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書翰

大正十三年十一月四日 川端康成宛

横光利一




59 十一月四日消印 東京市外中野上町二八〇二より東京市本郷區駒込三十八牧瀬方の川端康成宛(封書・四百字詰原稿用紙五枚・ペン書)


昨日はどうも失禮。

とにかく癪に觸る。加宮や菅は[#「菅は」は底本では「管は」]論ずるに足らないとして、中河だつてさうだ。中河はあれを校正してをきながら、何ぜ俺か君かに一口知らさなかつたのか、もしそれだけの敏感さを持つて知らしてくれたら、俺なり君なり直接菊池氏の所へ行つて菊池氏に撤回させたんだ。もしそれでもきかないなら、そのときはそのときだつたのだ。とにかくあまり誰も彼も鈍感すぎる。かかる鈍感さは罪惡だ。俺たち文藝時代の者の競走心をマークで煽動させてをいて結團心を邪魔させ、その隙に乘じてあの大家達をどつしりと坐らせやうとした腹、憎むべき奴らだ。こんなことに加宮や菅が[#「菅が」は底本では「管が」]鈍感であつたと云ふことは、その鈍感の質が實に下品で露骨で、見るにたへん。これ以上文藝時代ともあらうものが、背競べをさせられて、しかも平氣で背くらべをして大家を持ち上げて默つてゐると云ふその顏つきは見てゐられないではないか。俺は自分一個の腹立たしさではないのだ。

こんなことを平氣で文藝春秋がやつたと云ふことは、第一、君と僕との顏をもうめちやくちやに踏み潰したんだ。君と俺との文藝時代の者達に對する苦境なんかも全然無視したやり方だ。いづれあんな背くらべをマークでされてゐて、默つてゐる奴ばかりもなからうと思ふが。もし默つてゐる奴ばかりなら、そのときは俺一人、文壇と角力を取つて、負けても勝つてもいい、打ち死にする覺悟だつたのだ。君に一言云はなかつたのは惡かつたのはそれは先づ赦して貰ひたい。君がゐなかつたのだから。

しかし、あのときは君がゐても僕はもう君の云ふことをきかなかつたと思つたからそれほど癪に觸つてゐたから、同感してくれるのは君と今と二人だらうと思つたのだ。他の者は僕に同感してくれてもしてくれなくともどうでもそんなことはかまはなかつたのだ。

蟲が良すぎると思つてはくれるな。僕はそれほど君を信頼してゐたのだから。

しかし、此の癪はこのままではとてもおさまらない。もし此のままで、をさまり返つてゐるやうな文藝時代だつたら、もうその時はその時だ。あまりにあほらしいからね。

とにかく、まだまだ納つてゐられない理由はこれだけではないが、とにかくまたお逢ひしたとき。






底本:「定本 横光利一全集 第十六卷」河出書房新社

   1987(昭和62)年12月20日初版発行

底本の親本:「横光利一全集 第十二卷」河出書房

   1956(昭和31)年6月30日

※副題は、井上謙氏により底本編集時に、月日、宛名人の順に加筆されたものです。

※中見出しの番号は井上謙氏により底本編集時に加筆されたものです。

入力:橘美花

校正:きりんの手紙

2020年5月31日作成

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