北海道の春は、雪も消えないうちにセカセカとやって来る。なにもかもひと口に頬張ってしまおうとする子供のようだ。
低く垂れていた鈍重な雪雲の幕が一気にひきあけられ、そのうしろからいちめん浅みどりの空が顔をだす。
雪の
藪蔭には蝦夷
雪溶けの沢水の中には、のそのそと歩きまわる

丘はまだ
風はまだ身を切るように冷たいのに、早春の高い空で
波が高まるようになだらかに盛りあがっている黄色い枯芝の丘の上に、ビザンチン風の、赤煉瓦の修道院の建物が建っている。
長い窓の列を見せた
津軽海峡の
ところで、ベルナアルさんにとっては春がやって来ることがたいへんな苦労の種になる。
ベルナアルさんは、たいへんにおしゃべりが好きである。いったんしゃべりたいとなると、矢も楯もなくなってしまう。舌が口の中に一杯になるほど膨れあがり、唇は芝蝦の子でも跳ねるようにピクピクと
ベルナアルさんは、丘のうしろの洞窟の中へ駆けこんで、
不幸なことには、祈るほどベルナアルさんの舌はいよいよ膨れあがり、身体じゅうの血が

「ええ、ままよ。······どうせ、おれは修道士にはなれないんだ」
矢庭に立ちあがると、悪魔が
思う存分しゃべりまくると、いままでベルナアルさんをつかまえて離さなかったおしゃべりの悪魔が赤い舌をだしてツイと逃げて行く。その途端、ベルナアルさんはハッとわれにかえる。
その時のベルナアルさんのあわれなようすと言ったら!
大鎌で刈られた青草のように髪の毛の端までグッタリとしてしまう。失望落胆し、慚愧と後悔のために満足に歩くことさえ出来なくなってよろよろとベネディクトの洞窟の中へよろけ込み、
もうすこしで修道士になれるところを、沈黙の戒律を破った罰で、ベルナアルさんはまた労働士にさげられる。それから贖罪のための長い長い苦行がはじまる。ベルナアルさんの眼もあてられない悔悟のようすを見ると、院長も哀れに思って間もなく修練士にしてあげようと約束をする。運の悪いことには、ちょうどその頃春となり、おしゃべりの悪魔がまたぞろベルナアルさんの舌をつかまえて離さないようになる。ベルナアルさんの唇が芝蝦の子のようにピクピクと
沈黙が厳重な鉄則になっているトラピストの修道院では、ベルナアルさんのようにおしゃべりが好きなのは、ほんとうに不幸なことだというのほかはない。
私がはじめてベルナアルさんに逢った時は、ベルナアルさんは修練士だった。
トラピストの修道院では、修士の階級で僧衣の色がちがっている。
労働士の間は
今いったように、ベルナアルさんはもう一歩で
私は、修道院で客泊館といわれている別棟の建物の中に寄宿し、オルガンとラテン語の初歩を勉強することになった。院長の人選にあずかった私のラテン語の先生は、ベルナアルさんだったのである。
ベルナアルさんは、私が行く一年前の春、何度目かの破戒をし、ちょうど贖罪の最中だった。
さすがにその辛さがこたえたとみえ、祈祷と労働の一日の課業が終わると、ほかの修道士たちに出逢わないですむようにたった一人で林や谷の中を歩きまわっているのだった。
じぶんの
その日はまたよほどうまいところへ逃げこんでしまったとみえて、どうしてもベルナアルさんに行きあうことが出来ない。
院長さんは、人の良い温厚な顔に困惑の色をうかべながら、
「それにしても、ベルナアルさんは、どこに隠れているのでしょう。たいていなら、このくらい骨を折ると、どうにか捉えることが出来るのですが、
と、気の毒そうに言った。
「ベルナアルさんを捉えるよりも野兎を捉えるほうがもっと楽です。······まあ、しかし、もうすこし元気を出してやってみましょう。······神の助けによって······」
院長と私は、丘を越えたり沢を渡ったりしたのち岬のほうへ歩いて行った。岬は鶴の嘴のように長く海へ突き出していて、その両側は眼の眩むような断崖になり、遥か下の方で津軽海峡の波が轟くような音をたてて捲きかえしている。
ベルナアルさんは、岬の端にいた。
晩秋の驟雨があがったばかりのところで、薄暗い空に北海道の南端から本州の北端まで届くほどの雄大な虹が七色の弧をかいて海峡の上を跨いでいた。
ベルナアルさんは、空へ両手を差伸ばし、切れ切れな声で大きな虹にむかって思いつく限りの歎賞の言葉を捧げているのだった。いつもベルナアルさんの手から離れたことのない祈祷書は、まるでそこへ叩きつけたかと思われるようなひどいようすで岩の間に落ちていた。
院長さんは、私に片眼をつぶって見せた。
「とうとう捉えました。あんなとこで大きな声で虹とお話をしています。······ほんとうに、ベルナアルさんというひとは······」
院長は、精一杯な声で虹に向って叫んでいるベルナアルさんを抱き取るような慈悲深い眼つきで眺めやりながら、
「あのひとは、花や、虹や、小鳥や、小川などの美しさにあまり感動し過ぎるようです。主よりも花や小鳥を愛し過ぎるというのはやはり困ったことにちがいないのです。ベルナアルさんが、子供のような純真なこころを持っているとしてもね、どうも、そんな風では······」
そして、静かな声でベルナアルさんの名を呼んだ。
その時のベルナアルさんの顔といったらなかった。悪戯を見つけられた子供のような、今にも泣き出しそうな顔で首を垂れてしまった。
ベルナアルさんの顔を見て笑い出さずにすまされるひとはこの世にいくにんもいないのにちがいない。
ずんぐりと肥った、巾の広い切株のような肩の上に、夏の夕月のような赤い丸い顔が載ってい、その顔の真中に象のような小さな眼と、水兵帽の丸房のような、よく熟した赤い丸い鼻がチョコンとついている。
頭のてっぺんを丸く中剃りしていることはほかの修士たちと変りはないが、ベルナアルさんの場合は、まわりの毛が棉の木についている棉花のようなフワフワした
それに、歩く恰好ときたら!
鵞鳥が水溜りからあがって来たように、お尻を左右に振りながら両脚をうんと踏みひらいてヨチヨチと歩く。
これには誰でも噴き出してしまう。誰にしたってベルナアルさんがひとを笑わせようとしてこんなおどけた歩き方をしているのだとしか思わない。しかし、それがふざけているのでも道化ているのでもなく、ベルナアルさんの歩き方のうちで最も敬虔な歩き方だということを知ると、気の毒に思わずにいられないのである。
ベルナアルさんとしては、好んでこんなにみっともない歩き方をしようと思っているわけではない。五年ばかり前の夏、巣から落ちた岩燕の雛を巣へかえしてやるために截り立った崖を登ってゆく途中、足を踏みはずして崖の下へ転げおち、海岸の流木にしたたか腰を打ち、それ以来こんなみっともない歩き方をしなくてはならないようになった。
ベルナアルさんは、岩蔭に落ちていた祈祷書を拾いあげると、
「ベルナアルさん、あなた、岬の端で何をしていました」
ベルナアルさんは、
「私は虹に
「何か大きな声で叫んでいましたね、ベルナアルさん」
「私はこんな美しいものをお作りになった主に
「そうですね、ベルナアルさん。私もそう思います。あなたの魂が
「そうですとも、院長さま。私の魂は確かに不調法なやつにちがいないのでございます」
私とベルナアルさんの初対面は、だいたい、こんなふうだった。
ベルナアルさんは私にラテン語の初歩を教えるために、夕課の後、一時間ずつ私の部屋に来るようになった。ベルナアルさんの苦行は、たしかに見上げたものだった。私の部屋に入って来ると、壁際の
ベルナアルさんが何を祈っているのか、もちろん、私にはよくわかっていた。ベルナアルさんは私に課業を授けるあいだ、ラテン語の文法以外のことはひと言でもおしゃべりをしないですむように神の守護と助力をねがっているのにちがいなかった。
ベルナアルさんは、文法のこと以外にただのひと言も余計なおしゃべりをしなかった。
それにしても、その間のベルナアルさんの苦悶のようすときたらそれこそ眼も当てられないほどだった。
晩秋の冷たい
「······
私は愛す、······汝は愛す、······彼は愛す、||
ベルナアルさんは、夢中になっておしゃべりの悪魔と闘っているのだった。ベルナアルさんは、しどろもどろになり、自動詞と他動詞を間違えたり、不定法の現在と命令法の複数を間違えたりする。汗を拭いて呻き声をあげる。溜息をつく。身震いをする。椅子から立ち上って子供のような

この一時間の課業は、ベルナアルさんにとって一年より長く思われたにちがいない。
絶望の呻き声と、汗と、涙のあいだにようやく一時間の終りが近づく。
ベルナアルさんは、張り詰めた気がゆるんだようにグッタリと椅子の中へ落ちこむ。主のお加護によりまして今日も馬鹿なおしゃべりをしないですみました。······神は讃むべきかな······
そして、よろめくような足取りでじぶんの
私のラテン語の文法はベルナアルさんの汗と呻き声の中でよろけ廻り、手にも足にも負えないようになってしまった。格と時と性が互いに入り乱れ絡み合い、風の強い日の凧糸のようにどこからほごしていいかわからないようにこんがらがってしまった。
ベルナアルさんが、せめておしゃべりでもしてくれたらどんなに助かるか知れなかった。私は長い一時間を出鱈目な文法を喚き散らすベルナアルさんの口元をぼんやりと眺めたまま過してしまうのだった。
この手のつけられない一時間は、私にとってもたいへんな災難だったが、ベルナアルさんにとっても煉獄の苦しみにもまさる一時間だった。
それからしばらくたつとベルナアルさんは、髪や衣の裾に
ベルナアルさんは、私の部屋に来る前に、深い雪に蔽われた丘を通って海岸へ下りてゆき、海の水に顎まで
三月の北海道の氷のような海に顎の下まで浸って!······それは、いったい、どんなひどい苦行だと思います?
海の水に浸ってる間はまだしも、濡れた身体に粗羅紗の衣をひっかけ、広い雪の
ベルナアルさんがどんなつもりでこんなことを始めたかはともかくとして、確かにそれにはそれだけの効果があったようである。ベルナアルさんが凍えるとベルナアルさんの舌の先に掴まっている悪魔は勢い舌と一緒に凍えて手も足も出ないようになってしまうわけだった。
ベルナアルさんはガチガチと歯の根を震わせ、冬の海の、
ベルナアルさんの身震いこそたいへんな見物だった。下顎がまるで癇癪でも起したように絶えず上顎を蹴りつける。その度に歯が打合ってカスタネットのような陽気な音をたてる。はずみのついた
ところで、震えるのは歯の根ばかりではない。手は手、膝は膝というぐあいに、それぞれ趣のちがう震え方をする。ベルナアルさんの身体のこの三つの部分が思い思いの震え方をするのは、何といっても奇観だった。
とてもものを言うなどというだんではない。生じっか舌なぞを動かそうとすると、舌の先を噛み切ってしまうほかはない。
私とベルナアルさんは、ベルナアルさんの身震いが止まってくれるのを辛抱強く待っている。
しかし、ベルナアルさんの身体はすっかり調子づいているのでそう急にはもとへ戻らない。
そのうちに、部屋の暖か味でベルナアルさんの髪や衣の裾についていた氷柱がすこしずつ溶けて床の上に滴を垂しはじめる。癲癇の発作のようなひどい身震いがようやくおさまって、どうにかものが言えるようになる。その途端、入寝の鐘が鳴る。ベルナアルさんは開きさえもしなかったラテン語の文法の本を持って逃げるように帰って行く。ベルナアルさんとしては、私に文法を教える意志はあった。しかし、ひどい身震いのためにものを言うことが出来なかったのである。
ベルナアルさんはすくなくとも院長から課せられた義務を完全に果していると言ってもいいわけだった。
ベルナアルさんのこの身震いは春が来るまでずっと続いていた。ラテン語の勉強は動詞の第四変化のところへ釘づけにしたまま私とベルナアルさんは、毎日そうやって、ベルナアルさんの身震いがおさまるのを待つために向き合って坐っていた。
北海道にもとうとう春が来た。
そのうちに、ベルナアルさんがバッタリと私の部屋に来なくなった。
私は机の上へ文法の本を開いて辛抱強く待っていた。ベルナアルさんはやって来ない。
四日ばかりたってから、私はベルナアルさんの
独房にベルナアルさんはいなかった。僧院の廻廊にも、中庭にも、聖堂にも、どこにもベルナアルさんの姿はなかった。
それから二日ばかりたったあるやさしげな春の
私が素朴な畑の柵について、そのほうへ下って行くと、葡萄畑のほうから重々しい鈴の音が聞えてきた。罪の感じとでもいったような、何か胸を締めつけるような、そんな響を持っていた。
夕課の終りの鐘が鳴って、みな夕食をするために
ベルナアルさんだった。
ベルナアルさんが
ベルナアルさんのこの
ベルナアルさんは枯れた葡萄蔓を集め、汗を流しながら大きな束をつくっていた。燃やしてしまうほか何の役にも立たない枯れた葡萄の蔓!
ベルナアルさんは沈黙の戒律を破ったために修道院で一番卑しい仕事を課せられているのだった。
私の姿を見ると、ベルナアルさんは手も足も出なくなったときの子供のような顔をして土の上に眼を落してしまった。涙ぐんでいる眼を私に見られたくないためだった。
「ベルナアルさん、あなたはまたおしゃべりをしてしまったのですね」
ベルナアルさんは憐みを乞うような眼つきでチラと私の顔を見上げた。
「ええ、そうなんです。何という情けないことでしょう」
ベルナアルさんの声は震えていた。
私は、われともなく院長さんの口真似をした。
「ベルナアルさん、ほんとうに、あなたというひとは······」
「ああ、ほんとうに私という人間は······」
「それにしても、あなたはどんなおしゃべりをしたのですか。困ったひとだ」
「······私は『今日藪蔭で今年最初の雛菊を見つけた』と大きな声で叫んだのです」
「ああ、そんなことはどうだっていいのに。どうしてまた藪蔭の雛菊なぞについておしゃべりをする気になったのですか」
ベルナアルさんは、
「藪蔭で最初の雛菊を見つけたとき、あまり嬉しくてこの溢れるような喜びを誰かに分けてやりたくてたまらなくなったのです。······私は舌を押さえつけようと思って力の限り祈りました。でも、やっぱりだめだったのです。私は修道院じゅうを走り廻って、『沢の藪で雛菊を一輪見つけた』と叫んで歩いたのです。まるで雷のような声で。······私としては、どうすることも出来なかったのです」
「まあ、何という馬鹿なことを······」
ベルナアルさんは、肩を
「はい、その通りです。······ところで、まだ後があるのです」
「おや、おや、それから何を言ったのです」
「······『春が来た、春が来た』······それから、『あんなところで
「
「私は丘のうしろのベネディクトの洞窟で寝ているのです」
「それにしても、食事はどうなさるのですか」
「
「それにしても、牛の鈴をあなたの首に結びつけるなどというやり方は······」
ベルナアルさんは、手を挙げて、私の言葉を遮りながら、
「もう何も仰言ってくださいますな。これが私に至当な懲罰です。······むかし、私がつまらないおしゃべりをしたために、どんなにある婦人を苦しめたか、それをあなたが知っていらしたら!······一生おしゃべりの悪魔につき纏われて苦しむのが私の宿命なのです」
それからまた二日ほどたったある日の午後、私は上品な
むかしはどんなにか美しかったであろう奥床しい眼差の中にも、かたちのいい唇の上にもその
この老婦人は、不幸な出来事のためにベルナアルさんと別れなければならなくなったその日まで三十年もの間
「不躾ではありませんか? ······あまりだしぬけで、あなたさまをびっくりおさせしたようなことはありませんかしら? お気を悪くなさいませんか? 妙な女だとお思いにはなりませんか? ······もし、そうだったとしても、どうぞ、あまり悪くおとりにならないでくださいましね。わたくしとしては、ようようの思いで決心をしたのでしたから。女を一切寄せつけないこの厳格な所へ、こんなふうに押しつけがましくやってこようといたしますまでには、それはそれは、ずいぶんかんがえぬきましたのですが、やはりこうするほかはありませんでしたのよ。······それにしても、ベルナアルさんは、どうしておりますでしょう? 元気でおりましょうか? 病気をしたりするようなことはありますまいか? むかしは日本の気候が合わなくて、よく気管支炎をやりましたが、今でもそんなことがございますのでしょうか? むずかしいひとでしたが、粗末な食べもので機嫌を悪くするようなことはございますまいか? ······つまらないことばかりお訊ねして、さぞ、ご迷惑だったでしょうね。······わたくしがお訊ねしたかったのは、こんなことではなかったはずですわ。ベルナアルさんはおしゃべりを慎んで立派な修道士になりましたでしょうか? ······何より、まず、こうお訊ねしなければならなかったのですわね。······ベルナアルさんとしては、わたくしをあんな不幸な目に逢わせたということに対しても、是非とも立派な修道士にならなくてはならないわけなのですね。······ほんとうに気の毒なベルナアルさん。······私とベルナアルさんは、そのころ結婚するばかりになっていました。······この上もなく愛し合い信じ合って、二つの心がひとつのもののように、そんなにも溶け合っていたのでしたのに、ベルナアルさんがつまらないおしゃべりをしたために何もかもすっかり駄目にしてしまったのでした。
そのときベルナアルさんは函館の仏蘭西領事館の書記官補で、いつもさっぱりとした服を着て、ステッキをついて歩いていました。ステッキを持たないときは、犬を連れて水曜日と土曜日にわたくしのところへ夕食に来ました。父母もこの結婚には賛成でしたけれど、ベルナアルさんがわたくしのところへ犬を連れて来ることだけはあまり好いていなかったのですわ。
わたくしの両親の意見では、じぶんの犬に愛人の名をつけるなどというのはいけないことだし、まして、その犬を鎖に繋いで連れて来るようなことはあまり面白いやり方ではないと言うのでした。ベルナアルさんとしては、もちろん悪い気でしたことではなかったのでしょう。
ひょっとすると、仏蘭西あたりにはじぶんの犬に愛人の名をつける習慣があるのかも知れません。それはまだよかったのですが、ベルナアルさんのつまらないおしゃべりが私の両親をすっかり怒らせてしまいました。······ある日、ベルナアルさんは葡萄酒に酔って上機嫌になったすえ、こんなことを口走ったのですの。『ねえ、みなさん、わたくしがこの犬をどんなに愛しているか、恐らくお察しにはなれますまいね。この悧口そうな眼を見てやってください。それからこの口髭。ガベラの花弁のような優しい耳の垂れぐあい、白粉刷毛のようなちっちゃな
口下手なベルナアルさんとしては、それが精一杯のところだったのです。思いつく限りの最上の比喩でわたくしに対するベルナアルさんの深い愛情を表明しようとしたのにちがいないのです。それにしても、ベルナアルさんはあまり不器用すぎました。······ほんとうに不幸なベルナアルさん。犬がわたくしに似ていると言ったのはまだしものことでした。もし、うろたえて、わたくしが犬に似ているなどと口走ったとしたら、いくらわたくしでもやはり腹をたてて、もう二度とベルナアルさんのことなどかんがえたくないと思うようになったでしょうからね。
······それにしても、ベルナアルさんが馬鹿なおしゃべりに恥じて、一生ものを言わないですむこのトラピスト修道院へ入ったのはたいへんにいい思いつきでした。なにしろ、あんな口下手なベルナアルさんのことですから、さもなければ、この先また、つまらないおしゃべりのためにさんざんひどい目に逢わなくてはなりませんのですから。······ねえ、あなた、ベルナアルさんは立派な
この気の毒な老婦人にベルナアルさんはたしかに立派な修道士になっていると告げることが出来たら、私はどんなに嬉しかったろう。
ところで、丘を越えた葡萄畑のほうから
ひりたての馬糞の中で。
春が来た、春が来た、馬糞の中へも、
老婦人が帰ってから、私は、ベルナアルさんのやり方はあんまりだと思って、それを言うためにベネディクトの洞窟へ出かけて行った。
ベルナアルさんは、