Dream Tales

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東京座の一と幕見が非常な大入で、場内へギツシリ詰まつた黒山のやうな見物人の波をウムと力んで背中で堰（せ）き止めながら、前列に居る私は、一生懸命鉄棒（かなぼう）に掴まつて居た。鉄棒はざらざらに錆びて居て、人いきれの為めに熱く火照（ほて）つた私の頬へ、ひいやりと触れて居るのが、大変好い心持ちである。さう思ひながら、私はぢツと顔を舞台の方へ向けて居る。あまり後ろから押し付けられる息苦しさに、時々背伸びをしようとしたり、肩を揺す振らうとして見るが、立錐の余地もない雑沓（ひとごみ）で、殆んど身動きが出来ぬ。まるで枷を篏められたやうである。

「·········さうだ、己は人肉の枷を篏められて居るのだ。」

と、私は考へた。右や左の人の体が、びツたりと私にくツ着いて居る。折々は先方の手が、懐（ふところ）へ入つて来たり、脚が両膝の間（あいだ）へ割り込んだりする程、くツついて居る。何処迄が自分の体で、何処までが他人（ひと）の体だか、判らない位である。さうして、お互に芝居の方へ気を取られて居ながら、精神のお留守になつた肉体同士が、狭い暗い羽目板の蔭で、僅かの隙を求めては少しでも前へ出ようと藻掻き合ひ、縺れ合ひつゝ、犬のぢやれるやうに盲動して居た。

窮屈ではあるが、仕方がないから、私は矢張ぢツと舞台の方を向いて居る。何でも其れは、前に度々見た事のある、悲しい、旧劇の芝居であつた。右隣に私と顔を列べて居る人の、真白な、高い鼻の頭ばかりが、自分で自分の鼻端（はなさき）を視詰める時のやうに、ぼんやりと見えて居る。鼻の持ち主は確かに女である。どうかした加減で、前髪がちらちらと私の眼の前を掠めたり、凉しい眸（まなざし）が閃めいたりする。女の頬からは涙がさめざめと、止めどなく流れ落ちて、冷めたい鉄棒を伝はつて、私の唇（くちびる）の中へ入つて行く。·········

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私は万里の長城のやうな、幅の狭い、恐ろしく高い城壁の上に、仰向きになつて臥（ね）て居る。頭の方から足の方へ、一二尺の広さの路（みち）が、真直ぐに走つて居るが、右と左は千仞（せんじん）の谷底のやうに深い。左の谷底から一本の索（つな）が、私の胸の上を擦（こす）つて、右の谷底へズル／＼と下りて行く。誰か下で引張つて居る奴があるらしいが、索は馬鹿に長いと見えて、いつ迄立つても限りなくズル／＼と下りて行く。

漸（ようや）くの事で索が尽きたかと思ふと、其の端に結び着けてある生首が上つて来たが、私の頤（あご）の間へ引懸つて、容易に離れない。其れでも関（かま）はずに、右の谷底ではグングン引張つて居る。

「おうい、そんなに引張るなよウ！　己が落（おつこ）つてしまふぢやないか。」

私は思はず下を向いて、かう叫んだ。

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「さあ、あたしが斯うして上げたら、もう其んなに恐ろしい事はないでせう。」

女は斯う云つて、激しい恐怖に襲はれて打ち慄（ふる）へて居る私の額へ、そつと右の掌（たなごころ）を置いた。

すると、私の額（ひたえ）の触覚は丁度舌が微細な料理の味はひを翫賞するやうに、女の掌の暖かさ、柔かさ、懐かしさ、優しさを、しみじみと舐め試みた。恋の歓楽の壺の中に秘められた甘露の、汲めども／＼尽きざる美味が、滾々（こんこん）と流れ出て、不思議にも、今迄体中に充ち充ちて居た恐怖は、拭ふが如くに忘れられる。

「あなたが其の手で始終触つてさへ居てくれゝば、私はこのまゝ生きて居られる。其の手の味はひより外（ほか）に、私の生を充実させるものはないのだから。」

と、私は其の女に答へた。