市三がはいってゆくと、その小座敷にはもう三人来ていた。
瓦屋の息子の宗吉をまん中に、こっちが石屋の忠太、向うに左官の又次郎が坐っていた。市三はかれらに
「置いとけよ」と宗吉がそれを止めた、「いま持って来るだろう」
「おれたちのしきたりはおかしいよ」と忠太は手酌で飲みながら云った、「盃のやりとりなし、酌のしっこなし、よそで人と飲むときにはまごつくばかりだ」
女中が酒を持って来た。
「いい修業さ」と宗吉が云った。
「ええ」と女中が宗吉に振向いた。
「おめえじゃねえ」と宗吉が女中に云った、「さっきおやじに断わっておいたが、今日は相談ごとの集まりだから、
「はいわかってます」と女中が云った、「お酒のときは手を鳴らして下さい」
女中が去ると、又次郎は自分の持っている盃を指さして、「よくわからねえんだが」とみんなの顔を見まわしながら云った、「||この酒、どういうことになるんだい、おらあからっけつで来ちゃったぜ」
「珍しいことを聞くもんだ」と忠太が云った、「いつもは胴巻にずっしり持ってるのか」
又次郎は市三と宗吉の顔を見た。どちらも知らぬそぶりで、忠太の云ったことなど聞きもしなかった、というようにみえた。
「のろがやって来て」と又次郎は
「いいんだったら」と宗吉が手を振った。
「飲めよ」
「心配するな」と忠太が云った、「割前を取ろうたあ云わねえから」
又次郎は口へもってゆきかけた盃を止め、忠太を見て、おめえの
「気になるのか」と忠太が反問した。
「ならなくってよ」と又次郎がやり返した、「おらあ、昔っからいつもぴいぴいだった、いまでもぴいぴいだ、けれども集まって飲むときに、割前を出さなかったこたあいちどもなかった筈だぜ」
「もう始めるのか」と宗吉が
市三は天床を見あげたり、壁を眺めたりしながら、黙ってゆっくりと酒を
「なんだかおちつかねえなあ」と又次郎は膝で貧乏ゆすりをしながら云った、「いま宗ちゃんは相談ごとの集まりだって云った、おれんところへ来たのろは、死んだお
「お光ぼうの死んだわけがわかったんだ」と忠太が云った。
「だっておめえ、お光ぼうが大川へ身を投げて死んだってこたあ、誰だってもう知ってるじゃねえか」
「どういうわけで死んだかってんだ」忠太は口の中のなにかを吐きだすように云った、「人の云うことはよく聞くもんだぜ」
「わるかったな」と云って又次郎は宗吉に呼びかけた、「宗ちゃん、いまのはほんとの話かい」
「そうらしい」と宗吉は頷いた、「しかしその話は顔が
「てえと、あとはのろと」
「泰二さ」と忠太が云った、「顔が揃うと云やあわかっているじゃねえか」
市三が眼尻で又次郎を見た。又次郎はそれには気がつかず、なにやら
「宗ちゃん、いまの口っぷりを聞いたかい」と又次郎は宗吉に呼びかけた、「忠太のやつあいつもああいうふうな、いきなり人のぼんのくぼの毛を引っ張るようなことを云うんだ、いつだっけか、お光ぼうが酒の肴を聞き違えたことがあったっけ、
「そのときおれもいたよ」宗吉が云った、「なにも忠太に限っちゃねえ、人は虫のいどころで、結構いやみなことも云いたくなるもんだ、それよりおれが感心したのは、そのときのお光ぼうの受けかただった、あの少し大きな口を押えて、肩をすくめながらちょっと舌の先を出して、||あらいやだ、板場さんからもらったときは鮪だったのに、どこで化けたんでしょって、な」
「そうだっけ」又次郎はぐらっと頭を垂れた、「どこで化けたんでしょ」
そのときのお光のようすを思い描こうとするのか、又次郎はじっと眼をつむった。
「額を手で押えて」と市三がそっぽを見たままで、独り言のように呟いた、「あ、いけない、って云うのが癖だったな」
「そのときちらっと舌の先を出すんだ」と忠太が付け加えた、「||又のやつはあんなことを云うが、ふしぎとおれのときには注文を聞き違える、酢の物ってえと塩焼、湯豆腐ってえと寄せ
表の店のほうも客が
「おれたちとはまる三年の
「まる三年と五カ月だ」と忠太が又次郎の言葉に朱を入れた、「なかま六人が揃ってはたちになって、その祝いに初めてこのうちへ飲みに来た」
「泰二は二十一さ」と又次郎が云った、「そのとき番になったのがお光ぼうだ」忠太は又次郎には構わずに続けた、「ひどく姉さんぶっているからとしをきくと、十六だって、||
「みんな一遍にいかれちゃった」と又次郎が云った、「それでみんなが、いやそうじゃねえ宗さんだ、宗さんが云いだして、誰もお光ぼうには手を出さねえって約束をしたっけ、どんなことがあっても手を出すなって」
「もしも約束をやぶってちょっかいを出したら」と忠太が切り口上で云った、「みんなで
「おめえまるで」と又次郎が
「ようだ、||へ」忠太は片方の
又次郎がなにか云おうとすると、宗吉がそれを遮って、ほくろはどこにあった、と誰にともなく問いかけた。
「泣きぼくろ」と又次郎が云った、「左の眼尻のここんところだ」
「上唇と鼻の脇とのあいだだ」と市三が云った、「泣きぼくろじゃねえ、あれは運のいいほくろなんだ」
「運のいい、ねえ」と又次郎。
「耳のうしろにもあったっけ」と宗吉が云った、「おれのおふくろとちょうど同じところだった、そう云ったら、それじゃあたしあんたのおっかさんの生れ変りかしらって、べらぼうめ、おふくろはまだ生きてらあ」
「その話をしていたよ」と忠太が云った、「若旦那に一生、顔向けがならないって」
宗吉はなにかを
「おうさびいさびい」のろはわざとふるえ声で云いながら、市三の脇にある火鉢へいって
「きまってやがら」と又次郎が云った、「少しあったまると、こんどは十文
「どうした」と忠太が呼びかけた、「やつはいたか」
「あとから来るよ」とのろが答えた、「仕事が残ってるが、そういうことなら一と区切りつけてゆこうってさ」
「おめえ
「誰が、おいらがかい」と云ってのろは、軽薄らしく笑いながら首を振った、「とんでもございません、小判で
女中が二人で酒を持って来、めいめいの膳へ置くと、あいている燗徳利をさげていった。
「なんだか妙だ」と又次郎が首を
「うるせえな」と宗吉が云った、「少しおちついて飲めねえのか」
「これが性分でね、おちつくまではおちつけねえんだ」又次郎は手酌で飲み、
「今年の春まではな」と忠太が云った、「その約定は二月まで、泰二がお光ぼうと夫婦約束をするまでのこった」
「それだって、ほかの者が手出しをしねえって約定にゃ変りはねえだろう」と又次郎がやり返した、「泰二とお光ぼうの夫婦約束は、おれたちみんなが認めたんだ、泰二はだしぬいたんじゃなく、お光ぼうに話すまえにおれたちに相談した」
「そのとき」と忠太が証文に
「芝居がかっているようだがしんけんだった」と宗吉が云った、「ふだんはあんまり口もきかねえし、なにか云うにしても、木の枝を折っぺしょるように、ぽきぽきした云いかたしかできねえ、それが、||いのちがけなんだ、と云いだしたんでおれたちは一言もなかった」
「顔が
「おりゃあしゃくだった、いまだから正直に云っちまうが、おれはしゃくだった」と忠太が低い声で云った、「いのちがけ、||おれだってお光ぼうには
「初めて聞いた」と宗吉が云った、「おめえがそんなに熱心だったとは知らなかったよ」
「めそめそしてみせればよかったのか」忠太は
彼の口ぶりの
「恥をさらすようだが、おれは二人の
「おかしいな、二人は夫婦約束ができてたんだろう」と又次郎が云った、「そんならなにも、そんなところでこそこそ逢うこたあねえと思うがな」
「そのわけはのろが話す」と忠太が云った、「おれは自分の見たことを云うまでだ」
「宗ちゃん」と云って市三が、燗徳利を振ってみせた。
宗吉が手を鳴らし、女中の答えが聞えた。いっとき、小座敷の中がしんとなった。表の店の賑やかな騒音が高まるように感じられた。「ははあ」又次郎が膳の数を眺めて、なにか、合点のいったように頷いた、「||いままでの話のようすといい、膳が五つしきゃねえところをみると、わけというのは泰二なんだな」
誰もなにも云わなかった。女中がまた二人で酒を持って来、燗徳利を替えて去った。
「どうもおかしい」又次郎は首を振った、「みんなはなにもかも知っていて、おれ一人がつんぼ
「みんなが揃ったらって」云いかけて、宗吉は振向いた、「||来たようだぜ」
女中となにか云う男の声がし、すぐに障子をあけて泰二が顔を出した。
「やあ」と泰二は五人それぞれに頷きかけ、こっちへはいって障子を閉めた、「||おそくなって済まなかった、ちょっと仕事の区切りをつけていたもんだから」
「ここへ来いよ」と市三が自分の脇へ手を振った、「のろ、もうちっとそっちへ寄れ」
「いつでもこの伝だ」のろは膝をずらした、「のろ、あっちへいけ、へえ、のろ、こっちへ来い、へえ、なんてえこった」
「泰さん」と宗吉が云った、「断わっておくがおめえの膳はねえんだ、それにはわけがあるんだが」
泰二はわかっているというふうに、こくんと頭をさげ、膝を固くしてうなだれた。市三だけが眼の隅で、それを見た。
「改まってわけということもねえだろう、話はお光ぼうのことだ」と忠太が宗吉のあとを継いで云った、「||お光ぼうがこのうちから暇を取って、いなくなったのは十月のことだ、それから五十日、どうしているか誰にもわからなかった、そうして十日まえに聞いたのは、大川へ身を投げて死んだっていうことだ、||ここにいる五人が知っているのはそれだけなんだ」
又次郎は膝で貧乏ゆすりをしながら、手酌でせかせかと飲み、宗吉は腕組みをして自分の膳の上を見まもっていた。のろは酒好きではないとみえ、ときたま盃を取るが、一杯の酒をあけるのに、三くちか四くちかかった。
「まださびい」とのろは口の中で呟いた、「おっそろしくさびい晩だぜ」
忠太はのろを睨んでから、言葉を続けた、「||おめえはおれたちとは立場が違う、お光ぼうとは夫婦約束をした人間だ、二月におれたちの前で約束してから今日まで、二人の中にはおれたちの知らねえことが幾らもあったろうと思う、とすれば、お光ぼうがどうして死んだのか、しかも大川へ身を投げるような、哀れな死にかたをどうしてしなければならなかったか、おめえなら知っているんじゃねえかと思う、もし知っているんなら、おれたちに聞かしてもらいたいんだ」
「ちょっと」と宗吉が腕組みの手を解き、その手を膝におろして云った、「おめえが返辞をするまえに云っておくことがある、||いいか泰二、ここにいるみんなが初めてこのうちへ飲みに来て、初めてお光ぼうに会ったとき、みんながお光ぼうを好きになった」
おれもそのなかまの内なんだろうなと、のろが云い、忠太がまた睨みつけた。のろは首をすくめて、からの盃を啜った。
「みんなが好きになったので、誰もちょっかいを出さねえという約束をした」と宗吉は静かな口ぶりで、絵解きでもするように続けた、「||もし手出しをする者があったらこれこれと、みんなの同意で約定もした、人のことは知らねえ、たかが小料理屋の酌おんな、その場の座興だと思った者がいたかもしれねえ、だが、少なくともこのおれだけはしんけんだった」
忠太もさっき同じようなことを云った。自分もしんから好きだったが、おめえに先を越されたので、歯ぎしりをして引込んだと。おれはそれを聞いていながら、おれ自身の気持をそっくり、忠太の口を借りて云っているような気がした。
「人の心の重さ軽さは比べようがねえ」と宗吉は続けて云った、「おめえが、いのちがけだと云い、忠太も同じおもいだったという、おれはその二人よりもっとお光ぼうが好きだった、市三も又ものろも、口には出さねえがおれたち以上に
泰二はほんの僅かに頷いた。
「おめえたちが夫婦になるまで、どんな人間にもちょっかいを出させねえって、きざなようだが、おれたちは二人のうしろ
泰二は咳をし、低くうなだれ、それから頭をあげて天床を見た。
「おれにもわからない」泰二は知らない言葉をさぐりだすような、しどろもどろな調子で云った、「あいつがどうして死んだか、どうして身投げなんぞする気になったのか、まるで見当もつかないんだ」
「逢曳きのときにも話は出なかったのか」と宗吉が云った、「源蔵ヶ原ばかりじゃねえ、お光ぼうがこのうちから暇を取って出たあとでも、幾度か二人で逢ったんだろう」
泰二はゆっくりと宗吉の顔を見た。
「源蔵ヶ原だって」と彼は舌が鉛にでもなったような、まだるっこい口ぶりで反問した、「おれは知らないが、源蔵ヶ原って、いったいなんのことだ」
「いろはを順に読むことあねえ」と市三が冷やかに云った、「話を進めろよ」
「おれはほんとに知らないんだ、なんにも知らないということではみんなと同じなんだ」と泰二は確信のない調子で云った、「あいつがこのうちから暇を取ったわけも知らなかった、そう聞いたから小梅にあるあいつのうちをたずねてみたら、都合があってよそへ預けたと云うばかりで、おふくろさんはそれ以上なにをきいても相手にしなかった、おれはあいつが、どこにいるかも知らなかったんだ」
「焦げっ臭えな」と忠太が云った、「どっかでなにかくすぶってるようだぜ」
「そうかもしれないが、おれは」
「のろ」忠太は泰二の言葉を遮って云った、「もういいぜ、おめえの話を聞かしてくれ」
「苦手だなあ、こいつは」のろはてれてうしろ首を叩いた、「おらあいつも追いまわしが役どころで、舞台のまん中に坐ったことがねえから、こういうことになるとてんからのぼせちまうんだ」
宗吉が「のろ」と云った。
「いいよ、話すよ」のろは坐り直した、「泰さん、これからおれの云うことで、気に
「よけいなことはぬきにしろ」と忠太。
「わかったよ」とのろは云った、「それじゃ始めるが、お光ぼうはみごもってたんだ」
泰二の口が力なくあき、その眼がそろそろとのろのほうに向いた。又次郎の貧乏ゆすりが止り、宗吉は自分の盃へ酒を
「このうちから暇を取ったのも、小梅の実家から本所の親類のうちへ身を寄せたのも、みんなそのためだった」とのろは続けた、「おなかの
のろはそこで口をつぐみ、眼をつむった。泰二の顔はみじめに歪み、彼を睨みつける忠太の眼はぎらぎら光るようにみえた。
「||泰さん」とのろは
のろが話し終ると、小座敷の中は耳が痛くなるほどの、張りつめた沈黙に
「わけと云ったって、おれにはなんにもわかりゃしない、だい一、あいつがみごもっていたっていうことからして、おれはいま聞くのが初めてなんだ」と泰二がふるえ声で云った、「おれにはとても本当のこととは思えない」
「もう少しましな云い訳はねえのか」
「お光がみごもっていたなんて」泰二は忠太の言葉など耳にもはいらないように、うつろな眼を天床へ向けながら、首を左右に振った、「||そんなことがある筈はない、もしそんなことがあったとしたら、おれに、||いや、嘘だ、それはなにかの間違いだ、のろはなにか聞き違えたんだ」
「云うことはそれだけか」と宗吉が穏やかに云った、「お光ぼうは死んじまったからなんにも云うことはできねえ、おめえは生きている、生きているおめえのほかに、本当のことを話せる者はねえんだ、夫婦約束までした相手が、身投げをして死んだんだぜ、泰二、こいつは冗談ごとじゃねえぞ」
泰二の顔がさっと白くなり、頬の肉のひきつるのが見えた。
「それはおれの云いたいことだ」泰二は
「なぜ夫婦にならなかった」と忠太が云った。
「おれの」と泰二はまた吃った、「お光のほうの家族のこともあり、おれのほうもすぐにはどうにもならなかった、もう一年、いや、もう半年もしたらって、そう話しあっていたんだ、半年もしたらどうにかしようって、九月の末のことだ、本当に二人で相談しあったんだ、みんなが信じようと信じまいとおれの知ったこっちゃねえ、おれはお光と夫婦になるつもりだったし、嘘も隠しもねえ命がけで好きだったんだ、それを、そんな」唇がふるえて言葉が途切れた、「||子供ができて、世間に顔向けがならなくなって、身投げをして死ぬなんて、そんなことがあっていいもんか、おめえたちがなんのためにおれを呼びつけて、こんなけじめをくわせるのか知らない、けれども、いちばん
「泣き言を聞こうというんじゃねえ」と忠太がきめつけた、「どうしてこんなことになったか、おれたちは本当のわけが知りてえんだ」
「もういいだろう」と市三が云った、「云えねえものを
「そうだな」と宗吉が云った、「そのほかにしようはねえらしい、出ようぜ」
泰二は市三を見、宗吉を見た。のろが立ちあがり、他の三人が立ちあがった。
「立てよ」と忠太が泰二に云った、「外へ出るんだ」
泰二が立ちあがり、市三からさきに、六人は外へ出た。宗吉が女中に、すぐに帰るから座敷はそのままで、と云い残し、かれらは泰二を中に
原へはいってゆく六人の足の音で、
「この辺でよかろう」と宗吉が云った。
かれらは
「泰二、わかっているだろうな」と宗吉が云った。
泰二はうなだれた、「約定のことならわかってる」
「ちょっと」と又次郎が口をはさんだ、「おれにもちょっと云わせてもらいたいんだが、昔の約定といっても、いまになってみれば子供っぽ過ぎると、泰二にだって口に云えないわけがあるんだろう、だから」
「子供っぽ過ぎるって」忠太がするどく反問した、「忘れたのか、おれたちのお光ぼうが身を投げて死んだんだぞ、子供っぽいもくそもあるか、人間ひとりが死んだんだぞ、いまになってくだらねえことを云うな」
泰二はそこへ坐った。固くなっていた膝を折るとき、関節の鳴る音がし、坐った
「さあ、やってくれ」と泰二が云った、「おれが悪かったんだ、どうにでもしてくれ」
五人はしんとなった。泰二は坐った膝へ両手を突き、頭を低く垂れた。市三が眼の隅で忠太を見ると、まるでそれがはずみにでもなったように、忠太が前へ踏みだした。
「みんな」と彼は叫んだ、「おれから先にやるぜ」
そして右手を
「のろ」と市三が云った、「もういいだろう、本当のことを云っちまえ」
忠太は腕を振り放そうとしたが、市三は両手で
「ほんとのことを云おう」とのろが、いかにも待ちかねていたように云った、「さっきの話には出さなかった、出さなかったわけは市あにいが云うだろうが、泰さん、||それからみんなも聞いてくれ、お光ぼうが死んだのは大川へ身を投げたんじゃねえ、おなかの児をおろそうとして、その手当をしたばばあがやりそこなったのがもとで死んだんだ」
「放せよ」と忠太が身をもがいた。
「もうちっとだ」と市三が云った、「話は長くはかからねえ、じっとしてろ」
「のろ」と宗吉が云った、「そんならなぜ、大川へ身投げをしたなんて云ったんだ」
「あとを聞いてくれ」とのろは云った、「おれがおっちょこちょいな人間だってことは、ここにいるみんなが先刻ご承知だ、
「おれがどうしたって」と忠太。
「へたな口をきくな」と云って、市三は腕に力をいれた、「すぐに済むからじっとしてろ」
「おれがどうしたってんだ」
「自分で知ってるだろう」とのろは云った、「七月の下旬、おめえはこの源蔵ヶ原で、お光ぼうをてごめにしたそうじゃねえか、泰さんが来ているからと嘘を云ってさそいだし、そこのもちの木の下で、||かんにんしてくれって泣いて頼むお光ぼうをよ」
「じたばたするな」市三がもっと力をいれて忠太の腕を
「そんな非道なことでも児はできる、女ってなあ悲しいもんだ」とのろは云った、「おなかが眼立つようになって、お光ぼうがどんなに苦しんだか云うまでもあるめえ、泰さんには顔も合わせられねえ、人に気づかれては恥ずかしい、それで店から暇を取ったが、きょうだいの多い自分のうちにもいられねえ、本所のおばさんのところへ身を寄せたが、泰さんといっしょになるためには、おなかの児をどうにかしなくちゃならねえ、こどもを闇から闇へ消すのはたまらねえが、てごめにされてできたものだから
みんなが息をのんだ。のろは手の甲で眼を拭き、泰二は口をあいて忠太を見た。彼の額が月の光で白く浮きあがり、
「なんてえこった、とんでもねえ」と又次郎が云った、「もしもそれが本当なら、どうして身投げなんて、とんでもねえ話を
「忠太は自分の罪をまじくなうために、泰さんを引張り出そうとしたんだ」とのろが云った、「おいらあのろだ、のろなら
「ひでえな、そいつはひでえ」と云って又次郎は足踏みをした、「こんなべらぼうなことを知っていて、なぜみんなは黙っていたんだ、おまけに泰さんをあんなにいじめるなんて、いってえどういうつもりなんだ」
「こうと約定をきめたなかまの前で、ことをはっきりさせたかったんだ」と云って、市三は掴んでいた忠太の腕を突き放した、「||なにか云うことがあるか忠太、のろの云ったことに間違いでもあるか」
「おれは」忠太は細い声で云った、「おれはお光ぼうが好きだった、||死ぬほど好きだったんだ」
「云うことはそれだけか」と宗吉が云った、「おれも又と同様なんにも知らなかった、市三からちょっとほのめかされたが、まさかこんなこととは考えもしなかった、忠太、いくらなんでもそいつはひど過ぎやしねえか」
「おれに云うことはねえ」と忠太がもっと細い声で云った、「ただお光ぼうが好き、死ぬほど好きで、どうにもならなかったんだ、けれども、みごもったっていうことは知らなかった、本当にそれは知らなかったんだ、もしそれを云ってくれたら」
「お光」と泰二は
「本当のことがばれるのが
そこまで云うと、忠太は急に泰二の前へ膝を突いた。そして凍てた土の上へ両手をおろし、頭を垂れて泣きだした。
「おれはここで叩っ殺されてもいい、泰さん、済まなかった」と彼は喉を絞るような声で、泣きながら云った、「けれども本当だ、おらあ本当に、お光ぼうがみごもっていたことは知らなかった、本当に知らなかったんだ」
「云い訳にゃあならねえ」と又次郎が鼻の詰ったような声で云った、「こんなひでえ話ってあるもんじゃねえ、おれたちのなかまにこんな人間がいたなんて、おれにゃがまんがならねえぜ、みんな」
「にせがねは初めっからにせがねよ」のろはそう云って
又次郎が市三に云った、「この野郎、どうしよう」
「約定どおりよ」と市三。
「待ってくれ」と泰二がしゃがれた声で、顔をあげながら云った、「今夜はこのまま、おれを独りにしてくれ、忠太のこともおちついてからにしよう」
「約定は約定だ」と市三が云った、「子供っぽいかもしれねえがけじめはけじめだ」
「宗ちゃん、頼む」と泰二が云った、「おれを独りにしてくれ、忠太のことも、なにもかもあとの話だ、今夜はこのまま、頼むからおれを独りにしてくれ」
「泰二」と市三が云った、「おめえそんなちょろっかなこって、おれたちが集まったと思うのか」
「忠太は死ぬほどお光が好きだったと云った」と泰二が云った、「てごめにしたうえ殺したも同然だが、それほど好きだった、ということは嘘じゃないだろう、おらあ聖人ぶるわけじゃないが、人間てなあみんな弱いもんだ、おれに
宗吉が市三の腕に
「ひでえもんだ」又次郎がそっぽを向いて呟いた、「こんなひでえこたあありゃあしねえや」
「忠太」と市三が云った、「立てよ」
忠太はうなだれて、まだ泣きながら口の中で云った、「いまやってくれ、おらあどうされたって構わねえ、ここでみんなの思う存分にやってくれ、いっそこのおれを」彼は悲鳴をあげるように叫んだ、「||ここで、叩っ殺してくれ」
「たくさんだ、もういい、たくさんだ」と泰二がひそめた声で云った、「頼んだろう宗ちゃん、おれを独りにしてくれないのか」
こんどは市三が宗吉の肩を叩いた。
「立てよ、忠太」と宗吉が忠太に云った、「せわをやかせるな」
「泰さん」と忠太が呼びかけた。
泰二は両手を膝に突き、うなだれたままなにも云わなかった。
「立たねえのか、忠太」と宗吉が云った、「せわをやかせるなと云ったろう」
「頼むよ」と泰二が云った。
「勘弁してくれ泰さん」忠太は片方の腕で顔を
市三が忠太の肩を叩き、忠太は弱よわしく立ちあがった。なんてえこった、と又次郎が云った。ほんとに、なんてこったろう。||市三と宗吉が、左右から忠太の腕を取った。又次郎は不決断に、忠太を見、振向いて泰二を見た。のろはせかせかと頭を
「お光」と泰二が云った。
彼は凍てた土の上を、片手で
「お光」と彼は云った、「辛かったか」
彼の喉へ