永禄十一年の秋のことであった。
数日前から滞在している
「これは私の古い知人で、斎藤
南化和尚がそういってひきあわせると、中には知っている客もあって互いに
斎藤内蔵助は名を
内蔵助は黙って静かに歌の会を見ていたが、そのうちにふと、集まっている客たちの中に、まだ十三、四歳と見える少年が一人まじっているのをみつけた。······人がなにかに驚くと、
やがてみんなの歌が出来ると、それを紹巴の前へ集め、揃ったところで一首ずつ読みあげて優劣をきめることになった。その時の題は「
雲か雪かとはかり見せて山風の花に吹き来つ春の夕暮
というので、一座の人々も紹巴もその素直な詠みかたに感心した。そこで作者を調べてみると、意外にも内蔵助がさっきから眼を「やあ、またしても
「今日こそ手前が秀逸をと思いましたのに、いつも鶴千代どのにさらわれるのは残念ですな」
「これでは大人の面目が
みんなが口々に
「あれはどういう子供ですか」
内蔵助はそっと南化和尚に
「お眼にとまりましたか」
和尚はその問いを待受けていたように、
「あれは
「まだ年もゆかぬように思われますな」
「十三歳に成られます」
「蒲生どのの若君か」
内蔵助は物思わしげに、再びそっと少年を見やるのであった。
会が終わって客たちが思い思いに帰りだすと、鶴千代もまた別れを告げて寺を出た。供は草履取り一人である。瑞龍寺を出て、
「蒲生どのの若君、どこへおいでなさる」
と呼びかける者があった。振返ってみると、歌の席で南化和尚がひきあわせた、斎藤内蔵助という浪人者である。鶴千代は静かに眼で会釈しながら、
「川辺まで秋の水を見にまいります」
と答えた。内蔵助は
「あなたはたいそう学問がお出来なさるそうですね。さきほどの歌も美しい出来だし、兵家のお生まれにしては珍しいことだと、実は感服して居りました」
川岸へ来たとき、内蔵助がそういって振返ると、鶴千代はよく澄んだ
「そうでしょうか」
と静かに反問した。「······兵家に生まれて学問をするのは珍しいことでしょうか。私はそうではないと思いますが、······こんな時世なればこそ、立派な武人になるためには学問をしなければならぬと思うのですが」
「それはむろん大切なことです」
「ながい乱世のいきで、人々はただ兵馬の事しか考えません。強くさえあればよい、勝ちさえすればよい、出来るだけ自分の勢力を拡張して天下に号令しよう。そういう武将が多過ぎます。これではいつまでも戦乱の鎮まる時がありません」
「あなたのおっしゃる通りです。これから武将として国を治め、正しい戦をするためには、学問を十分に学ばなければなりません」
内蔵助は頷いていった。「······あなたはまだお年も若いしそれに立派な才分がお有りだから、いまのうち学問に精をお出しなさるがよい。然し、······忘れてならぬ事が一つあります」
「どういう事ですか」
「あなたは日野城の
「むろんそれを忘れはしません」
「学問をするのは
兵法武術をお学びなさい。あなたはいま学問のため身を誤ろうとしています」
「学問のために身を誤るですって」
鶴千代は不服そうに反問した。
「そうです。あなたにとっては
「剣でなくとも国を治めることは出来ると思います」
鶴千代はきっぱりとそう答えた。
蒲生氏は藤原
鶴千代は幼いころから学問が好きで、馬に乗るよりも歌を詠み、戦術を学ぶより文字に親しむという風であった。もとより才分があったから、学ぶほどに上達も早く、歌の会などに出るとみごとな作を出して、しばしばその道の人を驚かした。
||蒲生の鶴千代どのは秀才だ。
||いまに立派な学者に成るであろう。
||いや歌人として名を挙げるに違いない。
そういう評判を聞くたびに、まだ十三歳の鶴千代はひそかに胸を躍らせていたのである。
そこへ斎藤内蔵助という人が出て来た。そして世間の人々とはまるで違った言葉で、鶴千代を批評した。いままで褒められることに
「······私が学問の虜になっているという。佳き歌を百首作るよりも大切な事があるという······」
ずいぶん無遠慮な言葉だ。
「そんなことがあるものか」
鶴千代は烈しく首を振った。「······私の体には御先祖秀郷公の血が流れている。いざ合戦という時には、この体に流れている血がどう戦うべきかを教えてくれる。
それから間もなく、鶴千代は京都へ上った。そして
永禄十二年八月のことであった。
一騎の使者が岐阜から、京の鶴千代の
「おお帰ったか
鶴千代を迎えた信長は上機嫌で言った。
「これから
「かたじけのうございます」
「あっぱれ手柄をたてろよ」
鶴千代は黙って手を突いた。
信長の軍勢は伊勢の国へ殺到した。
国司北畠
合戦は烈しかった。
北畠勢はそれまでに各地で連敗し、今はただ大河内城を最後の守りとしていたため、必死の勢いするどく、さすがの織田軍もなかなか決戦の機をつかむことが出来ない。
······突込んで行く軍兵の声、狂奔する馬の
忠三郎は手も足も出なかった。
攻寄せる兵と、逆襲する兵との、息つく暇もないような白兵戦を見ていると、五百の手勢をどう動かし、どこへ斬込んだらいいのかまるで見当がつかないのだ。
||ああ自分は間違っていた。
忠三郎は胸を
||自分が秀郷公の子孫であっても、この体に蒲生家の血が流れていても、自分に兵を動かし、合戦をする能力が無ければなんにもならない。武将の子である以上、自分に最も大切なものは兵法武術を学ぶことであった。学問の虜になっているといわれた内蔵助どのの言葉は正しかったのだ。
忠三郎は今こそ自分の誤りを知った。
けれどもそれがなんになろう、戦はいま眼前に展開している。ぐずぐずしているうちに戦機は去ってしまうだろう。信長から五百人の兵を与えられ、蒲生家の名誉を荷っている自分が、初陣に後れを取ったら死にまさる恥辱だ。
||いっそ、このまま法もなにも構わず敵陣へ突込んで、討死をしようか。
その方がむしろいさぎよいぞ! と思った時である。向こうから馬を
「蒲生の若君、初陣おめでとうござる」
と大声に呼びかけた。······驚いて振返る忠三郎の前で、馬から下りた
「お忘れですか、斎藤内蔵助です」
「おお斎藤どの!」
意外な人である。忠三郎は驚きのあまり夢でも見ているような気持で、しばらくはいうべき言葉もなかった。······内蔵助はそれまでの様子をすっかり見ていたらしい。驚いている忠三郎の肩を
「どこです」
「あの
内蔵助の指さすところを見ると、いかにも信長旗下の安藤伊賀守が、今しも敵陣の一角へ押寄せて行くのが見えた。
「あの攻め振りで見ると、伊賀どのの軍勢は必ず負けます。負けて逃げて来ます。そして敵兵はきっと追討ちを仕掛けるに相違ありません。そこで、······あなたは向こうの
「待っていてどうするのです」
「伊賀どのの軍勢が逃去るのを待って、追撃して来る敵兵を半分までやり過ごし、その真ん中へ横から一文字に突込むのです。さあお立ちなさい」
内蔵助はもういちど肩を叩いていった。
「あなたは必ず勝つ、武運を祈ります」
忠三郎は馬にとび乗った。
もはや勝敗はものの数ではない、戦う機会が与えられたのだ。今こそ合戦の真っ唯中へ進むのだ。
······忠三郎は内蔵助の言葉を少しも疑わなかった。そして五百の手勢を藪の中に伏せて待つことしばし、果して伊賀勢は負け戦になった。木戸を開いて討って出た敵兵のために、切崩されたなと見る間もなく浮足だってゆらゆらと敗走し始めた。
忠三郎は待っていた。
伊賀勢が眼前を逃げて行く、敵兵は
「かかれ!」と馬上に太刀を振って叫んだ。
「生きて帰ると思うな、我と共に死ね」
待ちに待った五百騎は、声に応じて
太陽は
然し戦は忠三郎のものだった。
追討ちに深入りし過ぎた敵兵は、不意にその横から奇襲を受け、中央を破られて混乱に陥った。それでもしばらくは防戦を続けたが、必死を期した蒲生勢の奮戦はすさまじく、ついにはさんざんに斬りまくられて総崩れとなった。
忠三郎は先頭に立って馬を乗入れ、敗走する敵兵を従横に
「蒲生忠三郎藤原の賦秀、生年十四歳、初陣の手並みを見よや」
この戦で忠三郎は自ら
「忠三郎、あっぱれ
信長は本陣へ忠三郎を呼んだ、珍しく声をあげて笑いながらいった。
「それでこそ信長の娘を遣わす値打がある、さすがに蒲生の血筋だな、あの駆引きは初陣に似合わぬ立派なものだった。······当座の褒美だ。これを取らせる」
そういって、信長は
忠三郎は、信長の前から下がると、直ぐに手分けをして内蔵助を捜させた。
「······内蔵助どの、今日の手柄はあなたのものです。忠三郎はあなたのお言葉の通り、これから兵法武術を学んで立派な大将になります。······学問と武術と、この二つのものを学んで、よき領主となります。どうか忠三郎の行末を見ていて下さい」
忠三郎はその通り実行した。そしてついには