雄吉は、親友の河野が、二年越の恋愛事件以来||それは、失恋事件と云ってもよい程、失恋の方が主になって居た||事々に気が弱くてダラシがなく、未練がじめ/\と何時も続いて居て、男らしい点の少しもないのがはがゆくて堪らなかった。
河野の愛には報いないで、人もあろうに、河野には無二の親友であった高田に、心を移して行った令嬢や、又河野に対する軽い口約束を破ってまで、それを黙許した令嬢の母のS未亡人に対する河野の煮え切らない心持は、雄吉から考えれば腑甲斐なき限りであった。
雄吉が、若し河野であったならば、斬ったり突いたりするような事は、自分の教養が許さないにしても、男らしい恨みを、もっと端的に現わせる筈だのにと思った。それだのに河野は、ぐたぐたとなってしまった
而も、河野のそうした申出が、相手の高田から『大きなお世話だ。』と云うように
それに、自分独りで、グッと踏み
それも、細木だとか雄吉など云う極く親しい友人が、河野の愚痴を聴き飽いて、もう新鮮な同情を与えなくなると、今度は高等学校時代の旧友や、一寸した顔馴染の人達を
「若し、河野があの失恋をグッと踏み
河野の失恋は、その腐ったような尾を、何時迄も、引いて居た。そして、その尾は何時の間にか、放恣な出鱈目な、無検束な生活に変って居るのであった。彼の生活の何処にも、手答えがなかった。性格から、凡ての堅い骨を抜き取ってしまったように、何事をするにも強い意志がないように見えた。そして、おしまいには、今迄の親友の群を放れて、何時の間にか、遊蕩生活をさえ始めて居た。そして、自分に対する友人たちの尊敬や信頼を、自分で塗り潰して居た。
その頃の雄吉は、細木や藤田などに逢うと、
「ああそう/\。又河野の悪口を云って居た。」
と、お互に制し合う場合には、きっとその後の話には、一時に沢山の禁句が出来たように、妙な窮屈さを感じた。そして、何時の間にか話が河野の悪口に、後戻りして居るほど、雄吉たちは、河野の生活に対する非難で、心が一杯につまって居た。
雄吉は思った。我々の親しい友達の間では、今迄蔭口などは、決して利いた事はなかったのに、河野に対してのみは、皆が平気で少しも良心の苛責を受けずに、いくらでも悪口を話し続け得るほど、河野は友達に対する威厳を無くしてしまったのだと。友人に対する威厳や、友人からの信頼を、無くしてしまう事、それは無くする当人から云っても無くされる友達から云っても、可なりの悲劇に違いないと思った。
殊に、雄吉は細木などから、
「何うだ。やっぱり、君が新聞小説なんかを、書かせるからいけないのだ。河野を貧乏にして置いたら今頃は困って居るにしても、健全に、清浄な生活を送って居るぜ。」などと云われる度にくすぐったいような不快を感じた。河野が失恋に苦しむと同時に物質生活の不安に脅かされて居る時、多くの友人の抗議を排して、新聞小説を書かせたのは、雄吉であった。河野が、細木や吉岡などの烈しい反対に逢って、到頭書かないことを決心して、断りの返事を、雄吉の所へ持って来たとき、敢然として再考を求めたのは雄吉であった。
河野と同じように、無資産の貧乏人である雄吉は、細木や吉岡などよりも、河野の心持はよく判った。失恋と同時に、凡てに元気を失った彼には、付物である物質上の不安が、何時よりも猛烈に、感ぜられて居たのだ。その不安を取り去ることは、失恋に対する対症法ではなくとも、彼の心持を、少しでも軽くする事に依って、間接に
『僕は、新聞小説をかいた事によって、やや救われたと云っても、いい位だ、あの頃の友達の忠告の中では、君のが一番適切だった。』と、河野は
その上、その頃は雄吉の知人で、同時に河野を知って居る誰かに逢うと、その人はきっと河野に対する報告を、聞かせて呉れた。丁度、子供が何かの
「君! 河野君が此間の晩にね······」とか、
「君が、まだ知らないとは駭いたね。」と云うような冒頭で、河野があゝしたこうしたと云ったような事を、いくらか誇張したように、話して呉れた。どの話を聴いても、河野は決していゝ役廻りをして居なかった。河野が人が好くて、気の弱いのに付け込まれて、散々に利用されて居て、しかも蔭では、馬鹿にされて居ると云ったように結論せられる話ばかりであった。そして彼等はきっとおしまいに、
「君達から、少し忠告するといゝんだ。」と、親切ごかしに、付け加えて呉れるのであった。
雄吉も、細木や藤田などの極く親しい間だけでは、河野に対する非難を、いくら繰り返しても、そう不快ではなかったが、余り自分たちと、親しくない者から、彼に対する非難や侮蔑を聞くと、やっぱり不愉快であった。もっと、何うかして呉れればいゝと、思わずには居られなかった。もっと、シャンとして呉れればと、思わずには居られなかった。
河野は、生活の調子を、ダラシなくしたばかりでなく、創作の方面でも、同人雑誌をやって居た頃の向上的な理想などを、悉く振り捨ててしまって、婦人雑誌の中でも一番下品な雑誌へ、続き物を書く約束などを始めて居た。藤田などは、それを知ると目を丸くして、駭きかつ慨いた。
「僕は、河野が放蕩を始めたからと云って、それを
河野の生活が、だん/\その調子を狂わしてからは、雄吉たちとの交際も、だん/\疎遠になった。夕方の五時からは、どんな所用があって、尋ねて行っても、在宅して居ることは、殆どなかった。
「河野の所へは、何時行っても居ない。」と、雄吉たちは口々に云い合った。家に居ないことまでが、何も河野に、道徳的責任がある訳でもないのだが、幾度も重って居る中には、そう云う事からしても、妙な感情上のコジレが出来かけて居た。
「君達は、酒が飲めないから、駄目だよ。僕にはやっぱり、飲み友達と云ったようなものが必要だよ。」と、河野はよくそれを弁護した。又、人が好くて、
「あの連中との交際は、第二義第三義の交際だよ。君達がやっぱり第一義だよ。」と、河野はそんな事を云った事もある。が、然しそうは云うものゝ、河野がだん/\今迄の友達と離れ、新しい||同時に交際の興味も新しい||友達に、親しみかけて居るのは事実だった。相対する高台と高台とに、住んで居ながら、河野は雄吉を尋ねて来ることなどは、殆どなかった。何時行っても不在なので、雄吉の方から、訪問する気も起らなかった。
今年になってから、仲間
が、兎に角、偶然の
あれで、少しでも河野の生活が引きしまって呉れゝばいゝと思った。
が、そう思ったのは、雄吉の空しい望であったことが、直ぐ判った。
河野は、細木や藤田などの忠告を『友達が悪い。』というように、うすっぺらに解釈して新しい友達の今井などに云ったので、今井などは細木や藤田などに対して、悪意を持つようになったと云う事実を、雄吉は新聞のゴシップでしった。それを知った時に、雄吉は河野に対する[#「対する」は底本では「最する」]最後の愛想を尽かさずには居られなかった。
細木や藤田などの、河野の生活の根柢そのものに触れた非難を、小学校の生徒同士の忠告か何かのように、『誰それさんと遊ぶな。』と云うように解釈して、しかもその誰それさんに、直ぐ云い付けに行く態度を、憤慨せずには居られなかった。
交友が悪いと云うような忠告は、小学生少くとも中学生、大負けに負けて、高等学校の生徒迄位に対してのみ、与えられるべきものだ。もう三十にも近く、創作でもしようと云う人間で、友達の善悪などが問題になるのかと思った。みんな自分自身の問題ではないか。自分の生活の心臓に、指し向けられた非難を、正当に受け入れる勇気がなくて、それを罪も報いもない遊び友達に指し向けようとする河野の男らしくない弱者の態度を、雄吉は賤しまずには居られなかった。こんな事は、自分自身の腹の中で、グッと
細木などの苦言を受けて、全く悄気て居た河野には同情した雄吉も、こうなっては少しの好意も残って居なかった。彼のやり方を詰責する手紙を送ってやろう。その為に河野との友情が害われても仕方がない。何うせこんな調子で、推移して行けば、早かれ遅かれ、おしまいには破れてしまうのだからと思った。
が、雄吉がそうした手紙を書こうと思って居た時であった。雄吉は、河野から、こんなハガキを受け取った。
○○座の一行と川越に来て居る。今日一座の者と一緒に町廻りをした。ふと、振り返って見ると、僕の乗って居る車にも、河野秀一と云う旗が立って居るのには駭いた。
と云う簡単な文句が、書いてあった。雄吉は、之を見た時、『河野らしい反抗だな。』と思った。『君達が、忠告すればするほど、ダラシなくなってやるのだ。田舎の役者と一緒に町廻りなどをすれば、君達は又鹿爪らしく非難する事だろうよ。』と云ったような河野の棄鉢的な反抗が、マザマザと見え透いて居るように思われた。雄吉は、河野の気持が、こんなにこじれてしまって居る以上、詰問などをしても、甲斐がないことだと思った。その儘に思い止まることにしてしまった。それに河野は川越から帰ると、又直ぐ大阪の方へ遊びに行って、其処から又『俺は
「あの人は、あゝした賑やかな[#「賑やかな」は底本では「賑やなか」]場所へ来ることが、何よりも好きらしいな。この頃は、自分の家などには、淋しくて居たたまらないらしいのだよ。この間の初日なども、河野君にとっては、別に顔出しをしなければならない訳はないのだが、それでも顔を出さずには居られないんだね。」と、その男は付け足した。
×
こうした心持で居たから、雄吉は雄吉達の友達である鳥井の結婚式があると云う日の午前に、河野から、
『流行性感冒にかゝり、昨夜以来、発熱四十度、今日の鳥井の結婚式には、とても出られない。鳥井によろしく云って呉れ。』
と云う速達のハガキ||それも誰かの代筆らしいのを、受け取った時、友人の急な重態に駭くのと同時に、心の底の何処かで『いゝ気味だ』と、云うような気がするのを、何うしても打ち消すことが出来なかった。自分達の河野の生活に対する非難が、こうした偶然の出来事に依って、代弁されるようにさえ思った。無論、河野の放恣な出鱈目な無検束な生活が、直接には発病の因を、成しては居なかったろう。が、雄吉は、若し河野が一月ほど前に、細木や藤田などが与えた苦言を幾らかでも聴いて、もっと慎ましい秩序のある生活をして居たならば、こうした危険な病勢などを、未然に防ぎ得ただろうと思わずには居られなかった。
『あの忠告は、本当に時宜的忠告だった。今度のことで、少しは思い知るがいゝ。』と雄吉は思って居た。
お互の感情が、どんなに荒んで居たとしても、それは、河野が壮健で跳ね廻って居る時のことで、生命の危険さえ伴って居る病気になっては、見舞に行かないと云う訳には行かなかった。
鳥井の結婚式が済むと、雄吉は細木と連立って、下谷の河野の家を尋ねた。
取次に出た河野と同じように人の好いお母さんの真蒼な顔には、背負い切れぬ心配が、満ちわたって居た。二三日櫛を入れないらしい髪のほつれ毛が、一層この年とった母親を、いたましく見せて居た。子供の
「ほんとうに、何うなる事かと心配して居ます。熱が昨日から、ちっとも下らないので御座います。それに、秀一は常から心臓が、わるいもので御座いますから、本当に何うなる事かと心配して居ます。」
お母さんの低い声は、低いながらに、小さく顫えて居るようにさえ思われた。
「
そう云って奥に入ったお母さんは、座敷に寝て居る河野に訊いて居るらしかった。
痰がからんだような河野の低い声が、かすかに聞えた。再び、顔を出したお母さんは、
「お目にかゝりたいと申して居ります。」そう云って、雄吉たちを、病室へ案内して呉れた。
雄吉は、河野には、一月も逢って居なかった。が、健康であれば、少しも変って居ない筈の河野が殆ど別人のように、蒼ざめた顔をして、氷嚢を頭に載せたまゝ、死人のように床の上に横わって居た。
『あゝ死相が現われて居る。』雄吉は、心の中でそう思った。いつも、赤みがかって居る河野の顔には、あの臨終の人にありがちな黒い陰翳を持った青みが、塗り付けたように、漲って居た。唇は紫色にかわって居た。河野がいつか、俺の眼は澄み切って居るだろうと、自慢して居た眸だけが、明るい電燈の光のもとに、ます/\澄み切って居るように思われた。その顔は、河野の半生には、夢にも見られないような清浄さと、けだかさとを備えて居た。雄吉と細木との顔を、上目を使って、ジロリと見た河野は、
「ありがとう!」と、口の裡で微かに云って、何か云い続けようとしたが、咽喉へからんで居る痰の為だろう、苦しそうに咽喉元を、顫わしたまゝ、何も云わなかった。
雄吉も細木も、病気見舞と云ったような、ありふれた御座なりを、友達が瀕死の場合に云うのは、如何にも空々しく見えるので、何も云わないで黙って居た。
が、常にない河野の、神々しいと云ってもいゝような顔を見て居ると、河野の過去一年の凡ての行為が、今度の病気に依って、スッカリ浄化されたように思われて、河野に対して懐いて居た感情のこじれを、悉く忘れはてようとして居た。十年に近い間、いろ/\さま/″\な生活を、一緒にして来た友達に対する、純な感情がしみ/″\と、蘇って来るように思った。
雄吉は、その晩自分の家へ帰る道で、この瀕死の友達のために、出来るだけの事をしてやらねばならないと思った。
河野が、病気になったに就いて、一番困って居ることは、やはり金ではないかと思った。新聞小説を書いて得た収入は、入るに従って散じてしまったようだし、その小説を出版して得る印税は、前借までして使って居たし、その上、河野は最近になってから、急に身の廻りの物を、整え初めて、身分不相応ではないかと思われるほど、立派な洋服と外套とを、新調して居たし、雄吉の考では、借金こそあれ、余分の金は一文もないようにさえ思われた。殊に河野が倒れて居る以上、月末に入る原稿料などは、一文も入って来る筈はないのである。
雄吉は、友達同士で醵金して、せめて百円か二百円かの纒った金を、河野の為に蒐めてやろうと思った。が、実際その
それで、到頭その方は思い切って、先輩や友達仲間の傑作選集を出版して、その印税を河野に贈ることにした。その方法は、誰にも大して迷惑をかけることなくして、纒った金を作り得る簡易な方法であった。自分の古い作品の中から、著作集にも入れてしまったものゝ中から、選集のために、一篇を割くと云ったことは作家に取っては、たゞ一寸した好意だけで出来る事だったから。
河野の病気は、危篤と云っても、いゝ位な重態のまゝで、四五日の間持ち合って居た。医者は、弱い心臓を保護するためのあらゆる手段を尽くして居るらしかった。
そうした危険な河野の重態を、憂慮しながらも、雄吉は細木と相談して、選集を出す計画を進めて居た。この選集で得られる印税が、河野に対する香奠になるのではあるまいかと思うほど、河野の病状は険悪であった。
丁度、その頃であった。
雄吉は、ある日突然吉岡の訪問を受けた。吉岡は河野とは可なり親しかったが、雄吉とはまだ友達とは云われない位な知合であった。お互に訪問したり、訪問せられたりする程の親しい間柄ではなかった。
従って、雄吉は此場合、吉岡の訪問を一寸意外に思わずには居られなかった。
「いや! 一寸失礼するよ。一寸君に相談する事があってね。」と、吉岡は出迎えた雄吉にそう断りながら、二階に通った。
吉岡は、座に着くと、ロク/\落付きもしない
「いや、実は
雄吉は、吉岡が何のためにそんな事を、訊くのだか分らなかったが、多分吉岡自身応分の金を出して呉れるのだろうと思ったので、
「蒐めようと云う計画もあるのだが······」と、答えた。
吉岡は、一寸云い出しにくそうにして居たが、
「話が可なり突然になるのだが、実はS家でね、若し河野君が金に困って居るのなら、療養費は幾らでも出そうと云うのだがね。実はそれで、先刻河野君の家へ行ってそれとなく様子を視たのだが、人事不省同様で誰にも会わせられないと云うから帰って来たのだ。それで、君が一番適任者だと思ったから、相談に来たのだが、一体何うしたものだろう。」と、吉岡は持前の明快な口調で、早口に云った。
雄吉は吉岡の云うことを、何気なく聴いて居る中に、それが思いがけなくも、可なり重大な問題であるのに、気が付いて、緊張せずには居られなかった。
雄吉は、河野の代理として、こうした恵与を、受くるべきか、斥くべきかの判断をする、重大な責任を感じた。
表面だけから云えば、S家は河野の愛に背き去った恋人の家ではあるにしろ、二年前に死んだ主人と河野とは、先ず師弟と云ってもよい間柄であったのだから、S家で河野の急場を救うと云うことは、そう大して筋違いのようではなかった。が、然し||問題はそう簡単ではなかった。
河野とS家とは、お互に義絶の通知をこそしないけれど、今では可なり烈しい確執を
そうした不和の間柄でありながら、河野の大病を聞き知って、金を出そうと云う、それは今迄の行きがかりを、悉く忘れて、河野が作品の中で、示した反抗的な復讐的な態度を、少しも意に介さないで、敵を愛せと云ったような、恩を以て
雄吉は、無論S家の動機が、凡ての行きがかりを捨てた純な厚意から、出て来るのだと信じたかった。が、然しその動機は、善悪孰れにもせよ、あゝした確執を結んで居る間柄でありながら、相手が如何に大病で死にかゝって居るにもせよ、如何に金に困って居るにもせよ、金を
吉岡は、雄吉が黙ったまゝ考えて居るのを見ると、説明をするように語を継いだ。
「僕は、河野君にそれとなく話して見ようと思ったのだが、何しろ人事不省に近いことだし、そんな話をして、
雄吉は決心して云った。
「僕は不賛成だね。S家の厚意は感謝するよ。そして、その心持も判らないことはないがね。が、然し兎に角、あゝした関係になって居るだろう。まあ、義絶と云ってもいゝだろう。若し、そうした救助を受けて置いて、もし人事不省で居る河野が恢復して、俺はS家の厚意なんか死んでも受けるのじゃなかったと云ったら、取り返しの付かないことになると思うのだ。又、河野としては、当然そうなければならないと、僕は信ずるのだ。従って、
「が、然し生きて居る
「それに、万策が尽きてしまって、金の出所が少しもないと云うのなら、兎も角だが、河野が金に困って居るのだろうと云う事も、僕達の老婆心から出た推測で、河野が自身で金に困ると云った訳じゃないんだ。もし亦困って居たにした所が、友人もあることだし、親類もある事だし、S家の世話などになる前には、僕達で出来るだけの事をしてやるのが、当然ではないかと思って居るのだが。」と雄吉は云いつゞけた。
吉岡は、雄吉の謝絶を、あまり感情を害さないで、割合平静に聴いて居たが、
「あゝそうかい、いや! よく判ったよ。僕も最初から何うかと思って居たのだが。」と、穏やかに受け入れた。
雄吉は、此事を病床に居る河野に、聴かせたら、きっと憤慨するに違いない。
「それで、君達で金を蒐めようとして居るのかい。」と、吉岡は暫くしてから訊いた。
「いや、金を蒐めようと思って居たのだが、金だと十円にしろ二十円にしろ、一寸苦痛を感ずる人もあるだろうから、僕達の仲間の傑作選集と云ったようなものを、出そうと思って居るのだ。それなら、誰にも迷惑をかけないで、済む事だから。」
「そりゃ名案だね。」と、吉岡は可なり感心したように云った。「金なんか貰ったり、やったりして居ると、
雄吉は、吉岡が不用意の裡に犯して居る自家撞着に、気が付かずには居られなかった。それと同時にそれに依って自分の取った態度を、更に肯定されたように思った。吉岡は、将来万一起るかも知れない不和の場合を恐れて、友人間の金の恵贈を、避けたらいゝと云うのだ。所が、河野とS家との不和は、ホンの僅かな可能性をしか、持って居ない将来の事ではなくして、厳として眼前に横わって居る事実なのだ。将来の万一の不和を怖れて、金の恵贈を避けると云うのなら、その何百倍何千倍の強さを以て現在の不和のために、金の恵贈を避けるべき筈ではないかと思った。
憎んで居る相手から、金を受けると云うことは、恩恵や厚意を受くることでなく、一つの侮辱を受くることではないかと思った。
吉岡も本心では、此の申出の不合理に、気が付いて居るのだが、S家に対する義理の為に、仕方なく行動して居るのだと思った。
そう思うと、雄吉は瀕死の友人のために、万人が認めて正当とする処置を取ったのだ、と云う確信と、それから来る満足とを持たずには居られなかった。
×
その
その間雄吉は、吉岡から聴いた話を、河野に伝えなかった。河野に云えば、きっと不愉快を感ずるだろう、病気のために可なり気を腐らせて居る時に、話してはならない、病床にある間は黙って居ようと思って居た。
が、兎に角、河野の代理にやったことだから、一応は河野に話して、その事後承諾を得なければならぬと思って居た。同時に、河野からの感謝を得たいという心持もあった。
ある晩、河野は珍しく雄吉の家を尋ねて来た。もう夏の初であるのに、まだ外套を着て居た。
「夜外出して見たのは、今日が初てなのだ。もう大抵大丈夫だと思ったから、試験的に君の家まで来て見たのだ。」と云った。
もう全くの健康だった。少し位いやなことを聴いても、ビクともしないような感情と身体とを、取り返して居るように思われた。雄吉はもう話してもいゝと思った。
世間話が一寸途切れた[#「途切れた」は底本では「跡切れた」]時に、雄吉は心持言葉を改めながら、
「君、今だから話すがね。君が人事不省だった二月の
「無論、僕は断ったよ。君の代りに敢然として断ったよ。僕は、可なり君を侮辱して居ることだと思うのだ。下品な言葉で云えば、金で面をはる、と云ったようなやり方じゃないかね。そう
「僕は、少し怪しからんことだと思ったんだ。よくもそんな事を云って来られたと思ったんだ。今更、そんなことを云って来られる義理じゃないんだろう。」と、云いながら雄吉は、河野がきっと烈しい憤慨を洩らすだろうと待って居た。
が、河野は雄吉の予期とは、全く違って居た。彼は、顔を一層赤くしながら、俯き加減に、じっと畳の上を、見詰めて居たようだったが、その眸は湿んで居るようにさえ、雄吉には思われた。暫くすると、やっと、顔を挙げたかと思うと、
「君はそう憤慨するけれども、先方はそう悪意でやった事じゃないよ。」と、云って、
雄吉は、自分が壁だと思って突き当って行ったものが、ヘナ/\と崩れてしまったような拍子抜けを感じて、暫くは茫然として河野の顔を、見詰めて居た。そして心の裡では、急に方角を見失った男のように、ボンヤリとしてしまった。
雄吉が、若し河野であったならば、どんなに憤慨したかも知れないような侮辱を、河野は憤慨どころか、ある感激を以て、受け入れて居る。河野自身が『怪しからない事だ』と云うて、憤慨するところを、第三者の雄吉が、マアマアと云って
雄吉は、予期した通に、河野から承認や感謝を、得られなかったことに、軽い失望を感じながらも、自分の前に、じっと俯向いて居る河野の顔を||十年近くも見馴れて居る顔を、別人を見るような目新しい心持で、暫くは見詰めて居た。そして心の裡で『神の如き弱さ』と云う言葉を、何時の間にか思い浮べて居た。