「
かやの顔は、眼と口ばかりだな。どうも持参金付きの嫁入でもせにあならねえかな」と云ったりしていつも茶の間の長火鉢の側に坐って、
煙草管をぽかんぽかんとたたいてばかり居る
癖の、いくら大笑いに笑っても、
苦笑いの様な表情しか出ないこのお爺さんが、
かやの本当の祖父でないことは、このお爺さんが、時々
||半年に一度くらい
||寒い季候には茶色のむくむくした
襟巻と、同じ色のとぼけた様な(
御隠居さん帽子)を冠ったり、暑い時分にはお爺さんの胸板の辺によれよれして居る黄色っぽい幾筋かの
皺が透いて見えるほどな、薄いぴらぴらな白地の着物や、光る羽織を着て、村にはまだ一台しか無いという「人力車」を、「由」という
藁屋の息子から車夫になったという若者が、
うちの長屋門の前へ、曳き寄せるのにひらりと乗って、
「ではな、二三日実家を見廻って来るからな」と云って、何となく機嫌好さ相に其処へ見送りに出て居るうちの者達にぼっくり首を下げて、やがて往来に添って建ち並んで居る
かやの家の土蔵の尽きた処から曲って
這入る横道へ、威勢よく人力車に隠れて仕舞うのである。この様なことにつけて、このお爺さんが本当の祖父でないことを
かやも知って居たのである。そればかりでなく、
かやの家には今一人、これと同じ種類のお
媼さんが居たのである。お媼さんは薄い髪を切り下げにして幅のせまい
黒繻子の丸帯を、貝の口に結び上げた、少し曲った腰を、たたきたたき、お爺さんが実家へ帰って留守の夜などはとりわけ広い家のなかをぐるぐる見廻って、下男や下女に、内外の戸締りなどを厳しく云うのであった。
このお媼さんも時々、お爺さんと同じ様に、「では、ま、
一寸、かえって来るよ」などと云い出すのであった。でもそれは大抵、一年に一遍、お正月の頃であった。そしてやっぱり「由」の人力車を呼びにやるのであった。はきはきした「由」はじっきに、きりきりとした
紺股引と紺
足袋を
穿いてやって来るのであった。女だけにお媼さんの仕度はお爺さんのよりかなり長かったので、「由」は随分待たされなければならなかった。その間、「由」は下男の吉蔵が
焚火をして居る内庭へ
薪割台など運んで来て腰をかけてあたたまって居る、膝に黒の
碁盤縞の俥の前掛の毛布を、きちんと畳んで置いたりして。
俥は、真白に霜柱のたって居る門前の土の上に置かれてあった。くろぐろと塗り磨かれた車体も、その両側に付いて居る長い銀の編針を束ねてひろげた様な二つの車輪も、すべてつやつやと掃除が行き届いて居て、さわやかな朝の明るさのなかに、何か尊いものの様に見えるのであった。
「あら、あら、みんな来て見な」
などと一人が呼ぶと、朝飯前の遠走りを許されぬ近所の子守達には、とりわけ珍らしがられるのであった。
ばたばた、と五六人は
直き集まって来て俥のまわりをぐるっと取りまいた。背中の赤ン坊が人が急に感付いた様に泣き出したりするのもあるし、なかには南京玉の指はめを二重も抜いたどす黒い中指の先きで俥の手掛けをすっと
撫でて見て、なめらかな黒塗りの表面へ、粉の様な白い筋がありありと浮いて出ると、
きゃっと笑って逃げたりした。
「こーれ、めろっこども」と「由」と吉蔵が出て来ると、子守達は我勝ちに駈け出した。
「よい、よい、よい」と云うような歩き具合いでお祖母さんがまだ朝の光が届きかねて居るくらい奥深い玄関の
廂から出て来た。その細長い痩せた体をふくよかに包むお祖母さんの被布の、何とかいう白茶地には、真白な鳥の
羽毛が、ふさふさと織り込まれて居るのであった。
「よい、よい、よい」
という具合いにお祖母さんが歩くと、お祖母さんの体一ぱいの羽毛が、同じ調子で、
「ふわ、ふわ、ふわ」
と揺れるのであった。これは鶴の羽毛であると
かやは教えられてからこの羽毛を着けて居た鶴を想像するふしぎな快感とお祖母さんの「
他所ゆき」というかすかな好奇心が交って、夢の様な
ぼっとした気持で、この被布の姿のお祖母さんを見るのであった。
お祖母さんが最後に
「よいとな」
と大きく調子をとって、車台へ登ると蹴込みに敷いてある
獅子の毛皮のようなもじゃもじゃした布の上に「つぁらっ」と擦れる音がして、新らしい後歯がかすかに
刷毛でのべた様な赤土のあとをつけた。「由」が
轅棒を上げて走り出すと、いつの間にか皆のうしろに来て居た老犬の
くまが、わん、わん、吠えてあとを追った。俥の背に
くまの姿が横にひしゃげて、ちんちくりんに写った。俥の影が見えなくなると、この古い宿場の往還も、にわかに幅広く見渡せて、霜の溶け沁みた路上の土に、近くの村落から集まって都の方へ通って行く荷車の軌の跡が、幾筋も続いて居た。
お媼さんの俥も、やはりお爺さんの時と同じ方角へ向うのであった。
かやは、とっとと走って行って裏門の扉につかまって停った。土蔵の横を曲ったお媼さんの俥が、邸をめぐった長い
珊瑚樹の生垣に添って走り尽すと、やがて、茫としてつきる処が見えぬほど、広く続いた耕地の中心を一直線に専断した平坦な県道に、敏捷な、軽快な姿を現わすのであった。
しゃり、しゃり、ぴち、ぴち、かり、がりっと県道の小砂利を
咬む
轍の音が、かすかに
かやに聞きとれる様な気がした。俥の歯を編む無数の銀線が、きら、きら、ぴか、ぴか、と鋭く光を放った。
「おばーさーん」
と
かやは大きく呼ぼうとした。が声が喉元へぐっとつまって仕舞って、もうとても呼んでも追っても及ばないほど遠ざかって行くお祖母さんになって仕まった様な絶望に似た幼い感情が一ぱい胸へこみ上げて来て
かやはかすかに涙ぐんだ。お祖母さんは一度も振り返っては呉れなかった。そして四角い俥の背の真中あたりへ、わずかに、ちょん、と見せて居た切下げの髪の後姿も、小さく小さく、ぽつんと一つ
黒子を打った様になった頃、俥は野のはてに近い小学校と、鎮守様の
杜の間へとうとう隠れて仕舞ったのである。太陽は次第に高く登って来た。きちん、と手際よく、
鋤き耕やされて筋目正しくならされた
岱赭色の土の面の露霜がとけて、もやもやとした白い水気が、幾条も幾条も立ち初めて太陽の面を
掠めたり、斜な光線にからんだりする。
「かあ
||」
と一羽の
大鴉が鳴くと、あちからも、こちからも、ぽち、ぽち、とした積藁のかげから、くろぐろとした翼を豊に張った無数の鴉が、次から次へと飛び立ち始めた。
「おや、見つけた、見つけた、こんな処に居なさったか、おかやちゃん」
斯う云いながら、色の白い
太り
肉の体を其処へ表わしたのは、
かやの婆やのお常である。婆やは両手を広げる様な
恰好をして、
かやに近づいた。「さ、お
汁がさめますよ、お
朝飯にしましょ」と云って
かやの体を半分抱き
乍ら納屋と裏庭の竹の四つ目垣の間を通って、
母屋の茶の間へ連れて来た。
太い古い土台木を
跨いで這入ると、広い薄暗い台所の正面に、ぴかぴか、塗りの光る腰の高い
竈が三つ程も火附口を並べて
厳めしく据えられてある。土間から細縁を上ると其処は六畳敷ばかりの板の間へ薄い
藺呉座が延いてあって、女中や下男の、古い飴色の箱膳が並んで居る。茶の間は其より一段高く仕切られた八畳程の黄色っぽい座敷である。
正面の柱には大きな古めかしい八角時計が高く掛けられてあって、其下には、ぴらぴらした何かの受取紙の赤じみて古くなったのまでが、盛り上る程重ねて留めてある竹の「指し」や、くねくねとした字で書いてある青や赤の封筒だの、端書だのが、ぎっしり詰った状差しが、段々に釘付けられてある真下には、小形の古い机が置かれて「土地台帳」などと書かれた部厚な帳簿が山の様に積み上げられて、片隅に球の大粒な
算盤が一ついつも添えられて居るのであった。厚い
綿八端の座蒲団が机の前と兼帯になる様な具合に敷いてあって、
樫縁の
巌丈な長火鉢が、お爺さんを前に、大きな
真鍮の湯沸を太い鉄の五徳の上にかけられてこの座敷の中心の様に構えて居る。お爺さんは座蒲団の上に真四角に坐って朝飯を喰べて居た。
「
かやはどこに居たのか」
と、お爺さんが厚いべっこう縁の眼鏡の下から、底光りのする眼をじっと
かやの方へ据えると、太く
揃った真白な眉と眉の間に深い
皺が二筋ほどありありと表われた。
かやはまた叱られるのではないかと思って、びくりとした。
色々な野菜の煮たのなどが沢山載ったお爺さんの脚の高いお膳に並んで、薄べったい糸目のお膳のお媼さんのが今朝は無くて、お爺さんと反対の側のお媼さんの長火鉢の前の席には、いつもお媼さんが吸う
刻み
煙草のふわふわ盛ってある、栗の実の肌の様な、すべすべの丸い小さなくりぬき細工の煙草入れが一つぽつねんとして居るのが、
かやには何となく淋しく眺められた。
かやは、長火鉢からは少し離れた、次の間への障子際の、木目の新らしい桑の火鉢に、一ぱい火の盛られてある側で、赤いお箸や赤いお膳や、
凡て赤づくしの器で、婆やと一しょに黙ってご飯をたべた。
穀倉の前の
日向に
莚を敷いて、里芋の皮をむいて居る下女の方へ
かやを連れながら婆やは行った。
「おすめさん、これ(と云って小指を出して)が居ねえでまたしばらく、これ(と云って親指を出して)がよけいと怒鳴るべいな」
と婆やが前こごみに小声で云う。
「ふんとにさ」
と、おすめは小さな斜視の眼を、ちょいと見当違いの方へ光らして薄笑いをした。
婆やや、おすめが寄るといつもお爺さんやお媼さんの噂である。その外、下男や、日雇いのお民などの
饒舌から、
かやは
何時とはなしにこの山城屋の奥向きの事情を幼い心にも大方は判断し得る様になって来た。山城屋とは、
かやの家の家号である。維新前には多くの土蔵を建て列ね、数頭の馬車を貯えて、江戸の諸大名の御用商人を勤めて居た。其後諸大名が解役されると同時に、山城屋も商途を止め、土蔵や邸の外廓をせばめ
鉅万の富を緊密に包掌して、質実な家格の威容を近郷に示して居る内、一夏の悪疫に家内は大方死に尽して、
かやの父である幸吉ばかりが、三歳ばかりの幼児のままで取のこされた。幸吉は家産と共に近い土地の重縁の親戚に守られて十三歳まで育った後修業の為に或る家塾に
遣られ、十九の年に帰宅してお邦と云う
かやの母を、三里程離れた豪農の家から
娶ったのであった。
幸吉は、三年程前から、長い胃腸病を根治する為に、妻のお邦と、十二になる正太郎という長男と、九歳の裕次と元から家に使って居た二人の小間使を連れて、東京の山の手の或大きな病院の近くに出養生に行って居るのである。今度の留守役は、前の重縁の後見人に何か不始末があったとやらで、厳しい親族会議の末に、幸吉の叔父叔母である、お爺さんとお媼さんとに定められた。お爺さんは東海道で有名な古駅に近い大きな農家の男隠居で
確乎した当主の子息もある身の上で、お媼さんはその駅の菓子商を娘の養子に
譲って来て居た。お爺さんにもお媼さんにも、もう、とうのむかしに、妻も夫も無かった、お媼さんは、お爺さんの直ぐの実姉なのであった、その上お媼さんの確乎した中にも何処か優しみのある奥床しい性質には、気難しいお爺さんも、一目置いて居たのであった。
「
かや、また、真白に塗りこねられたな、よせや、役にもたたねえじゃねえか、お常さん」
とお爺さんが例の様に、苦り切って云った。
「へへえ
······へえ
······」
と婆やは、おどおどする
かやをお爺さんの前から自分の後にかくしながら、丁度
納屋の戸から出て来たお媼さんの方へ視線を向けて、誰にとも分らぬ様に
誤間化し笑いをした。その無理にゆがめた唇のほとりから逃げた筋肉が、突拍子もなく頬骨の上部まで丸く高まって、てらてらした湯上りの顔中の皮膚の艶を一所に集めてしまった様に、茶の間のランプの光を受けた。
「どれどれ、見せな、
かや」
と、お媼さんは、婆やの後ろにかくれて居る
かやの顔をのぞき込んで、
「なるほどな、真白なお多福さんが出来上ったな、あはははははは、だがな、女の子だもの、お
白粉ぐれいはな、いいやなあ あはははは」
お媼さんは、男の様な
大容な声を出して笑ったあとで、歯の抜け落ちた唇の
窪みを、もごりもごり、と動かし乍ら、
取り
做し顔に、お爺さんと婆やの顔を見くらべた。それでもなおお爺さんが、苦り切って居るので、
「まあ、御めん
遊せや」
と婆やは頭を一つぺったり下げて、逃げる様に
かやの手を引いて、
かやと二人の寝所に宛ててある離れ座敷の六畳に続く廊下の方へ出て仕舞った。
かやもほっと安心すると、急に湯上りの温った足の裏に、木肌が冷たく沁み渡って、せいせいした気持になった。奥の間、次の間、仏壇の間、という順に、内庭の木立の繁み近くに迄建て連ねられた幾つかの座敷に沿うた縁廊下は、遥々と見渡すほどに長く延びて居た。その黒く
滑かに拭き込んだ板の面を夏の夜の雨あがりの涙ぐんだ様な月がほのかな光を、水の様に流し湛えて居るのであった。太い
弛んだ婆やの足は、ぺたりぺたり、とその上を歩いた。
廊下が尽きると一間
許りの濡れ縁が架って居る。
「滑りなはるな」
と婆やは
かやの手をしっかり握って、湿った足場を探り探り渡った。
離れの六畳へ這入るや否や、婆やは
かやの手を握ったまま其処へ体を
投り出す様にしてぺたりと坐った。
「
爺い、うるせい爺いだわなあ、おかやちゃん」
ぺっっと婆やは半分ばかり赤青い様な舌を吐いた。その舌は、婆やの太り肉に似合わない薄く、へなへなとして居るので
かやはそれを見るのがいつも不気味だった。それにもかかわらず、婆やはこれを一日のうちに何度も繰り返すのが癖であった。婆やは六十に近いといっても、まだ髪も黒く、
丈も女としては高い方だし歯もよく揃って居た。元は山城屋と同村の遠縁に当る某家から出て、十五の年から二十年近くも、江戸の大名を二三ヶ所も渡り奉公に歩いて居た。そのうちに四十近くになって浪人上りの年下の男を連れて村へ帰って、古道具屋を営んで居た。三年前に若い夫に死なれてからは、山城屋へ容れられて、
かやの守役をずっと勤めて居た。
婆やを始めて見た時、
かやは云うに云われぬ異様な感じを受けたのである。
「おや、これがお嬢ちゃまで、お
かやちゃんで、さようでまあ」
と、お媼さんから
かやの方へ向けた笑顔は、しゅっと引き釣った両唇とは反対に、切れ長の
眼瞼が、二筋三筋の皺を走らせて流れる様に眼尻の方へ上品な愛嬌を溢して居た。笑いが納まると、婆やの顔は別の顔の様に変って見えた。上目瞼は薄黒い皺のまま大きな眼球の上に高まって、鼻柱と頬骨との間の眼下の筋肉の著しいたるみは、丁度、色の
褪せ切った
青蚊帳の古い端片れを
吊げた様に見えた。左の眼の下にはその隈の中に、更に色の濃い大きな
ほくろが一つ指先きで押した様に付いて居るので、一層陰惨に険悪に見えたけれども、むっくりと延びた形の
宜い鼻が、丸顔の筋肉や皮膚の皺を程よく調節して、小さく結んだ唇にはまだ若い女の様な、艶を持って居た。鉄無地の古い
紬の
袷に、同じ様な色の幅のせまい博多の丸帯を、盛り上った様な肉附の宜い腰の辺に恰好よく結んで居た。
かやは
斯んな
綺麗な気味の悪い様な婆やに附き添われるのがうれしい様な、少し恐い様な気がした。
「町人百姓の子に、お嬢様たあ
勿体すぎる」
斯う苦り切って云うお爺さんの前では止めたけれども、蔭へ行くと婆やは
かやを、
かやちゃまだの、お嬢様だのとよく呼んで居た。
「ふん、
仰るだの、
遊せだのって云うかと思やべいべい、言葉も使い分けるしな、奇妙な婆あだ」
下女のおすめは婆やが来て間もないのにもう斯んな
悪まれ口を利いた。
「使い分けだって何だって、お前にゃ真似も出来めい、己はこの土地でばかしあ育たねえからな」
と婆やは憎々しく云い返した。
高ぶったとか勿体ぶったとか云う悪評のなかから、不思議な程
かやを大切にすることばかりを婆やはたった一つ取り立てて
ひとから
褒められて居た。
「あたりめえだわ、奉公の道だもの、これが(といってかやの頭を
撫でて)
己らの旦那様だから、ねえ、
おかやちゃん、お江戸のお邸では女子でも御主人を旦那様って云うんですよ」
婆やは、こんなことを、
かやに云うとも
独言とも付かず云った。
かやはだんだん婆やに馴れて行ったのである。
毎夕の風呂には、忙がしがり家のお媼さんは後に廻って、最初に済ますお爺さんの直ぐ次の番に、婆やは
かやと一しょにゆっくり這入るのである。母屋の
廂から葉の厚い
葡萄棚を冠った通路を一筋隔てて、自然木に彫刻をした柱などで凝った風に建てられた湯殿は、先代からの遺物として、かなり古めかしいものであった。何処も彼処もぴかぴかと黒く光るなかへこればかりは新らしく容れられた縁の部厚な
椹の風呂桶の生々しい肌の色が、白くほっかりと浮んで見えた。お湯は、近頃、お爺さんが裏の納屋の側へ掘り当てた透明な、質の好い水を、青竹の管で呼んで、
潤沢に湛えたものを沸かしたのである。身綺麗なお爺さんが、只一人位ざっと済したあとは、まだほんの新湯と同じ程に澄んで居た。
「肩まで、肩まで」
と手で押えられて、
かやは婆やの丸いすべすべした膝の上へ、ひったりお尻を据えてしまった。婆やは後ろ向きの
かやをじっっと抱いたまま、眼を
瞑って、暫らく湯加減を味って居た。
湯殿の西の窓の細い
障子が少し開けてあって、廂へ
搦んだ
糸瓜の黄な花と青黒い葉と
蔓との間から真赤な夕焼雲の端と、鼠色の暮空とが透いて見える。臆病らしい
蟋蟀の声が土台の下で途切れ途切れに啼き出して、遠い裏門の辺には、野帰りらしい百姓の、太い空咳などが聞えた。明いて居た窓から、薄寒い風が、すっっと這入って来て、
五分心の裸ランプが、ぼぼぼーと油煙を吐き始めた。
「ああ危な、危な、おすめさあん、早く来て呉んなさい、早く、早く」
と婆やは大仰に
喚いた。
ごとごとと溝板を踏み乍ら、勝手の方から濡れ手を拭き拭き駈けて来た下女の
おすめが
周章ててランプの心を馴れた手付きで
捻じ細めた。
「心の切り方が悪いからよ」
と婆やはたしなめる様に云うと、
おすめは其には答え無いで突立ったまま、何処を
睨むか見当の付かない様な斜視の眼を据えて、
「婆やさんの長湯にも
呆れるなあ、やあ
垢擦りだ、やあ
糠だのって」
と云って口を
尖らした。
「そりゃあ、お嬢様あ、
磨かなきあなんねえものよ」
婆やは
斯う答え乍ら、洗い立てた
かやの体を、磨き済ました球の様に大切相に抱いて、もやもやと湯気の立つ風呂桶のなかへ這入った。
「お嬢様ばかりけい、自分だって、てらてら、するほど
洒落るじゃねえかな」
おすめはなお、負けぬ気に云い返すのであった。婆やはまた、
「おれが長湯すりゃあ、やれ、ランプの心だ、やれ薪を
燃すだのって、
茲辺にまごまご出来て宜いじゃねえか、そのうちにあ、吉さん(下男の名)が野良から帰って足洗いに来るものなあ、それ、お前
果報だんべい」
とにやにやしながらからかうと、
おすめは、にたり、と笑って照れかくしに、あわてて冠った薄汚ない前掛の下から
顎をしゃくって、
「自分こそだ、てらてら洒落ちゃあ、逢いに行くくせに」
と云うなり、とかとか、と出て行って仕舞った。
白ぼたん、という筆太な、お家流の様な字を細長く囲んだ四角な
框を中心に、二つ三つ葉をあしらった
牡丹の花を、派手に刷った西洋紙の小さな薄い包みが器用に、婆やの掌の上で開かれると、ぴかぴか、光る銀の延紙のなかの飴色の透きとおる下包の紙の上に、ぼてぼてした
粉なお白粉が、多量に盛られてある。婆やはそれを、いつも同じ量程に
撮み取って、湯殿の流し場の隅の水桶から小さな盃にとりわけた水を指で
掬って溶いて、するすると
かやの襟元から塗り始めるのであった。よくお湯を流して、
滑に温められた流し場の板敷の上へ行儀よく坐って、後ろ首に白粉をのばす婆やの手の重みに少し前かがみになると、
かやの眼の前には向き合って居る婆やの細長く垂れた、二つの乳房がふらふらとゆれて居た。子を生んだことの無いという
乳母の乳房の先きは、赤く小さくて、お湯の
雫がぽたりぽたりと滴って居る。婆やの手が
かやの顔を撫でる頃には
かやはもうなつかしい、快い
おしろいの香いに酔わされてうとうととなってしまって居る。
毎夜毎夜の化粧に婆やは、
かやの眼元へ薄く紅までさすのであった。
かやと婆やの寝所になって居る離れ座敷は、艶の宜い細骨の障子に囲まれて、低い床に、古くはあるが目の積んだ品の宜い畳が落付きよく敷かれてある。秋の半ばになってもまだ四辺を深く木立が囲んで居るので、油断のならない程、大粒な縞蚊などが絶えないので夏のまま、
矢張り
青蚊帳を釣るのであった。
かんかん、かち、しゃらんと釣手の金具の音を立てて婆やが蚊帳を吊る間に、
かやは座敷の隅の、
蒔絵の所々禿げた朱塗りの
衣桁に寄りかかって、今しがた婆やに爪を
剪って
貰った指の先きを紅の落ちない様にそっと唇に当て乍ら、真白に塗られた自分の襟や顔の
白ぼたんの
おしろいの香が蚊帳の裾が大きくあおられる度に一層
濃かに自分の鼻へ通って来るのにうっとりとして居るのである。
「ああまた、
甚三の笛
············」
と、気が付くと、
かやはなつかしいものに巡り会った様な、恥かしいものの正体を強いられる様な感情がむらむらと起って来るのであった。
甚三の笛とは、いつの頃からか、
かやには余程遠い昔と思われる頃から、
かやの家の裏門から続く広い耕地を越えた、南の方の村落から、毎夜聞えて来る横笛の音なのである。
それは晩春の頃からころころと啼き始めて、やがて湧き立つ様に野をこめる
蛙の声が、どんなにめずらしくなつかしく、
かやの
稚い心をそそる夜も、秋祭りの野太鼓が、しきりに響いて渡る頃であっても、かすか乍らも澄み透って
一縷の哀調を運ぶ横笛の音なのであった。どうかして、それが絶える夜でもある時は、かやは、婆やに尋ねたり、枕の上に小さな耳をそばだててしきりに待ったりするのであった。
「甚三がよく吹くな」
と婆やもじっと聞き入って居る時も度々あった。甚三とは、横笛を吹く南の村落の若者の名であるのだそうであった。その時はまだ
かやは、甚三という若者の容貌など一向に想像したこともなかった。ただ
じんざという呼名の響が、
かやの耳に通って来る、横笛の音に、何とはなしのなつかしさを添える様になった。
冬も一月末の極寒の頃であった。四五日続いた曇天に、
茅で
葺かれた
収穫蔵の屋根も、その前面から広くとって、ずっと奥庭との境の垣根まで続いて春や秋、の頃の収穫物を干し乾かす場所に宛ててある外庭の土も、皆一様に灰色に、いじけて
下駄の歯で荒らされた地面の上などは、こぶこぶのまま、凍り固まって居るのであった。下男の吉蔵は、まだ夜明け前の広い台所の真中へ三四枚の
藁筵をひいて、近所の四五人の
倔強の若者等と大釜の湯を取り分けて

た真赤な番茶を、前の夜から焚いて用意して置いた麦飯を、大きな茶碗に山盛りにした上からかけては、黄色な
沢庵などを忙しく箸で挟み乍ら、何杯も何杯も代えるのであった。その側に下女の
おすめは、一かかえもあるほどな大きな
七輪へ、赫々と炭をおこして、長い
鉄串へ幾切もの
粕漬の塩鮭を並べて居る、焼けて溶け落ちる塩鮭の油が炭火に焦げて、ぷんぷんと香ばしい匂をたてるのであった。それは、其日、二里
許り隔った山城屋の持ち山の木を曳きに行くこの男達の弁当のお菜なのである。外に握り飯が大形の、切溜めという深く四角い塗った器につめてある傍に、濁酒のはいった素焼の一升瓶が添えてあった。それらを
携えて、
草鞋の
紐を緊めて毎年の例の様に男達は出て行った。薄ぼけた様な雲のなかに、ちらちらと
饒に残光を保つ明け方の星空の元に、山刀や弁当の包を太縄で結わえ付けた幾つもの男達の空車の歯が、からからと音を立てて、やがて次の村落の方へ消えて行くと、跡は森閑として、家内の者はにわかに睡眠不足の眼をしばだたき出すのであった。
夕方、もう、あたりが、まっくらになってから、男達の手車は、めいめいに小山の様にうず高い荷を着けて帰って来た。それらの幾つもの車が、表門の土台まで除けて邸内に曳き入れられた。そして、外庭の半分程の地を取って、その持山からきり曳かれて幹と枝とを切り離なされた八九尺程の雑木が行儀よく、幾組かに其処に積み立てられた。
雑木は多く、
くぬぎという質の荒い粗材であって、翌朝早くから下男の吉蔵は、組み立てられた幹と枝との間の一劃に腰台を置いて、
鉈という長方形の巌丈な柄の付いた刃物と、手頃な
鋸を携えて、白い息を悠々と吐き乍ら、幹は鋸にかけ、枝は鉈で叩いて、この山城屋の一年中の燃料に当つべき雑木を、克明に仕末し始めたのである。
極寒の空の薄曇った雲の間から、折々淡い陽の光のもれて来る午後など、
かやは吉蔵と世間ばなしをしたりする婆やの傍に、しゃがんで、
手際よく、二尺程の丈に截たれた幹や枝が、また縄に結ばれて、小さな束になって、吉蔵の背後や両側に、別な組みになって積み立てられるのを、じっと熱心に見入って居ることがよくあった。
截られて居る雑木の大部分を占めて居る大人の
拳位な太さの
くぬぎの木肌は、誠実な労役を経た、老いた農夫の掌の様な、ひびだらけな上皮の、暗紫色へ、ほろほろ、と白い浮粉が吹き交ざった様な枯淡ななつかしみを
かやに与えるのであった。
雑朶と云って、吉蔵が
無雑作に取り扱う
くぬぎの下積みの枝などには、滴り透った霜どけの水に、ぐっしょり、濡れ乍ら半分朽ちた、しゃりしゃりした葉が付いて居たりした。
かやはこの葉の色が、晩秋の頃の武蔵野の低い丘から丘へ続いて、
小春日和の柔かい陽の色に、地味なかがやきを見せたり、落葉の散り敷いた疎林のなかへ、赤錆びた落日の余光がさし入る頃風と名のつけようも無いほどかすかな夕風が忍びやかに渡ると、わずかに残った
梢の葉擦れが、寂しさ、なつかしさを
囁き交わす様なひそかな音をたてる、あの時のままの茶褐色であるのを見た。
「ぴい
||」
と、吉蔵が、だしぬけに、可愛くけたたましい音を立てて何かを吹いたかと思うと、
「へい、
おかやちゃん、いいものを、あげべい」
と、皮の厚い健康相な唇を舌でなめ乍ら、
かやの前へ突き出したものがある。それは雑朶の細枝のふたまたになって居る
岐れめに何かの虫が附けた玉子から、至極
巧に、中味の虫の子が脱け出したあとの、可愛い笛の様な音を立てる小さな穴の一つあいた、
かやの紅さし指の
あたま位いな、貝のように硬い滑かな、灰色に白い
斑の付いた殻であった。
かやはたちまちその殻に抑え切れ無い程な好奇心と愛着を生じてしまって、まだほかに幾つも幾つも欲しかった、それを見付けるために、雑朶の間をあちらこちら歩いて居ると、後の方の婆やと吉蔵との間に、いがみ合う様な笑い声が突然起った。ひょいと
かやが首を出すと吉蔵が、
「だから、おかやちゃん、お宮(鎮守の杜)へ行ったら、ようく、婆やを見張らねえじゃいけませんぜよ」
と云う。
こんなことの外によく
かやは
「神主の藤さんと婆やさんがなあ」
など云う様なことを、
おすめなどの口から聞いて居る。かやの胸には何か思い当ることがあるような、何だかさっぱり分らぬ様な、その度に、婆やにかすかな反感が起ると同時に、皆の口からかばってやり度い様な妙な感情が湧くのであった。
「
ひとのことかよ、おめえさんこそ」
と婆やは、ひょいとおどけた眼付をして笑った。これは婆やが蔭で
おすめの斜視を
真似る時、いつも使う眼付きであった。
截たれて
薪となった雑木が、切り口を側面に並べて積まれてあった。一筋の木目も無いばさばさした淡黄色い
くぬぎの切り口には、わずかに汗の様な、うるおいが滲んで居るばかりであったけれど、ところどころに
交る
女松の木地などには、たらたらと赤黄色い
脂が流れて居るのであった。その涙の苦汁の様な濃い液体が凍り固まって、水飴の様に
執念くこびり付いて居るのを、こちこち
爪の先で
叩いたりすると、
かやはかすかな
憐憫を覚え乍ら、また、何となく胸がせいせいして小気味のよい様な、
酷たらしい快感が起るのであった。
かやが、余念もなくそんなにして居る或日の午後であった。裏門の方から重い足音がして、一人の若者が吉蔵の傍へやって来た。吉蔵が其と見て、
「やあ」
と云って仕事の手を休めると、
「やあ」
と若者も同じ様に云って、吉蔵の傍へ
停ち
止まった。
「叔母御の処へ来なさったかね」
と吉蔵が聞くと、
「うむ」
と返事をしたきり若者はまだ立ち去りそうもない。
若者の年頃は、廿三四位に見えた。盲目縞の中古の筒袖の長着を着て、紺の
兵児帯を前へ、きちんと結び挟んで居た。角の立つ様な隆鼻を中心にして、なかだかな、おとがいの張った男らしい顔の、
怜悧相な額には、油もつけず幾日も
梳らない為に、
煤気を帯びた様な黒い、たっぷりした散髪が掩いかぶさって居る為に思いきって切れ長なま
瞼の底に、濃情と憂愁とを交ぜ湛えた様な両眼の色がいやが上にも奥深く見えるのであった。
やがて、ぼろりぼろりと語り出した若者の声は、重くろしいなかに若々しい力のこもったひびきがあった。何かの拍子にうつむき加減に、にっと笑うと、真白な歯並が、神経質らしく少し乱れて見える。
其処へ、
母屋の方から婆やが来た。婆やは若者を見ると、急に愛想笑いをつくって近寄った。
「お久しいね、甚三さん」
と云って、今度は
かやの方に向直って、
「
おかやちゃん、これ(と云って若者を指さして)が松戸村(南の村落の名)の笛吹きの甚三さんですよ」
と
かやの、下げ髪の上に優しく手を置き乍ら、前屈みに顔をのぞき込んだ。
「おや、
おかやちゃん、あんた、甚三さんに、
見惚れて居なはるな、甚三さん、
おかやちゃんがな、このお嬢ちゃまがな、お前さんの笛の音が、大好きでな、毎晩々々、それはそれは、熱心に聞きとて居なはることよ、な」
婆やの、このおしゃべりが終った時、甚三はまた、誰にということも無く例の笑いを、にっと現わした。
その瞬間、強く鋭く甚三の凡ての印象が、稚い
かやの胸へ、ぐっっと突き入ってしまったのである。かやは矢庭に、母屋の方へ、一目散に駈け出した。しばらくあっけにとられて居た婆やが、あたふた追い掛けて見ると、
かやは、すこし色の褪せた
緋縮緬の帯を小さく貝の口結びにした後姿を見せて、書院の縁へ顔を、うつぶせにして居た。
「
かやちゃま、
おかやちゃん、どうした、どうしなはったよ」
斯う云い乍ら、気忙しく婆やが
かやを抱き起すと、
かやのそむけたままの横顔は真赤に染まって、縁板には三四滴の涙の
痕がついて居るのであった。
「
おかやちゃん、あんた、恥かしかったんですか、え? ほんとうに、え?」
とあきれた様に念を押した婆やは、やがて、
「
早熟いなあ、あんたは、ほんとうに
早熟い」
と、
沁み
沁みした様に、独語した。
気立ての優しい年若な甚三の嫁が、姑の苛責のために、身も細るばかり、思い煩うのを見兼ねて、ひそかに連れて、甚三が夜のうちに
逐電したと云う
噂さが聞え出して笛の音は一時、ばったりと絶えた。その頃の
かやの稚い胸には
得態の知れぬ憂鬱がひそかに忍び入ることもしばしばあった。が、間もなくその弱々しい嫁に、遠い旅先で病死されてから、甚三は再び戻って、元の勤勉な息子として酷しい母親の
許に淋しく暮らす様になったとのことであった。
甚三の哀調を帯びた横笛の音は、毎夜また、南の村落から聞えて来る様になった。
今夜もまた。