「何だろう、これは?」府立第×中学の校庭には、七月の真昼の
「なんだ下らない、
「だが、暗号文らしいぜ」
「暗号なら
「そうだ春田に見せて困らせてやれ」皆は口々にそう
「春田君、君はいつか人の作った暗号文ならどんな物でも解いてみせるといったね」春田君は濃い眉を神経質に動かしながら、しっかり頷いたきりで黙って
「よし、じゃあこれを解いて見たまえ」
春田君は友達から紙片を受けとると、よく見もせずに||「明日の練習時間までに解いてくるよ」と無造作にいったまま、すたすたと向うへ去っていった。皆は思わず、
「がっちりしているなあ

春田龍介は二年級の級長をしていた。お父様の春田
家にかえった春田君は、勉強部屋に閉じこもって、例の紙片を取出し、
そしてまず文句の中の○の部分へ文字を
「サツエイとは撮影のことだろう」と春田君は
それだけがわかると、こん度はその文章のかげに隠されている暗号があるに相違ないと思って、春田君は
「お兄さま、お兄さま!」と呼ぶ声がした。
「お入り!」春田君は顔もあげずにいう。
「御免なさい」そういって部屋へ入ってきたのは、龍介君の妹で尋常六年生、
「なにか用かい?」
「御飯ですって。今夜はね、実験室でお父様の実験があるから、早く御飯をすませてお手伝いにゆくのですって」
「よし心得た、すぐ行くよ」
「あら! それなあにお兄さま」
「これか、これはね或る重大な外国の軍事探偵の暗号文なんだ。これに、我日本帝国の安危が隠されてあるのさ」
「あら! まあ本当

「あはは、嘘だよ、学校の友達が僕を困らせようと思って
「まあ嫌だ、私びっくりしちゃったわ」
兄弟は仲よく、声をあわせて笑いあった。
「それはそうと、文ちゃん、君は僕の教えた春田式危険信号を覚えたかい?」春田君がいった。
「ええ覚えたわ、やってみましょうか」
文子はそういうと、ポケットから
「こん度は助けてくれをやって見たまえ」
「・||・ ・||・」
「うまいぞ

「さ、
その夜春田博士の実験室では、博士の発明した「C・C・D潜水艦」に用うる、世界最初の無燃料機関の実験をすることになっていた。なにしろこの機関が完全に成功すれば、潜水艦は何十時間でも何百時間でも水底にいられるし、速力も一時間二百
むろん春田博士の発明は、世界中の学者の羨望の的になっているもので、各国の海軍では、どうかしてこの発明を手に入れようと、狂人のように騒いでいるのだった。
それ故その夜の実験は、春田邸の広庭に離れて建てられた実験室で、ごく秘密に行われるので、招待される人は、海軍少将山川八郎氏、機関大佐横田
実験は八時半からで、もう八時には横田大佐が実験室へ現われた。しかしどうしたことか、山川少将はなかなか姿を見せなかった。
「どうしたのだろう、山川さんは。もう八時三十分ちょっと廻ったがねえ」
横田大佐は懐中時計を見ながら頭をかしげた。「あの人が時間におくれるなんて珍しい」
そういっている時、
「いや失敬した。途中で自動車に故障がおこったものだから||」
「そうですか、私達はまたどうなすったのかと心配していました。では博士、実験にかかって頂きましょう!」
横田大佐がそういった。
実験室の窓や
そこには中央に大きな台を据えて、長さ二
龍介は一同からすこし離れた場所にたって、万一の場合にとわたされたモオビルの精巧な小型
「では模型を動かして実験に取りかかります」博士は一とおり説明を終ると、模型機関のハンドルを握った。
「つまりこのハンドルを引くと、このクランクを伝わって、中心原動
博士の指がハンドルを引くと共に、一種微妙な音をたてながら、複雑極まる機関がしずかに動きはじめた。見ていた山川少将、横田大佐は驚嘆のあまり思わず叫んだ。
「素晴しいものだ!」
「国宝的な発明だ!」
その時、龍介君はその機関の響きの
「お父様、実験中止ッ


「どうした龍介、なんだ!」
「設計図と模型を守って下さい。文子早く電灯を消すんだ。早くッ

「あれ


文子の叫声をきいた龍介君、声のした方へ懐中電灯をむけると、実験室の壁の一部が外にひらいて、黒装束の男が、文子を
「待てッ


「止れ、止れ、待たぬと撃つぞ


駈けよってみると、筋骨逞しい若者が、
「動くな、動くと撃つぞ


龍介君が若者を追い立てて実験室へもどると、設計図と模型を守っていた博士と大佐は心配そうにいった。
「文子はみつかったか」
「いや駄目でした、しかし今は文子のことより先に取掛らなければならぬ仕事があります······ところで山川少将はどうしました、見えませんね」
「山川さんも文子と一緒に
「この売国奴め

すると若者はさっと顔色をかえて、
「僕ぁ不良青年かもしれねえが売国奴と呼ばれる覚えはないぞ、僕ぁメリケン壮太っていうちったあ知られた男だ、さあ僕がどうして売国奴だ、わけをいえ

「よし教えてやるから、貴様がこの実験室の前に忍んでいたわけを話せ······」
「訳は簡単だ。額にあざのある外国人の牧師に頼まれて、この中で
「
「本当か?」メリケン壮太はじだんだを踏んで口惜しがった。「畜生、よくも騙しやがったな、今にどうするか······」
「お父様、
そして博士と横田大佐が、騒ぎまわるメリケン壮太を縛りあげている間に、龍介君は鼠のような素早さで、実験室の中を調べまわった。
「あっ

「僕の考えが当ったッ

「何だそれは?」と博士が
「これは······」と龍介君が云った時電話の
「あ、春田博士ですか、どうぞすぐおいで下さい。主人が書斎に倒れております。そして金庫の中の重要書類が盗まれております

春田博士が大佐と龍介君をつれて自動車で駈けつけた時、山川少将は書斎の長
少将は博士の実験に立会うつもりで、八時十分前に身支度をすませ、金庫の中から、実験に入用な重要書類を取り出していた。その時、いきなり後ろから頭をひどく殴られて、気絶してしまったのである。それから書生に呼び醒まされた時には、すでに重要書類も
「すると!」と博士が
「そうじゃよ」
「じゃあ、あの山川少将······いや山川少将に扮装した男は何者だろう」
「えッ

少将に問われるままに、博士は今夜おこった事件の始終を話した。聞くより少将は跳びあがった。
「や、そりゃたしかにどこかの軍事探偵じゃ、そして発明は無事か

「はい、設計図や模型は安全······」
「安全ではなかったのです閣下」と龍介君が博士の言葉をさえぎりながら進みでた、「設計図や模型は元のままちゃんとしていますが、しかしそれは皆すっかり盗まれてしまったのです」
「え、何じゃと、それはどう云うわけじゃ」
少将も、博士も、横田大佐も、意外な龍介君の言葉に面喰らってしまった。
「訳は後でも話せます。閣下、この書斎になにか証拠になるような物は落ちていませんでしたか」
「いや別に······」と少将は考えているようだったが、やがて「おおそうだ、こんな物があったが、何かの役に立つかな」そういって一枚の紙片をさし出した。
受取った龍介君、ひと眼見るより「あっ」と驚きの声をあげた。それは昼間友達からわたされた暗号文と同じ紙で、しかも同じ筆跡のペン書きでこう書いてあった。「ゴクロウ○マ スミタ○ ウエハ コレデ シツレイ オチノ○ル ○ンセン」
「うん······同じ暗号だな」
「何かわかったかね」傍から博士が心配そうに覗きこむ。
少年はそれには見向きもせずに、ポケットの中から最初の暗号文を取り出して、
「ゴクロウサマ スミタル ウエハ コレデ シツレイ オチノビル ヤンセン」
「そうだ牧師ヤンセン、メリケン壮太を雇ったのも牧師、まさに

そう叫んだが||さてそれだけの文章では何がなにやら訳がわからない。
「さあ困った、どういうことがこの文章の中に隠してあるんだろう?」さすがに龍介君、頭を抱え眉をよせて当惑した。「早くしないと、大切な発明は、軍事探偵の手で国外へ
と、龍介君はもう一度、二枚の暗号文を比べて見たが、さっと
「十日ばかり前、たしかサルビヤ号という外国船が入港しているはずですが、どなたかご存知ありませんか」と、訊ねた。
「ああ横浜へ泊っとるよ、たしか
「それだッ

「え、サルビヤ号、ああそれはね。今日夕方に出帆しましたよ!」横浜の港務課の電話に、龍介君は思わず、「しまった

「さあ皆さん、のるか反るかの瀬戸際ですよ。しっかりして下さい閣下


そして脱兎のように書斎を駈け出した。少将の自家用自動車に乗りこんだ時、龍介君は運転手に命じた。
「浦賀へ、フルスピイドだ、エンジンの

自動車が玄関を滑り出て、門をまわろうとした時、
「さ龍介、全体これはどういうわけだか話してくれ、浦賀までにはたっぷり時間があるだろう」自動車が東海道へ出ると、春田博士がそういって息子の方を見返った。
「そうですね、ではかい
「なる程、それでどうやら分った。では実験室の壁から出てきたあの黒い箱は撮影機だったのだな、||しかしどうして
「これを見て下さい」龍介君は二枚の暗号文を見せた。「この二枚の赤インクで書いた文字は、○で抜いてあった所へ僕が当嵌めたのです。ところで、この赤い字だけを集めてみるとサルビヤとなります」
「なる程、こりゃ素晴しい頭だ!」大佐が膝を打って感心した。
「僕ぁ十日ばかり前に新聞で、こんな名の外国船が入港した記事を見たように思ったので訊いたら、正に入港していたし、今日夕刻、こそこそと出帆した
「偉い龍介君、立派な推理だ

浦賀には、山川少将の命令で、高速力のモータア
「サルビヤ号は観音岬沖に
自動車のうしろへ飛びついていた怪漢はどうしたろう。||彼はいま去っていった龍介君たちの
闇の海上に、魔のように眠っている汽船サルビヤ号の舷側へ、静かについたモータア
「
そして真先に、

「敵か、味方か!」と龍介君が呼びかけた。
「メリケン壮太だ

なる程それは、実験室へ縛ってきたはずのメリケン壮太だ。彼は知らずに犯した売国奴の罪を償うため、自動車の
「よし任せた壮太! それ行け

「残念だ、ここまで
「やッ

「しめた、この天井に隠れているぞ

「それ


「


「オオ、オオ、

「文ちゃん、文ちゃん

「お兄さん、お兄さん

「坊っちゃん」傍でメリケン壮太が
そしてヤンセンの尻を力一杯蹴とばした。さっき自分が龍介君にやられたように。
春田博士の発明を撮影したフィルムも、山川少将の重要書類も、大事な妹も春田龍介君の手柄で無事に戻った。
それからメリケン壮太は不良青年をやめて、忠実な龍介君の助手として働くことになった。そして、いつでも友達にこういっている。
「へん、おいらの親分は龍介さんで、そしておいらはメリケンの壮太よ、矢でも鉄砲でも持ってこい
