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冬至の南瓜

窪田空穂




 十二月二十二日、冬日ざしがまぶしく照つてはゐるが、めつきりと寒くなつた日の午後、A君といふ、青年と中年の中間年輩の人が、用足しに来た。事が済んだあと、「今日はいよいよ南瓜かぼちやを食べる日になつたね」と、歳末の挨拶気分で云つた。するとA君は急に笑ひ出して、「すこし以前のことですがね、出入をしてゐた百姓が、冬至前に南瓜を持つて来たんです。私はそれを見て、何だこんなうらなりの南瓜なんかを、うまくもない物つて、怒つたんです。私の内では、冬至の南瓜つて物を食べたことがないので、それまで知らなかつたんです」と云つた。

「御両親、越後の方とか云ひましたね」

 A君は頷くので、「冬至の南瓜つて、地方的のものか知ら」と、私は訝つた。それといふのが私は信州の生れで、信州では何処でも食べてゐるのに、国つづきの越後では食べないらしいからの訝りであつた。

 それかといつて、東京の八百屋には冬至南瓜の並ぶことを目に見てゐる。

 その晩私の家では、吉例によつて冬至南瓜を食べた。無論神棚にも供へてあつた。

 私は家内に、「お前、子供の時から、冬至の南瓜食べて来たかい」と訊ねた。家内は東京生れで、父親は仙台市の人である。

「食べて来ましたがね、何処でもつて訳ぢやないでせう」と、曖昧な返事である。

「お前は?」と忰の家内に訊ねた。これも東京生れで、両親は伊勢の人である。

「食べませんでした」と云ふ。

 冬至の節日には、全国的に南瓜を食べるものだと、漠然と決めきつてゐて、これまで訊ねて見ることもしなかつた私は、「さうかなあ」と、ちよつとした事だとはいへ、反動的に、意外な感がせざるを得なかつたのである。

 冬至は、三月三日、五月五日と共に、次第に衰退して来た節日の中でも、命脈を保つて、大切にされてゐる節日である。節日のことは従前の歌や物語に限りなく出てゐる。節日は文字どほり季節の移り目の日で、その頃は人体の最も不健康に陥りやすい時である。それを乗り切るために神を祭り、神饌を供へ、その余りを自分達も食べて、神助を蒙らうとするのである。三月の節供の白酒、菱餅ひしもち、あられ、米いりに至るまで、やや古い時代にあつては、それぞれ由緒のある、最貴の品だつたのである。五月五日の柏餅かしはもちは、餅を柏の葉に盛るといふ、最古の型を守つてのものである。冬至の南瓜は、それらの品に準ずる扱ひを受けてのもので、これを用ゐはじめた時代にあつては、得やすい一般的の物ではあつたらうが、同時に、珍奇で、美味で、神も嘉納したまふ物と信じられた物でなくてはならなかつたわけである。

 辞書は簡単ながら南瓜の説明をしてゐる。南瓜という名称は、印度支那のカンボヂアを取つたものであり、この地はポルトガル船の寄港地であつたといふ。我が国で南瓜を植ゑはじめたのは永禄の頃で、食ひはじめたのは天正の頃だと云つてゐる。それだと当時我が国に通つてゐたポルトガルの貿易船が印度支那から将来したもので、その頃は我が国は川中島の戦、桶狭間をけはざまの戦をしてゐた時代で、紀元でいふと一五五〇年代の終りから六〇年代の初頭で、十六世紀の中葉である。冬至の南瓜は、その頃からやや降つての時代から始まつた風習であらう。さう思ふと、今家族の前に並べられてゐる一椀の南瓜も、遼遠な風習を伝へた物となつて感のまつはる物となつて来る。A君の云つたやうに、今ではさして旨くもない物であるが、甘味といふものを極めて得難くしてゐた当時にあつては、この物のもつ甘味は、珍奇美味この上もない物で、まさに神前に供へるに足りる物であつたらう。

 冬至の南瓜は、東京ではかなり衰退してしまつてゐることを、私は今日偶然にも知つたのであるが、さういへば、南瓜の煮方も、変化してゐることを思はせられる。私達の前にある南瓜は、小豆が多量に入つてゐて、その方が主になつてゐる程である。これは私の郷里の家の煮方に倣つてのものであるが、それにつき思ひ出すのは、私の十代の初め、松本藩士であつた老人が、父との雑談の中に、あの煮方は手前の家で始めたものだと云ふのを耳にした記憶がある。私達の椀の中には、更に団子もまじつてゐる。冬至の南瓜を食べる家でも、それに変化を加へ加へしてゐるのである。

 神饌としての冬至の南瓜を、家族一同神前で食べることによつて、冬季を健康に過し得るといふ信頼を、古人はもち得たのであるが、今は私自身既にもてなくなつてしまつてゐる。これはまさしくマイナスであつて、プラスではない。プラスを求めつつしてゐる努力は、ただマイナスにしただけで、プラスはまだ確立してゐない。新たなるプラスは将来のものである。

 小豆に埋もれて、団子と共にある聊かの南瓜よ。これによつて生活の幸福感を充たした古人にあはれまれつつ、今年の冬至の南瓜として口にしよう。先刻ラヂオの天気予報は明朝は零下二度だと知らせた。満ちやすい老の腹ではあるが、今一椀はと思つて口にしよう。






底本:「日本の名随筆20 冬」作品社

   1984(昭和59)年6月25日第1刷発行

底本の親本:「窪田空穂全集 第六巻」角川書店

   1965(昭和40)年6月15日初版発行

初出:「まひる野」

   1951(昭和26)年1月

入力:大久保ゆう

校正:noriko saito

2018年11月24日作成

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