並びに諸説巷間を賑わすこと
徳川八代将軍吉宗の時代に、天一坊事件という騒動があった。
真相のところは諸説まちまちで、ここに紹介すれば四五行で終る記事もあり、本書一冊分くらいのぼうだいな実録もある。
またぜんぶ事実無根だという論もあって、学界······などはべつに問題にもしなかろうが、一般史家などは、······これもまあそのために眼色を変えるほどのことはないだろう。しかし
それはこの際は断じて御免を
天一坊は甲の記録では「改行」という名であるが、乙の文章では「宝沢」と呼ばれている。紀州の産であることは
江戸中の評判は、うるさい程度以上であった。幕府としても相手が堂々と来たからには、そ知らぬ顔をしているわけには体面上としてもゆかなかった。とりいそぎ治安法官に実情調査を命じた。命を受けた担当者は誰であるかというと······甲の記録では伊那半左衛門となっているが、乙の文章には越前守大岡忠相だとしてある。演者としてはどっちでもいいが、ひとつにはにんきなどの点も考慮して、ここには大岡忠相ということにしておきたい。
周知の如く越前守には、名判官という定評がある。指令を受けた彼はあらかじめ事件の全貌をぐっと
この探索の苦心には触れたくない。忠相としては肝胆を砕いたであろうし、部下たちは東奔西走、そこは
「あのここな、大逆犯人めが」
というようなことを忠相が断言する。これに対して天一坊はどうしたか。砂利の上へ蹴落された彼としては、そこはやはり自尊心というものもある関係から、いちおうふてくさったような姿勢をとるわけだろう。そして一種のせせら笑いをして、
「へっ、大岡様にゃあ
などと虚栄的な感想をもらす。要するにそれだけのことなのであって、特別に唸り出すほどの問題ではないと思う。
天一坊ならびにその連累者たちは、極刑に処せられた。すなわち事件は決着したのであるが、甚だ奇怪にも、
天一坊が現われたときは、かれらはやみくもいきり立ったではないか。公方様にお家騒動を起こそうなんてずぶてえ野郎だ。おらっちの将軍家を乗っ取ろうとはいけっぷてえ畜生だ、
こういう種類の劣等なる評をしたではないか、にも
「これあごくないだがな、おらあこんどのお裁きは眉睡だと睨んでるんだ、あれにあおめえ裏の裏があるぜ」
「裏の裏たあなんの裏だ」
「大きな声じゃあ云えねえが、おう、ちょいと耳を貸しねえ、よしか、これはごくないだがな、あれあおめえ本物だあ」
「へええ||そうか、やっぱり本物かえ」
「そうだってことよ、あれあ慥かに将軍様の御
これらは無産階級の耳こすりであるが、有産知識階級においてはさすがにこれより
「実はさる信用のおける筋から聞いたのですがな、他言されては困るんですが、これこれしかじか、······どうです、私もうすうすは推察していたんだが、実はこれこれがしかじかと聞いては驚きました、······どうです」
「いやその話なんですがね、私もね、ほら御存知のあの方面ね、あれからちょいと耳にしたことはしたんですがね、だがまさかと思いましてね、だって
「いいえ、私のはごく信用のできる筋の話なんで、なにしろ将軍家におかれてはですな、そのときはらはらと御落涙、さすが親子の情であると、閣老一統も暗涙に
情報の出どころの慥かな、しかし極秘ごくないであるという、この種の風評が市中を横行した。せんさく好きな老人などは突拍子もないような書物など持ち出して来て、事件の
並びに長屋の若者たくわんと
見代えられのこと
見代えられのこと
その当時、本所石原町に六軒長屋と呼ばれる貧民住宅区があった。
戸数は実は三十八軒ある。が、初めは六軒だったので、付近住民の怠慢と無関心によっていつまでも「六軒長屋」と呼ばれているわけらしい。家主は繩屋吾助、女房おたきとのあいだにわきという娘が一人いた。
吾助は
長屋の住人たちは、かれらの家主に対して好意的ではなかった。かれらは蔭では吾助を「
おわきはもう二十六になる。一人娘だから婿を貰うわけだが、そして実際これまでに五人も婿を貰ったのであるが、五人とも半年そこそこでみな逃亡し、出奔し、三年このかたは独身でいる。||眼をくぼませて後家の男は逃げる、こういう卑劣なる川柳点があるというが、おわきは後家ではなかったが、五人の婿はそれぞれどこかしらをくぼませ、命からがら逃げだしたと、長屋の住人共は伝えておる。
「おらあ知ってるんだ、おれと金太はな、すっかり知ってるんだ」
親の代から長屋で成長し、現在では共同して
「あすこの婿は、五人ともおれたちの所へ、毎晩夜食を食いに来たもんだ、なあ金太」
「うん、······来たもんだ」口の重い金太は考えながらゆっくり
「やって来たもんだ、なにしろ、おれたちは夜中に帰って、それから夜食を
「うん、······ぽろぽろとよ、涙をこぼし、また飯もこぼしたもんだ、······飯をこぼすと拾って喰べ、······それくらいかつえていたもんだ」
「なにしろおめえ、昼間は禿とごうつくが掛ってて働かせるだろう、なにしろ千住の先から西は品川目黒のはてまで車を
「うん、······あれは聞いていて、誰もがよもやと思う、本当の事とは誰もが考えられないもんだ、おれはまさかと思った」
「三番めの幾次てえ婿だっけか、なにしろおめえ一と晩も欠かさず五度ずつ
「うん、おどろきだ、まったく、······うん、そしてその婿の持って来た物はみんな取上げて、夫婦の小遣いは······、幾らだったか忘れたが、······それもあの臼が取上げちまって、湯銭も
「それで毎晩神輿だけはちゃんと渡るんだ、五番目の次郎助なんぞはおめえ、なにしろ毎晩おめえ六度か七度だってんだから、あいつは額までくぼませてやがった、なあ金太」
「うん、······あの次郎助はそんなふうだった、逃げるときはまた泣いた、······無事に逃げられればいいけれども、下手をして、もし
彼女は五尺そこそこの身長で、骨も太く肉付き
彼女の労働力は、その父親の三倍に匹敵するであろう。一面ごうつくの点にかけても、その母親を少しは
このことは、長屋の住人共にとっては、かなり被害であったろう。母親、つまり「ごうつく」なるおたきはまだしもごうつく程度だったのである、が、彼女の取立ては甚大なるものであった。
彼女は、大きなメリケン粉袋ほどもある布製の財布と帳面を持ち、矢立を帯に
「おらんちも道楽で長屋を貸してるんじゃねえからな、おめえんところは三月も溜まってるじゃあねえか、え、······今日今夜、雨露風を
文字で読むと、性別が不明のようであろう、聞いていても、男女の区別は明瞭とまではいかない。が、彼女が女性であることは、他の独身の男などの家へ取立てにゆくばあい
とりも直さず、そういう家へは彼女は夜になって訪問する。職業上からして帰宅のおそい者などは、おそい時刻に訪問するが、そうしたばあいの彼女の駆引きは、際立って精彩を放つのである。
「店賃ぐらいきちんと払ったらどうだい」
まずとりあえず右の如く第一声を浴びせるが、その眼はやさしく、声も色っぽい。そのうえ上半身や左右の手や腰部などで、種々なるところの挙動を示すが、これは柔軟体操ではなくしていわゆる「
「そんながっちりした一人前の男がさ、おまえそれでも
こうずけずけ判り切ったことを云われては、彼女の同情者の立場にある
どんなに
「おいよ、店賃は貰ったよ、貰ったからにゃあただ帰っちゃ済むめえ、朝まであ時刻もたっぷりあるから、ひとつゆっくりと」
「いや、そ、そいつあ待って、そいつだけは」
「遠慮はいらねえということよ、大家と店子は他人じゃあねえんだ、おら水臭えこたあ嫌えだから、ひとつざっくばらんに」
「まあ待って、ちょ、ちょいと待って呉んねえ、大家と店子は他人じゃねえかもしれねえが、世間じゃあ大家は親、店子は子と云うくれえで、親子の仲でそんな事をすりゃあ畜生だと云われるし、ま、とにかくそれに、今夜はおらあ
「ふん、だらしのねえ」彼女としては憤然とするものだろう、「草臥れた、眠りてえッて、どいつもこいつも、男てえ男がみんな同じことをほざきゃあがる、
演者としては、右のような卑劣なる言辞を紹介することを、江湖に対して恥じるものである。が、長屋の独身男子たちは、演者以上に恥じた。かれらは現にその当事者であって、面前において男性である自分とたくわんを比較されたのである。
かれらがこの侮辱に対して、なにゆえに手を
並びに「系図書き師」も人の職たること
天一坊事件が江戸市民に及ぼした影響については、第一席で述べた。
繩屋吾助、いわゆる「禿」なる当人も、この事件から非常なる衝撃と
「世の中には、どこにどんな人間が、それとなく、いるかもしれない理屈だなあ······」それからまた考えて、独りで続けた、「洗ってみれば、おれにしたってどんな名門の血をひいているかもしれない、太田道灌の落胤の子孫とか、もっと偉い、それこそ
吾助は鼻をこすり、坐り直してさらに考えた。
「つまり、こういうときに系図というやつがものを云う理屈だて、系図、······という物がある、人間というものは両親があって子を生む、その子が孫を生み孫が
繩屋吾助は、奔走し始めたわけである。彼は故郷の佐野へ数回も手紙を出し、その地の寺の住職に対し、やはり書簡を以て交渉し、住職の返信によって
||御送金だけの調査では別記の如くであるが、なお調査を進めれば、或いは貴殿の先祖はかの有名なる佐野源左衛門常世ということになるか計り知れぬ、それには調査料として金二十枚御送付ありたい。また金五十枚御送付あれば
こういう意味のことを書いて来た。吾助はさすが繩屋として大成するだけあって、住職の
かかる業者の存在は、家系の尊厳を
吾助がどこで系図書き人をみつけたかは、史実には遺っておらぬ。
六十あまりの、しなだれたような老人、
「こいだへ、こい、こいだへきゃ」
報酬を手にしたときは、その系図書き人なる老人は、すっかり歯の脱落した口をぱくぱくさせたものである。
「こいでは、その、はいめのふェいやくに、もといやへんか、あま、あまいふとを、ばはにふうと、······その、わいだとて」
「やかましいね、この乞食爺いは」娘おわきが、このように応待した、「四日も五日も泊り込んで三度三度の飯をくらって、わけのわからぬ妙なお題目を書きゃあがって、おまけに銭をせしめてなんの文句がけつかるんだ、さっさと出ていかねえと眼のくり玉へ焼け
「ふわやもやもやふわ、はばいやもや」
こう返答をして、老人はよたよたとどこかへ逃げ去ったのである。
並びに長屋一同大迷惑のこと
さもあらばあれ、繩屋吾助は、今や系図の持主となった。
それは謡曲の「鉢の木」で周知なる佐野源左衛門常世を祖とし、十一代吾助に及ぶ綿密なる列伝で、但し
が、元来系図なるものは、それが在るだけでもう役目は足りるのであってもしそんな
「これでみるに、やっぱり、世の中にはどんな人間がそれとなく、いるかもしれない理屈だなあ」
されば、と、これは心の中で考えたことであるが、自分の持ち長屋に住む連中のなかにも、叩いてみれば相当の
「これは充分に疑ぐってみなければならない、現にこの俺がいい証拠じゃあないか、とすれば、誰にもそこは断言できない理屈だ」
そしてもしも、と、これも心の中で考えたのであるが、もしもそういう人格がいたとして、それが俺の持ち長屋から発見されたとなればどうなるか。
そのときは現に在るところの系図がものを云うではないか、佐野源左衛門の後裔が歴として繩屋吾助である、とすればどんなに絶大なことになるか。
「これはうかつにしてはいられない、こんな独り言など云っているばあいではない」
こう独り言を云って、吾助は早速長屋住人の身許調査にとりかかったのである。
長屋住人にとっては、このことは一つの新しい被害であった。吾助大家はごめんよと入って来る。そうしてまず天一坊事件に就いての注意を喚起し、家には系図、名物道具には伝来書、書画
「
「へえ、それはどうも、なんですが、どうもわっちらときては、それはもうその、なんです」
「いや隠すことはないて、儂もこうして系図を見せたわけで、それというのが大家と店子は親と子といったような理屈で、だからしてはおまえさんもうちあけて貰いたい」
「へえ、それゃあもうよくわかるんですが、なにしろわっちは家柄だの
「家柄がえごいわけはない、家柄というものは、······それでは聞くのだけれども、おまえさんの祖先はどういうことになっているか」
「さあてね、祖先となると、こいつは大家さんの前ですが、実はここんところばかに仕事に追われてるんで、暫くつきあいが絶えているようなぐあいですから」
「それはいけない、いくら仕事が忙しいからといって、祖先とつきあわないなどということでは、人間の義理が欠ける理屈だ、······では聞くのだけれども、系図のほうはどうなってるんだ」
「冗談いっちゃいけねえ、いくら大家さんだってふざけちゃいけねえ、わっちはこれでも
「なにをそんなに怒るんだ、儂はただ系図のことを聞いたばかりじゃないか」
「まだ云ってやがる、いってえおれがいつけえず買いをしたってんだ、もういっぺんぬかしてみろ、大家だろうが
これは威勢のいい男であり、店賃をきちんと払っている関係からして、右の如く簡単に片づいたのであるが、他の多くのばあいはこうはいかない。
「自分の家柄血統がわからないという筈はない、刀剣書画などでさえそれぞれ身分証明の由緒書がある、それが人間たるものがわからないという道理はない、え、そういう理屈だろう」
「まことにどうも面目しだいもございませんので、どうぞ私のところはひとつお目こぼしを」
「お目こぼしといってなにも儂は
「いえもうそのへんのところは、決して御心配はいりませんので、決してもう家柄血統などというだいそれたものは」
「べつにだいそれるとか、それないとか、これはそんなわざとらしい話ではない、おまえさんの先祖はどういう身分の人か、
「ええそのへんはもうきれいさっぱりなんで、どうかひとつお目こぼしのほどを、店賃のほうはすぐお払い申しますんで、どうかここはひとつ」
「
訪問調査の進行につれて、吾助の落胆は日に増大した。御落胤らしき者はおろか、多少これはと首を捻るような者さえいない。否、大多数の店子が、家柄や血筋、先祖とか系図とかいうことにまったく関心がない。
||なんという無知通俗なやつらであるか。
吾助は、つい憤激せざるを得なくなった。おまえさんそれでも人間かえ、こう云っていたのが、やがてはそんなことではもの足りなくなり、
「おまえたちは書画にも刀剣にも劣った、人間の皮をかぶった薪ざっぽだ」
などとつい心にあるようなことを口走るようになった。最も
片方が両親を亡くせば、片方もまた二親を亡くすというくらい、いわゆる水魚の交わりであって、現在では長屋の一戸に共同で住み、共同で
||あの成り上りの繩っ
斯様にてんから軽視していた。自然吾助が調査訪問に来て、源左衛門常世以来の系図を展開し、祖先血統の質問に及んだときは、終始両人の
「ええありません、そんな
「そんな愚かな、その、これはももんがあとかまやかしものとか、そんなその、······では聞くのだが、おまえの親父はなに者だ」
「親父ってちゃんのことかい、ああ、ちゃんは銀造ってってね、この金太のちゃんは金兵衛というんで、どっちもいい人間だったよ、金太のちゃんはでこ金、おれのちゃんはやぶ銀ッて云われてたっけ、それッてえのがおれのちゃんは
「うん、······おいらのちゃんは、かなりおでこだった、うん、かなりなもんだった」
「いや、儂は親父の人相を聞いているのではないて、親父があるとすれば、親父の親父があるわけだろう、つまりおまえたちにとっては祖父という理屈のものだ」
「ああそんな化物もいたようだ」
「化物というやつがあるか、仮にも血を分けた祖父と孫、祖父は大親というくらいで、いかに無学文盲とは云いながら、······では聞くのだけれども、その祖父は名をなんといって、生れはどこだ」
「おらあ手品使いじゃあねえから、じじいの
「なにが手品だ、どういう理屈で手品を使うんだ、ばかばかしい、云うことが一々······では聞くのだけれども、おまえたちの家は元来からの町人か、それともずっと先は武家とか公卿とか、或いはこの諸大名とかいう······」
「うるせえなこの禿は、おらそんないかがわしいけだものたあ、ひっかかりはねえ、つまらねえいんねんをつけると承知しねえぞ」
「なにを云うんだ、禿とはなんだ」吾助としてはむかついたわけである、「いかがわしいのはおまえのほうだ、儂も佐野源左衛門の末孫となってみれば、そこは家名のこともあるから忍耐するのだけれども、なんだおまえは、先祖も知らず家柄も血筋もわからない、それでも人間かえ、こ、な、なんだ、暴力を振う気か、こ、こ、そんな物を持ちやがって、この、······ひっ」
吾助は表へとび出し、なにか一言ぴんとした言を云ってやろうとしたらしい、が、銀太が
「こいつあなんとかしなくちゃあいけねえ、なんとかあの
銀太は息杖を置きながら右の如く感慨をもらし、ここに長屋同志の対策会議を開催するという、決意をするに到ったのである。
並びに金太銀太名案のこと
或る雨の日の午後のことであったが、長屋同志の重立った者が十人、
「あの禿の野郎、おれに向ってけえず買いがどうだとかこうだとか、とんでもねえことをぬかしゃあがった」
同志の一人なる左官職は、こう
「私はね、私はそれは店賃は溜めました」
一人は、早くもほろ酔いになって云った。
「恥を話さなければ理がとおらない、だから云いますけれどもね、店賃は溜めています、けれどもそれだからといって、書画にも劣るの、人間ではないとまで云われては、······皆さんの前ですが、私は、こんな、く······」
「それは
「とにかくてんでんが、愚痴を並べていてもしょうがねえ」銀太が先住民の
「お、お、お、お、ヘヒーヘヒー」
奇声をあげたのは、
「まあ勘次はそこで、坐っていて呉れればいいや、おめえが饒舌って源兵衛さんに泣かれていちゃあ寄合が流れちまう、······不識先生、なにかこれに就いて
「さればさ、さればこの件だが」不識先生は、
「ええっ、天一坊ですかい」
「かの仁が家柄血統を調べるときの言動、仔細に考うるに天一坊じゃ、天は上にあり地は下にある、人間はその中間にあって、火風水木金土がこれを、······あれじゃ、そのなにしておる、じゃによって天一坊とてその自然の律動循環の理は動かせぬ、じゃが、あれは実は将軍家正統の御落胤であったという流説で」
「そんな
「さればさ、そこで家主吾助としてはじゃ、仮にもこの長屋にじゃな、天一坊めいた人間がいるかどうか、いるとすれば天地人、これはもうなんじゃ、吾助として繩屋どころの騒動ではない、かの山内伊賀之亮、赤川大膳、常楽院······などはいけない、かれらは獄門になった、じゃが獄門にならぬほうの山内や大膳になれるか知れぬ、そこじゃて、······常楽院でもいい、家主吾助としては
「そいつだ、まちげえなし」銀太がまるっこい膝頭を叩いた、「禿のよまいごととぴったり合う、そいつですよ先生」
列席の同志はみな頷き、声々に不識斎先生の卦を肯定した。
そこで銀太は早速のところ、対策の討議に移ることを提案し、どうしたら天一坊の憑き物をおとすことができるかに就いて、腹蔵なき意見を挑発したのである。各位は首を捻り、腕組みをし、貧乏ゆすりをし、
「うん、······そのことで考げえたもんだったが」そう重々しく云って銀太を見た、「あのう、それ、あれよ、······神田の柳原の
「
「うん、あいつだ、······あいつでやれねえかと、いま考げえたんだったんだが」
「だっておめえ、あのうす馬鹿をどうするんだ」
「うん、それなんだが、あれをだな、なんとかくふうして、天一坊みてえに仕立ててだ、そうして大家に押っ付けたらどうか」
「あのうす馬鹿の乞食をか」
「あのうす馬鹿の乞食をよ」金太は右足の拇指を静かに動かした、「あいつによ、うん、お墨付とか、短刀とか、まあそういった、······こいつはありきたりの物で、なんとかうまくまじなってよ、こんな物を持ったこんな人間がいたんだが、こう云って大家に押っ付ければ」
「うまい、その件は絶妙じゃ、それじゃ」
不識斎先生が、思わず前へ乗出したので、着物の膝が||地が
「それを実行すべしじゃ、家主吾助はひっかかる、
ここに対策会議は、一決したわけであった。
並びに御落胤危うくお漏らしのこと
この雨の日より僅か数日して、そこには蔭ながら
かねて妥協してあることだからして近隣の住人たちはがやがやと集合し、がやがやと山になって
これがかの、神田柳原堤の、うす馬鹿なる乞食だというものであろう。年は十九かそこそこ二十歳、銭湯へも入れ、髪結床へもいったらしい、当然、住人の共同出資と思われるが、へばったような着物に
顔だちは、これは比較的なはなしであるけれども、美醜に大別するとすれば、その中間ぐらいには査定できるものだろう。鼻が太く長いところ、眼尻が下って、ゆるみを帯びた唇でいつもにたにたそれとなく笑っているところなどは、もし識見のある人が見るとすれば、無欲
騒ぎを聞きつけて、家主吾助がやって来たことは云うまでもない。銀太はそこは多少の思慮があるので、
「大家さんは来ねえで下さい、これはあっしと金太で片づけますから、なんか知らねえ身分のある人らしいし、妙な書付だの短刀なんか持ってるんで、おまけに大名の若殿みてえに馬鹿なんで、とにかく大家さんに迷惑が掛るといけねえから」
「いやそんなことはない、店子のことで迷惑が掛るのは家主の義理だて、なにか、その、書付とか短刀など持っているって、それは本当のことか」
「すばらしく大事な物らしいんで、けどこいつはあっしと金太の責任だから」
「そうでない、いやそうでない」吾助はいきごみ、まず、そこに集まっている住人を追い払った、「さあさあみんな帰った帰った、おまえたちがいたってしょうがない、みんな帰って晩飯の支度でもするがいい、この戸は閉めるから」
吾助はがたぴしと雨戸を閉め、上へあがってむんずと坐った。実に興味
「その、なんだ、その書付と短刀というのをひとつ、まず儂が鑑定しようじゃないか」
「あっしは構わねえけれども、なんしろえてえの知れねえ一件だからな、なあ金太」
「うん、······あとで文句をくうと」
「いや決して」吾助はお稲荷様ぐらいに誓ってもいいらしかった、「決してそんなことはないて、理屈からいってもこういう事案は家主が引受けるべき理屈だ、決して文句などは云わないから、とにかくその二た品を見せて呉れ」
「じゃあ、······見せるか、金太」
「うん、まあ、しょうがねえだろうが」
銀太がしぶしぶ出したのは、古ぼけた油紙の包である。吾助が
「これはなかなか」吾助はそっと
そして遂に、その中から
「このこの、この、いや、こ、こ」
吾助は、がたがたと震えだした。
その金襴の袋というのが、実はぼろ市で買った古物の
吾助は恭敬の身ぶりで押頂いたのち、書付を取出して披見した。それには
記証文の事
其許 に契り候こと実証なり。可愛き可愛き其許を思えば、一日既に千秋。千里なお一里。粉骨砕身也。男子出生のみぎりにあるなれば、余が末孫に紛れなく候。後日のため垢付 きの家宝の短刀ひとふり、証拠のために遣わし候。右実証に候也。
佳年祥月吉日
佳年祥月吉日
よしちか印
かめ殿「これは本筋だ、本筋どころではないて」
吾助は克己心を呼び起こし、極力このところ沈着になろうと努めつつ、こんどは袋の中から、これまた謹厳に一礼して、短刀を出して見た。これも古ほうけた品だった。
第一に寸法が規格外れである。製作者が脇差にしようか短刀にしようかと迷ったあげく、どっちにする決心もつかず、さりとて中途で止めるわけにもいかないため、まあともかくもということで、そらを使って仕上げたといったものに相違ない。
「どこかで見たような紋だが」吾助は考え深げに小首を捻った、「なにかどこかで、井桁に、だんぶく、ああそうだ法華の寺にある紋だが」
こんな独り言を云いながら、
「ますます本格正統だ、これは古刀も古刀、よほど昔の、うむ、鎌倉期のものか、或いはもっと古いか知れないて」吾助は繩屋の眼力でこう睨んだものだろう、「いや恐れ入った、何百年となく研ぎに研いで研ぎあげ、幾戦場を往来した古つわものに違いない、かかる伝統ゆかしき品は拝見するが初めて、いや恐れ入った、正しく本筋でございましょうて」
吾助は禿から汗を吹き出させ、お短刀を鞘におさめると、坐り直して若者を見、それから銀太金太の説明を求めた。
「そこで聞くのだけれども、いったいこのお方を、どうしておまえたちが」
「それなんですよ」銀太が待兼ねていたように、「今日あっしと金太で客を浜町まで送っていったんで、こう降っちゃあやりきれねえ、
「橋のまん中、······両国橋の」
「側に橋番の爺がいましたよ、聞いてみると
「悠々と、へええ、生れが違うんだな」
「もう平気の平左でね、まるっきり大名の若殿みてえなんだそうでね、あっしと金太も見るとこの通りの御人品、こいつあお気の毒だ、なにか深いわけのあるお方だろうと思ったもんだから、ともかくもてんで橋銭を立替えましてね、聞くてえとまるっきり世間知らず、てんで下情てえものに通じていらっしゃらねえんで、······なんだ金太、おめえ笑ってるばあいじゃあねえだろう」
「む、むせ、
「そういうわけでまあ金太とも相談したところ、よしんばどんな深いわけがあるにしろ、こんな御身分の高いらしい方を、······おめえまた咽せるのか金太、······でまあ御身分の高い方をうろうろおさせ申しとくのは恐れ多い、なにはともあれ家へお供をしてということでね、それで実はお
「それはそれは、稼業に似合わず、よくそんなところへ気がついた、それでと」吾助はここで初めてその若者のほうへ向き直った、「そこでひとつ、儂はこの長屋の家主で吾助という者ですが、······お初におめにかかります」
「ああそうだろう、一文呉れるか」
「ちょちょ、えへん」
銀太はすばやく若者の尻をつねった。
「どうもね大家さん、このお方はときどき妙な冗談を
「いやおまえは黙っていなさい、総じて高貴のお生れの方は、お言葉が
「ああそうだろう、源左は馬鹿で間が抜けてるからな、いつも
「これはどうも、仰せのほどまことに、へっへ······、で、なんでござりますかな、その御出生の地などはいずれの方面でござりまするかな」
「ああそうだろう、よき、よきよき、よきに取り扱え」
「へへっ恐れ入り奉りまする、次に御生母様はいまだ御在世なりや、これまでいずれに御在住ありしや、そのへんのところお漏らし下さりょうなれば」
「漏らさなくちゃいけないのかい」
「ぜひひとつお漏らしのほどを、へい」
「あたいはね、漏らしたくないけどね」
「ちょちょ、ちょっと待った」銀太は吃驚して叫んだ、「てめえ、いいえ、おまえさん前を
「この人がね、ここで漏らせって云うから」
「へっへ······、いやこれはどうも」吾助は愛想よく笑ったろう、「見ろ銀太、な、お育ちは争えない、御冗談にもしろ畳の上へ悠々とお漏らしなさろうという、この一事だけでも貴いお血筋だということは、儂などにはもう、そこはこの眼識だて」
並びに臼「ごやくいん」の鼻に惚れること
「へええ面白えもんですな、なあ金太、いまのをおめえ聞いたか」
「うん、聞いたよ」金太は重い口である、「うん、それで、それで、そして思ったんだが、あの夜泣きうどんの爺さんなんぞは、寝たっきりで漏らしてるが、あれはよっぽどの生れかなあ」
「馬鹿野郎、あれは中気だ」吾助としては、
「そいつはいけねえ、それゃあ困るよ」
「なぜいけない、なにが不服だ」
「だってこんな素性も知れねえ者を、いいえそれゃあ御人品もこの通りだし、いやいや、いやしやかやいや、ええ畜生、そのい、や、し、からねえお生れのようにゃあ見えるが、もしまやかし者だとすれば、大家さんに迷惑が掛るし」
「いいえさ、店子の迷惑は、大家の心配するのが当然だよ、そこが大家と店子の」
「まあお聞きなせえ、まやかし者で大家さんが迷惑を引取って呉れるなあいいけれども、これがもしだね」銀太は一つ咳をする、「もしこれが本物だったとして、この短刀や証文が本物で、このお方がどっかの大名の若殿で、もしまあ出世をなさるとすればですよ、そんときあっしたちゃあまる損てことに、······ねえ、へへへへ大家さんの口真似じゃあねえが、そういう理屈じゃあありませんか」
「それを云うな、すぐそういう品のないことを云うから、
吾助はそう云いながら財布を出し、その中から
「一応のところこれは骨折り賃だ、こういう事は欲得ではないて、このお方が世に出たときは、それはまたお屋敷からそれ相当の、しかしそんな卑しい考えを持つようでは、到底この、出世は出来ないものだ、そういうことにして、ではこのお方は儂の家へお伴れ申すから」
取引を済ませて、吾助はかの証拠品を
銀太金太の両名が、どの範囲で笑ったか。これに就いては、

「ひーひーひー、助けて呉れ」
「う、それもそうだが」
金太は口も重いがまた思慮にも重々しいところがあった。
「大丈夫かな、あのうす馬鹿、いずれはぼろを出すだろうが、すぐ泥を吐くようなことはあるめえか」
「そこだけは大丈夫で、心配はねえ」
ようやく発作がおさまって、銀太は涙を拭きながらこう云った。
「おれがよくよくあいつに云い聞かした、どこかの
「うん、それはまあ、そうだ」
「それより大家の禿め、おっ、みろみろ、豆板が三枚、三分あるぜ、これゃあ驚きだ」
「うんなにしろ本筋の本格だからな」
「悠々たるお漏らしか、ひーひーひー、ああまただ、ひーひーひー、助けて呉れ、ひーひー、ものう云わねえで呉れ、ひーひー」
そうしてやがて、両名の者は、この吉報を伝えるべく、長屋同志の家を歴訪にでかけたのであった。
ここにおいて、繩屋一家はどうかというと、ごうつくと臼は初めせせら笑い良人であり父であるところの吾助が、まんまと専門的詐欺にかかったのだと断定した。
この自分の名さえ知らない若者は、高貴の生れであるために温雅沈着なのではなく、むしろ間抜けでありうす馬鹿であるに過ぎないと判定した。
これに対して当のうす馬鹿であり、神田柳原堤の乞食であったところの、この若者は、眼尻をだらりと下げ、機嫌よくにたにた笑いながら頷いた。
「ああそうだよ、みんなねえ、そう云うよ、あたいのことをね、うす馬鹿だって、みんなそう云うけどねえ、あたいはそんなねえ、うす馬鹿じゃありゃしない、これでもねえ、あたいは、ごや、······ごやく、ごやくいんなんだってよ、もの凄いような、本当だよ、ごやく、ごや、ごやくいんだかやねえ、よきに取り扱え」
「それみろ、聞いたかいまのお言葉を」吾助は荘重な眼つきをした、「御落胤をごやくいんと仰しゃる、この下情に通じていらっしゃらぬところが、おまえたちにはわからねえのは情けない、実に涙がこぼれる、御自分からうす馬鹿ではないと仰しゃる御胸中、あッあ、おいたわしいと、おまえたちが思わないということは、女はさてさて浅墓なものなるかな」
「浅はねえ、ああ、浅はあたい知ってるよ」若者はにたにた笑い、貧乏ゆすりをする、「あいつはうす馬鹿だぜ、本当だよ、あいつねえ、あたいの貰いをねえ、取っちゃうんだ、けれどもあたいは、いまに、いまに、······あたいはいまに、おだ、おだいもくになるんだってよ、そ云ったよ、本当だよ、本当にあの人がそ云ったぜ」
「おだいもくと仰しゃるのはお大名ということだ、いいか」吾助は震えだした、「御自分の口から、この儂を御信頼あればこそ、秘中の秘をお漏らし、いや、いやお漏らしではない、お漏らしは後架でして頂く」
「ばかばかしい気でも違ったのかい」
ごうつくは厚い唇を反らせ、鼻の孔を上へ向けた。
「御信仰だかなんだか知らないが、どうせ拾って来るなら繩の切っ端でも拾って来るがいい、繩はおまんまを食わないからね、ふん、家へ置くなら食い
「でもこの人の鼻、立派だわねえ」
臼であり色けちであるところのおわきは、真正面からこのお方の顔を眺め、特にその偉大なるところの逞しき鼻に、
「鼻の大きい男は、なにかも大きいって云うじゃないの、それに、馬鹿のなんとかって、······いいわ
ふしぎなことであるが、おわきは家庭に
「そそ、それは儂の実はかねて思うところだ、それは頼む、そこのところは万難を排してひとつ、······まかり間違えばお部屋さま、とすれば儂とおたきは御幼君の、······なんに当るか、それは若君が御出産の上だけれども」
「親と娘で
「いいわよ、いいことよ阿母さん」
おわきはおわきでますます女めかすのであった。
「この人のことで阿母さんに迷惑は掛けなくってよ、······ねえおまえさん、さあ、あたしと一緒にいらっしゃいな、あたしのお部屋へいきましょう、ねえ、一緒にあっちへいきましょうよ」
「うへっ、鼻がでかいからどこかもって、いい気なものさ、そんなになにがなんなら
ごうつくは、このように
周知の如く武鑑とは現代の紳士録の先駆的出版物であって、徳川一門から譜代外様の大名諸侯残らずその家の紋どころ、槍飾り
吾助はこれらを手当り次第にめくり返し、首を捻っては壁や天床を眺め、ときには店の客とも応接し、またしては丹念にめくり返しするのであった。
「人間の一心何事か成らざるべけんや、草の根を刈り石を除けるの故事ありという」こう独語を漏らすこともあった、「五風十雨、七転び八起き、
そして或る夜、吾助は片手に武鑑の一冊を持ち、坐ったままで三尺程度は跳上って、あ、あ、こ、こ、という風な声を発した。
彼は遂に発見したのである。井桁に橘の紋を。それは摂津国十二万四千石の領主、松平伊賀守の紋どころ||替紋ではあったが||であり然もその分家の式部なる人の
吾助はまず勝手へいって水を飲み、それから戦術を立てるがために、改めて坐り直した。
並びに御落胤「臼」に大搾られのこと
仰天したのを、銀太と金太の両名に限定するわけにはいかない。長屋同志の面々も仰天した、寧ろ長屋全体が仰天したと云っても、
それだけなら驚くには当らない、その二三のうちの一人に猛烈なる
||
などと
||あ、口惜しいこの助平野郎、おらあもう生きちゃあいねえ、大川へ身を投げて死んで呉れる、おっ死んで九代
この······なる言語は伝わっておらぬが、彼女はそのまま邸を脱走し、
||彼女は今頃はどこにどうしていられるやら、生れた子は男か女か、ああ世は
右の如く常々長々長大息を漏らされありということであった。すなわち、係り家来としては書付も短刀も精密検査に及ばず、ただ「御落胤出現」なる一事を以て
「御身分に就いては、厳に秘密を守るべし、追って手順を考案し、正当なる方式を以て御当家へお迎え申すべければ、最も
こう厳命を下し、なお且つ金十枚を下げ渡されたという実情である。吾助の驚喜に就いては、これも演者として講演は不必要だと思う。
ごうつくはなお疑いを解かなかったが、金十枚に対しては信頼してもいいらしかった。臼は、彼女個人はどうであったかという、······これは誇張すると思われては困るわけだが、その当日から髪を武家風に結い、武家風の着物に武家風の帯を締め、武家風化粧をし言語動作もそれらしく振舞うに到った。実例を挙げるならば、店賃を取りに行くばあい、彼女の帯には矢立のほかに懐剣が差してあるのである。そうして店子に向っては、上方から見下す必要上、背丈が低いために、やむなく半身を後方へ反らせ、眼の玉のみ下方へ向けて、
「これこれ紙屑屋宇平、店賃をありていに出しましょうぞ、早うこれへ、早う早う」
または路地内で住人にゆき会うばあい、彼女は大抵の人間が吃驚するほど反り返る、信じられない程度まで反って、そうして寛容に微笑しながら、頭部でこくりと
「おお、にちにち大儀じゃのう」
長屋住人たちとしては、狂気の沙汰と誤解した。色けちの「色」なるものが、頭を冒したと思ったもので、幾らかは痛快がったとしても、これは暗愚な俗人共のことであるから、やむを得ないと思う。
が、或る日、吾助から長屋代表の寄合を求められ、過般の厳秘なるところの実態を打明けられたとき初めてかれらは仰天したわけである。
吾助が長屋代表に寄合を求め、かかる重大秘密を自ら
「そこで云うのだけれども、そういう尊い御身分の方であられる以上、なにはともあれ御殿を建ててお住い頂かねば相成らぬ、ましてすでに娘おわきにお手が付いたる今日、いやこれは私事であるが、······で、それに就いて、六軒長屋のうち三十二軒のところ取払いそこを御用地として御殿新築の計画を進めておるわけあいだからして、······これは云うまでもなく尊貴なる方よりの御内命と心得て貰わねばならないが、だからして無理な通告はしないもので、期限を六十日と切るわけである、六十日」
吾助は、さすがに威厳のある目つきで、ぐるっと長屋代表の顔を眺めまわした。
「今日より六十日の期限に、該当地上の長屋を取払う件、固く契約されます可く、
長屋住人の全部が、いかに仰天したか、これですべてが分明であると思う。が、銀太と金太の両名の者は、仰天だけでは済まなかった。
「だってあいつはうす馬鹿で、柳原堤の乞食なんだから、現に乞食をしていたやつをおれたちが引張って来たんだから、なあ金太」
「うん、······
「それが十二万四千石松平伊賀様の御落胤だって、そんな
「うん、······いまにきっと、そんなこったろう、そうでねえにしたって、まあ、そんなこったろう」
然し次の月になると、吾助はまた羽折袴で伊賀守邸へ出頭し、御手当として金三十枚を下げ渡されて来た。御親子対面までは、月々金三十枚ずつ扶持されるというのである。······吾助は此の度も長屋代表を呼び集め、その旨を告げて、六十日期限の取払いを確認させた。事ここに及んでは、最早、銀太としても蔭口をきく勇気はなかった。また長屋の住人共は今は両名を多少は恨んだ、中には浮薄な人間もあったろう、二人に会うと妙な笑い方をして、
「銀太さん金太さん、いい者をみつけて来て呉れたね、お蔭でおれたちも結構なことになった、有難うよ」
などという嬉しがらせめいたことを云うのである。両名の者は大くさりと云いたい。
「世の中は逆さまだってえことを云うが、こんなばかな事があるだろうか」銀太はべそをかいて云った、「本物の天一坊は偽物で、偽物の天一坊が本物だってよ、······なんだかいやアなこころもちになって来た、ことによるとおいらなんぞも洗ってみれゃあ五十万石かなんぞの諸大名の御落胤かもしれねえ、そうじゃねえか金太」
「うん、······その心配はある、それは気をつけなくちゃいけねえ、かもしれねえ」
「こいつあとんだ事になった、おらあ寝そびれて風邪をひっこみそうだ」
だがそれにしても、この期間中かのうす馬鹿なる御落胤は、どうしていたか。彼もまた、蓋をあけたところは、べそをかいていた。彼はあれ以来はずっと繩屋の一室に
その点うす馬鹿は無限的能力を持つと俗人は云うのであるが、それは単に世におもねるの説であって、組織学上から検討してみても、五官五能の満足ならざる人躰が、その一件にのみ絶大なる精力を持つという学理は成立しないのである。
演者としては、ごまかしはきかない。現に、御落胤は
「あたいは、お貰いをしてえるほうがよかった、柳原の土堤は、あたいを、こんなに、押っぺさなかった、土堤にいたときは、こんなに
こんな独り言を云うときもある。もしかかるときおわきが側にいると、彼女は色を
「さような
おひひひというのは笑い声であるがそのときは、彼女は必ずなんらかの行動に出る。その行動に就いては講演はできないけれども、御落胤はとかく異な声をあげ、時にじたばたすることなどある点だけは、触れて置いてもよいと思う。
「あのねえ、あの、あのね、あたいは、ううふふふふ、くちュぐるのやアだよ、あっ、うっ、あのあの、······たアんま」どたばたと音がするわけだろう、「あたいたアんま、あっ、ねえったや、おばちゃんッ、もうごめ、もうごめんだよ」
「これはしたり若殿様、そのようにおうろたえ遊ばすと、姫ごぜのあられもないと世上の物やらいになりやすぞえこれまあちょっと、お静かに、あれ、え、この脳天気め、じたばたするとうぬ、こうするぞ、抜け作野郎」
「ごめんだよ、ごめんだよう、きゅッ」
さて演者は、講演を急ぐことにしようと思う。
並びに事件落着大喜利のこと
事件発祥より第三月めに入ったとき、吾助の督促は、漸次に現実性を露呈して来た。御殿新築のための用材は、今や長屋脇の空地に山を作り、指定地域の長屋住人に対しては、連日の如く期限切迫の警告を鳴らし、仮にも延期の許さる可からざる旨を反復厳達した。
「もういけねえ、俺あ引越しの支度にかかるよ、此処も長え馴染だったがなあ」
「お互えになあ」
こんな会話を聞くたびに、銀太金太は身の縮む思いだったろう。
「自分は松平伊賀守家の者であるが、繩屋吾助と申すは其の方であるか」
その武士は、まずこう発言した。年の頃は三十四五歳であるか、眉の太い眼の鋭い、きっぱりとした顔だちで、姿勢のところも
武士は、瞬間的にではあるけれども、恟っとしたのらしい。
ありていに云えば武士はたじたじと半歩ほど後ろへ身を引いた。が、そこはさすが修練のある者だったろう、ぐっと踏止まってさも
「へへっ、これなるは娘おわき」こう吾助は申上げた、「即ち佐野源左衛門家の正統なる一女にて若殿、いや御落胤様のお側近くお仕え奉り、そこは親の口よりは言上しがたい処まで、と申しまするところは」
「おひひひひひ」おわきは
かかるあいだに既に多くの長屋住人たちが、表のあちらこちらに立って、恐怖と好奇の眼を輝かしながら、この有様をば観望しておった。
「其の方が繩屋吾助であるな」武士はこう念を押した、「間違いなく吾助だと申すのだな」
「そこはもう決して間違いはござりません」
「左様なれば申し聞けるが、先頃より其の方、伊賀守様上屋敷にまかり出で、御落胤云々の虚構を申し立てたる
「これは異なることを仰せられまする、御落胤様の儀は御邸お役人も既にお認めに相成り、金子なるものは、これはお世話を申すためのお手当てと致しまして前後三回にわたり七十両、あなた様より御下賜に相成ったものにござります」
「黙れ黙れ、御落胤などといううろんな者がある道理はないぞ」
「それはおめがね違い」おわきが脇から云った、「現にお書付とお短刀の証拠もあり、現に御落胤様には唯今おひひひひ、よくお疲れ遊ばして、おひひひひひお寝間でおより遊ばされましょうぞえなあ」
「その者をこれへ出せ、問答には及ばぬ、その
おわきは、つんとしたものだろう。この野郎腰を抜かすな、などと思った容子で、立って奥へはいって、そうして御落胤を伴れて出て来た。御落胤はすっかり眼をくぼませ、ふらふらと、骨の抜けたような歩き方で出て来て、くにゃくにゃとそこへ坐ったのである。
「これがその曲者だな」武士はこう云って、御落胤の全貌を眺め、ぐっと凄いような声で
「||へ、へ、へ······」
「若殿様には早う、早う御上意遊ばされましょうぞえなあ」
「黙れ女、控えおろうぞ」武士は
「あ、あた、あたい、ごやくいん······」
「はっきりと申せ、なに者で名はなんというか、紛らわしきことを申すと、おのれ、容赦はせぬぞ」
「あたあたあた、あたあた」御落胤はまっ蒼になり、震え上って手を合わせた、「あ、あたいは、なんにも知やないんだよ、ごめんだよ、たたた、たんまだよ、や、や、やなやな」
「口も満足にきけぬのか、この馬鹿者」
「そだそだ、そ、みんなねエ、そう云うんだよ、馬鹿め、うす馬鹿めってよ、ほんとだよ、柳原じゃみんな、知ってゆよ、あたいお貰いをしてたかやね、嘘つかないよ」
「なんと、······なんと」武士は眼を
「乞食じゃないよ、おも、おも、お貰いだよ」
「その辺まことに御
「黙れ吾助、控えおらぬか、これ馬鹿者、それでは其の方、柳原に
「乞食やないって云うのにさ」うす馬鹿としては、侮辱に耐えられないのらしい、「乞食はね、源公だの房州だの太市のことだ、ほんとだよ、あたいはお貰いなんだかや、ほんとだよ、みんな知ってゆよ、阿母さんは土堤のおかんてってさ、そいつだって乞食じゃなかったんだかやね、やっぱいお貰いでしかやね、ほんとでしかや、みんな知ってゆんだかや、あたいは土堤のうす馬鹿でしかやね」
「
うす馬鹿は、べそをかいた。それから涙を、ぽろぽろと豆をこぼすようにこぼした。
「帰やして呉んないの、この人が、あたい柳原のほうがいいんだけど、土堤はねあたいを押っぺさないし、土堤は舐めたり
「今すぐ帰りたいか」
「帰いたい」うす馬鹿は片手で涙を拭きながら、躯を揺さぶった、「帰いたい、柳原へ帰いたい、すぐ帰いたいのよ、うえーん、うえーん」
「よし帰れ、許すからすぐに帰ってゆけ」
「えっ、かか、えっ、······ほんと帰っていいの、ほんと帰って、嘘つかない」
「ちょちょちょっとお待ちを願います」
「吾助には構わぬ、早く帰れ」
武士がそう云ったとき、うす馬鹿は既にそこから姿を掻消していた。既にそのときは店の前は、長屋住人たちが人垣を作っていたのであるが、うす馬鹿は店からとび出して、その人垣を抜けて脱走した筈であるけれども、誰一人としてそれを確認することができなかった||ということは、うす馬鹿としていかに命が惜しかったかということの証拠だと思う。
「あな、貴方様はどうしてこんな、こ、こんななされ方は、た、唯では相済みませんぞ、わた、私にはお書付もあり、お短刀もありますぞ、私はただちに御邸へ」
「おお、邸へまいれ」武士は多少は
「はあ、······そ、······はあ······」
「自分が見るところ、其の方にも悪意はないようじゃ、欲に眼の
「はあ······、はあ······」
「但し金子七十両は十日を限り、其の方自身にて御邸へ持参するよう、十日期限七十両、万一にも相違あるときは、始終の事ただちに奉行所へ達するであろう、申し付けたぞ」
「あのもし、ちょいとお待ち下さい」おわきは、
「||どうするとは、なんの事だ」
「あたしは唯のからだじゃありません、貴方だから云いますんだけど、あたしのお腹にはもう御落胤様の御落胤が入ってるんです、この片をつけずにいっちまうなんて、それじゃお侍様の責任は持てないじゃありませんか、帰るならあたしのこのお腹のきまりをつけていってお呉れなさいませ」
「よしよしいい事を教えてやる」武士は寛容に冷笑して云った、「その腹の始末がしたかったら雑作ない、いいか、今すぐにな、柳原へゆけ」
そうして供をば従えて、武士は悠々と去っていったのである。それと同時に人垣を作っていた長屋住人共はどっと
「腹の始末は柳原へゆきゃれ」
などと下劣なる
「この禿頭のろくでなしのすっとこどっこいの兵六玉め」とこれはごうつく、「今日までのあの馬鹿の食い扶持を返せ、うぬのような底抜けのど阿呆のおっちょこちょいにゃ、あいそがつきた、出てゆけえ」
「なにが御落胤だよう、こん畜生」と、これは色けち、「あんな乞食のうす馬鹿を押っ付けやがって、ええ口惜しい、こう、こう、こう、この頓間のへちゃむくれの人でなしめ、おれの腹をどうする気だ、こん畜生、なにが佐野の正統家だ、偽の系図なんぞ書かしやがって、ええ畜生、なにがお書付のお短刀だ、さあ野郎、こうなれゃあ、唯あ置かねえからそう思え」
「長屋の皆さん、ひー」これは吾助、「ひー、どうかお助けを、ひー、あ、どうぞ皆さん、お助け、お助けを、ひー、人殺し」
講演を終るに当って、
この騒ぎを聞いて、銀太と金太は逸早く行方を
長屋天一坊なる一大事件の終結は以上の如くであって、特にこれ以上、演者としてはなにも付加えたくないと思う。さらば。