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窓の外は鄰の家の畠である。
畠の彼方に、その全景が一目に眺められるやうな適当の距離に山が聳えてゐる。
山の一方が低くなつて樹木の梢と人家の屋根とに其麓をかくしてゐるあたりから、
これが熱海の
然しわたくしの
目近く、窓の外の畠に立つてゐる柿の紅葉は梅や桜と共にすつかり落ち尽し、樺色した榎の梢も大方まばらになるにつれ、前よりも亦一層

わたくしは永年住み慣れた東京の家にゐた時にも、毎年小春の日光に山吹の花の返咲きするのを見れば、いつも目新しく祖国の風土と気候とに関して、言ひ知れぬ懐しさと、それに伴ふ感謝の念を覚えて止まなかつた。日本の冬の
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過去日本の文学は戦闘の舞台として、屡伊豆の山と海とをわれ/\に紹介してゐる。その事実をわたくしは疑はない。然し今わたくしが親しく窓から見る風景と、親しく身に感じる気候とは、
わたくしは昭和現在の時勢に
わたくしがこゝに繰返して言はうとするのは、その国の気候風土のかくまで穏和なるに反して、
平和は史乗の生るゝ以前より一たびも樹立したことがなかつたのであらう。闘争は人間生活の常時で、平和は纔にこれを為さんがための準備期もしくは休憩期間たるの観なきを得ない。「勝利」と云ふ言葉は、そも/\いづれの時初めて人の口から発せられて文字となる事を得たのであらう。この言語が廃滅して其意を失ふ時、初て真の平和が見られるものと思はねばなるまい。
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昨日までわれ/\は「平和」を口にすることを堅く禁じられてゐた。戦つて勝たうがためには、「平和」は呪詛と見られてゐた。戦ひに敗れて、人は再び平和を知るに至つた。或人は敗衂の賜物として之を迎へた。敗衂なければ平和は遂に来なかつたやうに思はれてゐたからであらう。平和は民族の種の絶え果つる時、冷い月の光のやうに枯木と屍とを照すものと思はれてゐた。
敗衂はわれ/\を救つた。敗衂のために救はれたわれ/\の前途はどうなるだらう。われ/\は日々あまりに多くの言論に耳を聾せんとしてゐる。言論の声は爆弾の響に代つたのだ。そして生命の不安は依然として変るところがない。然るに誰一人、立つてわれ/\の前途を指さし示すものはない。その人らしく見えるものは、昨日まで勝たざる「勝利」のためにわれ/\を欺き、われ/\を死地に陥らしめた悪魔の、衣裳だけを着換へて来たものらしく思はれる。
われ/\の耳にする人の声は果してわれ/\を救ふ目標となすに足りるであらうか。昨日は戦ひの為めに、今日は翻つて平和の為に奔馳する人の呼ぶ声は、
武器の優劣は何人の目にも見える勝敗の原因である。隠れたものは尋ねにくい。日毎に其言論と行動とを取替へる人達の情操の如きも、隠れたる勝敗の原因と亦全く関係がないとも言はれまい。正義観念の確立は民族の光栄を守る強力の武器である。これ無きところに平和の基礎は置き得ぬであらう。
正義の観念は何に依つて養はれるか。一たび養ひ得るも、時あれば亦之を失ふことがあるだらう。百年のむかし亜墨利加の船は相模の浜辺に来て江戸の都を脅した。当時の政治家は国民の一人をさへ傷けず、しかも亦名実ともに、敗衂亡国の汚名から国を救つた。今日の事態は全くそれと相反してゐる。原因は何か。その探究は現在のみならず将来を戒しめ将来を安全ならしめる道を示す手段になるであらう。現在の窮乏を救はうが為に、政体の変革を叫ぶものもある。然らざるものもある。各観るところ信ずるところに依るのであらう。これに対してわたくしは唯是非判別の識見に富まざることを憾しまなければならない。然し唯一言、わたくしは言ふべき事を知つてゐる。事の勝敗はその事に当る人物の如何に因る。唯この一語である。人物の如何とは、即ち誠実の有無、正義観の強弱をさすのである。信念の如何を謂ふのである。
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畠に沿ふ道のかなたに車の駐る音と村の子供の声が聞える。葉の落ちた梅林を透して米兵に連れられた日本ムスメのキモノの閃くのが見える。冬の日は少し斜めになつたゞけ却て近く照りつけて来たやうに思はれる。彼等はムスメと相携へて向に見える山腹の蜜柑園に登つて行くのであらう。手にする行厨はムスメを喜ばす甘い物に満たされてゐるのだらう。冬の日は短くとも彼等が歓を尽すにはまだ十分の時間があらう。日の光はもとより公平である。わたくしも亦窓の明るさ暖さに心急がず此の文を草し終るであらう。
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爆弾はわたくしの家と蔵書とを焼いた。わたくしの家には父母のみならず祖父の手にした書巻と、わたくしが西洋から携帰つたものがあつた。わたくしは今辞書の一冊だも持たない身となつた。今よりして後、死の来るまで||それはさほど遠いことではなからうが||それまでの間継続されさうな文筆生活の前途を望見する時頗途法に暮れながら、わたくしは西行と芭蕉の事を思ひ浮べる。
歌人とならうが為めでもなければ、又俳諧師とならうがためでもない。わたくしは唯この二人の詩人がいづれも家を捨て、放浪の生涯に身を終つたことに心づいたからである。家がなければ平生詩作の参考に供すべき書巻を持つてゐやう筈がない。さびしき二人の作品は座右の書物から興会を得たものではなく、直接道途の観察と

一人は宮中護衛の職務と妻子とを捨て、他の一人も亦同じやうに祖先伝来の家禄を顧みず、共に放浪の身の自由にあこがれ、別離の哀愁に人の運命を悲しんだ。いづれにしても希望の声を世に伝へたものではない。
然るに一時栄えた昭和の軍人政府は日蓮宗の経文の或辞句をさへ抹消させながら、世に山家集と七部集の存することを忘れて問はなかつた。徳川幕府の有司は京伝を罰し、種彦春水の罪を糾弾したが、西行と芭蕉の書の汎く世に行はれてゐる事には更に注意するところがなかつた。酷吏の眼光はサーチライトの如く鋭くなかつたのだ。
西行は鎌倉幕府の将軍に謁見を許され銀製の猫を賜はるの光栄に浴したが、用なきものとして之を道に遊ぶ児童に与へて去つた。今の世の学者詩人にして政府の与るものを無用となして道に捨てたなら、恐らく身の安全を保つことは出来まい。鎌倉時代は武断の世であつても今に比すれば猶余裕があつた。
芭蕉の声を聞いて其門に集つたものゝ中には武士も少くなかつた。彼等は屡夜を徹して無用なる文字の遊戯に耽つたが、人の子を
今日のわれ/\よりして芭蕉の生涯を見ると、芭蕉は其文徳を慕つて集り来る門弟に別れを惜しみながらも、一所に安住することが出来ず、終生

芭蕉とモーパツサンとは時代と民族とを異にしてゐながら、何が故に其求むるところに変りがなかつたのであらう。わたくしは二人とも人生の浮誉名声に安んじ得なかつたが為だと思ふ。浮誉名声は人間相互の関係から、人の行動と心情とを拘束する嫌ひを生じる。こゝに於て心の自由と境地の寂寞とは亦一致して分ちがたいものとなる。人生の真相は寂寞の底に沈んで初めて之を見るのであらう。
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亜弗利加の沙漠に天幕の生活を営んでゐる遊牧の民には、一定の家がない。家のない民族には歴史も藝術も存しない。存する必要がない。これはモーパツサンの紀行に見る所である。歴史なく藝術なき民族の世は虚無である。史乗なければ過去は暗夜に等しく藝術がなかつたら現実も刻々に消えて行く影に過ぎまい。此等のものなき人の世の寂しさは一度文化に浴したわれ/\の能く堪へ得べき所であらうか。
われ/\の生活は俄に亜米利加人のそれと密接な関係を生ずるやうになつた。それは今後二十幾年続くべき筈だと云ふ。戦争前銀座丸の内あたりの光景は、或人の眼には、既に著しく米国風に化せられてゐた。今後世態人情の転化し行く処の何であるかは、火を見るよりも明であらう。然し世運は常住するものでない。物極まれば必変転するのは自然の法則である。われ/\の子孫が再び古き日本を追想すべき時も来ずには居まい。回顧の資料は書籍に優るものはない。われ/\は現在に於て既に民族文化の宝物たるべき書物の大半を失つた。将来之を得ることは至難であるかも知れない。けれども難事は難事であるが故に、心あるものには却て一層の精力を奮起させる
戦敗は言ふを俟たず、民族に取つて不幸の最大なるものだ。然し戦勝のみが民族の光栄であるとも限られまい。文化の影響を広く他の民族に及し、その民族をして幸福と智識の開発に利する所多からしめるのが、勝者たる光栄の最大にして不朽なるものであらう。支那も、印度も、希臘も、一たびは不朽なる此光栄を担つた民族であつた。匈奴の西欧侵略は何等の痕跡をも他の民族の文化には留めなかつた。これに反してサラセン人が侵略の跡は西班牙の文化に固有の跡を残す力があつた。印度北方の仏像には希臘藝術の痕跡が見られる。仏蘭西印象派の絵には江戸浮世絵の影響がある。北米人の勝利は如何なる感化を形に於て、精神に於て、日本文化の上に残すであらう。わたくしは希望する||食前の祈祷と、街頭に於ける夫婦の接吻と、ヂヤズが持つてゐる世界風靡の魔力ばかりに限られない事を。
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日の暮はさむしい。どんな人にも日の暮はさむしいだらう。なぜだ。そしてどういふ寂しさだと、われながら問うても答へられぬ
日の暮は子供の心にもさむしいらしい。思出はわたくしの心にも、絶えずそれを語つてくれる。
窓から見える畠は日かげになつた。畦の枯木に干された洗濯物を人が取りおろしてゐる。雑木林の向うから、
「もういゝかい。」
「もういゝよ。」と呼んだり応へたりする子供の声がきこえて来る。かくれんぼをする声だ。
その声も夕風の音にまじつて、わたくしの耳にはさびしく聞える。
子供はもつと外で遊んでゐたいのだ。暗くならない中、すこしでも余計に、もう暫く遊んでゐたいのだ。遊び友達と別れて家へ帰るのが残り惜しくてならないのだ。この心持が、日のかげるに従ひ、呼び合ふ声の中に籠められて、きく人の耳にさびしさと悲しさとを送つて来るのだらう。
この心持は小鳥の声にも含まれてゐる。日ねもす日の暖さに恵まれてゐた冬草の葉末にも見られるやうな気がする。
日の暮のさびしさを思知るのは、日の最も短い冬の半に
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今年もやがて冬至の節にならうとしてゐる。
わたくしには||現在のわたくしには、このごろの暮方が悲しく思はれて堪へられない。
この
わかゝりし日を、如何にして送つたか。師と親とは教へたり戒しめたりしなかつたか。後悔と慚愧とは虱の如く身をさいなむ。
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日は暮れてしまつた。何も見えなくなつた。窓の外には闇がだん/\濃く深くなつて行く。その彼方から、遠くかすかに鉦叩く音がきこえて来る。道を隔て、谷川を渡り、山径を登る林の奥に寺がある。その寺から聞えて来るのだらう。
その寺はむかし/\西の方の都から
江戸三百年の事業は崩壊した。そして浮浪の士と辺陬の書生に名と富と権力とを与へた。彼等のつくつた国家と社会とは百年を保たずして滅びた。徳川氏の治世より短きこと三分の一に過ぎない。徳川氏の世を覆したものは米利堅の黒船であつた。浪士をして華族とならしめた新日本の軍国は北米合衆国の飛行機に粉砕されてしまつた。儒教を基礎となした江戸時代の文化は滅びた後まで国民の木鐸となつた。薩長浪士の構成した新国家は我々に何を残していつたらう。まさか闇相場と豹変主義のみでもないだらう。
降る亜米利加に肌を濡らさじと言つて自害した烈婦の出ない事を、今の世に問うて慨嘆するのは無理であらう。江戸時代にも長崎や下田に残つた綺譚が幾らもあるではないか。
わたくしは好んで「後庭花」の曲を聞かうとするものではない。けれども洋人を見れば、ぞろ/\其の後についてチヨコレートを貰はうとする子供を憎むまい。道に落ちたシガーの吸殻を拾ふ紳士を嘲るまい。彼等をして、斯くなさしめたのは誰ぞ、誰の罪ぞ。
わたくしはホテルの食堂でふと心安くなつた洋人から、其国の雑誌と新刊書を貰つた。喜んで貪るやうに之を読んだ。口に飢を覚えるやうに、心にも亦常に飢を覚えてゐる故である。珈琲の香も嗅ぎたい。アラン・ポーの詩もよみたい。町のムスメを憎しみ嘲けるに先だつて、おのれの身を省みねばならない。首陽山の蕨は大むかしの話である。智慾の乞食は哀である。
(昭和二十年十二月十日草)
(昭和廿一年二月新生所載)
〔一九五四(昭和二九)年二月二八日、中央公論社『裸体』〕
(昭和廿一年二月新生所載)
〔一九五四(昭和二九)年二月二八日、中央公論社『裸体』〕