今でこそ余程薄れたやうですが、昔は「芥川の脣」と云へば僕達の間では一寸評判のものでした。久米などはよく「芥川の脣」を噂した事がありました。芥川は御承知の通り色白の方であるのに、其の脣と云ふのが真紅で
脣の真紅であつた頃の芥川は極くおとなしい、何処かにツンと取済ました所のある優等生でした。そして丸善あたりから新しい文学書類を頻々と買込む事に於て僕達を羨ましがらせたものでした。
が、創作するやうな様子もなく、今程頭のよい男だとも思へませんでした。僕やKやMなどがワイ/\騒いだり欠席の競争をやつて居る間にも、芥川は真面目に学校へ出て先生達の信用も
芥川の癖と云へば、
芥川の頭のいゝ事は何んなに推賞しても足りないと思ひます。記憶もよければ思ひ附もよし、デリケートな理解もあるし、全く敬服の外はありません。然し芥川が談話の際に発する警句や機智などはパラドックスや独断が多くて、多くの場合感心しません。
芥川の創作には一分も隙のない用意と技巧とが行き渡つて居るが、それと同じやうに、実生活の上でも芥川は一分も隙を作らないやうに思はれます。此の点は感心はしますが、同情はしません。
芥川の創作は今の日本では芸術的には最高の標準にあると思ひます。森田草平氏が技巧の点では第一人者と云つた事に賛成します。又その観照の澄み切つて居る点でも一寸類がないやうです。が、芥川の創作には人生を銀のピンセットで弄んで居るやうな、理智的の冷淡さがあり過ぎるやうに思はれます。もう少し作者がその
が、芥川はまだ年が若いし、順境にのみ在つて、人生の煉獄は少しも経て居ないのですから真に力のある作品はむしろ今日以後に期待すべきものだとも思ひます。そして此の作者の
||印象的な脣と左手の本
(大正六年十月「新潮」)