江戸の
用もないのにいろいろな人が話しかける。役部屋にいると
「あれだあれだ、あれだよ、
などと
「あれかい、へえ、そうかい、あんな男が」
などというのが聞えるのである。
また彼は勘調所出仕であるが、それとはまったく関係のない役所の、奉行とか、元締とか、頭取などという人たちによく呼ばれた。べっして用事があるわけではない、見るような見ないような、さりげない妙な眼つきでこちらを眺めまわし、
「
まるで愚にもつかないような質問をして、それからなにやら一家言めいたことを述べて、ではまた、などというのが終りであった。
勘調所は老職総務部に属し、政治の監査と、藩主の
「はあ、どれそれを、······はあ、なんですか」こんなぐあいにきき返す、なんどもきき返し、お互い同志で眼を見交わし、首を
「ああそうですか、そういうことですか、それでわかりました」
そしてなあんだという顔をするのであった。
総務部では五日に一回ずつ重臣の寄合がある、これは定例の茶話会のようなもので、年度
重臣たちの多くは、四十から六十くらいの
「おまえのことは知っておる、うん、又四郎か、なかなか人物だということだが、慢心はいかんぞ、人間万事慢心はよくない、だがまあ、なんだ、うん、遊びにまいれ」
「ひとつ精を出すんじゃな、はっはっは、国許と江戸とは違うて、江戸というものは、そこは一概にはいえないけれども、これを要するに国許とは格別なもんじゃ、論より証拠、江戸は天下のお
そしてしまいには遊びにまいれという。中島仲左衛門、
以上は勤め関係のほうであるが、これは時期が経つにしたがってこちらも慣れ、先方の好奇心も減退していった。しかし寄宿先では、べつに、それ以上に困惑すべき相手があって、又四郎の立場としては相当程度にねをあげざるを得なかった。······というのが、彼にはまだ住宅がないので、
五正家には定次郎という男子と、みつ枝という十六になる娘がいた。定次郎は学問好きで、顔が合うと挨拶するくらいだし、作左衛門はこれはもう勘定一方の、家人と話をする暇もないという人で、どちらも彼とは殆んど関係がなかった。······しかし主婦の
「わたくし貴方のことをよく存じあげていますわ、いろいろなことを、これで貴方がうちへいらっしゃると聞いてとびあがってよろこびましたの、むか······いいえ、秋成又四郎さまがいらっしゃる、まあうれしいって、本当にとびあがってよろこびましたのよ」
そもそもからそんな調子であった。
みつ枝は背丈は高くない、五尺そこそこであろう。だがそれほど小さくはみえない。腰まわりが恰好よく発達している割に、手足のさきが緊って小さく、頭部も小さく、その頭部にある眼鼻だちがまた中央に寄っている。悪口を云えばちんくしゃ的であるが、褒めて云えば
「ちょっとお立ちになって、ちょっと、なにも致しはしませんから、ねえ、お立ちになってよ」彼を立たせて、自分が脇へぴったりと身を
要するに背較べで、又四郎としてはくさらざるを得ない。背較べだけではない、足と足を押しつけて較べたり、手の平と手の平を合わせて較べたりする。これを幾たびとなく繰り返して、そのたびに眼をくるくるさせて「まあ驚いた」と云って顔をきらきらさせるのであった。
||いったい江戸では子女の教育方針について、どのような基準があるのであろうか。
又四郎はしばしばこう思ったくらいである。
「わたくし千本松のお話知っていますわ」或る夕餉のとき、給仕をしながらみつ枝がこう云って、肩を
「なにか怒ることがあっても貴方はそのときはがまんなさるのですってね、ずいぶんがまんして、そうして相手が忘れたころになって、がまんが切れて、それからお怒りにいらっしゃるのですってね、わたくしちゃんと聞いてますわ」
「||いや、そうではないのです、そのときはべつに、怒りにゆくわけではないのです」
「あらあ、わたくし聞きましたわよ」
「誤伝です、そうではないのですよ」
「では、ではそのとき」みつ枝は大いに興味を
「||そこは、それは、簡単には云えません、しかし······茶を下さい」
又四郎は辛うじて
「ほほ、ごめんあそあせ、貴方には
「||うう、私は、それは······」
「もしかしたらそれは百足とげじげじをお間違えにでもなったんですか」
このときは彼は娘の顔を見た。
「あなたは、その、たいへん、······いろいろなことをご存じのようですが、いったい、そのどこから、······うう、どうしてそんなことを知っておいでになるのですか」
「あらもちろん赤井さまからうかがったんですわ、石谷さまや
又四郎としては挨拶の言葉に窮した。赤井喜兵衛、石谷堅之助、双木文造、三人ともいちおう親友である。かれらは三年まえに江戸詰になり、又四郎といれちがいに国許へ帰ってきた。かれらは又四郎のことをよく知っている、かれらが三人で話したとすれば、······なかんずく赤井喜兵衛は話を面白くする点で達人ともいうべき才をもっているから、これはもはやじたばたしてもしようがない。
||そうか、うう、赤井のやつが、······それでわかった、うう、よくわかった。
彼は納得をして、
「百足ちがいというのはですね、それは誤伝です、要約すると、私に関する話は、うう、概してそういうふうに誤って伝えられているようで、多少はこれは迷惑なんで」
「あらあ間違いですの、あらいやだ、間違いでしたの、まあいやだ」みつ枝は愛らしく眼をくるくるさせる、「||では百足ちがいのどこが違いますの、本当はなにちがいなんですの」
「||うう、それはですね、百足ではない、······百足、······それは多分その、字、手紙かなにかで間違えたと思うんですが、百足ではなく、ひゃくあしちがいというわけです」
「あらいやだ、どうしましょう、ほほほ、すると駆けっこでもなすったんですのね」
「||いやそうではないのです、駆けっこではない、うう、しかしこれは、また、いつか話します」
又四郎は手の甲で額の汗を拭いた。
いつか話す。彼の本心としては逃げを打ったのであるが、そんなことではぐらかされる相手ではなかった。膝詰めである、うっかりすれば
彼の父は秋成又左衛門といって、身分は寄合、
||これではいかん、絶対にいかん。
又左衛門は又四郎が生れたときに、その赤児の寝顔を眺めながら考えた。
||
気のながい、
和尚はそのとき六十七くらいで、信じられないくらい肥満し、いつも酒の匂いをぷんぷんさせていた。若いころ支那へ渡り、
「人間は死ぬまでは生きるだよ、なんにも心配するこたあねえだよ」
そうして酒臭いげっぷをするだけである。また不幸があって招かれても決してゆかない。
「死んじめえばそれでおしめえだよ、おらがいってもしょあんめえ、じゃあ、まあお
お勤めなんぞはしたためしがないし、法要があっても自分ではお経を読まない。
「お経はむずかしくってねえよ、そのうちに読みかたあ習うべえさ」
こう云うのが常のことで、さすがに本場修業だけのことはあると、檀家の人々は舌を巻いて、信仰ますます
「せくこたあねえだよ、せくこたあ、······どたばたしたってよ、春が来ねえばさ、花あ咲かねえちゅうこんだ、おちつくだよ」
それから哲学を述べた。
「世の中あすべて参だてば」
肱枕をしてこう云うのである。
「||天地人で参よ、火と水と空気、この参が集まって出来たが参千世界だあ、飯を食うにゃあ
人生すべて「参」という説、これを又四郎は

「この世にゃあへえ、男が本気になって怒るようなこたあ、から一つもねえだよ、怒ると腎の臓が
合の手に
「どんなことがあってもへえ怒るじゃあねえ、仮に誰かがおめえをぶっくらわすとすべえ、なんにもしねえによ、いきなりぶっくらわされるだあ、そんなときでも怒っちゃあなんねえ、家へ
なにごとにもがまん、せくな騒ぐな、じたばたするなという。三日、三十日、三月、三年。ここでもまた「参」つなぎの処世訓を骨の髄まで
雪海和尚の養育法による効果であるか、それとも又四郎自身にそういう素質があったものか、やがて彼には「
彼は十二歳のとき赤井喜兵衛に鼻を
「おまえどうしておれの鼻を捻ったのかね」
「||おまえの鼻を、おれが······」喜兵衛は眼をまるくした、「||いったいそれはなんのことだ」
「なんのことかわからないから来たんだ」
又四郎はむろんまじめである。喜兵衛は彼の云い分を聞いた、そしてそれが今から三年まえの、みんなで竹馬遊びをしていたときのことだと説明されてびっくりし、今日までがまんしたが、どうしても堪忍できない気持なので、やむなくその意趣のほどを知りたくて来た、と聞いてもういちどびっくりした。喜兵衛は唸った、······鼻を捻ったことはよくは覚えていなかったが、今でも又四郎のにえきらない態度には
「おれには意趣もなにもない、そんな記憶もない、だがたぶんおまえの鼻を捻ったことは本当だろう、勘弁して呉れ、おれはお先走りの軽薄者だった、これからは気をつける、そしておまえの友として恥ずかしくない人間になってみせる」
双木文造や石谷堅之助とも、ほぼ同様なゆくたてがあった。そうして赤井をいれてこの三人と、親友の
「明日の朝五時、亀島の千本松へ集まれ」
又四郎はこういう伝達を受けた。理由も経過も概略わかっていたが、彼はとりあえず熟慮にとりかかった。当時すでに父は亡くなり、母一人子一人であったが、もちろんそのためにどうこうというのではない、雪海和尚の教訓を実践したわけで、しかし事が事であるから他のばあいほど時間にゆとりがなく、三月めになって断行の決心をした。そこで入念に身支度をしたうえ赤井喜兵衛のところへでかけてゆくと、喜兵衛はよろこんで、
「よう
などと
「うん決心がついた、おれもやるよ||」
「||おれもやるって······なにを」
「なにをって、······むろん千本松の件さ、馬廻りのれんちゅうと例のことをやる件さ、おまえ知らないのか」
「||ええと、まあ掛けないか」
喜兵衛はこう云って自分から縁側へ腰を掛けた。
又四郎は聞いた。例の集団決闘は三月まえに済んでいた。両方に三四人ずつ負傷者が出たところを、両方の支配役が馬で駆けつけて中止を命じ、両方とも主謀者は五十日、他の者は三十日の謹慎という罰をくった。喜兵衛は主謀者の一人なので、このほどようやく謹慎が解けたところだ、ということであった。
そのとき又四郎がどんなに当惑したか、それは彼自身よりほかに知ることはできない。喜兵衛の話を聞き終ると、彼はやや暫くなにか考えていた。
「||すると、あれだね、······うう、つまりもう、みんな済んだわけだね」
「まあ済んだわけだね」
「||すると、つまり、もうその、千本松へゆく必要は、うう、ないわけだ」
「まあそうだろうね」
又四郎はそろそろと縁側から腰をあげた。だがそのまま帰るのもぐあいが悪い、喜兵衛は気まずく思っているかも知れない。そこで眺めまわすと、「赤井の
「あの柚子は、採るときには、
だが喜兵衛はもうそこにいなかった。又四郎は暫く待ってみたのち、漠然と別れの身振りをして赤井家を辞した。そうして門外へ出ると、そこでつくづく嘆じたのであった。
「||みんないそがしいことだなあ」
又四郎が身の上ばなしをここまで進めるのに、約一年の時日を要した。むろんこの
「わたくし貴方のこういうお話だあい好き、胸のここのところが熱くなってきますわ、それからどうなさいましたの」
「||おどろいたわけです」手の甲で額を拭きながら彼は云った、「||なにしろですね、私が熟考しているあいだに、かれらはというと、すでに団体的決闘をやり、支配役に差止められ、処罰され、主謀者は五十日の謹慎を命ぜられ、その謹慎も終っていた、······こういうわけでしょう、これだけのことがですね、私の熟慮しているあいだに経過し、完了していた、要するに、私としてはおどろいたわけです」
「わたくし赤井さまたちのほうがもっとお驚きになったと思いますわ、きっとそういうところから百足ちがいなどということが出たんですのね」
「||つまり、かれらとしても、そのくらいのことを云わなければです、うう、そこはやっぱり、肚がおさまらなかったでしょうなあ」
同じような例はいくらでもある。しかしそれを紹介する暇はない。彼は悠々と成長していった。「参」つなぎの処世法は
||みんなはおれを忘れているのかもしれない。
又四郎はこう思った。母もそこが心配だったとみえ、もっと親類や権威筋へ顔出しするようにといった。彼は母の忠言を尤もであると
「あらちょっと、ちょっとお待ちになって」
この話のときにはみつ枝はやや色をなした。それは一般に若い妻が
「そのまちかねえという方、なんですの、女の方なのでしょ、どんな方、もちろん若い方でしょ、おきれいにちがいありませんわね、御親類とか
「それはです、まちかねえではないのです、正確には松家おかねというのですが、この人については、うう、また次に話すとしましょう」
ともかく、各方面へ顔を出してみた結果、人々が彼を忘れているのではなく、彼が「百足ちがい」であるために、誰も責任を負って推薦する勇気がない、ということがわかった。
||彼はまにあわない、用が足りない。
こういう定評があり、しかも現に幾多の実績を持っている。というのは、つづめていえば「参」つなぎの処世法によるのであって、ここにおいて又四郎としては或る程度の
「あれほどおらが
「||ではその、そういうことでしたら、従前どおりやっていって、いいのでございますか」
「おらが証人、それでいいだともさ」それから和尚はこっちを見て、こっちの顔を珍しそうに眺めて、そうしていった、「まあなんだ、三十まじゃあがまんするだね、嫁っ子を貰うも、出世をするもよ、······おめえの顔にそう出てえるだ、これあへえ
身の上ばなしがあらまし終ったのは二年めに近いころであった。
「初めからもういちどお聞かせになってよ」
みつ枝はそうせがんだ。彼女はまえにも、赤井や石谷や双木たちに、又四郎の話を各自に五遍ずつ話させたという。これは母の胎内からもって生れた性癖らしい、······一種の不可抗力なので、又四郎もやむなく補足的にもういちど身の上を話した。
彼はこんどはまえのときより時間をかけた。それは松家おかねの件にかかるまえに、江戸勤番を終るようにしたかったからである。······役目のほうは依然として可もなく不可もなく、平々凡々たるものであった。下僚の者たちは意地悪をしないが、それはする
「わたくし貴方のことをすっかり知りたいんですの、なにもかも、これっぽっちの事も残らず、ありったけ知りたいんですの」こういうかと思うと、また
こういう表現はどちらかというと穏やかでない。又四郎としてはできるだけ無邪気な角度でうけいれることに努めているのだが、それでもかなりたじたじとならざるを得なかった。
||だがもう暫くの幸抱。
彼はこう自制した。勤番の期限はもうすぐに切れる、もう少しの辛抱。それまでは事を荒立てる必要はない、相手もまだわけのわからぬ娘のことであるから、······こう思っていたのであるが、驚いたことには、二十九歳になる藩主の側へあげられ、御用係心得を命ぜられた。これは妙な人事であった。その藩の職制によれば、勘調所出仕は奉行役方面へ進む筈で、御用係はまったく系統外れである。······彼としてはかなりな失望であった、もしかすると人ちがいではないかと思い、辞令の出たとき当該老職にきいてみた。
「うん、わしもその点ちょっと気になるのだが」梅永千助老も
甚だ心ぼそい挨拶で、梅永老職にすればそんなことはどっちでもいいじゃないかというわけらしい。
||これは驚いた、せっかく勘調所の司書までこぎつけたのに、また新規
又四郎はここでもういちど雪海和尚を
「||ことによるとあれは、単におせっかいな坊主だったのかしれない」
ところが唯一人、五正家のみつ枝嬢だけは意見が違っていた。彼女は歓びの余り
「いよいよ御出世の時がまいりましたわね、御用係といえば殿さまのお側勤めでしょ、きっとすぐお眼にとまって、大事な役を仰付けられるにきまっていますわ」
「あなたはなにもご存じないのです」彼はこういいかけた、しかし弁解してもむだだと思い、
「あらどうしてですの」
「||どうしてって、······だってこの秋で、勤番の期限が、私は切れるんですから」
「あら、そうすればそれで、お帰りになるんですの」
「||だって、それは、······どうしてですか」
「どうしてって、なにがどうしてですの」
みつ枝は頬を赤くし、愛らしい眼をいっぱいにみひらいて、真正面からしんけんにこちらを見まもった。又四郎は窮した。この種の含みのある言葉のやりとりは、彼には元来がにがてである、それでさりげなく話題を変えようとしたが、女性の敏感でいち早くみつ枝はその先手を打った。
「だってもし貴方が予定どおり帰国なさるおつもりなのでしたら、もうあの話を父か母にして下さっていなければならない筈ですわ」
「あの話、······っていうと、つまり、それは」
「もちろんあの話ですわよ、いやですわ、ご存じのくせに」
こういってみつ枝嬢はもう何割かしら頬を赤くした。又四郎は彼女のほのめかすものがなんであるか、
「||間違ったら、その、お赦しを願いたいのですが、そのう、ですねえ、今の、······そのお話というのは、つまるところ、縁談のような······」
「ようなではなく縁談ですわ」みつ枝嬢は言下にはっきりと答えた、「||父は存じませんけれど、母はもうずっとまえからお待ちしています、わたくしからおよそのことはいってあるのですから、もう一年もまえでしょうかしら」
「ちょっとお待ち下さい、どうかちょっと」又四郎は
「まあっ、······まあっ」みつ枝はその眼をくるっとまわしたが、それはいつものように愛らしくはみえなかった、「お約束なすったって、貴方がですか、お国許で、······まあ驚いた、わたくし初めてうかがいますわ」
「ええ、私も話すのはこれが初めてです」
「だってまさか貴方が、まさか」みつ枝は坐りなおした、「||いいえ、ではうかがいますわ、そのお約束なすったというのはどういう方ですの、お名前はなんと仰しゃいますの」
「どういう人かということは、ちょっと説明に困るんですが、簡単にいえば、老職の娘でして、名は松家おかねというのです」
「まあどうしましょう、まあ、······まちかねさまとかなんとかって、あんな方とですの」
「あなたはご存じなのですか、あの人を」
「知っていたら
「||うう、それはです、約束したのはですね、それは今から、······まる七年まえ」
「まあっ、まる七年もですって」
「私が二十二、その人が、そうです、······私より一つ上で、二十三のときでした」
「そうするとその方、今はちょうど······」
みつ枝嬢の顔がいいようのない柔らかさを帯び、その眼は再び愛らしい色に包まれた。そうしてこんどは温雅な、おちついた表情で、
彼はまえにも
||ではとにかく、母に相談しまして。
又四郎はこういってその場を脱出した。なぜかなら、そのとき彼は雪海和尚から「三十まですべてを待て」といわれていた。嫁取りも出世も、三十までがまんしろと、人相に顕われているというのである。······そこで適当な時間をおいておかね嬢を訪問し、かくかくであるからと理由を述べたうえ、三十になるまで待って貰いたいと条件を出した。おかね嬢は
「わたくしあなたをお信じ致しますわ、殿方はお信じしないことにしているのですけれど、でも秋成さまはお信じ致しますわ、あなたはほかの方とはどこかしら違っていらっしゃるのですもの、······ええ、お待ちしますわ」
すっかり聞き終ってから、みつ枝はやさしく
「||信りですって、いいえ、信りなんていちども、······しかし、どうしてです」
「いいえなんでもございませんわ」みつ枝はやさしい眼で彼を眺めた、「来年は
「ええそれは、それは必ず訪ねます」又四郎はかなりはっきりと頷いた、「ほかにも用のある人間がいるんですから」
「ほかにもって、······まだ約束した方がいるんですの」
「いやそうではないのです、まるで違う、その、······要するにですね、三年まえの、······いろいろと、······しかしこれはまたあとで話します」
「どちらでもお好きなように」みつ枝はこういって艶然と微笑した、「それから、申上げておきますけれど、······まちかねさまがどんなになっていらしってもですわね、江戸にはわたくしがいるということを、お忘れにならないで下さいまし」
「はあ、それは、うう······承知しました」
「きっとでございますよ」
彼女は一種の動作を起こそうとしたが、それをやめて
「||そろそろ夏になる模様ですねえ」
それから年を越えて三月になるまで、みつ枝の彼に対する世話ぶりは、これまでとは一段と技巧を凝らしたものになった。或る期間は母親のように到れり尽せりで、
「あらそうでございますか、それならたぶんそうでございましょ」
などといってきちんと正面を見ている、といった調子であった。するとまたどんなからくりになっているのか、急に
「秋成さまがいらしったとき、みつ枝は十六でしたわ、あれから三年、······わたくしもう十八ですわねえ、······十八、わたくしすっかりおばあさんになってしまいましたわ」
十六からまる三年経っている、それで十八という勘定はちょっと腑におちなかった。しかし
||なんと無邪気な娘であろう。
と思うのであった。
翌年の三月、藩主
「そうかね、太虚寺の和尚は死んだかね」
又四郎は少しばかり失望的な感じをうけた。彼としては、こんどは多少強硬に文句がいいたかったのである。
「あんな大往生はまず古今絶無だろうな」赤井喜兵衛がこう話して呉れた、「なにしろもう九十という年でさ、毎日酒を二升五合は欠かさず飲んでいた、相変らずなんにもしない、お経も読まない、方丈に寝ころんで、肱枕をして、一日じゅう酒を飲んで、いつ病気になったか誰も知りあしない、いや、病気なんぞなかったかもしれない、······ある日、寺男を呼んだ、いってみるとやっぱり肱枕で、こう寝ころんでいてだな、寺男のほうを見てげっぷと酒臭い息を吐いた。
||ああおめえ弥兵衛か、来ただかね。
和尚はこういったそうだ。
||おらもう飽きただよ、もうこんねえにしててもしようねえ、······すっかり飽きただから、おらこれでお暇にするだから、げっぷう、······檀家の衆によ、そいってもれえてえだ、みなさん、ええへへへん、だんだおうぎゃあ、······わかっただかね。
そうしてだな、寺男がびっくりして、もしか病気なら医者を呼ぼう、どこか苦しいところでもあるのかときいたところ、和尚はけげんそうな眼をして、それからうっとりと眼をつぶって、さも気持よさそうに溜息をついたそうだ。
||世の中に、死ぬほど楽は、なきものを、うき世の馬鹿は、生きて働く、······ああ、いい気持だなあ。
そして息をひき取ったということだ」
又四郎は暫く黙っていた。それから、その妙な引導のようなもの、檀家の者に伝えろといった「ええへへへん」なる言葉には、いったいどんな深遠な意味があるのかと反問した。
「それがさ、そこにはいろいろ説があるんだが」喜兵衛もよくわからないようすだった、「
どちらにせよ又四郎には関係がないことらしい、彼は
「おまえ嫁の話があるのだけれどねえ」
母親は
一、
某年某月某日。衆人環視の中において、とつぜん余に向い「おれの履物を
二、大村田伝内 槍組番頭
某年某月某日。下城の途中において、酔いに乗じ、同伴者に向って「あの百足ちがいの頭がどんな音をたてるか
三、
某年某月某日。城中詰の間において、支配役その他の同席するにも
四、
某年某月某日。大手門外において、余の頭上に
五、
某年某月某夜。老職
右の如くであった。
以上のほかにも十数件あるが、三年以上がまんして、どうしても肚に据えかねたのが右の五つだった。しかも今や雪海和尚はいない、和尚はええへへへんと云ってこの世を去った。もはや又四郎は自由である。
「ひとつ簡野から、うう、始めてやろう」
身内のむず
簡野は今でも城代家老をしているが、訪ねてゆくと左馬之助はすでに分家して、
「なんの用だい、掛取りなら銭なんかないよ、出なおしといで、ちぇっ、不景気な」
いきなりこう喚いた。又四郎はここで自制心と
左馬之助は寝ていた。枯木のように
「ああおまえ、······秋成か、来て呉れたんだね、ああ、済まない、······おれの親友、心の底からの友達、おれは泣けるよ、······うれしい、これだよ」
左馬之助は骨だらけのような手で合掌した。それひと間きりの部屋はぼろとがらくたの山で、その中に三人の幼児が
「人の面倒はみておくもんだ、おれはおまえだけには出来るだけの尽力をしたからな」左馬之助はなお続けて云った、「||ときに金を少し貸して呉れないか、一両、いや三両くらいあればいい、じっさい、こんこんこっほん、いやじっさいあの頃はお互いにむちゃな事をしたものさ、ああ、······まったく愉快だった、おまえのためにはおれは、ずいぶんと散財した、こんこんこん、······三両なければ、二両でも、いいんだが、一分でも、······あとは次でいい、とにかくおれはおまえだけは親友だと思っているんだ、······じっさい今でも忘れないが、おまえの云ったことさ、うっ、······困ったらきっと駆けつける、簡野には世話になったからな、ってさ、······うれしい、おまえおれを泣かすぞ、······金は今は一分でもいい、あとはいつでも、なるべく早いほうがいいが、······おれは親友の情だけにはまだ、失望していない」
又四郎はそくばくの物を包んで置いて、
その帰途、彼は赤井の家へ寄って、喜兵衛から左馬之助のことを聞いた。······その話によると、左馬之助はいちど林数右衛門という物頭の家へ養子にゆき、一子をあげたが、
「その女の産んだ子だって、本当にあいつの子かどうかわかりゃしないのさ、なんでも半年ばかり前から悪い病気にかかって、もう長いことはなかろうという話だが、······あいつになにか用でもあるのかい」
「||いやなにも、用なんかは、ないんだが」
又四郎はいやな気持で家へ帰った。ときとばあいでは果し合もするくらいの心組みでいったのに、根も葉もない恩を
「||これは
彼がそう思ったことに無理はないだろう。とにかく左馬之助訪問のような、にがにがしいめには二度とあいたくはない。そこで残りの四人に対してはいちおう事前探査をやった。彼はこのことは我ながら賢明であると思った、というのは乙原丙午であるが、御厩奉行の二男である丙午は、暴食のあまり胃が裂けて、半年ばかり病んで死んだという。また大村田伝内は賭け事のために公金を費消し、足軽におとされて、酔って旧同僚を訊ねては、
||おい賭けよう、明日は雨か天気か。
などと云い、賭を拒絶されると泣いて貧窮を訴える。おいおいと泣いて、そうして妻が急病だとか、子供が飢えているとか、いろいろでまかせなことを述べたうえ、必ずなにがしかせしめて帰る、ということであった。
「||これもかなり危ない、この二人も
又四郎は丙午と伝内の名を手帖から消した。
第四に苅賀由平二である、これは人を教誨するだけあって、いまだに健在であり、鉄炮足軽の組頭から支配にぬかれていた。また第五の唐川運蔵はたいそう出世をし、八百石の普請奉行で、美人と評判の高い妻を迎え、内福で平和な生活を楽しんでいる。
「||これなら用心することはあるまい」
そして又四郎は苅賀を訪問した。
苅賀の家は組屋敷の中にあり、支配役のことで、厩や長屋や三棟の土蔵などを
「多忙であるからして、むだな挨拶はぬき、簡単に用を云って貰おう、簡単に」由平二は日あしを見やって続けた、「||これから奉行職と会って食事をせねばならぬ、明日は三名の御老職に招かれておる、迷惑であるが、時間の浪費であるが、そこはやはり、······簡単に、用事はなんであるか、自分は多忙であるからして」
「用は簡単なんだ、五年まえのことを思いだして貰えばいい」
「||五年まえのこと、······なんだ」
又四郎は静かに大手門外の件を語った。あの蝗を使った教誨の件を、······苅賀はすぐ思いだしたらしい、だが相変らず反りかえって、こちらを睨んで、指の先で鼻下髭の端を捻った。
「||ふむ、それで、······それがどうした」
「あれから五年経つんだが」又四郎は低い声で云った、「||私はあのときの屈辱を忘れることができない、それで、あのときいた人間をすっかり集めたうえで、そこもとに陳謝をして貰いたいんだ」
由平二はもう一段と反った。
「いやだ、······と云ったらどうする」
「日と時刻を定めて呉れればいい」
「||決闘かっ」
由平二は食いつきそうな眼をした。それから鼻下と顎の髭を動かして笑い、「これは面白い」と叫び、さらに躯全体を揺すって笑った。
「このおれを相手に、この苅賀由平二を相手にか、わっはっは、
大略このように
「||命が惜しかったら断念しろ、恥は忍べるが死んで生き返ることはできんぞ、ばかはあとで後悔する、転ばぬさきの
そのあと大賢は大愚に似たりとか、ほかにもいろいろと並べたてたようだが、又四郎はさっさと出て来たので聞えなかった。······苅賀へいった日の夜になって、彼は唐川運蔵を訪ねた。明日にしようかと思ったのだが、御用が多くてぬけられなくなる
いったい御用係心得を拝命してから、彼はずっと多忙が続いてきた。役目は側用人の副秘書のようなものだが、どういうわけか側用人の代理のように使われ、藩主との応接も多くのばあい彼が当らされた。そのときの側用人は矢橋
||これこれの事はどう致したか。
||はあ、御意のとおり。
||ではどれそれの事はどうした。
||まことに仰せのとおり。
こんな問答のやりとりがあって、藩主が気がついて、「隼人を
明後日は苅賀と果し合がある、明日は城でどんな用ができるかもわからない、こう思って、彼はその夜でかけていったのである。
「おう秋成、よく来て呉れた、さあどうぞ」
唐川は自分で玄関へとびだして来た。色が白くぽちゃぽちゃ肥え、顔いっぱいにあいそのいい笑いをうかべ、どうかすると
「江戸から帰ったというので挨拶にゆこうと思っていたんだよ、こっちへ、どうぞこっちへ、此処がいいだろう、どうか楽に、自分の居間にいるつもりでね、構わないから膝を崩して、どうぞ、どうぞ遠慮なく、そうか来て呉れたのか、こっちから顔出しをしなくちゃいけないんで、それはもう会いたくってね、秋成が帰ったという話、聞いたとたんにうれしくってね、秋成のことだからきっとすばらしい人間になったろう、なにしろ江戸は本場だし、その本場の江戸で五年もいて、秋成ほどの人物だとすれば、これはもうなにも云うことはない、男子三日相見ざれば、というくらいだが、そこはまた秋成は格別さ、現にもう御側用人じゃないか、出世も出世、ほかの者とは
言葉の合間ごとにさもうれしそうに笑い、鈴を鳴らして茶をせきたて、こっちが手をつけないのに自分だけはせかせかと
「||ちょっと待って呉れないか、今日は少し話があって来たんだ」
「いやあとあと、話なんかあとだよ」運蔵は手を振って膝をすすめて続けた、「なにはともあれ祝杯を挙げなくっちゃあ、久方ぶりじゃないか、遠慮して呉れると恨むよ、どうぞ楽に、どうぞ膝を崩して、自分の家と同じ気持になってね、おれはうれしくって、こっちから挨拶にゆく筈なのに来て呉れてさ、しかも御側用人に出世したのにさ、出来ることじゃないよ、それは秋成だから」
「待って呉れないか、いや待って呉れ、おれは祝杯などは出しても受けないよ」
これではきりがないので、又四郎はかなりてきびしい調子でこう
「||祝杯を受けて呉れないって」
「初めに断わっておくが、おれは決して側用人ではない、単に御用係心得だ、次に、おれがきた用件を云おう、面倒かもしれないが、ちょっと五年まえのことを思いだして呉れないか」
「||それはいったい、五年まえっていったい、······」
「城中の詰の間で、支配もいたしほかにも十人ばかりいたと思う、そこでおれを辱しめたことがあるんだ」
無能も秋成くらいになると扶持ぬすみに近いという放言。運蔵は覚えていたらしい、さっと、額のほうから
「へえ、そんなことがあったかね」
と笑ってごまかそうとしたが、顔が硬ばって醜く
「私はあれから五年間がまんした」又四郎は平静な声で云った、「||だがどうにも堪忍がならない、どうしても、忘れることができないんだ」
「わかるよ、よくわかるよ、しかしおれは決してそんな暴言を吐いたことはないと思うがね、だっておれはそこもとの人物を知っていたし」
「はぐらかすのはよして呉れ、たくさんだ」
彼はやや高い声でこう云った。例のないことである、運蔵は口を
「それでおれは今日、条件を二つもって来た、その一つは城中で、あのときの人たちを集めて、そこでみんなの前で謝罪して貰いたいんだ」
「だってそれは、そんな、それはひどい、少なくとも普請奉行ともある身で、それは自殺するのと同じだよ、それはひどいよ」
「では次の条件だ」こちらは穏やかに云った、「||明後日はいけないけれども、ほかの日と、時刻と、場所とをそっちで定めて呉れないか」
「||だって、どうしてそんな、······そんなことを定めてどうするのさ」
「果し合だよ、わかってるじゃないか」
唐川はとびだしそうな眼でこっちを見た、もう一段と顔が歪み、唇が白くなって震えだした。それからごくっと唾をのみ、
「まさか、まさか、······そんなことを、ははは、······からかってるんだね」
「私のことを云うのなら本気だよ」
運蔵はとつぜんぱっと座を立った。あんまりとつぜんだったので、又四郎は思わず刀のほうへ手を伸ばした。しかしそれよりも
||この庭でか、よし。
又四郎は刀を持って廊下へ出た。ところが唐川運蔵は庭へ土下座をしていた。両手を地面の上へつき、その白い額を地面にすりつけ、敏速におじぎをしながら、哀訴するような声でべらべら詫びを云うのである。
「このとおりだ、赦して呉れ、おれには妻がある、妻はおれを愛している、おれは死にたくない、悪かったらこの頭を踏んでくれ、
それから中一日おいた早朝の五時。淀井川の河原で又四郎は苅賀を待っていた。
すでに四月で、季節は晩春。河原はいちめんに草が
「||あいつ相当なものかもしれない」又四郎は川波を眺めながら呟いた、「||自信がなければ、あれほどは云えないものだ、······たぶん決闘などの経験もあるんだろう、ことによると、······しかしおれだってそう
彼はふと
「||そうさ、それほど脆くは負けやしないさ、······おれだってまさか、······だがどうしたんだろう、もう来そうな時刻なんだが」
又四郎は振返って
源空寺のらしい、八時の鐘を聞くまで待ってから、彼は
「私どもはなにも知りませんので、へい」愚直らしい下僕がそう云った、「朝になったら旦那もどなたもいらっしゃらねえので、へい、家の中はごらんのとおり、一
又四郎は黙って苅賀の門を出た。
||信じられない。
あれほどの大言壮語、胆力そのもののようなあの豪傑笑い。あれだけの男が果し合を恐れて逃亡する、家財を売りとばし、下僕の眼をさえ忍んで、妻子と共に夜逃げをする。
「||いやいや、おれには信じられない」道を歩きながら独りで又四郎は頭を振った、「||これにはなにかわけがあるのだ、なにか」
だが彼は信じないわけにはいかなかった。苅賀由平二が出奔したということは、
又四郎はひそかに溜息をついた。
||なんということだ。
溜息をついては浮かない顔をしていた。けれども考えてみるに、これで五年来の懸案はきれいに片がついたわけである。憂鬱になる理由は少しもなかった。そこでようやく肚をきめ、本条町の松家邸へおかね嬢を訪ねたのであった。······松家加久平はまえに亡くなって、今は長男の加久平が家を継ぎ、末席の老職を勤めている。
「やあよくみえられた、どうぞお通り」加久平は自分で玄関まで出迎え、自ら客間へ導き、
ここでもまた側用人という言葉が出た。唐川のはおべんちゃらとしても、加久平は末席ながらも老職であるし、おせじを遣うような必要もない。そうだとすれば、······又四郎はこう気がつき、相手の
「私が御側用人に出世したとか仰しゃったようですが、私はまだなにも存じませんが、それはどういうことなのですか」
「ああまだ知らぬかもわからない」加久平はいい心持そうに頷いた、「||殿から御意のあったのは七日ばかりまえのことで、それからわれわれ重臣一統の閣議があって、そこでよかろうと決定したんで、正式の任命は四五日うちということになっているんだが、重臣方面にも評判はごく好いようなんだが······」
又四郎はさすが悪い気持はしなかった。けれども用向は用向である。彼はまた暫く加久平の饒舌の切れ目を
「ああおる、家におります、妹は独身でおります」話の腰を折られて相手は妙な顔をした、「なにか用事があるなら呼ばせましょう」
「はあ実は」又四郎は眼を
「ああいいとも、いいですとも、折入った話結構です、すぐ呼ばせましょう」こういいながら加久平は立った、「||あれも困った女で、困ったといってはなんだが、あれは哀れな、可哀そうな女なんで、まだ独身なんで、ひとつ、······いやすぐ此処へ来させます」
加久平が出てゆくと、又四郎はかなり傷心の
「||あのときみつ枝の話を断わっていいことをした」
又四郎は
彼の精神としては、そのとき正しく敬虔であった。おかねのまごころに対し、その変らざる誓いに対し、そのひと筋な純情に対し、心から低頭する気持であった。······純情の主はまもなく現われた。かなり時間を要したのは化粧をして着替えをしたものらしい。美しいはでな、模様というか柄というか、眼のさめるような色合の着付けで、白粉を濃く塗り、口紅をさしていた。そこへ坐ると濃厚な香りがぱっとひろがって、あたりいちめんに充満して、又四郎は危うくくしゃみが出そうになった。
「ようこそ秋成さま、ようこそいらっしゃいました、覚えていて下さいましたのね、有難う、うれしゅうございますわ」彼女はこういって
「いやそれで来たのです、決して忘れたわけではありません、私は約束を忘れるような人間ではありません」
「そうですとも、お約束したんですものね」
彼女はこのときもう一方の手で、髪のもう一方をそっと撫でた。撫でながら横眼でこちらを見た。それは優美なポーズであったが、同時にかなり濃艶であり、一種むせるような官能的なところもあって、又四郎としては計らずも赤くなった。
「あの頃もそうでしたけれど、今でもやっぱり貴方は御美男よ、ありきたりの意味でいう御美男じゃなく、お顔やお姿よりお躯ぜんたいね、こうして拝見していると胸の奥のほうがむずむずするような、血が熱くなるような、躯じゅうをめちゃくちゃにして貰いたいような、口でいうのが恥ずかしいような気持におさせになるの、江戸ではきっとたくさん御婦人をお泣かせなすったのでしょ、知っていますわ、白状なさいましよ」
「そんな、私は、決して」又四郎は狼狽していよいよ赤くなり、舌が硬ばってきた、「||お願いします、そんなことは、どうか、私は、その、お約束をはたすために、······その、はっきり申しますが、あのときのお約束では、
「そうそう、お約束がございましたわね」
「三十になるまで待って頂きたい、私はあのとき、こうお願いしました」
「||三十になるまで······」
「そうです、今年はそれで、私は三十になったものですから」
まあという叫びが嬢の口紅の濃い唇のあいだからもれた。驚きと歓びと、そうして一種の感嘆のこもった声である。彼女は大きくみひらいた眼でこちらを眺め、かなり長いことうち眺め、それから初めてすべてを了解したとみえ、にわかに眼を輝かし、ちょっと身を揉むようにして、大きく深く喘いだ。
「やっぱり、ああ、やっぱり貴方でした、わたくし貴方だけはお信じしていましたの、貴方だけはお信じできる、男という男は利己主義で
彼女は身を揉み、両方の袂で小娘のように顔を包んだ。なまめかしく色めいた身振りである、そこへ、······廊下から一個の、まだごく小さい赤児が
「ぶぶぶ、ああう、ばあばあ」
こういう意味不明瞭なことをいいながら、
「だあ、ぷう、だあだあ」
こう怒ったうえ、おかね嬢の膝へ這いあがった。もちろん嬢はこの間ずっと話し続け、袂で顔を
「まあしようのない子ねえ」
といいながら抱きあげ、はでな色合の美しい着物の衿へ手をかけ、巧みにぐいと押しひろげ、すばらしく豊満な乳房を出して、
「わたくしいつもそう思ってましたの、又四郎さまは信頼のできる方だわって、夢にも二度か三度みましたわ、本当よ、どんな夢かってことは恥ずかしくっていえませんけど、三度、いいえ五度ぐらいみましたわ、あっ痛い、そんなに強く吸っちゃだめよ、めっ、こっちのお手は出して、ええ本当ですわ」嬢はそこで艶然と笑った、「わたくし信じていましたの、男という男は信じられないけれど、貴方だけはお信じできる、きっと約束を守って下さるって、信じて下さるでしょ」
又四郎は睡をのみ、眼をそらした。頭がちらくらして、さっきよりも舌が硬ばって、喉の中が痒くなった。······そこへまた一人、ようやく歩き始めたくらいの、ひどく肥えた男の幼児がはいって来た。
「ああたん、んめよう、んめよう」
幼児はこういって嬢のほうへよちよちと近寄ってゆき、べたべたの手でその肩へ
そのときの又四郎の心理を正確にあらわすことはむずかしい。自分でもずっと経って、よほど年月をけみしてから、それが一種の恐怖に類するものらしいということを、ごく朧ろげに推察できるくらいが精々のところだった。
なにしろ
右の六人がおかね嬢をとり巻き、掴みかかり、躯をぶっつけ、お互いに殴ったり頭髪を

あとでわかったことであるが、嬢はあれから嫁に三度ゆき、三度とも不縁になって帰ったのだという。第一回に男の子を二人、二回めに女の子と男の
||六人の子持ち、三度離婚。
又四郎としてはなんともいいようのない感じのものであった。白粉と口紅の濃い化粧、はでな色調の着付け、むっとするほどの強い香料の匂い。そっと髪を撫でたり身を揉んだり、両方の袂で顔を包んだり、小娘のように色めいたながし眼を呉れたりする姿態。
||お信じしていましたのよ、貴方だけはお信じして、お信じ、お信じ、お信じ······。
又四郎の耳の奥のほうでは、ながいことその言葉が絶えず聞えていた。おしんじ、おしんじ、おしんじ······。それは晩夏の候に鳴く一種の
「五正家へ早飛脚をやらなければならない」彼はこう自分にいった、「早くしないと危ない、これだけは早くしないと、あの人はそんなこともあるまいが、しかし出府してみてまた嫁にいっていたり、双生児を産んだりしているとすると、うう、それは自分としても、そこまでは付合えない、早速、とにかく求婚だけ、ひとつ早飛脚で······」
あの親切な、心のこもった、痒くないところまで手の届く、みつ枝の温たかい世話ぶりを思いうかべながら、又四郎はまず、みつ枝とその父親とに求婚の手紙を書き、ついで、一世の勇気をふるっておかね嬢に謝絶の手紙を書いた。もういちど面会し、口頭で断わるほどの胆力は、とうてい彼にはなかったからである。
「||御側用人に仰せつけられ候」
こういう辞令が正式に発表された日、又四郎は帰国して初めて太虚寺へいった。
雪海和尚の墓はすぐにわかった。代々の住職の墓の並んでいる、若葉の樹々に囲まれた一画で、
「しばらくでしたねえ、和尚さん、いかがですか、墓の下のぐあいはどんなものですか」彼はそっと片方の手を振った、「今だからいいますがね、私は実は、ひところは和尚さんをおせっかい坊主だと思いましたよ、正直にいいますがねえ、······ところがあれから五年、帰って来てみてですねえ、いろいろ現実面に接してみて、驚きましたよ、まったくのところ驚いたんです」
又四郎は桶屋町の裏長屋を思い、足軽におとされた伝内を思い、胃がやぶけて死んだという丙午を思った。豪傑笑いをして夜半に逃亡した苅賀由平二、庭へ土下座をした運蔵。これらの人々の、身の上の転変と盛衰、······しかもすべては五年間のことである。このあいだ又四郎は「参」つなぎの
||せくこたあねえ、せくこたあ。
又四郎には雪海和尚の声が聞えるようであった。肱枕をして、ごろっと寝て、酒臭いげっぷをしながらのんびりと和尚はいったものだ。
||じたばたしたとって、春が来ねえば、へえ花は咲かねえちゅうこんだ、おちついてやるだよ。
そうだ、なんにもせかせかすることはなかった。ゆっくりと腰を据えて、するだけの事をこつこつとやっていれば、それだけのものはいつか必ず身にめぐって来るのだ。
「世間の人たちはせかせかし過ぎる、眼のさきの事でじたばたし過ぎるんですねえ、和尚さん、それで
又四郎の眼にはふと松家邸の客間の、あの
「いやとんでもない、とんでもない、私はやっぱり、この点でも、参つなぎに待って、うう、いいことをしたと思いますよ」