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カラー

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




 あるところに、ひとりのりっぱな紳士がいました。この紳士はくつぬぎと、それにくしを一つ、持っていました。これが、この人の持物のぜんぶだったのです。そのかわり、この紳士は、世界でいちばんきれいなカラーを持っていました。これから、わたしたちが聞くお話は、このカラーについてのお話なんですよ。

 さて、カラーは年ごろになりましたので、ぼつぼつ、結婚したいと思いました。すると、あるとき、ぐうぜん、せんたくものの中で、靴下どめに出会いました。

「これは、これは!」と、カラーは言いました。「いままでわたしは、あなたのようにすらりとして、じようひんで、しかも、しとやかで、きれいなかたを、見たことがありません。お名前をうかがわせていただけませんか?」

「申しあげられませんわ」と、靴下どめは言いました。

「どちらにおすまいですか?」と、カラーはたずねました。

 けれども、靴下どめは、ひどくはずかしがりやだったものですから、そんなことに答えるのは、なんだかおかしな気がしました。

「あなたは、きっと、帯なんですね」と、カラーは言いました。「それも、着物の下にしめる帯なんでしょう。あなたが、じっさいの役にも立ち、飾りにもなるくらいのことは、ぼくにだって、ちゃあんとわかりますよ。かわいいお嬢さん!」

「あたしに話しかけないでください」と、靴下どめは言いました。「あなたにお話するきっかけをあげたつもりはありませんわ」

「とんでもない、あなたのようにおきれいならば」と、カラーは言いました。「きっかけなんて、じゅうぶんありますよ」

「あんまり、そばへ寄らないでくださいな」と、靴下どめは言いました。「あなたって、ずいぶん、ずうずうしそうですもの」

「ぼくは、これでもりっぱな紳士ですよ」と、カラーは言いました。「ぼくは、靴ぬぎや、くしを、持っているんですからね」

 といっても、これは、ほんとうのことではありません。靴ぬぎや、くしを持っているのは、カラーのご主人なんですからね。カラーは、ほらをふいたのでした。

「そばへ来ないでください」と、靴下どめは言いました。「あたし、こういうことに、なれていないんですもの」

「気取りやめ」と、カラーは言いました。

 そのとき、カラーはせんたくものの中から取り出されました。そして、のりをつけられて、椅子の上で日にあてられました。それから、アイロン台の上に寝かされました。すると、そこへ、あついアイロンがやってきました。

「奥さん!」と、カラーは言いました。「かわいい未亡人の奥さん。ぼくは、すっかりあつくなりましたよ。もう、見ちがえるようになりました。しわもなくなって、こんなにきれいになりました。おまけに、焼け穴までこしらえてくれましたね。うう、あつい!||ぼくはあなたに、結婚を申しこみますよ」

「ふん、ぼろきれのくせに!」と、アイロンは言って、カラーの上を、いばって通っていきました。それというのも、このアイロンは、ものすごくうぬぼれがつよくて、自分では汽車をひっぱる機関車のようなつもりでいたからです。

「ぼろきれのくせに!」と、アイロンは言いました。

 カラーのへりが、すこしすりきれました。そこで、今度は、紙きりばさみがやってきて、そのすりきれたところを切りとろうとしました。

「おや、おや!」と、カラーは言いました。「あなたは、たしかに、一流の踊り子ですね。まあ、なんて、足がよくのびるんでしょう。こんなに美しいものは、まだ一度も見たことがありません。どんな人にだって、あなたのまねはできませんよ」

「そんなことくらい、知っててよ」と、はさみは言いました。

「あなたは、伯爵夫人になったって、りっぱなものですよ」と、カラーは言いました。「ぼくの持っているのは、りっぱな紳士と、靴ぬぎと、くしだけです。これに、伯爵領はくしゃくりょうがありさえすれば、いいんですがねえ」

「あら、結婚を申しこんでるのね」と、はさみは言いました。はさみは、すっかりおこってしまったので、そのいきおいで、つい、大きく切りすぎてしまいました。こうして、とうとう、カラーは、おはらいばこになってしまいました。

「さてと、こうなったら、くしにでも、結婚を申しこむか。||かわいいお嬢さん! あなたの歯は、なんてきれいにならんでいるんでしょう!」と、カラーは言いました。「あなたは、いままでに、婚約ということをお考えになったことはありませんか?」

「もちろん、ありますわ」と、くしは言いました。「だって、もう、靴ぬぎさんと婚約しているんですもの」

「婚約しているって!」と、カラーは言いました。これで、もう、結婚を申しこむ相手は、ひとりもありません。そこで、カラーは、結婚のことをけいべつするようになりました。

 長い年月がたちました。とうとう、カラーは、製糸工場の箱の中へやってきました。そこには、ぼろがたくさん集まっていました。でも、上等のものは上等のもの、下等のものは下等のもの、というふうに、べつべつに別れて集まっていました。みんなは、話すことをいっぱい持っていました。なかでも、カラーは、いちばんたくさん持っていました。なぜって、カラーはたいへんなほらふきだったんですからね。

「ぼくには、恋人が山ほどいたもんさ」と、カラーは言いました。「おかげで、ぼくは、おちついていることもできやしなかった。これでもぼくは、りっぱな紳士だったんだぜ。ちゃあんと、のりつけをした紳士さ。それに、ぼくは、一度も使ったことのない、靴ぬぎと、くしまで、持っていたんだよ。||あのころのぼくを、みんなに見せたかったなあ。きちんとたたまれて、横になっていた、あのころのぼくをさ。

 それはそうと、さいしょの恋人のことは、忘れられないもんだね。あのひとは、とってもじょうひんで、やさしくって、きれいな帯だったっけ。ぼくのために、せんたくおけの中まで、とびこんできたもんさ。そうそう、未亡人もいたよ。あの人は、すっかりあつくなっちゃったが、ぼくはほったらかしておいた。黒くなるまでね。

 そのつぎが、一流の踊り子さ。この女のおかげで、ぼくは傷をうけちまってね、これ、このとおり、そのあとが、いまでものこっているしまつさ。まったく、気のつよい女だったよ。すると、今度は、ぼく自身のくしまでが、ぼくを恋しちまってね。その恋の苦しさのために、すっかり歯がぬけちまったよ。こんな話なら、いくらでもあるよ。

 しかし、ぼくが、いちばんわるいことをしたと思っているのは、あの靴下どめ、||いや、せんたくおけの中までとびこんできた、あの帯のことだよ。これには、ぼくも良心の苦しみをおぼえているんだ。考えてみれば、いま、ぼくが白い紙になるのも、しかたがないかもしれない」

 そして、カラーはそのとおりになりました。ほかのぼろたちも、みんな白い紙になりました。

 ところが、カラーのなった白い紙というのが、どうでしょう。いま、わたしたちが見ている白い紙、このお話の印刷されている、白い紙なんです。というのも、カラーは、あとになって、ありもしないことまで、とんでもないほらをふいたからなんです。

 わたしたちは、このことをよくおぼえておいて、そんなことをしないように、気をつけましょう。なぜならばですよ、このわたしたちにしたって、いつかは、ぼろ箱の中にはいって、白い紙にされないともかぎりませんからね。それも、自分の話を、ごくごくないしょのことまでも印刷されて、あっちこっち話しまわらなければならないともかぎらないんですから。ちょうど、このカラーのようにですよ。






底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※(ローマ数字3、1-13-23))」新潮文庫、新潮社

   1967(昭和42)年12月10日発行

   1981(昭和56)年5月30日21刷

入力:チエコ

校正:木下聡

2020年8月28日作成

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