今でも
||おまえもだいたい察しているだろうが。
お豊が嫁して来て間もなく、ある夜勘三郎は彼女を前にして云った。
||
||もうやまはないとか聞いていますが、あなたはあてがあるのですか。
お豊がおそるおそる聞いた。
||あてがなくてやまさがしなどをするものか、おまえだけに話すのだが、じつはかんば沢のあたりにひとやまあるはずなのだ、これをみてごらん。
勘三郎はそう云って、仏壇の
||いま市の水晶商人の扱っている品は、みんな支那や満洲や南米あたりから輸入しているもので、これはぐっと品位がおちる。このあたりから出るみごとな六角結晶をした品は、とうていそんな輸入品の及ばぬ上等な水晶ばかりだ、ことにおれの捜しているやまはこれにも書いてあるとおり、紫水晶の砿脈だから、捜し当てればそれこそ大変な
||はい。
お豊には
勘三郎は腰へ弁当の包を縛りつけ、
||良人がやまさえ当てれば。
そうすれば何もかも償われる、お豊はそう思うことで自分の体に
二年目の夏、田の草取りで猫の手も借りたい時分にお豊は男の子を生んだ。お産はきわめて軽かったが、ながいあいだ体に無理をしてきたので、その後の肥立ちが思うようにゆかなかった。そうかといって草取りの時期にいつまで床についてもいられないので、一週間ほどすると野良へ出たが、半日足らず草を抜くうち暑気にあてられて倒れてしまった。
お豊はそのまま
勘三郎は収穫がすむまで家で働いた、その年はどこも近年にない出来秋であったが、与石の田だけは手入れが届かなかったので、ほとんど三分の一がみず稲になってしまったし、
溝の桑畑一町足らずを、半分ばかり失ったのはその年のことである。
年が明けると間もなく、お豊がどうやら起きられるようになったので、勘三郎は待ちかねたようにふたたび山入りを始めた。
||今までと違って、こんどは坊やができたのですから、どうか気をつけてください、危ない場所へは近づかないようにしてください。
||大丈夫だ。
勘三郎は、妻の乱れた顔をみながら、
||おまえには苦労をさせるが、これもいつまで続くわけではない、おれにはもうだいたい砿脈の見当がついてきたのだ。
||それはよろしゅうございました。
お豊は
||どうか家のことは心配せずに、早くやまを当ててください。
||よし、きっと捜し当てる。
勘三郎は確心ありげに云ったが、腹の中では苦しかった、じつのところ彼はもうやまさがしには絶望しかけていたのである。祖父の調べた記録にしたがって、かんば沢の奥はほとんど残るところなく歩いたのだが、どこにもそれらしいものがない、渓流に洗われるところにはよく砿脈が露われているというので、沢沿いに水源地近くまで
お豊が寝つき、母が死に、夏から冬へかけてながいこと家にいるあいだに、勘三郎はもうふたたび山へは入るまいと思いはじめ、祖父の遺した覚書なども見えぬところへしまいこんでしまった、||死ぬ気になって働けば、たとえ失った財産を全部回復することはできないとしても、親子三人の生きるだけはやっていけるであろう、そういうことを何度も考えたのである、けれど||そう決心をするあとからなんとも知れぬ空虚な、いらだたしい不安が襲いかかってくる、
勘三郎は妻を愛していた、のっぴきならぬほどの愛情であった、お豊の顔が貧乏に
勘三郎はふたたび山入りを始めた、お豊の体も暖かくなるにしたがって
困難な年が続いた。五年めの冬には田地畑をすっかり失い、家と土蔵とを債権者の手に取られてしまったので、勘三郎は妻と子を連れて叔父の世話にならなければならなかった。
||子供もそろそろ学校へあがるようになったのじゃないか、ばかな夢は捨てて心を入れ換えたらどうだ、地道に働く気なら親子三人の食ってゆけるくらいの田地は分けてやる。
叔父の
||どうかよろしくお願いいたします。
勘三郎はおとなしく答えて頭を下げた。お豊は悲しげな良人の横顔を見守っていた。
勘三郎がお豊を愛していた以上に、お豊はもっともっと良人を愛していたのである、こうした愛情ほどふしぎなものはない、お豊が初めて勘三郎を山へ送りだしたときは、早くやまを当て、与石の家を盛返して欲しいと考えていたのであるが、それから日を経るにしたがって彼女の思うことは、ただ良人がいとしいというだけになっていった。
良人がどんなに自分の苦労を気に病んでいるか、妻に貧乏をさせ、困窮のなかに母を死なせ、病弱の子を産み土地と家を失い、叔父の家に飢の救いを求めるまでになった良人の、窮迫すればするほど強く、絶えず自分に働きかけてくる愛情と謝罪の気持、それを思うときお豊の心は締めつけられるように苦しく、何もかも投出して悔いのないいとしさを感ずるのであった。||水晶砿山を捜し当てるか当てぬか、そんなことはもうお豊には問題ではない、自分や子供がどんな苦労をしようとかまいはしないただ良人の望みを果させてやりたいのだ、良人が望みを達して喜ぶ顔さえ見たら、そのとき自分がどうなっていようとそれで自分は満足できるのだ。
勘三郎は叔父の邸外にある古い隠居所をもらい、それに手入れをして親子三人の寝どころを造った。そしてお豊はほとぼりのさめるのを待って叔父に知れぬように良人を山へ出してやった。
あなたの働く分ぐらいのことは、わたしと
お豊は
それから三月ばかりしてお豊は死んだ。過労からきた心臓の病気で、倒れたと思うと医者の来る間もまたずに急死したのである。勘三郎はもちろんその死目に会わなかった。
山から帰って来た勘三郎は、人々の集まっている暗い部屋の中で、お豊の死顔をひと眼見るなり、突きとばされたように家をとび出して、そのまま夢中で山のほうへ走りだした。叔父の多吉が後を追って出ると、夕月の光の中を||お豊、お豊と喚きながら、狂気のように走り去る勘三郎の後姿が見えた。
明る日になっても勘三郎の帰るようすがないので、村の人たちは手分けをして捜すことになった。そしてひと組の青年たちが、かんば沢の
勘三郎はそれから半年あまり山へ入らなかった。いつもむっつりとして、裕吉と一緒に野良を働いていた。
叔父の多吉は、今度こそ勘三郎も身にしみたであろうと思い、ひと冬過ぎたら後添の心配をしてやり、そのときの都合では裕吉を自分の手もとへ引取ってもよいと考えていた。それにもかかわらず、収穫にかかろうという忙しいときになると、いつかしら勘三郎の姿が野良にみえなくなり始めたのである。
彼はまた山入りを始めたのだ、二人分の弁当を
||どうするの、それ何なの。
子供が
||う、うん。
と低く鼻で答えながら、それを遠くへ
ある日、ふたりは栗林の中で弁当をつかい、そのあとで勘三郎は草の中へ横になってうとうとした。それはほんの短い時間であったが眼をさましてみると子供の姿が見えない、彼は起き上って名を呼んだ。よく晴れた秋の日で、草の葉を揺るほどの風もなく、
||裕吉、坊や。
勘三郎は栗林の中から出て、両掌で口を囲いながら叫んだ、それから丘を下りて道のうえしたを捜しはじめた。けれども子供の姿は見えず、泣く声も聞えてこない、勘三郎は沢のほうへ走りだした。
日暮れ近くに、勘三郎は気狂いのようになって村へ駈けつけた。人々が集められた、
収穫の終るころで、どこの家も忙しい最中であったが捜索は三日のあいだ続いた、けれどついに子供をみつけだすことはできなかった。
||藪落しにかかったのだ。
みんなそういうことに一致した。
もと与石のものだった檜山からかんば沢のほうへ十丁ばかり行ったところに、その地方で金竹と呼んでいる細い
勘三郎が性も懲りもなく山入りをするので、藪落しの魔が裕吉をひいたのである。
人々はそう云い合った。そして裕吉をさがすことは断念した。
それから長い年が過ぎた。この期間にはべつにしるすことはない、勘三郎は叔父の家にいてよく働いた、ときによると二三日山へ入ったまま帰らぬこともあるが、そのあとでは忘れたようにせっせと野良を稼いだ。後添をもらうようにすすめる者もあったが、いつも勘三郎が気乗りをみせないので、多吉も強いて押付ける気にならず、その代りには山入りをしたときもべつに怒らずに放っておいた。
勘三郎が五十一の年、多吉は喜の字の祝を済ませて死んだ、多吉は死ぬときに、自分が与石の家から持ってきた田地の二町歩を勘三郎へ与えて逝ったが、その後べつに名を書換えるでもなく、ずるずるに多吉の長男のもののまま終ってしまった。
同じような生活がそれから何年も続いた、そしてまたしても勘三郎の山入りが始まったのである、その数年前から、彼の体はぐっと弱っていた、耳も遠くなっていたし、眼もかすみはじめ、足痛風を患って右足が硬直したっきりになった。
||そんな体で山歩きをして、もしものことがあったらどうしますか、家にいて子供の守りでもしてください、どんなにでも後生の面倒はみてあげますから。
多吉の長男はたびたびそう云って諫めてみた、そうすると勘三郎は黙って
||よしよし、そうしよう。
と答えるのだが、朝になってみるともう家にはいないのである。
勘三郎は六十を越した。
秋のことである、彼は握飯を持って、腰へ丸鑿と金槌を入れた革袋をさげ、右足をひきずりながら山の中を歩いていた。どの道もどこの岩地も、何十年となく彼が見慣れたものだ、櫟林の先に何があって、どこの松が伐られたか、眼をつむったままでもはっきりと見える、||かつての檜山はすっかり伐りだされて、その後へ広い新道ができてしまった。
勘三郎は沢のほうへと進んでいた、新道のほうには絶えず車の音や人声がする、彼はその物音から遠退きたいのだ、自分独りになりたいのだ、不自由な足をひきひき、かんば沢の流れの聞えるところまで来た、そのとき彼は丈夫なほうの足を草の根につっかけて横ざまに倒れた。
勘三郎は自分の体が凄じい勢いでぐんぐん滑りだすのを感じた、彼はなかば夢中で手に触れるものを掴もうとした。
||藪落しだ。
そう思ったとき、ふいに勘三郎の体は激しくどこかへ落込んだ。
彼は落ちたまましばらくじっとしていたが、やがて静かに顔をあげてみた、そこは二坪ばかりの
||助かったのか。
勘三郎はほっとして半身を起した、そのとき彼は笹の葉を透して落ちてくる光の中に思いがけぬ物をみつけだした。彼は身を起しかけたままそこにいすくんだ。それからずいぶん長いことしておそるおそる手を伸ばし、そっと窪地の岩壁を
||お豊······お豊······。
彼はいきなりそう叫びながら、自分の体をそこへ投出して泣きはじめた。何十年ものあいだに、すっかり忘れていた妻の顔が、痛いほど鋭く思い出されたのだ。
||何になるんだ、何になるんだ、今ごろみつかったところで······、お豊。
勘三郎はうすくなった髪毛をかきむしり、拳で胸をうちながら泣いた、それから彼は起上って、そして革袋の中から金槌を取出し、岩壁に露出している美しい紫水晶の尖端を気狂いのように砕きはじめた。
||何になるんだ、こんな物が、こんな物が、お豊······お豊。
明くる日の午ちかく、薪を折りに入った村の女たちが、藪落しの近くに倒れている勘三郎をみつけて村へ
||とうとうみつけた、藪落しの中にこんなみごとな紫水晶があるのだ、おれは大金持になった。
と云った。
村の人たちはそれを聞くと互いに顔を見合せ、彼もまた藪落しの魔に憑かれて気が違ったのだと思い、妻と子をあんな不幸なことにした罰だけでも、そうなるのが当りまえだと語り合った。
勘三郎はそれから間もなく死んだ、どうして彼はあの窪地から這出したとき、本当の紫水晶を持っては来ずに、土塊を持って来て気狂いを装ったのであろうか、それを説明することは誰にもできないであろう。彼の