戦争も終りに近づいた頃でありました。東京も大阪も神戸も都市という都市が、大抵やっつけられてしまいまして、やがてはこの京都も、明日ともいわず同じ運命を待つ外ない時でありました。
私は毎日のように夕方になるとこの町に最後の別れをするために、
その日もまた、警報がひんぱんに鳴っていた日でありました。私は
その時でありました。私は突然一つの思いに打たれたのでありました。なあんだ、なあんだ、何という事なんだ。これでいいのではないか、これでいいんだ、これでいいんだ、焼かれようが殺されようが、それでいいのだ||それでそのまま調和なんだ。そういう
なんだ、なんだ、これで調和しているのだ、そうなのだ、||とそういう思いに打たれたのであります。しかも私にはそれがどんな事なのかはっきりわかりませんでした。わかりませんでしたがしかしいつこの町がどんな事になるのかわからない不安の中に、何か
それからは警報が鳴っても私は不安のままで平安||といったような状態で過ごす事が出来たのでありました。
しかし何で殺す殺されるというような事がそのままでいいのだ。こんな理不尽な事がどうしてこのままでよいのだ||にもかかわらず、このままでいいのだというものが私の心を占めるのです。この二つの相反するものの中に私はいながら、この二つがなわれて縄になるように、一本の縄になわれていく自分を見たのであります。
それからは一週間ほどしてからでありました。ある日のこと、よく出かける
葉っぱは虫に喰われ、虫は葉っぱを喰う||見るからにこれはいたましいものそのものでありました。
それにしてもこの日はどうした日だったのでありましょう、私は見るなりに気付いた事でありましたが、いたましいというその思いの中にこれまでかつて思った事もない思いが、頭をもたげたのであります。葉っぱが虫に喰われ、虫が葉っぱを喰う||これまではこうより外に見えなかった事が、今日という今日はどういう日だったのでありましょう。
葉っぱが虫に喰われ、虫が葉っぱを喰っているにもかかわらず、虫は葉っぱに養われ、葉っぱは虫を養っている||そうその時にはしかと見えたのであります。
喰う喰われるといういたましい現実が、そのままの姿で養い養われるという現実とくっついているというのは、そもそもこれは何とした事なのでありましょう。
この間中から、もやもやしていた、これでいいのだ、これで結構調和しているのだというような、しかしつきつめると何でそうなのだかわからなかった事が、ここで答えを得たのであります。虫と葉っぱは明らかに、かく答えたのであります。不安のままで平安||そうなのか、そうだったのか。
蝶が飛んでいる、葉っぱが飛んでいる、暮れるまで山科の村々を私は歩きまわっていました。
この世このまま大調和
(「PHP」昭和二四年)