戻る

休養を取る日を

浅沼稻次郎




 もう銀婚式をあげる時がきている。しかし住居は依然として深川白河町の狭いアパート、事務所と併用の様なものなので生活にはなんの進展もない。

 自分は早稲田を出て以来、三十年あまり、身を社会運動に投じ、自己を犠牲にして大衆に奉仕し、社会主義実現のために闘うことが、歴史的任務と考えて微力をつくしてきた。これはどうしても家庭を犠牲にする。戦後日本社会党が結成されてから、幹部の一人として、全国遊説、党組織ととびまわり、家庭にいるのは一ヵ月の三分の一くらいである。経済的にもらくではない。妻はよくかゝる生活に耐えてくれた。人間的にみれば、社会運動も酷なものと考えさせられることがある。家庭生活の解放、確立なくして、なんの社会運動かと思われることもある。

 私は常に妻の協力に感謝しつつ、お互の生活のなかに休養を取る日はいつの日かと思いつゝ、仕事に専心している。

(右派社会党書記長)






底本:「週刊朝日2月15日号 第58巻第7号通巻第1735号」朝日新聞社

   1953(昭和28)年2月15日発行

入力:かな とよみ

校正:持田和踏

2022年9月26日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。





●表記について



●図書カード