二年あまり病んでいた母がついに世を去ったのは弁之助が七歳の年の夏のことであった。幼なかった彼の眼にさえ美しい
「よくおがんで置くのですよ」別れの水をとるときに叔母の由利がそばからこう云った、「このお顔を忘れないようによくよくおがんで置くのですよ、ようございますね」眼をつむればすぐみえるようになるまでよく見て置くように、
ほうむりの式の済んだ夜、由利は弁之助を母の
「弁之助さんよくお聞きなさい、お母さまはお亡くなりになるまであなたのことをなによりも案じていらっしゃいました、お亡くなりなすった今も、そしてこれからさきも、お心だけは
口ぶりはしずかだったけれど、きちんと端座した姿勢やまなざしには、これまで見たことのない
けれど母の位牌の前でそういう話があってから、叔母の態度はにわかに変りはじめた。そのときの叔母の屹とした眼のいろは日が経ってもなごむようすがない、まえのようにあまえかかる隙は少しもみせないし、許されたわがままも段だんと禁じられる。食事のときも嫌いなお菜はよけて
「いったいどうしたのだろう」弁之助には叔母のようすの変ったのがふしぎでならなかった。「どこかおかげんが悪いので、それであんなに不機嫌なのではないかしら」子供の頭でそんなようにも考えてみた。そしてもう少し経ったら、まえのようにやさしい叔母になって呉れるだろうと、······然しそれは結局かなえられない望みだったのである。
中秋の九月なかごろ、父の民部は御主君飛騨守信房のお供をして江戸へ立った。大目付から用人に
「江戸へまいっておちついたらおまえもよび寄せるが、まず二三年はそのいとまもないだろうと思う。父が留守のあいだは叔母上の申し付をよくきいて、怠りなく勉強しなければいけない」
そして来年になったら剣法の稽古もはじめるよう。きっとわがままを慎しんで叔母にせわをやかせるなと
父のしゅったつを見送ってからすぐのことだった。学塾へゆくしたくをしていると、
「今日からは貞造をつれずにお独りで塾へいらっしゃるのですよ」と思いがけないことを叔母に云われた、弁之助はびっくりして叔母を見あげた、「どうしてですか」
「それは和助がお父上のお供をしていったからです」由利はそう説明した、「これからは貞造ひとりで屋敷の事を色いろしなければなりませんし、あなたはもう七歳におなりだから供をつれなくともおかよいなされる筈です」
「でもそれでは軽い者の子のようにみられるでしょう」
「なぜです、みられてもいいでしょう、身分の高さ低さで人間のねうちがきまりはしません、そんなことを云うのは思いあがりというものですよ」
まるでとりつくしまのない調子だった。弁之助は逃げるように屋敷を出たが、
勝山藩は小笠原流の礼式をもって世に知られているとおり規式作法のやかましいところで、家臣たちの身分や格式もよそよりは厳しく、しかるべき武士の子は男でも供をつれるのがその時代のならわしだった。したがって独りで学塾へかようのは子供ごころにも肩身のせまいおもいだし、また的場下の辻に悪い犬がいて往き帰りにきまって吠えられる、赤毛のずぬけて大きい犬で弁之助の知っているなかにも
「あなたがそこに差していらっしゃるのは何ですか」と、きめつけるように云った。
「犬がこわいなどという臆病者なら武士をやめてあきゅうどにでもなっておしまいなさい」
そして弁之助がなさけなくなって、われ知らず手指の爪を噛もうとすると、叔母はその手をとって強く打った。
「悪い癖だからやめなければいけないと申上げたでしょう、いちど云われたことはよく覚えているものです」
彼はつきあげてくる涙をけんめいに抑えながら、そのときはじめて叔母さまはもう先のようにやさしくなって呉れないことを悟った。
冬になると城下町の三方にみえる山やまは重たげに鼠色の雲を冠り、それが動かなくなると
「どこがお痛みですか」
由利はそばへ寄って手を当てた。
「ここですか、それともこのへんですか」
「もう少し上です」
「ここですか」
そう云いながらじっと弁之助の顔色をみつめていたが、ふときびしい調子になって、「弁之助さん、あなた雪が降るので塾へゆくのがお
と云った。弁之助はかぶりを振ってそうでないと答えようとした。然し由利はそれより早く、「こちらへいらっしゃい」
と云い、彼の手を
「叔母さま」
弁之助はそう叫んで手をふり放そうとした。由利はひじょうな力でそれを押えつけ、はだしのまま玄関から門へ、さらに門から道へと出ていった。······天も地もまるで雪けむりに閉されたようにみえた、上から降って来るものと、吹きつける風に地上から舞い立つものとがいり混り、渦をなして
「よくお聞きなさい弁之助さん、わたくしは亡くなったお母さまにお頼まれ申して、及ばずながら今日までおせわをしてきました、けれどあなたはお母さまのお望みなさるような武士らしい武士になることはできないようです、喰物の好きこのみは直らず、犬をこわがったり、これしきの雪に学問を怠けようとしたり、それも腹が痛いなどと嘘まで仰しゃって······」
「こんなありさまではりっぱな人になれないばかりでなく、やがてお父上のお名を汚すようにもなりかねません」
と、由利はするどい調子で云いながら、断乎とした身ぶりで懐剣をとりだした。
「わたくしにはこれ以上のおせわはできません、そしてこのようなお子にしてしまったのはわたくしも悪いのですから、亡くなった方へのお
「堪忍して下さい、おゆるし下さい叔母さま」
彼はひきつけるような眼で由利を見あげ、全身をわなわなとふるわせながら叫んだ。
「弁之助が悪うございました、これからは気をつけます、喰べ嫌いも致しません、塾へもちゃんとかよいます。臆病も直します、決して爪も噛みません、叔母さま、おゆるし下さい、こんどだけおゆるし下さい、叔母さま」
「あなたはそんなに死ぬのがこわいのですか」
「いいえ」
紙のように蒼白くなった顔をあげて彼は強くかぶりを横に振った、「いいえ死ぬのがこわいのではありません、ただ父上のお名を汚すと
雪まみれの顔を両手で
弁之助はその夜、自分の寝所へはいって燈を消すと、闇の空間をみつめながら、
「お母さま、弁之助はきっと人に負けないりっぱな人間になります、お母さまがお望みなさるような武士らしい武士になります、そうしたらお母さまは褒めて下さいますね」
誰のためでもない母のために、きっと人にすぐれた武士になってみせる。幼ない彼は心をこめておもかげのひとにそう呼びかけるのだった。
雪の墓地で懐剣をつきつけられたときの恐ろしさと、夜の暗がりでまざまざと母のおもかげを見たこととが、幼弱な彼の心をはげしくふるい立たせた。自分でもうまれかわったような気持だった。そばにはいつも母のたましいがついていて呉れる、それが常に心の軸になっていた。叔母はその後もきびしかった。なにかあるとすぐにあなたは世間のお子とは違うのですよと云う。
「あなたにはお母さまが無いのですからね、人と同じことをしていたのでは『母親が無いから』とすぐに云われます、武士の子がそんな蔭口をきかれるのは恥ですからね」
弁之助はおとなしく「はい」と答える。然しもう決してあまえるような眼では叔母を見ようとしない、眉つきにも、ひき結んだ

「お母さまは花がお好きでしたねえ」そんなことを囁やきながら、······そして来年の春になって、その菫の群がいっぱい咲きだしたらどんなに美しいだろう、そう空想して胸をおどらせていたが、間もなく叔母の手でそれはみんな抜き捨てられてしまった。
「お墓のまわりには
そして塾の帰りなどに寄りみちをするといって厳しく叱られた。彼が父にあてて、早く江戸へ呼んで呉れるようにと、たびたび手紙を出すようになったのはその頃からのことであった。
その年の秋には由利は結婚することになっていた。相手は藩の重役の長男で、やはり重役の三宅五郎左衛門という人が仲人だった。それは三年まえからの約束だったが、
彼は八歳の春から藩の道場へもかよいだしたが、九歳になると学塾での成績がめきめきとあがりはじめ、いつからか秀才という評判さえたつようになった。叔母もそれを聞いたのであろう。或るときいつものきびしい調子で、
「そんな虚名に惑わされてはなりませんよ」と注意された、「あなたはもうすぐ江戸へいらっしゃるのですから、田舎で秀才などといわれる者も江戸へゆけば掃いて捨てるほどいるのですからね、つまらぬ虚名におもいあがるようだと後悔しますよ」
それはそのとおりだと思ったが、虚名という言葉が彼にはくやしかった。掃いて捨てるほどいるという表現も聞きのがせなかった。それなら秀才ということを虚名でなくしてみせよう、掃いて捨てられるなかまからぬきんでてやろう、そろそろ意地のでる年ごろになっていた彼は、そう考えて叔母がきびしくすればするだけその先を越すような気持になり、学問にも武芸にもしゃにむに励んでいった。あとからふりかえると、われながらよくあれが続いたと思う。まるで弓弦を張ったように緊張した明け
こうして十一歳になった年の秋のはじめに、彼の待ちに待ったときがやって来た。江戸の父から出府するようにという知らせがあったのだ、どんなに大きなよろこびだったろう、叔母の顔が蒼ざめて、眼には
「そんなに詰めてしても身につかぬだろう」
父の民部はときどきこう云った。
「学問というものはただ覚えるだけでは役にはたたないものだ。もう少しゆとりをもってよく噛み味わうようにするがよい、頭をやすめることも勉強のうちだから」
けれども弁之助にはもう習慣になっているので、詰めてすることも努力ではなかったし、休息の欲望などはまったく感じなかった。
「叔母にみっちりやられたとみえるな」
父はそう云って笑うこともあった、彼は黙って脇のほうを見ていた。父上はなんにもご存じないのだ。自分がこのように励みだしたのは母のおもかげに支えられたからである、叔母に
叔母からはおりおり音信があった。師山の大師堂へ紅葉を観にいったとか、
由利の云ったことは誇張ではなかった。彼は十二歳の春に御主君飛騨守の御前に召されて大学の講義をした。その席には多くの家臣も列してひじょうな好評だった。それは藩邸における彼の才能と位置をきめるものだったが、明くる年の三月、昌平坂学問所へ
「お母さま、ほんとうに世間はひろいものですね」
出府してからも毎夜のきまりになっているおもかげとの対話に、彼はおとなびた口ぶりでよくそう囁やいた。「勝山藩で頭角をぬくくらいはたいしたことではありませんでしたよ、けれど弁之助は負けはしません。いまにきっと昌平黌でも人の上に出てみせます、お約束しますよ」
母のおもかげはあのころと同じように明るい眉をして、澄みとおった美しい眸子で頬笑みかけて呉れた。彼はその頬笑のまぼろしに慰さめられ、気づけられるように思ってひたむきに勉強した。
こうして弁之助は十五歳になった。そしてその春の学問吟味には群をぬく成績をみとめられ、仰高門講堂で講書をすることを許された。仰高門の講義は学生のほか一般の処士町人らにも聴講させるもので、ここで講書するようになれば学問所の学生としてはいちにんまえなのである。家中の人びとは席を設けて祝って呉れた、そしてそのことが国許へも伝わったのであろう。暫らくして叔母の由利から祝いの手紙が届いた。「お祝い申上げそろ」というごく簡単なものだったが、「さっそく平等院へまいり、御墓前にてめでたき
その年が明けると間もなく、
「おまえはどうやら叔母を怨んでいるようすだな」
思いがけないときに思いがけない言葉で、彼にはちょっと返辞ができなかった。
「怨んでいるほどでなくとも嫌っていることはたしかであろう、そうではないか」
「それは、どういうわけでしょうか」
「隠すことはない父にはよくわかっていた」民部はじっと彼の眼をみつめながら云った、「おまえはひところ頻りに江戸へ呼んで呉れと手紙をよこした、叔母の躾けのきびしさに堪えかねていることは察しがついたけれど、そしておまえがふびんでなくはなかったが、父はいちども返事をやらなかった、なぜやらなかったか、武士ひとりいちにんまえに育てるということはなまやさしい問題ではない、ただ人間としていちにんまえにするだけならべつだが、武士は農工商の上にたつものとされ、生れながらに一つの特権を与えられる。それはこの国と御主君を守護し、いざというとき身命を
民部はそこでちょっと言葉を切った、弁之助の胸にその言葉がどうはいってゆくかを見るように、それから更にしずかな口ぶりでこう続けた。
「幼ないおまえをそのようにきびしく躾けることは、躾けられる者よりなん倍か苦しく辛いものだ、鞭より
いつか眼を伏せ頭を垂れていた弁之助は、そこでびっくりしたように父を見あげた。
「おまえは知らぬだろうが、あのころ叔母にはまたとない良縁がきまっていた。身分からいっても人物から云ってもまたとない縁だった、さきも熱心だったし叔母も望んでいた。結婚していたらおそらく人に羨まれるような幸福に恵まれたことだろう、けれども由利はそれを断わった、仲に立った者がずいぶんくどいたようだ、然し結婚もたいせつではあるが自分にはげんざい母を無くした
弁之助は頭を垂れ両手で膝をかたくつかんだまま返辞もできずにいた。あの雪の日の恐怖の瞬間が今こそ違った角度からあらためて思いだされる、武士らしい武士に躾けることは一つのたたかいだという言葉は、今こそ彼にあったことの真実を示して呉れたのだ、||そうだ、自分が苦しかったよりなん倍も叔母上は辛い苦しさを忍んでいたのだ、幼ない自分にはわからなかったがあのきびしい躾けの蔭にはやっぱりあまくやさしい叔母の涙がかくされていたのだ。彼には十年ぶりでほんとうの叔母を見るような気持がし、あふれてくる涙を押えることができなかった。そして、出府して来るときには思いも及ばなかった再会のよろこびを胸に描きながら、飛騨守の供をして勝山へ帰った。
彼が期待したほど再会はたのしいものではなかった。成長した彼を迎えて、叔母の眼はいっとき涙に濡れたが、挙措にも顔つきにも
「少しお痩せになりましたね」
そう云うと叔母はちょっと肩をすぼめるようにし、僅かに口許へ微笑をうかべた。
「ながいことずいぶん私がご苦労をおかけしましたから、ほんとうに有難うございました」
「まだそれを仰しゃるのは早うございましょう」
叔母はうちかえすようにこう云った。
「あなたはようやく十六におなりなすった、これまではどうやら順調にご成長なさいましたがたいせつなのはこれからさきのご修業です、わたくしに礼を仰しゃるのは、あなたがりっぱに成人してご結婚もなすってお家の跡目をお継ぎなさるときのことです、それまではわたくしのことなどお考えなさる必要はございません」
そんな心のひまがあったらそれだけ勉強をなさい。そう云って叔母は屹と姿勢をただすのだった、茶を馳走になって、いいようもなくもの寂しい気持で彼は叔母の居間から出て来た。
その夜は早く寝所へはいった。あしかけ六年ぶりで寝る部屋である、壁も
そのとき寝所の外の廊下に、由利が身をひそめて彼の囁やきを聞いていた。膝をかたく息をころして、暫らくのあいだ弁之助の独りごとを聞きすましていたが、やがてしずかに立ちあがり、足音をしのんでそこを去った、それから仏間へはいってゆき、仏壇をひらいて燈明をあげ香を

「あね上さまお聞きあそばしまして、お母さまと呼ぶあの弁之助さまの声を、······わたくし弁之助さまにはずいぶんお辛く致しました、きびしすぎました、あれほどにせずともよかったとは自分でも承知しておりました、でもあね上さま、わたくしにはあれよりほかに方法がなかったのです、子供をりっぱに育てあげるもあげぬも母のちからと申します。亡くなったあなたを忘れさえしなければ、あなたのお美しいおもかげを忘れさえしなければ、母親の記憶さえちゃんとしていれば弁之助さまはきっとりっぱにご成長なさる、どうしてもあね上さまを忘れさせてはならない、わたくしはそう信じました、そしてそのためには由利はきびしすぎなければなりませんでした、あの子の心をしっかりあなたにつなぎとめるために」
由利はあふれてくる涙を押しぬぐった、唇のあたりにあるかなきかの微笑がうかんだ。
「あの雪の日の