フミエと洋一の家には、裏に大きな柿の木が一本あります。それは子どもの一かかえもあるほどりっぱな木でした。小さい木は幾本もありましたが、とびぬけて大きいのは一本だけです。柿のあたり年は、普通一年おきだということですが、この柿は毎年なるのでおじいさんが生きている時分にはじまんのたねでした。こんな柿は村に二本とないからです。その実の大きくてうまいことといったら、三太郎おじさんなど、柿の実のうれるころになると、まるで子供のようにうれしそうな顔をして、柿をもらいにきました。
「まったく、柿も年をとるとだんだん実が小さくなるというのに、これはめづらしいですな。来年の春には一つ、この木をつがしてもらいましょう。」
そのくせおじさんは春になると、つい柿のことをわすれてしまいました。
「おじいさんにそういって、うちの小さい木を一本もらえばいいのに。」
あるとき洋一がそういうと、おじさんはにこにこしながら、
「いいよ。しんるいなんだから、柿ぐらい食べにきてもいいだろ。」
といいました。三太郎おじさんの家はフミエや洋一のおかあさんのおさとで、おじさんは二人のおかあさんの弟です。その上三太郎おばさんは洋一たちのおとうさんの妹なのでした。つまりお嫁さんをもらいっこをしたことになります。三太郎おじさんも洋一たちのおとうさんと同じように昔は船のりになるつもりで商船学校にまで入ったのだということですが、まだ学生のときに大病をして、それがもとで今はお百姓になったのだそうです。三太郎おじさんは子供がないので、フミエや洋一をわが子のようにかわいがり、なにかというとからかうのがくせでしたが、いくらからかわれても二人はおとうさんの次に三太郎おじさんをすきで、おかあさんの次に三太郎おばさんをすきなのでした。三太郎おばさんはいつとなく二人がつけたあだ名で、本当の名はツネ子といいました。おばさんも、おじさんと競争で二人をかわいがってくれました。三太郎おじさんの家にはみかん畠はもとより、桃畠、梨畠、ぶどう畠にいちぢく畠と、それから家のまわりには
だからフミエも洋一も柿のおつかいは大すきでした。柿をもってゆくとおじさんはきまったように、
「そのかわり、いまにみかんがうれたら、食いほうだいだよ。」
とか、
「おいもはいらないかね。」
などといいながら、ぶどうや梨をたくさんくれました。ある日洋一は、むちゅうになって柿をたべているおじさんにききました。
「おじさん、どうしておじさんたちは柿をそんなに好きなのに、植えないの。」
するとおじさんは、
「そりゃあね、いわれがあるのさ。||ああうまい。」
と口の中の柿を、さもうまそうにのみこみ、二つめの柿をむきながら、
「昔はね、おじさんとこにも柿の木はあったんだよ。洋一んとこのにまけないほどのがな。ところがね、うちにくいしん坊の子供がいてね、ひとりで柿の木にのぼって、食いほうだいをして死んだのさ。
まだ七つか八つのときのことでしたので、洋一はすっかり本気になり、これからは決してひとりで木登りをして食べほうだいなどはしまいと思いました。あのりっぱな柿をきられたら、大へんだと思ったのです。うちへかえるなり洋一は、こっそりとおかあさんの耳もとでたのみました。
「おかあさん、ぼく、おなかのくすりをのんどくよ。だからもしもあとでおなかをこわしても、あの柿の木をきらないように、おじいさんにだまっててね。」
おかあさんは笑いながら、
「それは、どういうわけなの、もう一度いって。」
と聞きなおしました。洋一が三太郎おじさんから聞いた話をすると、おかあさんは声を出して笑い、
「そうかい、そんなこともあろうかね。三太郎おじさん、なかなかいいお話をしてくれたわね。」
そしてさっそく窓のそとのおじいさんにそれを話しました。おじいさんは柿の木のてっぺんにひびくような大声で笑い出し、
「大丈夫だ。そうはめったなことで、この柿がきれるものでないわい。この柿は家の守り木じゃからのう。何十年このかたおじいさんはこの柿をたべなんだ年は一年もないんだぞ。洋一、三太郎おじさんにそういってきな。うちにはそんなくいしん坊はいません。かんしゃくもちのじいさんもいません。だから柿はきりません、とな。だいいちきったりすれば三太郎おじさんが泣くでしょうってな。そういってきな。」
洋一はうれしくてすぐかけ出しました。
「うちのおじいさんは柿の木きらないってさ。もしきったら三太郎おじさんが泣くからって。」
三太郎おじさんはそれをきくと、
「そうか、安心した。じゃ、もっと持っておいでな。さっきのはもうたべてしまったからね。」
洋一はまたとんでかえり、
「三太郎おじさんがね、安心したからもうすこし柿をおくれって。」
おじいさんもおかあさんも大笑いをしました。そんなことのあったよく年のことでした。その年はどこの柿もあたり年で、枝がたわんで木がひろがって見えるほど、実をつけていました。その柿のあたりと何か
「これで、のみ水の心配だけはなくなりましたぞ。」
おじいさんはわがことのようによろこんで、水をくみにくる村の人たちにじまんしました。そして井戸の石垣に使ったのこりの石を、ひとりで、よいこら、よいこらと、柿の木の根もとにかたづけました。石は一人でころばせるほどの大きさのが十五ばかりのこっていたのです。
ところがその翌年のことです。春がきて木々が芽を出しかけた頃にはまだ気づかなかったのですが、柿の若葉がだいぶ大きくなったころ、おじいさんは柿の木の下からその枝をながめわたし、やがて柿の木にのぼってその枝にさわってみ、長い時間、じっと考えこんでいました。そして毎日毎日柿の木を見上げてはくびをひねっていましたが、ある日仕事着にきかえると、鉢まきをして、柿の根もとの石をとりのけにかかりました。
「おじいさん、どうしたの。」
洋一がたづねますと、
「おじいさんがわるいことをしたのじゃ。ついうっかりと、考えもなしにここへ石をおいたために、今年は柿が一つも実をつけとらん。柿じゃってよっぽどつらかったんだろうよ。かわいそうなことをしたわい。」
おじいさんは汗をながしながら、「こんちきしょ、こんちきしょ」と一つ一つの石を柿の根もとからとりのけました。ひたいの汗が雨のように流れ、おじいさんはひどくつかれたようすでした。そしてもうあと二つというときに、急に柿の木の下で倒れてしまいました。それきり正気にかえらず、二日間というもの高いびきをかいて眠りつづけ、そしてとうとう亡くなられたのです。去年の五月十八日のことでした。フミエや洋一にとってもそれは大人たちにおとらないほど悲しい、心にのこるできごとでした。あとでおばあさんが、
「昔から柿の木を大じにする人じゃったがのう。おさかなの骨でも何でも自分で根もとへうめてやりよんなさった。なんでもおじいさんの小さいときに、おじいさんのおじいさんがつぎなさったというから、柿の木でも兄弟のように思うとったんじゃろな。石が重とうて実をつけられないとわかると、わが兄弟のつらさのように気がもめて、からだの悪いのもわすれてとりのけてやったんじゃろに。」
そんなふうにいってなげきました。
その年は秋がきても、ほんとに柿はただの一つもなっていませんでした。そしてまた年があけました。もうすぐおじいさんの命日です。フミエと洋一は柿の木の下でその枝をながめ、おじいさんを思い出しました。
「花がついてるよほら、あすこにも、あすこにも。」
柿の小枝にぽつりぽつりとついている、青い小さいつぼみをフミエが指すと、それをみた洋一の声もいきいきと、
「あっ、ほんとだ、ぼく、上の方みてくる。」
といったかと思うと、するすると
「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな······ああ、一ぱいなってるよ。」
「ああよかった。よかったね、洋ちゃん。」
フミエは木の上をふりあおいでいいました。
「おばあさん、柿がなっとるぞう。おかあさん、おかあさん、柿だぞう。」
洋一は家の中へよびかけました。おばあさんもおかあさんもいないのか、家の中からは返事はありませんでしたが、二人はもううれしくてなりません。
「よかったね。洋ちゃん。」
「うん。」
「あんまりよくないの。」
「ううん。」
「うれしくないみたいだよ。」
「おじいさんが生きてればもっといいんだがな。」
「ほんとだ。でもしょうがないもの。柿の花、供えてあげようか。」
二人は柿の木の下でそんな話をしていました。青葉がてりかえして、青い蚊帳の中にでもいるように二人の顔は青くそまってみえました。
フミエたちの家では、畠といえば裏の空地にやさいを作ることのほか、百姓はしていませんでした。おとうさんが船のりだったからです。おかあさんはずっとせんから、よその
「女のお
あらたまったようなおかあさんの言葉に、フミエはうなずきながら、思わず涙ぐみました。もしもおかあさんにどうかあったらどうしようと思ったからです。しかしおかあさんは平気で、
「そんな心配そうな顔しないでもいいの。案じるより産むがやすい、というくらいだからね、おかあさんはちっとも案じていないのよ。」
それでフミエはやっと安心しました。そのまたあくる日のことでした。夕食のあとおかあさんは、
「どうも今夜のような様子ですから、よろしくおたのみします。」
とおばあさんにいいました。そしてフミエに手伝わせて奥の納戸に床をのべ、部屋の片すみに柳ごうりなどをならべました。こうりの中に生れてくる赤ん坊の着物や、おしめが入っているのを、フミエも洋一もよく知っているので、もううれしくてなりません。洋一はおかあさんのそばへすりよっていって、
「ね、男の子だよ。」
とささやきました。おかあさんはふきだし、そしてすぐまじめな声になり、
「そんなこと、いうものじゃないのよ、どっちが生れても喜んでちょうだい。」
フミエはさすがになんにもいいませんでしたが、でも心の中では妹の方がいいと思いました。男だと洋一は自分だけの弟のようなかおをして、なかなかだかしてはくれまいと思ったからです。やがて
「さあ、きょうはおばあさんの部屋ですよ。もう八時すぎたでしょう。早くおやすみ。」
おかあさんの言葉に調子を合せて、産婆さんも白いエプロンをきながら、
「あしたの朝おめめがさめると、ちゃんと赤ちゃんがいますからね、たのしみにしておやすみなさい。」
フミエと洋一はねまきをかかえ、めいめいの枕をもっていんきょ所へゆきました。おばあさんはもう先にきて、二人のためにねどこをのべてくれているところでした。そこは六畳と四畳半のはなれで、二メートルほどの長さの廊下一つで、
「さあ、おとなしくねなされよ。」
そういって電灯にとりつけてあるひもを引くと、部屋の中は急に二燭のうすあかりに変りました。おばあさんの足音がきこえなくなると、二人は暗い灯の下で、小さな声で、生れてくる赤ん坊のことを話しあいました。それはこれまでに何度も二人で話したことばかりです。しかし何べん話してもまるではじめてのような気がしました。まして今夜は、その弟だか妹だかいよいよほんとに生れるというのですから、なかなかおとなしくねむるわけにはゆきません。
「ぼくは、男だと思う。」
「私は女の子よ。」
こんなことを何度もくりかえしたのち、きりをつけるために二人はかけをしてねむることにしました。ふとんをかぶりじっと目をつぶりましたが、目はつぶっていてもひとりでに笑えてきます。がまんがならなくなった洋一は、フミエによびかけます。
「ね、姉ちゃん、もしも男の子だったら、ぼくが勝ったんだから百円くれるね。」
「うんあげる、そのかわり女の子だったら洋ちゃんがくれるんだよ。」
「うん。」
「ゆびきり。」
フミエが小指をさし出すと、洋一も自分の小ゆびをそれにからませました。
ゆびきり かねきり かり山へ とんでゆけ
二人は力いっぱい手をふり、そしていよいよこんどこそはと、ほんとにふとんをひっかぶり、やがて静かな寝いきを立てはじめました。どちらが勝つか、勝ってもまけてもたのしいかけごとです。
いく時間をねむったか、二人が目をさましたのはもういつもよりおそい、六時すぎのことでした。フミエがさきに、ぱっとはねおきますと、そのけはいで目をさました洋一もとびおきました。顔を見合せながら、耳をすますと、母屋の方から赤ん坊の泣声がきこえてきます。二人はわれさきにぞうりをつっかけて母屋の方へ走りました。裏戸があいていて、かまどの下をたいているおばあさんが二人を見、だまって手を横にふりました。さわぐなという意味だと感じて、二人ははっとして立ちどまりました。おばあさんはにこにこして、こんどは、おいでおいでをします。その
「男の子じゃった。しかも二人。」
それをきくと、フミエも洋一もびっくりしてしまって、すぐには次の言葉が出てきません。そのおどろきの大きさのために、二人は、弟の生れた喜びが、急には心の底からわき上ってこないのでした。
「ふたりって、ふた子のこと?」
フミエが不安そうにきくと、洋一も目をぱちくりさせて、おばあさんの答をまちました。おばあさんはしかし、さも何でもなさそうにいうのです。
「そうそう、そのふたごじゃ。ほれ、左官の松さんと大工の梅さん、それから醤油屋の市太郎さんの嫁さんもふたごのかたわれじゃ。なんでも一人はよそへやったがのう。まだある。菓子屋の花子さんと雪子さんもそうじゃろ。」
洋一は少し困ったような顔つきで、
「ふうん。」
と、うなるような声を出し、
「おばあさん、ふたごでもいいの、人が笑わないの。」
とききました。おばあさんは平気のかおで、
「いいもわるいも、それはお前、おめでたが倍になったわけじゃないか。こんなめでたいことはめったにあることじゃない。だれが笑うもんかい。」
こんどはフミエがききました。
「おばあさん、どうしてふたごができたの。やっぱり一人の方がよかったでしょう。」
するとおばあさんはやっぱり平気でいいました。
「どうしてというておまえ、そりゃ神さまがさずけて下さったとでもいうようなものでのう。うちでは十年も子供が生れなんだから、いっぺんに二人生れたのかもしれんのう。なんしろ、ふたごというものはかわいいもんじゃ。おかあさんは御苦労じゃけれど、楽しみもまたふたつじゃ、そろいのべべをきせて、大きくなったらそろいの下駄はかせてそろいのおもちゃも買うてやる。二人そろうて歩き出して、そろうて学校へもゆく。そろうて大人にもなる。面白いでないか。」
おばあさんの話をきいているうちに、二人の心の中にはだんだん喜びがあふれ出してきました。ふたごというめったにないことが、自分のうちに現れたことで、その思いがけなさのために、二人は、どんなふうに喜んでよいのか、わからなかったのです。おばあさんの話をきくと、なるほどそれはほんとにかわいく、ほんとにめでたく、ほんとにうれしいことがわかってきました。そして早くそのふたごの弟を見にゆきたいと思いました。それをおばあさんに告げると、おばあさんはかまどに新しいまきをくべながら、
「まあ待った、待った。おかあさんは一ぺんに二度のお産をしたので、くたびれて今ねむったばかりじゃ。しずかにねかしてあげなくちゃ。今に赤ん坊が泣き出したら目をさますからのう。」
二人はおとなしくうなずき、水を汲むのも、顔を洗うのも、まるでないしょごとのように気をくばりました。納戸ではおかあさんも赤ん坊も、よくねむっているらしく、物音一つきこえません。二人は見にゆきたいのをじっとがまんして、朝の食事をはじめました。すると、急に赤ん坊が泣き出し、それでおかあさんも目をさましたようです。二人は立ち上って、おりをうかがうように、おばあさんをみました。おばあさんが、あいずのようにうなずいたので、そのあとについて、納戸へはいってゆきました。一つのねどこに並んでねかされている赤ん坊が、まっ先に目につきました。小さい赤ん坊です。じっとその方を見ていると、おかあさんは、急に色の白くなったような顔に、笑いをうかべて、
「みてやっておくれ、おまえたちがけんかをしないように、二人生まれましたよ。」
フミエと洋一は足音をしのばせて、赤ん坊のそばへよってゆきました。
「洋一にそっくりよ。洋一も生れたとき、その通りのかおでしたよ。そしてそんなふうに赤かったのよ。それからほら、ひたいにつむじがあるでしょう。フミエと同じでしょ。」
みていると、赤ん坊のかわいさは、二人の心の中でだんだんひろがってきました。そのうれしさは口になど出てこないうれしさです。言葉でいったりすると、損をするようなうれしさです。二人はだまってあかずにながめていました。
「さ、もうええ、早うごはんたべて学校へゆかなくちゃ。」
おばあさんにおい立てられると、洋一は急にさか立ちをして、そのままくるりくるりとひっくりかえりながら、でいの間へぬけました。これはうれしい時やきまりのわるい時などにする洋一のくせなのでした。
「あぶないでないか洋一、赤ん坊の上にころんだら、どうするの。」
おばあさんがたしなめると、洋一はなおのことくるり、くるりとやってみせ、
「大じょうぶさ、赤ん坊に見せてやってるんだい。これができなかったら、体操はゼロだぞ。」
みんなが笑い出しました。それがわかりでもしたように、赤ん坊はまた元気に泣き出しました。
生れて六日目のことを、
二男 日出海
三男 新之助
半紙一枚に並べて書いて神棚にはりつけると、これでほんとうにこの家に二男三男が生れたことを天下に伝えたような気がします。お父さんが留守なので、字は洋一が一生けんめいになって書いたものです。それは上手な字ではありませんが、力のこもった、太い、大きな字でした。でいの間の床柱のそばに今日の三男 新之助
でいの間と納戸のさかいの襖はとりはらわれて、今日はおかあさんもふとんの上に坐り、みんなのお相手をしました。おかあさんの肥立ちはよく、赤ん坊も普通よりは小さいながら、それでもまるまるとふとっていました。赤ん坊は自分たちのためにお客をして、みんなが喜んでいるとも知らず、一人が泣き出すと、まるで、まねをするようにまた片方も泣き出し、一人が眠り出すと、も一人もまた眠りました。赤ん坊はこちらへ頭をむけて、ならんでねかされています。新之助のふとんは三太郎おばさんが大急ぎでつくってきたもので、男の子らしい柄でしたが、日出海の方のは、生れる前からつくってあったもので、赤い花もようの、まるで女の子のような柄です。新之助のふとんを運んできたとき、三太郎おじさんは、いきおいこんだ調子で、
「うちのむすこのふとんを持ってきたよ。」
といいました。赤ん坊の顔をのぞきこんでは、しきりに見くらべていた洋一は、急に立ちあがったと思うと、
「だめだあ。」
と、むきになっておじさんにむしゃぶりついてゆきました。そして、みんなが笑い出すと、こんどはおじさんのもってきたその小さなふとんをかかえて、表へなげ出そうとしました。
「やらないよ、やらないよ。」
洋一は泣きそうになっていいました。
「洋ちゃん、うそよ、うそよ。これは赤ちゃんのお祝いにあげるの。でないと、だんだん大きくなって、一つのおふとんにねられなくなるじゃないの。」
三太郎おばさんにとりなされて、洋一はやっと安心したのですが、しかし、ゆだんをすると、三太郎おじさんは、洋一のるすのまに赤ん坊をつれてゆきそうに思えてなりませんでした。それよりも、もっと心配なことは、おじさんがつれてゆかなくても、新之助はおじさんとこへ、くれてやられそうな気がしてならないのです。日が立つにつれて、その心配はこくなりました。いつか、「どうせツネ子はもう子供もできないらしいから、一人はやらにゃなるまい」といったおばあさんの言葉を考えても、それから、まだ何にもいいはしないけれど、お母さんの顔つきをみても、なにかしら、大人たちのあいだには、洋一の知らないうちに、そんな約束が出来ていそうな気がするのです。それはもう、赤ん坊の生れた次の日あたりから、そんなけはいがしていました。それに、新之助という名前をつけたのも、三太郎おじさんなのです。ふしぎなめぐり合せで、赤ん坊の誕生日は、おじいさんの命日と同じ日だったので、新造というおじいさんの名前から一字をもらいました。それを考えついたのが三太郎おじさんなのです。あるとき、洋一はそのことをフミエにききました。
「ねえちゃんは、どう思う?」
するとフミエは、大したことでもなさそうに、
「三太郎おじさんちなら、やってもいいと思うわ。」
あっさりいったので、洋一は急にはらが立ってきて、フミエをなぐりつけたくなりました。フミエだけは味方だと思っていたのに、これでは反対は自分ひとりだと思うと、フミエがにくらしくてなりませんでした。そう思ったとたんに、ふと、赤ん坊の生れるばん、フミエと百円のかけをしたことに気がつきました。洋一はそれをいって、
「さあ、ゆびきりしたんじゃないか。百円おくれよ。いや、二人だから二百円だよ。」
「さあ、たった今、二百円おくれ。」
するとフミエもまけていません。
「いやよ。ふたごのことなんか、ゆびきりしないわ。一人なら百円あげるけど、ふたごだからあげないわよ。」
「だって、男だったじゃないか。」
二人のけんかは、納戸のおかあさんにきこえたらしく、おかあさんは、はっはっと笑い出し、
「まあまあ、お前さんたち百円かい。ずいぶんやすい赤ん坊だね。」
と、赤ん坊に話しかけるのが聞えました。二人はきまりが悪くなり、それでけんかはやめましたけれど、洋一は、だれが何といっても新之助をおじさんにやるまいと、かたく決心しました。しかし三太郎おじさんは、時々来ては洋一をからかいました、
「なあ洋一、お前、新之助をくれたくないのかい。それなら日出海だっていいんだよ。」
からかわれていると知っても、洋一はやはりむきになり、
「いやだよ。両方ともあげない。」
「そんなら、洋一でもいいや。」
「いやだったら。」
「ふうん、そうか。そんなけちん坊とは、あきれたね。だいたいお前んとこと、おじさんちは昔から、何でもやったりとったりしてるんだぞ。考えてみな、お前のおかあさんはおじさんちからあげたろう。そしてうちのおばさんはここからもらったろう。」
「そりゃ、女だもん、お嫁にいくのあたり前じゃないか。」
「女じゃなくても、いいじゃないか。まあ見てごらん、赤ん坊は同じ顔してるよ。二人もあるんだから、一人ぐらい、いいじゃないか。」
「いやったら、いやだよ。夏みかんや柿とちがうよ。」
それには、そこにいる者みんな、おなかをかかえて笑い出しました。笑ったあと、三太郎おじさんはひどく感心したように、
「わかったよ。シャッポだ。もうぜったいに赤ん坊をくれって、云わんからな。」
そういって、洋一の前に手をついておじぎをしたので、またも大笑いになりました。
それからあと、ほんとに三太郎おじさんは、新之助をくれと、ちっともいわなくなりました。しかし赤ん坊は、しんからかわいいらしく、畠の帰りなど、毎日のように立ちよって、いっとき赤ん坊の顔をみて帰りました。それは、フミエの時にも洋一の時にもそうしていたのですが、それを洋一たちはしらないものですから、ただ、新之助がほしさにそうしているのだと思うのでした。三太郎おばさんときたら、もっとかわいいらしく、毎日一度は、こないことがありません。古いゆかたをといておしめをつくってくれたり、赤ん坊の着物をぬってくれたりしました。なにしろ、一人分のおしめと、一人分の着物より、用意していなかったので、それをもらわなくてはまにあいません。それからまた、おかあさんのお乳がよく出るようにとて、手打ちうどんをつくってきたり、自分のうちにできた卵をそっくり持ってきてくれたり、いろいろ気をくばってくれました。その度に洋一は心配しましたが、時々は気の毒になり、よっぽど、一人だけ上げるといおうかな、と考え直すこともありました。しかし、同じ顔が二つならんでいるのをみると、あの生れた日におばあさんからきいた、ふたごの話を思い出し、その決心はにぶるのでした。
赤ん坊たちはだんだん大きくなり、もうそろそろ、おかあさんのお乳だけでは足りなくなってきました。おかあさんのお乳は、普通よりよく出るのだそうですが、二人分にはなんといってもたまりません[#「たまりません」はママ]。フミエと洋一は、かわりばんに、となり村のくすりやへ、粉ミルクを買いにゆかねばなりませんでした。
ある日、ちょうどその日は、洋一がミルク買いの番にあたりました。学校からかえると、洋一はすぐに出かけました。村を出はずれて、おいなりさまの
「おじさん、この山羊、どうしたの。」
せきこんでききました。山羊の乳が赤ん坊によいことは、洋一も聞いて知っており乳の出る山羊が一ぴき、ほしいほしいと、おかあさんたちが話していたのも知っていたからです。いま、おじさんのつれている山羊は母山羊で、おなかに大きなお乳をぶら下げているのが、すぐ目につきます。
「買ってきたのさ。」
おじさんは、汗をふきふき、いいました。洋一はもううれしくてなりません。おじさんは、たのまなくてもきっと、山羊の乳をわけてくれるにちがいないと思いました。けれど頼まないわけにはゆくまいと思い、そのことを言い出そうとしましたが、何かひどく、自分がよくばりのように思えてきて、洋一はもじもじしていました。
「おまえ、どこへゆくんだ。」
おじさんがたずねました。洋一がミルク買いにゆくところだと答えると、おじさんは笑いだし、
「なんだ。もうよしな、よしな。こいつは一日に二升も乳を出すそうだよ。赤ん坊の二人や三人やしなえるよ。」
洋一はほんとうにうれしくなり、三太郎おじさんは、何といういい人だろうと思いました。こんないい人に、なぜ赤ん坊をやらないといったろうか、と思うと、ほんとに自分をけちん坊と思わずにいられませんでした。けれど、今さらここで、新之助をあげるともいいかねることは、そのご、おじさんが、ほんとに一度も、新之助をくれと云わないからです。洋一がそんなことを考えていると知ってか知らずにか、おじさんは、山羊の首につないだひもを、洋一の方にさし出し、
「さあ、つれて帰んな、やるよ。」
「ほんと、三太郎おじさん。」
「ほんととも。山羊がいるのは、おまえんとこじゃないか。」
洋一はもう涙ぐみそうになりました。まだ山羊になれないので、おそるおそる、ひもをにぎりましたが、山羊はべつに気づかないらしく、ゆっくりと道ばたの草をたべながら歩きました。
「おじさん、新之助、あげよか。」
洋一は思いきって、いってみました。おじさんは笑顔もせずに、
「そうさな。」
と答えました。
「おじさん、あげるよ。ぼく、あげてもいいよ。」
「そうかい。しかし、おじさんも考えたよ。新之助が大きくなってから、どういうかわからんからな。」
二人がそんな話をしていると、何におどろいたのか、山羊が急に走り出したので、それにひかれて洋一も、とっとっと足を早めました。もうお日さまがかたむいて、人のかげも、山羊のかげも、地上に細ながくうつっていました。
山羊はいつも柿の木につながれました。赤ん坊に気をとられて、おろそかにしているうちに、柿の実はいつのまにか大きくなり、そろそろ、青から赤色にうつりかかっています。柿の木の下は、夏は凉しい風がふき、冬はあたたかい日だまりをつくります。フミエたちは小さいときから、年中、この柿の木の下が遊び場でした。家の裏口の方が表通りへ近いので、出かけるにも、かえるにも、たいてい裏口からでした。裏口の戸を開けると、もうそこの屋根びさしの上まで、柿の枝はのびているので、柿の木は家の中がまる見えのわけです。学校へゆくにも、井戸ばたへゆくにも、物置へゆくにも、柿の木の下を通らねばなりません。人のよく通るところへ、柿は植えるものだそうです。根本をよくふまれると柿は丈夫になるということです。柿の木の下をいったりきたり、一家は毎日、柿の木に見守られた日々をおくっているわけです。柿は、おじいさんが子供だった日から、しらがになって、この木の下で倒れた日までのことを、見ていたわけです。だから昔、おばあさんがおよめにきたことも、そしておとうさんや三太郎おばさんが生れたことも、その三太郎おばさんがだんだん大きくなってお嫁にいったことも、フミエたちのおかあさんが、三太郎おじさんの家からおよめにきたことも、そうしてフミエや洋一が次々と生れたことも、みんな見ていたわけです。いつか洋一がだだをこねて、この柿の木にしばりつけられたことも、柿の木はおぼえているでしょう。おとうさんの小さかったころには、村にはまだお菓子やの店がなくて、あまいものといえば、お砂とうだったということです。子どものおとうさんは、黒ざとうをもらうことがたのしみで、その黒ざとうは、柿の葉の上にのせて、もらっていたといいます。柿の葉を、おさとうのはっぱだと、小さいおとうさんはいっていたという話を、いつかきいたことがあります。あの、つるつるとして、きれいに光っている柿の葉は、ほんとうにおさとうをのせるのに、つごうのよい葉っぱです。秋がきて、だんだん柿の葉が落ちてゆくことは、おしくてならなかったけれど、葉が落ちるとおさとうはもらえないかわりに、柿の実はちゃんと赤くなるのは不思議だったと、三太郎おばさんも話したことがありました。
そんな小さい時のおとうさんたちの姿も柿の木は知っているでしょう。柿の木はそれをどこにおぼえているのでしょうか。
「柿の実はなぜ、あーおい。」
「まだしぶいから、あーおい。」
フミエと洋一は柿の木の下で、去年も歌った、ふたりの歌を、くりかえしました。
「柿の実はなぜ、あーかい。」
「甘いから、あーかい。」
「柿の葉はなぜ、あーおい。」
「青いから、あーおい。」
「ちがうよ、まだうれんからだよ。」
「ちがいませんよ、もう赤い実も、あーるよ。」
「そんなら、葉っぱだって、赤いのがあーるよ。」
二人はむちゅうになって柿の木を見上げています。おじいさんの命をちぢめてまで、実をつけさせた柿の木は、しかし二人の目にはなんとなく、いつもとちがったものに見えました。実が小さいのです。木全体の姿も、どことなく、いつもとちがっています。そこへやってきた三太郎おじさんをつかまえて、洋一は心配そうにいいました。
「おじさん、今年の柿、小さいね。」
「ふむ。」
おじさんは一しょに柿の木を見あげていましたが、
「なるほどな。もう年よりだからな。」
といいました。
「いやだな。」
洋一がさもいやそうにいうと、
「いいじゃないか、これはおじいさんの兄弟だったんだから。洋一のもあるんだろ。」
元気づけるように、おじさんはいいました。
「あるにはあるけどもさ、まだ実が五つぐらいしかならないもん。」
「あたり前さ、はじめからたくさんはならんよ。桃栗三年柿八年といってな、何でも約束があるんだよ。この木が年よりになったのも約束さ。人間と同じだ。お前たちが大人になると、小さい柿も大きくなるよ。あ、そうだ、新之助にも一本、くれるか。」
おじさんは思いついたように、洋一に相談しました。
「うん、やるよ、小さい木、三本もあるんだから。」
きょうは新之助が三太郎おじさんのうちにもらわれてゆく日なのでした。ちょうど日曜日なので、そのおわかれのごちそう作りに、三太郎おばさんも朝から手つだいにきていました。新之助をやることは、あまり洋一が反対なので、とりやめていましたが、二人一度の子そだてでおかあさんのからだがだんだんやせてゆくのと、洋一が承知したのとで、急に話がもとにもどったのです。赤ん坊は何にもしらず、柿の木の下でゆりかごの中に向い合って、ねむっています。やがて目をさまして、一人は三太郎おばさんにだかれ、山羊と柿の木を一本おともにつれて、この家を出てゆくことでしょう。
山羊は、ぼくがつれていってやろう||
洋一がそんなことを考えているとき、日出海が目をさまし、急に大声で泣き出しました。すると、いつもの調子で新之助も一しょに目をさまし、大きな口をあけて、手足をばたばたさせながら泣きさけびました。
「ああ、おっぱい、いまもってくるからね。」
フミエが家の中へ走りこみました。
柿の木は、こういう風景を、にこにこ笑いながら見おろしているようです。柿の木にとっては、この下でかわされる子供たちの話や、歌声や、ときどきはむずかって泣きやまぬ赤ん坊の泣声や、道ばたまでとどく、長い繩でつながれた山羊が、草をたべている姿など、毎日見ても、見あきない風景でありましょう。そして、あまりの面白さに、人間にはわからぬ柿の木の声で、はっ、はっと笑い出すと、そのはずみに柿の葉が散るのかもしれません。さやさやと、かすかな音がしたと思うと、赤くもみじした柿の葉が二三枚、はらりと散ってきました。まだみんな青いのに、その葉はすっかり色づいています。赤や、青や、黄や、いろんな色がまじっている、美しい柿のもみじです。洋一は柿の木を見あげ、それから赤ん坊たちの方へ、からだごとうなずきかけながら、
「柿の実は、なぜ、あーかい。」
とあやしました。フミエにお乳をもらって、まんぷくの赤ん坊はごきげんで、からだじゅうをゆさぶってよろこびます。
「あかいから、あーかい。」
フミエがそれに答えると、また、きゃっ、きゃっと笑いました。柿の葉はまた二三枚、ちらちらと舞いおりてきました。それはほんとに赤ん坊の笑いにさそわれて、笑っているかのようでした。