このたび本書の新版を出すにあたって、
ここに「われらの哲学」という題目を選んだが、これは決して今日新たに思いついたものではない。実は今より三十六年も前から夢みていたことで、いつか一度は自身の考えの全部を一つの哲学系統として整理してみたいとの希望は、すでにそのころからわれらの胸中にあった。また、ある時は「(独孤遺書)想邪乃話」という表題で、世人が理由をたずねず、ただ言い聞かされるままに信じている事柄を、
われらは今日までに何冊かの哲学書を読んでみた。中にはおもしろいと思うて数回読み返したものもある。しかるに一冊としてそのまま取って自分の哲学とすることのできたものはない。これはおそらく読む前から自分自身の哲学を持っていたからであろう。徳利でも空のものには水を注ぎ入れることができるが、水がいっぱいにはいっている徳利にはもはや水がはいらぬごとく、自身にすでに一人分の哲学を貯蔵している者は他人の哲学を読んでみても、ただ
哲学は先から先へと連続した思想の一系統であるが、多くの哲学者はまず議論の出発点となるべき基礎を探り求め、それを土台としてその上に理屈を築き上げようとつとめる。河に鉄橋をかけるときには、橋杭をだんだん深くまで打ち込み、もはや決して下るところのない堅固な岩に達すると、それで安心して、杭の上に橋桁をおいたり、欄干をつけたりするが、これはもっとも千万なことで、土台の定まらぬ間は、もちろん重い物をその上に積むことはできぬ。砂の上に楼閣の築かれぬはだれも知っているとおりである。哲学者もこれに見習うたものか、まず押してもたたいても決して揺らぐことのないようなある物を求め、これを考えの基礎に用いようとするが、たいがいの物は疑えば疑えるもので、ありと思えばあり、ないと思えばないとも言えるゆえ、決して疑うことのできぬというような物をしいて求めると、結局はデカルトのごとくに「われは考える、ゆえにわれはある」というようなところに達する。十人十色で物の考え方は一人一人に違うても、何か動かぬ基礎の上に考えの一系統を組み立てようと欲することはほとんどすべての哲学者に共通の心理であるようにみえる。ところがわれらの考えによるとこれが多くの誤謬の源である。
物は何でも手近にあるほど確かに知ることができる。たとえば物の大きさを測るにしても、机や本箱ならば物差しをじかに当てることができるゆえ、その物差しの示す程度においてはすこぶる正確に測れる。すなわち幾人が測っても、何度測っても結果はまず同一であって、同じ机が二尺五寸になったり二尺六寸になったりすることは決してない。しかるに道路の長さを測る場合には、長い物差しを一度に当てて測るわけにはゆかぬゆえ、比較的はなはだ短い物差しで一小部分ずつを継ぎ継ぎに測り、のちにこれを合計して全部の長さを出さねばならぬが、わずかにこれだけの手数がかかってももはやその結果はやや正確でなくなり、二度測れば二つ、三度測れば三つの相異なった長さが出るゆえ、結局はこれを平均した長さを採用しておくよりいたし方はない。物差しをじかに当てずに他の方法によって測量する場合には、手数を重ねることがさらに
小さなほうもこれと同様で、じかに物差しの当てられぬ場合には間接の測定法によらねばならぬが、方法が間接であればあるだけ、結果は不正確にならざるをえない。最高度の顕微鏡でなければ見えぬような微細なバクテリアの長さが〇・〇〇三五ミリメートルあるとか、顆粒の直径が〇・〇〇〇八ミリメートルあるとか書いてあるが、実際にこれを測るにあたっては、実物からきた光線も、ミクロメートルからくる光線もいくつものガラスを通って屈折し、いくつもの鏡に当たって反射してくることゆえ、どこに少しの誤りがあってもじきに結果が狂うて、決して正確なことが知られぬわけである。まして幾回も数字を寄せたり、引いたり、掛けたり、割ったりして、ようやく出てきた計算の結果である場合には、その正確の程度は大いに怪しいものと考えねばならぬ。物の目方のごときもそのとおりで、牛肉を一斤とか、パンを半斤とかいうときにはまず誤りはないが、地球の重さが何千何百万トンなどという計算になると推測や仮定を幾段もくぐってきているゆえ、どのくらいまで信じてよろしいやらほとんど見当がつかぬ。
その他、空間においても、時間においても、また原因結果の連鎖に関しても、最も正確に知ることのできるのはいつも自身に最も近く、かつ取扱いに最も手ごろな部分だけに限られる。目の前に見えるところにくらべると、隠れたところはよく分からず、遠くて見えぬところはさらによく分からぬ。町をへだて国をへだてれば、遠ざかるだけ、知りうることが正確でなくなる。実際行なわれていることはただひととおりよりないことが明らかであるにかかわらず、その報道は実に区々である。何某が過激派のために捕えられたと言うかと思えば、すでに国境を越えて某所にかくれていると説く者がある。某所のストライキが無事に落着したと報ずる者があれば、また一説には、なおますます盛んで、いつ治まるか見込みが立たぬと言うている。同一の人間が同時に二ヵ所にいることはできず、同一のストライキが同時におさまりかつ盛んになることは不可能であるゆえ、いずれか一方は誤りに違いないが、距離が遠いとこれを鑑別すべき道がない。時間についてもこれと同じく、昨日や今日のことならば真偽を見分ける途もあるが、古い昔のことになると、あったことやらなかったことやら容易に分からぬ。長い間だれもが確かに生きていたと信じていた有名な人物が歴史家の研究の結果、実はいなかった人であると抹殺せられることさえしばしばある。窓の下を呼んで歩く号外売りの言うことが区々であるのを聞いて、今日起こった事件の報知でさえ、かくさまざまである以上は、昔の話などはとうてい当てになるものでないと言うて、手に持っていた歴史の書物を破り捨てた人があるというが、現在からへだたればへだたるほどその時に関する知識が不正確であるはやむをえない。すでにすんだ過去でさえそのとおりであるから、これからのちの未来に関して予想的知識の不確実であるべきはもとよりいうにおよばぬ。
かくのごとく人間の有する知識なるものは、自身に接近したところがいちばん確かであって、自身から遠ざかるにしたがいだんだんと不正確になり、一定の距離を超えれば全く皆無となる。そのありさまはあたかも暗夜に提燈を下げて立っているに異ならぬ。光は発光体から遠ざかるにしたがい、距離の自乗に反比例して力が減ずるが、知識の確実さの程度もおそらくこれと同じか、あるいはそれよりもなおいっそうはなはだしい割合で、自身から遠ざかるだけ減じてゆくごとくに思われる。特に原因結果の鎖を
しからば光のもっとも明るいところとはどこかというに、われらの考えによれば、これはいまだ哲学などに捕えられぬ子供の心である。哲学などを考えぬ前の子供たちがだれもあると信じていることは、まずあると見なしてかかり、あるともないともまるで問題にしていないことは、まず問題にせずに捨ておき、かような状態を出発点として、次第に知識を増補したり、誤りを正したりしてゆけば、おそらくはなはだしい誤謬におちいらずに進んでゆくことができよう。子供らには自分の目の前の見えている人が、はたして真にいるものか、それとも、ただ自分がかく感ずるだけで、実際にはその人は存在しておらぬのではなかろうかなどとむだなことに頭を悩ます者は一人もない。目の前に見える人間はたしかにそこにいると信じて、これについて疑うてかかるような
さて、出発点だけはまず子供の心と定めたが、それより少しずつ半径をのばしてだんだん周囲のほうに考えをひろげてゆくには、いかなる方法によるかというに、われらの考えによると、ここにもっとも注意せねばならぬのは言葉の
言葉にとらえられたために起こるまちがいの第一は、境界のないところに境界ありと思い誤ることである。元来物の名前は他と区別するためにつけられたものゆえ、差別に基づいているはいうまでもない。互いに相違のある物を一つ一つに別の名をつけて呼ぶことは日々の生活上、便利でもあり必要でもある。子供が言葉を用いるにあたっては、ただ差別をいい現わすだけで、別に境界があるかないかは考えていない。腹が痛むとか、背がかゆいとか、足をくじいたとか、膝をすりむいたとかいうて、不便なく意を通じているだけで、腹とはどこからどこまでをいうか、腹と背との境はどこにあるか、どこまでが膝の領分でどこから先が、足の範囲かというようなことはまるで考えずにいる。子供は物の名を単に他と区別するための方便として用いているが、こうしている間ははなはだしい誤りは生ぜぬ。しかるに人間が哲学をやり始めると、そのままでは承知せず、必ずひとつひとつの言葉に定義を下さずにはおかぬが、これはよくよく
言葉に捕えられたために生ずるまちがいの第二は事物を模型化しながらこれに心づかぬことである。自然物を手に取って調べて見ると一つとして絶対に相ひとしい物はないが、それに一つ一つ別の名称をつけて区別することはとうてい不可能であるゆえ、やむをえずある程度まで互いに相似た物を集めて一組とし、これに対して一つの名をつけた。犬とか猫とか、松とか竹とかいうのはかくしてつけた種類の名であるが、このような名称を用いつづけていると、ついには同じ名で呼ばれる物はみな同一であるごとくに思い、その中の一つ一つが、互いに相異なるという事実を忘れやすい。また同じ名で呼ぶ物の間の相違を忘れる結果として、別の名で呼ぶ物と物との間の相違を常に一定量であるごとくにみなすにいたる。たとえば同じく犬というても一匹一匹にかならず違うものであるに、犬という言葉をつかっていると、犬をすべて同じ物と見なして、その間の相違を無視する傾きが生じ、猫という言葉を用いれば、猫をすべて同じ物と見なしてどの犬とどの猫とでもその間の相違の量はいつも同じであるごとくに感じやすい。これは実際に相違のあるところを相違のない形になおし、凸凹のあるところを平面に造り変えたのであるゆえ、明らかに事実の模型化である。もっとも同じ名で呼ぶ物の間の相違が目立つ場合には、さらにこれを細別していちいちに名称をつけるが、かくしても、ただ階段が一つ下がっただけで取り扱う心持ちは少しも変わらぬ。すなわち犬をセッター、ポインター、テリヤー、グレーハウンド等に分けて、これらの名称を用いればまたセッターをすべて同じ物、ポインターをすべて同じ物と思う傾きが生ずるゆえ、事実を模型化するという点は前にひとしい。一方の高い端から、他方の低い端まで連続している斜面には、高さの同じ部分は決してないが、すべての部分にことごとく名称をつけることはできぬゆえ、その中から最も特徴のいちじるしい点を若干だけ選んでこれに名称をつけて満足するのほかはないが、かくしていちいちの名称の範囲に繩張りをし、繩張り内を水平であるごとくに見なせば、斜面はそのため階段の形に造り変えられる。無限に変化のある物にはそのままでは名がつけられぬゆえ、便宜上これをいくつかの部分に分かち、それに名をつけておくよりほかにいたし方はないが、これはあたかも斜面を階段に造り変えたことにあたる。果物屋の亭主が最大から最小まで
また物に名称をつけると、その物を静止し固定せしめる傾きが生ずる。絶えず動いて変じゆく物にはそのままでは名がつけられぬゆえ、随時にある瞬間をとらえ、これをしばらく静止するものと仮定して名をつけるよりほかにいたし方がない。そうしてかく飛び飛びにいくつかの瞬間をとらえてこれに名称を付し、隣接する名称との間を繩張りで仕切ると、繩張り内だけでは動かなかったごとくに感じ、時の流れはあたかも静止の時期と、一足飛びの瞬間とが互いに相交代するごとき形に模型化せられる。歴史をいくつかの時代に分けて、各時代に、それぞれ名をつけるとややもすれば、かような感じを起こさしめるおそれがある。天地間にある万物はいずれも変化せぬものはないが、名称のほうは固定しているゆえ、名称をつけられ、それで呼ばれると、その物までが固定せるごとくに見なされるをまぬがれぬ。常に変じつつある物を
以上述べたとおり、言葉を用いて物を考える場合には、勢い境界のないところに境界を造ったり、言葉に合わせて事物を模型化したりすることを避けられぬが、このことはむろん有形の物質に限ったわけではなく、無形の抽象的方面にも通じたことである。しこうして有形物のほうでは実際境界があるかないか、模型と実物とが一致するか、せぬかを実物について直接に検査して見る便宜があるから、誤りを見いだすことが、比較的に容易であるが、無形の事物になると、かような検査がすこぶる困難であるために、まるで誤った議論でもなかなか
われらの哲学は以上述べたとおり、子供の心を出発点とし、できるだけ言葉に
人のいうたこと、書物に書いてあることをそのままに信ぜぬのみならず、自分で直接に見たと思うこと、さわったと思うことでも一応は確かめてみる必要がある。生理学の書物を開いて見れば、錯覚や幻覚の例がいくらも出ているが、特別の注意を怠ると、そのためずいぶん誤ったことをそのまま信ずるにいたらぬとも限らぬ。並行線でもこれに
ない物が見えたり、ある物が見えなかったりするのが幻覚であるが、熱病などにかかるとこのことは決してまれでない。もしも世間の人間がことごとく同じ熱病にかかり、同じ幻覚を持ったならば、これを訂正する道はないわけであるが実際にはさような場合は決してあるはずはなく、一人の熱病人の周囲には、数十人数百人の健康な人が控えているゆえ、これとくらべて、病人の幻覚の誤りなることはただちに確かめられる。ガスをかいだり、薬を飲んだりすれば、神経系統にある変化が起こって、幻覚が生ずることのあるべきはだれにも理解せられるであろうが、病気や薬によらずともずいぶん幻覚を生ぜしめうる場合があろう。たとえば日常普通の生活状態とは大いに異なった境遇に身をおいたり、つねには決してせぬような変わったことをなし続けたりすれば、神経系統の具合が変わって、そのため他人には見えぬ物が見えたり、他人の感ぜぬことを感じたりするようになることもあろう。このような場合に、その当人は幻覚を幻覚と思わず、これを真実と確信してその上に勝手な人生観を立てることが多いが、われらから見ればこれは熱病人の幻覚と同一に取り扱うべきものである。インドの宗教信者の行なうような、難行苦行をすれば、ずいぶん光明を放った仏の姿がありありと目の前に見えることもあろうが、これはその当人限りに見えるものでだれにもその存在を信ぜしめるわけにはゆかぬ。特殊の一個人が特殊の修行を積んで、初めて達しえた神経系統の特殊の状態は、普通の健全な人間と異なるという点においては、熱病人と
しからば、われわれは何を信ずべきかというに、われらの考えによれば、普通の健全な人間が、普通の境遇にあって、甲の感覚器の誤りを乙、丙、丁の感覚器によって検査するというだけの注意を払うて見聞したことを信じておくのがいちばん安全である。疑い始めれば、際限がないゆえ、やむをえずどこかでがまんして、信じておかねばならぬが、前に述べた病気や薬による幻覚のことなどを思えば、まず、病気にもかからず、薬の影響をもこうむっていない普通の健康者を標準として、それらの人間が見たと信じ、聞いたと信じていることをともに信じておくのほかはなかろう。われらの哲学は子供の心を出発点とし、言葉の
まず人間について論じてみるに、子供の心に立ち帰ったとすると、確かと思われるのは次のごときことである。自分と同じような人間がたくさんにいる。一人一人をくらべてみるとむろん違うところがあるが、大体においては似ている。身体の形のみならず日々することも大体は相同じである。そのような人間が地面の上に建てた家に住み、毎日食物を食うて生きている。物を食わねば腹が減ってたまらぬ。また人間のほかには犬とか猫とかいうような動物があって、毎日食物を食うている。かれらも食物を食わずには生きておられぬ。このようなことは子供らが固く信じて疑わぬところであるが、われらの哲学によればこれは従来の哲学が脳髄を絞って考えた結論よりもはるかに確かなことと思われる。また男女の交わりによって女が妊娠し子が生まれることは、子供に知らせぬゆえ子供は知らずにいるが、もしも大人の有するだけの経験を持たせたならば、子供は必ずこれを信じて疑わぬであろう。犬や猫の生殖についても同様である。その他人間でも犬でも猫でも、殺されて死に、病気で死に、年をとって死ぬものなることも子供が確かに知っている。なお人間や、犬猫について子供が確かに知っていることはたくさんにあるが、これらの知識を出発点とし、一歩一歩実験的に調べてゆくとついに次のごときことを知るにいたる。
人間の各個体の始まりは男親の

しからばかような人間の集まりなる人類はいかにして生じたものかというに、これは昔はさっぱり見当もつかなかったが、生物学の進歩によって今ではある程度まで推察することができるようになった。これを論ずるのは生物進化論であって、詳しく説けば、それだけでも大部の書物になるゆえ、ここにはとうてい述べるわけにはゆかぬが、その大要だけをつまんでいえば次のごとくである。すなわち人間も他の動物も元はみな同じ先祖から起こった。犬でも猫でも馬でも牛でも、ある時代までさかのぼれば先祖は同じであるが、同じ一族の人間にも兄弟もあれば、従兄弟もあり、従兄弟の子もあれば、従兄弟の孫もあるごとくに、動物各種の間にも互いに縁の遠い者もあれば縁の近い者もある。縁が近いとは共同の先祖から分かれ降ってからまだあまり間のないものをいい、縁が遠いとは共同の先祖から分かれ降ってからすでに長い年月を経たものをいう。縁の近い者ほど身体の形状構造が似ている。縁の遠い者はこれにくらべると身体構造の相違がいちじるしい。ところで人間に最も似ているのは猿であり、猿の中でもアメリカの猿よりは東半球の猿のほうが人間によく似、その中でも
人間の身体は死んで腐っても魂だけは長く後まで残ると信じている人がすこぶる多いようであるが、われらから見れば、これは全く言葉にとらえられた誤りである。生きた人間と死んだ人間とをくらべてみると、生きた人間は身体が温かく、よく運動し、呼吸もすれば、
自然界には数もなければ、寄せ算も引き算もない。数を寄せたり、引いたり勘定するのは、人間が勝手にすることである。しかるに十から三を引けば七が残り、七から二を引けば五が残るというように数を勘定する習慣がつくと、何物にもこの方法をあてはめる癖が生じ、生きた人間と死んだ人間との間に、
かような
霊魂があると信ずる以上は、死んだ人々と意見の交換をしたい場合もときどき起こるが、そのときにあたって、媒介の役をつとめる特殊の人間がおいおい出てくる。野蛮国や半開国には
われらの考えは前にも述べたとおり、霊魂ありとの信仰は、応用すべからざるところに引き算を応用した結果で、その原因はやはり言葉にとらえられたためである。同じ論法を用いれば、
ある哲学書に次のようなたとえ話しがあった。フランス語の少しも分からぬ支那人が二人パリに来て、芝居を見物した。その中の一人はしきりに舞台や楽屋の仕掛けを見て歩き、幕はいかにして上げるか、光はどこから照らすか、
また目に見える宇宙のほかに、別になお一つ目に見えぬ宇宙があると信じている人がすこぶる多い。「見えぬ宇宙」という書物をむかし読んだことがあるが、霊魂があると考える人は、霊魂の住宅として、見えぬ宇宙を認めるのほかに道はなかろう。形もなく、物質もなく、見える宇宙に例外なく行なわれている、物理学や化学の法則を超越したある物が存すると信ずる以上は、見える宇宙のほかに、それとは性質を異にした別の宇宙が存すると考えねば、そのものの入れどころがない。見える宇宙のほかに見えぬ宇宙を想像する人は、頭の中に二階造りの宇宙を画いている。すなわち下の座敷は見える宇宙であって、われわれは現にそこに住んでいる、二階の座敷はすなわち見えぬ宇宙であって、そこには霊魂が大勢下宿している。人間は死ぬと身体だけは腐ってなくなるが、霊魂は早速
あの世とか、未来とか、天国とか、霊の世界とか名はさまざまに違うても、見えぬ宇宙は要するに見える宇宙の二階である。しこうしておもしろいことには、二階座敷はいつも下の座敷によく似ている。人は想像によってすでに知っていることをいろいろに組み合わせることはできても、全く別の物は考え出せぬものとみえて、天国はどこの国でも、下界にあるだけの物で造り、ただそれが理想化せられてある。ある農夫は、もしもオレが王様になったら、肥桶の
前にも述べたとおり、われらの考えによれば、身体から離れた霊魂なるものがあると思うのがまちがいである。しこうしてかかる物がありと思わねば、二重の宇宙を想像する必要は全く消滅する。目に見える物だけをありと信ずる子供の心を出発点とし、言葉に捕えられぬように用心しながら確かに知り得たことだけを考えに入れて論を立てると、見える宇宙のほかになお一つ別の宇宙を想像せねばならぬ理由は少しも出てこぬ。実をいうと、もしも今までの伝統的の考え方をことごとく忘れて、初めから全く新しく考えなおしてみたならば、宇宙は一重か二重かというようなことは問題にものぼらぬ。われらがここに宇宙を二重に考える必要はないというのは、決して宇宙は一重か二重かという問題を研究の価値あるものとしてとり上げ、充分に研究をとげた結果、二重と考えるにおよばずとの結論に達したわけではない。かかることを念頭におかぬ子供の心のそのままの引き続きとして、念頭におかずにいるだけである。
神にはいろいろある。石や木を神として拝むところもあれば、狐や狼を神に祭っている国もある。生きた人間を神として崇める人種もあれば、死んだ酋長の霊魂を神と仰ぐ民族もある。ただし今、ここにはかような野蛮国や半開人種の神について論ずることをはぶいて、単にいわゆる文明国の人々が長い間信じきたった天地の造り主なる神だけについて考えてみよう。
朝、目が覚めたときに枕元に一つのりんごがあるのを見たなら何と思うか。りんごが自然にそこに生じたと思うか、それともまた自分が眠っている間にだれかが持って来てくれたと思うか。よく考えてみよ。りんごがひとりでそこにできるはずはないから、これは必ず、母か姉かが持ってきたものに違いなかろう。わずかに一個のりんごでさえ、だれかが持って来てくれなければそこにあるはずはない。しからばこの世界はいかに。われわれに食物を与え、われわれに衣服を与え、われわれに住居を与えるこの世界は決してひとりで生じたものとは思われぬではないか。しこうしてこの広大無辺な天地を造った者があるとすれば、それは実に知らざることなく、あたわざることなき神でなければならぬ。以上はわれらが子供のとき熱心なキリスト教信者から聞かされたところであるが、造物者ありとの信仰はおそらくかような論法からきているのであろう。しかしわれらの考えによれば、これまた前の支那人の芝居見物と同じく、全くまちごうた類推である。
目に見えぬ神があるという信仰は、むろん目に見えぬ霊魂があるという信仰と密接に関係している。人が死んでも霊魂が残るという信仰がもしもなかったならば、目に見えぬ神の存在だけを信ずることはよほどむずかしい。なぜといえば、ほかにこれと比較すべきものが見当たらぬからである。これに反して、目に見えぬ霊魂なるものがあると信ずる以上は、目に見えぬ神があると信ずることには何のめんどうもない。特に宇宙を二階造りにして、霊魂を二階の座敷に住まわせてある場合には、目に見えぬ神もそこに同居させれば、きわめて好都合である。かような次第で、神のいるところはいつも霊魂のいる場所と同じであり、人が死ねば霊魂だけが神の側へゆくことになる。現に西洋の子供らは親や教師から教えられて、実際このとおりに信じているが、おとなの考えも大多数はあまりこれと変わらぬ。すなわち神はいつも自分の頭の上に位する天にいるものと思い、人が死ねば霊魂は天に昇るものと定め、神を呼ぶには、天に
ヨーロッパやアメリカでは昔から今日までたれもかような天地の造り主なる神があるものと信じ、日々の生活もときどきの儀式もみなこの信仰に基づいて定められた。それゆえ、今日の文明はほとんど神の信仰とは離るべからざるほどに密接な関係を持っているように見える。何ごとも原因なしに生ずるわけはないゆえ、神の信仰がかく広く長く続いているのは、むろん相当の理由がなければならぬが、われらの考えによれば、これは決して実際に神があるからというわけではなく、単に人間の頭が、かかることを信じ得るようにできているのと、さらにかかることを信ぜしめるような事情があるためである。しかし、いずれにせよ、長い間かく信じきたったことゆえ、この信仰はすでに深く人間の心にしみ込み、いまさら理屈によって、かく信ずべき理由はないと思うても、なんとなくその跡に空虚が残るごとくに感じて、不安の心持ちを禁じえぬかもしれぬ。これは一種の惰性の結果として避けがたいことではあるが、純理によって先から先へと考えてゆく哲学においては、全く顧みずにおいてよろしかろう。
以上きわめて簡単に霊魂や神に関するわれらの考えを述べたが、次に人間の社会について一言するに、これも従来の考え方をことごとく捨て去り、何も聞かされなかった昔に帰ったつもりで、根本から新たに考えなおして見ると、現今多数の人びとの信じていることとは大分違うた結論に達する。このことについては、すでに一、二回われらの考えを発表したことはあるが、要点だけをつまんでいうと次のごとくである。
今の世界には人間を相手として対等の競争をなしうる動物は一種類もない。かくのごとく人間が絶対に優勢な位地を占めえたのは何によるかというに、これは脳の発達と団結の力とに基づくことである。人間と他の動物との身体を比較して見るに、爪でも牙でも肺でも胃でも人間よりは数等まさった動物はいくらでもいる。しかし脳髄にいたっては人間だけが一段飛び離れてすぐれていて、これに接近するほどの者は決してない。かくすぐれた脳をもって、人間は物を考え、種々の道具や器械を工夫し、爪や牙ではとうていかなわぬような強敵をもたちまち攻め滅ぼしえたのである。もちろん、道具や器械を造り、操縦するには、それのできる手が必要であるが、手だけならば、人間のほかにもこれを有する獣類は少なくない。すべての猿類はむろんのこと、
しかるに何物でも立派なものが突然生ずるということは決してない。かならず最初いまだ立派でなかった時代があり、それから一歩ずつ進んでついに立派なものまでにでき上がるのである。人間の脳でも団結性でも、そのとおりであろうが、これを絶えず進歩せしめたのは何であるかというに、われらの考えによれば、それは主として、劣った者を滅ぼし、まさった者のみを生き残らせる自然の淘汰であった。特に団結性のほうは団体と団体との競争が長く続いている間には、そのすぐれた団体のみが勝って生き残り、その劣った団体はことごとく負けて滅び失せるに定まっているゆえ、年月を
かくのごとく団体動物では団結性が絶えず進みゆく中にまじって、ただ一つ団結性の進歩せぬ団体動物がある。それは言うまでもなく、人間であるが、人間には特殊の事情があるために、この性質の進歩がとまった。特殊の事情とはすなわち、道具や器械が発達したために、各団体が非常に大きくなり、その結果として、団体を単位とした自然淘汰が行なわれなくなったことである。団結性の程度を標準として、人類が今日までに通過しきたった道を図式に画けば、あたかもパラボラのごとき形となり、始め急な上り坂からだんだん傾斜がゆるやかになり、しばらくは絶頂にあるが、後には少しずつ下り坂に変じ、しかもその
人類の歴史に服従性の増加しきたった時代と、服従性の減少しゆく時代とがあったとすれば、今日の人間社会に矛盾の多いことは何の不思議でもない。今日人間のすることの中には服従性の盛んであったころからの引き続きもあれば、服従性が減少してから新たに思いついたこともある。前者は服従性の減少した新しい人々には我慢ができず、後者は服従性になお富んでいる
一言でいえば、人間の社会なるものは、昔は服従性によって、よく団結していた。しかるに、後にいたって、各団体が大きくなり、そのため自然淘汰がやんで服従性が退歩し始めた。服従性が退歩すれば、物の考え方が変わってきて、従来の制度や習慣には満足ができなくなり、やかましくその改造を迫るという階段までに達したのである。しからば今後はいかになりゆくかというに、団体を単位とした自然淘汰がふたたび起こらぬ以上は、服従性はますます退歩するばかりであろうから、人間の団結はいっそう薄弱になるに違いない。昔の世の中がよく治まったのは、人間に服従性が多量に存していたからであるゆえ、ふたたび昔のような、よく治まる世の中にするには、服従性の復古を図るのほかはない。革命前のロシアのごときは実際この方面に全力を注いでいた。もしもこのことが有効に行なわれがたいとすれば服従性を打ち捨て、自由、平等の関係で一致団結のできるような新案を講究せねばならぬが、そのようなことがうまくできるか否かは、今までの人間のなしきたったことから推し測るとすこぶる疑問のように思われる。
以上はわれらのつねづね考えたことの中から二、三を選み出して、きわめて不完全に述べただけであるが、この文の初めにも断わっておいたとおり、他の人々の考えとは大いに異なったところがある。推理の出発点も、考えを進めてゆく方法も、従来の人々がいかにしていたかということには
われらが神ありと信ずる必要がないというと、ある人はこれを無神論と名づけるかも知れぬ。むろんそれでもいっこう差支えはない。ただし、われらは神はあるかないかという問題を取り上げて、神ありと信ずべき証拠が充分でないと判定したわけではない。考えの出発点が違い、考えを進めてゆく方法が違うので、かような問題に出あわずにいるだけである。火事のあるときに煙を見れば方角だけは知れるが、距離が分からぬために、新宿の火事を江戸川辺かと思うたりすることが往々あるが、世間の人はとかく、自分の考えと一致せぬ考えを聞くと、ただちにこれを自分の考えと正反対の極端のところに位するものと勝手にきめて、そのつもりでしきりに弁駁することが多い。われらは神ありとか神なしとかいう議論には接触せず、ただ側から眺めているだけであるが、有神論者からは極端な無神論のごとくにみなされるであろう。
またわれらが霊魂ありと信ずるにおよばずというのを聞いて、ある人はこれを唯物論と名づけるかもしれぬ。これも前と同様で、われらはかく呼ばれてもいっこうにかまわぬ。ただしこの場合にもわれらは決して唯心論と唯物論とをくらべてみて、その中の唯物論のほうを採用したというわけではない。考えの出発点が違い、考えの方法が違うために唯心論か唯物論かのうち、いずれか一つをとらねばならぬというような境遇に立ちいたらぬゆえ、そのようなことを知らずにすましているだけである。またわれらが宇宙は二階造りとするにおよばずと説くのを聞いて、ある人はこれを一元論と名づけるかも知れぬ。もしもかような考え方を一元論と名づけるならば、われは一元論者であると言われることを決して拒絶せぬ。ただしわれらの一元論は、二元論を排斥して立った一元論ではなく、子供の心からそのままに延びてきた一元論であって、二元論と対立しているなどとは
(大正十年四月)