戻る

狂言『食道楽』

北大路魯山人




登場人物 大名 目 鼻 口 手 心 耳


大名 「まかり出でたるは、このあたりの大名でござる。われ日頃より、美食をなしてござれば、当年とって百一歳でござるが、これごらんあれ、栄養は満々点、ヒフの色はツヤツヤと、あの方の心臓もことの外つようござる。なんと方々うらやましうはござらぬか。老いてますます盛んとは、まことにそれがしのことでござる。ハハハハハ

    ただいま、食事も了ったれば、まず、ゆるりといたそう。ヤレヤレ、ヤットやなあ、どうやらねむうなってきたわ。腹八分目と、ことわざにいえば、きょうとても、八分目でひかえたにかかわらずこのようにねむいは、いかなこと、目があかぬわ、グータラグーグーグータラ」


舞台、暗転


目 「これは、目でござりまする」

鼻 「まかり出でたるは、鼻でござる」

口 「このものは口でござりまする」

耳 「わらわは耳でありつるぞ」

胃 「これは胃袋でござる」

手 「われこそは手にござりまする」

心 「まかり出でたるは、心でござりまする」

目 「よいぐあいに、うちの大名は、いねむりをいたしております」

鼻 「この間に、そっとぬけ出してまいってござる」

口 「さあさあかたがた、ゆっくりくつろいで語ろうではござりませぬか」

耳 「されば、輪になって、みなのもの、坐りや」

一同「かしこまってござる。かしこまってござりまする」

胃 「さてこそ、うちの大名が長生きをなさることは、ことの外喜ばしいことではござらぬか」

手 「いかにも」

一同「さようにござりまする」

心 「それというのも、つねづね食べ物に心くばらるるためと存じまする」

鼻 「いかがでござろう。きょうはうちの大名が、このように長生きをなさるを祝うて、長寿栄養の座談会をいたし、広う世界へ、公開いたそうではござらぬか」

目 「それはまた、一段と思いつきにござりまする」

耳 「しからば、心、そなた、司会をやれ」

心 「かしこまってござる。それなれば、真中にどーんと坐らせていただきとうござります」

耳 「よいよい、うちの大名はすみにおけぬお人じゃによって真中にきやれ」

心 「ハー」

鼻 「さればうちの大名は目から鼻にぬけるお人じゃによって、わたくしは目のそばに行きとうござる」

耳 「よいよい、行きや」

鼻 「ヘーイ」

耳 「さて、うちの大名は大そう口がわるいとの、世の評判じゃにより、口どのは、うしろの方へ、遠慮しや」

口 「これはしたり、なんと仰せられまする。口がわるいとはいかなこと、わたしあるゆえに、おいしいものも食べられ、長生きなされたものでござりまする。うちの大名の長生きは、みなわたしのおかげでござりまする。わたしがなかったならば、なんでものを食べまする。すべて食べ物は、わたしが食べるのでございまする。わたしは正座にすわりこそすれ、うしろの方へすわるのはいやでござりまする。なんと、耳どの、いばってみたとて、よも、耳では食べられますまい。さあさあ、なんとでござりまする」

耳 「いわしておけばええはらのたつたつ。そなたばかりをえばらせておけぬぞえ。口で食べるとは、せんえつしごく······

口 「それじゃというて、耳で食べられるものでござろうか、なんとなんと」

耳 「はて、はしたないお方よ、口ほどにもないと、つねづね世の中でいうはここの道理、口でいくらいばったとて、真理はもっと、おくの方にありつるぞ。まことをしらずべらべらとしゃべりたもうそれゆえに、口はわざわいのもとといいふらされ、わらわまでが、めいわくいたすということ。とくとくお知りたまえかし」

口 「やあ」

耳 「いくらそなたがさかしうても、そなたがいばってものいえるは、みなこの耳のおかげぞや。話をいたすそのときもわらわがきいてつかわさねば、そなたは返事もなるまいが······そなたのようなお方のいうこと、これより先きく耳もたぬわ」

口 「それならこっちも口きかぬわ」

心 「ヤレヤレまたれ、またっしゃれ。はてはてこころいたいことでござる。口どのには、まま、ちとおつつしみなされ」

口 「それなら耳で食べてみせるか」

心 「やれ、そのような無理なこと······まず、またせられい。一つ、うかがってみよう。もし、もし、耳さま、そのように、とりすましてしまわれるものでござらぬわ」

耳 「耳すますというて、すますはわらわの天分じゃ」

心 「されば耳すませて、ようおきき遊ばされよ。耳で食べいと口どのはいわるるが、なんと耳で食べることが、できることでござろうか」

耳 「いかにも、たとえいかなる美食といえど、まず第一は、この耳で食べることにてありつるぞ」

鼻 「ヤおもしろしおもしろし、いかなれば耳にて食べると」

一同「仰せでござる」

耳 「不しんはことわり。いざいざ語りきかそうぞや。口ばかりで食べるというは、犬・猿・猫ならいざしらず、ひとたるものはまずまずよろしく耳にて食べるべし、耳にて食べぬひとならば、犬・猿・猫にもおとるべし······『こはこそ、ききたまえ、この鯛は鳴門の鯛にて候ぞ、また、これなるは······』などときくこそうれしけれ。

   まず、きくことのたのしさや、きけばなおさら食欲も、まさりて食べぬその先に、口につばわくそのたとえ。いかがでござる。耳にて食べるということわり。ようやくわかりたまいしか」

心 「いかにも左様。犬に『これきけ、こはこそ鳴門の鯛なるぞ』と、いうても分らぬことでござる。人間なればまず耳より食べるというは、もっとも、もっとも」

目 「少々おまちくだされまし。きいていれば、なんでござる、耳で食べると仰せでござりまするか。それならば、この目もまけずに食べられるということでござりまする」

心 「ヤア目で食べると仰せでござるか」

目 「いかにもさようでござりまする」

心 「しからばそのわけをお話しくだされ」

目 「かしこまってござりまする。たとえ、各地の名産が、あつまったとて、きいたとて、次に食べるのはこの目でござりまするぞ。まずは料理のいろどりでござります。まぐろのさしみにトマトの[#「トマトの」は底本では「とまとの」]輪ぎり、赤貝の酢のものにチキンライスと、こう赤いものづくめでは、共産党の店だしのようではござりませぬか。

   また、そうかというて、黒だいの塩焼きに、たにしの味噌あえ、なすびの煮つけに、いかのすみ、ごはんのおこげに、黒いまめ、塩こぶ、ぼたもち、ちょうちんもちと、こう黒ずくめでは陰気でならず、箸をもったら念仏の、一つもいわねばなりませぬ。

   そこで申すなら、いかのさしみによくきくわさび、おしたしものにはごまなどふって、野菜の色の失せぬよう、まず、目に物みせて楽しませ、それにて味もひきたちまする。まだまだ申せばうつわの好み。料理にとって、食器というものは、それこそ料理のきものでござりまする。

   いくら美人でも、着るものの好みがわるくては美人も台なし。高価なものではござりませずとも、よくそのものに調和した、きものを着せるのは理の当然、きものと帯が不調和でも、こまったものでござります。顔はうしろで見えずとも、帯の結びようでちょいと惚れる。食器は料理のきものゆえ、うつわも大事でござりまする。

   と、こう申せばお料理は、まず目で食べるという道理、なんといかがでござりまする」

心 「いや、目にいわれてみればそれもことわり。それにしてもそなた、なんとようしゃべるお方でござるな」

目 「はい、目は口ほどにものをいいと、みな知ることでござります」

鼻 「しばらくしばらく、しばらくしばらく、それがしにも、もの申させてくだされよ」

口 「また誰やらでしゃばってこられたな。おお、お前さまは鼻さん、花よりだんごということがござります。ひっこみなされ」

鼻 「ハナせば分るというものでござる」

心 「おしずかにおしずかに、まずまずお静かに。さて鼻どのには、なんぞ文句がござるか」

鼻 「いえ、文句は別にござらねど、ちといいたいことがござる。いわしておけばぬけぬけと、鼻もちならぬことでござる。料理は鼻で食べまする。議長、なにとぞわたしにも、少々いわせてくだされい」

心 「いかにも、さっそく申されよ」

鼻 「かたじけのうござる。

   さて、おのおのには、おききくだされい。鳴門のたいときく前に、料理の色を見る前に、料理をいたしておる間に、まず匂うてくるはその匂い。皿に盛られて目の前に出されるそれよりまだ前に、おお、おいしそうなその匂い。料理の姿は見えずとも、おや、きょうのご馳走はてんぷらじゃ。へへ牛肉の匂いじゃなつかしや、でもこうばしいごまの匂い。ごはんがこげておりまする。早うまきをひきなされ、と気づいてやるのもこの鼻さま。また料理を食べぬ先、おいしい匂いをかげば半分は、先にわたしが食べている。アハハハ」

目 「なにをいわれるやら、なんでまあ、わたしがお前の残りものを食べるものか、目から鼻にぬけるというとおり、わたしからお前の方へさげ渡すのじゃ。あまり鼻高にならぬがよいわ。その鼻折って進ぜよう」とつまむ。

   大名ねむりつつ、ゆめうつつにいたたたたとハナをおさえる。

耳 「はてはて、そのように争うてはなりませぬぞ」

鼻 「ヤア、大切な鼻をつまむとはなにごと」

目 「どうせそなたは鼻つまみもの」

   と二人あらそう。口々に一同とめる。

口 「なんというてもわたしが第一。口には、歯もあり舌もあり······甘いも酸いもかみわけて、浮世の風のつめたさも、人の情のあついも知って、この舌三寸であしろうて、みんなのみこむわたしの手練。なんとそうではございませぬか。この大名の長生きも、みんなわたしの心がけ」

胃 「いやまて、またれよ。そうはいわせぬ胃袋が、ちゃんとひかえておりまする。

   いくら美食をくろうても、この胃袋がうけとって、消化するのはわたしのつとめ。もしまちがえてうのみした、目は白黒の大さわぎ。心ははっとときめけど、わたしがうけとりこまごまと、歯の代理さえいたします。

   この大名の長生きは、みんなこの胃袋さまのおかげでござる。食べてくだった食べ物も、そのまま通過はさせませぬ。この胃袋の関所でとめ、吟味、認識、品さだめ、血になるものは血となして、ビタミン、ホルモン、カルシウム、いかなるものがまいっても、間違うことなくよりわけて、この大名を長生きさせた、手がらはなんと世界一、胃が勤勉であることが、長寿第一の手がらでござる」

手 「それなら拙者も申さばなるまい。ものを食べるはこの手でござる」

胃 「ヤアヤアその手は」

一同「くわぬくわぬ」

手 「さても桑名の焼蛤、拙者がこうして手で蛤を、もってこっちの手がのびて、つまんで口へ入れるの道理、

  茶わんもつのは左の手、

  はしをもつのは右の手だ、

  茶漬けかきこむ両手の協力。

   手がのうてはどうして食べる。茶わんに口を近づけて、がりがりがりと食べる気か。皿の残りは舌出して、ペロリペロリとなめずばなるまい。それならまるで犬同然、たとえ美食をくらうともこの手がなくば犬大名だ。犬だ犬だ犬大名だハハハ

   いうてきかせばまだまだあるわ。みかんの皮むく手ざわりやまんじゅうつまむ楽しさや。つまみぐいなら誰にも負けぬ。なんとそうではござらぬか」

大名 「うーむうーむ。

    やあ、ようねむってござる、なにやらしらねど、べちゃべちゃとやかましうさわいでいたが、はて、ゆめかうつつか、うーむうーむ、五体にみなぎるこの力、どれ、やしゃ孫めと[#「やしゃ孫めと」は底本では「しゃしゃ孫めと」]、うでずもうなどして来よう。わっしょい、わっしょい(と足ふみならしつつあゆみ去らんとして)」

||||

(昭和二十八年)






底本:「魯山人著作集 第三巻」五月書房

   1980(昭和55)年12月30日

※誤植を疑った箇所を、「魯山人著作集 第三巻」五月書房、1997(平成9)年12月18日新装愛蔵版の表記にそって、あらためました。

入力:江村秀之

校正:栗田美恵子

2020年11月27日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。





●表記について



●図書カード