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||今回は第十番てがらです。
ところが、少しこの十番てがらが、右門の
事件の
ところが、帰ってみると、火もつけないで暗い奥のへやに、るす中例のおしゃべり屋伝六がかってに上がり込んで、ちょこなんとすわっているのです。伝六とても生き物である以上は、ときに横へはうこともあるであろうし、あるいはまたさかだちもするときがあるでしょうから、たまにお行儀よくすわっていたとて、なにもことさらに不思議がる必要はありませんが、どうしたことか、そのすわり方というものがまたおそろしく神妙で、あの口やかましいがさつ者が、まるで人が変わったようにひどくきまじめな顔をしながら、しきりとなにか考え込んでいたものでしたから、珍しく主客が変わって、きょうばかりは右門が聞き役となりました。
「どうしたい。いやにおちついているが、おへそのつくだ煮でも食べすぎたのかい」
すると、伝六が黙ってなにか気味のわるいものでも見るように、向こうのへやのすみをあごでしゃくったものでしたから、なにげなく右門も視線を移すと、少しばかりめんくらいました。そこの薄暗いへやのすみに、豆からはえた子どもではないかと思われるくらいな、珍しいほどにも小造りのちまちまっとした少年僧が、衣のそでをたくしあげて、いかにもこまちゃくれたかっこうをしながら、ちょこなんとこちら向きにすわっていたからです。たいていなことにはおどろかない右門でしたが、それにしてもその豆僧の小さかげんというものは、むしろかわいさを通りこして少しおかしいくらいでしたから、ついいぶかしさのあまり冗談をいって尋ねました。
「ひどくまとまって粒がちっちゃいが、まさかおもちゃじゃあるまいね」
「そう思えるでしょう、だから、あっしもさっきからこうやって、しげしげと見物していたんですよ」
「じゃ、おめえが連れてきたんじゃねえのかい」
「いいえ、連れてきたな、いかにもあっしですがね、それにしたって、どうも少し変わりすぎているから気味悪がっているんですよ」
「何が変わっているんだ、少し造りが小粒なだけで、見りゃなかなか利発そうじゃねえか」
「ところが、いっこうバカだかりこうだか見当がつかねえんですよ。年はやっと九つだとかいうんだがね。さっき通りがかりに見たら、くまを切るんだといって、しきりとつり鐘をたたいていたんですよ」
「禅の問答みたいだな。じゃなにかい、そのつり鐘がくまのかっこうでもしていたのかい」
「いいえ、それならなにもあっしだって不思議に思やしねえんだがね。実あきょう
「じゃ、それがおかしいんで、ひっぱってきたんだな」
「ええ、ま、そういえばそうなんだが、その先が少し不思議だから、そう急がずにお聞きなせえよ。だから、あっしも妙なことをいう豆僧だなと思いましたからね、だって、このつり鐘がくまの形も犬のかっこうもしていねえじゃねえかってきいてやったら、あたりめえだい、つり鐘がくまやこまいぬのかっこうしていたら、おじさんの頭はとっくに三角のはずだいって、こんなことをいうんですよ」
「ほほう、なかなか達者だな。じゃ、なんだっていうんだな。そのつり鐘をけいこ台にして、剣術のけいこでもしていたっていうんだな」
「そ、そうなんですよ。だから、いよいよいわくがありそうだなと思いやしたから、どこにそのくまがいるんだってきいてやったら、どこにいるかわからねえが、うちのたいせつなあんちゃんがそのくまに殺されたから、それでかたきを取るためこうやって、毎日けいこしているんだっていうのでね、ひょっとすると、こいつあまただんなの畑だなと気がついたものだから、何はともあれいっぺんおめがねにかけなくちゃと思って、わざわざひっぱってきたんですよ」
「そうか、なかなか禅味のある話でおもしれえや。
すでになにか見抜いたところでもあるかのごとく、右門はまず一服というようにしみじみと茶をたしなんでいましたが、そこへ伝六が
すると、少年僧は恐るるけはいもなくちょこちょこと前へ進みながら、さすがは作法に育てられた
「遠いところをよくいらっしゃいました」
つい平生お寺で人の顔をみたらそういえと教えられてもいたものか、主客をまちがえて主人の右門によくいらっしゃいましたといったものでしたから、むろんのことに思いやりのない伝六はぷッと吹き出しましたが、しかし右門は反対に、かえってそのむじゃきなまちがいが愛くるしさを添えましたので、目を細くしながら答えました。
「はいはい、これはどうもごていねいなごあいさつで痛み入りました」
そして、自分の手あぶりを半分そちらへ回してやると、赤くかじかんでいる少年僧の豆みたいにちっちゃな両手を、上下から暖めるように持ち添えてやりながら、やさしく尋ねました。
「お名まえはなんといいますな」
「モクザンと申します」
「モクザン······? モクとはどのように書きますな?」
「黙った山と書きます」
「ああ、なるほど、その黙山でありましたか。なかなかよいお名まえでありますな。生まれたお国は?」
「
「なに、天竺······? 天竺と申せば
「うちのお師匠さまが申されました。仏の道に仕える者は、みんな
「ははあ、なるほどな、なかなか利発なことをいいますな。きけばお兄いさまがあったそうじゃが、おいくつでありました」
「十二でござりました」
「ほう。では、そなたのようにかわいかったでありましょうな」
「はい、みなさまが源空寺の豆兄弟、豆兄弟とおっしゃいまして、ときどきないしょに、くりのきんとんなぞをくださりました」
「ほほう、くりのきんとんをとな。では、お兄いさまもそなたのように源空寺へお
「はい、鉄山と申しまして、わたくしよりか太鼓を打つことがじょうずでありました」
「なるほどのう。でも、今きけばくまに殺されたとかいうてでしたが、そのくまというのは、けだもののくまでありましたか、それともくまという名の人でありましたか」
「それがくまという名の人じゃやら、けだもののくまじゃやらわかりませぬゆえ、毎朝お
いうと少年僧は、阿弥陀如来の何もいってくれぬことが、くやしくてくやしくてならぬというように、突然じわじわと両眼をいっぱいのしずくにうるませました。右門もついそのむじゃきな信仰に胸を打たれて、ほろほろと涙を催しましたが、それだけにいっそうこの少年僧の偽りを含まぬ陳述は、しだいに職業本能をそそりましたので、語をつづけながらさらにやさしく尋ねました。
「では、お兄いさまが、どこで、どのようにご最期をとげたかもわかりませんのじゃな」
すると、少年僧は急に元気づいて、活発に陳述いたしました。
「いいえ、そのことならばよう存じてござります。つい十日ほどまえの晩がたでござりましたが、お師匠さまのお使いで浅草へ参りましたのに、どうしたことやらお帰りがおそうござりましたので、わたしがあそこの門前へ出てお待ちしておりましたら、衣までまっかになさって、よろよろしながら帰ってまいりますると、いきなりわたくしの足もとへばったり倒れたのでござります」
「ほう。では、そのときお兄いさまはどこぞ切られておいでなすったのじゃな」
「はい、肩のところを大きくぐさりと切られてでござりました」
「肩をのう。それで、そなたはどういたしました」
「だから、いっしょうけんめい傷口のところを押えて、お兄いさまお兄いさまと呼んでさしあげましたら、くまにやられた、くまにやられた、とこのように、たったふたことおっしゃっただけで、それっきりもう極楽へいんでしまわれました」
「なに、たったふたこと? では、どこでそのくまに会うたかもいわずにいんでしまわれたというのでありますな」
「はい、よっぽどおくやしそうだったとみえて、息が絶えてしまうときにも、お兄いさまはお目々にいっぱい涙をためてでござりました」
「おかわいそうにのう、そなたもさぞお力おとしでありましたろう。||では、それゆえ人間のくまじゃやら、けだもののくまじゃやらわからぬけれど、お兄いさまのかたきを討つために、ああして毎日、つり鐘と剣術のおけいこをしていなさるのじゃな」
「はい。
言い終わると、少年僧はじいっと空をみつめて、太鼓を打つことがじょうずだったというその兄僧が、どんなに自分にとってやさしくなつかしい存在だったかを新しく思い出しでもしたかのように、きらきらとまたまつげをしずくにぬらしました。
2
||右門は逐一のその陳述を聞いてしまうと、ややしばし腕を組みながら、じっとまなこを閉じて、なにごとかを考えつづけていましたが、だんだんと不審な徴候をみせだしました。第一はその沈思黙考の時間が珍しく長引いたことです。第二にときどき立ち上がって腕を組んだまま、みしりみしりと廊下を歩きだしたことです。第三はいつにない困惑の情を見せて、いくたびもふうっと大きなためいきをついたことでありました。
それらのどれもこれもが、あの事件に当たってつねに推断の早きこと神のごとく、明知の俊敏透徹たること古今に無双というべきむっつり右門にしては珍しすぎることでしたから、いかにも不審といわなければなりませんが、しかしひるがえって、よくよくこれを右門とともにわれわれも考えてみるとき、かれがかくのごとくに思い悩むのは、一面また無理のないことというべきでした。
なぜかならば、そこに材料として提供されているところのものは、あまりにも少なすぎたからです。各自が胸に手をおいて考え直してみてもわかることですが、ただひっかかりとなりうべきものは、それなる非業の凶刃に倒れた兄少年僧の断末魔のときに叫び残したことばのみがあるばかりでありました。くまにやられた、くまにやられた、というそのたったふたことがあるのみでした。しかも、そのくまなるものが人間の名まえのクマであるか、あるいはけだもののクマであるか、事実はいたずらなるなぞを残したままで、本人とともに遠く幽明境を異にしたあの世へいってしまっているんですから、これはいかにむっつり右門が神人に等しい無双の
けれども、そういうとき右門には、忘れてならぬ最後の手段がまだ一つあるのです。こんなふうに考えのつかないときや、容易に推断の下せないときは、これまでもしばしばその手を用いましたからむろんご記憶のことと思いますが、ほかでもなくそれはあの碁盤に向かうことなので、だからかれはふと思いつくと、重そうに床の間から愛用のそれなる一式を持ち出して、端然と正座しながら、心気をその一石にこめるごとく、音もほがらかにピシリと石を打ちました。
と||、まことに効果はてきめんとでもいうべきでしたか、一石打ちおろすやいなやに、突然にやにやと笑いだしながら、つぶやくようにいいました。
「なんでえい。とんでもねえだいじなことを忘れてるじゃねえか」
それもたちまちいっさいの氷解がついたもののごとくに、とんだことを忘れているといったものでしたから、はらはらとしていた伝六のおどり上がって悦に入ったことはもちろんのことなので||、
「ちえッ、ありがてえッ。碁盤さまさまだ。じゃ、例のごとく
飛び出しそうにすると、だが、右門の忘れていたというその忘れごとは、少し意外な方面でありました。
「違うよ、違うよ。さっきからどうも何かだいじな忘れ物をしているように思ったから、いっしょうけんめいああやって廊下を歩きながら考えていたんだが、よく考えてみりゃ、おら、おなかがへっているよ」
人を食ったことに空腹だといったものでしたから、出鼻をくじかれて、伝六が当然のごとくに鳴りだしました。
「ちえッ、冗談も休み休みおっしゃいよ! ほんとうにあきれただんなだね。まじめくさって、おなかがすいてるたあなんのことです。だんなのおなかは、身の内じゃねえんですか!」
しかし、右門はようように重大事件を思いついたというような顔つきで、至極きまじめにいいました。
「おこったってしかたがないよ、おれがすきたくてすくんじゃねえ、おなかのほうがかってに減ってくるんだからね。大急ぎでなにかこしらえておくれよ」
「知りませんよ。いくらかってにおなかのほうから減ってくるにしたって、他人のものならだが、お自分の身の内なんだからね。なにもそんなことわざわざ碁盤を持ち出してみなくっても、わかりそうなもんじゃござんせんか」
伝六の雲行きがとりつくしまのないほどにも、ひどく険悪でしたものでしたから、苦笑しいしいお台所のほうへはいっていったようでしたが、まもなく
しかし、そのときふと気がついたのは、そこにちんまりとお行儀よくすわりながら、手あぶりの上へ両手をかざしていた少年僧のことです。ちらりと見ると、少年のむじゃきさに、しきりと空腹らしいけぶりを見せていたものでしたから、思いついて右門は声をかけました。
「そなたもまだでありましたか」
「はい。お相伴させていただければしあわせに存じます」
活発にいうと、おくする色もなくちゃぶ台についたものでしたから、右門は当然のごとくにあり合わせの精進物だけをそちらへ分けてやりました。しかるに、少年僧は少しく奇怪でありました。いっこうそれらの精進物にはしをつけようとしないで、しきりと興津鯛のほうにむじゃきな色目を使いだしたものでしたから、なんじょう右門のまなこの光らないでいらるべき、普通の者ならたいてい見のがすほどのささいなことでしたが、早くも大きな不審がわきましたので、さりげなく尋ねました。
「そなた生臭をいただくとみえますな」
「はい、ときおり······」
「なに、ときおり? でも······? 仏に仕える者が、生臭なぞいただいたのでは仏罰が当たりましょう?」
「だけど、お師匠さまがときおりないしょで召し上がりますゆえ、そのお下がりをいただくのでござります」
と、||はしなくもいったその一語を聞くやほとんど同時でありました。それまでは、どこからこの難事件に手をつけていくのか危ぶまれていましたが、がぜん捕物名人はらんらんとそのまなこを鋭く輝かさすと、伝六をしかるようにいいました。
「それみろ! きさまはおれが腹の減っていることを思い出したといったら、人間じゃねえような悪態をついたが、碁盤のききめはもうこのとおりてきめんだ。思い出したからこそ、こんなもっけもねえ手がかりがついたじゃねえか。さッ、大急ぎに行って、あの源空寺の住職をしょっぴいてこいッ」
「え

「どじだな。きさまの耳はどっち向いてるんだ。うちのお師匠さまはときおりないしょで生臭を食うと、たった今、この黙山坊がはっきりといったじゃねえか。何宗であるにせよ、仏にかしずいている身で、生臭なんぞ用いるやつにろくなものはねえや、ひとっ走りいってしょっぴいてこい!」
「なるほどね。こうなりゃ腹の減るのも見捨てたものじゃねえや。じゃ、寺社
「そんなやかましい手続きはいらねえや。ちょっとお尋ねしたいことがあるからといって、じょうずにおびき出してこい!」
がってんだとばかりにしりからげて走りだしたものでしたから、もうここまで道がひらけていけば、あとは、右門の国宝ともいうべき、鋭利
3
かくして、待つことおよそ小半とき||。
むろん、もう伝六もこういうことには相当場数を踏んでいるはずでしたから、まさかへまをするようなこともあるまいと思って安心しながら待っていると、だが、案外なことに、帰ってきたのはその伝六ひとりでした。
しかし、ひとりではあったが、はいりざまに、珍しく今度ばかりはすこぶる景気のよい報告をもたらしました。
「ね、だんな、だんな! 下手人の野郎は、いよいよあの生臭坊主と決まりましたよ」
「だって、肝心の玉を連れてこないことにはしようがねえじゃないか」
「だから、あの坊主がくせえっていうんですよ。ね、あっしがお番所の者だといったら、やにわと逐電しちまいましたぜ」
「えッ、そりゃほんとうかい」
「ほんとうにもうそにも、だからこうやって、あっしひとりでけえったんじゃござんせんか」
「じゃ、なにか
「ところが、そいつがおおちげえなんですよ。どうやら、生臭坊主うたたねをしているようすだったからね、いきなり
「なるほどな、少しにおいがしてきたかな」
「においどころじゃねえんですよ。だから、久しぶりでひとつ、だんなの鼻をあかしてやろうと思ってね、近所の者にこっそり身がらを当たってみたら、なにをかくそう、あの生臭坊主がくまっていう名だそうですぜ」
「なに、くま! そりゃほんとうか!」
「ちゃんとこの耳でいま聞き出してきたばっかりだから、まちがいっこありませんよ。ちっと変な名なんですがね。
事実としたら、八丁堀の者と聞いて、やにわに逐電した点といい、その名に
まことに回を重ねることここに十回、今度こそはようように待たれたむっつり右門の
右門はなつかしむようにややしばしうち見守っていましたが、にんめりとぶきみに微笑しながら、ぱちりと
けれども、不審なのはその目ざした方角でありました。いま伝六が帰ってきての報告によれば、疑問の住持熊仲和尚は早くも風をくらって逐電したとはっきりいっているのに、お供を急がせた行き先は紛れもなくその源空寺でしたから、逃げ伸びたあとへなぞ行って何にするのだろうと思われましたが、しかし行きつくと同時に、すぐとそのなぞは判明いたしました。ほかでもなく、その逐電した行き先が、遠方へ高飛びしたか、それとも近所に潜伏しているかそれを点検に来たので、少年僧黙山を案内に立たせながら、そこに取り散らかされてあった身の回りの品を
「||あんなことにかんしゃくをおこして、ほんとうにいやな人だね。あたいはこんな水商売こそしているが、金や男ぶりに目がくらんでおまえさんなんかに······じゃないよ。だから、きげんを直して、もう一度あすの晩にでもおいでよ。ただし、来る節は忘れずに······またおみやげをね。でないと、あたいはまた血の道をおこしてやるよ。では、万事その節のうれしい口説まで、||ひのき稲荷 のご存じより」
見ると、中には以上のごとくに、許しがたき女犯にまで立ち及んだ痴文がしたためられてあったものでしたから、なんじょう右門ののがすべき、ただちに「そなたひのき稲荷というのはどこか知っておりませぬか」
「よく存じております。こないだお兄いさまのおつかいにいんだところも、やはりそこでござりました」
「なに

「はい。お師匠さまのお
がぜん事件の秘密はここに一道の光明をもたらして、いよいよ
「ちくしょうッ、ふざけたことぬかしやがって、姪御さんが聞いてあきれらあ。肉親のおじさんにみだらがましい······をねだる姪もねえじゃねえか。さ、伝六ッ、十手の用意をしておけよ!」
いうと、表に待たしておいた駕籠に飛び乗りながら、いっさんに浅草めがけて道を急ぎました。
行ってみると、なるほど田原町を左へ折れた路地口に大きなひのきが一本あるので、目あての三味線の師匠というのは、ちょうどそのひのきの奥隣に見つかったものでしたから、右門は万一逃走の場合を考えて、裏口に伝六を張り込ませておくと、黙山を伴いながら案内も請わずに、ずいと座敷へ上がりこみました。
と||、それなる熊仲和尚は、なんという生臭でありましたろう! 青てかの道心頭をも顧みず、女のなまめいたどてらをひっかけて、

「この生臭めがッ。そのざまはなんじゃ。もう逃がしはせぬぞ。さッ、神妙にどろをはけッ」
むろんのことに、相手はぎょッとなって、すでに生きた心持ちもないような青ざめ方でしたが、しかし震えながらいったことばが少し意外でした。
「ど、どうも恐れ入りました。いかにも出家の身に不届きな女犯をおかしましてござりますゆえ、もうこうなれば神妙におなわをちょうだいいたしましょう。||さ、おみち、おまえももう度胸をすえて、おとなしくお番所へいきな」
いうと、女はおみちという名まえであるのか、因果を含めて両手をうしろに回しながら、割合神妙におなわを受けようとしたものでしたから、右門はやや不審をいだいてたたみかけました。
「まてまて。今きさまの申したところをきけば、女犯の罪ばかりのようなことをいうが、では、これなる黙山の兄をあやめた下手人ではないというのか!」
「め、めっそうもござりませぬよ。では、だんながたは、てまえが兄の鉄山を討った下手人と見込んで、お越しなさったのでござりまするか」
「さようじゃ。いろいろ考え合わしてみるに、てっきりそのほうのしわざとめぼしがついたゆえ、かく黙山同道にて
「目きき違いも、目きき違いも、大きなおめがね違いにござりますよ」
「でも、これなる黙山の申すには、兄を討った者は、そなたの名まえ同様、くまと名がつくというてじゃぞ」
「ばかばかしい。わたしの熊は同じ熊でも読み方が違いますよ」
「なんと申す」
「ユウチュウと申します」
「なに、ユウチュウ?」
「はい、熊という字と仲という字がありますから、クマナカと読みたいところですが、あれはユウチュウと読むのがほんとうでござります。また、坊主の名まえにクマナカというのもおかしいではござりませぬか。ユウチュウと読んでこそ、坊主らしい名まえでござりましょう?」
「いかにもな。しかし、それにしてはあのとき小者が呼びに参ったのに、なぜいちはやく姿をかくした」
「お番所に用があると申されましたゆえ、てっきりもうてまえの女犯の罪があがったものと早がてんいたしまして、かく逐電したのでござります」
「なんじゃ、ばかばかしい。これがほんとうにひょうたんから
意外にもにらんだほしは全然の見当違いであったことがわかりましたものでしたから、右門はおもわず吐き出すようにいうと、からからとうち笑いました。
けれども、いうがごとくにひょうたんから駒は出たかもしれませんが、ここにいたって、いよいよ迷宮にはいってしまったものは鉄山殺しの犯人自体です。
「まちがいとおわかりでしたら、実はだんなにおりいってのご相談がござりますがな」
「なんじゃ」
「もう二度とかような女犯は重ねませぬによって、今度のところはお目こぼしを願いたいものでござりますがな」
「虫のよいことを申すな。女犯の罪は出家第一の不行跡じゃ。おって寺社奉行のほうに突き出し、ご法どおり日本橋へさらし者にしたうえ百たたきの罰を食わしてやるから、さよう心得ろ」
「いいえ、ただでとは申しませぬよ。だんなのお捜しになっていらっしゃる鉄山殺しの下手人に思い当たりがござりますので、それを引き換えにしていただきとうござりまするが、いけませぬかな」
「なにッ? では、きさま、その下手人をよく存じていると申すのか」
「知らいでどういたしますか、兄の鉄山も、そこの黙山も、もとはといえばてまえが門前に行き倒れとなっているのを拾いあげたのでござりまするよ」
「それは何年ごろじゃ」
「忘れもしないちょうどおととしの秋でござりましたが、朝からひどい吹き降りのした晩でござんしてな、
「すると、生まれは江戸の者ではないのじゃな」
「へえい。南部藩のご家中で、どういうものかおじいさまの代から浪人をしていたとか申してでしたが、きいたらかたき討ちに来たと、このようにいうのでござりますよ」
「なに、かたき討ち? では、なんじゃな、もうそのとき、このいたいけな兄弟たちは、なみなみならぬ素姓なのじゃな」
「へえい、さようで。そこの黙山はまだ七つくらいでしたから何も存じませなんだようでしたが、兄の鉄山は九つか十でござりましたから、いろいろ手当をすると、いま申したようにかたきを捜して、江戸へ来たといいましたのでな、だれのかたきだと尋ねましたら、姉だというのでござりまするよ」
「では、親たちを国に残してきたというのじゃな」
「いいえ、それが早く両親に死に別れて、姉と三人兄弟だったというんですがな」
「するとなんじゃな、よくある横恋慕がこうじて、つい手にかけたとでもいうのじゃな」
「たぶんそうでござりましょう。おねえさまは南部のお城下で、お殿さまさえもがおほめになった小町娘だったというてでござりましたからな」
「女のこととなると、感心にくわしいことまで覚えているな」
「ご冗談ばっかり||。だから
「なに、くま

「生きた二匹のくまを大きな
「なるほどな、またとない手がかりじゃ。して、そのとき鉄山はいかがいたした」
「だから、すぐにも飛び出しそうにしたゆえ、てまえがきつくしかっておいたのでござりまするよ。なにをいうにもまだ十二やそこらの非力な子どもでござりますからな、もし早まって返り討ちにでもなったらたいへんだと存じましたので、もう少し成人してから討つように堅くいいきかせておいたのでござりまするが、やっぱり子どもにはきき分けがなかったのでござりましょう。ちょうどあのけがをして帰った日のことでござります、お恥ずかしいことですが、これなる女のもとへ使いによこしましたところ、その帰り道かなんかで、またまたくまを連れたかたきを見かけ、てまえの堅くいいおいたことばも忘れて、むてっぽうに名のりをあげたために、ついついあのような返り討ちに会うたのではないかと存じます」
「いかにもな。それならば、くまにやられたと申した鉄山のことばとも符節が合うているが、しかし、なぜそれほども詳しい下手人の面書きがついているのに、これなる黙山へは厳秘にしておいたのじゃ」
「だんなにも似合わないお尋ねでござりまするな。もしも黙山に詳しいことを知らして、またまたこれが子ども心にかたきを追いかけ、このうえつづいてむごたらしく返り討ちになるようなことがござりましたら、いったいあとはだれがきょうだいたちのかたきを討つのでござります? まるで、血を引いたものは根絶やしになるではござりませぬか」
「いかさまな。女道楽なぞするだけあって、なかなか才はじけたことを申すわ」
いうと、右門はしばらく黙考をつづけていましたが、ことばを改めると強く念を押すようにいいました。
「では、さきほどの見のがしてくれという問題じゃが、けっして二度とは女犯の罪を犯すまいな」
「へえい、もう今夜ぐらい命の縮まった思いをしたことはござりませぬから、今後いっさいこのようなバカなまねはいたしませぬ」
「でも、
「それが縮まったなによりの証拠でござります。いたっててまえはこれが好物でござりますので、もうお番所からさきほどのようにお使いがあった以上は、いずれてまえのお手当もそう遠くないと存じ、今生の思い出に腹いっぱい用いておこうと思いまして、やぶれかぶれにやっていたのでござります」
「
「えッ、すりゃ、あの、ほんとうでござりまするか!」
「しかし、このままでは許さぬぞ。もとはといえば、そのほうがあの日鉄山を、所もあろうにかくし女のもとへなぞ使いによこしたから、あたら少年の前途ある命もそまつにせねばならぬようになったのじゃ。だから、あすより手先となって、これなる黙山のかたき討ちに助力をいたせ」
「へえ、もうお目こぼしさえ願えますれば、どのようなことでもいたしますでござります」
「むろん、鉄山からきいて、かたきの人相はどんなやつじゃか、そのほうはよく存じているであろうな」
「へえい、もう大知りでござんす。またこのかたきの人相くらい覚えやすいやつはございませんよ。どうしたことか、右の耳が片一方なくなっている浪人上がりだとか申しましたからな」
「さようか、なによりじゃ。では、黙山坊を同道いたして、明日早く
「へえい、承知いたしました。だが、八丁堀はどなたと申しておたずねすればよろしゅうござりまするか」
「名まえを告げて、もう一度びっくりさせてやりたいが、そのほうごとき生臭に名のるのはもったいないわ。黙山坊が屋敷はよく存じているはずじゃから、くれぐれもいたわって、いっしょに参れ」
言いおくと、右門はひょうたんから飛び出した
4
かくて、その翌日となりました。
もちろん、朝のうちに
「ちくしょうッ、甘く見やあがったかな」
あまりとんとんと鉄山殺しのめぼしがつきすぎたので、あるいはと思いながら多少の不安をおぼえて待っていると、だが、熊仲も、女犯の罪こそは犯したというものの、やはり
「てかてか顔のほてっているところを見ると、またひのき
「冗、冗談じゃございませんよ。こりゃ、大急ぎに駆けてきたので、赤くなったんでござんすよ」
「大急ぎとは何が
「鉄山殺しの居どころがわかったんでござりますよ」
「なに、わかった? どこじゃ、どこじゃ」
「ここでなにかてがらをたてなきゃ、罪ほろぼしができないと存じましたからな。あんなぼろ寺でも住職のありがたさに、けさほど
「そうか、さすがは仏に仕える者じゃ。よくてがらをたててまいった。では、伝六ッ、今度こそはほんとうに十手の用意がいるぞッ」
善根善果はてきめんで、許しがたき罪をも許してやったばっかりに、かく居ながら事がとんとんと運ばれましたものでしたから、右門の一行は躍然として、豆からはえたごとき愛らしき少年僧をまんなかにいたわりながら、ただちにそれなる四谷の毘沙門天をめがけて八丁堀を立ちいでました。
行きついてみると、なるほど熊仲和尚の報告どおり、南部名物くまの手踊りはいまし興行のさいちゅうでありました。がんじょうな木造りの
「さあさ、前へ回ってよっくごらんなさいよ。これは奥州南部
いいながらむちでたたくまねをすると、いかさま二匹のくまはのっそりのっそりと立ち上がって、いとも器用に
しかし、右門ら一行のものにとっては、くまの手踊りよりも片耳のない浪人者が、その一団のうちに交じっているかいないかが第一の問題でしたから、見物人のうしろにかくれて、各自の目を光らしながら、ひとりひとり遊芸人の耳を調べました。
ところが、不思議なことに、どこにもそれらしい人物がいないのです。木戸にいる者、檻のそばについている者、くま使いの者なぞを合わせると、全部で六、七人の遊芸人がいましたが、いずれも一くせありげなつら魂ではあっても、その耳は両方共に完全無欠な者ばかりでしたから、いぶかしく思っていると、そのときまたくま使いの道化者が、見物人の拍手に調子づいたもののごとく、とんきょうに口上を言いたてました。
「||では、次なる芸当差し替えてご覧に入れまする。
いうと、まことや二匹のくまは、人のことばが聞き分けられるもののごとくに、ちょこなんと向き合ってすわりながら、器用な身ぶりで愁嘆のしぐさを演じてみせましたものでしたから、見物人はふたたびまたやんやと
しかし、その喝采が鳴りやむかやまないかのとたんでありました。右門の目を鋭く射たものは、左の雌ぐまは踊りも動作もぶ器用であるのに、右なる雄ぐまはさながら人間ではないかと思われるほどもすべてがあまりに器用すぎる一事でした。と知るや、突然見物人を押し分けて前へ出ると、ぎらりおのれのわきざしを抜き放って、それを黙山の手に持たせながら、

「ようよう捜していたかたきが見つかりましたぞ! お兄いさまがそなたへいうたように、あの右の雄ぐまが憎いかたきじゃから、それなるわきざしで存分に突きなされッ、突いて突いて突きなされッ」
不意にわきざしを持たせて、檻の中のくまを突けといったものでしたから、伝六
「な、な、なにを血迷ったことをしやがるんだ! だいじなくまなぞを、そんなもので突き殺されてたまるけえい! どけッ、どけッ」
いうや、大手をひろげてその行く手をさえぎろうとしましたので、突きのけておくと右門は小気味のいい
「見そこなうなッ。おれが八丁堀のむっつり右門だ。江戸じゅう残らずの者の目をかすめることができても、むっつり右門だけはできが違うぞッ! さ! 黙山! かまわずに、そっちの雄ぐまを突け突けッ」
下知を与えると、どんどん檻の前へひっぱっていって、右の大きな雄ぐまを目がけながら必死と突きを入れさせました。なにしろ、一方は自分の兄がくまにやられたとばかり無心に信じきっている少年です。しかるに、相手の突かれるくまのほうは、悲しいことに檻の中という不自由な場所にいたものでしたから、身をかわすべきすべもなく、哀れ三突きめの鋭い切っ先にぐさりとその
それと見るや、右門は疾風迅雷の早さで、黙山の手からわきざしを奪いとると、さしもがんじょうな檻の
目をみはるまでもなく、その耳は左の片一方しかなかったものでしたから、右門はまだ絶えだえとしてあがき苦しんでいるそれなる耳のない浪人者に、ののしるごとくいいました。
「ざまをみろ! これがほんとうに
そして、黙山を顧みると、ふたたびわきざしを持ち添えてやりながら、促すように叫びました。
「さ! 姉上兄上ふたりのかたきじゃ。門前のつり鐘を打ちのめす意気合いで、みごとに恨みを晴らしてしんぜられよ」
なんじょう黙山の今はちゅうちょすべき、かわいい声をふりあげると、姉上兄上ふたりのかたき思い知ったかとばかりに、大きく
同時に、周囲の人がきからは、孝子のかたき討ちをほめそやす賞賛の声と拍手がどっとあがりました。
しかし、その拍手のまっさいちゅうです。意外なできごとが突如としてそこに
「よくも兄弟を討ったなッ、ただのさか恨みとはいわせぬぞッ。こうなりゃ商売のじゃまをされた仲間の恨みだッ。さッ、すなおにそこへ直れッ」
いうと、理不尽なことにも、仲間を討たれたさか恨みと、商売を妨げられた恨みとをたてにとりながら、不敵にも右門へ
と、||いぶかしや、ただの素浪人と思っていたのが、いずれも相当に使うらしく、それぞれ型にはまった太刀筋を示していたものでしたから、右門は騒がずに声をかけました。
「では、きさまらも一つ穴の浪人上がりじゃな」
「今はじめて知ったかッ。
天下公知の大立て物を、ののしるべきことばに事を欠いて、とっくり右門と冷笑したものでしたから、なんじょう右門の許すべき、いよいよ今度こそは抜かなくちゃならないかな、というように会心そうな
「とっくり右門でもびっくり右門でもさしつかえはないが、このからだが二寸動くと
それがまたほんとうに抜いたとならば掛け値のない事実なんだから、もし五人の者がもう少しむっつり右門の名声に親しかったらそんな向こう見ずもしなかったのでありましょうが、いうように仲間を討たれたさか恨みに思い上がってでもいたのか、それともまた、せっかくくふうした商売を妨げられた恨みに破れかぶれとなっていたものか、あるいはみずから名のったごとき南部藩食いつめの、放蕩無頼上がりという愚にもつかない肩書きにうわずっていたものか、中なるひとりを中心に、左右ふたりずつ両翼八双の刃形をつくりながら、ひたひたとつまさき立ちで押し迫ってきたものでしたから、右門はついに一声鋭く叫びました。
「バカ者ッ、そんなに死にたいかッ」
同時におどり入りざま、ひと腰ひねった奥義の一手は、これぞ右門がみずから折り紙をつけた
「どうじゃ。まだ
そして、じっと呼吸を静めながら、二本の刃に向かってじりじりと押し迫っていきました。なんじょうそれが避けえられましょうぞ。誘いのすきとも知らずに、右門のわざと見せた小手のみだれへ、あせりながら相手がつけ入ってきたので、太刀風三寸の下に左へぱっと体を開くと、
「ざまをみろ! いっしょに地獄へいって舌でも抜かれるがいいや!」
とたんに、どっとまた人がきからは賞賛の声があがりました。
しかし、右門は切ってしまうと同時に、突然悲しげな表情をうかべました。むしろ愁然として、ややしばしそこに切り倒された五人の者のあけに染まった
「自業自得は自得じゃが、でも、思わぬ罪を重ねたな。さいわい、そなたたちは仏道に仕えている者たちじゃ。わしに代わって、よくこの者どもの
そして、みずから手を添えてやると、たとえ自業自得に倒れた者たちではあっても、いったん死者の数にはいったものは、このうえ恥ずかしめてはならぬというかのように、そこの小屋からむしろを取りはずしてきて、六つのあさましい
||並み居る見物人は、抜いてもあざやかであるが、切ってもまた、最後まで右門らしさを失わないその人がらのゆかしさに、いまさらのごとく胸を打たれたとみえて、いっせいに感嘆のどよめきをみせました。
右門十番てがらは、かくしてその