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もぐらとコスモス

原民喜




 コスモスの花が咲き乱れていました。赤、白、深紅、白、赤、桃色······花は明るい光に揺らいで、にぎやかに歌でも歌っているようです。

 暗い土の底で、もぐらの子供がもぐらのお母さんに今こんなことを話していました。

「僕、土の上へ出てみたいなあ、ちょっと出てみてはいけないかしら」

駄目だめ、私たちのからだは太陽の光を見たらいっぺんに駄目になってしまいます。私たちの眼はうまれつき細く弱くできているのです」

「でも、この暗い土の底では、何にも面白いことなんかないもの。それなのに、ほら、このコスモスの白い細い根っこが、何かしきりに近頃たのしそうにしているのは、きっと何か上の方で、それはすばらしいことがあるのだろうと僕思うのだがなあ」

「ああ、あれですか、コスモスに花が咲いたのですよ。夜になるまでお待ちなさい。今夜は月夜つきよです。夜になったら、お母さんも一寸ちょっと上の方まで行ってみます。その時、ちょっとのぞいてみたらいいでしょう」

 もぐらの子供は、夜がくるのをたのしみに待っていました。

「お母さん、もう夜でしょう」

「まだ、お月さんが山のに出たばかりです。あれがもっとこの庭の真上に見えてくるまでお待ちなさい」

 しばらくして[#「 しばらくして」は底本では「しばらくして」]、お母さんは、もぐらの子供にこういました。

「さあ、私のあとにそっとついて、そっと静かについてくるのですよ」

 もぐらの子供はお母さんの後について行きましたが、何だか胸がワクワクするようでした。

「そら、ここが土の上」

 と、お母さんはささやきました。

 赤、白、深紅、白、赤、桃色······コスモスの花は月の光にはっきりと浮いて見えます。

「わあ」

 もぐらの子供はびっくりしてしまいました。

綺麗きれいだなあ、綺麗だなあ」

 もぐらの子供は、はじめて見る地上の眺めに、うっとりしていました。

 すると、コスモスの花の下を、何か白いものが音もなく、ぴょんとねました。これは月の光に浮かれて、兎小屋うさぎごやから抜け出して、庭さきを飛びまわっている白兎しろうさぎでした。

「あ、また兎が庭の方へ出てしまったよ」

 と、このとき誰か人間の声がしました。それから足音がこちらに近づいて来ました。すると、もぐらのお母さんは子供を引張ひっぱって、ずんずん下の方へ引込ひっこんで行きました。

綺麗きれいだったなあ。いつでも土の上はあんなに綺麗なのかしら」

 もぐらの子供は土の底で、お母さんにたずねました。

「お月夜つきよだから、あんなに綺麗だったのですよ」

 お母さんは静かに微笑わらっていました。






底本:「原民喜童話集」イニュニック

   2017(平成29)年11月15日第1刷発行

底本の親本:「定本原民喜全集※(ローマ数字2、1-13-22)」青土社

   1978(昭和53)年9月20日発行

   「新装版原民喜全集第三巻」芳賀書店

   1969(昭和44)年10月5日発行

※誤植を疑った箇所を、親本の表記にそって、あらためました。

入力:竹井真

校正:砂場清隆

2022年10月26日作成

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