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坪内先生を憶ふ

相馬御風




先生は逝きたまひけりその事のあまり大きく語るに惑ふ

生き死にのさかひはすでに打越えてゐたまひにけむしかは思へど

もぐ/\とみくち大きくうごかしてハムレット、マクベス講じたまひし

みそとせの昔もすでに老先生と呼びまゐらすにふさひたまひし

ふる城の大き旗竿倒れしにたとへし人の言うべなはむ

老いてます/\創作欲のつのり來しに逆らはずぐん/\生き了せましき

先生の亡きあともなほ二もとの老木の柿はならび立てりとふ(熱海双柿舍をおもふ)

いとせめて一度はたづねまをさまくひた願ひつつ終に果さゞりし

おんふみのたびにわがこと案じたまひ仰せたびにし言は忘れじ

島村先生夙に亡く今し又老先生をおくりまつらく

若き師も老師も共に同じ國へゆきましけむかわれただ泣かゆ

おのが身の弱きにかまけみはふりにまいもまうでずわれただ泣かゆ

佛壇にみあかしともし香焚きてひとり泣きつつ拜みまをしぬ

老先生に對しまつりても若先生わかせんせいに對しまつりてもわがままなりし我

わがままな片意地なわれの生き方を先生はつひにうべなひたまひし

先生におわかれ申しはたとせをかそけくひとり生きて來にけり

しなさかる越路かそけき片隅にわがひとりゐて先生をおもふ

先生はまこと大きく生きたまひまこと大きく死にたまひけり

先生のおんいさをしを讃へむは敢てわれらをまたずともよけむ

うつせみのこの世に生きて先生の如き大き師をわれら持ちたれ

うつせみのこの世にませし先生はただなつかしき先生なりし

うつせみのこの世にませし先生をわれいつまでもたゞに慕はむ

うつせみのこの世にませし先生は情こまやけき先生なりし

文机のわきに置けとて便利よきくすの手箱をたまひし先生

小切ものはこれに入れよと品のよき唐櫃までもおくりたびにし

もたいなきほどにこまかく氣のつきて而も大きなる先生なりし

「何事もみな昔とぞなりにける」かく良寛はうたひけらずや

何事も昔のままのこの世とはゆめ思はねどわれただ泣かゆ

何事もみな昔とはおもへども現身うつそみわれし泣かざらめやも

未亡人せん刀自より先生のおんかたみとして御絶筆をいたゞく

まんまろき白木の盆に濃き墨もて圓融無碍と書きたまひけり

過ぎ來し方いとはるけしとのたまひしは今年元旦のみうたなりしを






底本:「相馬御風著作集 第六巻」名著刊行会

   1981(昭和56)年6月14日発行

底本の親本:「相馬御風随筆全集 獨坐旅心」厚生閣

   1936(昭和11)年7月3日初版発行

入力:フクポー

校正:岡村和彦

2017年1月12日作成

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