巴里の雑踏はそこから始まるという
大並木路マデレンの辻の角に名料理店、ラルュウがある。
店をイルミネーションで飾るでもなし、英字新聞の大陸版へ広告を出すでもなし、表の構えは普通に塗った木目の板で囲い、ただ内側だけ気持よくこしらえてしとやかに客を待つといった風だ。もし春の夕闇に
鶉の下蒸しの匂いが
廚房から匂って出なかったら通りがかりの人はおそらくこの辺にあり勝ちの住宅附事務所とも思って過ぎてしまうだろう。
しかし客が入口の扉を繰るやさすが名料理店の節度が其処に待ち受けている。輩下を従えた老給仕頭が
慇懃に迎い入れる。その瞬間に彼は客が
食通であるか無いかおおよそ見分ける。舌のない客と
鑑別ければ左室の通称「
悪い側」の方へ入れる。其処では客はたとえ
でたらめな皿の取り方をしても宜い、四囲の客も皆そうなのだ。
若し舌のある客と認められたら彼は右側の室へ入れられる。気を付けなければいけない、ここは食慾の道場だ。
三昧を
擾してはならない。人々は
敬虔に本能に
祷り入っている。人々の態度はいう。
「食事は
祭典だ」
客の質は違っても右と左の部屋の造りは同じだ。白と金の
羽目框、室内を晴やかに広く見せる四方の鏡壁、
窓脇腰掛と向き合う椅子は
薔薇いろの
天鵞絨張りで深々としている。静で派手な電光。それは一通り世の中を知ったマダムだ。しかし年は若い。彼女は長い裾の着物を着る。絵のような帽子を冠る。そして口紅だけは避けて素でさっぱりしている。ざっとこんな感じの部屋だ。
一たい巴里で料理専門の店にはこうした造りが多い。広さもそう広くない。きまった客の数だけを宝石箱の中へ入れるように大事にして、食事専念の志を擾すまいと万事に努める。給仕に偏執狂を扱う看護卒のような心得がある。これから見ると大ホテルの食堂などは野外饗宴だ。虚栄の風で食物の味は吹き曝されて仕舞う。
真に食道楽の客は大かた一人で来る。彼はかならず
窓脇腰掛の角隅に席を選む。彼には何年来定まった席があるのだ。その席がもし他の客に占られていたなら
睨む。しばらく立並んで
呪いの眼で睨む。それからふしょうぶしょうに臨時の席につく。実際巴里人には妻も子も持たないで生涯の愛を舌に捧げる
食道楽がたくさんある。彼等は肥っているが美食に疲れその皮膚は不自然に
箍になって
弛んでいる。彼等は美しい女を見ても本能を食慾の方へ導いてうまそうだと思う。肝や臓物を多く食うので胆石病にかかり易い。彼等が食道
狭窄症に陥ってもう食えなくなる。いよいよ終りが来た。その時彼は好みの白葡萄酒を身体にかけて貰いヨセフ料理店の
牡蠣料理を取寄せて眼の前で友人に食べて貰うのを眺めて満足して死ぬ。彼の最後のあきらめはこうである。「おれも一生かなりよく食った
||」
マデレーン寺院の片頬を染めた春の西日が全く落ちて道路につぶつぶの燈と共に
食酒を飲んだあとの男女の群が華やかに浮出るころ、もう早目の食道楽の客がラリュウの右側の部屋に二人三人席を占めていた。
彼等は首尾よく自分の定席に就けて満足そうだ。天鵞絨の腰掛けへの腰の埋み加減、寛闊な足の踏みはだかり加減も気に入るように調節した。食卓は心持ち身近に引く。そこで指と指を組み合せ馴染の給仕に今日の料理場の内況を
逐一聴き取ろうとする気構えだ。だが
相憎マネージャアのヂュプラが店に姿を現わしているなら余り委しい様子は聞けない。
食通客に馴染の給仕というものはもう店の召使いでは無い。客の間諜として店に入り込んでいるようなものだ。彼は客に料理場の秘密を内通して仕舞う。今日の仕込みの
鰈は生きが悪かったとかコック頭とコックと喧嘩して
青豆を
茹で過ぎたとか、とかく店の為にならない話だ。そこでマネージャアは給仕と食通客と程度以上に親しくするのを監視する。給仕は自然いじける。今夜聴き得た情況はわずかに料理場で
鵞鳥料理を特別に成績よく作ったという報告に過ぎなかった。これなら
給仕もマネージャアに聞えて差支えない。大きな声でいえる。客の大部分はそれを
誂えた。どんな姿で、どんな匂いでどんな味で
||それが自分達に遇いに来るか客達は赤葡萄酒の渋味の一杯にまず感覚を引立てて無心のうちに待ちうける。客同志見知り越しのものもある。お互いに目礼はするが言葉に出して期待の時間の
静謐を破りはしない。ただ腹の中で互いに想う。「あの食辛棒!」「生をひそかに楽しめ」の曲を四部合奏が囁き出した。この曲なら胃の機嫌に悪影響はない。
ロア・オウ・マロンという名の鵞鳥料理は手数のかかったものだった。
まず鵞鳥の臓腑を頭から抜き取る。指程の
腸詰十八を白葡萄酒で煮て冷してから
匙でくずす。マデール葡萄酒で煮た同量の
肝臓脂肪と前のくずした腸詰とを一緒にこねる。それへ
家禽か牛肉のスープで汁気たっぷりに煮込んだ栗を混ぜる。こうして出来た詰物を臓腑を出したあとの鵞鳥の腹の中に詰め口を糸で
括り金串にさして汁で湿しながら焼く。
ロア・オウ・マロンが現れたときの客の悦びは異様であった。掴みかかり度いのを堪えて彼等は指の節々を撫で折って手をしなやかにした。かすかな
痙攣のような興奮を顔の或部分に現わしたものもある。「オウ・ムッシュウ!」思わず叫び声を挙げてマネージャアのヂュプラの顔に驚きの眼を与える客もある。ヂュプラは名優がアンコールされたときの態度のように少し首を傾げ上目使いに
揉手しながら気取って答礼をしている。鵞鳥の一片とその間からこぼれかかった詰物との調和は巴里の一流料理の威容を保ち
乍ら食卓の上の濃厚な焦茶で客達に
媚びる。
若い男女の客もあった。しかし彼等にねばついたところは見え無い。恋に
たんのうし生活に
たんのうしもうこの上何の動きも必要としない境地に落ちついた間柄に見える。おいしいものでも喰べて春の宵をしずかに過そうという水なら淵へ流れ入った間柄と見える。若いままで好い老境に入った恋人同志に見えた。
女が好きで註文したものか彼等の食卓の前で給仕頭がこの店の名物、レ・クレープ・スゼットを手際よく作って居る。
此菓子はまずオレンジの
内莢で香をつけた牛乳四デシリットルの中に、玉子十個とフルーレットクレーム四デシリットルを混ぜる。この中に五百グラムの小麦粉と、百五十グラムの粉砂糖と、一摘みの塩を入れて攪きまぜる。最後にシャンパン半デシリットルを加えモスリンの布で
漉す。それによく
攪拌した、クリーム三デシリットルを加える。これを黄金色に平に焼いて料理場で用意して置く。その柔い生乾きの
煎餅に似たものを、食後の客の前に出してアルコールランプの皿鍋が程よく焼けると、その中でシャンパンとリキールグラシ、マルニエ、コルドン、ルージュを注ぎ込んだオレンジのバタで、料理人が揚げる。夢のように甘い、南欧の春のオレンジの香がにおい立つ。客は料理人の得意の手際を見乍ら揚げるそばから食べるのがつくづくうまい。
芝居の始りにもう一時間という時間になり右の部屋も左の部屋も相当客が立て込んで来た。音楽はだんだん弾んだ曲に入る。料理場は口を引結んで弾丸を矢継ぎ早やに詰め代える塹壕の光景になった。
この忙しさに一向
頓着なく料理場の片隅に一つのストーヴと一つの料理卓を控えて七十近い老翁がいる、彼のこまかい料理の運びは殆んど自然のように遅速は無い。ときどき味を試す為に瞑目する。周囲の忙しい人達は老翁の存在を気にかけ無い。だが、もし老翁の仕事を
妨げそうにでもなると誰も急いで遠慮する。老翁は今
前菜の一種を
拵えている。
料理卓の上にはアンショア(
ひしこの塩漬)の三枚におろしたのが昨日からオリーブ油に浸けられている。それを
和蘭の馬鈴薯を雪の様におろしてオリーブ油、酢、塩、胡椒で味をつけた中へなかば埋める。ゆでた
海老の薄身を赤く周囲に点ずる。トマト・ケチャップをかける。
これは料理家の間にアンショア・ア・ラ・ブレトンヌと名づけられる前菜なのだ。老翁は一先ずこれを拵えて見てそれからこれをなおより善く巴里人の好みに引直そうと工風を進める。膚のつやつやしいむき玉子の一つ二つ、白葡萄酒で煮た
鰻の
はぜた肉などが老翁の節の短い太い指の間に取り上げられた。そしてまた老翁は考え直す。基本の味から
彼の味を引き、この味を加える
||老翁の頭の中では味が数学のように取扱われている。
老翁はその間に深い溜息をした。料理の心労の為では無い。死んだ息子が思い切れないのだ。老翁はラルュウの前店主エドアール・ニニヨンである。たった一人の息子は大戦のはじめにソンヌで戦死した。老翁は七十近くなった。店を弟子であり
甥でもある現マネージャア、ヂュプラに
譲って生れ故郷のブレターニュのルンヌスに引退した。
年が経つに従って彼の息子を憶う情が切なくなった。ブレターニュの景色も老翁を慰めなかった。老翁は矢張り料理するのが宜いと思い極めた。あの息子のマルセルに食わすつもりで料理を工風するがいいと思い極めた。マルセルは食通では無かった。生きている時には父のこしらえた一等料理もそこらのレストランの料理も見境なく食った。父は息子の舌には苦笑していた。
併しそれが何だ。俺はやっぱり息子に、俺の腕でこしらえた一等料理を食わせたいのだ。死んでいようと、一度は俺の料理の味をほんとうに息子に知らせてやりたいのが俺の願いだ。俺は料理をする、料理の力で息子を俺の眼の前に呼び返して見せる。
彼はむしろ生死を界する天地の法則に怒りを含んで再び老の手に
庖丁を取り上げた。ルンヌスの田舎街に新らしい小さな料理場が出来た。
ニニヨンは若いとき
露西亜の貴族の料理頭を勤めた。欧洲の宮廷料理の粋はその時代を最後としてそこで滅びた。彼は滅亡の中からいま店の名物となって居る dortsch というスープと「スウヴァロフの鶉」という二いろ料理を持ち出した。彼はその後あらゆる名料理店の料理頭をも勤めた。彼はその数十年の
蘊蓄を傾けて、フランス料理の憲法を編み初めた。彼はそれを再実験すると同時にぼつぼつ老の手で紙に書き留めた。原稿の丁数を分ける為頁の間に
芹の葉や田鴫の足が挟まっていた。
とうとう一堆の紙の山が積まれた。彼はそれを二巻に分けて印刷した。「食好み七日物語」は彼が出遇ったあらゆる欧洲名料理の記録である。「食卓の歓び」は、彼が案出した千種以上の料理法の記述である。各巻の巻頭には息子の写真を入れデヂケートした。「愛するマルセルへ」書き入れる時彼は墓中の息子を確実にわが息子にした。両書とも限定版で特に「食好み七日物語」は百五十円ほどする彩色木版入りの豪華版だ。ニニヨンはこれを欧洲の各宮廷へ献贈した。
老翁がラルュウの忙しい料理場の一隅で先程から加減していたのは「食卓の歓び」の著書の中に編み入れる前菜の一種であった。基本のアンショア・ア・ラ・ブレトンヌに加減していた味の数学は
漸く割り切れた。茹玉子はトマト・ケチャップで練って薄く皿の底に敷いた。その上にオリーヴ油のアンショアを乗せ
蝦の肉で彩るのだった。
結果は巴里服のプランに似てごく簡単だ。しかしその約数にまで落付かせるため老翁の頭の中にいくつの味の数が加減乗除されたことだろう。鰻も捨てられた、
独活も捨てられた
||そして「巴里人のアンショア」の名で一つの前菜が新しく生れた。
田舎の景色の中では殊に巴里人の好みがはっきり感じられないといって、老翁は故郷の料理研究所から臨時にラルュウの料理場まで出て来たのだった。
「巴里のアンショア」の最初の一皿は、ほんの端だけ老翁に味われあとはゴミ桶へ捨てられた。老翁はその晩の最終でさっさと故郷の田舎へ帰って行った。
「巴里は年寄の舌には強すぎる」
老料理人ニニヨンはこういう口の利き方をする。
セーヌの左岸、いわゆる川向うには名料理店は少ない。フォワイヨは僅に其処に在るものの一つだ。この店は右側のラルュウと対立していつも食通の間に問題にされる程の店だ。前者を下院好みの料理とすればこれは上院好みの料理というのが定評である。
事実、この店はフランスの
上院、ルュクサンブルグ宮の正門に道を距てた前にある。ソウルノン街三十三番地。そして
上院議員の最も愛護している店だ。フランス政治家にはブリアン始め食道楽が多い。彼等はいう、「料理の舌を持つものは政治の舌を持つ」
居心地と、給仕と酒倉。この三条件によって料理店のよしあしを巴里人は料理の技倆と共に判断する。巴里の料理店は温度の変化の少ない地下室に自店独特の酒を蒐集して料理と共に自店を特色づける。一たいに上院議員は蒼古の酒を好む。自然フォワイヨの酒倉にその特色が反映するわけだ。
ルュクサンブルグ公園は過去と未来を遊ばしている。ベンチで新聞を読む年寄。噴水のまわりに砂遊びしている子ども。木の芽と太陽とは惜気もなく早春の彩光を撒き散らして時間はまたたく間に経つ。追出しの番人が何やらものを鳴らして歩く。子ども等はその番人の派手で古風な制服に魅着してついて歩く。うすら寒い風に送られて人々はぞろぞろ
賑なサン・ミッシェルの通りへ出る。
茲は現代が溢れた往来だ。売店のまわりに集まって大学新聞を買って読む世界の国々の学生。
学生帽を冠って田舎から来た母親を案内するブロンのお嬢さん。助教授の退出を待受けて何かしきりに問い合わしている男学生達。それらを埋めて活溌な足取りで流れとなり幅となって動いている行人の群は、ソルボンヌの典雅な学風を背景にして国際的な空気を
揺曳している。スウィッチを
捻って昼の客をそのまま夜の客に更めて照し出した軒並みのキャフェのテラス
||春宵のアンニュイに導かれて足はおのずと静なラシイヌ通りに踏み入る。オデオン座の棟がうるんだ星に対して黒く肩を
聳かしている。道は小店を並べた横町を貫いてツールノンの大通りに出る。上院の正門からセーヌへ下る位置である。退屈そうな上院の正門の番人に眺められながらかすかな傾斜に地取して名料理店フォワイヨが角にある。夜目には黄と黒の横縞に感じられる四階建ての店で素手に指環だけ一つ残したような小さい入口の上に foyot の屋号と二筋三筋のイルミナシヨンの細描きがあっさり浮き出ている。
なんという
肌質のこまかい室内の静さだろう。それは皮膚に触れると淡雪のように溶ける素絹のように濡れて薄く包む。
壁絨もある、椅子も食卓ももちろん在る。だがこれ等が茲では物体では無い。すべては触れられぬ
調子に化し、目に見られぬ匂いに立ち登る。電燈の照明も文芸復興期の夢のままだ。
給仕には足が無いのか、空を踏むような軽い動作だ。銀器も慎しんでその重量を隠している。室内はあらゆる人間の五感に負担を与えるものを
無何有の彼方にほろぼし去ってただ味覚へばかりの集中へ誘う
||聖なる食魔達の登壇。鏡のような皿のスープにうら恥かしきわが相貌を可憐なるこの餓鬼達が写す時給仕は、
柘榴程の大きさの割切りにした牛の骨を運んで来た。給仕の態度はいかにも秘密の味を運んで来たもののようである。骨の髄だ。給仕はそれを
匙で
抉ってそっと皿へ落す。
月石の光芒がスープの中にぽくりと浮き出る。
間皿は季節柄ラ・ベカッセ・シヴリである。
山鷸を血のしたたるまま、十五分間煮る。他に色の好いシャンピニヨンを、十二個薄切にしてバタで半焼にする。その同じ鍋に洗ってから、ちょっと
焙った
膩肉の小片二十四を加えて混ぜ返す。リキュール酒、グラス一ぱいを半分に煮詰めたもの、それに二倍のクリームと肉汁二匙とを前の鍋に入れどろどろまで混ぜ合せて煮る。これは附け合せである。
山鷸は程よく肉を切りパンの間に挟みパンの表面には装飾かたがた股の肉と翼の肉を載せて皿に置き附け合せて側に盛る。
之は山の鳥の持つすべての味の精である。喰べた人の細胞の隅々まで浸み入るデリケートな執拗な滋味である。それを付け合せの
茸の淡白の味が飄逸に
取做す、山野の侘びとフランス人工の
奢りとの取合せだ。
胃の腑はまたこの店の古典味をまで味うとする。由緒は客をして十六世紀の後半にまで追憶を
遡らせる。ルュクサンブルグ宮殿には若きルイ十六世とその妻マリー・アントワネットが住んでいた。二人はまったく子供のまま結婚させられた。愚かしい振舞いがあるという評判が立てられた。マリーの母、
澳太利の名皇后、マリア・テレザは心配した。マリーの兄ヨセフ親王を娘の附人にフランスへ送った。今のフォワイヨの建物の前身がその時のヨセフの監視事務所になり配下達が宿泊して居た。ヨセフは間も無く澳太利へ帰って帝位に登りヨセフ二世となった。それに
因んでフォワイヨの前身はヨセフ二世ホテルと呼ばれていた。現フォワイヨの名前は一八八四年ルイ・フィリップの料理頭フォワイヨがこの店をマネージしはじめてから付けた名だ。
巴里の名料理店にはこの種の歴史附のものが多い。持主は代々変って行く。大概資金を得た料理頭だ。その新持主もその店で稼いで老後を豊に過せるだけの金を溜めたときには早々次の持主へ
譲り未練なく故郷の田舎に隠退する。丁度ラルュウの主人ニニヨンのように。彼等はいっている。「人生は楽しまねば損だ」
若いとき働き、老後に楽しむ。小さい貯蓄、小さい田園、小さい
城、小さい幸福
||この理想は料理店の主人ばかりでは無い。一般の巴里人の理想である。また実行でもある。だから巴里の商店に二代続きは少い。彼等はまだいくらでも
儲かるのに、なぜもっと儲けてから田舎へ引込まないのかと訊くとこう答える。「楽しめるだけの金で充分ではないか。それ以上は却って運用を考える為め楽しみを妨げる」
フォワイヨの常客にもう一つこの店について追憶を
辿らせるのは三十年前の事件だ。アナキストがオテル・テルミヌスの食堂に爆弾を投げたことがあった。巴里人はこのことについていろいろ批評し合った。それに対してラジカルな新聞の主筆ローラン・タイラードが極めて皮肉な詞句を使って巴里人に挑戦した。巴里人はローランを快からず思っていた。間もなく此ローランがフォワイヨで食事していた時偶然アナキストがそこへ爆弾を投げた。ローランははからず同味のものの為に傷けられた。早速、巴里の一新聞がローランの使った詞句をその儘逆用してローランに
酬いた。その詞句の投げ返しがあまり適確に彼に刺さったのとラジカリストも食道楽である事を発見したのと二重の興味の上からフォワイヨの名前は巴里人に名高くなった。
春の夜はだいぶ更けた。いくたり客が新陳代謝してもフォワイヨの食堂の空気は肌質の細さを失わなかった。たった一組、アメリカ人が中央に陣取って調和を破り出した。Quick! Quick! と鼻にかかる声で給仕をせき立てる声がすでに同客に迷惑だった。その上この家の名物
家鴨のオレンジ料理に添えて飲むものに彼等はチョコレートを
誂えた。この料理に調和する飲ものとしてはどう考えてもブルガンディかただの水のほかはないのだ。アメリカ客の卓の真向きに一人の老フランス人が食べていた。彼はこのときまでは我慢していたらしかったが、チョコレートの声を聴いてとうとう居堪れなくなった。急いで給仕を呼んで彼は向うの離れた卓へ移って行った。
蝸牛は町の中でも売って居る。殻の口に青味の混ったパテを詰められ、
生海丹や海老の隣に並んでいる。それは巴里を粋にも野蛮にも見せる。
巴里名料理店の一つ「
蝸牛」の軒にはつくりものの大蝸牛がほこりにまみれて二疋、左右へ角を振り分けている。入って行く床には程よく湿ったオガ屑が撒いてあって柔かく靴底にきしむ。紅薔薇色の壁寄椅子、四面の壁鏡、
螺旋形の
梯子段||もし蝸牛に踊子があってその派手で古びた殻をマントのように脱ぎ捨てたとしたらそれはこの小店だ。
遊び女を二人連れた下町風の
伊達者が通常「詩人の隅」と呼ばれる壁寄椅子の隅に陣地を占め白葡萄酒を飲み乍ら料理の来るのを待っている。彼等の話は軽く脈うつ。
「あしたこそ金を持って
······を迎いに行ってやるんだ」
「おやどこかへ行っているの」
「スイスのホテルで着物を売っては男と食い継いでいるんだ」
「ちっと怒っておやんなさいな」
この店の前持主のマダム・ルコントは面白い気風の女だった。彼女は市場の相場の変動によって料理の価を変えないことを自慢にした。だが競馬の負けがこんで来るとどしどし料理の価を上げた。一たいにそういった純下町風の
老舗気質を愛してサラ・ベルナールはこの店を
贔屓にした。ポアンカレが大統領時代には毎週火曜日に全閣員と昼食をこの店で摂るのが例だった。
現持主のムッシュウ・ルスビナッスが入口寄りの窓下でむっつりして皿鍋を掻き廻して居る。彼はそこで料理場からの皿を再調理してあたたかいところを客に
供える。
蝸牛は頑固な動物でよっぽど
茹で無いと軟くならない。ようやく茹で上ったものから身を引出す。薬草と
葫とバタと
こね合せたパテを作って置き、それに引き出した身をまぶし再び殻に詰め込み火鍋にかける。薬草の混ぜ合せに秘伝がある。それへ
薄荷草の入ることは確だ。
「蝸牛」の店の皿でもコップでも蝸牛の模様だらけだ。蝸牛の殻が乗るように仕切りのある特別の皿も用意してある。殻を押えて小さいフォークで身を引出すのだが殻を挟む為に物々しい釘抜きのようなものも持ち出して来る。
そして味は? すこし考えさせて貰おう。
||やっとこの小動物を軽蔑しない可愛ゆい比喩が
泛んだ。エスカルゴ野の
栄螺だ。
家鴨の番号数二万
||八。この店創始以来の客数とそれに奉仕した家鴨とを同一数に附号付けたカードを客に渡すことをこの店の特色としている。細長い食卓の中央に一列、銀色に光る印刷器のようなものが並んでいる。その一つ一つに白い料理着に身を固めた庖丁人が部署についている。若いのも年寄りもある。彼等の眼は一様に人にものを味わせる職業者の持つ没我の色に枯れている。彼等は他人の感覚の為に働く。客が無いとき彼等はうつろな瞳のうしろで、おそらくトランプの半身しかない女王のことでも考えているのだろう。セーヌに近い緑の外光が窓からさし込んでいる。
客が来た。二万
||八番目の家鴨が裸で料理場から躍り出た。一つの器械と一つの庖丁人は急に活きて来た。家鴨は薄刃の庖丁で皮を剥がれ薄く同じ厚さに肉を切られた。庖丁人のメカニカルな技倆の冴えこそ見ものだ。残骸はスロウンソースと共に器械で血を絞られる。皿鍋にこの血の汁を移し家鴨の薄身をいれて掻き廻しながら煮詰めると汁は肉の周囲にチョコレート色に淡く固まる。この一皿と家鴨の股の肉にサラダをあしらった一皿を組ましたものが、この店の名物「家鴨のブレッセ」である。柔かい粘質性の美味だ。
この店の由緒には巴里人が始めてそこでフォークを使ったヘンリー三世時代の驚きが飾りとなっている。それまではエレガントな巴里人が指で食物を掴んだ。
この店のマダムは最近まで名料理キャフェ・アングレの持主の娘であったがアングレの主人が死んだのでアングレは閉店してそこの有名な酒倉の蒐集がそっくり娘の店に譲られた。
ツール・ダルジャンの酒倉は世界の食通の一度は見学すべき博物館になっている。そこの狭い石段から眺めるシャトウ・モウトン・ロスチルドと名づけられた一八六九年のボルドウ酒やロマネー・コンチという一八七〇年のブルガンディ酒やはその名前の
罎を見るだけでフランス人の飲食物に対する執拗な愛慾を観察するに役立つ。
客が立て込んで来た。食堂で家鴨の血の汁を掻き立てる匙の音が
霰のようだ。
店を出るとき家鴨の番号を記入したカードをマネージャーが
恭しく客に差し出す。
外はセーヌの暮れ近い水の色、食後の珈琲は
新橋の夕陽の斜光を渡ってからだ。