「おやおや、
惜しいことしちまつたな」
思わず
口から
出たひとりごとだつたが、それを
聞きとがめた
井口警部が、ふりむいて、
「なんだい。
何が
惜しいことしたんだね」
というと
平松刑事が、さすがに
顔を
赤らめひどく
困つた
眼つきになつて、
「いえ
······その
······金魚ですよ。こいつは三
匹ともかなり
上等のランチュウです。
死んでしまつているから、どうも
惜しいことしたと
思いまして」
と
答えたから、
捜査の
連中も
鑑識の
連中もあぶなくぷッと
吹きだすところだつた。
眼の
前に、
人間の
死体があつた。
庭先きの
土の
中に、
大ぶりな
瀬戸物の
金魚鉢が、ふちのところまでいけこんであつて、その
鉢のそばで、セルの
和服を
着、
片足にだけ
庭下駄をつつかけた
人間の
死体が、
地べたに
這いつくばつている。
のちにわかつたが、
死の
原因は
青酸加里による
毒殺だつた。
死体の
両手がつきのばされて、
鉢のふちに
掴みかかろうという
恰好をしている。
多分被害者は、
苦しみもがき、
金魚鉢のところまで
這いよつてきて、
口をゆすぐか、または、
鉢の
中の
水を
飲もうとしたのだろう。その
時、まだ
口に
残つていた
毒が
水中へしたたりおちたために、
金魚も
死んだのだと
思われる。しかし、
問題はこの
毒殺死体だつた。
断じてまきぞえをくつた
金魚ではない。だのに、
人間の
死体のことではなくて、
死んだ
金魚のことを
先きにいつたから、いかにもそれは
滑稽な
感じがしたのであつた。
事件は五
月六
日の
朝、
発見された。
場所は、
岡山市の
郊外に
近いM
町で、
被害者は、四
年ほど
前まで
質屋をやつていて、かたわら
高利貸しでもあつたそうだが、
目下は
表向き
無職であつて、それもたつた
一人きりで
暮していた
刈谷音吉という
老人である。
発見者は、
老人の
家のすぐとなりに
住んでいて、
去年あたり
開業した
島本守という
医学士だつたが、
島本医師は、
警察へ
事件を
通報すると
同時に、
大要次のごとく、その
前後の
事情を
述べた。
「
私は
今朝急患があつて
往診に
出かけました。ところが
往きにも
帰りにも、
老人の
家の
門が五
寸ほど
開きかかつていたから、へんなことだと
思つたのです。
近所でもよく
知つていることですが、
老人はかなりへんくつな
人物です。ひどく
用心ぶかくて、
昼日中でも、
門の
内側に
締りがしてあり、
門柱の
呼鈴を
押さないと、
門をあけてくれません。
私は
気になりました。となり
同士だから、
時々口をきき
合う
仲で、ことに
一昨日は、
私が
丹精したぼたんの
花が
咲いたものですから、それを
一鉢わけて
持つて
行つてやり、
庭でちよつとのうち、
立話をしたくらいです。
私は
老人には、その
時に
会つたきりですけど、どうも
気になつてなりません。それで、
帰宅後三十
分ほどしてから、
老人の
家へ
行つて
見たのですが、
······」
そこは
医師だから、すぐにもう
毒死らしいと
気がついたのだという。
その
時、すでに
体温がなかつた。
島本医師の
意見でも、またあとできた
市警の
医師の
意見でも
死んだのは
前日の
夕方からかけて九
時頃までの
間らしい。
大輪の
花をつけたぼたんの
鉢が、
金魚鉢にほど
近い
庭石の
上にのせてあつた。その
花は、のめずり
倒れた
老人の
死体を、
笑つて
見おろしているという
形で、いささか
人をぞつとさせるような
妖気を
漂わしている。
家の
中は、
昼間なのに、
電灯がついていたが、これはむろん、
事件発生当時からつけつぱなしになつていたのだろう。
庭へ
向いた
縁ばな
||金魚鉢から六
尺ほどのへだたりがあつたが、その
縁ばなにウィスキイの
角びんと、九
谷らしい
盃が二つおいてあつた。一つの
盃からは、ハッキリした
被害者の
指紋が
検出されたが、
他の一つには、
何かでふいたものと
見えて、
全然指紋がついていない。しかしこれで
大体の
推測はついた。
すなわち
老人は、
多分縁ばなに、
庭下駄をはいて
腰をかけ
誰かとウィスキイを
飲んでいたものであろう。
しらべると、びんに
半分ほど
残つたウィスキイに
青酸加里が
混入してあつた。だから
老人は、それを
一口か、せいぜい
二口飲むと
苦しくなり、
金魚鉢のそばまで
這つて
行つて
死んだのにちがいない。
犯人はウィスキイの
相手をしていたが、むろん、
自分は
飲まずに
老人にだけ
飲ませた。そして、
老人の
死んだのを
見とどけてから、
自分の
盃のウィスキイをびんに
戻し、かつ
指紋をぬぐいとつておいて、
悠々と
······もしくはいそいで、この
場を
立去つたのである。
係官たちは、
捜査に
専念しだした。
屋内はべつに
取乱されず、
犯人が
何かを
物色したという
形跡もないから、
盗賊の
所為ではないらしく、
従つて
殺人の
動機は、
怨恨痴情などだろうという
推定がついたが、さて
現場では、とくに
目星しい
発見は
何もない。
この
時、またおかしかつたのは
例の
平松刑事が、
相変らず
金魚のことを
気にしていたことである。よほどの
金魚好きにちがいない。
彼は、
死んだ
金魚が三
匹で一
万円はしたろうということや、
自分は
月給が
少なく、とてもあんなのは
買えないということを、くりかえし
同僚に
話したし、また
事件発見者島本医学士にまで、
同じことをいつた。
「
私は、
女より
金魚の
方が
美しいと
思うんですよ。あなたは
庭で
老人と
立話しをしたつていいましたね。その
時金魚は、どんな
恰好してました?」
「さア、とくに
注意して
見たわけじやありませんからね。しかし
美しい
金魚だとは
思いましたよ。ひらひら
游いでいましてね」
「そうでしような。
私もそれは
見たかつたですよ」
刑事は、
真実残念そうに、ため
息をしているのであつた。
被害者刈谷音吉老人は、もと
高利貸しでへんくつで、
昼日中でも
門に
締りをしていて、
呼りんを
押さないと、
人を
門内へ
通さなかつたというほどに
用心ぶかく、それに
妻子はなく
女中もおかず、たつた
一人きりで
暮していたというのだからそういう
特徴から
判断してみて、
捜査の
手懸りは、かえつてつけやすいほどのものであつた。
当局は、
日ならずして、三
人の
容疑者を
見つけだすことができた。
三
人ともに、
老人の
家へ
時々出入りしているという
事実がある。そこから
着目してある
程度の
内偵を
進めて、その
容疑者を、べつべつに
任意出頭の
形で
警察へ
呼び
出し、
井口警部が
直接に
訊問してみた。
第一の
容疑者は、
青流亭というかなり
大きな
料亭の
女将であつて、
進藤富子という
女だつた。ほんとうの
年はもう五十に
近く、しかし、
磨き
上げた
美しさで、三十を
少し
越したぐらいにしか
見えない。その
訊問の
模様は、
大略次の
如きものであつた。
「あなたは五
月五
日の
夜夕方から十二
時頃まで、どこにいましたか」
「べつにどこへも
行きませんわ。ちやんと
自分のうち、
青流亭のお
帳場にいましたよ」
「ちがうでしよう。
女中から
板前まで
調べてある。
夕方出かけて、十二
時ごろ、タクシーで
帰つたことがわかつている」
「おやおや、たいそうくわしいんですこと。
||じや、
申しますわ。あたしは
女手一つで、
青流亭を
切廻していますからね、
人には
言えぬ
苦労もあるんですよ。ハッキリいうと、パトロンがあります。その、パトロンのところへ
行つていたんですわ」
「パトロンというのが、
殺された
刈谷音吉じやないですか。こちらはあなたがあの
老人のところへ、
月に一
回か二
回、
夜になつてから
行くということをちやんと
確かめてあるのですが」
「いやらしいこと、おつしやらないで
下さい。
刈谷さんは
知つています。
昔からの
知合です。でも、あんなケチンボでへんくつな
男に、どうして
世話になんかなるものですか」
「すると
刈谷老人のところへ
月に一
回か二
回行く、その
用件は
何ですか」
「
用件は
······それは
申せませんわ。ぜつたいにあたし、
申しませんから」
申立を
拒否したとなつたら、それを
強いて
言わせる
権限は
警察にもない。
訊問はこれ
以上にはあまり
進まなかつた。
第二の
容疑者は、
金属メッキ
工場の
技師兼重役であり、
中内忠という
工学士だつたが、この
人物は、
刈谷老人に
高利の
金を
借りていて、かなり
苦しめられていたはずである。
訊問すると、
案外にも
老人のことを、
借金の
取立てがきびしくへんくつだが、
面白いところのある
人物だといつたし、また
借金のことで、べつに
怨恨など
抱いてはいないのだと
答えたが
事実としては
青流亭の
女将と
同じく、いつも
夜になつてから
老人を
訪ねるのが
常で、ある
時、ひどくはげしい
口調で、
二人が
門の
前で
口争いをしていたのをみたという、
近所の
人からの
聞込みもないではない。
彼は、
人柄としては、まことに
温和な
風貌の
分別盛りの
紳士である。
趣味がゴルフと
読書だという。そして、
井口警部との
間に、
次のような
会話があつた。
「
工場でやるメッキは、どんな
種類のものですか」
「なんでもやります。
小さなものでも
大きなものでも」
「
技術はとくに
優秀だそうですね。むろん、
電気メッキもやるのでしような」
「やりますよ」
「メッキの
薬品は、どんなものを
使いますか」
「いろいろですね。
金銀、ニッケルやコバルトなどの
化合物、そして
酸やアルカリです」
「
真鍮もやるのでしよう」
「ええ、もちろん
······」
「その
真鍮と
銀のメッキではとくにどんな
薬品を
使いますか」
その
時、
中内工学士の
顔色がかすかに
動搖したのを、
警部はすばやく
気がついていた。それらの
電気メッキでは、
青酸加里の
溶液が
使用される。その
予備知識があつて、ことさらに
尋ねてみたのだから、
自然にこちらも、
注意ぶかくこの
重役の
態度を
観察していたわけである。
工学士は、ゴクンと
唾をのんだ。
そしてたばこに
火をつけ、ゆつくりと、
「いけませんよ。
老人の
毒殺に
用いられた
青酸加里が、うちの
工場にもあるつてことを、
私の
口から
言わせようとしているんでしよう。ハッハッハ、たしかにあります。しよつちゆう
使つていますよ。しかし、
門外不出、
取扱いには、十
分注意していましてね。
私にしても、そうみだりに
持出すことはできない
仕組になつているんですから」
と、
平静な
顔色に
戻つて
答えた。
五
月五
日夜のアリバイについて
尋ねてみる。
すると
当夜は、
映画を
観に
行つたのだと
答えたが、
映画の
題名をきくと、すぐに
答えられない。
単に
西部劇だといつたが、テクニカラーかどうか、の
質問ではすらすらと、
「テクニカラーでした。すばらしく
美しいものでした。
筋はありきたりの
平凡なものでしたが
······」
と
答えている。
警察から、
市内の
全部の
映画館へ
電話で
問合せをした。
その
返事だと、五
月五
日の
夜、
着色にしろ
無色にしろ、
西部劇を
上映していた
館は
一つもない。
「あの
技師さんに
張込みをつけておけ!」
井口警部は、
鋭く
部下に
命令した。
青流亭の
女将進藤富子も、
工学士中内忠も、
刈谷音吉毒殺犯人としての
容疑は、かなり
濃厚だと
見てよいのだろう。
但し、
当局側の
見解では、まだ十
分なきめ
手がない。
監視つきでひとまず
帰宅を
許したのであつた。
やがて
井口警部は、
第三の
容疑者を
呼び
出したが、それは
皮肉なことに、あの
死んでいたランチュウを、
刈谷老人の
家へ
持つてきたという
金魚屋である。
四十五
歳、
名前が
笹山大作だつた。
その
容疑のもとは、
中内工学士の
場合と
似ていて、
金魚屋と
老人との
間に
貸借関係があり、
裁判沙汰まで
起したという
事実からである。
金魚屋は、その
住宅と
土地とを
抵当にして
老人に
取られて、
再三
再四
立退きを
迫られている。
怨恨があるはずだと、
当局は
睨んだのであつた。
金魚屋は、
見たところまことに
好人物らしい
男で、
次のような
申立を
行つた。
「
刈谷老人が
殺されたことは
知つているね」
「
知つてますよ。いい
気味でさ」
「おどろいたな。よつぽど
憎んでいたと
見えるね」
「そりや
私は、ひどい
目にあつているんですから
||あのおやじくらい、ごうつくばりでケチンボで、
人情なしの
野郎はないですよ。あいつは
税金がかかるから、
表向きの
金貸しをやめたが、
相変らずもぐりの
金貸しでした。
多分、一
億や二
億の
金はためていたと
思うですが、これをまた、
銀行にも
預けず、
株券にもせず、どこかにかくして
持つていやがつたにちがいないです。
殺されたあとで、
家の
中から、
札束の
山が
出たんでしようね」
「ちがうよ。
何も
出ない。その
点はこつちでも
不思議に
思つているくらいだ。
何か
知つていることはないのかい」
「さア、
財産をどう
処分していやがつたか、そいつは
私にやわかりませんや。が、ともかくたいへんなおやじでした。こないだ、ひよつくりきましてね。
私の
利息がたまつている。
利息の一
部としてなるつたけ
上等の
金魚をもつてこいつて、いやがるんです。
私は、
癪だから、三
匹でせいぜい五
千円というランチュウを、三
万円だとふつかけて
持つて
行つたんですが
······」
「
老人は
金魚が
好きだつたのかね」
「どうですかね。あんまり
好きでもなかつたでしよう。しかし、
行つてみると、
尺五
寸ほどの
瀬戸の
鉢が、
庭の
土にいけてあつて、その
鉢は、からつぽだけれど、
水だけはつてあるし、ぐるりに、
白い
砂をきれいにまいてあつて、かなり
大切にして
金魚を
飼うつもりだつてことはわかりました。なんでも、
生き
物というものは、一
度もまだ
飼つたことがない、この
金魚がはじめて
飼う
生き
物だなんていいましてね。
私は、これじやいけない。
雨水がはいらないようにしたり、
日よけも
作り、
猫の
用心で、
金網もあつた
方がいいつてこと、
注意しておいてやつたんですが、どうしました、あの
金魚は、まだ
元気ですか」
「
元気じやないよ。
老人といつしよに
死んでしまつた。
老人が
口から
吐きだした
青酸加里で
死んだのさ」
「あんれま、もつてえねえことしましたね。それじや、あの
金魚は
私が
持つて
行つてから、まる一
日とたたねえうちに、
死んでしまつたことになりますね」
「まる一
日······というと、
金魚をもつて
行つたのはいつのことだね」
「五
月五
日の
朝のうちですよ。
金魚をよこせといつてきたのが、その
前の
日の
夕方でしてね。どうしてだか、ひどくいそいでもつてこいつていうんでした。あいにくと、
私のところには、
利息代りになるほど
金魚がいねえ。
同業のところへ
行つて、そこから
持つていかなくちやならねえから、二
日ばかり
待つてくれといつたんですが、どうでも、いそいでもつてこいつていうんです。五
月五
日は、お
節句で
子供の
日でしよう。ちよつとしたあてこみの
日で、
私は
公園の
方へ
商売に
行くつもりだつたんですが、しかたがない、
方角ちがいのおやじのところへ、あのランチュウを
持つて
行つたというわけでさ」
老人が
殺されたのは、その五
日の
夜だつたから、
朝と
夜との
違いはあつても、
同じ
日に
金魚屋が
行つて
老人に
会つたという
点が、なんとなく
意味あり
気に
感じられる。
アリバイについて
尋ねてみた。
すると
金魚屋は、その
頃の
時刻だつたら、パチンコ
屋にいたと
答えたから、
井口警部はその
実否を、
平松刑事に
命じて
確かめさせることにした。あの
金魚好きな
男に、
金魚屋のことを
調べさせるのも、ちよつと
面白い、と
思つただけのことである。
平松刑事は、ほかの
方面での
聞込みを
漁りに
出かけていたから、
署へ
帰つてすぐに、
井口警部の
前へ
呼ばれた。
「どうだつた?
何か
掴んだかね」
「はァ、ちよつとした
筋でして
······」
「ふーん、どんなこと?」
「
刈谷音吉は、
最近のことだが、だいぶたくさんに
金塊を
買いこんでいたそうですよ。
古い
小判などもあるそうで、これは
地金屋からの
聞込みですが」
「そうかい。そいつは
初耳だな。よしきた。その
件もなお
念入りに
洗つてみろ。それから
君には、
金魚屋とパチンコ
屋のことを
調べてきてもらいたいんだがね」
警部が
話したのは、
金魚屋笹山大作の
申立てについてである。
途中まで
平松刑事はだまつて
聞いた。そして、ランチュウが
老人の
家へ
届けられたのは、お
節句の
日の
朝だとわかつたとたんに、
「えッ! なんですつて、ランチュウは
······」
叫ぶようにいつて
眼を
輝かした。
「オイ、どうしたんだ。ランチュウがどうかしたのかい。
死んでいたランチュウだよ」
警部の
方もびつくりした
顔になつて
聞きかえしたが、
平松刑事は、
「え、そうですよ。
死んでました。しかし、
死ぬ
前には、
生きていたんです」
そういつて
何かの
考えを、
頭の
中でまとめようとする
眼つきになつている。
「ばかだな。
死ぬ
前に、
生きていたのはあたりまえだろう」
「ええ
······そうですね。それはたしかに、あたりまえですが
······その
生きていた
時には、
元気にひらひら
游いでいたといいましたから
······」
「ちよッ! なにいつてるんだ。ものが
金魚だろう。
生きていたら、ひらひら
游ぐのだつてあたりまえだぞ。それともランチュウつてやつは、
游がずに、しやつちよこ
立ちでもしているのかな」
「あッ、そうか、それも
······そうでした。ランチュウは
頭が
重いせいか、
游ぎながらでも、しやつちよこ
立ちになることが
多いんですよ。
||ええと、しかし、へんですねえ」
「どうも
困つた
男だな。いつたい
何がどうしたというんだね」
「そうでした。すみません。わけをハッキリと
話さなくちやいけなかつたんです。
実は、この
事件の
発見者は、
島本守という
若いお
医者さんでしたね」
「そうだよ。そのとおりだよ」
「ところが、その
島本が、
私に、
金魚はひらひらしていて
美しかつたといつたんですよ。
||いや、そんなふうにいつたのじや、わかりませんね。
事件現場での
話です。
私は、
金魚のことばかり
気にしていました。それから
島本に、
生きていた
時の
金魚はどんなだかつて
聞いたんです。
島本は、ぼたんの
鉢を
老人のところへ
持つてきて、
庭で
老人と
立話をしたというのですから、その
時に、
金魚を
見たはずだと
思つたからです。
果して
島本は、とくに
注意はしなかつたけれど、
金魚を
見たつていいました。そして、ひらひらしていて
美しかつた、といつたんです」
「わかつたよ。わかつたが、それがどうしたんだね」
「
島本の
話では、ぼたんの
鉢を
持つてきたのが、
事件発見のあの日、つまり五
月六
日からいうと、
一昨日だといつたんじやないでしようか。その
時以来、
老人には
会わなかつたということもいつたはずです。ところが
金魚があの
土にいけた
鉢の
中へ
入れられたのは五
月五
日、お
節句の
朝だということがわかつたんでしよう。六
日からいつて
一昨日は、つまり、五
月四
日にあたりますね。その
時には、
鉢の
中に、
金魚がいなかつたのじやないでしようか。
いない
金魚を、
島本は、なぜ
見たんですか。いや、たしかに、
見たはずはないんです。それを、
私に、ひらひらしていたなんていつて
······」
まわりくどい
話しぶりだつたが、はじめて
井口警部にも、このことの
重大な
意味がわかつてきた。
島本医師は、
嘘をいつている。
金魚が
死んでいたのを
見て、
多分その
金魚は、
前から
飼つてあつたものだと
考えたのであろう。まだ
鉢に
入れられていない
金魚を、
見たといつて
話したのである。
「なあるほどね。こりや、おかしくなつた」
と
警部も
首をかしげた。
「でしよう? かんちがい、ということもあります。しかし
全然いなかつたものを
見たというのは
······」
「
大至急あのお
医者さんを
洗おうじやないか。
何か
出るよ。すぐとなりに
住んでいるのだ。しかも
医者だ。
毒物の
知識もあるはずだし、
青酸加里だつて
入手できるのだろう。
······よし! やれ! パチンコ
屋なんか、あとまわしでいい!」
そうして
二人は、いつしよに
椅子を
立上つてしまつた。
配下のほとんど
全員に
手配を
命じておいて、はじめはしかし、
島本守には
見張りだけをつけ、
事件現場の
金魚鉢を
調べた。
気がついたとなると、あとからあとからと
新しい
着眼点がひらけてくる。
小鳥一
羽飼つたこともないという、ごうつくばりの
因業おやじが、なぜ
金魚を
飼う
気になつたか、その
点にも
問題がないことはない。
調べると、
果してあつた。
金魚鉢は、ぐるりに、
白い
砂をしきつめてある。
砂をはらいのけると、
埋めたと
見せた
鉢が、すぽりと
土から
抜きとれるようになつているのがわかつた。そして、
鉢の
下は、みかん
箱の
大きさの
空洞で、つまり、
鉢の
下に
何かをかくしておく
場所ができているのであつた。
残念ながら、その
空洞は、
文字通りの
空洞で
何もない。が
金魚屋の
申立て
中にあつた
老人の
財産についての
話と、
平松刑事が
地金屋から
得て
来た
聞込みとを
照らし
合せてみて、
誰の
胸にもピーンと
響くものがあつた。
買いこんだ
金塊や
古小判である。それが
前にはかくされていて、
今はないというだけのことである。
金魚鉢の
位置から、
庭の
楓の
葉がくれではあるが、
島本医院の
白壁が
見えていて、もしその
壁に
穴があると、こつちを
見おろすこともできるはずである。
多分老人は、しばしば
金魚鉢の
下を
覗きにきたことにちがいない。
鉢に
水があつただけでは、
万一の
場合人に
怪しまれると
気がついて、
急に
金魚を
入れることにしたが、
島本医院からは、
前からして
不思議に
思い、
老人の
挙動を
眺めていたものと
考えられる。これでもう
謎は、
大体解けてしまつたのと
同じになる。
「だいじようぶだ。やつつけろ!」
と
井口警部は、
張りきつて
叫んだ。
医師島本守は、はじめは
頑強に
犯行を
否認した。
が、
家宅捜索をすると、
時価概算一
億円に
相当する
金塊、
白金、その
他の
地金が
居室の
床下から
発見されたため、ついに
包みきれずして、
刈谷音吉毒殺のてんまつを
自供するに
到つた。
自供の
内容は、ほとんどあらかじめ
当局側が
想像していたのと
同じである。
が、その
中で、とくに
興味深く
思われたのは、
金魚鉢に
関しての
彼の
述懐であつた。
「
私は、
医師として、
老人の
神経痛をみてやつたことがありそれが
口をききあつたはじめです。
庭の
金魚鉢に、
何かかくしていると
気がついてからは、
近所からも
爪はじきされている
老人に
対し、ことさら
親切にしてやつて、そのかくしているものが
何かということを
知るのに
努めたのでした。ある
時老人が
口をすべらし、
金の
売買が
自由になつた
話をしたものだから、ハッキリとそれは
金塊だろうということがわかつたわけです。
||ウィスキーは、
時々老人が、
縁側へ
出て
一人きりで、
楽しそうにチビチビとやつているのを
見ていましたから、ぼたんの
鉢を
持つて
行つた
時、わざと
半分飲みかけのやつを、とくべつに
味がいいのだからといつて、いつしよに
持つて
行つておいてきました。
庭で
立話しをしたというのはほんとうで、その
時に、
金魚鉢をよく
見ておいたら、まだ
金魚がはいつていなくて、
水がはつてあるだけだとわかつたのでしようけれど、
実は
私は
金魚鉢には、いつもわざと
眼を
向けぬように
心がけていました。というのは、そんな
挙動を
見せて
老人が
私を
警戒したら、という
心配があつたからです。むろん、
金魚鉢だから、
金魚がいるのだとばかり、はじめから
思いこんでいたのでして、だから、
死んだ
金魚も、ぼたんの
鉢を
持つて
行つた
時、ひらひら
游いでいたはずだと
考え、
話しかけてきた
刑事さんに、ばつを
合せるような
返事をしたわけです。あとで
考えてみた
時、
事件発見者としての
私は、
何一つやりそこないをしなかつたという
自信がありました。
容疑はぜつたいにかからないものときめていたのですが、そんな
小さな
不注意がもとで、とうとう
疑いがかかつたというのは、
正直なところ、まことに
残念でもあり、また
悪いことは、やはりできないものだということを、しみじみ
考えさせられた
次第です
······」
これで
事件は
完全に
解決されたといつてよいのであろう。
ほかに、三
人の
容疑者があることはあつたが、むろんこうなれば、
問題とするところは
何もない。
それらの
人について
調査の
結果は、ついに
発表されなかつたが、
事件解決後、
青流亭女将進藤富子は、
醉つて
腹を
立てた
口調になつて、やはり、ある
料亭の
女将である
女友達に
向い、
「ばかにしてるのさ、あたしはね。ほんとうはあの
高利貸しに、むかしお
金を
借りて、ひどい
目にあつたことがあるの。しかえしをしてやろうと
思つていたわ。しかえしに、
色仕掛けで、たらしこんでしこたま
金を
出させてやろうと
考えたつてわけ。ところが、ほんとうに
因業おやじでどうにもならない。おまけに、
嫌疑までかけられてさ。
警察で、いろいろ
尋ねられた
時色仕掛けの
話なんかできやしないし、つくづく、いやになつちやつた
······」
と
語つたし、メッキ
工場の
中内技師は、
自宅でその
妻に
対し、
「いや、もう、ぜつたいにやらんよ。
後楽園の
鯉を
釣りに
行つてたなんてこと、
気まりが
悪くて
人に
話せやしない。だから、
映画見ていたなんていつちまつたのだが、ともかく、コリゴリだ
[#「コリゴリだ」は底本では「コリコリだ」]。
平生から
君がよせといつたのをきけばよかつた。これは
私の
失敗。
甚だすみませんでした。
謝ります」
いささかおどけた
顔になつて、
畳に
手をついて
謝つたが、一
方、
犯人逮捕で
第一の
殊勲者平松刑事は、ある
日のこと、
金魚屋さん
笹山大作の、
思いがけぬ
訪問をうけた。
「あとでよくわかつたんだが、
私もおどろきましたね」
「ふーん、
何をだね」
「この
私にまで
嫌疑をかけていたんじやねえですかい。とんでもねえことですよ。
私はあのおやじを
憎んでいたにや
憎んでいた。しかし、
殺すのだつたら、
青酸加里なんてやさしい
殺し
方はしませんよ。てんびん
棒かなんかで、
殴り
殺しにでもしなきや、
腹の
虫がいえねえんですからね
||。が、まア、
殺されやがつて、
天罰というところでしよう。ありがてえと
思います。
旦那にも、お
礼を
言いてえと
思いましてね」
「
冗談じやないぜ。それじやまるで、ぼくが
刈谷を、
殺してやつたというふうに
聞えるじやないか」
「ああ、そうか。こいつは
私の
言いそこないだ。が、ともかく、お
礼のつもりで、いいものを
持つてきましたよ。
旦那は
金魚が
好きだそうですね。ランチュウの
子がありまして、こいつは、うまく
育てりや、
大したものになるでしよう。いえ
値段はいいです。さしあげるんですよ。
餌は、
当分のうち、
卵の
黄身にしてください。
青酸加里だけは、
禁物ということにしましてね」
藻まで
添えて、
数匹の
仔魚を、
親切にも
持つてきてくれたのである。
人間の
死体よりさきに、
金魚の
死んだことを
気にした
平松刑事は、
有頂天になつて
喜んで、その
日は
署を
早帰りしてしまつた。
自宅には、
金塊こそないけれど、でめきん、りゆうきん、しゆぶんきん、
各種各様の
金魚が
飼つてある。ランチュウを
木製の
鉢にいれて
長いこと
眺めて、
嬉しそうに
口笛をふきだした。
(終)