A雑誌の訪問記者は、
東京の郊外の邸としてはそんなに廣い庭ではないが、手入れは可なり行き届いている。せいの低い、煉瓦の柱の表門から、正面のポーチへ通ずる路の両側に
A雑誌記者はもと/\此れと云う問題を持って来たのではないから、|||と云うのは、毎号雑誌へ連載している「学界名士訪問録」の種取りに来たゞけであるから、此の家の主人に会う前に主人の趣味を検べて置くのも、あながち無駄な仕事ではなかった。それに先生は気むずかしやで、我が儘者で、雑誌記者などが訪ねて行ってもめったに好い顔はしたことがない。機嫌が悪いと殆どロクに口もきかないそうだから、先ず先生の趣味の方から話題を作って
「成る程、此れは噂に聞いた通り、餘程気むずかしい人だな。」
記者は急いで吸いかけの煙草を灰皿に入れ、椅子から身を起し、「気を付け」のような姿勢を取って先生に敬意を表しながら、直覚的にそう感じた。先生の歳は四十五六、或は三四ぐらいでもあろうか。
「やあ、お待たせして失礼を。」
「はッ、お休みちゅうのところをどうも、·········却って恐縮に存じます。」
先生が椅子に就いたので、記者も再び、恐る/\腰をおろした。
「|||しかし、此の辺は非常に閑静で、いゝ処のようでございますな。先生はもう長いこと、
「長い|||えゝ、|||そんなに長いことは、|||」
「もう何年ぐらい?·········二三年?·········三四年ぐらい?」
「えゝ、まあ、|||」
こゝで会話がポツリと途切れた。記者が出来るだけ遠慮深く、辞を低うして質問しても、先生の答は不明瞭で、物を半分しか云わない。のみならず、声が頗る低音で、神経質な顫えを帯び、語尾は曖昧に口の中へ消えてしまう。「傲慢な人」と云う評判であるが、話をするにも相手の顔をまともに見ないようにして、たま/\視線がカチ合うと直ぐにその眼を外らしてしまう所など、何だか斯う、処女のように小心で、臆病らしい素振りもある。
仕方がないから記者は暫く沈黙して、その間に
その胸板を見たついでに、記者は先生の圓々と肥えた体つきにも注意したが、肥えてはいるものゝ、事実は顔と同じようにむくんでいるのか、さもなければ脂肪太りに太っているので、健康な肥え方ではないようである。それにさっきから気を付けていると、時々先生は「げッぷ」と云う音をさせて、味噌汁臭いおくびをする。洋行をした先生にも似合わぬ無作法な話だけれど、多分たった今、遅い朝飯を腹一杯たべたのであろう。「はゝあ、成る程、此の様子では腎臓よりも胃が悪いのじゃないのかな」と、記者は思った。そして自分の空腹に比べて、先生の胃の腑の病的な飽満状態が、羨ましいような、面憎いような気がした。
「あの、唯今拝見いたしますと、お庭の方に花壇があるようでございますが、·········」
「うん、ある。」
と、先生は云った、とたんにチラリと
「大分陽気が暖かになって参りましたが、此れからそろ/\園藝などには好い季節でございますな。」
そう云ったが、手答えがないので、記者は二の句を附け足さなければならなかった。
「花壇には主に、どう云う花をお作りになるのでございましょう?」
「さあ、別段どうと云って、·········」
「先生御自身で種をお蒔きになりますので?」
「う、·········あゝ、·········」
「はあ、左様で、」
よくは分らなかったけれど、記者は独り合点をして、
「何かもう少うし、そう云う方面のお話を伺えませんでしょうか? 花の話、園藝趣味と云ったような事でも、|||」
「うん、·········そう云うことには餘り興味がないもんだから、·········」
「でも、どう云う花がお好きだとか、お嫌いだとか云うようなことは?」
「好きと云えば大概な花は好き|||と云うより外はない。·········」
その時先生は又おくびをした。そして言葉尻と一緒に、それをもぐ/\と
此れは餘程変った人だ、随分気むずかしい人間にも会ったが、こんな奇妙な癖のある人を見たことがない。|||記者はつく/″\呆れたような表情で、恰も珍しい動物か何かを眺めるように、先生の顔を覗き込んだ。覗き込まれても先生は平気で、知らん顔をして横を向いている。「口を利くのは大儀だが、顔ならいくらでも見せてやる」と、云ったような態度である。一体此の人には神経と云うものがあるのか知らん? どんな人間でも他人と応対をする場合に、ちょっとぐらいは愛想笑いを洩らすものだのに、此の先生は決して洩らさない。その無愛想がまた普通とは違っていて、たまには笑おうと努めるのだけれども、笑いかけると直ぐに笑いが消えてしまうのではないだろうか? その證拠にはおり/\口もとをピクピクさせて、笑いの出来損いのような痙攣を起す。「笑わないでは悪いだろうか、いや、笑ったところで面白くもない」と、二途に迷っているようでもある。そして何事をたずねられても、気乗りのしない、詰まらなそうな顔をしている。まあ成るべくなら下らない質問はやめて貰って、早く帰って貰いたそうだが、時々わざと聞えよがしにほっと溜息をつくばかりで、断然「帰ってくれ」とは云わない。気の弱い人が保険会社の勧誘員に掴まったように、向うが退却しない限りは此方も根気よく生返事を繰り返しながら、一日でも二日でも
「誠に恐れ入りますが、では先生の日常の御生活、|||たとえば朝は何時にお眼覚めで、夜は何時にお休みになるとか、主にお仕事をなさいますのは何時頃であるとか、云うようなことでも伺わせて戴きましょうか。」
少しく大胆になった記者は、此れなら返事が出来ない筈はなかろうと思いながら、ポッケットから手帳を出して、エヴァーシャープ・ペンシルを握った。
「いかゞでございましょう? お忙しいところを御迷惑ではございましょうが、|||」
「いや、忙しいことはないんだが、」
「はあ、左様で。|||すると、お眼覚めになりますのは大概何時頃?|||朝は御ゆっくりの方だと伺ってはおりますけれど、」
「朝は遅い。」
「はあ、|||では何時頃? 十一時? 十二時頃?」
「うん、」
「はあ、はあ、」
と、記者は手帳へ書き留めながら、
「それでは自然、夜分おそく迄お眼覚めでございましょうな。」
「夜は遅い。」
「はあ、何時頃?[#「何時頃?」は底本では「何時頃。」]」
「三時頃。」
「はあ、三時頃。|||しかし、大学の方へお出かけになる日は、朝もいくらかお早いのではございませんか。」
「う、·········あゝ、·········なあに、そんなでもない。」
「そういたしますと、先生の講義はいつも午後なのでございましょうか。·········はゝあ、いつでも午後に。·········それで、大学の方は一週に何度ぐらい?」
「二度。」
「はゝあ、それは何曜日と何曜日に?·········はあ、水曜と金曜。·········で、その外の日は、日課としては主にどう云うような事を? 矢張書斎で読書をなさいます時が一番多いのでございましょうな。」
「うん、まあ、そんなような事が、·········」
「書物はどう云う種類のものを? 矢張専門の、哲学の方の物ばかりを?」
「う、·········あゝ、」
先生の「う、·········あゝ」に釣り込まれて、此処まで
「あ、そう/\、」
と、慌てゝ云った。
「そう云えば先生は、近々大学をお
「うん、事に依ったら、·········」
「どう云う理由で?·········学校に対して御不満なことでもおありになると云うような?·········」
「さあ、·········出ても詰まらんもんだから。」
「すると今後は、御著述の方へ全力をお盡しになりますので?」
「さあ、気が向いたら、·········何か雑誌へでも書くかも知れんが、·········」
「はゝあ」
と云って、又行き止まりへ追い込まれた記者は、
「えゝと、·········ところで此れは甚だ
こう云ったとて無論すら/\と答えてくれる先生ではないから、記者は続いておッ被せた。
「定めし此の、家庭の煩累などがおありにならないと、思索などをなさいますには、却ってよくはございますまいか。」
「うん、それはいゝ。」
「しかし、一面に於いて淋しさをお感じになるようなことは?」
「淋しいのには馴れちまったから、·········」
「すると、こう云う独身の御生活の方が、サッパリしていて気持がいゝと云う風に?」
「うん、サッパリしている。」
「で、気持がいゝ?」
「うん。」
「はあ、成る程、·········それでも時々訪問者はございましょうな、学生だとか、又は友人の
「めったにない。」
「はゝあ、|||それから、あのう、お宅は何でございますか、お見受け申しましたところ、お掃除などがよく行き届いて居りますようですが、こう云う事は
「書生にやらせる。」
「はあ、書生さんがお掃除を?|||で、女中さんはお幾人?」
「二人おる。」
「では、書生さんが一人に女中さんが二人、それに先生と、四人暮らしでいらっしゃいますので?」
「そう、四人暮らし、·········」
「尤も何でございますな、先生お一人のことですから、それで十分でございますな。|||いや、こう云うところを拝見しますと、サッパリしていて気持がいゝと仰っしゃいますのが、わたくし共にもよく分るような気がいたします。」
「·········」
今度は先生は返事をしない。そして溜息をついたかと思うと、鼻の孔を少しひろげて、生あくびをした。
そろ/\帰れと云う謎かな。|||すき腹を我慢している記者は、催促がなくとももう好い加減で退却する積りであったが、実は斯うまでぶッきらぼうな扱いを受けると、記者も人間である以上、多少は意地にならざるを得ない。まだ何かしらこだわってやることはないだろうか、もう二三十分
「そう云えば此の頃、過激思想の取締りと云うことが、大分政治家や学者の間でやかましいように存じますが、あれに就いて先生のお考えは?」
「う、·········う」
此れから先は、何を聞いても先生はたゞ呻るだけだった。過激思想から露西亜の宣伝防止問題、普通選挙、デモクラシーと哲人政治、果ては文部省の仮名遣い案、ローマ字問題まで持ち出して見たが、結局不得要領の「う、·········あゝ」で受け流されてしまい、記者は御苦労にも一人相撲を取ったのであった。
記者が応接間を辞したのはそれから数分後であったが、何だか餘り
記者が覗いている生垣の前を通ったのはほんの僅かな
けれども、記者の好奇心は、矢張それだけでは済まされなかった。で、もう裏庭に誰も居ないのを幸いに、そっと垣根に附いている木戸をくゞり、そこに生えていた八つ手の葉蔭に身を隠しながら、問題の部屋の窓の下まで這って行って、こっそり首だけ出して見ると、好い
間もなく小女は、なお先生の胴体の上に腰かけたまゝ、小さな一本の籐の笞を取り上げ、片手で先生の髪の毛を掴み、片手で先生の太った臀をぴし/\と打った。すると先生はその時始めて、少しばかり生き/\とした眼つきをして「ウー」と呻ったようであった。|||此の光景を物の半時間も覗いていた記者は、変な気がして、コソコソ逃げるように裏庭を出た。