「詩とたたかいとは
もはや 朝鮮において 区別出来ず
たたかいと 詩とは
もはや 朝鮮では二つのものではない
若し朝鮮の詩人の名のすべてを聞く人
愛国者の名を聞く人があったら
すべての朝鮮の人民の名を
のこらず 挙げよう」 (許南麒の詩)
我がサークルの仲間たち
田をおこす 土方をしている
洋服屋へ 通うている
下駄屋 古着屋
奨学資金で 大学にいるもの
そして 刑務所にいる 我がサークルの仲間たち
我らの机とペン
ペンも 机も ありやなし
出がけに走り書きする 立て膝で
夜 ねむりをぬすんで書く
ガリバンを刷る ツバメのように
詩と 生活と たたかいと
われわれにも 区別がない
詩と生活と たたかいと 手をつかみあって進んでゆく
人民の胸と手と
許南麒の詩のように
朝鮮人のように人民の胸と手に