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ロマンチツクな絵本

三岸好太郎




黒いトカゲ

 弱い外光の中、舟底椅子にもたれてウトウトと昼寝をしたのだがさめた。

 ぼんやりした日の中に、黄色いアトリエの壁が見える。アカシヤの影像が、ぼんやりとうつる。小さい小さい姫蔦が、あちらこちらのびて、一つの波紋を作つて居る様だ。

 チヨロチヨロと赤いトカゲが出て来た。

 チヨロチヨロと黒いトカゲが出て来た。

 にらみ合つた二匹のトカゲ一緒になつて遊び出した。

 黒いトカゲが先に赤いトカゲが後に、二匹とも揃つて蔦の中に逃げた。

 僕の目はまたウトウトとのろいものうい眠りにおそはれた。


くも

 黒いビロード色の蜘蛛が灰色の空の中で上へ登つたり、下へ降りたりする。

 ヒマラヤ杉の葉は水をふくんで美しい。

 その水玉はつめたい水をガラスの中に入れた様に、つめたいあせの様に美しい。

 くもが僕の幻想の中で網をはつた。

 予期した様に

 くもが予期した様に

 僕が予期した様に

 カドミユームの蛾が飛んで来た。而し水族館の魚の様に霞の中のその蛾は又飛んで行つた。

 待つた 待つた 待つた 而しもう蛾は来ないかも知れない。


 一つの日影をも差し込まない楡と樫の木で出来た鬱蒼とした森

 あらゆる雑草はのびて怠慢な生活を続けてゐる。

 美しい水と清い空気は膚に軟かい不安をあたへる。

 靴の音が聞えてクリーム色のビロード服を着た少女が静かにこの森の中に入つて来た。

 手を耳に何にかの囁きを聞いたその少女は、森の中に、いくらかの時間をウツトリと喜んでさまよつた。

 何かのリズムを聞いたこの少女は、一歩、その音に近づかうとした。

 楡の葉末に住む森の心は思はず微笑を笑つた。


ランプ

 寝床に入つて本を読んだ。頁を繰る音、シンシンとする夜、ランプの光は軟かく温かく不安な人間の生活を保護する、軽い眠におそはれた。

 ランプをけす、カーテンのない黒い窓から冷たいすき通つた清潔な月光が入る。床に落ちたその光をゆるやかにおつた自分は、つめたい、ブルツとする程つめたい小さな星を見た。


南京玉

 二人の少女が並んで南京玉を糸に通した。

 病身勝な白い服の似合ふ子は青緑、銀青、青、黄と細い糸に静かに通した。

 頬の赤い頑丈な四肢を持つた一人の少女は赤い玉、カドミユームの玉、エメラルドの玉といかにも気ぜはしく太い糸に通した。

 二人そろつて喜んでゐた二人は出来上つたその頸飾りを間も無くとりかへてしまつた。

 ほんとうに幸福をつかんだ様に。


銀色の猫

 赤と黒と、菱形と紋形糸、黄い点線で出来たトルコ絨氈の上に銀色の猫が寝てゐる。

 にぶい北窓の光り、暖炉の薪はパチパチパチともえる。カンバスの筆は一向に進まない。

 アトリヱの主人は、音の無い世界から、リズムを聞かうとしてゐる。

 赤い絨氈の上のその猫はソツト動き始めた。


青い蘭

 ギラギラ光る太陽の中に針の様にいたい葉をはぢかせたユツカ蘭は春になつて十三の芽を成長さした。

 若いその芽は元気に溌剌と一日一日のびた。

 それを喜ぶかの様に白い鈴の様な美しい花は夏の夜のうす暗い空気の中で笑つた。

 秋になつてアカシヤの葉が黄くなるとき、若く成人したその芽にくらべてあまりに淋しい蘭の葉を一時かり込んでやらなければならなかつた。


額皿

 イタリーの額皿。プーサンの描いたと思はれる三本の大木、大理石のバルコンは永い間の風と雨とのためにくづれかゝつた桃色のロココ風の衣裳をつけた美少女はボートの中の若者に話しかけ様としてゐる。

 美しい貴女よこのアトリヱの革張の椅子の上に腰をかけて僕のモデルになつて頂けませんか。

(『文藝春秋』第10巻1号、1932年1月)






底本:「生誕100年記念 三岸好太郎展」東京新聞

   2003(平成15)年

初出:「文藝春秋 第10巻1号」

   1932(昭和7)年1月

※「アトリエ」と「アトリヱ」の混在は、底本通りです。

※底本は横組みです。

入力:かな とよみ

校正:The Creative CAT

2019年3月29日作成

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