これはもうひと昔もまえの秋のひと夜の思い出である。さっさっと風がたって星が
燈し火のように
瞬く夜であった。身も世もないほど力を落して帰ろうとするのを美しい人が呼びとめて
「花をきってさしあげましょう」
といいながら
花鋏と
手燭をもっておりてきた。そして泳ぐような手つきで
繁りあった秋草をかきわけ、しろじろとみえる
頸筋や手くびのあたりに
蝗みたいに飛びつく夜露、またほかげにきろきろと光る
蜘蛛の巣をよけて右に左に身を
靡かせつつひと足ぬきに植込みのなかへはいってゆくのを、かわってもった手燭をさしだして足もとを照しながらかたみに繁みのなかへ溶けてゆく白い
踵の跡をふんでゆけば、虫の音ははたと鳴きやみ、草の茎ははねかえってきてちかと人を打つ。咲きみだれた秋草の波になかば沈んだ丈高い姿ははるかな星の光とほのめくともし火の影に照されて竜女のごとくにみえる。おりおり空から風が吹きおちて火をけそうとすると
「あら」
と大きな目がふりかえってひとしきり鋏の音がやむ。驚かされた
蛾は手燭のまわりをきりきりとまわって長い
眉をひそめさせる。そんなにして無言のままに
紫苑や、虎の尾や、
女道花や、みだれさいた秋草の花から花へと歩みをうつしてゆくのを、私は胸いっぱいになって、すべての星宿が天の東からでて西にめぐるよりも貴いことに眺めていた。ここにあるいくすじの細いリボンの、白と、黄と、淡紅と、ところどころに青いしみのあるのはそのおりおりにきって束ねてもらった草の汁である。さりながら私はこのうちのどれがその夜のものであったかをおぼえていない。
ここに今はいない妹の手細工のガラスの小箱がある。六枚のすり
硝子の
合せめをクリーム色のリボンでぴしりとしめあわせたもので、
襞飾りがしてある。あんなに美しい指をもちながら兄弟じゅうでの無器用で、常づね私にからかわれて泣き顔をした妹もこればかりは笑われまいと一所懸命こしらえたものか、たいそう手際よくできている。いつものとおりけなしけなしほめてやったらそれでも
嬉しそうにちょっと首をかしげたことを思いだす。なかにいれておいたいろいろな貝はいつかいりまじってどれが誰のとも見わけられないのはとりかえしのつかぬ寂しい気がするけれど、いずれも私にやさしく親しい指の拾いあつめたものとおもえばなかなか思いなぐさむところもある。
ここなる二ひらの
帆立貝のひとつは
藤紫に白をぼかし、放射状にたてた幾十の帆柱は無数の
綺麗な
鱗茸をつらねて、今しも
迸りいでた
曙の光がいろいろの雲の層に
遮られたようにみえる。他のものは暗紅に紫黒と
海老色の帯をまとって、ところどころ
鳥糞ににた白い
斑点がついている。これは夕ばえの天の姿である。これらの二つをならべてその
蝶つがいをからだとみれば、それはまた二羽の
孔雀の競いかに尾羽根をひろげたさまである。美しいかさねをきた子安貝、なないろのさざ波のよるとこぶし。巻貝、
笠貝、雲がた貝。月日貝は幸ある子かな。くれないの朝日と、淡黄の夕月と、貴い父ははのかいなに抱かれて南の海に眠るという。あわれいみじきこれらのものよ。紅白の
珊瑚の林に花とちり実と落ちた貝の殻は、竜の乙女が玉をみがいた
踵にふまれて、その足指の白さに、爪のうすべにに、髪の紫に、
瞳のみどりに染みてこの
麗しい色は得たのであろう。わたつみの海の
千ひろの底にしておのずからわが身にふさえる家をもち、ほどよい青の光の国に、あるいは
螺鈿の
穹窿のしたに、またはひとつ柱の迷宮のうちに、心しずかに夢みてすごす海のうからをねたく思う。
私はまたその妹とすごした海岸の夏をわすれたことはない。あの松原のなかで潮風の香をかぎ松をこえてくる海の音をききながら二人して折物をして遊んだとき、円窓のそとにはなぎの若木がならんで砂地のうえに涼しい紺色の影を落した。妹はふっくらと実のいった長い指に折紙をあちらこちらに畳みながらふくふくした顔をかしげて独り言をいったり、たわいもないことをいいかけたりする。つややかな
丸髷に
結ってうす色の珊瑚の玉をさしていた。桃色の鶴や、
浅葱のふくら
雀や、出来たのをひとつひとつ見せてはつづけてゆく。私は妹と向きあってなんのかのとかまいながらやっとのことで
蓮花とだまし舟を折った。ここにあるひとたばの折紙はなつかしいそのおりの残りである。
藍や
鶸や
朽葉など
重りあって
縞になった縁をみれば女の子のしめる
博多の帯を思いだす。そのめざましい
鬱金はあの
待宵の花の色、いつぞや妹と植えたらば夜昼の境にまどろむ
黄昏の女神の夢のようにほのぼのと咲いた。この紫は
蛍草、蛍が好きな草ゆえに私も好きな草である。私はこんなにして色ばかり見るのが楽しい。じっと見つめていれば瞳のなかへ吸いこまれてゆくような気がする。ようやく筆の持てる頃から絵が好きで、使い残りの紅皿を姉にねだって口のはたを染めながら皿のふちに青く光る紅を
溶して
虻や
蜻蛉の絵をかいた。そののちやっとの思いで小さな絵具箱を買ってもらい一日部屋に閉じこもってくさ草紙の絵やなど写したが、なにも写すものもなく描くものも浮んでこないときは皿のうえにそれこれの色をまぜてあらたに生れる色の不思議に眼をみはり、また濃い色を水に落して雲の形、
入道の形に沈んでゆくのに眺め入った。さてもこの
綺麗な色紙はいつの日かまた妹の指に畳まれて鶴となり、ふくら雀となるであろうか。
ここに
葦の葉の模様のついた
淡卵色の粗末な小皿がある。これはさる頃の
葦辺踊りのときのものでいまだにうす赤く菓子のあとがついてるが、私は近頃ながらく病床にいたあいだこれをなつかしいものにして枕もとにおき、そのおりの旅のみやげの
春日の鹿をならべてあかず眺めていた。皿のふちにずらりと鼻をならべた赤や茶や
紺青やの鹿の輪は葦辺踊りの美しい子たちの姿である。まず私はほどよい
行燈のあかりに照された座敷に人形のように坐ってた点茶の
太夫と、この菓子皿を手にうけて金魚みたいに浮いてきたかわいい子を思いだす。それからさっと三方にあがる幕と、雨のように降りかかる三味線の音と、
豊にまろらかな
立唄の声と、両花道からしずしずと
鰭をふりながらあらわれる踊り子の
緋鯉の列と
······とりわけ
鮮に幻に残ってるのは、
錦絵から飛んで出たような
囃子の子たちの百羽の
銀鳩が一斉に鳴くように自由に生きいきと声をそろえた ほう いや のかけ声、いい姿勢に
撞木をとってきりりんきりりんと
緩かにうち鳴らした
鉦の音である。その囃し子のまんなかに太鼓を打った花形の子は
上方風の柔和な顔に
梅幸に似たうけ口をしていた。私はその夜の唄をしるしたたとう紙を忘れずにもって帰った。二つ折の紙の表に
銀泥の水の地の天には桜の花を、地には紫の土を染めだして、だらりに結んだ舞子の後姿がついている。その
髱と
襟のあいだには白い
頸筋、
鬢のしたにはふっくらした頬がみえて、帯の模様は青柳に
燕である。またスペードの2の裏にその夜の踊り子のなかのたてものの写真のついたトランプもある。それはさしかざす絵日傘のかげになまめく顔や顔のなかで子安貝の背に彫ってはめたようなすずしい
眼ざしをした子で、
伊丹幸の□□□という。
たとえばこの胸の冬の空にたまたま過ぎてゆくこれらの暖い雲の影は常に
憂鬱な私をしておぼえず寂しくほほえませることがある。
孟宗の枝に
寐るあの鳩と、私と、どちらがより多くの夢をもつであろうか。
大正二年稿