気な、
「誰も知らないのだ、姉さまは本当は気だてのやさしい、賢い生れつきなのだ」と足助はいきり立った、「なかさまの本尊仏の話も、実際は姉さまの話がもとなんだ」
或るとき足助が、自分の小屋でいたずらに仏像を彫っていた。しろうとの見よう見まねで、ついに出来あがりはしなかったが、彫っているときに、さわが来て、それはなんだと訊いた。わけを話すと不審そうに、そんな木などで仏さまが作れるのかと反問した。そこで足助は、
「おらの云ったことは間違っているかもしれない」と足助は云った、「けれどもこれが本尊仏とお代官の問答の出どころだ、本人のおらが知ってるだ」
その話を信ずる者はなかった。足助はときどき大きなことを云う、彼が河見家へ飯炊きに雇われたのは、当時から二十年ほどまえの四十代だったが、そのとき「おらは江戸の八百善で板前を勤めた」と自慢したそうで、村では知らない者がないし、長いこと笑い話のたねになっていたから、彼の云うことに耳をかすような者はなかった。けれどもただ一人だけ、足助と共にさわの味方をする者がいた。それは下男の国吉であった。
河見家には下男が五人いた。ほかにも番頭、手代、若い者など、庄屋と山方差配の事務や
国吉は男ぶりもぱっとせず、負けぬ気ばかり強くてめはしがきかず、人にしたしまないので、誰にも好かれないばかりか、山猿といってばかにされていた。陰でそう云われるだけでなく、しばしば面と向って「おい蒔田の山猿」などと呼ばれ、
毛抜きを持って来ましょう、と国吉が云った。いいえそんなことしないで、とさわが云った。ひとに知られたくないのだ、ひとに知れて笑われるのがいやなのだ、と国吉は思った。いいことがあるからためしてみましょう、触らないで待っていて下さい。国吉はそう云って走ってゆき、まもなく戻って来ると、なにかの草の葉を
それが二人の口をきいた初めであり、愛情の芽生えともなった。もちろんすぐにではない、人の眼が多いし国吉には暇がなかった。河見家の長女と下男とでは、
なかは幾つかの縁談に首を振り、江戸へ出てくらしたいとか、生涯ひとの嫁にはならないとか、売れ残りの姉がいるから世間が狭い、などと
晩秋の
「ありがとう」とさわは微笑した、「なんでもないのよ」
国吉も頬笑み返しながら、それなら自分はたち去るべきだろうか、それともいたほうがいいだろうか、と考え迷った。
「このあいだはうれしかったわ」とさわは低い声で云った、「知らないうちに抜けてしまったの、あれはなんという薬なの」
国吉はさわがなんのことを云っているのか、すぐには理解できなかった。そしてそれが棘を刺したときのことであり、そのあいだに二年も経っているのを知って、おどろきと、かなしいような気分に浸された。
「あれはしぶきという草の葉です」と彼は答えた、「あのときは火で焙ったのですが、
「あたしが十五の年だったわね」さわは頭の中でその年月を思い返すようにみえた、「||ほんとうに」と声をひそめて云った、「あたしついこのあいだのことのように思っていたのに、本当にもう二年も経つのね」
さわもその事実に、おどろいたようすを隠さなかった。彼女もその日までずっと、彼の姿をはなれたところから見まもり、どんなつまらない噂をも耳にとめていたのだ。こうして二人で口をきくのは二度めであり、初めてのときから今日までに、七百幾十日も過ぎ去っているということが、まるで嘘のように思えるのであった。そのようにさわのおどろいている気持が、国吉には触れてみることのできる物のように、はっきりとわかった。
「どうかしたのですか」と彼はまえより親身な気持になって訊いた、「なにか泣くほど辛いことでもあるんですか」
さわは恥ずかしそうに、顔をそむけながら、そっとかぶりを振った。
「本当になんでもないの」と彼女は
国吉はその夜よく眠れなかった。ここは山ぐにで、秋にはいると夜はかなり冷える。掛け夜具を二枚にしても隙間風がはいるため、夜具の中へちぢまって眠らなければならない。山は朝ごとに霜で
そのころさわは茶筅作りに熱中していた。姉妹は十二三のころから茶の稽古を始め、妹のなかはすぐに飽きたが、さわはいまでも師匠についてい、茶筅や
「生れて初めてだわ」茶筅を作りながらさわはそっと
さわの内部で新しい感情がめざめた。以前にも似たような経験はあったが、似ているというだけで、要素はまったく違っていた。いま彼女は、十七歳になった娘の感情にめざめたのだ。ことに、それまで人から愛されたことも、気にかけてもらったこともなく、そういうことを求める望みを持ったためしもない者なら、その新しく生れた感情がどんなに力づよく、純真に、拒みがたい作用をするかは云うまでもあるまい。その日の夕刻、もう
二人はいつも榎の陰で逢った。国吉がその日の仕事を終っている限り、人の眼を忍ぶ必要はなかった。国吉もさわも、周囲の者に殆んど関心を持たれてはいない。そこにいてもいなくても、誰の注意をひくこともなかったからだ。
足助はさわの味方をする者が、自分と国吉の二人だけだということを知っていたし、同時にこの屋敷じゅうで国吉ひとりは好ましい若者だと信じていた。国吉のほうでも、足助老人だけは信頼できる、自分になにかあったら、老人だけは自分のちからになってくれるだろう、と思いこんでいた。||それゆえ、番頭の忠平に呼ばれて、不都合なことがあるからと解雇を云い渡されたとき、まず相談をしたのは足助老人であった。けれども、老人はぜんぜんとりあわなかった。主人のむすめと密会するとは許せないことだ。昔ならこれこれの刑罰を受けるだろうと、老人は云った。おれはおまえのことをまじめな人間だと思っていた。おまえはこの足助を
国吉は小さな風呂敷包を一つ持っただけで、河見の屋敷を出ていった。すっかり日が昏れて、外はもう暗かった。門から出て石段をおりると、樵長屋の灯が見えたとき、暗がりから五六人の男がとびだして来、国吉を
「山猿どころかぬすっとだ」と男の一人がどなった、「ぬすっとより悪い野郎だぞ」
「この辺へ近よるな」と云った者もあった、
「この辺で見かけたらぶち殺すぞ」
地面にのびたまま、彼はさわに逢いたいと思った。死ぬまえに一度だけ、逢ってさわの声が聞きたいと思った。死ぬ、ということにはなんの根拠もなかった。こんなひどいめにあわされて、もう生きてはいられない。漠然とそう思ったからだろうか、どんなことをしてでも、一度は逢わずにはおかないぞ、と彼は自分に誓った。||国吉は五日間、裏の

さわは三日間、その居間に禁足されたのち、許されるとすぐ、榎のところへいってみた。国吉が放逐されたことは聞いていたが、そのまま彼が去ってしまうとは思わなかった。この土地から出てゆくまえに、必ず一度は逢いに来るだろう、と固く信じていた。二人が逢うとすれば、大榎のところ以外ではない。さわは明けがたか黄昏の、人に気づかれない時刻を選んでそこへいった。国吉は五日めの夕方に気がついた。隠れている雑木林を少し下へおりて、松の木のところに立つと、河見家の庭の東南、榎のまわりを見おろすことができる。彼はそこからさわの姿を認めた。並んでいる土蔵のうしろをまわり、紫と鼠色を混ぜて流したような、黄昏の靄の中を忍び足で、さわは榎の陰へ近よるのであった。
国吉は用心して、それからなお三日待ち、彼女が早朝と夕方の二度、榎のところへ来ること、監視する者のないことを慥かめた。それからおりていって、さわに逢った。話すことはあまりなかった。二人は初めて抱きあった。ひどく不手際な、おずおずした抱きかたであり、二人とも涙をこぼした。
「私はぬすっとより悪いやつだと云われました」国吉はさわをはなして云った、「私はそんな人間じゃありません、これから私はそんな人間じゃないことを証拠だててみせる、私は江戸へゆきます」
「あたしをいっしょに
「だめです、私たちはすぐに捉まってしまいます、いっしょにゆけたらいいのだが、街道は一つしかないし、河見家の声がかかれば半日と経たないまに道を
そうなれば、あなたは伴れ戻されるし、自分は殺されるようなめにあうかもしれない。それはこの榎の幹をこの手で
「私は江戸へいって男になります」と彼は熱心に続けた、「河見家の表門から、いばってはいれるような人間になって、そして、あなたを迎えに来ます」
さわは声をころして泣いた。
「私は機転のきかないぐずなやつだったかもしれない」と国吉はさらに云った、「そうだとしても一生そのままでいるとは限らない、人間は変ることがあるし、ぬすっとより悪いと云われた私は、もうこれまでの私ではありません、石にかじりついても出世してみせます、どうか私を信じて下さい」
さわは「信じる」と云った。
「待っていてくれますか」
「ええ、五年でも十年でも」さわは自信なげに答えて云った、「たとえ一生涯でも、あたしは国さんを待っています」
さわは国吉を待った。口で誓ったときは確信がなかったけれど、日の経つにつれて決心が固まっていった。両親もきょうだいも、周囲の人たちみんなが、またさわのことは無関心になった。かれらはもともとそうだったのだ。さわが仕合せか不仕合せか、としが幾つになるか、いまどこでなにをしているか、将来どうなるのか、なに一つ気にしたためしはない。誇張していえば、生きていても死んでも、かれらには縁のないことにちがいなかった。
「それならなぜそのままにしておいてくれなかったのだ」とさわは独りで呟いた、「あたしのことなど爪の先ほども気にしなかったくせに、国吉と逢ったらあんなひどい騒ぎかたをした、僅か三日とはいえ、あたしを
「かれらはなぜあんなことをしたのだろうか」とさわはまた独りで反問した、「あたしが河見家の長女であり、国吉が下男で、身分が違うからだとしよう、||そうだとして、みんなは一度でもあたしのことを大切に扱ってくれたろうか、ほんのちょっとでも、あたしのことで心配したり、気を使ってくれたことがあるだろうか」
年が明けて三月になると、妹のなかが嫁にいった。それも田舎ではなく、江戸日本橋の絹物問屋で、越前屋
留守をしているあいだに、さわは二つの事実を知った。彼女と国吉のことを父に告げたのは、飯炊きの足助老人であること、国吉は放逐されるときに、門の外でひどく
||人はたのみにならない。
さわは改めてそう思った。両親やきょうだいまで頼りにならなかったうえ、足助にまでそむかれたことは、人間に対する絶望感を深くするとともに、国吉を想う気持をもっとひたむきな、激しいものにそだてていった。
変化のない月日が経っていった。さわの関心は自然の風物にしかなかった。遠く近く見える山、魚野川の流れ、草木の花や果実、四季の移り変り、雨、雪、あらし。||さわはそれらをもっとも親しい友のように眺めた。雲に語りかけることもあり、花を見て泣くこともあった。一日に少なくとも一度は榎のところへゆき、いっときぼんやりと幹に凭れてすごしたり、そこに国吉がいるものと想像し、心の中で彼との対話をたのしんだりするのであった。||さわは国吉から
「あたしがあの人のことを想っているように」とさわは茶筅を作りながら呟く、「国さんもあたしのことを想っていてくれるだろう、あたしたち二人には、手紙のやりとりをする必要などないのだ」
多額な費用をかけ、あんなに大騒ぎをして嫁にゆきながら、まる一年とちょっとでなかは病死した。原因は異常妊娠だったらしい、二日二た晩の出血で、医師が治療法に迷っているうちに死んでしまった、ということであった。実家へ知らせるどころか、親類を呼ぶ暇もなかった。急飛脚の持って来た手紙で、およその事情を知ったとき、母親のわかは激しく泣きながらさわを
「あんなによくできたいい子が死んで、おまえのような子が生きているなんて」と母は云った、「おまえが代りに死ねばよかった」
母はとり乱しているのだ、さわはそう思い、怒るよりは哀れだと思った。けれども、自分の部屋へはいって独りになると、涙がこぼれた。母が本心からそう望んで云ったのでないことは、疑ってみるまでもない。世間の親たちは同じような場合、よくそんなふうなことを口にするものだ。だからその言葉で母を恨むような気持はなかったが、ふだんなにも気にかけてもらえないのに、たまたま引合いに出されたとなると「おまえが代りに死ねばよかった」と云われた。それではあまりに自分がみじめだった。これがもしつねづね愛情をかけられ、大事にされていたとしたら、母の言葉はむしろ親子の愛情のあらわれと思えたであろう。だがそうではなかったのだ。
「そんなにもあたしは要らない子なのだろうか」とさわは喉を詰らせながら独り言を云った、「これでも妹と同じ血を分けた子なのだろうか」
涙が出るだけ出てしまうと、さわの気持も静まった。彼女は二十歳になり、独りでいることが多いため、いろいろな物語を読みあさった。実際に世間へ出たことはないけれども、多くの物語を読むことによって、世の中の仕組や、人の心のうらはら、恋や義理の辛さ、などというものを、いくらか理解するようになっていた。さわはいまでは、周囲から無視されていることが、自分の生れつきだけではなく、自分のほうから人を愛そうとしなかったことにもよるのではないか。
なかの死んだのが五月初旬。七月中旬に河見家で四十九日の法事をした。他家へ嫁した者だから、ごく内輪だけのもので、寺へはゆかず、菩提寺から僧たちに来てもらった。四五日まえから降り続いた雨がまだやまず、その日は風も吹きだしたので、招かれて来た住職と二人の僧は、勤めを終るとそうそうに帰り、親類の人たちもみな早くひきあげていった。客がすっかり帰ったので、さわもあと片づけを手伝おうとしていると、父に呼び止められ、いっしょに父の居間へいった。そのころは風も吹きつのるばかりだし、雨も
「これに覚えがあるか」と云って半左衛門は、脇の机の上にある手紙のような物を、静かに手で押えた、「||いつからこんなことをしていたんだ」
さわには父がなにを云っているのかわからなかった。屋敷の背後にのしかかっている山で、すべての樹木がごうと叫び声をあげ、家の棟がぎしっときしんだ。
「親に隠れて男と
「なにを仰しゃるのかわかりません」とさわは答えた、「文のやりとりとはなんのことですか」
半左衛門は机の上にある書状のような物を叩いた、「これは江戸の国吉から来た手紙だ、ごまかしてもだめだぞ」
さわは片手で口を押えた。危なく叫び声が出そうになったのだ。半左衛門はそれを自分なりに解釈したのであろう、激しい言葉で叱りつけ、責めたてた。こういうとき、世間の親たちが云うであろうきまり文句で、不謹慎とか、みだらとか、無分別とか堕落などという言葉が繰り返され、いつごろからこんなことをしていたかと問い詰めた。
「文のやりとりなどしたことはありません」とさわは答えた、「これまで一度も受取ったことはありませんし、こちらから出したこともございません、あたしあの人がどこにいるかも知らないんですから」
半左衛門は信じなかった。叱る言葉はさらに荒く、毒と悪意さえ感じられた。さわは眼をつむった。風と豪雨のどよめく中に、川の水音が聞えて来た。魚野川が怒っている、とさわは思った。降り続く雨で、魚野川は昨日あたりから増水していた。
「返辞をしないか」と半左衛門は叫んだ、「こんなふしだらなことをして、悪かったとは思わないのか」
さわは眼をつむったままで、極めてゆっくりと、かぶりを左右に振った。
河見の家名や親の顔に泥を塗る、いいえ、あたしには家も親もありません、とさわは心の中で云った。小さいじぶんから、あたしは河見家の子のように扱われたことはなかった。親の愛情を知らないばかりか、心配されたり構われたりしたこともない。あたしは不縹緻な、気のきかない、おどおどしている子だった。お父さんも「貰われて来たようなおかしな子だ」と云った。あなたがたがあたしを見るとき、あたしを見るのではなく、あたしを素通りしてほかの物を見るにすぎない。本当にあたしは、この家へ紛れこんで来たよその子、というだけであった。さわは口に出してそう云っているように、膝の上の
「おまえのような者を河見家に置いておくわけにはいかない」と半左衛門は云っていた、「折竹村の家へ預けるからそう思うがいい」
さわは眼をあいて父を見、右手を差出して云った。
「その手紙をいただきます」
半左衛門は黙ってさわを睨んでいた。
「折竹村へでもどこへでもゆきます」さわは片手を前に出したまま云った、「||でもそれは、あたしに来た手紙ですから、あたしがいただきます」
「おまえ」と半左衛門が云った、「自分がなにを云っているのかわかっているか」
「その手紙をいただきます」
半左衛門は机の上から手紙を取り、それをずたずたに引裂いた。さわは父にとびかかった。半左衛門はさわを突き放し、裂いた手紙をさらにこまかく千切ってから、それを手の中でまるめ、倒れているさわの上へ投げつけた。
「さあ持ってゆけ」と半左衛門が云った、「それを持って出てゆけ、おまえなどは見るのもいやだ」
さわは静かに起き直り、裂いてまるめて投げだされた物は見もせず、自分の部屋へ去った。
風も雨も弱まるようすはなかった。百余年まえに建てたという、この
「あの人が手紙をくれた」とさわは呟いた、「あの人は字が書けるようになったのか、それとも誰かに頼んで書いてもらったのか、とにかくあたしに手紙をくれた、あたしが生れて初めてもらう手紙だった」
どこかで切迫した人声が聞えた。あらしの物音に消されて、誰がなにを云っているのかわからないが、なにか異常な事が起こり、それを告げたり、問い返したりする叫び声のように聞えた。
「お父さんはそれを引裂き、ずたずたに千切ってしまった」とさわはまた呟いた、「あの人にとっても、生れて初めて人に出した手紙だろうに、そして、あたしになにかを告げたかったろうのに、お父さんはそれを、あたしの眼の前でやぶり、屑のように千切ってしまった、これだけはゆるせない、いくら親でもこれだけは決してゆるせないわ」
さわは立ちあがった。折竹村の家へ預けるという、そこは叔母の嫁入り先で、葉川村から二里ちかくも、山の中へはいったところにある。預けられるとすれば、親に隠れて男と文のやりとりをした、みだらな娘だと伝えられるだろう。そんな恥はかきたくない、叔母の顔なども見たくない。あたしは出てゆく、この家からもこの土地からも出てゆく。さわは
さわは納戸口から土間へおり、
「国さん」さわは榎の幹にすがり付いた、「あたし、あなたのところへゆくわ」
そのとき
それが山津波だとわかったのはあとのことで、そのときはなに事が起こったのか判断がつかなかった。
大榎の幹にすがりついて、烈風のため吹きとばされそうになる躯を支えながら、国吉のところへゆくことだけを考えていた。家を出るときに頭からかぶった弟の雨合羽は、風にひき剥がされてもうなかったし、はいていた筈の草履も、結い付けた
「あたし大丈夫よ、国さん」とさわは声に出して云った、「負けるもんですか、どんなことをしてでもあなたのところへいってよ」
風の
さわは榎にかじりついたまま、なにが起こったのかを見ようとした。けれどもなにも見えなかった。
「いまのは土塀の崩れた音だわ」とさわはふるえながら呟いた、
「ああ
木の裂ける音がし、また、木と木とが割れて、なにかの崩れる音がした。そして、それらの騒音の中から、人の叫び声が聞えた。
「さわ、どこだ、どこにいる」とその声はひきつるように叫んだ、
「さわ||どこだ」
「おとうさんだわ」とさわは茫然と呟いた。
「さわちゃん」と女の声で叫ぶのが聞えた、「どこにいるの、さわちゃん、かあさんはここよ、おとうさまもかあさんもここにいてよ、さわちゃん、||あたしたちここにいてよ」
さわの喉から
「とうさん」とさわは絶叫した、「あたしここにいます、かあさん」
さわは榎の幹からはなれて、父母の声のしたほうへ走りだした。けれども、父母に呼びかけながら走りだすとすぐ、闇の中からとびだして来た誰かに、抱きとめられた。さわはその腕からのがれようとしてもがいた。
「おさわさんだめだ」と抱きとめた男がどなった、「屋敷は潰された、逃げるんだ」
「放して」さわは狂気のように暴れた、「とうさんが呼んでるのよ、かあさんのところへゆくのよ、放して」
「だめだ、もうみんな助かりゃあしない」男はさわを抱きあげた、「逃げないとあんたも死んじまうぞ」
男は暴れるさわを抱いたまま、家とは反対のほうへ走りだした。風雨の
||さわ、どこにいる、さわちゃん、こっちへおいで。
恐怖のあまり半ば気を失ったさわの耳に、父と母の呼び声が現実のもののように聞えた。
「わたしはあんたが好きだ、死ぬほど好きだ、おさわさん」と男が云った、「わたしは助からないかもしれないが、あんたと二人で死ねれば本望だ、聞えますか」
男のさわを抱いた腕に力がはいり、頬をすりよせた。男は走るのをやめ、
「あんたはもうわたしのものだ」と男は
「わたしはもう一生あんたを放しはしない、死んでも放しはしないぞ」
さわは男の声を夢中のように聞いていた。すると、二人の下で地面がぐらぐらと揺れ、男が悲鳴をあげた。なにかが二人の上へ崩れかかり、さわは泥の中へ叩きつけられた、泥のようでもあり水のようでもあった。さわはなにか手に触ったので、それにつかまり、それに全身を預けてぬけだそうとした。彼女は自分が押し流されているのを感じたが、どっちへ流されているのか、なにが自分を押し流しているのか見当もつかなかった。これらのことはごく短い時間の出来事で、おそらく呼吸五つか六つのあいだであったろう。突然、さわの足をなにかが掴み、泥と水の中へ彼女を引き込んだ。
||さわちゃん、どこにいるの。
母の呼び声が聞えたように思い、そのまま、さわはなにもかもわからなくなった。
「あなたも顔ぐらい見ている筈よ、名はおすげ、年はたしか二十三だったわ」と
「あたしのことを云われているようね」と云ってさわは頬笑んだ。
「ばか仰しゃい」とはつはにらんだ、「あなたのきれいなことはこの
「あたしでも鏡は見るのよ」
「
「いまの続きを聞かせて」
「話をそらすのがうまいわね、いつもそうだわ」とはつは云った、「もう三年もつきあっているのに、あなたがどこの生れだか、どんな身の上でなんのためにこんなところで稼いでるのか、あなたはなに一つ云おうとしなかった、その話になるときまって、するっとうまく脇へそらしちまうのよ」
「話すようなことがないからよ」さわはやさしい眼をした、「おはつさんの知ってるあたしがこのあたしの全部、それだけのことだわ、||ねえ、いまのおすげさんという人のことを聞かせて下さいな」
「三年まえの秋ぐちに、大あらしのなかで山津波が起こったって話、知ってるわね」とはつは話を元へ戻した、「枝川の奥の部落が三つか四つと、葉川村が押し流されて、生き残った者は十人足らずだって、葉川村には河見といって、二百年ちかくも続いた旧家があったそうだけれど、その屋敷もきれいに流されたし、屋敷の人たちはじめ馬一頭も残らなかったって」
「ええ、その話はなんども聞いたわ」
おすげという娘はそのとき、葉川村の
「初め泊ったときは番頭さんといっしょで、番頭さんに顎で使われたそうよ」とはつは話した、「それが二度めのときはもう手代になって、小僧さんを伴れてたのね、すっかりおとなびていて、そして、こんど来たときに話したいことがあるって、おすげさんにそっと耳うちをしたんですって」
四たびめに二人は夫婦約束をした。健次は二十五になると店を持つことができる、それまで待ってくれ。ええ待っています。きっとだな。きっとです。と誓いあった。おすげは二十歳、健次が二十四歳。そして夫婦約束をした晩、米屋は山津波でやられた。二人も押し流され、泥水の中ではなればなれになった。
「そのとき男が云ったんですって、生きていたらここで会おう、死んだと慥かにわかるまで、決してこころ変りはしないって」とはつは自分のことを話すような、感情のこもった口ぶりで云った、「||ええここで会いましょう、あたしも生きている限り待っていますって、おすげちゃんも云ったそうよ」
さわは眼をつむった。その二人の呼び交す声が、はっきり自分に聞えるようであった。似たようなことがあるものだ、国吉と自分も同じような約束をした。いつかきっと迎えに来る、ええ待っています、五年でも十年でも待っています。そういう約束をしたのだ。
「あの山津波で葉川村はきれいになくなっちまったでしょ、残っているのはあの榎だけ」とはつは続けた、「いまではこの
「まだ会えないのね」
「生死もわからないのよ」とはつが云った、「でもあの人は生きている、いつか必ず会えるって、おすげちゃんは信心するように思い込んでるの、それはいじらしいくらいよ」
あたしもそうなのだ、とさわは心の中で云った。あたしがこんな生活をしているのも、いつかあの人が来てくれる、きっと迎えに来てくれると信じているからだ、と自分を慥かめるように心の中で呟いた。
「それでね、こんな宿屋にいるより、あなたのところに置いてもらいたいというの」はつは続けていた、「陽のあるうちは、あなた大榎のところで茶店、じゃないわね、茶をたてて売ってるでしょ、往来する人はよく見えるし、捜してる人にも眼につくわ」
「だってあたし独りでもやっとのくらしよ、こうやって宿屋さんへ呼ばれるようにはなったけれど、それだって人を雇ったりするような稼ぎはありゃあしないわ」
おはつは手を振った、「そうじゃないの、お金なんて一文もいらないの、陽のあるうちだけあなたのところにいて、あとはこれまでどおりこのうちで働くのよ、つまりさ、往来の人のあるうちだけ、あなたの側に置いてもらえばいいんですって」
それが慥かならと、さわは承知した。はつはすぐにおすげを伴れて来てひきあわせ、その翌日から、おすげはさわのところへかよって来るようになった。
世間では榎の「茶店」と呼んでいるが、それは「店」とは云えないだろう。夏は大榎の樹陰、涼しくなると陽当りの草原へ移るが、地面の上へ古い
おすげは毎日かよって来た。土風炉を炊くための、細い焚木を作ったり、水を汲んだり、客があると座を設けたり、あとの洗い物をしたり、結構してもらう用事もあったし、客のないときには話し相手にもなった。はつという女中の云ったとおり、おすげはごく眼立たない人柄だった。顔かたちや躯つきにも特徴はないし、話題も少なく、立ち居や動作もはきはきしなかった。ただ、健次という男の話になると、表情がにわかに活き活きとし、眼にも強い光があらわれて、その平凡な顔が美しくさえみえるようであった。
「ええそう思ってます、あの人は生きてるし、いまにきっと会えるに違いありません」とおすげは繰り返すのであった、「まだ三年しか経っていないんですもの、あの人にだって都合のつかないことがあるんでしょう、ええ、そのときが来ればきっとあなたにもわかってもらえますわ」
おすげの頭はそのことでいっぱいらしい。その話が終ると、まるで貝が蓋を閉めでもするように、自分の中へとじこもってしまうのであった。しかし一度だけ、さわの身の上を知りたがったことがあった。どこの生れか、うちはどこか、家族はあるのか、なんのためにこんなことをしているのか。さわはこれまでみんなに云ったとおり、家族といっしょに旅をしていて、あの山津波にあい、自分ひとりだけ生き残ったこと。故郷は江戸の近くであるが、そこには親類も少ないし頼りにはならないこと。この土地には親やきょうだいの骨が埋まっているから、まだはなれる気持がないのだ、というふうに。
「でもいつかはくにへ帰るんでしょ」
「いつかはね」
「それで越重の若旦那をふってるの」
「ふってるなんて」さわは苦笑した、「もともとむりな縁談なのよ、あたしにはあんな大きなお
「わけはただそれだけ」
さわは頷いて云った、「それだけと云ってあなた一生のことですもの、誰だって考えないわけにはいかないでしょ、人間はお金や家柄より大事なものがあると思うわ」
おすげは
宿から呼ぶ客の中には、幾人か
「子供のじぶん聞いた話ですけれど」とさわは答えた、「お江戸の神田にお玉ヶ池というところがあるそうですね」
「池はないけれどね」
「ずっと昔そこで、お玉という人が茶をたてて往来の人にすすめ、それでくらしていた、ということを聞きましたの」
江戸だからそれでもくらすことができた。こんな越後街道の田舎では、なかなか稼ぎにはならないだろう、とその隠居は云った。女ひとりのことであるし、読み書きなども教えるから、どうやら飢える心配もないようである、とさわは答えた。
「お玉ヶ池の話にはあとがあるんだよ」と隠居は云った、「知っているかね」
「いいえ存じません」
「お玉という娘はたいそう美人で、多くの男たちに云いよられたが、誰にも心を動かされなかった、すると」そこで急に、隠居は細い顎を
「いや、この話は陰気だからよしたほうがいいだろう、おまえさんにもあと味が悪いだろうからな」
「半分うかがっただけでは
「かもしれないな、話してしまおう」と隠居は苦笑した、「で、そのうちに二人の若者があらわれてお玉に恋をした、どっちもいい性質の若者で、お玉のほうでも好きになったが、二人のうちどちらを選ぶこともできない、若者たちの恋はいのちがけだし、お玉も悩むだけ悩んだが、どうしてもこの一人ときめることができず、ついに池に身を投げて死んでしまったそうだ」
昔その付近には桜が多く、池も桜ヶ池と呼ばれていたのを、そのことがあって以来「お玉ヶ池」というようになったのだ、と老人は語った。
同じような物語はほかにもある。
大榎から二段ほどうしろの、丘の上にある住居からは、坐っていても魚野川が見えた。家は二た間に勝手だけで、井戸はないけれども、背後の
安二郎が自分に心をよせ始めたと気づいたとき、さわはすぐに越前屋を出ることにきめた。自分を見る安二郎の、思いつめたような眼つきが、そのまま国吉を思いださせたのである。あたしには国さん一人しかない、国さんのほかに男を近よせてはならない。そう思ったからで、自分でおどろいたほど頑強にねばった。街道で野だての茶をすすめ、それでくらしを立てながら、親きょうだいの
安二郎はいまでも、月に二度か三度は訪ねて来て、安否を問い、不足な物はないかと、気をくばってくれる。もうとしがとしなので、縁談もいろいろあるらしいが、さわのほかに妻を娶る気はない、と断わりとおしているそうであった。雪ぐに育ちにしては色が黒く、背丈は高いが痩せていて、顎の張ったいかつい顔つきだった。
||ふしぎなことだ、とさわは幾たびも思った。あの山津波が来てから、あたしは人間が変ったような気がする、あのまえには自分は、いるかいないかわからないような存在だった、両親やきょうだい、大勢いた雇人たちさえも、あたしには眼もくれず、みんなそっぽを向いているようだった。
あの恐ろしいあらしの中で、父と母が初めて自分を呼んでくれた。単に名を呼んだだけではなく、のしかかって来る危険に直面して、心配のあまり狂気のようになっている声であった。妹のなかが死んだとき、おまえが代りに死ねばよかったと云われ、泣いて恨んだことがあった。しかし山津波に襲われた夜の、父と母とのあの呼び声だけで、自分が
||小出で助けられてから、自分の気持は慥かに変った、とさわはまた考えた。自分がよけい者であるとか、人に嫌われているなどという気持はなくなったし、自分のことをどう思っているかと、他人の顔色をうかがうようなこともなくなった。
そしてそれ以来、ふしぎに人から好かれはじめたのである。越前屋の人たち、安二郎はべつにしても、重兵衛夫妻や店の人たちの親切は忘れられないし、この
国吉はあらわれない。山津波で葉川村はじめ大きな被害のあったことを、彼はまだ気づかないのであろうか。それとも、噂を聞いて来たことは来たが、河見家が全滅したと知り、諦めて江戸へ帰ったのだろうか。いいえそんなことはない、とさわは確信をもって首を振る。もしここへ来たとすれば、あの人はきっとあたしを捜したことだろう。たとえ死躰であっても、みつけ出さずに帰る筈はない。国さんなら必ずそうするに違いない、とさわは信じきっていた。その年は十月中旬に雪が来て、それがそのまま根雪になり、野だての茶はできなくなった。毎日かよって来ていたおすげも、春になるまで休むことにし、さわは家にこもって、子供たちに読み書きを教え、また裁縫の弟子を取ったりした。
年があけてさわは二十四になった。二月の或る日、午後三時ころのことだったが、柏屋から「客がある」と知らせて来た。雪の道は凍っていてぬかるみはない、空もようを慥かめたさわは、
さわはがっくりしたような、また同時にほっとしたような気持で、静かにそこを通りすぎた。柏屋から呼ばれたのは、その年それが初めてであった。客は五十年配の侍で、一昨年の秋にもさわの手前をたのしんだと云い、さわにその記憶がなさそうだと知ると、そのときは浪人で、姿かたちが違っていたのだと笑った。こんど
その客を済ませたあと、宿の
「有難うございます」呼ばれた礼を述べてから、さわが訊いた、「こんどはお独りでございますか」
「そうか、去年は伴れがありましたっけね」客は微笑した、「あの男は病気で来られなかったんです」
そして、自分は茶は不調法だから、悪いところは注意してくれ、と言葉少なに云った。茶の手前などどっちでもいいらしい、さわの顔をもういちど見たかった。できるなら話をしたい、というつもりで呼んだようであった。そんなそぶりがかなりはっきりうかがわれたが、さわも口べたなほうだし、相手はさらに無口で、||去年と同じように、なにか話しだしはするが途中でやめる、というふうだったから、どうにも話題がはずまなかった。
三月中旬に、茶の野だてを始めた。そのまえの日に、越前屋の安二郎が
「お顔を拭いて下さい」と手拭を彼に渡しながら云った、「あたしいまのことはなかったものと思います、どうぞあなたもお忘れになって下さい」
「あなたはそんなにこの私が嫌いなのか」安二郎は濡れ手拭で顔を押えたまま云った、「三年以上も経つのに、ずっと私を避けとおして、いつまでこんなことをしているんです、本当のことを云って下さい、ほかに約束した男でもあるのか」
「その返辞はまえに申上げました」
「私は家を出てもいいとさえ思ってるんですよ」安二郎は手拭を小さくたたみ、自分の膝を見ながら云った、「あなたは越前屋という大きな
さわは答えるまえにちょっと考えた。
「それはいけません」さわはそっと首を振った、「おうちの方がたには親身も及ばぬお世話になっています、私のためにあなたがそんなになされば、あたしは越重のみなさんに恩を
「私の妻になるよりそのほうが恐ろしいのか」
「これにはわけがあるんです」さわはちょっと黙っていてから云った、「でもそれはいま申上げられません」
「約束した人がいるんですね」
「それも申上げられません、そのことさえなければあなたの仰しゃるように致しますけれど」さわは急に顔をそむけた、
「||ええ、いまはこれだけしか申上げられませんの」
安二郎は沈黙し、溜息をついて、静かな眼でさわを見、乱暴したことは勘弁してもらいたい、本気ではなかったのだ、と云った。わかっています、どうぞ忘れて下さい、とさわは答えた。
大榎のところは土地が少し高くなっており、陽当りもよいため、まわりには残雪があるのに、そこはすっかり土が乾いていた。さわが茶を始めるとすぐに、柏屋からおすげがかよって来るようになった。そして五月の或る日、そのことが起こった。
五月にはいるともう陽が強くなるので、榎の影の動くたびに、そっちへ場所を変えなければならない。茶箪笥や土風炉を移すとき、おすげのいてくれることが、どんなに助かるかよくわかった。||その日の午後、二度めに場所を変えようとしていたとき、おすげが抱えあげた毛氈をとり落し、棒立ちになって街道のほうをみつめた。道には荷を積んだ百姓馬と、女を混えた七八人の旅人が、ばらばらになって歩いていた。みんな南から北へ向ってゆく人たちだったが、おすげはその中の一人を見まもってい、さわが「どうしたの」と呼びかけようとしたとき、喉から異様な叫び声をもらすと、殆んど宙を飛ぶといったような動作で、まっすぐにそっちへ走っていった。そしてさわははっきりと見たのだ、おすげの叫び声を聞いた旅人の一人が振返り、かぶっている笠の端をあげて、走って来るおすげを認めると、ぬいで持っていた
「本当にあるのね」とさわは無意識に独り言を云った、「小説や云い伝えだけじゃなく、本当にあることなのね」
あちらの二人は、往来する人たちにも気がつかないとみえ、肩を寄せあったまま、なにか話しながら歩きだし、
「やっぱりあの人だったのよ、あたし一と眼でわかったわ」おすげは茶道具を片づけながら、わくわくした口ぶりで云った、「うしろ姿をひょっと見たときすぐに、あの人だなって思ったの、そうしたら喉のところが塞がっちゃって声が出ないのね、いいえ、躯つきにもあるきぶりにも、眼につくほどの癖なんかないの、ほかの人と違うところなんかどこにもないんだけれど、それでもちょっと見ただけでわかったわ、あの人のほうでもそうですって、もう通りすぎるときにこっちを見たら、すぐにわかっただろうって云ってたわ」
「あしかけ四年も経つのに、よかったわね」
「十年経ってたって同じだと思うわ、あの人もそう云ってたけれど、こういうことって本当にふしぎなものだわねえ」それから急に顔を赤くして云った、「ごめんなさい、黙っていっちまったりして」
「いいのよそんなこと、あたりまえじゃないの」さわは笑って云った、「それよりここはもういいからお帰りなさいな」
「最後のお手伝いですもの、今日はあたし独りで片づけます、あなたはなにもなさらないでね」
人のためになることならどんなことでもしたいという気分なのだろう、さわは云われるとおり黙って見ていた。健次というその男は、江戸で自分の店が持てたという、こんどは小千谷へ買い付けに来たのだが、おすげが生きていて、二人は必ず会えるものと信じていた。そうでない場合のことなど、疑ってみたことさえなかったそうである。本当なら小千谷へいって来るまで待っているところであるが、もういっときもはなれてはいられないから、明日いっしょに小千谷へゆき、そのまま江戸へ立つことにした。おすげは片づけ物をしながら、朝の雀がさえずるように、休みなしにこれらのことを語った。
翌朝はやく、さわの家へ二人がおとずれた。健次という男はいかにも商人らしく、腰の低いあいそのいい若者で、おすげが世話になった礼を述べ、もし江戸へ出るようなことがあったら、本所のしかじかというところへ訪ねてくれ、とお世辞でない口ぶりで云った。小千谷から戻るときに、もういちど寄るといったが、二人はそれ
さわは二十五になり二十六になった。冬のあいだの寺子屋のような仕事に加えて、小出の
||山津波のとき面倒をみてから、越前屋の重兵衛がずっとさわを囲っている、住居を建ててやったのも、茶の道具を揃えてやったのもそのためだし、毎月の仕送りも欠かさない、ところが息子の安二郎もさわに執心で、幾らいい縁談があっても見向きもせず、隙があったら自分のものにしようと
そういううがった内容のものであった。
越重の耳にもはいらないわけはない。さわが心配していると、安二郎が訪ねて来た。こんどこそ嫁になってもらう、と彼はひらき直ったように云った。世間の噂を聞いたであろうが、その一半の責任はさわにもある、むろん自分のみれんな気持に大半の責任のあることは云うまでもないが、このようにひろく噂が広まっては、自分とさわとが結婚する以外に、父に対する世評の誤りを立証するすべはない、と云うのであった。
「仰しゃるとおりだと思います」さわは答えた、「あなたのお心にそむきながら、一方ではお世話になり続けてまいりました、いつかこういう噂が出るだろうと、考えなかったあたしが悪かったのです、もし責任があるとしたらこのさわ一人にあるので、大旦那やあなたにはお詫びの申上げようもございません」
「私はあやまってもらうために来たんじゃありません」
「わけを申上げます、聞いて下さいますか」
安二郎は頷き、さわは話した。自分の生い立ち。山猿と呼ばれた国吉の人柄。二人がお互いにちかづいたきっかけや、榎の下で忍び逢ったこと、やがて雇人にみつかり、国吉が「ぬすっとより悪いやつだ」と
「それはあなたが十五のとしだったと云いましたね」
「約束をして別れたのは二年あとで、あたしは十七、あの人は十九になっていました」
「おとなの約束とは思えないな」と安二郎は云った、「恋というよりは、お互いのたよりない気持が寄りあったのでしょう、男と女とではなく、子供同志が指切りをしたようなものじゃないだろうか」
「あの人から手紙が来たのは、あたしが二十の年でしたわ」
「おどろいたな」安二郎は首を振った、「あなたが河見家の人だとは知らなかった、||いったいどうしてそれを隠していたんです」
「隠すつもりはなかったんです、ただなんとなく云いたくなかった」さわは自分の心の中をさぐるような表情をした、「誰か生きていてくれればいいけれど、もし自分ひとりしか助からなかったのだとしたら、河見の家に付いた財産やなにかを、自分で始末しなければならない、そう思うだけでもぞっとしたくらいでした」
「なるほど、それで越重の身代にも気が進まなかったんですね」安二郎は頷いて云った、「河見さんの遺産は代官所で始末をし、そのまま代官所で預かっていると聞きました、ふつうは遺族がなければ官に収められるのですが、河見家には功績があるので、異例な扱いになったのでしょう、こうなったら名のって出ることですね」
「いいえ」とさわはかぶりを振った、「いまさら名のって出る気などはございません、あたし遺産などは一文も欲しくはありません、どうかこの話はここだけのことにして下さいまし」
「しかし事情をはっきりさせなければ、世間の噂を止めることはできませんよ」
「あたしがいなくなってもでしょうか」
「いなくなるとは」
「どこかよそへいってしまえば、噂もしぜんに消えると思いますけれど」
「それはおかしい、あなたがよそへいって、国吉という人が来たらどうするんです」と安二郎が云った、「そのときのために、これまで榎の側をはなれなかったんでしょう、いまになってよそへゆくくらいなら、私と結婚するのも同じことじゃありませんか」
よそへゆくにしても、この街道ははなれない。越後街道をはなれずにいれば、あの人が来たとき逢えるだろう。おすげさんが健次という人をみつけたように、どちらかでお互いをみつけるに違いない。
そう思ったけれども、さわは口に出しては云わず、とにかく二三日考えさせてくれと答え、安二郎は「では二三日ですよ」と念を押して去った。
これまでどうしようもなかった気持が、二三日考えただけでどうにかなるとは思わなかった。安二郎のようすが圧倒的で、のっぴきさせないというふうな感じだったから、いっとき

「ちょっとものをたずねます」足助はこっちへ呼びかけた、「もしも違ったら勘弁してもらいますが」
「違います」とさわはゆっくりと左右に首を振った、「人違いです」
「やっぱりそうだ」足助は案外しっかりしたあるきぶりでこっちへ来た、「あなたはおさわさん、河見さまのおさわさんだ」
足助は地面へ膝を突いた。おちくぼんだ眼が涙でいっぱいになり、それが痩せて
「ちょうど客が三人いました」と足助は云った、「そのうえ木の陰で暗かったし、あなたとはわかりませんでした、なにしろあれからとしつきも経つことではあり、あなたが生きていらっしゃろうとは夢にも思いませんでしたからね」
ごまかすことはできないと思ったが、さわはなにも云わなかった。熱心に語る足助の顔を、路傍の草でも眺めるような、無感動な眼つきで見まもったまま、黙って辛抱づよく聞いていた。
やがて、足助は突然おどかされでもしたように、ぴたっと口をつぐみ、なにやら不審げに首をかしげた。
「どうして佐平さんは黙っていたんだろう」と老人は云い、地面に突いている膝を両手で掴んだ、「あなたに茶の手前をみせてもらったということは話したのに、それがおさわさんだということは云わなかった、どういうわけでしょう」
佐平とは誰だろう、足助とどういう関係があるのか、さわには見当もつかなかったが、やはり無表情に黙っていた。
「あなたもお逢いになりましたね、佐平さんと」足助は疑わしげにさわの眼を覗いた、「二度だか三度だか、たしか角庄で茶をたてなすったということです。品のいいきれいな娘さんだとは云いましたが、おさわさまだったとはほのめかしもしませんでした、まさか、あなた方お二人とも、この足助を憎んでらっしゃるんじゃあないでしょうね」
「あなたは人違いをしています」とさわは冷たい口ぶりで云った、「あたしはさわという者ではありませんし、佐平という人も存じてはいません」
「そんな筈はない、そんな筈があるもんですか」足助はかたくなに首を振った、「佐平さんも初めは知らないふりをしていなすったが、国吉というむかしの名を云ったら隠しきれなくなりましたよ」
国吉。さわは全身がすっと浮きあがるように思った。国吉、国吉が自分と逢った。角庄で。いつのことだろう、どの客だろう。耳の奥で血の騒ぐ音がし、胸に強い圧迫を感じた。
「お屋敷にいたころは山猿、山猿とこき使われたもんです」と足助は続けていた、「それがどうでしょう、いまでは江戸の絹糸商、立派に一軒の店を持って、名も佐平と改めた、一年おきに一度ずつ、小出へ買い付けに来るんだということですが、人柄もぐっとあがって、いまではぱりぱりの商人です、あなただってきっとびっくりなさったでしょう、そうじゃありませんかおさわさん」
「あたしはさわではありません」とさわは静かに云った、「人違いです、あたしにはあなたの云うことはまるでわかりません、どうかお帰りになって下さい」
足助は納得しなかった。河見家のことや自分が下男の足助であること、雇人のたれそれ、門前にあった樵長屋。嫁にいって亡くなった妹娘のなか。末っ子で弟の丈二など、むかしのことをいろいろと語って、さわの記憶をけんめいに呼び戻そうとした。さわは相手にならず、ただ冷やかに「人違いだ」と云いとおした。足助が熱中すればするほど自信がつき、なにを云われても平然と受けながした。
「そんなことはないと思うが」やがて足助はちから尽きたように頭を垂れた、「主人の娘と下男、身分も違うしとしがいもないことだが、私はおさわさまが好きだった」と彼は独り言のように呟いた、「だから、おさわさまにちょっかいをだすようなそぶりをする者があれば、私はだれかれなしにやっつけてやった、そんなやつはあることないこと旦那に云いつけて、みんなお屋敷から追っぱらってやったものだ」
さわは顔をひきしめた。足助の口ぶりには、執念といったような、暗い
「山津波のときは」と足助は放心したように呟き続けた、「おさわさまを伴れて逃げるつもりだった、山奥へ伴れて逃げて、そこでいっしょにくらそうと思った、もうちっとのところでその望みがかなうところだった」
「あたしはもう片づけなければなりません」とさわは立ちあがった、「どうかもうお帰りになって下さい」
足助はわれに返って、
「あなたは本当におさわさんじゃないのですか」と彼はねばり強く訊いた、「本当に人違いですか」
「どうしてまたあなたは、このあたしをその人だと思ったのです、人の話でも聞いたんですか」
「いいえ」足助は首を振った、「この大榎でひょっと思いだしたのです、これは河見さまのお屋敷の中にあったものですからね、その下で茶の接待をしているとすれば、おさわさんに相違ないと思いこんじまったんです」
このまえには、遠くから見ただけだったが、急にまたそのことが気になりだし、暇ができたので慥かめに来たのだ、と足助は気ぬけのしたような口ぶりで云った。さわはもう聞いてはいなかった。国吉と佐平とが同一の男であり、自分と二度か三度会ったという。それが事実かどうか、いつごろのことか知りたいと思った。そんなことがあろうとは信じられない、足助が誰かに騙されているか、とし老いて頭がどうかしてしまったのではないか。そう疑ってみるあとから、真実らしい、という感じが増してゆくようであった。
「もし事実だとしたら」とさわは自分に問いかけた、「それはどういうことだろう、あたしはどうしたらいいのだろう」
まず事実かどうかを慥かめることだ、とさわは心をきめた。足助が去り、道具を片づけて家へ運び終ると、その足でさわは角庄へいった。そうして、ごひいき客のことで知りたいことがあるからと、主婦に頼んで宿帳をみせてもらった。ちょうど
||あの人だ、あの口の重い、むっつりとした人だ、とさわは思った。
まるで濃い霧が晴れてゆくかのように、そのときのことがありありと思いだされた。茶は不調法だからまちがったところは教えてくれ、と云い、じつは会って話がしたかったのだと、云った。こっちにも話題がないし、その客はもっと話しべたで、少しも座がはずまず、僅かな時間で別れてしまった。
そうだ、あの初老のお侍が新発田の溝口家へ仕官したと、よろこんでいらしった日のことだ。
「あれがあの人だった」さわは礼を述べて角庄を出てから暗くなった道をどこへゆくともなくあるきながら、半ば茫然と独り言を云った、「||足助はむかしの名を知っていて、あの人と話しあったという、足助がそんな嘘を云うわけはない、あれは国吉だったのだ」
あたしとあの人とは向き合って坐り、茶の手前をし、僅かながら話もした。お互いが手の届く近さで向き合い、じかに顔と顔を見合せた。しかも二度まで、||そんなに近く二度もお互いを見、話までしたのに、どちらも相手がわからなかった。あたしには国吉ではないかという疑いさえ起こらなかったし、国吉のほうでもそんなことは感じなかったようだ。
「六年、六年もよ」さわはくすっと喉で笑った、「なんのために六年も待ってたの、さわちゃん、あんたはいったいどこの誰を待ってたのよ」
さわは忍び笑いをしたり、肩をすくめたりし、絶えず独り言を呟きながら、泊りをいそぐ客たちや、馬や
「おすげちゃんと健次さんは、一と眼ですぐにお互いがわかったじゃないの」とさわは榎に向って云った、「たった二度か三度会っただけなのに、相手は旅姿で
さわの喉へ忍び笑いがこみあげてきた。さわは榎の幹に凭れかかり、肩をこまかくふるわせていたが、忍び笑いはすぐ啜り泣きに変り、それが長い嗚咽になった。
「あたしたちは本当に想いあってはいなかったのね」と暫くしてさわは、榎の幹を撫でながら云った、「あの人は待っていて下さいと云った、あたしは一生涯でも待つと云ったわ、嘘じゃなかった、あのときはしんそこそう思ったのよ、あたしは本当に一生涯でも待つ気でいたし、今日までその気持に変りはなかったのよ」
落葉がさわの躯にふりかかった。
「おまえは初めから見ていたわ」さわは嗚咽のあいだから云った、「あの人とあたしが忍び逢うところも、別れるときに二人がゆくすえを誓いあうところも、そうしてたぶん、それがほんものではなく、やがてはこんなふうになることもわかっていたんでしょう、ねえ、おまえにはみんなわかっていたんでしょう」
「どうすればいいの」とさわは続けて榎に問いかけた、「こんなことになって、これからあたしはどうしたらいいの」
越重へゆけ、という声が聞えた。意識の底からの囁きだったろう、さわには榎がそう云ったように感じられた。
「返してちょうだい」さわは片手を拳にして、榎の幹を打ちながら、低い声で叫んだ、
「六年の月日を返してちょうだい、六年という長い月日を、このあたしに返してちょうだい」
その大榎は微動もせず、もう落葉のこぼれるようすもなかった。
その年さわは、越前屋の安二郎と結婚し、三人の子を生んだ。